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2008年02月06日
デルカーズ的こころ(23)
最近になってこそ国内の自動車メーカーも自社の歴史を大切にするようになり、それに伴って過去のモデルなどの蒐集保存にも力を注ぐようになった。とりわけトヨタやホンダなどはヨーロッパのメーカーのように自社のミュージアムなどの建設にも尽力し、新車のように素晴らしいコンディションの歴代車種を一般にも公開している。しかし、たかだか20数年前にはそのような状況はなく、かつて活躍したレーシングカーなどは倉庫の片隅などで埃にまみれて埋もれていたのが実情だった。例えばニッサンR380系プロトタイプなどもそんな状況の中で取材した。'66年に活躍したR380-2は当時、形骸化した記念碑のようなものに過ぎず、全く実動するようなコンディションにはなかった。黒の革巻きステアリングホイールが軽飛行機の操縦桿のような形状に切り飛ばされており(現在ではF-1なども円形ホイールではなくなったが…)、劣化した革の表面が薄紫色に褪色していたのを印象的に記憶している。そんな時代に、ひとつだけ小さな誤算とも言えたのが、'58年オーストラリア・モービルガストライアル(豪州ラリー)でAクラス優勝、同クラス4位入賞を果したダットサン210型“富士号、桜号”であった。日産追浜工場の倉庫から敷地内へと縦列隊形を組んで自走して登場したその姿は、程よく整備され磨き込まれていていかにも大切にされている、という風情に溢れていた。倉庫の片隅から明るい陽光の下へと2台仲良く並んでトコトコ進むさまは、何とも愛らしく微笑ましかった。小豆色の富士号とクリーム色の桜号の車体には、その名のとおり富士山と桜の枝振りが描かれており、昨今の戦闘力第一主義の権化のごときラリーマシーンにはない、遊び心と精神的余裕のようなものが感じられた。しかし、この小さな積み木のような姿のセダンでオーストラリアの原野を疾走する気分は如何ばかりであったろう。おそらくは悲壮なまでに相当な覚悟が要ったのではなかったろうか。きっと大和魂とか侍魂とかいった今では死滅したような精神論を糧に走り抜いたのに違いあるまい。そして、それには余りにも脆弱そうな愛らしい佇まいであった。
同じ追浜工場内にはモンテカルロラリーを走ったダットサン240Zも保管されていた。保管されていた、というよりは、ラリーから帰ってそのまま放置されていたという風情であった。ボディは滅茶苦茶に破損したままであったし、車体全体に積もった埃は長い年月をも感じさせた。スパルタンなコクピットも往時のままらしく、操作類のグリップやスイッチなどは幾つもが紛失していた。実戦時の姿をそのまま伝承している、と見るべきなのか、役目の済んだものはいまさら価値もない、と放り出されている、と見るべきなのかは判断がつき難いが、一抹の寂しさを覚えた事だけは記憶している。のちにラウノ・アルトーネンがインタビューでコクピットに座り、シフトレバーとサイドブレーキを片手で同時に掴み「マイ・テクニック」とウインクしてみせたのも懐かしい思い出だ。そして、そのテクニックの内容は?との問いに、それは秘密だ、と悪戯っぽく笑った少年のような笑顔も忘れられない。全ては今は昔、遠いモータースポーツシーンへの郷愁となってしまった。(続く)
投稿者 平野克巳 : 2008年02月06日 18:42
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