ED90の仮台車 (台車日和)
← →

前回ご覧いただいた大井川鐵道ED90形電気機関車ですが、井川線用のディーゼル機関車DD20形の最大高が2700mmに対してED90は3860mm(パンタ折りたたみ高さ)ですから、実に1m以上の違いがあることなり、当然、従来の井川線規格の線路を走ることは出来ず、また、例え車輌限界をクリア出来ても、通常のポイントではピニオンギアが支障して通過することができません(アプトいちしろ、長島ダム両駅のポイントはピニオンギアの通過用に開通方向の中央部分が開く特別仕様)。このため、搬入場所である新金谷の構外側線から基地であるアプトいちしろ駅(開業までは川根市代駅)までの回送用に製作されたのが、この小径車輪を用いた仮台車です。
ちょっと写真では見難いですが、軸箱の片側を支点に、もう一方にコイルばねを介した軸梁式に似た構造のものです。

仮台車を履いたED90 1。車体自体は意外にも小さく、本来の台車の大きさを思い知らされます。 1990.2.21 新金谷構外側線 P:RM
参考文献:RM LIBRARY96『大井川鐵道井川線』白井 昭(2007年 ネコ・パブリッシング)
2008.9.22作成
このweb上のすべての画像は個人でお楽しみになる以外の使用はできません。
「絵画館」の電車たち (台車日和)
← →

本誌Rail Magazineで198回にわたって連載された沼田博美さんの「絵画館」の原画の一部がホビダスで販売されることになった。
「絵画館」が始まったのはRM101号(1992年2月)だから、もう15年以上前のことになる。ついこの間のような気もするが、後に担当となる私もまだ一読者で、その号の「客車列車D・A・I・S・U・K・I」という特集タイトルからして、いろいろな意味で時代を感じざるを得ない。
その第1回の題材は、まだ「南海電車」だった貴志川線の1201形だった。以来、198ヶ月の顔ぶれを改めて見てみると、今なお現役で活躍していたもの、引退間近のもの、保存されて余生を送るものなどなど、その時々の車輌たちの肖像が浮かんでくる。
ちなみに連載をご覧の方ならご存知と思うが、沼田さんは江ノ電・極楽寺育ちの大の電車ファン。生き生きとした車輌たちの姿は「好き」ならではの視点で描かれたものなのである。(高橋一嘉)

カメラを構えたファンに混じって相鉄モ二2000形を描く沼田さん。こうしたイベントの場などで偶然お会いすることも。 2006.3.5 P:高橋一嘉
2008.7.27作成
このweb上のすべての画像は個人でお楽しみになる以外の使用はできません。
大胡に眠るTR11 (台車日和)
← →

TR11 写真:2007.12.1 上毛電気鉄道大胡 名取紀之
上毛電鉄を訪ねた名取編集長からのお土産で、大胡車庫に残るTR11です。コロ軸受に改造されていますが、何が履いていたものでしょうか。

国鉄からの払い下げと大手私鉄経由での譲渡により地方私鉄に渡ったTR11はかなりの数で、一昔前までは当たり前のように見ることができましたが、さすがに今はほとんど見かけなくなりました。上毛電鉄でも、編集長敬白に写真が出ていた17m級国電払い下げのクハが履いていましたし、それらを置き換えたクハ30形(もと西武クハ1411形)も西武ではお馴染みのTR11Aを履いていました。そしてその後2代に渡って入線した元東武車のクハも上毛ではTR11になっていましたから、TR11は上毛でもかなり縁の深い台車ということができるでしょう。

赤城下ろしが吹きすさぶ中、吊り掛けモータの音も高らかに走る元東武3050系のクハ360形+デハ350形。このクハもTR11を履いていました。撮影は1998年12月12日で、この時すでに大胡の車庫には元京王3000系が到着しており、元東武車の活躍をあとわずかという時でした。 2008.1.24作成
このweb上のすべての画像は個人でお楽しみになる以外の使用はできません。
江戸東京博物館に出現した都電D-11 (台車日和)
← →

しばらく前、7月の中頃だったでしょうか、「大鉄道博覧会」を開催中の江戸東京博物館に都電の台車が置いてあったという話を聞きました。はて、都電の台車とは…? 件の博覧会には既に行っていましたが、その時には全く気がつかなかったため、とりあえず両国へ。

場所は大屋根のような常設展示スペースの下、チケット売場などがある3階の広場部分。あたりを見回してみると…おぉ、あったあった…6000形のD-10かな? いや違うぞ…

なんと、これは4000形のD-11ではないですか! 東京市電(後の都電)D-11は、大量増備された3000形のD-10に代わって1925(大正14)年登場の4000形から4100形、4200形と採用されたもので、端梁が低い独特のシルエットの鋳鋼製台車枠が特徴。ボルスタを低い位置に抑えつつ僅かに従軸側に偏心させ、またブレーキ機構にも独特の構造を採用した意欲作でした。戦後も鋼改で誕生した鋼製の4000形が履いていましたが、4000形は1970(昭和45)年に全廃となっており、現在は1輌の保存車もないはず。その台車をまさかこの目で見られようとは…。全廃から実に37年、よくぞ残っていてくれたものです。

よく観察してみると、動軸側のみコロ軸化されており、ボルスタには「D11」の文字と日車の社紋の陽刻があります。「マクラバネツリ」など各部の名称を書いた木札が付けられているので、おそらく局の教習用で残されていたものでは、と推察しますが、一体これまでどこに眠っていたものなのでしょうか。

その後、名取編集長が江戸東京博物館での講演会の折に学芸員の方にお聞きしたところ、1991年に交通局から移管されたものとのことで、以来、倉庫に保管されていたのが、今回の大鉄道博に合わせて陽の目を見たとのことでした。

