« 2008年02月 | トップ | 2008年05月 »
2008年04月24日
モデルカーズ的こころ(28)
桜の花が散って新緑へと変わった4月の冷たい雨降る夜、キャルが逝った。キャルとは我が家に4匹いる猫のうち、2番目に年かさのグレーの“サバトラ”ミックスである。16歳の突然死であった。それまで何の徴候もなく、突然倒れてそのまま息を引き取った。パニックに襲われそうな気持ちを抑えて動物病院へとクルマを走らせたが、ワイパーを見詰めながらもはや手後れだと感じた。我が家で最も性格の穏やかな可愛い猫であった。いつまでもいつまでも私の顔や腕をなめ続けてくれるので「なめネコ」の愛称を持つ猫であった。室内飼いの我が家の猫たちにあって唯一狩りをしては、虫やヤモリを食べてしまう猫らしい猫であった。ただ余りに温厚でおとなしい性格ゆえか、唯一自分の安心できる場所を持てず、いつも他の猫たちに追い払われ続けているような不憫なところもある猫であった。唇にピアス、黒いマニキュアのロック小僧となった末息子がはばかることなく号泣した。多分最もキャルを愛したであろう長男はタクシーで慌てて帰宅した。ウチ中の者たちの心の中にずっと住み着いていた、親しみと慈しみは何も変わっていないのだなと感じた。その昔のずっと貧しかった時代、日曜日に駅前の不二家でモーニングセットを子供たちに食べさせることを唯一の贅沢としていた頃にキャルとは出逢った。不二家のレジに写真付きで「貰って下さい」の貼り紙があった。それがキャルだった。余りの可愛さにその足で貰いに行った。あれからもう15年以上の月日が経ち、幼かった子供たちも二十歳以上になってしまった。我が家の歴史の一部が消滅霧散したような寂しさはある。なにしろ私は自宅で仕事をしている。猫とはずっと一緒に暮らし共に時を刻んで来たのだ。その悠久のように思われた時が突然断ち切られたような哀しさ、儚さは喩えようもない。改めてこの世に永遠などないと痛感させられている。最後の晩はいつもの場所に寝かせてやった。あの猫らしく愛くるしい丸顔はそのままで、昼寝をしているいつもの姿そのままだ。だが、あの美しいエメラルドグリーンの瞳が私を見詰めることはもうない。う~ん、と鳴いてミルクをねだることももうない。時が過ぎれば何もかもが去って行く。それが人の世の定めであり人生である。暖かかった温もりの消えて行く毛足を撫でながら、そんな人の世の儚さを思う。私とていつかこの世から去らねばならない。その最後の瞬間まで大好きなクルマやバイクやプラモデルや猫たちに囲まれていたいとは願うけれども、櫛の歯がこぼれるようにして私の手の中から、ひとつ、またひとつとすり抜けて行く。哀しいけれど、寂しいけれど、それは誰にも止められない。だからせめて今日は、今この瞬間には、大好きなものたちを抱き締めていよう。さようなら、私の猫。さようなら、キャル。お前と過ごす日々はもうないけれど、お前と過ごした日々は愛しく抱き締めて忘れない。愛しい大切な想い出として。お前は本当に可愛い猫だったよ。(続く)
投稿者 平野克巳 : 2008年04月24日 13:33 | トラックバック
2008年04月17日
モデルカーズ的こころ(27)
すっかりご無沙汰してしまった。などと言っても、本当に毎回アクセスして下さっている方が果たしてどれだけ居るのだろう…やはり古い人間としては顔が見られない、声が聞こえない、という会話はどこか虚ろで実像が伴わない。などと詰まらぬ言い訳をしてみたところでナンボのモンでもあらへんのでよしにしておこう。今年になって多忙を極めている。但しかつての雑誌屋としての第一線に居る訳ではないので、たかが知れている。それでもワタクシ的には吐き気がするほど忙しい。それが実入りとなって伴うならやりがいもあるが、フリーの下請けであるからやはりたかが知れている。そんな折り、他誌ではあるが新規に連載が2本決まった。ありがたい限りである。だが物理的な限界はあるので何でもかんでも受けてしまう訳にはいかない。そこが個人営業であるもの書きの辛いところである。もはや頭を絞るより先に脳の萎縮が始まっており、知識を活用するより先に物忘れが先行している。昨日の事は覚えておらず、40年も50年も昔のことばかり思い出す。これは明らかに痴呆の症状である…だいじょぶなのか、オレーっっ!!などとおどけてもおられぬ。本格的な健忘症が始まらぬうちにプラモデルのことだけでも書き残しておかねば、お金ってば、オカリナ、トトロ、昭和30年代は…おわわ~、どーしてもソコかいっ!
忙しさは過ぎ行く時間を粗雑にしてしまう。気がつけば1秒1分1時間1日1年が知らず知らずに失われている。先日、高校大学時代の友人から親しかった仲間のひとりが逝去したとの知らせを受けた。今年55歳、若過ぎる。だが自分もいつどうなるかなどてんで予測もつかない。だから日々を大切に精一杯生きねばならぬと改めて自らを戒めたところだ。そういえばそんな仲間たちとかつては喫茶店で無駄話ばかりした。あの時代は喫茶店に入り浸るのも若者のステータスのひとつであった。何故かアイスミルクが流行った頃だ。モデルの女の子の友だち誰もが必ずといって良いほどに「アイスミルク、ガム抜きでね」と注文していた事も思い出す。ガムシロ抜いたらただの牛乳ぢゃん、わざわざ高い金払って喫茶店で飲むものなのか、といつも不審に思ったことも思い出す。懐かしくなって冷蔵庫の牛乳にガムシロップを入れて飲んでみる。勿論カロリーハーフなガムシロである。メタボな中年を嫌というほど思い知る瞬間である。その甘さは切なく、むしろ過ぎ去った若い時代のほろ苦い味がした。若さという傲慢さから「オレたちの時代」などと粋がって、しかし何時しか時代から捨て去られていく人の世の性。それでも必死に自分たちが生きた時代にすがろうとして古いプラモデルなんぞにうつつを抜かすのか。もしそうだとしたらそんな我が身が哀れに思えてならぬ。だが、しかーし! そんなの関係なーい(あ~古くていけねえやね…) 好きなモンは好きなのである。屁理屈無用なのである。先日、とうとうマルサン1/300南極観測船宗谷をオークションで入手した。やったぜカトちゃん(だから古すぎるって…) 18万超えである。天城超えより凄いのである。恐ろしくて女房には買ったことも言えないのである。それでも既に製作発注に出してしまった。なーんたってやるべきことをやっておかねば。金もプラモデルも抱えてあの世には行かれない。齢55にして益々「プラモ馬鹿一代」全開である。いけーっっ、オレーっっ!!!! (続く)
投稿者 平野克巳 : 2008年04月17日 02:39 | トラックバック
« 2008年02月 | トップ | 2008年05月 »

