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2005年8月31日

先日、レクサスGS、SCに試乗しました

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 今週の月曜日は、京都に行き、生産型のレクサスGS、SCの試乗会に参加した。日本全国のレクサス販売網のスタートが昨日30日であったから、とても良いタイミングの試乗であった。

 コースは、南禅寺から比叡山に登り、中腹のホテルを基地として、琵琶湖側までを回遊する設定であった。すでに、6月に士別のテストコースにて、プロトタイプの試乗は行なっていたので、今回は一般公道で実際に走って、他のクルマの中に混じった時どんな印象か、が興味の中心であった。

 GSは、もともとアリストであったので、街中では、そのイメージを引っ張っている。走りのフィーリングは、GSもトヨタ独自の味わいで、一言で言えば、クラウン・アスリートに通ずるテイストを継承している、ということだ。SCについては、よく出来ているが、ソアラとしてデビューしてからもう数年になり、やや古さは隠せない。

 やはり、私にとっては、本命のLSが見てみたい、というのが本音であった。どうやら、新型のLSは今年のモーターショーにプロトが出品される、とのことでそちらが楽しみである。

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 そして、先ほど、当社から程近い、オープンして2日目の、レクサス目黒に行ってきた。レクサスの主張する“もてなしの心”とは、どんな風に実践されているのか、とても興味があったのだが、でてきたセールスの対応はまず、及第点をあげられるものであった。

 すでに5組ほどの客がきており、しっかりと商談をしていたので、かなり評判は良さそうだ。展示されているGSは、オプションパーツ付で、なんと780万円のプライスタグがつけられておりビックリしたが、ノーマルなら600万円台ときいて、少しホッとした。

 セールス氏の話によると、すでに、2日間で18台の受注を得たそうだ。その内訳は、先代アリストからの乗り換えが一番多く、次が国産車で、メルセデスからの乗り換えもあるそうだ。この分なら、9月は、月間販売予定の3000台は軽くクリアし、おそらく1万台ぐらいは受注するような勢いが感じられた。次の勝負はホットな客が一巡した3ヶ月後、ということだろうか。

 いずれにても、レクサスの言う“高級”が、どの程度受け入れられるのか、興味はつきないところではある。

投稿者 笹本健次 : 2005年8月31日 18:59 | コメント (0)

2005年8月30日

創刊号と最新号 その3 クラブマン編

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▲写真左が創刊号で、右が最新号。

 クラブマンは、当社初めてのバイク雑誌として、1986年の11月に創刊した。

 創刊号の編集長は小野かつじ氏で、確か、カー・マガジンでお馴染みの、BOWさんの紹介で初めてお会いしたと記憶している。この雑誌のコンセプトは、カー・マガジンのような趣味に徹したモーター・サイクル誌が創りたい、ということであった。創刊号を発行する前に、クラブマン・レーサーという、海外の旧いバイク・オーナー達を紹介した書籍を2冊出し、マーケットの反応を見た上でのスタートであった。

 創刊号はBOWさんの表紙で、第一テーマはマン島のマンクス・グランプリの特集であった。中程では、アラン・カスカート氏のインプレッションも載っている。今、改めて見ると、全体にバイクのオーナーの生活の楽しさがピュアに伝わってくる仕上がりで、当初のイメージにかなり近い形に出来上がっていたように思う。

 しかし、収支面ではなかなか軌道に乗らず、苦労をした記憶がある。本当に良くなったのは、2年後ぐらいだったと思う。初代編集長で、その後もずっとクラブマンと共に歩んでくれた小野さんのテイストは、本物のエンスージアストそのものの、味わい深いものであったように思う。残念ながら、小野さんは既にこの世にいないが、その精神を受け継ぎながら、この雑誌を作り続けたいと思っている。

 さあ、皆さん。もう一度バイク生活を楽しんでみましょう。

投稿者 笹本健次 : 2005年8月30日 16:45 | コメント (0)