大鉄道博は9日までですが、このD-11は今後、常設展示になるようで嬉しい限り。4000形唯一の“形見”が末永く保存されることを願ってやみません。 2007.9.5作成
参考文献
「台車のすべて〔完〕」吉雄永春(『鉄道ピクトリアル№114』所収/1961年 鉄道図書刊行会)
『RM LIBRARY19 東京都電6000形』江本廣一(2001年 ネコ・パブリッシング)
LINK
これまでに収録した東京都交通局関連の台車
これまでに収録した路面電車関連の台車
このweb上のすべての画像は個人でお楽しみになる以外の使用はできません。
道路をはしる“台車”のはなし (台車日和)
新造車や譲渡車の搬入と言えば甲種輸送ですが、JRとの連絡線がない私鉄が車輌を搬入する際に欠かせないのが、陸送用の台車です。

TN20S トラクターと連結された前部の台車。銘板によると1982年9月 東京・調布の東洋車輌工業というメーカーの製品のようだ。 写真:2007.7.22 仏生山 名取紀之
この車輌陸送用の台車、車輌の搬入シーンをご覧になられたことのある方ならお分かりと思いますが、前後で大きな違いがあります。前側の台車は運転室のあるトラクター部分と連結する完全なトレーラーですが、後ろ側の台車にはエンジンが付いています。

PE20S2 こちらが後部の台車。後部側に箱型の発電機を搭載する。形式は銘板による。 写真:2007.7.22 仏生山 名取紀之
エンジン付きといっても自走するわけではなく、発電機としてのもので、独自にタイヤの方向を操舵する機能を持たせたものです。これによって、バック運転の際に、車輌の方向を地上からリモコンで誘導できるわけです。特に鉄道車輌の搬入の場合、車庫内の狭い場所での作業が多く、取り卸し用のクレーン車や架線柱の位置との関係でシビアなバック運転が要求されるわけで、地上の係員さんと運転室の運転士さんとの連携による、正に熟練の技と言えるでしょう。

PE20S2を後ろ側から見る。エンジンの上に載っているのが操舵用のリモコン。おや、後ろに見えるのは… 写真:2007.7.22 仏生山 名取紀之
以前は新幹線も甲種輸送されていましたし、路面電車など小型の車体なら大物車に載せて運ぶ乙種輸送という手段もありましたが、現在ではこうした輸送もなくなり、逆に採算の面から普段は使わないJRとの連絡線を撤去してしまった私鉄もありますので、鉄道車輌の移動を陸送に頼る割合はかなり増えているのではないでしょうか。

長尾線から志度線に転属することでん600形。1435mm軌間のことでんは、譲渡車の搬入がすべて陸送なのはもちろん、琴平線・長尾線と志度線との間の車輌の行き来も当然陸送である。 写真:2007.7.22 仏生山 名取紀之
2007.8.15作成
このweb上のすべての画像は個人でお楽しみになる以外の使用はできません。
ことでん 7/31で旧型車の定期運用終了 (台車日和)
← →
ついに定期運用が終了した高松琴平電鉄の旧型電車。この3000形はひと足先に引退した30形Mc車と同じ阪神881形由来の川車製Baldwin78-25AAを履いている。
写真:2007.7.22 瓦町 名取紀之
現在発売中のRailMagazineでも詳しくご紹介しています高松琴平電気鉄道の旧型車動向ですが、8月6日に予定されていた1300形(もと京急1000形後期車)の営業開始が当初の予定より繰り上がり、その結果、長尾線での旧型車の定期運用も7月31日朝方の増結運用をもって終了しました。
長らく電車博物館と呼ばれてきた「ことでん」ですが、これで念願の全線完全冷房化を果たしたことになり、吊掛駆動・非冷房の旧型電車は動態保存車と事業用車を残すのみとなりました。
また、同時に、日本の鉄道から昔ながらの釣合梁を持つ台車を履いた電車の定期運用も消滅したものと思われます(→追記参照)。先日のBrill27MCBの終焉に続き、日本の台車の歴史においても、一つの時代が終わったと言えるのかもしれません。
なお、長尾線の運用終了に伴い引退する3000形315号のさよなら運転は8月11・12日に予定されています。詳しくはことでんホームページをご覧ください。 2007.8.1作成
LINK
これまでに収録した高松琴平電気鉄道の台車
2007.10.31追記
釣合梁を持つ台車を履いた電車の運用という点では銚子電鉄がまだ現役でした。もと営団2000形のデハ1000形とともに、日車D-16を履くもと伊予鉄のデハ801号も運用に就いています。
このweb上のすべての画像は個人でお楽しみになる以外の使用はできません。
Brill27MCB 95年の歴史に幕 (台車日和)
← →

去る7月7・8日、元京浜急行電鉄デハ230形である高松琴平電気鉄道30形(27-28)のさよなら運転が行われました。このTc車28号が履いていた台車は名鉄由来のBrill27MCB2Xでしたが、この台車こそ、大正期から日本の電気鉄道に数多くの足跡を残してきた名品、Brill27MCBとして現役最後のものでした。
『HISTORY OF THE J.G.BRILL COMPANY』によると、J.G.Brill社がMaster Car Builders Associationの規格に沿って開発した釣合梁方式の台車、27MCBを世に送り出したのは1909年のこと。日本での採用は1912(大正元)年に登場した阪神電気鉄道51形が最初であり、以後、それまでの27E1などに代えて南海、阪急、愛知、京成、東武、京阪、京浜など、数多くの電鉄会社がそれぞれの規格に合わせたBrill27MCBを導入していきます。MCB規格の台車自体はそれ以前から他メーカーでも製造されており、日本では昭和に入ると比較的に構造が簡単なBaldwin製の台車を範とした国産台車が主流になりますが、多数輸入されたBrill27MCB系統の台車は戦前、戦後を駆け抜け、平成の世まで残ったものも少なからずありました。今年に入って相次いで解体された福井鉄道モハ141-2、静岡鉄道クモハ20の台車もBrill27MCBの仲間です。

