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2008年01月30日
モデルカーズ的こころ(22)
ボクのシャパラル好きは古いモデルカーズ愛読者の方々なら良くご存知の事と思う。過去にシャパラルの記事をどれだけやったか知れないほどだ。シャパラルは'60年代にオートマチックトランスミッションやウイング、FRPモノコックシャシーなどで先鞭をつけたレーシングカーであるが、それが一種キワモノ的な存在として色眼鏡にかけられて見られて来た。しかしその後のモータースポーツ発展の歴史を見れば、シャパラルが如何に時代を先取りしていたかが知れる。そんなシャパラルを訪ねてテキサス州ミッドランドへと出向いたのも随分と昔の事となってしまった。シャパラルのファクトリーは荒涼たる大平原の中にポツネンと在った。決して大規模とは言えないこじんまりとした、しかし簡潔で清楚な施設であった。このバックヤードのような小さなファクトリーからあのシャパラルは生まれていったのだ。実際に現地に立てば、かつてボクが少年だった頃、オートスポーツ誌やカーグラフィック誌の写真で見たあの時のままの佇まいで、あたかも時代をさかのぼってしまったかのような錯覚に陥ってしまう。ここでは全ての時間が止まっていた。あのモノクロの写真の中でレーシングスーツ姿のジム・ホールが立っていたオフィス正面の昔のまま。小さな工場施設から続く専用テストコースであるラトルスネーク・レースウェイへの入り口も当時の写真のままであった。20数年の歳月を経て「ようやく此処に辿りついたのだ」という感慨がその時のボクの全身を充たしていた。少年の日の幾多の出会い。それは大人になって忘れてしまうものと忘れ得ないものとがあるが、シャパラルへの憧れは当然後者のものであり、それはまたボクの少年時代における大切な宝物でもあった。
当時、レストア成って実走可能であったのは2A、2D、2Fだけだったかに記憶するが、工場の中には2E、2H、2Jが順次レストアを待って温存されていた。当然、ジム・ホールが宙を舞うという大アクシデントを引き起こした2Gは現存してはいなかったが、あの“白い怪鳥”と呼ばれた2シリーズがズラリと勢揃いしたさまはまさに壮観であった。撮影の為に全車を引き出したが、この時ばかりは役得としてボクが全モデルのコクピットに座った。現在のレーシングカーからは想像も出来ないほどにシンプルでスパルタンなコクピットは、全面がプラスチックの鈍い輝きを放っていた。そして最も感銘を受けた、と言うより驚かされたのは2Jであった。コクピットに収まった感想は「これはレーシングカーではない」という違和感だった。強いて何かに例えるなら宇宙船のカプセルに乗り込んだ感じである。剥き出しのステアリングシャフトがゴリゴリと臑を擦る。斜め前方視界は皆無に等しく、乗り降りはアクロバチックな姿勢を強いられた。のちにジョン・サーティースはボクのインタビューに答えて「シャパラル2Jの思い出」は「悪夢だった。今でも夢を見て嫌な汗をかくんだ」と戯けて笑った。そして僅かばかりだが会得がいった。あの環境下で時速300km/hに達せんとするカンナムレースを走るのは、正統派のF-1で世界を制したサーティースには狂気にも近い行いだったのかもしれない。まあ、それでもなお、ボクはシャパラルのエキセントリックさがたまらなく好きだ。そして、あの日、撮った記念写真とCOX1/24シャパラル2のパッケージに描いて貰ったジム・ホール直筆のサインは、ボクにとっては終生の宝物となっている。(続く)
投稿者 平野克巳 : 2008年01月30日 20:03
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