2005年8月29日

我が社では、こんな本も出版しています

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 我が社は、クルマの本の出版からスタートし、鉄道、バイクなどに分野を広げていったので、どうしても男性向けの本の出版というイメージが先行している。しかし、最近では実は女性向けの本もかなり多い。

 例えば、雑誌では、ブランドジョイNEKOドッグファミリーの3誌は、ほぼ9割以上が女性読者だ。ここ数年の新卒の社員数でも、女性上位が続いており、彼女達が次第に力をつけてきているので、これから、女性向けの趣味の本の発行を大いに期待しているところだ。

 最近、発行した本のなかでは、写真の“松下美智子流ネイルアート”が面白い。ネイルアートは、今や女性にとってごく当たり前の身だしなみになっている。

 著者の松下さんは、この世界では、早くからスーパー・エキスパートとして活躍されている方だ。それだけに、手前味噌だが、よく出来ている本だと思う。私のような男性がみても、T.P.O.に応じて様々なデザインが用意されていて、とても楽しい。このブログをご覧になっている方は、おそらく男性が多いと思うが、ぜひ周囲の女性にお勧めしていただきたい。

投稿者 笹本健次 : 2005年8月29日 11:16 | コメント (1)

2005年8月26日

解体新車がオープンしました

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 今日、このホビダスの新企画である、解体新車がスタートした。

 このコーナーは、これまで紙媒体で、随時作っていた新車だけの増刊を、Webのみとして速報しよう、という企画で、その記念すべき第一陣がこのマツダ・ロードスターとなった。

 Webならでは、の動画コンテンツも豊富に入っている。また、雑誌なら、1ヶ月もすれば、店頭から無くなってしまうが、このサイトはクルマのモデル・チェンジまで、いつでも、見ることができるのも大きなメリットだ。

 これから、新車が出る毎に、この解体新車を制作してゆくつもりだ。ぜひ、お楽しみに。

投稿者 笹本健次 : 2005年8月26日 17:15 | コメント (0)

2005年8月25日

創刊号と最新号 その2 スクーデリア編

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▲写真左がスーパーカー・クラシックス、中央がスクーデリア創刊号、写真右はスクーデリア最新号。

フェラーリだけしか取り上げない、極めつけの専門誌、スクーデリアは1995年の夏号からスタートした。

 実は、このスクーデリアの前に、スーパーカーのみを扱った季刊誌、スーパーカー・クラシックスを26号まで発行していたが、当時はフェラーリ以外のスーパーカーは全く勢いがなく、いっその事、フェラーリだけに絞ってしまったほうが良いのでは、と言う事で、全く同じ版型のまま、タイトルをスクーデリアと換え、フェラーリ専門誌に衣替えした。

 その前に26冊作ったスーパーカー・クラシックスは、英国の同名の季刊誌との提携であった。当時、FFパブリッシングという会社が、CarとSupercarClassicsの2タイトルを発行していて、両方とも、とてもクオリティの高い雑誌であった。当社としては、カー・マガジンのさらに上級誌が欲しかったので、社長のイアン・フレーザー氏とコンタクトをとり、初めての海外の出版社との提携を実現させた。

 ところが、日本版を創刊して、一年後には、この会社がEmapという出版グループに買収され、フレーザー氏もリタイアの意向だったので、次第にトーンダウンしていき、結局、最終的にスクーデリアに換えて今日に至っている。英語圏のフェラーリ専門誌では、米国の隔月刊誌、キャバリーノが有名だが、当社では、こちらとも提携のうえ、スクーデリア、キャバリーノの2冊購読を可能としている。この2冊があれば、フェラーリのディープな情報はほぼ全て手に入るはずだ。

 創刊号を見ると、ちょうど、F50が生産に入ったところで、マラネロの本社工場の様子や、F355のチャレンジの試乗記が載っている。巻頭では、モンテゼモロ社長と、松田芳穂氏から、お祝いのメッセージを頂いた。当時のF1ドライバーは、アレジとベルガーで12気筒の412T2をドライブしている。

