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2005年10月

2005年10月23日

★フェラーリ イン ザ バブル 第14回 下降線

(前回からつづく)
 90年4月から不動産融資の総量規制が始まり、土地を担保にすれば追加融資が常に受けられるという状況は終わっていた。
 土地価格の下落と歩調を合わせて、スーパーカーの価格はゆるやかな下降線を見せる。ただし当初は、早々に見切りをつける人がいる一方、経済は再び上昇に転じるはずだという見方も有力で、下がったところを買って儲けようという人も多かった。
 なにしろ90年当時は、「バブル崩壊」などという言葉自体が、まだほとんど使われていなかったのだ。
 株のピークは89年末だったが、土地が急速に値を下げるのは、91年、地価税の創設、農地への宅地並課税、土地譲渡益課税の強化などの税制が矢継ぎ早に成立してからだ。
91年になりようやく「これは、バブル経済の崩壊というものらしい」という認識が、徐々に世間一般に広がり始める。もちろん、スーパーカーの値も暴落に向かっていった。
「私が最後に2億で入れたF40は、値段を下げても売れなくて、もうこうなったら自分で乗っていようと思って、確か2年くらい、2万8000km乗ったんですが、ええと、売ったのはいつだったか‥‥」
 切替氏は再び売上伝票の束を引っ繰り返した。 (以下次回)

投稿者 MJブロンディ : 2005年10月23日 23:20

2005年10月19日

★フェラーリ イン ザ バブル 第13回 ピーク

(前回からつづく)
 著名なコレクターとは、マツダコレクションの松田氏だと言われている。正規価格の3倍以上の金を出しても今すぐ欲しい、というムーブメントが、当時はあったのだ。
「それから‥‥、F40については、89年12月、2億2000万円で売ってます。この頃はもう、かなり天井に近いでしょう」
 まさに、日経平均株価が史上最高値を記録したのと同時期だ。
「それから、90年3月には、テスタロッサ4500万円というのがありますね」
 切替氏はそのテスタの売上伝票を私にチラリと見せてくれた。買主はなんと、キャステルオートの鞍さん。つまり業販だ。業販で4500万ということは、売値は5000万円以上だっだろう。
「90年は、4月に328が2150万。同じく4月に365GTCを4950万で売っています。GTCは今、500万から700万くらいですよ。6月にテスタロッサが5000万。ピークはこのあたりまでだな」
「では、一番高く売ったフェラーリは?」
「車種はもちろんF40ですが‥‥、90年2月に2億6000万円をつけていますね。その次に40を売った時は2億4800万円に落ちています。ピークは90年前半でしょう」
 フェラーリバブルの頂点は、株より少し遅れて、90年前半に来たようだ。 (以下次回)

投稿者 MJブロンディ : 2005年10月19日 21:02

2005年10月10日

★フェラーリ イン ザ バブル 第12回 3万8915円

(前回からつづく)
 ところで、フェラーリ・バブルの頂点は、いったいいつだったのか。日経平均株価が史上最高値(3万8915円)を付けたのは89年の年末大納会だが、フェラーリはどうだったのか。
 それを確認するために、再度私は土浦のレーシングサービス・ディノを訪れた。
 フェラーリ・バブルの頂点について、はっきりしたデータが欲しいという私に、切替氏は年次ごとの売上伝票のファイルを引っ張り出してくれた。
 88年、日本人初のF40オーナーとなり、当時、“フェラーリの神様”とまで言われたディノの切替徹社長は、「あの頃は本当にすごい時代でした。私ももうひとつビルを建てようかと思ったくらいでね」と、笑った。
「私が始めてF40を入れたのが、88年後半でした。初めてイタリアに行ったとき、お世話になったディーラーで、いつかフェラーリの最高峰を買いたいと思っていたんです。昔、部品を買いにきてお金が足りなかったような私が、男になりたいと思って、リリースされて間もなかったF40を買いに、勇躍乗り込んだんです。
 ところが、ディーラーの人たちは、はっきりは言わないんですが、『残念だけど、これはキミには買えないよ』って顔に書いてあった。なにしろ1億3000万円でしたから。
 当時でも、その値段は常識外れと言われました。定価4500万円のクルマに1億3000万も出すなんておかしい、と。
でも私にっとっては、商売じゃなかったんです。それまでフェラーリ一筋できた自分へのご褒美のつもりでした」
「でも、結局それより高くなったんですよね?」
「そうです。そのF40は、半年後、ええと89年3月ですね。1億3800万円で転売しています。買ったのは、コーンズからの納車が遅れて、待ちきれなくなった著名なコレクターの方でした」 (以下次回)

投稿者 MJブロンディ : 2005年10月10日 12:41

2005年10月 4日

★フェラーリ イン ザ バブル 第11回 288×5

(前回からつづく)
 ところで、バブル絶頂期、銀行の融資攻勢を受けていた江戸川区のO氏は、その後どうしたのだろう。
鞍氏は語る。
 「結局、お客さんは、銀行の熱意に寄り切られて10億借りる事になっったんです。で、私はそれを全部、預けられました。
 相談の結果、当時まだ新しかった288GTO(1984~1986年 273台製造)を買い付けようという話になったんです。値上がりが見込める限定車でしたし、オーナーの好みでもありましたから。
 当時、288GTOの相場は75万ドルでした。1ドルが150円でしたから、1台1億です。 
 早速リサーチすると、7台くらいの情報が集まったんです。ロンドンの車屋、ニースの車屋、デトロイトのコレクターの車、ニューヨークの車屋などなど。マフィアが出てきて、危ない目に遭ったこともありました。
 ともかく5台の288GTOを,世界中飛び回ってかき集めたました。その他、275GTB、F40を2台、ポルシェ959、512BBなど、全部で10台くらい買いました。後にも先にも、一人のお客さんにこれだけの車をまとめて売ったことはないですね。そういう時代だったんです」 (以下次回)

投稿者 MJブロンディ : 2005年10月 4日 17:16

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