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2008年02月13日
モデルカーズ的こころ(24)
ジョン・サーティースのインタビューほど印象に残っているものはない。既に忘れてしまったがかなり長い時間をインタビューに費やしてくれた。年令は重ねても温厚でジェントルな英国紳士然とした物腰、風貌は何ひとつ変わっていなかった。などと申すとあたかもボクが若き日のジョンを知っているようだが、ボクの知っているジョン・サーティースはあくまでも雑誌の写真や文章からの勝手なイメージでしかない。だが現役時代から随分と時が流れてもジョン・サーティースはやはり“ビッグジョン”と呼ばれた「あの」人柄そのものであった。ボクの質問はおそらく面倒なものばかりであったと思う。何しろ196×年の○×グランプリの時のあれは本当のところどうだったのか?などといったピンポイント的なものばかりであったからだ。何しろ30年もの間、聞きたい事は積もりに積もっていた。そんなボクに嫌な顔ひとつせずに丁寧に丹念に事細かに、とてもフレンドリーな雰囲気で答えてくれた。しかも、ひとつの質問に対して「それについては1年前のこの話からしないと分かってもらえないと思うから、そこから話したいのだけれど良いだろうか」と提案してくれるような塩梅で、当然、インタビュー時間が幾らあっても足りない状況になってしまった。結果として予定していた時間が終了しても、話の顛末はついておらず、さりとて彼はその後のスケジュールが決まっているので延長するという訳にもいかなかった。しかし「君の質問にちゃんと答えられないのは残念だ」とどこまでもボクの身になって考えてくれ、「明日の午前中ならホテルに居るから答えられるよ」と申し出てさえくれた。ボクが翌朝早くから彼の宿泊しているホテルに出向いたのは言うまでもない。ジョン・サーテイースとはそういう人であった。だからこそホンダのF-1第一期参戦時代、自らホンダに乗りたいと申し出、ローラの設備、マシーンを提供するなどホンダの活動の為には骨身を惜しまず協力し、それでいて自分のチームであるなどと主張するような出しゃばった態度など見せない真摯さで、控えめであくまでの自らの分をわきまえた、どこまでも紳士であり続けたのだろう。英国紳士とはこういうものだ。人格者とはこういう人を指して言うものだ。ボクは世界最高峰のドライバーに会えた喜びよりも、ひとりの崇高な人格の持ち主に出会えた事が嬉しくてならなかった。多分、彼からしてみれば、ボクなど'60年代のレーシングシーンを何も知りもしない若造にしか映っていなかった筈だ。それでもボクには最大限の敬意を払ってくれた。人間は本当に素晴らしい、本当に素敵だ、と感じさせてくれた出会いであった。
ボクは自動車が好きで、模型が好きでこの本に携わるようになったが、その過程で様々な人々と出会ううち人が本当に好きになった。そんな訳でボクは今でも性善説に基づいて生きている。それはある意味で無防備であり、余りにも不用意であると他人は言うかもしれない。あるいはそうなのかもしれない。だがそれで傷付いても構わないとボクは思っている。ただ経験で学んだ事がひとつだけある。模型を好きな人に悪い人は居ない。その思いが今もボクにとってはモデルカーズへの、プラモデルへの原動力になっている。(続く)
投稿者 平野克巳 : 2008年02月13日 23:28
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