 また、松田さんの250TRと,私の500TRの2台で出場したミレ・ミリアの様子も掲載されている。この時のコ・ドライバーは現編集長の上野君だ。1994年から始まり、私も出場していた、フェラーリ・チャレンジのレポートも載っており、当時、松田さんと一緒に世界各地を転戦したことが、懐かしく思い出される。

 現在、この創刊号はコレクターズアイテムとなっていて、かなり高価で取引されていると聞く。スクーデリア誌自体は、最初から、かなり完成された状態でスタートしたため、最新号と、大きく変わる訳ではない。新しくマセラティがアイテムとして加わったぐらいだ。これからは、フェラーリのみならず、周辺の豊かさをも表現できたら、と思っている。

投稿者 笹本健次 : 2005年8月25日 12:30 | コメント (0)

2005年8月24日

創刊号と最新号 その1 レイルマガジン編

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▲写真左が最新号、右が創刊号です。

 当社では、ご承知のとおり、32種類の雑誌を出版している。その内訳は、月刊誌が大半を占めるが、中には年4回発行の季刊誌もあり、それぞれの読者の要望によって編集スタイルもかなり異なっている。最も長く続いている雑誌は、当社にとって、初めての雑誌発行であったカー・マガジンで、今月で何と328号を迎える。

 このカー・マガジンの発行をキッカケとして、それまで書籍のみの発行であった、出版形態を雑誌主体にかえていったのが、当社の歴史の流れと言える。もちろん発行した全ての雑誌が、今日まで生き残っている訳ではなく、収支がつかず、残念ながら休刊、あるいは廃刊になってしまったものも存在しているが、当社は、その数が比較的少ない方であろう。

 先日、自宅の書庫で調べ物をしている時、ふと、レイル・マガジンの創刊号が目に触れた。レイル・マガジンの創刊は1983年の12月であるから、それから20数年経った今月号のレイル・マガジンとは、当然の事ながら比べるべくも無いデキで、汗顔の至りだが、そのスピリットにおいては、何も変わるものがないのは、とても嬉しいことだ。

 創刊号の巻頭では、DD51とED75のそれぞれ3重連の撮影地ガイドを特集しており、中程では、EF58の記事がでている。この時、まだ、EF58は84輌も現存していた。後半は、模型の記事がでていて、何と、モデル・オブ・ザ・イヤーを提唱している。その後この件は消滅してしまったが、なんとか、この業界に新しい風を送り込もう、という意気込みは伝わってくる。

 当時の編集長は私が兼務していたが、実際の作業は、副編集長の長谷川章君がやってくれた。その後、30号から、現在の名取編集長となり、145号からは、RMモデルズが独立して、今日に至っている。この間、国鉄はJRとなり、新幹線はドンドン開通し、車輛もすっかり新しくなってしまった。正に様変わりの20数年ということが言えるだろう。しかし、我々の鉄道に対する趣味心は、全く何も変わっていない。

 創刊号の第一頁目で、発刊にあたり、として私が書いたフレーズの一部を引用すると、“Rail Magazineは、われわれのみならず、読者の全てが鉄道趣味を原点として、豊かな人生を創り上げるための媒体として存在するのです”と書いてある。正にそのとおりで、さらに言えば、ネコ・パブリッシングの発行物全てが、趣味の世界を豊かにするための媒体なのである。

投稿者 笹本健次 : 2005年8月24日 15:22 | コメント (0)

2005年8月23日

今日、社員全員にストックオプションを付与しました

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 今日は、朝から、臨時株主総会を開催した。議題はストックオプションの付与の件で、当社では、社員全員にその権利をあたえることにした。

 やはり、社員に頑張ってもらうためには、それなりのメリハリが必要で、努力した人が報われる体制を創るのが、私の役目だ。逆に、努力が足りない人は、当然のことながら評価を下げざるを得ず、その点が曖昧だったのが、これまでの、我が国の会社の大部分であったように思う。と言うより、かっては、社会全体が右肩上がりであったために、努力していない人も、している人も、皆、一緒に上がっていってそれほど不満が出なかった訳だ。