Brill27MCB2X(高松琴平電気鉄道28号) 写真:2007.7.8 今橋 高橋一嘉
阪神51形以来、日本におけるBrill27MCB 95年の歴史の最後を飾った琴電28号の27MCB2Xです。会社の成立過程で多数のBrill27MCB系統の台車を保有することとなった名鉄から譲渡されたもので、ブレーキの両抱き化、コロ軸受化などの大改造を施されており、本来のどちらかというとスマートなイメージとはちょっと異なる印象を受けます。
この台車の引退で、黎明期のインターバンや郊外電車を駆けた名台車も本線上から姿を消したわけですが、東武鉄道デハ1など、静態保存されているものも少なからずあり、この機会に訪ねてみるのもよいかも知れません。 2007.7.12作成
参考文献
『HISTORY OF THE J.G.BRILL COMPANY』Debra Brill
(2001年 Indiana University Press)
「台車のすべて(5・6)」吉雄永春
(『鉄道ピクトリアル№82・83』所収/1958年 鉄道図書刊行会)
「台車とわたし2」高田隆雄
(『鉄道ジャーナル』№95所収/1975年 鉄道ジャーナル社)
LINK
これまでに収録した高松琴平電気鉄道関連の台車
これまでに収録した名古屋鉄道関連の台車
このweb上のすべての画像は個人でお楽しみになる以外の使用はできません。
都電5501号PCCカーを見る (台車日和)
← →

“レトロ車両”9000形の導入と共に注目されていた都電荒川線荒川車庫の「都電おもいで広場」が5月26日にオープン。1989年に不忍池から移動後、長らく車庫内に保管されていた5501号PCCカーもその姿を披露している。

微妙な曲線で構成された前面と台車も隠す一直線のスカート、なんとも流麗な姿である。

車内はミニギャラリー風に改装されており、現在は昭和40年代の都電の写真が展示されている。

今やなつかしのファンデリア。

PCCカーの心臓ともいうべき台車、FS501。PCCカーの本国アメリカの図面を基に都電に合わせて住友金属で製作されたもので、内側台車枠に弾性車輪、駆動装置は直角カルダンという構成。ブレーキ装置は写真に見える非常用の電磁吸着ブレーキとともに、モーター軸にドラムブレーキが組み込まれているそうだ。量産車は国産技術で製作された5502号を基に製作されたので、FS501は5501号1輌分のみである。2007.5.28作成
参考文献
「住友金属の台車35」鈴木光雄(『鉄道ピクトリアル№498』所収/1988年 電気車研究会)
LINK
これまでに収録した東京都交通局関連の台車
これまでに収録した路面電車関連の台車
このweb上のすべての画像は個人でお楽しみになる以外の使用はできません。
久里浜に眠る“OK” (台車日和)
← →

OK18-I 写真:2007.3.31 京急ファインテック久里浜事業所 RM(中村 建)
個性的な外観が印象的な京浜急行電鉄1000形電車のOK18-Iです。昭和20年代後半から30年代にかけて川崎車輌(現・川崎重工)が開発・製造した軸梁式台車、通称OK台車は、関東地方でもいくつかの会社に納入されましたが、その中で圧倒的に最多数だったのが京浜急行電鉄でした。
OK18系はまず1956(昭和31)年に登場した600形(旧700形)に採用されたのち、1958(昭和33)年に登場した初代1000形(旧800形)でも採用されました。両系列とも東急車輌製のグループは東急製の台車(TS-303/TS-310系)を履き、また1971(昭和46)年製以降の1000形は共通設計のTH-1000Tになりましたが、600・1000形の台車としては強く印象に残るのは、やはりOK18系なのではないでしょうか。
写真は京急ファインテック久里浜事業所(旧京急久里浜工場)に保存されている1961(昭和36)年製のOK18-I。「1070」のプレートがついていますから、デハ1070が履いていたものでしょうか。
軸距:2100mm 車輪径:860mm 軌間:1435mm
軸箱支持:軸梁式 枕ばね:コイルばね

2007.4.24作成
参考文献
『復刻版 私鉄の車両18 京浜急行電鉄』
飯島 巖・花沢政美・諸河 久(2002年 ネコ・パブリッシング)
LINK
これまでに収録した京浜急行電鉄関連の台車
2HE OK-18I TS-310B TH-700K TH-2100AM
このweb上のすべての画像は個人でお楽しみになる以外の使用はできません。
一形式一輌「分」のFS504 (台車日和)
← →

2006.9.22 古町
伊予鉄古町駅のホームから車庫を眺めると、モニ30や古い木造客車と並んで3輌分の台車が見えた。左から2輌分はFS316のようだけど、左の1輌分はなんだろう? 台車枠のFS504の文字を頼りに調べてみると、長電から来たモハ603のために伊予鉄で自社発注したものらしい。

2006.9.22 古町
自車発注の高性能車600形の3連化用としてモハ603(もと長野電鉄モハ1102)が入線したのは1979(昭和54)年。長電時代は釣り合い梁台車を履いた吊り掛け駆動車だったが、伊予鉄では既存の2輌に合わせて高性能化するため台車が新製された。台車枠はモハ300形用のFS397と同じだが、既存の600形の日車製台車(ND-104)に合わせたのか、枕ばねはコイルばね。ただし、FS397と同じくダイレクトマウント。コイルばねでダイレクトマウントというのは、他にもないではないが、珍しい部類だろう。FS504という形式はこの1輌分のみということになるようだ。

