オートトップニュース特集ブログショッピング自動車図鑑雑誌サイトホビダストップ

« 2005年11月 | トップ | 2006年1月 »

2005年12月

2005年12月24日

★フェラーリ イン ザ バブル 第22回 「そんなバカな!!」

(前回からつづく)
 その頃、正確には92年の春、トヨタ自動車のエンジニアから八王子の『オートギャラリーヨーロッパ』の営業部員へ転職した榎本修氏は、想像を絶する環境の変化に見舞われていた。
「それまで、まっとうなサラリーマンだったわけじゃないですか。ところが僕が入った店は、当時、どうしようもない状態でした。僕がいた1年弱の間に、まともにクルマを売ったのは2~3台ですよ。誰も働かないんです。僕を入社させてくれた営業部長も、たまに3000万円で仕入れたディーノを1200万円でさばいたりして、家賃や経費の元手を作る程度のことしかしてませんでした」
 当時の世相を、榎本氏はこう振り返る。
「あの頃、92年当時は、まだ景気復活の望みを捨てきれていない時代でした。三重野日銀総裁が公定歩合を引き下げるらしい、という噂が流れると、おお、これで景気が復活するぞ、と希望的観測が浮かぶんです。まさかこのまま下降し続けるなんてありえない、そんなバカな!! という思いがあったんです」 (以下次回)

投稿者 MJブロンディ : 2005年12月24日 09:34

2005年12月17日

★フェラーリ イン ザ バブル 第21回 遺産

(前回からつづく)
 こうしてバブル経済は終わり、多くのスーパーカー業者が屍を晒した。
 しかし、残ったものがある。わずか数年間のうちに日本に持ち込まれた多数のフェラーリだ。
 79年から85年までの7年間に日本に輸入されたフェラーリは、合計わずか332台だった。それに対してバブル期は、
86年‥‥136台
87年‥‥284台
88年‥‥385台
89年‥‥333台
90年‥‥447台
91年‥‥596台
 正規・並行併せて、6年間で合計2181台も輸入されている。これが、日本のフェラーリ界にとって、巨大な資産となった。
 私が最初に買った90年式348tbも、90年に並行輸入された中の1台で、当時は正規価格約1700万円に対して2500~3000万円の値が付けられていた。しかし結局私が買った値段は、車両本体で1100万円に過ぎなかった(と言っても人生捨てる覚悟で買ったのだが)。
 バブル経済が日本に運んできたフェラーリたちは、その後「フェラーリの大衆化」という、まったく新しい風を吹かせることになる。その登場人物の中に、この私もいるわけである。 (以下次回)

投稿者 MJブロンディ : 2005年12月17日 10:08

2005年12月11日

★フェラーリ イン ザ バブル 第20回 放出

(前回からつづく)
 ではその後は、どうやって商売をしたのか。
「クルマの相場はどんどん下がりましたけど、下がった分、安く見えるんです。みなさん、前の値段を知ってはるでしょう。だからずいぶん安くなったと思って、結構買ってくれたんです。もちろんそれからも値段はずーっと下がり続けたんですけど、パッと値段を見たら『安い』って思う。その繰り返しでした。91年、92年頃はずっとそうでした。
 それから、まとめ買いがよくありました。たくさん在庫を持ってて苦しいところとかが、いっぺんに処分するのを、まとめて安く買うんです。たとえばF40と959と288を3台セットで買ったりするんです。知り合いの業者同士3人で、まとめて10台買ったこともあります。そうすると1台で買うより安く買える。それを1台づつばらして売ったんです。
 バブルの頃は、大企業とか銀行も、投資として結構スーパーカーを買ってたんですよ。誰でも知ってる一流の大企業もです」
 ちっとやそっとではビクともしない一流企業の場合は、値段が下がってもすぐに放出する必要はなかった。しかし、いくらなんでもこのまま持っていても値を戻す気配はゼロだし、保管代もかかるということで、数年後にようやく放出したりした。
「95、96年くらいいまで、そういう在庫の放出がたまにありましたねえ」 (以下次回)

投稿者 MJブロンディ : 2005年12月11日 19:53

2005年12月 3日

>★フェラーリ イン ザ バブル 第19回 分かれ目

050726 018小.jpg (前回からつづく)
 89年ということは、本山氏はスーパーカー販売業参入から1年もたたず、バブル崩壊に見舞われたことになる。「90年の頭に、4000万円でテスタロッサの新車を買ったんですよ。それは、八王子の業者さんがコーンズからの割り当てを持っていたもので、正規の値段は2200万円ですが、私はそれを4200万で買うという業者を見つけていたので、4000万で買うことにしたんです。
 ところが、いざ買ってみたら、4200万で買うと言っていた相手が『本山さん悪い、それ買えないわ』とキャンセルしてきた。それで困って、いろんな業者さんに電話したんです。
 ディノの切替さんにも電話しました。ところが切替さん、『1600万から1800万がいいところですね』って言うんですよ。私が『4000万で入れたんですよ、それはないでしょう』と言ったら、『本山さん、2200万のクルマをよくそんな高く買いますね』(笑)。切替さんはよう知ってはりました。もうダメだって」
 結局そのテスタロッサは、なんとか4000万円で売り抜けることができたという。つまり、90年の半ば、バブル崩壊の兆候が現れた頃は、それを素早く察知していた人と、まったく察知できずにいた人に分かれていたわけだ。
 本山氏も「頂点は90年半ばだったでしょう」と言う。 (以下次回)

投稿者 MJブロンディ : 2005年12月 3日 16:55

« 2005年11月 | トップ | 2006年1月 »