2005年6月30日
ブライトンのホテルとクーパーさん
▲ブライトンのホテルから見たピアと海
昨日も書いたように、今回の英国ツアーで久しぶりにブライトンのホテルに泊った。前に泊ったのは――もう15年ほども前になるが――ミニ・クーパーのチューニング・キットの取材でジョン・クーパー・ガレージを訪ねたときだった。その近くの宿泊地として泊ったのが、ブライトンのホテルであった。もう、当時どのホテルに泊ったかは忘れてしまったが、今回と同じ海辺にあり、早朝に砂浜に出て、ゴルフのクラブの素振りをした記憶がある。
かつて、F1のコンストラクターとして名を馳せ、その後ミニにチューニングを施した「ミニ・クーパー」でも一世を風靡したジョン・クーパー・ガレージは、当時はホンダのディーラーとなっていた。赤ら顔で元気なジョン・クーパーさんは、既に60歳をすぎていたが、とても元気で、我々が提案したクーパーのチューニング・キットの件を喜んで受け入れてくれた。取材の後、当時始めたばかりのゴルフを、クーパーさんのホーム・コースでやったのだが、今思うと、日本から突然来た若造とよくプレイしてくれたなあ……と自分のずうずうしさにも呆れる思いがする。
クーパーさんとは、その後も良い関係が続き、ミニの30周年や、35周年のイベントなどでも、何度もお会いした。彼の作ったミニのチューニング・キットが切っ掛けでミニの人気は再び高まり、今日の新型ミニへとうまく受け継ぐことが出来た。クーパーさんは残念ながら、数年前に亡くなられたが、今は息子さんのマイケル・クーパーさんが、新型ミニのチューニングを行っている。
ブライトンは、私にとって、クーパーさんとの思い出の地として忘れられないのである。
投稿者 笹本健次 : 2005年6月30日 16:59
2005年6月29日
英国のホテルの朝食について

昨日のグッドウッドの話は、実は一日前に掲載する予定でいたが、ブライトンのホテルのネット環境が悪く、無線LANが弱くて写真が送れなかったので、順延となってしまった。それでも、ヒースローの空港でもトライし、ラウンジから何とか原稿と写真3枚までは送ることができたが、遂にタイム・アップ。とうとう一日休みになってしまった。海外のネットの状況によっては、全く、送れないこともあるので、今後は不定期のお休みも仕方ないと思う。
ところで、今回泊まったホテルを含め、英国のホテルは一般的に言って、ディナーの良し悪しはあっても総じて朝食はおいしい。塩のきいたソーセージとベーコンは最初かなりショッパク感じるのだが、慣れるととてもうまい。必ず用意されている茶色いビーンズも、はじめは酷くまずいと感じたものだが、今では無いと変に感じるようになってしまった。同様なのが焼いたトマトのスライスで、これもなぜついているのか考えると奇妙なものである。
これにお好みでエッグ料理と、薄くスライスしたトーストがつく。私は食べないがきのこがつくこともある。写真でお見せしたのが、今回のホテルのもので、ほぼこれと同様の朝食が英国内のどこでも食べられる、と思って良い。英国には、もうすでに3~40回は出張しているが、私の経験だと、美味い夕食にありつけるのは、だいたい40%ぐらいの確率である。たとえ前の晩、ガッカリして寝ても、この朝食で救われる、というのが英国旅行の私のイメージである。
もちろん、英国の食事が全てまずい訳ではなく、ビックリするほどおいしいレストランにも、何回か行った経験もある。でも、その確率は他の国に比べれば、確実に少ないのが残念なことだ。
投稿者 笹本健次 : 2005年6月29日 15:22
2005年6月28日
グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードを見た

▲メイン・アーチの下を走りぬけるフェラーリ250GTO
グッドウッドに来るのはこれが2回目になる。
とにかく、まず驚くのは広大な敷地に物凄い数の人がくることで、その数なんと、3日間で15万人とも言われている。実際に現地にいってみると、まず駐車場から会場までがとても遠い。やっと着くと、広大すぎて地図を見ないと何処に何が有るか、さっぱり分からない。という訳で、初めての人は、取り敢えず2時間ぐらいひたすら歩いてやっと全貌が判る、という感じだ。
しかし、約1.8kmのヒルクライム・コースの両側に巧く、ピットや展示場を設け、そこでは現役のF1ドライバーや、懐かしの名レーサーに直に会える。しかも、往年のマシンはもちろん、今年実際に戦っているF1マシンまでがコースを走る、という企画は世界中の何処にもなく、さすがにモータースポーツの本場のイベントだ、と圧倒される。
今年は日本のメーカーとして初めてホンダがイベントのメイン・テーマに選ばれた。これは、1960年代から世界のレースに積極的にしていたホンダのモータースポーツの歴史が、欧米に高く評価されたからだろう。グッドウッド・ハウス前に造られた巨大なモニュメントを見て、改めてホンダの長い間の努力に感動した。
個人的には2001年のモテギでフェラーリF1に乗ってもらって以来、久しぶりに佐藤琢磨君と出会えたことや、かのミック・ドゥーハンと記念写真が取れたことが楽しかった。もちろん、パドックを歩けば興味深いクルマばかりで、結局クタクタに疲れるのだが、だからこそ、イベントは面白いのだ。
なお、イベントの詳細はカー・マガジンの来月号に掲載される。お楽しみに。
投稿者 笹本健次 : 2005年6月28日 11:20
2005年6月24日
今、成田空港にいます