1994.3.23 西衣山
ポジファイルをひっくり返すと、現役時代のモハ603の写真が出てきた。長電時代の貫通型運転台は伊予鉄入線時に既存の2輌と同じ意匠の中央運転台に改造され、すっかり伊予鉄の電車になりきっていたけど、裾の丸みや両開き2扉という側面の見付けは長電時代のままだった(長電時代の姿は『RM LIBRARY86 長野電鉄マルーン時代』をご参照のほど)。栗(マルーン)、りんご、そしてみかんと、果実色の衣装をまとい続けたこの電車が廃車になったのは、この翌年のことだったそうだ。
2007.2.15作成
LINK
これまでに収録した伊予鉄道関連の台車
TS-321A FS316 FS397 FS504 KH-53A KL-11 KL-11C
このweb上のすべての画像は個人でお楽しみになる以外の使用はできません。
馬込の台車アパート (台車日和)
← →
10月28日に公開された都営地下鉄の馬込車両基地。2004(平成16)年に旧工場から移転した車両検修場の中に入ると、金網で囲まれた巨大な施設が目に入る。よく見ると台車の格納庫で、さながら台車のアパートのようだ。最近のマンションなどの立体駐車場と同じように、リフトが上下左右に動いて指定の場所まで台車を運ぶ仕組みで、決して広くない工場内の場所を有効利用している。一昔前まで、工場内で台車といえば、建屋の裏手にシートをかけて置いてあるのが定番だったが、ここではすでにそういった光景とは無縁のようだ。


その前にはなにやらフォークリフトが。よく見ると小さな車輪が付いた軌陸車で、5300形のT台車(KD302A)を押している。以前は鉄道の世界でも入換用機関車でおなじみだったニチユ(日本輸送機)製で、バッテリー式フォークリフト“トランサー”がベースだがら、これも一種のバテロコ?

非電化の検修線での車輌の入れ換えにはこんな素敵な凸型機関車が用意されている。黄色ベースに5300形と同じ帯の塗装はかつての都電を思わせる。同型の1号機はE5000形と並んで留置されていたが、H級のE5000形よりも大きく見えた

メーカーであるトモエ電機工業のホームページによると25トンのバテロコで、幅2600mm、高さ3415mmというから、長さ以外は大江戸線サイズのE5000形よりも大柄なのだ。ちなみに新宿線と大江戸線の車庫にも入換用として同社製のバテロコがいるとのこと。東京にもまだまだ知られざる車輌は多い。 2006.10.30作成
このweb上のすべての画像は個人でお楽しみになる以外の使用はできません。
ピーチライナーの台車 (台車日和)
← →
桃花台新交通“ピーチライナー”。日本では珍しく編成に前後があることで有名だったが、最後尾の回送運転台の姿にはなかなか“味”があった。ある日、終点まで乗ると眼下に車庫が見えた。ライバルの高速バスが走る中央道のすぐ横。中央道は何度か通っているはずだが、これまで車庫の存在には全く気がつかなかった。
遊歩道から柵越しに車庫内を見る。当たり前だが、保線車輌もゴムタイヤだ。留置車輌は本線に背を向ける形で留置されている。車庫内には本線のようなループ線はないので、出庫するときは、最後尾の回送運転台を使用することになるようだ。

留置車輌の台車を見る。“ゆりかもめ”に代表されるような、現在の標準型の新交通システムは側方案内式だが、“ピーチライナー”は中央に案内軌条を持つ。これは日本車輌がかつて開発したVONAと呼ばれる新交通システムだそうで、他には遠く離れた山万ユーカリが丘線しかない。台車をよくみると銘板の文字が見えた。日本車輌ND-324(左)とND-324T(右)。ほとんどゴムタイヤしか見えないが、形式は鉄道車輌の“台車”であることを表している。構造はさっぱり見えないが、動台車には車体床下のモーターからプロペラシャフトで駆動する仕組みのようだ。

しばらく見ていると出庫の時間が来たようで、運転士さんが一通りの点検をしている。やがて本線では光ることない最後尾の前灯が点灯され、最後尾の141号を先頭に本線に向かって走り出した。 2006.10.1作成
このweb上のすべての画像は個人でお楽しみになる以外の使用はできません。
小田急ピポーの電車 (台車日和)
いつも台車近影をごらんの皆様、ありがとうございます。本サイトはおかげさまで開設一周年を迎えました。今後ともよろしくお願いいたします。
← →

三木鶏郎のCMソングを集めたマキシシングル「タララ プンカ ポンカ ピ」(9月6日発売)に、あの「小田急ピポーの電車」が収録されていると聞き、遅ればせながらCD屋に走りました。
今までにも三木鶏郎やザ・ピーナッツの全曲集などでCD化されたことがあるのでご存知の方も多いと思いますが、この曲は1961(昭和36)年に製作された小田急電鉄のCMソング。「ピポー」とはもちろん、3000形SE車の補助警報音を意味します。
この曲が製作された1961(昭和36)年はSE車の誕生から5年目にあたります。前年9月には箱根ロープウェイの全通によって箱根観光の回遊ルート“箱根ゴールデンコース”が完成しており、この曲の歌詞もロープウェイ、船、バスと、ゴールデンコースの乗り物と合わせて特急ロマンスカーをPRするものです。唄はザ・ピーナッツとボニージャックス。“速さ”を強調したスピード感たっぷりの曲調が、当時のSE車の快走ぶりを想像させる一曲です。 2006.9.22作成
「タララ プンカ ポンカ ピ~Sing with TORIRO!~ 」
価格:1,200円(税込) 販売元:ユニバーサル・ミュージック
このweb上のすべての画像は個人でお楽しみになる以外の使用はできません。
HISTORY OF THE J.G.BRILL COMPANY (台車日和)
← →
かなり前から気になっていた洋書『HISTORY OF THE J.G.BRILL COMPANY』をようやく購入しました。2001年8月の発売ですので、すでにお持ちの方も多いと思いますが、日本でも台車でお馴染みのブリル社の創設から終焉までをまとめたもので、著者のDebra Brillさんはブリル社の創始者John Geoge Brillの孫娘(!)にあたる方だそうです。
中には路面電車を中心とする鉄道車輌やトロリーバスなど、ブリル社の生み出した歴代の製品の公式写真を数多く収録しており、写真集としても充分に楽しめる内容。ボディは外国型でも、足下を見ると21E、27E1、27MCBなど、日本でもお馴染みの台車が並びます。多くの写真解説には台車形式の表記もあり、もちろん台車自体に関する記述も少なからずある...ようです。残念ながら私は辞書を片手に読み出したところですが、初期の私鉄電車や路面電車に興味のある方なら一見の価値があるものでしょう。
発売Indiana University Press(インディアナ大学出版局)、価格45.95ドル(A4判上製本、264頁)。紀伊国屋書店BookWebなどで取り寄せ可能です。 (K)