 しかし、今日のように、それぞれの企業によって、浮き沈みがはっきりしてくると、当然、内部での評価も、護送船団方式という訳にはいかず、自然、実力主義にならざるを得ない。ストックオプションも、当たり前の事ながら、頑張った人に手厚く、というのが当社の方針である。

 今の世の中の流れはとても早く、企業もどんどん改革をしていかなければ、その流れに置いていかれてしまうのは必然だ。当社で言えば、毎月、決められたページを作っていさえすれば良い、というような社員は、全く必要でなくなるのだ。チャレンジ精神を持ち、何事にも興味を示す人こそ、これからの我々の情報産業には、最も必要とされる。

 現在、このホビダスでは、元気のあるスタッフを募集している。我こそは、と思う方はぜひご連絡を。

●採用関係のE-mailアドレス:saiyou@neko.co.jp

投稿者 笹本健次 : 2005年8月23日 15:34 | コメント (0)

2005年8月22日

最近地震が多いですね

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 先週は、お盆であまり電話も無く、しばし、ゆったりと仕事をしているところへ、ユサユサと凄い揺れ。しかも、これまでに無いぐらい長く揺れて、いつドカンと大きい揺れがくるかと身構えていたが、結局そのまま収まってくれた。

 震源地は宮城沖との事で、仙台では被害が大分あったようだが、たぶん、ドカンときていれば、直下型で、今頃は大変な思いをしているに違いない。とにかく、飛行機事故といい、地震といい、天候不順といい、最近は不気味なことが多すぎる。これも全て、人間様が、この地球上で少しノサバリ過ぎているのかなあ、とも考えてしまう。

 かって、この地球上を我が者顔で占領していた恐竜たちが、あっという間に絶滅してしまったように、人類の将来も、もはや、あまり、長くは無いという説もあるようだ。せめて、我々一人一人が、もう少し、視野を広げて生きていきたいものだと思う。

 そういえば、この2月に発売した、“シュミレーション東京直下型大地震”というムックが今、また、売れている。地震の備えにぜひ一冊どうぞ。

投稿者 笹本健次 : 2005年8月22日 15:25 | コメント (1)

2005年8月19日

最近、飛行機に乗るのが心配です。

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 このところ、内外を問わず、飛行機事故のニュースが多いように思う。

 実は、昨日から今日にかけて、ある新型車の試乗のために、JALで旭川まで往復したのだが、乗っている間はあまり気持ちの良いものではなかった。海外に出る時は、成田の本屋さんで、飛行機の本を買って機内で読むことも多いのだが、事故のことを書いた本も多く、たまたまそれらを買って読んでいる時は、実に自虐的で不思議な気分になる。

 私が遭遇した一番酷いトラブルは、もう、10数年前になるが、成田発、ロスアンゼルス行きのジャンボのエンジンが、離陸して、上昇中に一基止ってしまったことである。どうも、上昇速度が遅く、変だなと思う間もなく、中途半端な高度で水平飛行に移り、機長から“エンジンが一基とまってしまったので、燃料を捨て、成田に引き返します。安全面は全く問題ありません”とアナウンスがあった。

 しかし、いくら、安全です、などと言われても、とても落ち着いていられる状況ではない。機内全体に不安がひろがり、みんなハラハラドキドキ。約1時間後に無事成田に着陸した時は、拍手で無事を喜んだ。結局、成田で機材を換え、何と5時間遅れでロスに向かったのだが、お詫びに、席のグレードアップをしてくれたのが、唯一の救いであった。

 でも、本当は、何事もなく、オンタイムで到着してくれるのが、何よりも嬉しいことだ。

投稿者 笹本健次 : 2005年8月19日 15:00 | コメント (0)

2005年8月18日

私の好きなオブジェ3つ

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 私のガレージには、とても気に入っているオブジェが写真のとおり、3つある。

