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2006年1月

2006年1月31日

★In front of the Ferrari ダイハツ・エッセの巻 その4

 エッセだと、ちょっと近所に出かけるのがすんごく便利でした。別にプジョーだってそれなりにコンパクトだし不便はないんだけど、やっぱり幅が1475ミリで、5ナンバーサイズより225ミリ狭いのは心理的にデカい! ホントにゲタ感覚で使えるから、出かけるのがなんだか楽しくて。コインパーキングでも、左右が余りまくるから駐車も楽だし乗り降りも楽。自宅の車庫でも、家屋との間に楽に自転車が置ける。ああ、幅が狭いってスバラシイ。
 軽自動車という存在も、心理的に楽だったなぁ。“弱者”になった気分っていいなあ! 多少のことは目をつぶってもらえるみたいな安心感があって。別に悪いことしたわけじゃないけど。いや、多少路駐はしましたがスイマセン。

 1週間乗ってみて、唯一の不満はドアミラー。せっかく幅が狭いのがイイのに、立派で幅が広すぎ。「X」には、ベンツみたくウィンカーまでついてて、さすがにゴージャスすぎだろ。ドアミラーの幅をあと3センチづつ詰めてもらえないか。そうすりゃ左右で6センチ幅が狭くなるっしょ。デカいよこれは!

 一家でエッセに乗ってラーメン食べに行った時、長男にも採点させました。
「カッコだけでいいから採点しろよ」
「うーん、難しいなあ。‥‥40点」
「へえ、結構辛いね」
「だって、そんなに高い点数あげたら、好きなのと差がなくなっちゃうじゃん」
 家内は「70点。でもいいね。欲しいね」と、軽のファンになってました。
 私は88点です。
 動力性能は、660ccのNAっってことを考えたら文句なしだ。軽メーカーの想像を絶する気合を感じた。まさに極限の世界だ。
 ただ、さすがに足回りはぷにゃんぷにゃんですな。
 このぷにゃんぷにゃんさで、ギリギリの線で快適性とコストのバランスを出してるんで、一概に「もっとスポーティに」なんて言えないけどね。ぷにゃんぷにゃんはぷにゃんぷにゃんなりに楽しかったし、コーナーではぷにゃんぷにゃんなりに踏ん張ってくれたし。それなりに見事に仕上がってる、と言えばいいかな。
 燃費は、高速(ほぼ渋滞ナシ)と街中合計で、リッター14キロ。かなり条件は良かったんで、リッターカーなら16キロくらい走ったと思うけど、まあ及第点かな。アクセルを深く踏み込むと燃費が劇的に悪化するし、特にNAの場合、アクセル全開でもハーフでも加速は大差ないんで、ハーフでトルクを生かして(?)走るのがポイントって感じでした。
 ダイハツは、ミッションをCVTにすれば、燃費でリッターカーを逆転できるって言ってたんで、それはそれで今後に期待しよう。(つづく)

投稿者 MJブロンディ : 2006年1月31日 10:05

2006年1月29日

★In front of the Ferrari ダイハツ・エッセの巻 その3

 ダイハツはこのエッセを、「シンプルをとことん追求した」と言ってます。実に素晴らしいです。値段も、最廉価版の「ECO」は68万2500円だし。
 ただし、我が家に来たのは最上級グレードの「X」だったので、十分にゴージャスでした。車両本体92万4000円に、オプションが約9万円で、合計100万円ちょい。それでも、トールワゴンタイプに比べると全然安いから許す。ゴージャスではあるんだけど、余計なものもほとんどついてない。つまり、ほぼちょうどいいってことだな。
 シンプルなセンターメーターは、無邪気に「かわいいじゃん!」って感じでした。「X」だけはATが4速なんですが(他は3速)、これも、高速を走る機会が多い我が家には、騒音や燃費面でありがたかった。3速バージョンもファイナルが高いからそんなに問題ないだろうけど。
 高速走っても、動力性能的にも快適性の面でも、何のストレスもなかったっすよ! しかも男3人乗車で首都高。全然オッケーじゃんか! 660ccとは思えないトルクだ。ロングストローク化が効いてるぜ。うーん、ダイハツの新エンジン恐るべし。
 