▲成田空港のANAのラウンジから見える風景。けっこう、面白いクルマが空港ではたくさん働いています。
今、成田空港のANAのラウンジでブログを書いています。
今回の旅は、英国グッドウッドで毎年開催される、グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードの取材です。先週はハワイ、そして、週明けに旭川、そして今日からイギリスということで、その間にいくつか取材される方もあり、会議もありで、さすがにやや疲れ気味です。でも今回のグッドウッドは、どうしても見ておきたいイベントです。
というのは、日本のメーカーで始めてメイン・タイトルとしてホンダが選ばれたからです。歴代のF1を始めとするレーシング・カーやマン島などで活躍したレーシング・バイクが数多く出場するはずで、当時の懐かしいドライバー達も姿を見せると思います。それを思うと、疲れも吹っ飛ぶ気がします。
来週は現地の様子をお知らせします。
投稿者 笹本健次 : 2005年6月24日 11:12
2005年6月23日
レクサスのプロトタイプに乗りました

今週の月曜に北海道士別に行き、トヨタ自動車のテストコースでレクサスのプロトタイプの試乗会に参加した。
今回試乗したのは、IS250、IS350、GS350、GS430の4車種で、簡単に言ってしまえば、ISはアルテッツアのモデル・チェンジ版、GSはアリストのモデル・チェンジ版である。しかし実際には、レクサス・ブランドのプライドをかけて造りこんだ、全く別次元のクルマである、と開発陣は主張したいだろうし、実際に乗ってみて、私も欧州のプレミアム・カー・メーカーの製品に充分対抗できるだけの素質を持ったクルマであると確認した。
特にボディ各部の合わせや、サスペンションのしなやかさ、動力性能の素晴らしさ、室内の静粛性など、特筆すべき事はとても多い。デザインは比較的おとなしく、もう少し存在感の主張があってもいいのかな、とも思ったが、上品で、特にISはスポーツ・サルーンとしては、とても良いバランスだと思う。
試乗後の夕食のおり、開発陣の皆さんと「高級車とは何ぞや」という激論を交わしたのだが、とにかく日本独自のアイデンティティを創造しよう、という意気込みは熱く伝わってきた。
レクサスの発表は8月下旬が予定されている。お楽しみに。
投稿者 笹本健次 : 2005年6月23日 20:17
2005年6月22日
ネコ・パブリッシングの由来

私はねこが大好きである。
子供の頃から、家には犬もねこもいたが、どちらが好きかといわれれば、断然ねこである。実家のねこは、田舎でたまたま敷地が広かったこともあり、ほぼ自然繁殖に近く、最大で13匹までになった。写真は丁度、この3匹が生まれて、トータルで13匹となった時のものである。
私がたしか高校時代だったと思う。受験勉強の折など、ねこが机の教科書の上に丸まって寝てしまっていたり、布団のなかに2匹ぐらい入っていたり、というのがあたりまえであった。その後は、大学で上京し、下宿住まいとなり、なんと、ねこの毛のアレルギーになってしまったので、現在は飼ってはいないが、相変わらずねこは好きである。
ところで、ネコ・パブリッシングの由来であるが、会社設立の時、大至急名前を考えなくてはならなくなったのだが、全くいい名前が浮かばず、それなら、好きなネコという名にすれば、覚えやすくて、変わっていて良いのでは、という理由でつけてしまった。当時は、現在のような規模の会社になるとは思わず、何気なくつけたのだが、あまりにも変な名前なので、これまで何回訊かれたか判らないぐらい由来を聞かれ、その都度、呆れられているのである。
でも、今更、変えられないでしょ!
投稿者 笹本健次 : 2005年6月22日 20:43
2005年6月21日
お寿司の話 その2