京都のN電をはじめ、日本にも数多くの足跡を残したJ.G.Brillの台車。これは京成電鉄宗吾車両基地に保存されているBrill27MCB2。1921(大正10)年の千葉線開通時に登場した20形が履いていたものである。 2006.9.6作成
このweb上のすべての画像は個人でお楽しみになる以外の使用はできません。
馬面のお菓子 (台車日和)
← →

今月のレイル・マガジン(277号)では高井薫平さんによる福島交通軌道線のスペシャルグラフ「福島の馬面電車」をご覧いただいておりますが、その福島交通軌道線に因んだお菓子「駅前路面電車」が地元のお菓子屋さんで発売されています。見た目はどら焼き風で中身もつぶあんですが、皮は黒糖を練りこんだスポンジ状のもので、ちょっと不思議な味わい。パッケージのイラストはなかなかリアルで、ちゃんと連結器が“朝顔”になっています。
お店は長岡分岐点…ではなく現在の福島交通飯坂線の車庫がある桜水駅近くの「種子屋」さん。飯坂線乗車の際のお土産にいかがでしょうか。 2006.8.22作成
このweb上のすべての画像は個人でお楽しみになる以外の使用はできません。
チョコ電、山交色に戻る (台車日和)
← →

昨年、山梨交通が戦時統合による設立から60周年を迎えたことを記念して、かつての電車線の車輌を模した記念品(写真上:ポリストーンモデルというそうです)を発売しましたが、そのモデルとなったモハ7形電車がお色直しされたと聞き、早速見てきました。
モハ7形(7・8)は1948(昭和23)年汽車会社製、1962(昭和37)年の山梨交通電車線廃止後、2輌そろって上田丸子、江ノ電と渡り歩き、1986(昭和61)年に廃車されました。その際、1輌がかつての沿線である増穂町の利根川公園に里帰りし、以来、立派な屋根の下に保存されています。数ある静態保存車の中でも幸運な1輌と言えましょう。

今回のお色直しでは保存以来の茶色一色から、山梨交通電車線晩年の塗装であるオレンジ色に戻されました。もともと山梨交通電車線は昼間は前灯を取り外していましたから、江ノ電で運転台を撤去されたこちら側からみると、江ノ電スタイルになった運転台側よりも、写真に残る山交での現役時代の姿に近い印象を受けます。

軸距:1650㎜ 車輪径:860㎜
軸箱支持:軸箱守(軸ばね) 枕ばね:板ばね
写真:2006.6.18 高橋一嘉
銀色に塗られてちょっと派手になった台車は車体と同じ汽車会社製。路面電車用のボールドウィンL形のように鋼鈑リベット組み立てによる台車枠ですが、下揺れ枕を省略せずに枕ばねの重ね板ばねを枕木方向に配しており、このあたりはやはり路面電車と郊外電車の中間ということでしょうか。
何はともあれ、40年以上も前に廃止された鉄道の電車が、こうして縁の地で大切に保存されているということは、誠に喜ばしいことです。 2006.8.13作成
参考文献
『RM LIBRARY5 山梨交通鉄道線回想録』花上嘉成(1999年 ネコ・パブリッシング)
これまでに収録した江ノ島電鉄関連の台車 TS-829A TS-830A TS-837B TS-838B
これまでに収録した上田交通関連の台車 PⅢ-708 TS-835
このweb上のすべての画像は個人でお楽しみになる以外の使用はできません。
博物館の台車6/オハ31のTR11を見る (台車日和)
← →
大宮に建設中の鉄道博物館収蔵車輌のうち、3月に大船から搬送されたナハネフ22に続き、今度は北国津軽からオハ31が搬送されました。
オハ31は1927(昭和2)年から製造された、日本では最も初期の鋼製客車です。国鉄から姿を消した後も津軽鉄道に譲渡された3輌が長く活躍し、晩年は“ストーブ列車”としてマスコミに取り上げられ有名になったので、実際に乗られた方も少なくない筈。今回収蔵されるのは、その津軽鉄道で保存されていたオハ31 1(旧国鉄オハ31 26)です。

オハ31が履く台車はTR11です。TR11とは大正8年度から昭和3年度までに客車および国電付随車用として製造された2軸長軸台車の形式で、年式や用途によって仕様が異なるようです。木造客車のものは戦後、オハ61などの鋼体化客車に転用され1980年代まで活躍していましたし、私鉄電車でも多く使用されましたので、古いながらも多くのファンに馴染みのある形式でしょう。
軸距:2450mm 車輪径:860mm
軸箱支持:軸箱守(釣合梁) 枕ばね:板ばね
写真:2006.7.4 大宮車両センター RM(新)

なかなか見る機会はないTR11の上面を端側から見ます。

同じく車体中央側から見ます。

大宮に搬入されたオハ31。古い半鋼製車体に雪国津軽の気候はあまりに厳しく腐食が進んでいたため、二つに分割してトラックに載せての搬送となりました。でもご安心を。これから一つにまとめて完全修復されるとのことです。来年10月には美しい姿を見せることになるでしょう。 2006.7.7作成/2006.8.10更新
参考文献
「台車とわたし 2.大正時代の客・電車用台車」高田隆雄
(『鉄道ジャーナル』№95所収 1975年 鉄道ジャーナル社)
『日車の車輌史 図面集 国鉄編 上』
日本車両鉄道同好部・鉄道史資料保存会(1998年 鉄道史資料保存会)
LINK
これまでに収録した国鉄客車用台車 TR11 TR73 TR53A TR55B TR60 TR230
このweb上のすべての画像は個人でお楽しみになる以外の使用はできません。
博物館の台車5/黄電に見る直角カルダン (台車日和)
← →