 家内も、軽に乗った経験はほとんどなかったんで、エッセには衝撃を受けてました。
「全然広いし、いいね!」
 家内の知り合いの奥様(愛車・BMW3シリーズ)も、初体験の軽自動車に「軽ってこんなに広いんだ」とビックリしてたそうで、杉並区の主婦2名の会話。
「軽って、何ccなの」
「えっ? えーと、百何十ccじゃなかったっけ」
「えーっ、まさか。百何十ってことはないでしょう」
「そっか。じゃあ、1200とか、それくらいかな」
「うん、きっとそうね」
 東京の人間って、本当に軽を知らないんです‥‥私含めて。
 ついでに家内に尋ねてみました。
「うちのフェラーリは何ccだと思う」
「え~‥‥。3000くらい?」
 惜しかったです。
「360だから3600だよ」
「え、そうなんだ! あれって意味があったのね」
「いや、モデルによって意味はバラバラなんだけど」
「‥‥なんで?」
 痛いところを突かれました。(つづく)

投稿者 MJブロンディ : 2006年1月29日 09:54

2006年1月27日

★In front of the Ferrari ダイハツ・エッセの巻 その2

RE_19.jpg 前回、エッセのスタイルはルノー5のパクリと書きましたが、それについての新たな発見。
 私は、エッセに乗ってる時、「もし今、目の前をルノー5が通りかかったら、あ、仲間だ~、と思って、嬉しくなるだろうな」と思ったんですよ!
 サンク側にすりゃ、「ケッ、ニセモノが‥‥」と思うでしょ? でもね、ニセモノ側は、そんなこと全然意識してないんです。
 ミニのパクリのミラジーノに乗ってる人も、本物のミニを見りゃ、無邪気に「仲間だ~」と思うんだろうな。
 本物に乗ってると、ニセモノに対する軽蔑が湧くけど、ニセモノに乗ってる側は、本物に対するコンプレックスなんて全然なくて、ひたすら無邪気なんですね。
 ダイハツディーラーへネイキッドを買いに訪ねて来た元祖ミニオーナーに、ダイハツのディーラーマンが「ああいうのがお好きでしたら、ウチにもこういうのがありますけど」って、ミラジーノを勧めたという話があって、聞いた時は呆れ返ったけど、ダイハツ側にすれば、本当に善意で言ったんだなぁ、罪悪感とか劣等感なんてないんだなぁ、ということがわかりました。
 時計やブランド物のニセモノについても同様。ニセモノ側には、ニセモノであるという劣等感なんかない。ただ、本物側がムカついてるだけなんね。
 ってことは、フェラーリのレプリカに乗ってる人も、本物に対する罪悪感や劣等感なんてないんだよね。そこには無邪気な憧れがあるだけなんだろうな。(つづく)

投稿者 MJブロンディ : 2006年1月27日 11:36

2006年1月23日

★In front of the Ferrari ダイハツ・エッセの巻 その1

 今回から、これまでとは全然別の主旨の内容で行かせていただくことにした「MJブロンディのWEB歳時記」。題して「In front of the Ferrari」。我が家の車庫の、フェラーリの前のスペースのことです。
 最近、自分の閉じた自動車世界に安住しているのではないかと反省し、積極的に広報車を借りて、いつもはプジョー306カブリオレがあるフェラーリの前のスペースに置き、勉強させていただくことにしたんです。つまりその短期試乗生活記ですね。
 真っ先に借りようと思ったのは、軽自動車です。試乗会や撮影で軽に乗ることはあっても、生活を共にしたことはほぼ皆無でした。軽こそ、不肖ワタクシにとって最も遠く、最も未知の世界だったのです。

 そして、1月16日。プジョーを実家に預け、ダイハツ・エッセが我が家の車庫の、やってきました。
 乗る前からなんだかヤケに楽しみでしたが、乗ってみて、目から鱗が落ちまくりました。エッセってば素晴らしいんだもん!
 まずこのくすんだブルーのボディカラーがいい。エクステリアはモロにルノー5のパクリですが、ミニのパクリ(ミラジーノ)は許せなくても、ルノーのパクリは許せる。だって日本じゃマイナーだから!
 なにより、ムーブやワゴンRなど、軽の主流・トールワゴンタイプに比べると、断然シンプルで無駄がない。車重720kgとボディが軽いから、NAでもトルク不足をほとんど感じません(ちなみにムーブだと840kgくらいある)。
 トールワゴンタイプでNAモデルに乗ると、明らかにトルク不足で激遅で、アクセル全開また全開になるんで燃費も驚くほど悪いってな悪循環にはまって、結局「これならリッターカーの方が10倍いいじゃん! 軽なんて税金安いだけで全然ダメじゃん!」っていう結論になってたんですが、エッセには軽の原点が生きてました。(つづく)