▲サバとシロイカ。何れもうまい。
当社の社屋は、現在、目黒区の碑文谷にあるが、5年前までの8年間ほどは、世田谷区の弦巻にあった。この弦巻の時代に私は寿司の本当の旨さを知った。
というのは、弦巻時代、私の部屋はビルの2階の一番北側にあり、その通りを隔てた向かいに小さな寿司屋があった。この寿司屋は名前を「寿司正」といった。引越し当初は、どんな味かわからず、何となく敬遠していたのだが、ある日、意を決して寿司正の暖簾をくぐってみた。すると、なんと、とても旨いのである。
特に冬場にほんの一時期しか出ないヤリイカの透明な美しさとコリコリとした歯応えの良さ、また、シメ鯖の絶妙な味の良さなどは、この寿司正ならではの物で、すっかり気にいってしまった。それから、頻繁に行くようになり、ご主人ともとても仲良くなってしまって、少々のワガママは聞いてもらえるようになった。
当時、私が何回かお願いしたワガママの極めつけは、平日の夜の2時間、貸切にして、ノルマを達成した編集部全員を呼び、食べ放題をやったことだ。若い社員達は私の若い時と同様、寿司屋のカウンターに座るチャンスはそうあるものではない。まして、彼女を連れて暖簾をくぐるのは、なかなか勇気がいるものだ。だから、私がこの提案をしたとき、みんな諸手を上げて賛成した。焼肉の食べ放題は、どこの会社でもやると思うが、それを寿司屋でやる、しかも旨い寿司屋でやるところがとても贅沢であった。
ここまで、読んで読者の皆さんは、いったい御代はいくらになったのだろう、おそらくタネは全部なくなってしまっただろう、などと想像したと思うが、実はご主人のサービスもあったのだが、意外と御代は安く、タネもなくならなかったのである。なぜなら、寿司はシャリがついているので、思ったほどは食べられないのである。でも、毎回みんなとても満足してくれたことを覚えている。社員から希望があれば、この企画はまたやってもいいと思っている。
社員のみなさん、どうですか?
投稿者 笹本健次 : 2005年6月21日 10:53
2005年6月20日
お寿司の本を読みました

▲寿司正で、気に入っているタネ。左から、中トロ、シマアジ、ヒラメ。
ハワイへの行き帰りの飛行機の中で、一気に3冊読んだのが、すし屋のおかみさんのうちわけ話の文庫である。3冊とも実際に寿司屋に嫁いでおかみさんとなった、佐川芳枝さんという筆者が記したうちわけ話で、自分の寿司体験を思い出しながら、楽しく読了した。それで、つい、昨夜は私の永年のお馴染みである、世田谷弦巻にある寿司正に行ってしまったが、季節を問わずお寿司は本当においしいと思った。
私のお寿司原体験は、まだ小学校に上がる前、よく父親が飲んだ後に、折り詰めの寿司をおみやげに持ってきてくれた事で、眠い目をこすりながら食べたのを思い出す。その頃の折り詰めは、シャリがやたら大きかったのを憶えている。その後は、ごく稀に寿司屋に連れて行ってもらうだけで、殆どは出前の寿司桶しか縁がなかったのだが、大学に入り、上京して下宿住まいを始めたある日、父親と兄と3人で食事をしようという事になり、父親が“一度、銀座の最高級の寿司屋に連れて行ってやろう”と言い出した。
私の実家は、前にも記したとおり、旅館をやっているので、将来の勉強ということがあったのだろうが、実に興味シンシンであった。余談になるが、私の父親は大学が京都であったために、当時、祇園で散々遊んでいて、大学の卒業写真などを見ると、芸妓11人と学生10人で写っている、というような時代を過ごしてきていた。もちろん、その頃は、学士さまはみんな“出世ばらい”だったようである。戦後、旅館を継いだ後も、仕事柄、食べ物にはうるさく、全てが徹底した本物嗜好であった。だから、山梨に居ながら、銀座にも詳しく、息子達も大きくなったので、そろそろ本物の凄さと怖さを教えようか、といったところだったと思う。
なんという名前かは忘れてしまったが、ビルの一角にある寿司屋にはいると、山梨の寿司屋とは大違い。全てが洗練されていて、ルールも判らず、カウンターで何を注文していいやら、戸惑ったのをおぼえている。なんとも落ち着かずにシャリの極端に小さい握りを5~6種類食べ、外に出てから勘定書きを見せてもらうと、なんと3人で、いまの物価に直すと10万円を越えていた。いったい将来、こんな寿司を自分の稼ぎで食べられるようになるのだろうか、と漠然と思ったのを憶えている。おそらく、そう思わせるのが、父親の目的だったのだろう、と今になって思うのであるが。
その頃は、本当の事を言うと、そんなに寿司が好きではなく、どちらかと言えば、肉ばかりを食べていたのだが、30歳を過ぎた頃から好みが変わってきて、寿司が妙に口に合うようになってきた。そして、寿司屋に足繁く通うようになるのだが、その後の話はまた明日。
投稿者 笹本健次 : 2005年6月20日 12:09
2005年6月17日
ハワイでゴルフをする

