その9 名古屋港 旧1・2号地間運河可動橋 (可動橋の詩)
←その8 その10→

水族館がある1番出口に向かう休日の人々の流れに逆らって地下鉄名港線名古屋港駅2番出口から出る。少し歩くと今でも倉庫が立ち並ぶ一角に、可動橋がある。とは行っても、もう動くことのない廃線の橋で、勝鬨橋とは逆に上がったままになっている。

この橋は四日市の末広橋梁と同じ、山本工務所の作品。末広橋梁よりも古い1927(昭和2)年の架橋と言われ、「名古屋港跳上橋(旧1・2号地間運河可動橋)」として国の登録有形文化財にも指定されているのだが、現地には案内とかの類は見当たらない。

拡大可
岸にへばりつく様に操作室がある。電話ボックスのような大きさだった末広橋梁のそれよりかなり大きい。現役時代は現在もレール輸送が行われている名古屋港線の一部だったそうだが、現在では橋の部分以外には痕跡は少ないようだ。

橋から100m余りの場所には固定橋がかかり、その先すぐに埋め立てられているので、実際に行くまでは運河としてはもう機能していないのかと思っていたが、現地を見ると可動橋から一つ目の橋の間に工場から給水スポートのような荷役設備が伸びている。別の日に行ってみると、貨物船がちょうど橋の間をすり抜けるように出て行くところだった。なるほどこれでは橋を下ろして保存するわけにはいかないわけだ。(つづく)
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その8 門司港・西海岸可動橋「ブルーウィングもじ」 (可動橋の詩)
←その7 その9→

門司港から伸びる臨港線。現在は休止中だが、北九州市と平成筑豊鉄道によるトロッコ列車運行の準備が進められている。2009年度からここを元南阿蘇鉄道のDLと元島原鉄道のトラ70000形が走ることになる。

その臨港線沿いにしばらく歩いて海に出ると、真新しい歩行者専用の可動橋がある。「旧門司第一船だまり」の入口にかけられた西海岸可動橋「ブルーウィングもじ」である。

橋の袂にある説明板。かなり詳しい。(拡大可)

船だまりに定期的に発着する遊覧船は背が低く、開閉に関係なく出入りできる。(拡大可)

開閉は1日6回。遮断機などはなく、開閉前には係の人が柵を締めにやって来る。開閉は観光的な意味合いが強いようだが、臨時に開閉することもあると書いてあるので、実際に船の出入りのための開閉もあるようだ。(拡大可)

まず子橋が上がる。(拡大可)

続いて親橋も。(拡大可)

手前に見えるのが操作室のようだ。(拡大可)

歩道橋とはいえ開くとそれなりに迫力がある。(拡大可)

可動橋の西にある「海峡ドラマシップ」には九州電気軌道(のちの西鉄北九州線)1形電車が復元されている。車体は1/3程度のみながら台車(Brill27GE1)やGE製のコントローラなどは実物のようだから見逃せない存在である。(つづく)
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その7 下関・水門橋 (可動橋の詩)
←その6 その8→

山陽本線が下関を発車して車輌基地の横を抜けると、ちょっと高い鉄橋を渡る。皆さんご存知のことと思うが、渡った先は彦島という関門海峡に浮かぶ島である。つまり橋が跨ぐのは「川」ではなく小瀬戸という「海峡」。下り列車では車窓左側は関門海峡を経て瀬戸内海へ、右側は日本海へと抜けている。この山陽本線の橋の少し日本海側に、水門橋というちょっと変わった可動橋がある。

本州側から見た水門橋(橋が上がっている時)。1982(昭和57)年に完成した昇降橋である。その名の通り、海峡を仕切る2つゲート(下関漁港閘門)の間に掛けられたもので、右に見えるのが瀬戸内海側のゲート。ちなみに写真では見えにくいが、橋の手前を線路が左右に横切っている。これは下関駅から小瀬戸に沿って下関漁港へ伸びていたの貨物線の跡。地図上に表記は残るものの、残念ながら部分的に線路が残るのみとなっていた。

彦島側から見た水門橋(通行可能時)。立体駐車場を大きくしたような構造である。

自動車通行可能時間帯の表示。つまり水門橋が下がっている時間。

歩道は2つのゲート上に付いているので、水門橋が上がっていても通船時以外は通行できる。

日本海側のゲート上から見た下りている時の水門橋。奥に見えるのは瀬戸内海側のゲート。海峡といってもこの部分はこんなに狭い。

関門海峡側のゲート上から見た上がっている時の水門橋。奥が下関漁港。橋は上がっていてもゲートが締まっていては船が通れないではないか…と思われるかも知れないが、ここはパナマ運河などと同じく水位を調整して船を通す「閘門」。つまり、船が来たときだけ片方のゲートを開け、いったん船を閉じ込めた状態で水位を調整してから反対側のゲートを開く。簡単に言えば船のエレベータである。もちろん、通船が可能なのは水門橋が上がっている時間帯ということになる。水位を調整して船を通す閘門自体は東京にもあるのだが、上を可動橋が跨いでいるのはここだけだろう(→追記参照)。

