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2007年3月31日
“正直”をモットーとしたセールス兵時代の思ひ出
某編集部様からのご依頼により、セールス兵時代に経験したことを思い出す必要に迫られたので、昔の資料を調べていたら、このようなチラシが出て参りました!
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自分は、11年前にホンダ車のセールス兵として、ホンダ車の販売任務の最前線に立ち、値引き要求客と戦っておりました。これは、その時に作成された自分の宣材チラシでありまして、夜な夜な住宅街を徘徊し、これを郵便受けに投函していたものであります。その効果は皆無でありました。とゆーよりむしろ逆効果だったことでしょう。
これでも弱冠23歳。当時は、年齢を聞かれて「23歳です」と答えると、32歳を逆にして答えるというような、大阪人が好きな古典的ギャグと受け取られ、信じてもらえなかったものであります。免許証をみせてはじめて信用してもらえる、という状態でありました。
在籍中、インテグラ7台(Type R1台)、CR-V5台、ステップワゴン5台、オデッセイ4台、オルティア3台、セイバー1台の合計25台を販売するという戦果を挙げ、今日のホンダ技研工業様の繁栄の礎を築くことに貢献。一時は月間受注台数で店舗トップ(たったの7台ですが…)となることもあったなど、ド新人セールス兵としてはまずまずの実績を残し、将来を嘱望されましたが、客からの執拗な値引き要求(関西圏のそれは半端ではありませぬ)と、RV車だらけの商品展開傾向に嫌気がさし、1年で除隊しました。
ハタチで免許を取得した自分は、購入した2台のスバル車(ヴィヴィオとインプレッサ)によって四輪兵器の楽しさに目覚め、どうしても四輪兵器に関わる仕事に就きたくてたまらなくなり、それまで在籍していた超一流ホテルを辞めてセールス兵に志願したのであります。
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ホンダのセールス兵の戦闘手法は完全にマニュアル化されておりまして、入隊後はすぐにビジネスホテルに3日ほど泊まり込むほどの、徹底した新人訓練を受けました。
「クルマ好きのお客様にはVTECの話題を中心に話を進める」
「T車とはブレーキフィーリングが異なるということを、注意しながら説明する」
などといったことを教育されたので、自分は忠実に実践しました。ウラ若き婦女子や主婦を相手にしても、VTECの機構と官能性についての話を懇々と説き、T車のON/OFFスイッチ的なカックンブレーキを積極的に批判。T車よりはホンダ車のほうが、踏力に応じたリニアな効き味を得られるという美点を、時には自宅に訪問してまで説いて回りました。ピンポーンを鳴らす飛び込み営業を行う場合のトークでも同様であります。
ですが、当時のホンダ車は他社と比べてボディ剛性感が低く、自慢のWウィッシュボーンはすぐに底付きして乗り心地はしなやかさに欠け、直列5気筒を縦置きにしたFFミッドシップセダンはトラクションが抜けやすいなど、そういった短所も包み隠すことなく客に説明していました。セールス意欲よりも、ジャーナリズム魂を優先したのであります。そのせいか、「月販ゼロ」という、セールス兵にとってあるまじき失態もやらかしました。
どうせなら愛するスバルを売りたかったのでありますが、当時の大阪/奈良のスバルへの就業には大卒の壁があり断念。マツダにも食指を伸ばしましたが、求人票に“セールス一人につき1台の貸与車を支給する”と書かれていたことが決め手となり、ホンダベルノ●●に志願したのであります。「NSXは無理としても、官能的VTEC搭載車を四六時中堪能できるかも!」と、そんな甘い目論見を持っていました。
めでたく採用され、最初に貸与されたのは、SOHCの1600cc(最後のキャブレター仕様!)のDC2。丸目四灯ヘッドライトの先代インテグラ5MTでありましたが、貸与された三日目あたりに生駒の山中にてクラッシュし、全損させてしまいました。マリオ高野、生涯唯一の全損クラッシュであります。自分のインプレッサと同じ勢いでコーナーに進入したら、まったく曲がらずガードレールを突き破り、「なんて曲がらないクルマなのか!? インテグラはダメだぁぁぁ〜!」と憤慨しました。入社二週間目ぐらいのことでした。その1600ccインテは最廉価仕様のヘロヘロな足回りに加えて、タイヤがズルズルに減っていたのでありますが、経験が浅かった自分には、それらの要点を認識することができなかったのが敗因であります。16インチのピレリP700Zに履き替えたばかりの、まだ現役バリバリだったインプレッサと同じ感覚で生駒のコーナーに挑んだのは、あまりにも蛮行でありました。
先輩に積載車を動かしてもらい、会社に戻ると、烈火のごとく怒り狂った上司に5時間ぐらい説教され、泣きました。会社で怒られて泣いたのは、それが最後であります。いっそクビになってスッキリすることを希望しましたが、「辞めるならインテグラ1台分の利益をあげてからにせよ!」と言われ、クビにはなりませんでした。その後は罰として、廃車寸前のクイント・インテグラ(初年度登録は昭和)に乗ることを強制されました。査定ゼロの下取り車として入庫したもので、15万キロオーバーの二個イチ車でありましたが、これに積まれていたのが知る人ぞ知るホンダの傑作名機「ZC」エンジン! コレがことのほか快調で、太めのシフトノブでゴクッと決まる5MTの操作フィールも相まって、結果的には丸目四灯インテグラよりも運転を楽しめる貸与車を得られたのでありました。足腰とボディは腐っていましたが、心臓だけは20代! という感じであり、これには半年以上乗りました。
これは、保険の料率を算出するための特殊な計算機であります。
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この計算機により保険を学び、「損害保険代理店 自動車単種目普通資格」を取得しました。四輪免許と共に、自分の数少ない資格のひとつであります。
当時書いた日記を紐解くと、
「経理の女子が使ってる初代To day、重ステながら4MTのフィールは秀逸」
「今日も客が全然来ないので、クイントで信貴山〜国分を意味もなく5往復した」
「今月もボーズになりそうな予感だが、周囲の人も全然売れてないので、ノルマプレッシャーが軽減されてありがたい」
「平城宮跡の近くの原っぱで、クイントのサイドを引いてリアを流す練習をしたら、スタックして焦った」
「リアシートの広いクルマを探してるというから、アバロンを教えてあげた。そしたらその客からお礼の電話があった!」
「Newインプレッサは280馬力になった! これでまたランエボに差を付けた!」
「“インプレッサを売ってロゴを買え!”と言われて、今日も辞めたくなった」
「冬のボーナスが支給される日をもって辞めることにしたら、“お前なんかこの先何をやってもダメだ!”と、副社長は口角から泡を飛ばして怒鳴った」
などという記述しかなく、セールス兵として持つべきモチベーションが皆無であったことがわかります。セールス兵には不向きな自分でありましたが、自分と商談した客の多くは、その人にとって本当に良いものを買うことができたはずであると自負しております。ホンダ車に限定せず、その客の要望に最も適したモデルを推薦しましたから。
今夜は長々と失礼いたしました!
それではまた明日! 敬礼!
投稿者 MJブロンディ : 2007年3月31日 23:57