今日までがハワイ島での滞在となるが、昨日、新型ロードスターの試乗も終えたので、今日は一日オフということになり、フォー・シ-ズンズ・リゾートに付属するフアラライ・ゴルフ・コースで18ホールのプレイをすることになった。
同伴者は、マツダの広報担当役員の若山さん、カー・オブ・ザ・イヤーの選考委員の金井さん、モーターマガジン社の役員の清水さんの3人で、皆さんかなりの腕の持ち主。先日のブログに書いたような状態で、果たしてちゃんとしたゴルフができるのだろうか、とかなり心配であった。
ゴルフ場備え付けの貸しクラブはキャラウェイのセットで、かなり程度が良い。練習場で少し打ってみると、あまりミス・ショットが出ず、顔は個人的には好きではないが、なかなか良いクラブだと感じた。ラウンドは、いつものとおり前半は41で回ったのだが、後半はやはり踏ん張れずに、46となってしまった。しかし、カートがフェアウェイに入れるので、日本のゴルフに比べれば疲れ方は半分だろう。
結局、ハワイ島特有の溶岩がコースの左右に、時には真ん中に在ったりするのだが、ボールは1球もなくさなかったのだけが良かった、と思う。なぜか私以外の人はいつもの調子が出ず、パープレイで回ることもある金井さんが92、バンカーの上手な清水さんが88、若山さんが98というスコアであった。
海外のゴルフ場にいって、すぐに良いスコアを出すのは、実際のところ、なかなか難しいと思う。
投稿者 笹本健次 : 2005年6月17日 19:32
2005年6月16日
新型ロードスターに乗りました

昨日到着したハワイ島のフォウ・シーズンズ・リゾートに引き続き泊まっている。
今日は、いよいよ新型ロードスターに試乗する日だ。天気は晴れ。朝からハワイ特有の強い日差しで、おそらくかなり日焼けしてしまうと思う。私はどういう訳か、日に焼けると、鼻だけがすぐに赤くなってしまって、とてもカッコ悪い。しかし、せっかくのロードスターの試乗だし、今日はそれを覚悟でオープンで一日過ごす事にした。
私とライターの斉藤真輔君に与えられた新車は北米仕様の左ハンドル車で、レッドの外装であった。詳しいインプレッションはニュースの欄で斉藤君からレポートがあるので、そちらを読んでほしいが、走り出してすぐに、前の型よりもほぼ全ての面で格段の進歩がされていることが判った。
ボディ剛性は、オープン・ボディとは思えないほどしっかりしていて、サスペンションも火山灰の上に造ったラフな舗装路をかなりのスピードで走っても、よく追随してくれるので、とても安心していられる。6段マニュアル・ミッションはストロークも少なく、カチカチとキマッて楽しい。各部は軽量化のために、他のモデルであり得ないような大胆な簡素化が行われているが、逆にロードスターをロードスターたらしめている部分については、フンダンに新技術と高価な素材を使用している。
総じてライト・ウエイト・スポーツの血統を引き継ぐ、素晴らしいクルマに仕上がっていると思ったが、2点だけ、もっと良くなればと思った点がある。その第1は「エンジンのトップエンドのパワーがもう少し欲しい」と思ったこと。2点目は「エグゾースト・ノートにもう少し色気が欲しい」ことであった。このロードスターは、8月下旬に日本国内での発表、発売となる予定である。先日のホビダス・ニュースでもお知らせしたとおり、限定車も発売される。こちらもなかなか魅力的だと思う。
試乗が終わってホテルに帰ってくると、案の定、赤鼻を笑いものにされてしまった。――困ったものである。
投稿者 笹本健次 : 2005年6月16日 19:17
2005年6月15日
ハワイに来ています

実は、昨日の夜のノースウエスト10便でホノルルへ、さらにハワイ航空に乗り継いで、ハワイ島に来ました。先ほどホテルにチェック・インして、このブログを書いています。
今回の目的は、残念ながら、ゴルフ三昧でもなく、トローリングでマーリンを釣るのでもなく、仕事です。とは言え、けっして辛くも無く、とても楽しい仕事です。というのは、この夏、国内で発表となる新型マツダ・ロードスターの米国仕様の試乗会にきているのです。
今、ハワイ時間で14日の16時50分。日本とは19時間の時差がありますので、未だ一日前です。私の部屋から撮ったのが上の写真です。これからシャワーを浴びて、夜のウエルカム・パーティに臨みます。そして明日は、新型ロードスターに初めて乗ります。
明日のブログをお楽しみに。
投稿者 笹本健次 : 2005年6月15日 13:21
2005年6月14日
久しぶりに30台がでました