KH-10A
1957(昭和32)年、名古屋市営地下鉄の開業とともに誕生し、“黄電”として親しまれた100形電車の台車である日立製作所製KH-10Aが、名古屋市交通局のレトロでんしゃ館に展示されています。
軸距:1800mm 車輪径:762mm
軸箱支持:軸箱守(ウイングばね) 枕ばね:コイルばね
写真: 2005.11.23 高間恒雄

KH-10Aを上から見る
この個体は135号(1960年製)のものとのこと。博物館ならではの台車単体での展示のおかげで、主電動機の軸をレール方向に置き、ハイポイドギヤで車軸を駆動する、直角カルダン駆動の概念がよく判ります。車輪には市電で実績のあった弾性車輪を採用しており、内包するゴムの押さ板を止めるボルトが並びます。

レトロでんしゃ館には台車だけでなく、開業時から活躍した107+108号も保存されています。ウィンザーイエローと呼ばれる黄色一色の塗装は今見ても実に鮮やか。その他、同館には市電3形式(1400形、3000形、2000形)も保存されています。名古屋にお出での際には是非お立ち寄りを。 2006.6.16作成
名古屋市 市電・地下鉄保存館「レトロでんしゃ館」
名古屋市営地下鉄鶴舞線赤池駅下車(2番出入口から徒歩約7分)
詳しくはレトロでんしゃ館ホームページをご覧ください。
参考文献:
『日車の車輌史 図面集-戦後私鉄編』
日本車両鉄道同好部・鉄道史資料保存会(1998年 鉄道史資料保存会)
『日車の車輌史 写真・図面集-台車編』
日本車両鉄道同好部・鉄道史資料保存会(2000年 鉄道史資料保存会)
このweb上のすべての画像は個人でお楽しみになる以外の使用はできません。
博物館の台車4/仙台市電保存館 (台車日和)
← →

NK-71
仙台の市電保存館に展示されているモハ400形用のナニワ工機製NK-71です。仙台市電モハ400形は1960(昭和35)年から4次に分けて計15輌が誕生、車体外観こそ“軽量”“簡易”な設計であった都電8000形の影響を受けたものでしたが、その内6輌の足回りは仙台市交通局独自の軸梁式台車を履き、駆動方式にも直角カルダン駆動が採用されるなど、意欲作と言えるものでした。

反対側から見たNK-71
保存館の説明文には「落ち葉や積雪によるスリップを少なくする工夫が施されたほか、減速機は、自動車用歯車を使用し、部品の調達を容易にして保守性の向上を図りました」とあります。車輪径は動輪を690㎜、従輪を510㎜として車端側の従輪を小さくした構造、また軸距は1800㎜ですが、心皿の位置を動軸から800㎜として動軸側に偏心させています。
NK-71を履いたのは1957(昭和32)年ナニワ工機製の408~410号で、この個体は410号のものとのこと。直角カルダン車の残り3輌は1956(昭和31)年新潟鐵工所製の405~407号で、こちらは新潟鐵工所製NP103を履いていましたが、構造はNK-71と同様だったようです。
写真:2001.7.14 高橋一嘉

NK-71を挟んで並ぶ保存車123号と415号
奥に見える415号はモハ400形でも最後期の1958(昭和33)年に製造された411~415号のうちの1輌。駆動方式は吊掛式に戻り、台車も軸ばね式となっています。仙台市電にとってはこれが最後の新造車となりました。
日付からもお分かりの通りこの保存館を訪ねたのは5年前のことなのですが、保存車の状態の良さには驚かされました。右は仙台市電の1号。これだけ状態の良い木造単車は、国内ではなかなかお目にかかれないものではないでしょうか。ちなみに1号の運転台に運転士のような人影が見えますが…これはマネキンです。
仙台市電保存館
仙台市営地下鉄富沢駅下車徒歩10分
詳しくは仙台市電保存館ホームページをご覧ください。
参考文献:『路面電車ガイドブック』東京工業大学鉄道研究部(1976年 誠文堂新光社)
2006.5.9作成
このweb上のすべての画像は個人でお楽しみになる以外の使用はできません。
博物館の台車3 / “走るホテル”20系 (台車日和)
正確にはまだ博物館入りしていませんが、「鉄道博物館」に収蔵されるナハネフ22 1が履くTR55Bです。ご存知の通り、国鉄20系客車は1958(昭和33)年に誕生し、当時は“走るホテル”と謳われたブルートレインの始祖。当初の台車は客車用としては初めて本格的に空気ばねを採用したTR55でした。
写真のナハネフ22 1は1964(昭和39)年10月ダイヤ改正での<富士><はくつる>運転開始に合わせて誕生したもので、この時すでに20系の台車は改良が重ねられTR55Aを経てTR55Bに進化していました。ナハネフ22 1は東北方面を中心に活躍しましたが、国鉄末期の1986(昭和61)年に廃車となり、その後大船工場(後の鎌倉総合車両センター)に保管されてきました。これが幸いして鉄道博物館入りが決定、3月29日未明に修復整備のため大宮総合車両センターに陸路移送されたものです。

