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<title>初代編集長 平野克巳の「猫の耳に大仏」湘南鎌倉便り</title>
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<modified>2008-05-17T12:16:32Z</modified>
<tagline>モデルカーズの生みの親、平野克巳氏による目からウロコの模型小噺。さぁどんな話が飛び出しますか。乞うご期待。</tagline>
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<title>モデルカーズ的こころ(31)</title>
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<![CDATA[<p>　人生何でも絶頂というものがある。そしてまた潮時というものもある。ボクは16の歳からモーターサイクルとクルマばかりに人生を費やしてきた。だが生活環境が変化したからと言うか、年齢を重ねたからと言うか、そういうものに時間や労力を割く割合いがめっきり減った。今も我が家に居る190Eなぞワックスがけはおろか洗車さえしたためしがない。うっかりすると前回のオイル交換時期さえ忘却の彼方だ。これを「老いる好漢」などとはしゃいでもいられない。3月のひと月間というもの自宅前道路が下水道工事で通行不可となり、歩いて5分ほどの空き地が代替駐車場となった。空き地と言っても雑木林なので自家用車を持つ町内有志が総出(なにしろクルマが無いと生きられない生活環境なので、どの家も2台程度は所有している)で電動ノコまで登場する騒ぎとなった。まさに整地と言うより開拓に近い。屯田兵気分である。そんな場所に停めたので潅木の枝などですっかりボディが傷だらけとなってしまった。まあ、どうせ小傷が一杯だったから…と気にしないことにした。なにしろスーパーの駐車場は行く度に傷が増える魔界空間である。それに我が家は谷戸の中にあるので湿気が酷く、既にボディには腐りも出始めている 。第一間もなくTVRタスカンに買い替える予定だし。嘘である。そんな調子で17年落ちの太古車に乗っている日々である。<br />
　モーターサイクルに対しても似たようなものである。現在の我が愛機ホンダCD250改“CBもどき”もまともにいじってやっていない。ほぼ放置プレー状態である。精々乾拭きしてたまに液体ワックス(もうシュアラスターなどとは無縁の日々…)で拭くくらいが関の山だ。時たまメッキクリーナーで錆落としをすることもあるが、十代の頃のようにひとつ錆が浮いても目の敵のようにして擦るようなこともなくなった。酸化は自然の摂理だよなあ、しゃーねーぢゃん、第一が40年選手のバイクだしな～などと達観している。まあ、それでもグリスアップや増し締め、レバー類の微調整くらいはするが、昔のようにキャブをいじったりはもうしない。<br />
　なにしろ暑い時でも寒い時でも表でしゃがんでいるのが「しんどく」なってしまったのだ。体力、気力が萎えたというよりは不精になってしまったのかもしれぬ。ならばその分は何に費やしているのか。三線の稽古に邁進している。写経にうつつを抜かしている。盆栽の剪定に余念がない。有田焼を磨いている。どれも縁がない。無策にいたずらにただ時を過ごしている、そんな気がしてならぬ。気持ちがあっても体力がない。体力が有り余っている時には気力がない。これを俗に「慢性怠け腐れ病」と言うそうだ。嘘である。ともかく全てにバイオリズム最高という日はそうそうなくなった。赤蝮ドリンクももはや効かない…ってそれはまた別の話だな…。同じようにしてプラモデルの製作もまるで手につかず捗らない。あれから幾年月、というキットが埃の中でうずたかく積まれたままである。困ったものである。焦る気持ちばかりが空回りする。潮時なのか、などと自問してみるが、未だそうも言っていられない微妙な年齢である。隠居するには未だ早く疾走するには衰えた。老いたライオンはネコと化す。にゃ、にゃおおお～んっっ！(続く)<br />
</p>]]>

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<title>モデルカーズ的こころ(30)</title>
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<modified>2008-05-08T10:38:25Z</modified>
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<![CDATA[<p>　久しぶりに新車を買った。と言っても自転車の話である。運動不足の解消に貢献してくれていた自転車を新しくしたのである。これまでのものは国産有名ブランドものの総アルミ製だが変速機がなかった。ここ鎌倉は全くと言って良いほど平坦な所の無いような地形なので、いくら軽い自転車であっても補助動力の無い乗り物では限界があった。それに引き換え今度のものは無名ブランド、スチールフレームだが、一挙に6段変速へとグレードアップ。自転車マニアなら10段や15段は当たり前だろうが、ワタクシ的には無断変速ママチャリ風からの乗り換えなので、まるで別世界の乗り物のようだ。これまでは躊躇していた所へもズイズイと乗り入れるようになり、ちょっとだけ行動範囲が拡がった。だが、しかし買って一週間ほどした頃、交差点の中でいきなり大きな破裂音と共にブレーキが効かなくなり、危うくクルマに激突しそうになった。気を取り直して我が愛車(苦笑)を調べてみればフロントブレーキがそっくり姿を消していた。キャリパーを支えていたスプリングが吹き飛んでブレーキそのものがバラバラに分解してしまったらしい。当然クレームをつけ改めて別の新車に交換して貰った。この一件で嫌な思い出がよみがえる。「何時かはクラウンならぬ五日はクラウン事件」、そして「納車翌日に廃車となったメルセデス190E事件」である。これらは三億円事件と共に昭和の三大事件と呼ばれている。嘘である。とにかくボクには買っても縁のない新車というのがたまにある…。<br />
　新緑香る春である。桜吹雪舞い散る中、暖かさを増した陽光を浴び、少しばかり冷たさの残る風を受け、自転車で走るのは実に良い気分である。確かに漕がねばならぬから楽ではないが、エンジンの音や機械の発する熱が無いのはとても爽快だ。喧噪を離れて鳥のさえずりを聴きながら走るのは、クルマやバイクでは味わえない心地よさである。こんな気持ちの良い日には部屋で原稿を書いたり模型を作ったりなぞとてもしていられない。皮膚癌の心配はさておき、日射しを浴びていたくてたまらなくなる。じっと気持ちを集中して模型とじっくり向き合うなどという精神構造は、年齢を重ねるごとに希薄になっている。巷間、歳を経れば人間落ち着く、などと宣うが、どうやらボクの場合は逆のようである。但しキャーキャー騒ぐのは体力が持たないので願い下げだが。今頃気付くんぢゃねーよ、というご意見もあろうかとは思うが、どうやらボクはプラモデル作りというのには元来向いていないようだ。血液型はＯ型だし星座は蟹座だし…余りかんけーないか…一見細やかなようでいて実は結構おおまかな性格でもある。なので細かい作業をしていると全身が虫が這うようにゾワゾワしてしまい、じっと椅子に座ってなぞ居られなくなる。バイクに飛び乗ってどこかあてもなく走りたい衝動に駆られてしまう。あー、だから1/8ホンダCS72が中々完成しないんだねぇ…それよか1/1ホンダCD250改CB250もどきをいぢっちゃうんだねぇ…ふむふむ、なるほどなあ。「ねこのや～まるで説得力のねえ言い訳してんぢゃねーぞー」  あ、河童くんやきじーさんやシゲタ博士たちが怒ってるし…いーやー、すっとぼけちゃえ。顔こしこし洗ってれば、そのうちミンナ忘れちゃうだろうしなー。月夜は狼を狂わせるけど桜は猫を狂わせるんだな。あっはっはっはっ、こりゃいいやー。にゃおおおお～んだっ!!(続く)<br />
</p>]]>