投稿者 MJブロンディ : 2006年1月23日 17:31

2006年1月17日

★フェラーリ イン ザ バブル 第25回 原点へ

051121_1835~01.JPG(前回からつづく)
 そして93年。榎本氏は、ナイトインターナショナルの望月社長に「うちに来ないか」と誘われる。
 望月氏は、裸一貫から泥にまみれて稼ぎあげた金を元手に、中古バイク屋→中古ポルシェ・ベンツ専門店→中古ポルシェ専門店と成り上がってきた人物だった。そのうちたまにフェラーリも扱うようになり、榎本氏が328を仲介したのをきっかけに、彼をヘッドハンティングした。
「社長は、『竹ちゃん(榎本氏の当時の苗字は竹本。その後婿養子に行き榎本姓に)、うちでフェラーリ屋やろうよ』と言ってくれました。それで移ったんですが、僕はナイトに来て初めて、現金でフェラーリを仕入れて、利幅を乗せてそれを売る、という仕事をすることができました。八王子時代は、あれだけ苦労して10万円の利益しか出せなかったものが、同じ労力で何倍もの利益が出せるんです。これぞ仕事!! と思いましたね。
 ナイトに来てからは、ひたすら誠意をもって堅実に商売をしたいという思いでいっぱいでした。もう路頭に迷いたくなかったんです。潰れた同業者もたくさん見てましたから、浮ついたことをしたらすぐにおまんまの食い上げだっていうのが身に沁みていました」
 バブル崩壊で、客を食い物にボロ儲けしていた業者は、多くが資金繰りに窮し、徐々に淘汰されていった。もちろんまだ“中古フェラーリなんてシロートは絶対に手を出してはいけない危険なもの”という固定観念は根強かったが、業界は徐々にクリーン化に向かって行ったと言える。
「ナイトでは328を中心に扱ってました。93年当時で、値段は1200万くらいだったでしょうか。その頃から、ごくたまにでしたが、サラリーマンのお客さんがやってきて、フェラーリのためにこつこつ貯金していたんです、って感じで、虎の子の頭金で328や308を買って行かれるようになりました。
 それまでは、フェラーリを買うお客さんといえば、あまり堅気とは言えないタイプばかりだったんですけど、ナイトに来てからは、自分の同類が来てくれるようになったんです。僕もスーパーカー世代じゃないですか。スーパーカーに対する思いは同じだったんで、これこそクルマ屋の原点だ!! って思いましたね」

 93年初夏。榎本氏がナイトに入社して間もなく、当時ベストカーの編集者だった大石氏が雑誌広告を見てナイトを訪問、308GTS QVを購入した。
 大石君は私に、「ナイトというお店なんですが、とても安いんですよ。清水さんのクルマも探してくれるよう、言っておきましょうか?」と言ってくれた。
 1週間後。私のもとに、ナイトの竹本店長なる人物から、きわめて丁重かつ調子のいい電話があった。
「清水様でらっしゃいますか。すっばらしい348tbが入ったんですよ!!」
 それは、後に知ったのだが、ミウラ商事が新車並行で入れた90年式348tbだった。輸入直後にバブルが崩壊し1年半ほど倉庫で寝かされていたが、92年2月に売却され初登録(当然店は大赤字)。しかし買主の会社も間もなく怪しくなり、回転資金にするためナイトに売却‥‥という運命をたどってきたクルマだった。
 竹本店長は続けた。「大石様のご紹介ですし、早速ご覧になっていただきたいと思いまして!!」
(おわり)