収蔵後はおそらく見ることの出来ないであろう、台車の上面。

長年住み慣れた鎌倉総合車両センターから搬出作業中のナハネフ22 1。「鉄道博物館」は2007年10月14日に開館の予定。どのような姿での展示になるのか、期待が膨らみます。
写真:2006.3.28 鎌倉総合車両センター RM(中)
参考文献
「20系固定編成客車のすべて」岡田誠一
(『鉄道ピクトリアル』№763所収/2005年 電車研究会)
2006.4.6作成
LINK
これまでに収録した国鉄客車用台車 TR11 TR73 TR53A TR55B TR60 TR230
このweb上のすべての画像は個人でお楽しみになる以外の使用はできません。
博物館の台車2/玉電デハ200形 (台車日和)

TS-302(両端M台車)
電車とバスの博物館に保存されている、東急玉川線デハ200形電車の台車です。1955(昭和30)年に登場したデハ200形電車はM台車、T台車とも510mmという専用の小径車輪を使用しており、これにより床面高さ590mmという低床構造を実現。この記録は、国産車での動台車上の数値としては、2004年に長崎電気軌道3000形電車が誕生するまで、実に49年間も更新されることはありませんでした。
両端のM台車は枕ばねは台車枠上に直接コイルばねを配する構造で、軸距は1500mm。軸箱支持は軸ばねにコイルばねを使用せず、軸箱の上部および左右が台車枠とゴムばねにより接合したものですが、台車枠は車輪の内側に配されるため、外からはほとんど見えません。また、2基の主電動機は平行カルダン方式で駆動されますが、小径車輪ゆえに小歯車と大歯車が届かないため、間に遊び歯車が介されています。
TS-501(連節T台車)
一方、連節部のT台車は、電車用の連節台車としては国内では他に類を見ない1軸台車です。曲線通過時には車体と心皿とのリンク機構によって常にカーブの中心方向に向くよう操舵される構造で、ウイング ばね状に配されるコイルばねによって懸架されています。

電車とバスの博物館に保存されている204号。 写真:2005.11.16 高橋一嘉
参考文献:
「タルゴ君の夜話」飯島 巖(『世田谷のちんちん電車』/1984年 大正出版)
『東急電車形式集.3』(1997年 レイルロード)
「玉電200形その技術」守谷之男(『鉄道ピクトリアル』№749/2004年 電気車研究会)
2006.3.9作成
このweb上のすべての画像は個人でお楽しみになる以外の使用はできません。
博物館の台車1/名古屋市電3000形 (台車日和)

連節台車
名古屋市電の連節車、3000形の台車です。路面電車の連節車と言えば圧倒的な数を誇った西鉄のものが知られていますが、名古屋市電ではそれらより以前、戦時中の軍需工場への工員輸送や、戦後の輸送力不足に対応するため、1941(昭和16)~1948(昭和23)年の間に3形式36編成の2車体連節車を投入しました。その中で唯一現存するものが、このレトロでんしゃ館に保存されている3003号です。
3000形は1943(昭和18)年から10編成が木南車輌で製造されたもので、台車も同社製。両端は以前紹介した1400形(現・豊橋鉄道モ3100形)のものと同じように1個モーターで出入台側を従軸として車輪径を小さくしたものを履きます。一方、連節部は2個モーターで、2車体1編成あたり50馬力のモーターを4基装備しています。
写真: 2005.11.23 高間恒雄

1970(昭和45)の引退から35年以上を経てもなお美しい状態を保っている3003号。同館では他に1421号、2017号のほか、地下鉄100形2輌、そして100形用の台車(単体!)を展示している。
名古屋市 市電・地下鉄保存館「レトロでんしゃ館」
名古屋市営地下鉄鶴舞線赤池駅下車(2番出入口から徒歩約7分)
詳しくはレトロでんしゃ館ホームページをご覧ください。
参考文献
『名古屋の市電と街並み』日本路面電車同好会名古屋支部(1997年 トンボ出版)
2006.1.31作成
LINK
これまでに紹介した名古屋市交通局関連の台車
これまでに紹介した路面電車関連の台車のリンク
このweb上のすべての画像は個人でお楽しみになる以外の使用はできません。
信濃路台車めぐり3/長電2000系 (台車日和)
長野に来たからにはやはり長野電鉄のロマンスカー2000系を見なければなりません。2000系のうち1957(昭和32)年登場のA・B編成と1959(昭和34)年増備のC編成は下の写真のM台車:NA-4P/T台車:NA-4を、また1964(昭和39)年増備のD編成はM台車:NA-315/T台車:NA-315Tを採用しました。しかし、A編成は営団3000系の発生品のFS510に振り替えられ、またB編成が引退となった結果、現存する3編成はそれぞれ別形式を履いています。

NA-4P(M台車)
日車製NA-4系台車は京王デハ2700形(1953年)から採用された日本車輌初のプレス鋼鈑溶接組立の軽量台車です。NA-4Pはカルダン駆動のもので、長電2000系のほか、富山地方鉄道モハ14770形(1955年)、モハ14780形(1956年)、秩父鉄道300系(1959年)に採用されました。また、気動車用のNA-4Dも常総筑波鉄道キハ42002(1954年)、キハ48000形(1957年)で採用されましたが、現在ではそのほとんどが姿を消しています(写真は引退前のB編成モハ2003のもの)。

NA-4(T台車)
NA-4系台車のオリジナルは、軸箱上の「釣合テコ」から軸ばねを天秤状に釣り下げるゲルリッツ式に近似の方式を採っていたそうですが、現在はご覧の通り軸ばねを下から受ける一般的なウイングばねに改造されています。