●この2年ほど気に入って使っているBSツアーステージ丸山モデル。
ゴルフは38歳の時に始めました。それまでは、“ゴルフなんか絶対にやらない”などと言っていたのに、女房が突然始めて、仕方なく付き合いで練習場に行ってチョコチョコと打っていると、たまにシンを喰った球が出て、それがめっぽう気持ちが良いという訳で、実によくあるパターンどおりにハマリました。
翌日には、ゴルフのセットを買いに行き、さっそく練習場通いが始まりました。私の性格として、何でもやり始めれば、トコトンやらないと気が済まないので、一時期は暇さえあればラウンドか練習場、という日々が続きました。最も良いスコアがでたのは、始めてから6~7年目で、ハンデキャップが9までいきました。
しかし、このところの2年程は、物凄く忙しく、しかもややゴルフへの興味が薄れていたこともあって、練習は全くせず、コースも月に1回が精々という状況でした。こうなると全ては悪い方に向かい、稀にラウンドすると、疲れて足腰が踏ん張れず、最初の5ホールぐらいから後は、自分では思いもしないミスショットがでて更に嫌になる、という循環でした。
今年の正月あたりから、これではいけないと思うようになり、一から出直すことにしました。そしてようやく、ホビダスがなんとかスタートを迎えた最近になって、やっと復活の兆しが見え、このところ2回続けて30台のスコアがでました。ようやく蘇りつつある、というところです。でも、先日の場合は後半の3ホールが、疲れでガタガタになり、なんと、38、53という酷さです。
これからは、とにかく、1ラウンドちゃんと回れるように、ウォーキングで足腰をきたえなくちゃ。
投稿者 笹本健次 : 2005年6月14日 11:54
2005年6月13日
新しいステップワゴンに乗る

先週の情報によると、ホンダの新型ステップワゴンは、発売後1週間で月間販売目標の8000台をはるかに上回る1万台の受注を達成した、という。
従来のステップワゴンは、キープ・コンセプトでモデル・チェンジをしてしまったため、出足の販売こそ良かったが、次第にボクシィなスタイルがウケナクなっていた。特に両開きドアではないこともあって、モデル末期はかなり寂しい登録台数となってしまっていた。ところが、今回のモデルはがらりと変わって、まるでオデッセイの小型版かと思わせるほどの、遊び心をもったクルマに変わっていたのである。
6月の始めのある日、一日中、この新型ステップワゴンに乗ってみた。特に良いのは、フロント・シートからの広々とした視界が、ゆったり感を演出していて気持ちがよい事、各部が非常にしっかり造り込まれている事、そして駆動系がとてもスムーズである事などだが、今回のモデル・チェンジで上級のオデッセイとの住み分けがちゃんとできるかは、気になるところであった。
余談だが、最近は、キープ・コンセプトのモデル・チェンジはあまり成功しない例が多い。なぜなら、時代の流れが速く、新型車競争の中で4~5年ものインターバルをとると、その間に世の中の趣向が全く変わってしまうからだ。
とは言え、どう変わるかは先の事ゆえ、あくまでも推測の範囲を出ず、だからこそ、今の商品開発の担当の辛さは増すばかりで、大変な仕事だと思う。
投稿者 笹本健次 : 2005年6月13日 12:25
2005年6月10日
新緑の美しさ

今日は朝から雨模様。台風とともに梅雨空もやって来て、いよいよ来週あたりから梅雨本番となりそうだ。
梅雨といえばムシムシと暑く、いやなイメージがあるが、アジサイの咲く華やかな風情などはこの時期しか見られない。そういえば、当社のクラブマン編集部の副編集長の伊丹君の実家は、京都の有名な三室戸寺、すなわちアジサイ寺だ。ちょうど今頃が見頃であるから、ぜひ関西方面の方は一度参拝することをお勧めする。
ところで、いままで自然のことなどを書くなんてガラにも無いと思われていた私が、こんな事を書くのは、5月のヒストリック・カー・ツアーの折、よく晴れた信州の山岳地帯をひた走っていて、ふと、まわりを見渡すと、全山新緑に染まった山が幾重にも重なり、その緑のあまりの深さに感動したからである。
およそ、50年以上も生きてきて、なんでこんな美しさに気が付かなかったのか、と思うほど、黄緑も深緑もいずれも深い色合いで、その中にちらほらと山桜のピンクが混ざり、その中を自分のクルマで駆け抜けていくのは本当に気持ちがよかったのである。
忙しさにかまけているのも好い加減にして、少し自然の営みを見る旅でもしたいなぁ……としみじみ思うこの頃ではあります。
投稿者 笹本健次 : 2005年6月10日 14:33
2005年6月 9日
一期一会
| 写真は現在お休みをいただいている『日本代表スピリッツ』。近日中にホビダス・コンテンツとして登場します。お楽しみに。 |
昨夜は、サッカーのワールドカップ予選が気になりつつ、かねてよりご招待を頂いていた“ウィーン少年合唱団”のコンサートに行った。この合唱団は日本ではあまりに有名なため、説明の必要も無いと思うのだが、要は声変わりする前の10才から14才ぐらいまでの少年だけで結成されている合唱団で、そのボーイ・ソプラノの見事さは驚くほどである。
実はこのウィーン少年合唱団には個人的な思い出がある。当日のパンフレットにも書かれていたが、彼らが始めて日本を訪れたのは1955年のことで、すぐに大人気となり、それから4年後の1959年に再来日している。そして、その時彼らは日本の映画“いつかきた道”に出演しているのだが、そのロケ地が私の住む山梨県になり、なんと私の実家である常磐ホテルに彼らが泊ったのである。
当時、私は旅館の中に住んでいたので、彼らを間近に見たのだが、田舎のただのガキにとっては、まるで、都会の洗練とかいうことをはるかに通り越し、宇宙人のように輝ける存在であった。それから50年あまりがたって、今回のコンサートを聞き、実に感慨深いものがあった。
今の日本の子供達は彼らの歌は凄いと思うだろうが、それ以外に文化の差などはおそらく感じないだろう。それだけ、日本はこの50年の間に進歩した、と言う事だと思う。最近は、歌舞伎やお芝居はどこもみんな満員だそうである。それどころか、キップを手にいれるのも大変だそうだ。それだけ、本当の意味で豊かになったのだと思う。
テレビや映画と違い、生の芸は一期一会である。だから貴重で、人が集うのだろう。ウィーン少年合唱団も、次の来日の際は、同じような美しいソプラノを聞かせてくれるだろうが、歌っている少年は今回とは違う人になっているのである。
そんな事をウダウダと考えつつ、コンサート会場を出て我に返ると、目の前に、ワールドカップ予選で日本がリードしている、という看板が見えた。
投稿者 笹本健次 : 2005年6月 9日 12:48
2005年6月 8日
会心の一日