関彦橋から見た下関漁港閘門と水門橋。この閘門自体の歴史は水門橋よりずっと古く1936(昭和11)年に建設されたのが最初と言う(現在のゲートは銘板によれば1986年製)。この閘門が小瀬戸を仕切ることで瀬戸内海と日本海の干満の差による潮流の発生を抑えており、日本海側の袋小路となった部分には下関漁港がある。つまり、下関漁港を守っている閘門ということになる。(つづく)
2008.7.9追記 兵庫県尼崎市の「尼崎閘門」(通称:尼ロック)上にも関係者用の旋回橋があるそうだ。
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その6 和田岬線・和田旋回橋 (可動橋の詩)
←その5 その7→

兵庫駅から川崎重工の工場を横目に歩いていく。N700系やら<スーパーカムイ>やら、完成間近の新型車輌が目に入ったが、真新しい社屋の前にはそれらに負けないくらいピカピカになったクハ181がいた。目指す兵庫運河はこの工場の向こうだ。

兵庫運河を渡る和田岬線の「和田旋回橋」である。現存唯一の鉄道用旋回橋として有名だが、はるか昔から固定されているので、「元旋回橋」と言った方が正しいだろう。そもそも、この橋が旋回している写真というのを見たことがない。一体いつ頃まで可動状態にあったのだろうか。

山陽鉄道による和田岬線の開通は1890(明治23)年だが、兵庫運河の開削はその後のことで、この橋は1899(明治32)年頃に掛けられたらしい。確かに中央の橋台や転車台のような橋桁など、旋回橋の面影は残っているが、操作室はもとより可動するための機構は一切残っていないようだ。一体どうやって動かしたのか、気になる。

袂には小さな貯木場と模型のような古風なクレーンがあった。反対側にも船が停泊しているから、橋の両側とも運河として機能しているようだが、どちらから来ても船はこの橋で行き止まりである。

反対側に出て住吉橋から見下ろす。こうしてみると、広い運河を遮断して線路が横切っているように見える。橋の長さは15.5mというが、跳開橋ではなく旋回橋だから、実際に通船に使える幅は片側1/3ずつ程度で、かなり小さな舟しか通れなかったはずである。この橋が開いていた頃はどんな光景だったのだろうか。(つづく)
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その5 尼崎・東高洲橋 (可動橋の詩)
←その4 その6→

尼崎には丸島橋ともう一つ、可動橋がある。高洲運河に架かる東高洲橋である。

阪神電車の尼崎から乗ったバスは、道路を渡る工場のトロッコの線路を越えたところで東高洲町のバス停に着いた。この辺り一帯は住友金属の工場のようだ。

バスが走り去った方向を見ると、道路上にやぐらが見えた。東高洲橋だ。道路信号とともに鉄道と同じ警報機と遮断機がある。

同じ尼崎市内だからだろうか、シルエットは丸島橋によく似ている。

頭上に大きなウエイトがあるのは丸島橋と同じだが、こちらは路面がアミアミではなくアスファルト。バスも通るし、近くに阪神高速湾岸線ランプもあるので交通量は少なくない。

丸島橋は油圧ジャッキと思しきシリンダーがあったが、こちらは大きなギアが露出している。

開閉は丸島橋と同じ1日5回、船が来た場合のみ上がる。

写真を撮っているうちに開閉時間が迫ってきた。操作室を見るといつの間にか人影が…。あっ、プレジャーボートが警笛を鳴らして近づいてきた。



警報機とともに遮断機が下がり、橋が開く。

残念なことに曇ってきた。ボートが通ると早々に橋は閉じ始める。

閉まる少し前、陽が出てきた。素晴らしい。ここまで来た甲斐があった。この近くにはもう一つ、西宮にちょっと新しめの可動橋があるのだが、今日はここまで。また今度にした。(つづく)
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その4 尼崎・丸島橋 (可動橋の詩)
←その3 その5→

武庫川線の電車は武庫川を発車するとあっという間に東鳴尾駅に着いた。武庫川を渡って河口側に約1km、ちょっと疲れてきたところで左に折れると、目的の橋が見えてきた。
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西堀運河にかかる丸島橋である。やぐらが物々しいが、遮断機と信号のみで警報機はない。