湯田中を発車する引退前のB編成。スイッチバック式の構内も過去のものとなりました。
写真2005.6.19/2005.11.20 高橋一嘉
2005.12.27作成 2006.10.5更新
参考文献:
『日車の車輌史 写真・図面集-台車編』
日本車両鉄道同好部・鉄道史資料保存会(2000年 鉄道史資料保存会)
『2000系ロマンスカー説明書』長野電鉄株式会社
これまでに紹介した長野電鉄関連の台車へのリンク
長野電鉄2000系ミニ・ディテールファイル
このweb上のすべての画像は個人でお楽しみになる以外の使用はできません。
スタバ風? (台車日和)
← →
321系の取材で西明石へ向かう<ひかり>の車中、車販のおばさんにコーヒーを頼むとこんな蓋が付いてきました。スタバをきっかけに今や自販機のカップコーヒーにまで飲み口のついたキャップが付いてくるご時勢ですが、これもやはりその流れなのでしょうか。ちなみに帰りの<のぞみ>では普通のフタでした。
このweb上のすべての画像は個人でお楽しみになる以外の使用はできません。
信濃路台車めぐり2/須坂のOSカー (台車日和)
← →
次は長野電鉄へ。鉄道・道路併用橋として有名な村山橋は架け替え工事の真っ最中ですが、新しい橋も併用橋になるとのこと。完成する頃には元小田急のHiSE車も入線しているはずですから、新たな長電を象徴する光景が生まれるかも知れません。

さて、かなり覗き込み気味なアングルですが、須坂で見かけたOS10系の台車、日本車輌製のNA-36です。1980(昭和55)年製ながら下揺れ枕を吊っています。『日車の車輌史』によれば、このプレス鋼鈑溶接組み立ての台車枠は国鉄キハ40系のDT44と同じプレス型を使用しているとのこと。しかし、揺れ枕吊り、そしてコイルばねとの組み合わせによってDT44とは全く違った独特の雰囲気になっています。
ちなみに、1966(昭和41)年登場のOS0系のNA-18は揺れ枕吊りを省略したインダイレクトマウントでした。14年後に登場した2代目で旧来の方式に戻ったことにはどのような理由があったのでしょうか。(つづく)

残念ながら2003年に引退したOS10系だが、今だ須坂駅構内に留置されており、現役時代とほとんど変わらない姿を保っている。 写真:2005.11.20 須坂 高橋一嘉
参考文献:
『日車の車輌史 写真・図面集-台車編』
日本車両鉄道同好部・鉄道史資料保存会(2000年 鉄道史資料保存会)
2005.12.6作成
このweb上のすべての画像は個人でお楽しみになる以外の使用はできません。
信濃路台車めぐり1/上田の金剛石 (台車日和)
秋の休日、<あさま>に乗って信濃の国に行ってきました。まずは新生なったばかりの上田電鉄。内側ディスクブレーキのパイオニア台車、PⅢ-708を見に行ったのですが、いつの間にか更新が進んでいたようで…上田駅で待っていると見慣れた軸ばねのついた台車を履いた7200系が入ってきました。残念ながらこの日はPⅢを履いた車輌は動いておらず、上の写真は下之郷で留置の7551を遠望したもの。
とは言え、東急時代の帯なしの姿を再現した7254+7554が運用に入っており、秋晴れの塩田平を行く正調ダイアモンドカットの美しい姿を見ることができました。(つづく)

帯なしとなった7554+7254。このTcはTS-835に履き替え済み。
写真:2005.11.20 舞田-八木沢 高橋一嘉
2005.11.21作成/2005.11.28更新
これまでに収録した東京急行電鉄関連の台車へのリンク
これまでに収録した上田電鉄関連の台車
山梨交通モハ7形用 TS-708(PⅢ-708) TS-835
このweb上のすべての画像は個人でお楽しみになる以外の使用はできません。
鍋焼きタルト/一文字菓子店 (台車日和)
← →
須崎銘菓「鍋焼きタルト」です。実はキハ32のDT22Gを撮影した須崎には、『全国縦断 キモウマ!! ご当地フード 』で紹介した一文字菓子店の「鍋焼きプリン」(須崎名物・鍋焼きラーメンを模したプリン)を食べに行ったのですが、かなりの人気商品のようで、夕方とあってもう売り切れ。残念と思っていると、他にも「鍋焼き~」があるそうで、その一つがこの「鍋焼きタルト」です。これがなかなか美味で、お土産に編集部に持って帰ったところ、早々になくなってしまいました。
一文字菓子店へは須崎駅を出て直進、突き当りを左に行ってすぐ。それにしても、ショーケースに飾ってあった「土鍋入り鍋焼きプリン」(直径19cm!)は圧巻でした。
このweb上のすべての画像は個人でお楽しみになる以外の使用はできません。
台車公園 (台車日和)
← →
DT12と言えば、モハ40、42、51系などが履いた、戦前型旧型国電の代表的な台車です。このDT12が展示されている公園があると聞き、出かけてきました。
場所は静岡県富士市の新通町公園の一角です。この公園は新幹線電車を日本で初めて展示した公園だそうで、今でも0系の先頭車(21形59号)が保存されており、そのまわりにはターンテーブルまで備わる本格的なライブスチームの線路(エンドレス2週分)もあります(第2日曜日に運転)。
肝心のDT12は………さすが大きな0系の前でも負けない位の存在感があります。工場内では時折見かける台車単体での展示ですが、公園というのはあまり聞いたことがありません。しかし、普段はなかなか見ることが出来ない吊り掛けモーター(のケース)やブレーキロッドの配置、枕ばねの構造などをつぶさに観察できるのは嬉しいところ。その辺りに興味がある方は一度見て損はないでしょう。
ただ残念なのは、オブジェとしての展示という性格なのか、解説文が一切ない点です。場所柄、身延線の旧型国電が思い浮かびますが、国鉄の工場から運んできたはずですから、そうなると履いていた電車を特定するのは、今となっては困難でしょう。
DT12のとなりには何故か旧国のものと思しき密連が。よく見ると…天地逆です。
場所は岳南鉄道ジヤトコ前駅から徒歩15分程度。通りを西(市役所方向)に向かって進み、裁判所の角を右に曲がったところです。岳南鉄道に訪問の際には是非お立ち寄りを。
(高橋一嘉)
2005.10.3作成
このweb上のすべての画像は個人でお楽しみになる以外の使用はできません。




湯田中駅の改札口。なかなか粋です。