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<title>モデルカーズ的こころ(29)</title>
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<modified>2008-05-01T03:25:07Z</modified>
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<![CDATA[<p>　昨年末から本年年頭にかけて当該ブログを少なからずサボってしまった。原因はボクが12時間にも及ぶ心臓バイパス手術を受けたから、ではなく、思い付きからポケットマネーで買ったハーレーXL1200Rスポーツスターでアメリカ大陸横断の旅に出ていたから、でもなく、源氏山の裏山で瀕死の山猫を助けたら鍋島猫御殿に招待されたから、でもなく、歴代愛人全てを招待して南海の孤島ポコペン島でハーレムパーティーを催していたから、でもない(うるさいよっ!)<br />
　実は仕事が立て込んでしまったのが正直なところである。ぢゃブログは仕事ぢゃねーのかよ、とお叱りの突っ込みも戴きそうだが、まあそこいら辺りは「いんぐりもんぐり、うにゃまらぷすあにゃもねら」なのでご勘弁戴くこととして(なにをご勘弁なんだかワカンネーよっ)、ともかく猫の手も借りたらかえって尻拭いが大変だったような状況で(どーゆー状況?)、三が日からインタビュー取材だわ、松の内から編集会議だわ、セットメニューで酒宴は続くわで、てんてこ舞い、獅子舞、ちゃ～な日々であった訳だ。国産プラモデル50周年の今年は記念本の発行も予定されていて、ボクもその員数合わせに駆り出されており、またボク自身の新刊発行も重なり、続刊発行も決まったので書き下ろし原稿を書かねばならず、新たな連載も3本決まり、その第1回を2本まとめて書き、だからといってルーティンワークの鉄の馬歴史館、古典キット倶楽部、20世紀のプラモデル物語、ネコトイらをペンディングにする訳には勿論いかず、挙げ句の果てにはそうした状況を見すかしたようにコンピューターはストライキを敢行するわ、猫どもは呑気に寝てばかりいるわ、CD250改CB250風味は動かなくなるわ、買ったばかりの自転車はブレーキが分解して吹き飛び危うくクルマに屠られそうになるわ、12時40分にはセイフー惣菜売り場のメンチカツが完売御礼で食べられなくなるわ、ともかくめっきり脳が軟化してきた最近の我が身には何が何だか分からん日々が続いていたのである。何しろ一週間など矢のように過ぎて行く。気がつけば(気がつかないのだが…)ブログ更新日はとうに過ぎ、むしろ無更新を更新するばかりの日々となってしまった。<br />
　いーや、どうせ毎回覗いている人なぞおりゃせんやろー、と実は密かにタカを括っていたのだが、あにはからんや。世の中そんなにスルーしてはもらえなかった。友人知人関係あちこちから疑惑の銃弾飛び交い狼煙立ち、奴はルーマニア、トランシルヴァニアの闇に消えたのだとか、ベルリンをシュトルヒで脱出しアルゼンチンで貿易商に身をやつしているのだとか、葛原岡神社で即身仏へと入場したのだなどの噂が沸き立ったと聞く。嘘である。それでも各方面よりご心配戴き、友人の静香ちゃんには「大滝1/24デイトナクーペのセンタースピナーやるから隠居すんなや～」と檄も頂戴し、また担当のＢ娘には「人知れず孤独死し死後硬直していたらどうしよう…」と余計な心配までかけてしまったやに聞く。これもまた嘘である。他人をクサシたり言い訳したりはしたくはないが、「じゃあの」で済むような内容のブログではない(自分でそうしたのだ…)のでしんどいことは事実であるが、改めて体制を立て直しこれからも続けて更新していくつもりである。どうも相すいませんでした。じゃあの。(続く)<br />
</p>]]>

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<title>モデルカーズ的こころ(28)</title>
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<modified>2008-04-24T04:48:29Z</modified>
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<summary type="text/plain"> 　桜の花が散って新緑へと変わった４月の冷たい雨降る夜、キャルが逝った。キャルと...</summary>
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<![CDATA[<p><a href="http://www.hobidas.com/blog/modelcars/khirano/cal-1.html" onclick="window.open('http://www.hobidas.com/blog/modelcars/khirano/cal-1.html','popup','width=461,height=600,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.hobidas.com/blog/modelcars/khirano/cal-1-thumb.jpg" width="230" height="300" alt="" /></a></p>

<p><br />
　桜の花が散って新緑へと変わった４月の冷たい雨降る夜、キャルが逝った。キャルとは我が家に４匹いる猫のうち、２番目に年かさのグレーの“サバトラ”ミックスである。16歳の突然死であった。それまで何の徴候もなく、突然倒れてそのまま息を引き取った。パニックに襲われそうな気持ちを抑えて動物病院へとクルマを走らせたが、ワイパーを見詰めながらもはや手後れだと感じた。我が家で最も性格の穏やかな可愛い猫であった。いつまでもいつまでも私の顔や腕をなめ続けてくれるので「なめネコ」の愛称を持つ猫であった。室内飼いの我が家の猫たちにあって唯一狩りをしては、虫やヤモリを食べてしまう猫らしい猫であった。ただ余りに温厚でおとなしい性格ゆえか、唯一自分の安心できる場所を持てず、いつも他の猫たちに追い払われ続けているような不憫なところもある猫であった。唇にピアス、黒いマニキュアのロック小僧となった末息子がはばかることなく号泣した。多分最もキャルを愛したであろう長男はタクシーで慌てて帰宅した。ウチ中の者たちの心の中にずっと住み着いていた、親しみと慈しみは何も変わっていないのだなと感じた。その昔のずっと貧しかった時代、日曜日に駅前の不二家でモーニングセットを子供たちに食べさせることを唯一の贅沢としていた頃にキャルとは出逢った。不二家のレジに写真付きで「貰って下さい」の貼り紙があった。それがキャルだった。余りの可愛さにその足で貰いに行った。あれからもう15年以上の月日が経ち、幼かった子供たちも二十歳以上になってしまった。我が家の歴史の一部が消滅霧散したような寂しさはある。なにしろ私は自宅で仕事をしている。猫とはずっと一緒に暮らし共に時を刻んで来たのだ。その悠久のように思われた時が突然断ち切られたような哀しさ、儚さは喩えようもない。改めてこの世に永遠などないと痛感させられている。最後の晩はいつもの場所に寝かせてやった。あの猫らしく愛くるしい丸顔はそのままで、昼寝をしているいつもの姿そのままだ。だが、あの美しいエメラルドグリーンの瞳が私を見詰めることはもうない。う～ん、と鳴いてミルクをねだることももうない。時が過ぎれば何もかもが去って行く。それが人の世の定めであり人生である。暖かかった温もりの消えて行く毛足を撫でながら、そんな人の世の儚さを思う。私とていつかこの世から去らねばならない。その最後の瞬間まで大好きなクルマやバイクやプラモデルや猫たちに囲まれていたいとは願うけれども、櫛の歯がこぼれるようにして私の手の中から、ひとつ、またひとつとすり抜けて行く。哀しいけれど、寂しいけれど、それは誰にも止められない。だからせめて今日は、今この瞬間には、大好きなものたちを抱き締めていよう。さようなら、私の猫。さようなら、キャル。お前と過ごす日々はもうないけれど、お前と過ごした日々は愛しく抱き締めて忘れない。愛しい大切な想い出として。お前は本当に可愛い猫だったよ。(続く)<br />
</p>]]>