私が実は“鉄ちゃん”であったことは、クルマ業界の人は殆ど知らない。
でも、小さい頃から鉄道大好き人間であった私は、上京した大学生時代には『鉄道ジャーナル』の竹島編集長に可愛がってもらい、アルバイトの形で編集部に入り浸って、随分と写真を使ってもらったり、実際に仕事を受けて取材に行ったりした。もちろん、当時の仲間と写真を撮りに旅行することも多かったが、一人で行った方が自分の納得のいく写真が撮れることにすぐに気がつき、それからは、いい写真が撮りたい時はできるだけ一人で撮影旅行をするようになった。
そんなある日、新潟の頸城鉄道がもう直ぐ廃線になると聞き、一日だけ撮影旅行を企てた。夜行列車で黒井まで行き、そこからバスで百間町まで行った。たしか3月の始めで、天気はよく晴れ、雲ひとつ無い快晴だったと思う。百間町の駅の回りは、田舎には違いなかったが、「もうすぐ無くなってしまう」という軽便鉄道の鄙びた佇まいはあまり感じられず、むしろ、生活のアシとしての活気があふれていたように思う。
念入りに機関区の周辺を撮影した私は、ロケハンを兼ねて、写真のホジ3に乗って終点まで行き、また戻ってきて途中の無人駅で降りた。近くには大きな人口池があり、その脇で引き返してくるホジ3を待った。早春のさわやかな風は気持ちよく、ボーッとしていると「本当にこの鉄道が無くなってしまうのか……」と信じられない気持ちになってきたのを覚えている。
結局、北アルプスをバックにしたホジ3(この写真は弊社発行の『軽便追想』の表紙になっている)や、なんと流し撮りもやって、再び夜行列車で帰京した。宿には一回も泊らない強行軍だったが、当時はそんなのは当たり前で、いい写真が撮れた手ごたえを感じてご機嫌だった記憶がある。
――それから、もう30年以上が過ぎてしまった。
なお、このホジ3、30年以上にわたって、個人の手によって六甲山中に保管されていたが、昨秋33年ぶりに頸城に奇跡の里帰りを果たした。ちょうど再来週19日の日曜日には、百間町の旧機関庫で、里帰り後初のお披露目がおこなわれるという。詳しくはレイル・マガジンのニュースをご覧あれ。
投稿者 笹本健次 : 2005年6月 8日 11:45
2005年6月 7日
普通のベンツ、ビーエムに飽きた人が乗るクルマは何?
このタイトルを見て、カー・マガジンの読者ならすぐに、私が何を書こうとしているか想像がつくと思いますが、そのとおり。マセラティ・クアトロポルテのことです。私が今、毎日乗っているクアトロポルテは昨年の6月の下旬に納車となったので、約11ヶ月が経過し、この間、2万km強を走行しています。
クアトロの良いところは、何と言っても、そのカリスマ性あふれるデザインです。今でも街中では、じっと我がクルマに魅入っている人を見かける事が頻繁にあります。もちろん、乗っている人を見ている訳ではありませんが、そんな時は我が選択の確かさを自慢したくなります。
スタイルの次に良いところは、エグゾースト・ノートです。エンジンはF430と同じものですが、排気音は遥かにこちらの方が良い音がしています。実際に乗っていても、外からでも、気持ちの良さは変わりません。これほどの良い音はかって、F355のF1マチックで体験して以来です。と言うことで、2万km乗って、とても満足している次第です。
そういえば、今朝、通勤途中で、前にメルセデス・ベンツCLS500がいました。このところ、CLSを頻繁に見るようになりました。このクルマは今までのメルセデスに無い斬新なデザインで、ローマの試乗会の時「これなら、日本でもかなり売れるのでは?」と思いましたが、やはり出足は良いようです。
もう一台、まだ発売はされていませんが、価格を考慮しない前提でお勧めするのは、ベントレー・コンチネンタル・フライング・スパーです。このクルマは、コンチネンタルGTの4ドア版ですが、とても威厳にみちたスタイルをしています。後部座席も広く、オール・ラウンドなクルマとして申し分がありません。2000万円強という価格のようですから、Sクラスや7シリーズに飽きた人には、ピッタリの選択です。
今やプレステージ・カーのクラスも、一頃のような画一的なものではなく、多様化しつつあるのが現状です。
投稿者 笹本健次 : 2005年6月 7日 16:08
2005年6月 6日
多様な趣味の世界
先週末、2つのイベントに行ってきました。このところ、週末ごとにいろんなイベントがあり、殆ど休みなしで、参加したり取材したり、と駆け回っている。こうしていると、4週間前に当社主催のジャパン・ヒストリック・カー・ツアーがあったことなど、遠い昔のように思えてくるから不思議だ。
昨日は、お台場のビッグ・サイトでおこなわれたインポート・カー・ショウに取材にいった。こちらは、輸入車のチューニング・ショップがメインのショウだが、今年で2回目というのに、とても盛況であった。スーパーカーが100台集合するというイベントもあり、新車ばかりかと思いきや、参加車の中にはフェラーリのデイトナなどもいて楽しめた。昨夜の主催者の2人、ヤマハの工藤氏、ランボルギーニ・ジャパンのザンボット氏も会場で出会い、「お互いに忙しいね」と声を掛け合う。こちらの会場にも、初めての試みとして、数艇のパワー・ボートが展示されていた。
趣味がどんどん多様化している最近の傾向を先取りした、この2つのイベントはとても可能性があると思う。そういった意味で、手前味噌ではあるが、趣味の総合サイト「ホビダス」の存在は、これからとても大きな意味を持ってくると信じている。ぜひ、末永いご愛顧をお願いいたします。
投稿者 笹本健次 : 2005年6月 6日 13:17
2005年6月 3日
私が好きなポルシェ