 右側は、くろねこのオブジェでガラス製。これは、ミラノの装飾品店で見つけて、買ってきた。実は、大小対になっていたのだが、大きいほうは、あまりに巨大なので、パスして、これだけを買ってきた。中央の円錐も、ガラス製で、とても単純な造形だが、味わいがある。これは、友人の峯島さんから頂いた。左端は、サーブ92を模したオブジェで、スエーデンのサーブ販売店で見つけて、手に入れた。こちらは木製だが、並んで置かれていると、如何にも重い材質で造られているように感じる。

 この3つを窓際に並べておくと、ここだけ、異質な感じがして、とても好きなのである。一般的に言って、模型は、如何に実物に忠実か、が問われる場合が多く、私のガレージにも超精密な模型が沢山あるが、その対極にある、こうしたオブジェもなかなか楽しいものだ。

投稿者 笹本健次 : 2005年8月18日 12:07 | コメント (0)

2005年8月17日

私の鉄道写真

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 このホビダスのブログの中や、レイル・マガジンの本誌、稀にはRMモデルズにも、私が昔撮影した鉄道写真が使われている。

 実際に私が、鉄道写真を真剣に撮っていたのは、小学校5年の時から、25歳ぐらいまでの10数年間だが、初めのうちは、模型作りの資料として、後にはいわゆる情景写真を撮るようになった。そして、最後のほうの2~3年は鉄道ジャーナル誌の仕事、ということも多かったように思う。

 だから、当初の模型の資料の感覚が最後まで抜けず、変わった車輌を見つければ、必ずと言っていいほど、シャッターを押していた。それが結果的に、今日に至って、とても貴重な資料になってしまったのは、驚きである。

 今年から発刊を始めた“国鉄時代”は、私のように、当時コツコツと撮りだめていた写真を、このまま埋もれさせず、発表の場を提供しよう、という考えからスタートした。おそらく、私と同じ団塊の世代の人々の引き出しのなかに、まだまだ、未発表の面白い映像が眠っているはずである。

 私も未知の映像に出会えるのが本当に楽しみである。ぜひ、国鉄時代にご参加ください(国鉄時代はweb版もあります)。

投稿者 笹本健次 : 2005年8月17日 15:17 | コメント (0)

2005年8月16日

昨日、ホビダスのトップ・ページが変わりました

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 もちろん、このブログを見ている方は、既に御承知のはずだが、昨日、8月15日で、このホビダスのトップ・ページの、第一回目の全面リニューアルを行った。6月1日のオープンから、早や、2ヶ月半が経ち、最初は良いと思っていたデザインも次第に不満がでてくるようになってきたので、丁度いいタイミングだと思う。

 同時に様々な箇所にも手を入れた。新機軸として加えたのは、ホビダスTVで、いろいろな動画を見ることができるようになった。また、ショッピングの商品も見易くなっている。ウィンドウ・ショッピングをクリックすれば、大きな画像の商品をみることができ、とても購入しやすくなったはずだ。

 今回より、BBSのスペースもできた。実は、細かい改良は日々、続けているのだが、2~3ヶ月に一回は大きな改良を加えて、より使いやすく、楽しいサイトにしていきたい、と思っている。ぜひ、今後ともご愛顧のほどを。

投稿者 笹本健次 : 2005年8月16日 15:21 | コメント (0)

2005年8月15日

アストンマーティンDB9ヴォランテに乗りました

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 先週末は、新着のアストンマーティンのオープン・モデル、DB9ヴォランテに3日間乗っていた。仕様は、アストン自慢の、タッチトロニック2という、パドルシフト可能なオートマティックで、街中はATでユルユルと、ワインディングはパドルシフトで、かっ飛ばす、という実に理想的なクルマであった。DB9については、既にクーペのデビュー時に、ニース周辺のワインディングを駆け巡る試乗会があり、その素晴らしさについては、充分に解っているつもりであったが、果たしてルーフを取ったときはどんなものなのか、特にクーペでずば抜けていたボディ剛性が、どの程度保たれているか、が注目であった。