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<title>モデルカーズ的こころ(27)</title>
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<modified>2008-04-16T17:40:30Z</modified>
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<summary type="text/plain">　すっかりご無沙汰してしまった。などと言っても、本当に毎回アクセスして下さってい...</summary>
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<![CDATA[<p>　すっかりご無沙汰してしまった。などと言っても、本当に毎回アクセスして下さっている方が果たしてどれだけ居るのだろう…やはり古い人間としては顔が見られない、声が聞こえない、という会話はどこか虚ろで実像が伴わない。などと詰まらぬ言い訳をしてみたところでナンボのモンでもあらへんのでよしにしておこう。今年になって多忙を極めている。但しかつての雑誌屋としての第一線に居る訳ではないので、たかが知れている。それでもワタクシ的には吐き気がするほど忙しい。それが実入りとなって伴うならやりがいもあるが、フリーの下請けであるからやはりたかが知れている。そんな折り、他誌ではあるが新規に連載が２本決まった。ありがたい限りである。だが物理的な限界はあるので何でもかんでも受けてしまう訳にはいかない。そこが個人営業であるもの書きの辛いところである。もはや頭を絞るより先に脳の萎縮が始まっており、知識を活用するより先に物忘れが先行している。昨日の事は覚えておらず、40年も50年も昔のことばかり思い出す。これは明らかに痴呆の症状である…だいじょぶなのか、オレーっっ!!などとおどけてもおられぬ。本格的な健忘症が始まらぬうちにプラモデルのことだけでも書き残しておかねば、お金ってば、オカリナ、トトロ、昭和30年代は…おわわ～、どーしてもソコかいっ！<br />
　忙しさは過ぎ行く時間を粗雑にしてしまう。気がつけば1秒1分1時間1日1年が知らず知らずに失われている。先日、高校大学時代の友人から親しかった仲間のひとりが逝去したとの知らせを受けた。今年55歳、若過ぎる。だが自分もいつどうなるかなどてんで予測もつかない。だから日々を大切に精一杯生きねばならぬと改めて自らを戒めたところだ。そういえばそんな仲間たちとかつては喫茶店で無駄話ばかりした。あの時代は喫茶店に入り浸るのも若者のステータスのひとつであった。何故かアイスミルクが流行った頃だ。モデルの女の子の友だち誰もが必ずといって良いほどに「アイスミルク、ガム抜きでね」と注文していた事も思い出す。ガムシロ抜いたらただの牛乳ぢゃん、わざわざ高い金払って喫茶店で飲むものなのか、といつも不審に思ったことも思い出す。懐かしくなって冷蔵庫の牛乳にガムシロップを入れて飲んでみる。勿論カロリーハーフなガムシロである。メタボな中年を嫌というほど思い知る瞬間である。その甘さは切なく、むしろ過ぎ去った若い時代のほろ苦い味がした。若さという傲慢さから「オレたちの時代」などと粋がって、しかし何時しか時代から捨て去られていく人の世の性。それでも必死に自分たちが生きた時代にすがろうとして古いプラモデルなんぞにうつつを抜かすのか。もしそうだとしたらそんな我が身が哀れに思えてならぬ。だが、しかーし！ そんなの関係なーい(あ～古くていけねえやね…)   好きなモンは好きなのである。屁理屈無用なのである。先日、とうとうマルサン1/300南極観測船宗谷をオークションで入手した。やったぜカトちゃん(だから古すぎるって…)   18万超えである。天城超えより凄いのである。恐ろしくて女房には買ったことも言えないのである。それでも既に製作発注に出してしまった。なーんたってやるべきことをやっておかねば。金もプラモデルも抱えてあの世には行かれない。齢55にして益々「プラモ馬鹿一代」全開である。いけーっっ、オレーっっ!!!! (続く)<br />
</p>]]>

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<title>モデルカーズ的こころ(26)</title>
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<modified>2008-02-27T08:50:12Z</modified>
<issued>2008-02-27T08:34:35Z</issued>
<id>tag:www.hobidas.com,2008:/blog/modelcars/khirano//42.56446</id>
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<summary type="text/plain">うちのにゃんこたち、ちかごろめっきりギガンティックカワユス(&gt;w おまいらも猫リ...</summary>
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<![CDATA[<p>うちのにゃんこたち、ちかごろめっきりギガンティックカワユス(>w<)</p>