●初めて買った356C塗色はライト・ブルーだった
なんと言っても、ポルシェの中で、一番好きなのは、356です。今のポルシェ・フリークの方々には、これが、同じポルシェかと感じられるぐらい、現代のポルシェと356は違いますが、ボディ形状などをよく見てゆくと、なるほど、356がポルシェのルーツだな、と言う事が判ります。
私が始めて、356を見たのは、大学時代だから、もう30年以上も前のことです。その当時、夜な夜な、環八や、新青梅街道、目黒通りなどの、中古車専門店を覗き歩いていた私は、あるお店で、新入荷の356をみて、あまりの丸さにビックリしました。家に帰っても、どうも、356の事が気になって仕方なく、いろいろな本を調べてみると、スピード・スターなんてモデルがあって、このクルマの形はお椀を伏せたように真ん丸で、いったい、なんでこんなクルマがこの世に存在するのか、と不思議にさえ思えました。
しかし、ずっと写真をみていると、だんだん、そのスタイルが良くなってきてしまうのです。当時、免許を取って、2~3年目で、英国のMG-Aや、オースチン・ヒーレー3000などにも憧れていた私は、この邂逅で、すっかり、ポルシェ356にのめりこみ、結局26歳の時に、356Cを購入しました。当時は356も底値の40~60万円から、上がり始めていて、たしかマケテもらって金125万円で買ったはずです。
しかし、その356はかなりのトラブルを抱えていることがわかり、エンジンをオーヴァ・ホールした後、1年あまりで手放し、改めて356SCを購入しました。こちらは懐かしのチェッカー・モーターズで買い、やはり180万円にまけてもらいました。当時のチェッカー・モーターズは今のアルファ専門店ではなく、面白い中古スポーツカー専門店でした。356SCに初めて乗った私は、その洗練された操縦マナーとモーターのように廻るエンジンにびっくりしました。イタリア車やイギリス車に感じられる粗野な部分が全く無く、知的という言葉がピッタリでした。シフト・フィーリングも、よく言われるように、バターナイフでバターを切る感覚そのもので、これが本当のポルシェなんだと、この時初めて知ることができました。と言うことは、1台目がいかに程度が悪かったか、と言う事ですが、とにかく、この時、安物買いの銭失い、と言うことわざをしみじみ感じたものです。
この時の356SCはその後、8年ほど我が家にいて、その後、ポルシェ356クラブ会長の井関さんに嫁ぎ、今でも、日本で最も早い356レーサーとして活躍しています。

