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2008年02月21日
デルカーズ的こころ(25)
戦前戦中は思想教育の一貫として模型が学校の授業に採り入れられていた。それは主に模型飛行機、ライトフライヤーであった。その名残りもあって戦後も我が国では模型というと飛行機、それもライトフライヤーを指すことが多かった。ボクは昭和28年生まれであるが、やはり小学校の図工ではキビ細工をやった記憶があって、確か飛行機を作ったと思う。ボクらの世代は工作といえばボール紙やキビ、石膏や粘土などを使ったものを意味していたと思う。学校の授業にあったかどうかは失念してしまったが、ライトフライヤーも随分沢山作っては遭難させた(ちゃんと作るのは難しく、大抵は在らぬ方角に飛んで行ってしまい回収不能となった)
模型と名のつくものは色々あったが、やはりソリッドモデルと鉄道模型が当時の模型の花形であった。鉄道模型はOゲージやHOゲージが主流で、車体をボール紙で作っていた時代だ。模型と名のつくぐらいであるから、現在のように塗装済み完成品を買って遊ぶのではなく、動力部の部品を自分で組み立て、車体は自作する、工作が主体のホビーであった。ソリッドモデルとはあくまでも総称なのだが、一般的にはライトフライヤーのような実際に空を飛ばすものではなく、木製のスケールモデルを指した。要するに姿形をいかに実物に似せて作るかが要点で、実物の機能は求められてはいない。このソリッドモデルも主に飛行機のジャンルを表す名称となっていたが、プラモデルはこのソリッドモデルに替わる新たなアイテムとして登場した訳だ。
ソリッドモデルを完成させる行程には熟練の技と知識が求められた。図面をひき、木材を図面に照らし合わせて削り出し、組み立て塗装する。当然キャノピーなどは木材では作れないので、塩ビ板などのプレス技術も必要であった。ひとくちに削ると言ってもプロペラブレードなどは「捻れ」も再現しなくてはならない。ソリッドモデルとはある種「堀越二郎」的な航空機の知識と「左甚五郎」的な匠の技がなければならなかった。ある意味での特殊技能である。
しかしプラモデルの出現はそうした「模型の特殊性」を払拭した。ソリッドモデルと同等の、あるいはそれ以上の水準を、誰にも容易く可能とさせたのだ。まさに戦後インスタント文化の申し子と言えよう。しかし、いつからか「簡単であるべきプラモデル」が特殊技能による芸術品と考えられるような風潮へと転化してしまった。それをボクは日本独自の文化、大和民族ならではの生真面目さ故と考えている。まあ、それはそれで構わない。そうした志向が自らの首を絞める結果にならねば良いがと願うのみである。ただプラモデル世代の問題点はソリッド世代と違っていちから作り出すことが出来ない点にある。つまりスクラッチが不得手であるということだ。よく作品でプラキットの原形を留めぬまでの極端な改造や修正を施した例を目にすることがある。そこまでやるならなにもプラモデルをベースにする必要はあるまい、ハナからスクラッチしたほうが容易いし気分も良いのではないか…そう思う。だが、そこにプラモデル世代のアキレス腱がある。修正加工は出来ても生み出すことに長けていない。そこに日本文化との類似性を思わぬでもない。(続く)
投稿者 平野克巳 : 2008年02月21日 12:48
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