<p>おまいらも猫リポートの詳細報告きぼんぬ</p>

<p>それよかPYSじゃねーの</p>

<p>じゃあの。</p>

<p>( 註：PYS　プラモやらずに死ねるか ）</p>

<p><br />
ワシも人気ブログ風を装ってみますた…。</p>

<p></p>

<p>で、唐突ではありますがこの場を借りて告知をさせていただきます。</p>

<p><strong>【モデルカーズ製作スタッフ募集のお知らせ】</strong></p>

<p>モデルカーズ誌上の「鉄の馬歴史館」および「古典キット倶楽部」で自動車、モーターサイクルのプラモデルキットを製作していただけるモデラーを募集致します。年令、性別、職業、経験の如何は問いませんが、いくら借りたいとはいえ猫な方のご応募は出来ません。また目があがって30センチ四方以下のものには焦点が合わない、プラモデルを作ると北国へ旅に出たくなってしまう、その際肴は炙ったイカでいい、腰痛が酷くてドラムスしか叩けない、奥さんが恐くてプラモデルという言葉を口に出せない、プラモデルを本能的に嫌悪している、プラモデルとはどんなモノなのか知らない、などの症状が慢性的にある方のご応募はご遠慮下さい。仕事内容はこちらの提供するキットを指定によって完成させていただきます。基本的にはキットストレート組みですが、場合によっては修正、改修をお願いする事もあります。モーターサイクルキットではワイアスポークホイールを編める方歓迎です。ある程度の実車知識を有し、自身でリサーチや考証の可能な方を希望します。掲載記事の性格上、ヒストリックモデルが大半を占めますので、旧車ファンであることも必須条件となります。完成モデルの肖像権、所有権は弊社に帰属しますが、所属クラブ展示会などへの貸し出しはご希望があれば随時行います。製作期間は通常1ヶ月半から2ヶ月程度です。決して優遇された条件ではありませんが、共にモデルカーズを盛り立てて下さろうとする熱意のある方のご応募をお待ちしております。応募に際しましては、実際に製作された未発表完成モデル乃至はその写真、画像データなどのご提出をお願い致します。なお、ギャランティなどの諸条件、その他詳細につきましてはモデルカーズ編集部まで直接お問い合わせ下さい。<br />
</p>]]>

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<title>デルカーズ的こころ(25)</title>
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<modified>2008-02-21T03:48:20Z</modified>
<issued>2008-02-21T03:48:06Z</issued>
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<summary type="text/plain">　戦前戦中は思想教育の一貫として模型が学校の授業に採り入れられていた。それは主に...</summary>
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<![CDATA[<p>　戦前戦中は思想教育の一貫として模型が学校の授業に採り入れられていた。それは主に模型飛行機、ライトフライヤーであった。その名残りもあって戦後も我が国では模型というと飛行機、それもライトフライヤーを指すことが多かった。ボクは昭和28年生まれであるが、やはり小学校の図工ではキビ細工をやった記憶があって、確か飛行機を作ったと思う。ボクらの世代は工作といえばボール紙やキビ、石膏や粘土などを使ったものを意味していたと思う。学校の授業にあったかどうかは失念してしまったが、ライトフライヤーも随分沢山作っては遭難させた(ちゃんと作るのは難しく、大抵は在らぬ方角に飛んで行ってしまい回収不能となった)<br />
　模型と名のつくものは色々あったが、やはりソリッドモデルと鉄道模型が当時の模型の花形であった。鉄道模型はOゲージやHOゲージが主流で、車体をボール紙で作っていた時代だ。模型と名のつくぐらいであるから、現在のように塗装済み完成品を買って遊ぶのではなく、動力部の部品を自分で組み立て、車体は自作する、工作が主体のホビーであった。ソリッドモデルとはあくまでも総称なのだが、一般的にはライトフライヤーのような実際に空を飛ばすものではなく、木製のスケールモデルを指した。要するに姿形をいかに実物に似せて作るかが要点で、実物の機能は求められてはいない。このソリッドモデルも主に飛行機のジャンルを表す名称となっていたが、プラモデルはこのソリッドモデルに替わる新たなアイテムとして登場した訳だ。<br />
　ソリッドモデルを完成させる行程には熟練の技と知識が求められた。図面をひき、木材を図面に照らし合わせて削り出し、組み立て塗装する。当然キャノピーなどは木材では作れないので、塩ビ板などのプレス技術も必要であった。ひとくちに削ると言ってもプロペラブレードなどは「捻れ」も再現しなくてはならない。ソリッドモデルとはある種「堀越二郎」的な航空機の知識と「左甚五郎」的な匠の技がなければならなかった。ある意味での特殊技能である。<br />
　しかしプラモデルの出現はそうした「模型の特殊性」を払拭した。ソリッドモデルと同等の、あるいはそれ以上の水準を、誰にも容易く可能とさせたのだ。まさに戦後インスタント文化の申し子と言えよう。しかし、いつからか「簡単であるべきプラモデル」が特殊技能による芸術品と考えられるような風潮へと転化してしまった。それをボクは日本独自の文化、大和民族ならではの生真面目さ故と考えている。まあ、それはそれで構わない。そうした志向が自らの首を絞める結果にならねば良いがと願うのみである。ただプラモデル世代の問題点はソリッド世代と違っていちから作り出すことが出来ない点にある。つまりスクラッチが不得手であるということだ。よく作品でプラキットの原形を留めぬまでの極端な改造や修正を施した例を目にすることがある。そこまでやるならなにもプラモデルをベースにする必要はあるまい、ハナからスクラッチしたほうが容易いし気分も良いのではないか…そう思う。だが、そこにプラモデル世代のアキレス腱がある。修正加工は出来ても生み出すことに長けていない。そこに日本文化との類似性を思わぬでもない。(続く) </p>]]>

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<title>モデルカーズ的こころ(24)</title>
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<summary type="text/plain">　ジョン・サーティースのインタビューほど印象に残っているものはない。既に忘れてし...</summary>
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<![CDATA[<p>　ジョン・サーティースのインタビューほど印象に残っているものはない。既に忘れてしまったがかなり長い時間をインタビューに費やしてくれた。年令は重ねても温厚でジェントルな英国紳士然とした物腰、風貌は何ひとつ変わっていなかった。などと申すとあたかもボクが若き日のジョンを知っているようだが、ボクの知っているジョン・サーティースはあくまでも雑誌の写真や文章からの勝手なイメージでしかない。だが現役時代から随分と時が流れてもジョン・サーティースはやはり“ビッグジョン”と呼ばれた「あの」人柄そのものであった。ボクの質問はおそらく面倒なものばかりであったと思う。何しろ196×年の○×グランプリの時のあれは本当のところどうだったのか?などといったピンポイント的なものばかりであったからだ。何しろ30年もの間、聞きたい事は積もりに積もっていた。そんなボクに嫌な顔ひとつせずに丁寧に丹念に事細かに、とてもフレンドリーな雰囲気で答えてくれた。しかも、ひとつの質問に対して「それについては1年前のこの話からしないと分かってもらえないと思うから、そこから話したいのだけれど良いだろうか」と提案してくれるような塩梅で、当然、インタビュー時間が幾らあっても足りない状況になってしまった。結果として予定していた時間が終了しても、話の顛末はついておらず、さりとて彼はその後のスケジュールが決まっているので延長するという訳にもいかなかった。しかし「君の質問にちゃんと答えられないのは残念だ」とどこまでもボクの身になって考えてくれ、「明日の午前中ならホテルに居るから答えられるよ」と申し出てさえくれた。ボクが翌朝早くから彼の宿泊しているホテルに出向いたのは言うまでもない。ジョン・サーテイースとはそういう人であった。だからこそホンダのF-1第一期参戦時代、自らホンダに乗りたいと申し出、ローラの設備、マシーンを提供するなどホンダの活動の為には骨身を惜しまず協力し、それでいて自分のチームであるなどと主張するような出しゃばった態度など見せない真摯さで、控えめであくまでの自らの分をわきまえた、どこまでも紳士であり続けたのだろう。英国紳士とはこういうものだ。人格者とはこういう人を指して言うものだ。ボクは世界最高峰のドライバーに会えた喜びよりも、ひとりの崇高な人格の持ち主に出会えた事が嬉しくてならなかった。多分、彼からしてみれば、ボクなど'60年代のレーシングシーンを何も知りもしない若造にしか映っていなかった筈だ。それでもボクには最大限の敬意を払ってくれた。人間は本当に素晴らしい、本当に素敵だ、と感じさせてくれた出会いであった。<br />
　ボクは自動車が好きで、模型が好きでこの本に携わるようになったが、その過程で様々な人々と出会ううち人が本当に好きになった。そんな訳でボクは今でも性善説に基づいて生きている。それはある意味で無防備であり、余りにも不用意であると他人は言うかもしれない。あるいはそうなのかもしれない。だがそれで傷付いても構わないとボクは思っている。ただ経験で学んだ事がひとつだけある。模型を好きな人に悪い人は居ない。その思いが今もボクにとってはモデルカーズへの、プラモデルへの原動力になっている。(続く)</p>]]>