 「フェラーリ イン ザ バブル」は、これで完結です。ご愛読ありがとうございました。次回からはまったく別のテーマが始まります。どうかよろしく。

投稿者 MJブロンディ : 2006年1月17日 19:13

2006年1月13日

★フェラーリ イン ザ バブル 第24回 サバイバル

050214 002小.jpg(前回からつづく)
「僕が入社したときにはもう、会社にはまったくお金がなかったんです。在庫処分は営業部長の仕事だったので、新入りの僕なんかノータッチです。つまり、新規の仕入れなんてまったくできないんです。
 それで僕がどうしたかと言いますと、雑誌のスーパーカーの広告を見て、ひたすら下手に下手に、電話をかけまくったんですよ。『八王子のオートギャラリーヨーロッパと申します。突然お電話してこんなことを伺うのは大変失礼なんですが、広告にあったあのおクルマ、業販なんてことはお考えになっていないでしょうか』。そんな感じです。
 そうすると、ほとんどの場合は断られるんです。『業販なんかやらねぇよ』『いきなり失礼なやつだな』くらいは当たり前です。でも、めげずに電話し続けるんです。
 そうすると、たまに『考えてやってもいいよ』と答えてくれる店がある。じゃいくらで業販してくれるのかというと、広告の値段よりほんのちょっと安い程度がいいところなんですけど。
 でも、そう言ってくれればしめたもので、『ありがとうございます。ちょっとばかりあてがありますので、またご連絡させていただきます』と言うんです。もちろんあてなんかまだ全然ないんですけど。
 で、今度はまた雑誌の広告を見て、脈がありそうな店に電話をかけまくるんです。『八王子のオートギャラリーヨーロッパと申します。○○が入るんですが、ご興味ありますでしょうか』ってな感じです。
 で、値段を刷り合わせて、売主の店に『○○○○万円ではちょっとキツいんですが、○○○○万円でしたらいいというところがあるんですが、いかがでしょう』というふうに交渉して、最終的に値段の差が10万円でもプラスなら仲介するんです」
 この厳しい環境が、榎本氏の営業力を鍛えていった。榎本氏は現在でも努めて下手に出るお調子者風の営業スタイルを続けているが、それはこの当時培われた。
「下手に出るのは、当時の上司だった営業部長のコピーでした。『客をいい気分にしてやれ!!』というのと、『男はベルサーチでキメろ!!』(笑)というのがその部長の教えでした。実は部長、ほとんど仕事のできない人でしたけど、いいところだけ盗みましたウフフフフ~」
 それにしても、スーパーカー屋が雑誌を見て電話して、仲介できるクルマを探すとは、まさに末期症状である。
「別に上にそうしろって言われたわけじゃないです。なにしろ元手がありませんから、そうやって稼ぐしかなかったんです。そういう方法で月に7~80万円は利益を出してました。もちろんそんなふうに働いてたのは、店で僕だけでした。僕が僕も含めた下っ端社員4人分の給料、基本給20万円くらいでしたけど、全部稼いでいたっていう自負はありますね。10万円利益を出すと、僕には歩合で確か5000円くらい出ました。5000円です。今でも原点はそれです。僕は今でも5000円でも儲かれば、どんな努力でもします」
 そうやって話をまとめたときには、えもいわれぬ達成感があったという。 (以下次回)

投稿者 MJブロンディ : 2006年1月13日 11:20

2006年1月 5日

★フェラーリ イン ザ バブル 第23回 根拠のない希望

040914 011.jpg(前回からつづく)
 確かに当時、景気はまたいずれ近いうちに浮上するはずだという根拠のない希望があった。経済は生き物だ、沈むときもあれば浮かぶときもある、そろそろ浮かんでくるぞ、また土地は値上がりするぞ、ということで、今こそチャンスだとマイホームを取得する人も多かった。スーパーカー相場も同じだった。
「3000万で仕入れたディノを、思い切って早い時期に1980万で売りに出していれば傷は浅くて済んだんでしょうが、中途半端に2500万くらいの値をつけて売れなくて、しょうがないから『いずれまた浮かぶさ』って感じで放置して結局1200万で出すという、最悪の事態を招いていたんです。93年にはもう、ジ・エンドの雰囲気になりました。もうダメだ、もう希望はないって」
 そんな状況で、榎本氏はどんな仕事をしていたのか。 (以下次回)

投稿者 MJブロンディ : 2006年1月 5日 11:18

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