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2007年09月30日
嗚呼、素晴らしい哉四輪兵器報道戦線! であります!
第二次上方電撃戦を敢行するにあたり、同時に長距離長時間テストを行いたいと存知ます! 走行目標は2000km!
よくよく考えてみると、自分はこれまで最初に買ったヴィヴィオ以外、スバルの軽自動車をじっくり操縦する機会がありませんでした。それゆえ今どきのスバルの軽が良いのか良くないのかよくわからないので、この機にそれを探求させていただく所存であります。
ところでこれは、現行オデッセイ。
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栃木県の某宇都宮市にある某H社の某F車の取材現場にて、カメラカーとして使用するためレンタカーをお借りしたものであります。
現行オデッセイを操縦したのは実に久しく、約3年ぶりぐらいでありましたが、オデッセイの素晴らしさを再確認するにいたりました。今回借りたレンタオデッセイは走行距離1万キロにして、おろしたての広報車さながらのグッドコンディションを維持しており、広報車と市販車の間には、性能と品質の差がまったくないことをあらためて確信しました。まぁ、当たり前といえば当たり前なのでありますが。
運転中、全域にわたり「オデッセーって、こんなに良かったっけか!?」 と驚いたであります。二等兵的史上最高ミニバン。あの「ムルティプラ」と直接乗り比べがしたいと思いました。
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このように、テストコースの周回路でウルトラ完璧な直進安定性と堅牢なボディ剛性感を発揮したのをはじめ、ワインディングを再現したテクニカルコースでもスポーツカーのように気持ちよく走れました。
走行中はカメラカーとしての本分を忘れ、主役である新型F車の存在が希薄になってしまったほど運転が楽しかったであります。
「ホンダのミニバンはなんて素晴らしいのだろう!」と感嘆の意を漏らしてしまいました。
そしてこれは、他媒体さまが新型F車との比較用にご用意された広報車両軍団。自分は編集者時代、他媒体様が借りられた広報車を撮影するのが得意でありました。
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新型車が登場する時は、それのライバル車をカラめようとする他媒体様が異様に多いため、ライバル車を借りようとしても先約が入っていて借りられないケースが多いのでありますが、試乗会などの現場へいくと、自分が用意したかったモデルはたいがい来ているので、労せずして思い通りの写真が撮れることがあるのであります。
希望した広報車を調達することができないのは、自分の企画立案、およびその段取り手配が遅いことに尽きるのが敗因なのでありますが、スキをみつけては自分がお借りした試乗車と、なにげにカラめて撮ったりしました(たまたま隣に置いたフリをするなど)。
こうした撮影方法は、「かっこう撮り」と呼ぶのだと、先輩に教わりました。当然ながら撮影の制約事項は増えますが、撮れないよりはマシなのです。広報車を動員する経費と労力は他媒体様のものなので、まさに「かっこう」と呼ぶに相応しい戦術であります。赤貧媒体ゆえの知恵ともでいいましょうか。
話は変わって、これは首都高株式会社様の取材で遭遇したドライバー様。
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真実は定かではありませんが、どうやらこのお方は運転がご専門っぽい感じでした。手にはめたドライビング手袋がカッコイイであります。こうした「ドライビング手袋」は、職業ドライバーほど愛用率が高いように見受けられます。
手のひらが汗かきな自分は、指先が出るタイプのドライビング手袋を大変重宝しており、かつては運転中以外も四六時中はめていたほどでありましたが、こうしたドライビング手袋を日常的に装着するのは、一般的にはダサイと評されるという事実を最近になって知り、しばらくやめておりました。
ですが、首都高のプロドライバー様のこの勇姿を見て、純粋に「格好良いやん!」と思い直したので、また着用を再開しようと決意した次第であります。
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これは、四輪兵器メディア部隊に入隊してから半年後くらいの自分であります。当時の同僚である横山氏は、自分より9歳も年下ながら、自分よりも半年早く入隊している関係で、当初は先輩として敬っておりました。
死にたいぐらいに憧れた四輪兵器メディア界での任務は、想像していたものよりも数百倍たのしく、月にムックを3冊ほど発行する際の不眠不休も、自分は苦になりませんでした。
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この当時に在籍していた雑誌の発行部数や実売数は、ここではとても書けないものであり、「自分の書いた記事は、もしかしたらこの世で50人ぐらいしか読んでないかも知れない・・・」という寂しさが常につきまといました.
それでも編集部内は「楽しい雑誌をつくろう!」というモチベーションに溢れていたのであります!
先日、自分が愛してやまなかった「Cada」誌の元編集部員のお一人とお会いすることが叶い、意見交換しました。
その中で、「超絶に良い雑誌でも、運命の悪戯によってあっけなくその命を絶たれることがある」ということを知ったのでありますが、自分が在籍していたこの雑誌も、自分が除隊してから数ヶ月後に廃刊と相成りました。
今にして思えば、自分はこのように、入隊当初からシフトフィールのチェックを入念に行っていたのであります!
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写真の雰囲気もキャプションの内容も、今となんら変わっていません。
ふと冷静になると、「この5年間、自分はまったく進歩していないのでは?」という不安に苛まれますが、バックトゥザ・ベーシックの精神を忘れないこともまた、自分は大事であると信じます。
ちなみに、服装は今も昔もかわっていません。
ただし、「嬉しさの感情表現方法」は、多少進化したような気がします。
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5年前の笑顔にはまだ堅さが見られます。笑顔に注ぐ気合いが甘いのであります。ここに自分の成長ぶりをようやく発見することができ、深く満足しました。
次期型の登場も近くなったアコードでありますが、この当時はでたばかりの新型で、特にユーロRは何度もお借りして綿密にチェックを行いました。自分たちが気に入ったものを強くオススメしたい! その一心に尽きる入魂の記事でありました。
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この時、「総合評価」の原稿においてユーロRを「買いだ!」と評された横山氏は、後になって本当に自腹でユーロRを購入されました。その事実に、この雑誌の「ジャーナリズムの真実」が見えるような気がします。なのにこの雑誌はなぜ誰にも売れなかったのか・・・! その理由は皆目見当もつかないでありますが、横山氏はその後、一転して30万部完売媒体へ栄転されました! 数千部から30万部に飛躍されたわけであります!
そしてこれは、首都高・晴海線の建設現場。
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その日は、マリオ二等兵の生涯において、もっともジャーナリスティックな一日でありました。なにより、建造中の首都高の壮絶な景観にはおおいに萌えました!
「巨大建造物に萌える」のは男の本能であると断言します! 四輪兵器メディア軍人の本懐、ここに極まり!であります!
「建造途中の高速道路の高架上を歩く!」という、空前にして絶後の体験を得ることも叶いました。これから新しく建つ首都高は、軽く100年以上の耐用年数を誇るとのこと。
人類が持つ近代建築技術の粋を結集して造られている、首都高の建造物としての価値の素晴らしさを目の当たりにしたこの日のことを、まだ見ぬ「未来の孫」に自慢したいものであります。
四輪兵器メディアの歴史が動いた“その時”に、敬礼!
投稿者 MJブロンディ : 2007年09月30日 08:59