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<title>デルカーズ的こころ(23)</title>
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<modified>2008-02-06T09:44:34Z</modified>
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<![CDATA[<p>　最近になってこそ国内の自動車メーカーも自社の歴史を大切にするようになり、それに伴って過去のモデルなどの蒐集保存にも力を注ぐようになった。とりわけトヨタやホンダなどはヨーロッパのメーカーのように自社のミュージアムなどの建設にも尽力し、新車のように素晴らしいコンディションの歴代車種を一般にも公開している。しかし、たかだか20数年前にはそのような状況はなく、かつて活躍したレーシングカーなどは倉庫の片隅などで埃にまみれて埋もれていたのが実情だった。例えばニッサンR380系プロトタイプなどもそんな状況の中で取材した。'66年に活躍したR380-2は当時、形骸化した記念碑のようなものに過ぎず、全く実動するようなコンディションにはなかった。黒の革巻きステアリングホイールが軽飛行機の操縦桿のような形状に切り飛ばされており(現在ではF-1なども円形ホイールではなくなったが…)、劣化した革の表面が薄紫色に褪色していたのを印象的に記憶している。そんな時代に、ひとつだけ小さな誤算とも言えたのが、'58年オーストラリア・モービルガストライアル(豪州ラリー)でＡクラス優勝、同クラス４位入賞を果したダットサン210型“富士号、桜号”であった。日産追浜工場の倉庫から敷地内へと縦列隊形を組んで自走して登場したその姿は、程よく整備され磨き込まれていていかにも大切にされている、という風情に溢れていた。倉庫の片隅から明るい陽光の下へと2台仲良く並んでトコトコ進むさまは、何とも愛らしく微笑ましかった。小豆色の富士号とクリーム色の桜号の車体には、その名のとおり富士山と桜の枝振りが描かれており、昨今の戦闘力第一主義の権化のごときラリーマシーンにはない、遊び心と精神的余裕のようなものが感じられた。しかし、この小さな積み木のような姿のセダンでオーストラリアの原野を疾走する気分は如何ばかりであったろう。おそらくは悲壮なまでに相当な覚悟が要ったのではなかったろうか。きっと大和魂とか侍魂とかいった今では死滅したような精神論を糧に走り抜いたのに違いあるまい。そして、それには余りにも脆弱そうな愛らしい佇まいであった。<br />
　同じ追浜工場内にはモンテカルロラリーを走ったダットサン240Zも保管されていた。保管されていた、というよりは、ラリーから帰ってそのまま放置されていたという風情であった。ボディは滅茶苦茶に破損したままであったし、車体全体に積もった埃は長い年月をも感じさせた。スパルタンなコクピットも往時のままらしく、操作類のグリップやスイッチなどは幾つもが紛失していた。実戦時の姿をそのまま伝承している、と見るべきなのか、役目の済んだものはいまさら価値もない、と放り出されている、と見るべきなのかは判断がつき難いが、一抹の寂しさを覚えた事だけは記憶している。のちにラウノ・アルトーネンがインタビューでコクピットに座り、シフトレバーとサイドブレーキを片手で同時に掴み「マイ・テクニック」とウインクしてみせたのも懐かしい思い出だ。そして、そのテクニックの内容は?との問いに、それは秘密だ、と悪戯っぽく笑った少年のような笑顔も忘れられない。全ては今は昔、遠いモータースポーツシーンへの郷愁となってしまった。(続く) </p>]]>

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<title>モデルカーズ的こころ(22)</title>
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<modified>2008-01-30T11:05:08Z</modified>
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<![CDATA[<p>　ボクのシャパラル好きは古いモデルカーズ愛読者の方々なら良くご存知の事と思う。過去にシャパラルの記事をどれだけやったか知れないほどだ。シャパラルは'60年代にオートマチックトランスミッションやウイング、FRPモノコックシャシーなどで先鞭をつけたレーシングカーであるが、それが一種キワモノ的な存在として色眼鏡にかけられて見られて来た。しかしその後のモータースポーツ発展の歴史を見れば、シャパラルが如何に時代を先取りしていたかが知れる。そんなシャパラルを訪ねてテキサス州ミッドランドへと出向いたのも随分と昔の事となってしまった。シャパラルのファクトリーは荒涼たる大平原の中にポツネンと在った。決して大規模とは言えないこじんまりとした、しかし簡潔で清楚な施設であった。このバックヤードのような小さなファクトリーからあのシャパラルは生まれていったのだ。実際に現地に立てば、かつてボクが少年だった頃、オートスポーツ誌やカーグラフィック誌の写真で見たあの時のままの佇まいで、あたかも時代をさかのぼってしまったかのような錯覚に陥ってしまう。ここでは全ての時間が止まっていた。あのモノクロの写真の中でレーシングスーツ姿のジム・ホールが立っていたオフィス正面の昔のまま。小さな工場施設から続く専用テストコースであるラトルスネーク・レースウェイへの入り口も当時の写真のままであった。20数年の歳月を経て「ようやく此処に辿りついたのだ」という感慨がその時のボクの全身を充たしていた。少年の日の幾多の出会い。それは大人になって忘れてしまうものと忘れ得ないものとがあるが、シャパラルへの憧れは当然後者のものであり、それはまたボクの少年時代における大切な宝物でもあった。<br />
　当時、レストア成って実走可能であったのは2A、2D、2Fだけだったかに記憶するが、工場の中には2E、2H、2Jが順次レストアを待って温存されていた。当然、ジム・ホールが宙を舞うという大アクシデントを引き起こした2Gは現存してはいなかったが、あの“白い怪鳥”と呼ばれた2シリーズがズラリと勢揃いしたさまはまさに壮観であった。撮影の為に全車を引き出したが、この時ばかりは役得としてボクが全モデルのコクピットに座った。現在のレーシングカーからは想像も出来ないほどにシンプルでスパルタンなコクピットは、全面がプラスチックの鈍い輝きを放っていた。そして最も感銘を受けた、と言うより驚かされたのは2Jであった。コクピットに収まった感想は「これはレーシングカーではない」という違和感だった。強いて何かに例えるなら宇宙船のカプセルに乗り込んだ感じである。剥き出しのステアリングシャフトがゴリゴリと臑を擦る。斜め前方視界は皆無に等しく、乗り降りはアクロバチックな姿勢を強いられた。のちにジョン・サーティースはボクのインタビューに答えて「シャパラル2Jの思い出」は「悪夢だった。今でも夢を見て嫌な汗をかくんだ」と戯けて笑った。そして僅かばかりだが会得がいった。あの環境下で時速300km/hに達せんとするカンナムレースを走るのは、正統派のF-1で世界を制したサーティースには狂気にも近い行いだったのかもしれない。まあ、それでもなお、ボクはシャパラルのエキセントリックさがたまらなく好きだ。そして、あの日、撮った記念写真とCOX1/24シャパラル2のパッケージに描いて貰ったジム・ホール直筆のサインは、ボクにとっては終生の宝物となっている。(続く) </p>]]>