横から見るとやぐらがT字になっているのが判る。ウエイトと油圧ジャッキでやぐらの一端を上下させ、もう一方の端に吊っている橋桁を開閉させる仕組みのようだ。


渡ってみるとびっくり。可動部の路面はアミアミのスケスケ。コインくらいの大きさなら、落としたら運河にポチャンだ。車が通る度に結構大きな音がする。

開閉は1日5回、船が来た場合のみ上げるらしい。12時半をまわったが、船は来ず、橋が上がる気配なし。

海側から見る。袂には何隻かの釣り船は係留されている。しばらく待ったものの開く気配は全くないので、次の橋に向かうことにした。 (つづく)
追記
丸島橋は残念ながら2007年7月から固定橋への架け替え工事が始まる模様。結局、開閉は見れずじまいに終わりそうだ。尼崎市のホームページによれば現在の橋は1977年に掛けられた2代目とのことである。
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その3 末広橋梁 下りる (可動橋の詩)
←その2へ その4へ→
ヘルメット姿の自転車の主が小屋に入ってしばらくすると、踏切のような警報音が鳴り始めた。時計を見ると12:30を少し回ったところ。いよいよだ。

素晴らしい。これを見ただけで四日市まで来た甲斐があるというものだ。せっかくの可動橋なので写真をつないでみたが、三脚を使っていないうえ、つなぐことなど考えずに画角を途中で変えているものだから綺麗につながらなかった。こういう時は動画機能付きのカメラが欲しくなる。

橋が下りて20数分、DD51の牽く貨物列車がやってきた。鉄道用の可動橋というと芝浦や清水港線のDD13の印象が強いせいか、DD51がやたら大きく見え、どうもイメージしていたものと違い戸惑う。

それにしても長い。数えたら16輌もあった。のどかな風景の路線だが、藤原岳と海路を結ぶ産業の大動脈だということを思い知らされる。DD51はしばらくいったところの機回し線で空車を牽いてきた太平洋セメントの私有機と交代、DD51は空車を牽いて再び橋を渡って四日市へ戻っていく。これで一連の作業は終了のようで、しばらくすると橋が開かれる。下がってから開くまで約35分であった。

翌日曜日、再び四日市まで来たついでに臨港橋へ行ってみた。開閉を期待したのだが、日曜日は船は通らないらしく、操作室は無人。末広橋梁も下りたままとなっていた。

臨港橋の上から千歳町側を見ると、臨港橋の警報機と遮断機の向うに臨港線の踏切が見える。踏切名は臨港橋東踏切というそうだ。日曜日でも列車はあった。末広橋梁を渡って機回し線に進入する列車。

工場から空車を牽いて来た太平洋セメントのDD452。富士重工製。

線路沿いに歩いていくとこんな札があった。この間は通行ができない場合があるということだろう。列車の運行が始まると上部のスピーカーから甲高い警報音が流れていた。 (つづく)
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その2 末広橋梁と臨港橋 (可動橋の詩)
←その1 その3→
手結可動橋に見てから約一ヶ月後のとある週末、さらなる可動橋を求めてに新幹線に乗った。目指すは三重県、四日市である。

驚くほどひと気のない関西本線四日市駅から歩くこと約10分、目的の末広町にはあっけなく着いた。初めて足を踏み入れた通称:四日市港線界隈は、手元の地図に描かれた何本かの側線こそなかったものの、倉庫の向うからDD13が紫煙を上げて出てきそうな、一昔前の“臨港線”の風景が残っていた。

第一の目的、末広橋梁。昭和6年架橋にして重要文化財。さすがの貫禄である。可動する桁は長さ16.6m、タワー部分は高さ15.6mだそうだ。なにより現役であることが素晴らしい。本誌でも何度も紹介された可動橋界?の重鎮であるが、実際に目にするのは初めてだ。この橋の向うは千歳町という運河と海に囲まれた“島”。この橋が下りない限り、列車は島に出入りできない。列車の来る時刻の目星はつけてきたものの、本当に来るのだろうか。列車を見に来たわけではないが、列車が来ないと橋も下りない(日曜日は逆に下りっ放しと後に知る)。もし運休ならば諦めるしかないと思って辺りを見回す。

橋の両側に備わる防潮堤の扉。運河の両岸に通じる道には全て防潮堤の扉があるが、線路も例外ではない。両側の信号のようなものはなんだろうか。

桁の中央に付く山本工務所の銘板。素晴らしい。

千歳運河対岸の千歳町側を見る。現在は橋を越えたところから右にカーブしているが、少し古い地図によると、以前は直進する線路もあり、この先に平面クロスがあったようだ。

可動部分を真横から見る。タワーを介してワイヤーで操作する構造が分かる。それにしても土曜日のせいか船は全く通りかからない。そんなわけで背後にある第二の目的である橋は、末広橋梁とは逆に開く気配がない。