●2代目の356SC.356クラブの箱根ミーティングにて
投稿者 笹本健次 : 2005年6月 3日 12:11
2005年6月 2日
私が好きなクルマ

この20年間というもの、飽きもせずにずっと付き合っているのはフェラーリです。その前はポルシェ、なかでも特に356が好きで、その時代が10年ほど続きました。でも、フェラーリに移ってからはなかなか逃れられない日々が続いています。
私のフェラーリの中で、一番好きなのは、250GTSWBです。シャーシー・ナンバー1757GTのこのクルマは、未だバブルも始まっていない、1986年に購入しました。前のオーナーがレストアをしている途中で購入し、アメリカで1年ほどかけてフル・レストレーションを施した後、日本に輸入しました。日本に到着後、直ぐに伝説のイベント、六甲モンテミリアに出場しました。
それから、はや、19年が経ってしまいました。このSWBも現在では、とんでもない価格になっているようですが、当事はロールス・ロイスの新車よりもずっと安い価格でした。それでも、当事の私にとってはとてつもない金額で、ずいぶんと悩んだものです。でも、今になって思うと、あの時“清水の舞台から飛び降りて良かったなあ”としみじみ思っています。
このSWBは、その後、96年にツールド・フランスに、同じく96年と97年にラグナセカに、そして98年のキャバリーノ・クラシックと、世界のイベントに出場しています。もちろん当社の茂木のヒストリックやティーポのイベントは欠かさずに出場し、また、フェラーリ・クラブ・オブ・ジャパンのイベントにも出ています。今年は5月に行われた当社のジャパン・ヒストリック・カー・ツアー2005で、700kmを走り、その2週間後、今度はコーンズ・フェスティバルでフェラーリ・トロフィに出ました。
ということで、まだまだ、バリバリ元気です。この19年間の間に、一回だけ5番のバルブ・ガイドが外れ、しかもそれはラグナセカのコークスクリュウの手前だった! ということがあっただけで(その時、ついでに軽くチューンしてしまったのだけど)、ほんとうにエンジンはタフです。でも、この頃はクルマ全体として、適度に使い込んだいい感じが出てきているので、今後は大切に使っていこうと思っています。フェラーリの良いところは、何年経っても、何時みても、全く飽きないデザインとパフォーマンスを持っているところだと思います。最新の430でも、また、F40でも、全てがそんなことを感じさせるのが、フェラーリの凄さでしょうか。
明日は、ポルシェのことを書きましょうか。
投稿者 笹本健次 : 2005年6月 2日 07:00
2005年6月 1日
ホビダス・サイトにようこそ。

この趣味のホビダス・サイトは6月1日の今日、オープンいたしました。これまで、ネコ・パブリッシングが出版してきた雑誌同様、このサイトも皆さんと共に歩んで行きたいとおもっています。どうか、よろしくお願いいたします。
ホビダスの内容は、雑誌と同じように“自信を持ってお届けする”と言いたいところですが、実はまだ、私、社長の立場からすると、30%ぐらいの完成度です。そんなレベルでオープンするな、というお叱りの声が聞こえそうですが、ウエッブ・サイトの場合、雑誌と違って、締め切りが無く、一体何時が完成なのか、定かではないため、取り敢えず、当初の予定の6月1日をもってオープンといたしました。まだまだ、至らない点だらけですが、1ヶ月、2ヶ月と経つうちには、充実したサイトになることを確約いたします。という事で、改めて、ご愛顧のほどお願いいたします。
ここで、少し、内輪話をすると、ホビダスの名前が決まったのは、今年に入って間も無くの1月5日の事。カー・マガジンの新井、藤原両副編集長と打ち合わせの際、雑談の中で新しいサイトをやるつもり、という話になり、名前のアイデアを3人で考えている内にでてきたのが、ホビダスでした。この名前自体は、昨年、クアント編集部で全国模型店リストのような体裁で、すでにムックとして発行していましたが、それをサイトに使おうというのが、僕のアイデアでした。昨年末から、散々考えても良い名前が見つからず、悩んでいただけにあっという間にスタッフ全員OK。1時間後には、ドメイン登録も終わっていました。まさしく、目の前を覆っていた霧が一気に晴れた、とはこの事を言うのか、とおもったぐらい気が楽になりました。
それから約5ヶ月間、ホビダスのために全開で走ってきました。Eストアー、凸版印刷、両社のスタッフの皆さんにも無理難題を言って大変お世話になりました。また、これからももっとお世話になります。どうかよろしくお願いいたします。
さて、明日からは、私の趣味の話を始めたいと思っています。お楽しみに。
投稿者 笹本健次 : 2005年6月 1日 08:09