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<title>モデルカーズ的こころ(21)</title>
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<![CDATA[<p>　新年早々、別件の仕事で世田谷は野沢にある生沢 徹邸を訪ねた。以前も一度インタビューに伺ったことがあるのだが、振り返ってみるとそれもはや20数年も昔のことで、時の流れの早さに今更ながらに驚いてしまう。かつてボクたちが少年の頃、オートスポーツやカーマガジン(ベースボールマガジン社の先代カーマガジンである)誌上で見ていたあの紅顔の美青年(この比喩の場合は美少年なのではないのか…ま、いいや)も、今や1942年8月生まれの御年65歳である。しかし昔のままの細く小柄な体つきで、すっかり白くなられた頭髪を短く刈り込まれ、くつろいだ黒のスウェット上下で迎えて下さった氏の印象は、あの頃ボクたちが著作からイメージしたシニカルでドライでフランクなままであった。そして自宅内に飾られた丹頂鶴をイメージした「あの」紅白に塗り分けられた当時のヘルメットに、ボクの心はたちまちは1960年代へとワープして行くのだった。スカイライン1500、スカイライン2000GT、ポルシェ906、ポルシェ910、ホンダS800…嗚呼、これらの懐かしいマシーンたちは今もボクの脳裏で'60年代のエグゾーストノートを奏でている…。ただこの中にホンダF-1がないことが今も心残りであり残念だ。氏ご自身もやはり人生に悔い無しとは言えどもF-1にだけは思いが残っているようだ。これから先の人生に何らかの形でF-1に関わりたいとの心情が見てとれた。思わず丹頂鶴をモチーフとしたカラーリングのIKUZAWA-TI01 F1がサーキットを颯爽と駆けるさまを妄想せずにはいられないその時のボクではあった。<br />
　量販店で買ったMTBを乗り回していたら「生沢 徹がそんなモノ乗ってちゃいけない」ととあるファンの知人から100万からするMTBを贈られたという逸話を伺いながら、うーむ、ボクにも似た話があるなと感慨に耽る。バイクを降りて数年、その後、ウチの庭に放置プレーされていた我が家の愚息のカブを何とはなしに乗る気になり、キャブを洗浄しタイヤとバッテリーを交換して乗っていたところ、古くからの友人たちが「そんなモノは似合わないからやめろ」と1968年型ホンダCD250をボクに預けてくれたのである。CBとは違い、かえって今となっては貴重なモデルで、現存数(それも実動車となると)は極端に少ない稀少車であると聞く。それをボクは好きに乗って良いからのご宣托をいいことに自分の好き勝手にCBの前後メッキフェンダ(しかも友人のCBから借り受けて…)を取り付けたり、やりたい放題し放題である…その上、トラブルが出ると出張修理までやってもらっている。勿論、ボクが生沢 徹と同列に扱われている、などと厚かましくも勘違いするものではないが、やはり友情とはかくも有り難いものである。生沢氏のクールでドライでビジネスライクなスタンスから較べると、ボクの場合は全くもって演歌のような生きざまではあるが、それがボクのスタイルであるので仕方ない。過去のモデルカーズもそれ以外の仕事も、ボクはそうした仲間たちに支えられて勇気づけられて励まされて成し遂げて来た。多分ボクのような生き方はカッコ悪いのだろう。だが、それでしか生きて来られなかったし、これからもそうして生きて行くのだろう。ボクはそうした思いの勇士たちの力を借りて、ひとつでも多くの心に残る本を残して行きたいと思っている。皆の思いを乗せてボクはこれからも文字を紡いでいく。(続く)</p>]]>