第二の目的、末広橋梁と並んで掛かる臨港橋である。ここは現役の可動橋が並んで掛かるという、素晴らしい場所なのだ。もっとも、こちらは1991(平成3)年竣工と書いてあり、末広橋梁とは対照的に、いたってシンプルなデザイン。開閉も油圧ジャッキによる。これは3代目だそうで、初代の橋は1932(昭和7)年架橋だったそうだ。

袂に備わる警報機と遮断機が可動橋であることを主張する。右手に見える建屋が操作室(管理棟と書いてあった)。残念ながら船は一向に来ないが、操作室には人がいるので土曜日でも開くことはあるのだろう。これが開くところを見たかったのだが…。

臨港橋から見た末広橋梁。つまり可動橋から見た可動橋である。こんな調子でカメラ片手にウロウロしていると、1台の自転車が末広橋梁の袂の小屋に近づいていくのが見えた。 (つづく)
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その1 手結可動橋 (可動橋の詩)
私は勝鬨橋が好きだ。この橋が最後に開いたのは1970(昭和45)年のことだという。以来36年、日本を代表する可動橋は“不動橋”となったままだ。数年前、この橋を再び開く計画がある聞き心躍ったが、残念ながら現在のところ実現には至っていない。道路事情もあるだろう、資金の問題もあるだろう。しかし、通る度に思う。この橋が開く姿が見られたどんなに素晴らしいことか。
鉄道車輌に限らず、動くべきものが動かないのは、寂しい。

話は南国土佐に移る。かつて土電の安芸線に「手結」と書いて「てい」と読む駅があった。市内からの直通電車が今の「ごめん」「いの」と同じく「てい」と書いた行き先板を付けていたということで、その地名が頭の片隅にあったのだが、高知から室戸岬を目指していた時、「手結可動橋」なる標識が目に入り、ここがあの「てい」なのか、と思い出した。今のごめんなはり線だと夜須駅が近い。

標識にあった可動橋は、船溜まりとなっている古い内港の出入り口に掛けられていた。後で調べたところ、この内港は人工的に掘り込まれた港としては日本最古のものだそうで、景観もなかなかのものである。橋の袂には鉄道のそれを流用したと思われる踏切の警報機と遮断機が備わる。非常ボタンもついているが、押すと橋の上昇が止まるのだろうか。中途半端に止まられても困る気がするが。
可動橋は、日中おおよそ1時間ごとに開閉するよう、標識に書いてある。つまり、1回開くと1時間通行止めということだ。
とは言え、この日は日曜日。表示の時間が近づいても人の気配が全くない。ひょっとして日曜日は開閉しないのではないか。残念ながらもう時間、“動く可動橋”はお預けか、とその場を離れようとした瞬間、警報機が鳴り出した。

振り返るといつの間にか操作室のデッキにおじさんが赤旗を持って立っている。
「開く!」


遮断機が下りると警報機が止まり、おじさんは中へ。やがて橋が上がり始めた。いざ開くと、予想以上に大きい。これで1時間は通行止めだ。事情を知らない車がやってきて、遮断機の前でしばらく待っていたが、やがて標識を理解したのか、諦めたように引き返していった。もっとも迂回路はあるので、そんなに困ることはない。
勝鬨橋と同じ跳開橋だが、片側のみなので、反対側は遮断管1本を隔てていきなり水路。ちょっと見た目に怖い気もする。
やがて外港で橋が開くのを待っていた漁船がやってきた。小さな漁船だがマストや無線アンテナは可動橋が開かないと通れない高さがある。

後日調べたところ、この可動橋は2002(平成14)年に完成したものだそうだ。観光用でない実用の可動橋を新たに掛けるというのは珍しいのではないだろうか。ちなみに開閉はおおよそ1時間毎と書いたが、よく見ると18時~6時は船舶航行可能と書いてある。つまり夜はひらっきぱなしということのようだ。 →その2
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可動橋の詩 収録一覧 (可動橋の詩)

その1 高知・手結港可動橋
高知県香南市夜須町手結(土佐くろしお鉄道ごめんなはり線夜須駅下車)
その2・3 四日市・末広橋梁と臨港橋
三重県四日市市末広町(関西本線四日市駅下車)
その4 尼崎・丸島橋
兵庫県尼崎市丸島町(阪神武庫川線東鳴尾駅下車)
その5 尼崎・東高洲橋
兵庫県尼崎市東高洲町(阪神尼崎駅下車)
その6 和田岬線・和田旋回橋
兵庫県神戸市兵庫区材木町(山陽本線兵庫・和田岬駅下車)
その7 下関・水門橋
山口県下関市彦島本村町(山陽本線下関駅下車)
その8 門司港・西海岸可動橋「ブルーウィングもじ」
福岡県北九州市門司区港町(鹿児島本線門司港駅下車)
その9 名古屋港 旧1・2号地間運河可動橋
愛知県名古屋市港区千鳥2丁目(名古屋市営地下鉄名港線名古屋港駅下車)
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