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<title>新春のご挨拶</title>
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<modified>2008-01-10T09:21:34Z</modified>
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<summary type="text/plain"> 　既に松も明けてしまった今さらながら、遅ればせながらではありますが、謹賀応報…...</summary>
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<![CDATA[<p><a href="http://www.hobidas.com/blog/modelcars/khirano/nekomochi.html" onclick="window.open('http://www.hobidas.com/blog/modelcars/khirano/nekomochi.html','popup','width=567,height=487,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.hobidas.com/blog/modelcars/khirano/nekomochi-thumb.jpg" width="300" height="257" alt="" /></a><br />
<br><br />
　既に松も明けてしまった今さらながら、遅ればせながらではありますが、謹賀応報…あ、いやいや、ではなくて謹賀新年、明けましておめでとうございます。やはり年越しというものは銀座四丁目和光の時計台でダークダックスが「螢の光」を唱い、年明けと共に海老一染之助染太郎が「おめでとうございま～す」と絶叫しないと、未だにそれらしい気分になれないらしく、あれよあれよという間に最早10日余りが過ぎてしまった。まあ、例年なら半ばしか覚醒していない頭でテレビで箱根駅伝など見ながら炬燵に丸まっているのだが、今年、炬燵で丸くなっていたのは猫どもばかりで、ボクは大晦日、元旦と原稿と格闘する辛く厳しい年越しと相成った。ま、今では正月休みで街がしんとなるなんてことは無くなってしまい、デパートはおろかスーパーまでもが元旦から通常営業する始末であるから、のんびり正月を惚けて過ごそうなどと考えるのは愚の骨頂なのかもしれぬ…あな恐ろしや恨めしや、である。<br />
　さて昨年来、何かと業務煩雑に相成ってしまい、ブログもスケジュール通りに更新できぬ日々が続いている。これに関して皆々様より「楽しみに待っているのにどうしたことか」「病いに臥したかと心配した」などのお叱り、激励を頂戴していて、誠に心苦しく申し訳なく思っている。しかし、如何せんボクのところは家内製手工業なので、物理的にキャパシティーの限界が極端に低い。猫の手も借りたいとは思えども、八つもある我が家のクリームパンのごとき猫の手は「ぐうぱあ」すれば可愛いが、とてもキーボードを叩けるとは思えない…。別にブログを軽んじている訳ではないのだが、MC編集部B女史の優しさにかまけてついつい後回しになってしまっている現状だ。…「えっ、アタシのせい?　だったら今年はビシバシいくわ～！」…それだけは勘弁しちくり～。<br />
　モデルカーズ的こころは昨年20回の更新を見、今回もそのまま21回目を掲載しようかとも思ったのだが、やはり時節のご挨拶を軽んじては「てめーら人間じゃねえ。たたっ切ってやるっ！」(どーも古くていけませんやね…)てな塩梅にも成り兼ねないので、今回は新春のご挨拶に留めさせて戴いた。そーなの、実はネタに行き詰まってるの…ご明察ーっっ!!　あ、いやいや、そーでねーって。別にそんな訳ではなく…新年を迎えて新しい題材を書かせて戴こうか、などの迷いもあり…要するに人生いろいろなのである…。今年は国産プラモデルが誕生して50周年の節目の年。実際、半世紀もプラモデルと関わり続けて来た私にとっても何らかの記念事業をせねばならぬ年と心に決めている。ガキの頃よりずっとプラモデルが楽しみを与え続けて来てくれた。時にはプラモデルが助けてもくれた。言ってみればプラモデルとはボクの人生の師であり、もっと大仰な物言いをしてしまえばボクの人生そのものでもある。だから今度は僕が恩返しする番なのだ。猫の恩返しなので顔をこしこし洗って、しらんぷりして寝てしまう、という危惧も充分にあるのだが…。まあ、それはさておき…「さておくんぢゃねえ!!」　今年も皆様の御多幸をお祈りして筆を置くこととする…「こらーっっ。次書け、つぎーっっ！」(B女史心の叫び…)　(続く)</p>]]>

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<title>モデルカーズ的こころ(20)</title>
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<modified>2007-12-19T08:36:27Z</modified>
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<![CDATA[<p>　現在ではパソコンが家電品のごとくに普及しているので、何かと便利であるのだが、モデルカーズ創刊初期の時代にはコンピューターなぞ一般庶民のものではなかった。それだけに今ならいとも簡単に出来てしまうことも当時は困難を極めた。ボクたちの仕事としては何よりも原稿を手書きする必要がなくなり、更にはその原稿をいちいち届けなくとも自宅に居ながらにして入稿出来るようにもなった。だがそれだけではない。モデルカーズでの仕事上ではパソコンの出現は全ての要素を劇的に変えてくれた。プラモデル今昔物語では古いキットのパッケージを掲載していたが、当時はカメラで撮影(初めはモノクロ撮影であった！)していた。古いキットであるから当然コンディションの良くないものも多かった。時にはネズミに齧られたりして(本当の話である…)箱の一部が欠損しているものさえあった。追々、更にコンディションの良好なものを求めてキット探し、撮影し直しなどが頻繁に行なわれた。当然、余分に労力も時間もコストもかかった。色調補正さえ出来なかったから、常に少しでも状態の良いキットを求めて各方面のコレクターの方々に協力を求め続けた日々であった。<br />
　ディオラマ、その小さな世界でも当時、パソコンがもし在ったら、どれだけの恩恵にあずかれたか分からない。例えばポスターや看板、新聞紙、雑誌などの小物も当初は手描きした。当然、リアルなものなぞ出来よう筈もない。そこで写真に撮って使用した。カメラで撮影しベタ焼きした紙焼きプリントを切ってそのまま使うのである。1/32の大きさに合わせる為に距離をかえては何度も撮影しデータを採った。そしてDPEに出したベタ焼きを採寸しては、1/32になるように被写体との距離を微調整した。やがて経験則によって大まかな被写体との距離が計算出来るようになると、寸法合わせも比較的楽になったが、やはり誤差は生じてしまうのでその都度撮影し直した。上手く1/32縮尺で撮影出来たら、その紙焼きをデザインナイフで裏から削ってプリント表面だけに薄くする。これはペラペラになって向こうが透けて見えるくらいまで削らないと効果がないので案外と手間がかかった。しかも、うっかりするとプリント表面まで穴を開けてしまう。かなり集中力と根気の要る作業であった。そうしてようやく板塀に貼られたポスターや机の上に置かれた少年画報などが出来上がったのだ。今ならパソコンでいとも簡単に画像取り込みをして希望の大きさに縮小出来る。まさに当時のことを思うと隔世の感がある。<br />
　ボクがようやくパソコンを導入した時、やはり何にもまして先ずやってみたかったのがプラモデルの箱であった。このリアルで精密な小物を作ることで、駄菓子屋の風景を今一度やってみたいと考えた。早速、三共ピーナツやマルサン1/100シリーズの画像原稿を作った。一枚に展開して本物と同じように組み立てるか、それとも面ごとに貼り合わせて箱を組み立てるか…プリントしてはみたもののどちらも不可能であった…余りにも小さいのだ。1/32ではプラモデルの箱が爪の先ほどもない。だがやりたい…ならばダイオラマ自体を1/24に拡大してはどうか。発想の転換であった。1/24の駄菓子屋の建て込みは余りにも巨大であった。この計画が幻に終わったのは言うまでもない。(続く)<br />
</p>]]>

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<title>モデルカーズ的こころ(19)</title>
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<modified>2007-12-11T10:06:10Z</modified>
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<summary type="text/plain"> 　1/32ダイオラマ「ディオラマ、その小さな世界」は都合6回の掲載をもって終了...</summary>
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<![CDATA[<p><a href="http://www.hobidas.com/blog/modelcars/khirano/P1010006.html" onclick="window.open('http://www.hobidas.com/blog/modelcars/khirano/P1010006.html','popup','width=567,height=425,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://www.hobidas.com/blog/modelcars/khirano/P1010006-thumb.jpg" width="400" height="299" alt="" /></a><br />
<br><br />
　1/32ダイオラマ「ディオラマ、その小さな世界」は都合6回の掲載をもって終了となった。回を追う度、幾多の試行錯誤を繰り返しながらも、次第に手慣れたこともあって熟成を重ねていった。それだけに最終回となった「引っ越しの日の風景」は最も完成度の高いダイオラマになったのではないかと自負している。引っ越しの日の心象風景は少年時代、幾度となく転居を繰り返したボク自身の記憶をベースにしたもので、文中に登場する友達のオワタやチュー太も実在の人物名である。ついでに白状しておくと孝子ちゃんはボクの幼稚園時代の初恋の相手の名でもある。タータンチェックのスカートから覗く純白のパンツが眩しかったことをはっきり記憶しているが、そこには幼稚園児の稚拙かつ未熟なエロチシズムしか介在しておらず、思い出しても健康的なお色気に頬が緩む。まあ私感はともかく、状況設定を最もリアルに緻密に構築出来たと思っているシリーズ中の最高傑作である(と自画自賛してしまうワタシ…)<br />
　ところで例によってこのダイオラマの状況設定も実在のモデルがある訳ではなく、全て頭の中のイメージによって構築したものであった。そしてそれをラフスケッチに起こし、ベース寸法や建物の建て込みを行なった。その際、家族構成やそれぞれの性格、生活レベルなどの家庭環境なども脚本を創るように練り上げていった。それらを総合して初めて建物の姿も見えて来るのである。要するに全ては想像の産物、つまりは絵空事であった。だから尚のこと一層、家族や生活などの環境設定の完成度が高くなくては、出来上がったダイオラマに説得力が伴わなくなる訳で、肝心なのは技術ではなく想像力なのである。<br />
　その空想世界で作り上げた古い借家のダイオラマから15年の歳月が経ったある日、何と信じられないことだがボクはこの借家に実際に出くわした。正直、腰が抜けるほどに驚き(ベタな表現である…)、複雑な感傷と感慨で胸が一杯になった。似ていた。本当に似ていた。まるでかつてボクが描いた架空の家族たちがここで暮らし、別れの哀しみを抱えながら引っ越ししていった記憶がそのまま残されているかのような佇まいであった。既に取り壊しを待っているのだろう、永らく廃屋となっているのも、そうしたシチュエーションが現実のものであるかのようにリアルに感じさせた。場所はボクの住まいよりそれほど遠い地域ではなかったが、これまで偶然にも一度も入り込むこともなかった一画の路地裏であった。何だかあのダイオラマの物語の世界に実際に迷い込んでしまったようで、酸味を伴う懐かしさが胸を充たした。まるで昭和30年代へと時間旅行してしまった気分であった。迷宮の扉へ迷い込んでしまうなど小説の世界だけのことと思っていたボクが、突然に異空間と対峙していた。呆然と立ちすくむボクを現実世界へと引き戻してくれたのは、この細い裏路地へと入り込んで来たワゴンRのエンジン音であったのだが、それでも尚、ボクは夢を見ているような気分のままであった。世の中にはこうした不思議が実際にあるのだなあ、と改めて気付く。そして翌日、カメラを持って再度出向き撮った写真がこれだ。二度とあの家が見つからなかったらどうしよう、と心配したが、実際にはご覧のとおりちゃんとそのまま建っていた(笑)　今年の夏のちょっとした不思議体験であった。(続く)</p>]]>

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<title>モデルカーズ的こころ(18)</title>
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<modified>2007-12-05T10:16:45Z</modified>
<issued>2007-12-04T13:15:09Z</issued>
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<created>2007-12-04T13:15:09Z</created>
<summary type="text/plain">　1/32ダイオラマは昭和という時代に生まれ育ったボクたちにとっては郷愁と感傷を...</summary>
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<![CDATA[<p>　1/32ダイオラマは昭和という時代に生まれ育ったボクたちにとっては郷愁と感傷を伴う原風景であった。ボクは今でも土の上を歩くのが好きだ。足裏に伝わる優しい柔らかさが好きだ。靴底のラバーで保護しなくてはならないコンクリートやアスファルトの上は、きれいだけれど動物本来の生理的機能には不都合なものだと思っている。現代人は健康の為に都心でジョギングやランニングをするが、それ専用のシューズは欠かせない。仕方のないことかもしれないが、何だかボクにはそうしたことがいびつに思えてならないのだ。運動会の朝、真新しい白足袋から伝わる地面の感触が心地よかったあの時代は、今よりずっと自然と共棲出来ていたのだと思う。ボクたち人間がもっとずっと自然に近いところで生活していた時代。ディオラマ、その小さな世界に込められたテーマは単に良き時代への郷愁だけではなく、自然からどんどんと乖離して行こうとする人間社会に対して警鐘を鳴らす意味合いもあったようにも思う。<br />
　昭和30年代の風景、そしてその時代の風俗文化を表わす道具などを求めてボクたちは随分と取材の旅をした。勿論、その為にふんだんに時間や経費がかけられる訳ではないので、関東近郊を急ぎ足で駆け回ることを常とした。その時分には未だホーロー看板が近在の農家や納屋の壁などでは珍しくなく、浪花千栄子のオロナイン軟膏や由美かおるのアース渦巻香取線香、水原弘のハイアース殺虫剤、松山容子のボンカレーなど、至る所で遭遇した時代であった。しかし既に裸電球の電灯や井戸、赤い鉄製の円柱郵便ポスト、タイル貼りのタバコ屋など、昭和30年代を象徴するようなものたちは消滅していたので、千葉や茨城などまで足を伸ばしては捜し歩いた。これには後日談があって、何日もかけて撮影取材を行なったあと、改めて自分の住む街、鎌倉でそれらの全てが実在していることが分かり、嬉しいような悲しいような微妙な気分になったことが懐かしく思い出される。<br />
　木造建築は当然、決まりがあってそれを正確に守らないと現実にはあり得ない「すっとこどっこい」な張りボテになってしまう。日本建築に詳しい人から教授を受け、書店や図書館で古い和建築についての本を漁った。寸法採りも尺、寸が原則である。使用する材料も極力、プラ板などのケミカル樹脂は敬遠し、角棒、平板のなど木材を用いた。最初にぶつかったのはブリキトタンの波板であったが、これは金属棒を並べてその上から薄いアルミシートをプレスする工法に頼った。木材による家屋の基本構造は原則的に実物の建物と余り大きくは違わない手法であった。ただ人工物はどうにかなっても天然物は難しかった。例えば下生えの雑草や樹木などだ。小さな花や葉は1/32というスケールの場合、鉄道用の材料では限界があった。苦肉の作として朝顔や百合などの花や葉はひとつずつ和紙などで作ったりもしたが、手間が掛かり過ぎて群生するようなものはとても作れなかった。ともかく建物などの構造物は極力、実物と同じ工法で作るよう心掛けた。そうして生まれた最初の光景は路地裏の駄菓子屋と板塀の風景であった。手前味噌ではあるが、その時、ボクには入道雲沸き立つ青く高い空が見え、騒がしく響く蝉時雨が聞こえた気がしていた。(続く)</p>]]>

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