 お盆の週末で、とても遠出をする気にはなれず、都内周辺を出来る限り走ってみたが、その限りにおいては、ボディ剛性は殆ど落ちておらず、クーペ同様の気持ちの良い走りが可能だった。電動で、20秒足らずで開閉する幌は、とてもしっかりしていて、たまたま、雷雨に遭遇したが、只の一滴の雨漏れもなかった。もちろん、各部の仕上げは2千万円の価格に相応しい仕上がりだ。

 と言うことで、製品としては、ライバルのフェラーリF430に対し、真っ向から対立するクルマだと思う。アグレッシブなフェラーリに対し、アストンは端正な美しさと気品がある。どちらを選ぶかは、それこそお好み次第だ。一時期、時代に乗り遅れそうになっていたアストンマーティンが、ここまで復活してきたことに、とても楽しみを感じる。

投稿者 笹本健次 : 2005年8月15日 11:00 | コメント (0)

2005年8月12日

“なるはや”という言葉を知りました

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 ホビダスを立ち上げるために、これまでの出版業界とは違う世界の人達と頻繁におつきあいをするようになった。

 つまり、いわゆるネット業界の皆さんと接触するようになったのだが、世間では、コンピューターの世界はドッグ・イヤーだとか、マウス・イヤーなどと言われて、スピードが恐ろしく速い、ということになっており、一体全体、ついていけるのだろうかと、とても不安であった。

 紙媒体と違って、ネットの世界は締め切りが無く、常に情報を出し続けることが要求される。従って、仕事に区切りがなく、エンドレスとなってしまうのが、精神衛生上まことに良くない、と思っていたのだが、いろいろな課題が出る度に、彼らは“なるはや”で、と返事をしているのに気づき、こっそりと聞いてみると、「なるべく早く」の略だという。

 なんだ、それなら、期限がなく、ずるずる遅れることもOKではないか、と思ったのだが、案の定、すぐに実行してくれる人もいれば、一向に進展させない人もいて、ネットの世界のスピードも意外に厳格ではないのだ、と少し安心してしまった。むしろ、時間の観念は、いつも締め切りに追われている我々のほうが、よほど、しっかりしている感じだ。

 このホビダスにしても、6月1日にスタートという大号令がなかったら、オープンは難しかった、と思う。今、実は8月15日に、このホビダスのトップ・ページのリニューアルで、最後のツメをしている最中だ。もちろん、必ず間に合わせるつもりなので、お楽しみに。

投稿者 笹本健次 : 2005年8月12日 18:40 | コメント (0)

2005年8月11日

今日、56歳になりました

 今日、8月11日は私の誕生日だ。何と、今日で満56歳になってしまった。

 自分自身では、この世に生まれて、もう50年以上も過ごしてきた、という実感は全く無いのだが、毎朝、鏡に映る顔は、シワが増え、髪の毛は8割がた白くなってしまっていて、イヤでも年輪を感じさせてくれる。
 昔は、人生50年が当たり前であったし、会社の定年も55歳であったから、56歳という年齢は昔なら悠々自適の余生に入っているはずだが、私を含め、所謂団塊の世代の人達は元気そのもの。還暦の60歳も、今なら70歳で丁度良い、と思うほどの勢いだ。

 そういう私も、今はこのホビダスを初め、新しいチャレンジに邁進している。とても、余生などと言っている状況ではないが、私の性格からしても、おそらく死ぬ瞬間まで、何かを一生懸命やっているのだろう。でも、それができれば、一番私には相応しいかもしれない。
 高校や、大学、そして、JTB時代の同期のうち、残念ながら何人かは、鬼籍に入ってしまっている。自分自身の寿命が、いつ、どうなるかの予測は全くつかないが、できるかぎり、何事にも全開で、自分らしく生きたいものである。

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投稿者 笹本健次 : 2005年8月11日 15:16 | コメント (0)

2005年8月10日

ホビダスにストッププレスが出来ました

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 当社の鉄道模型雑誌、RMモデルスは、元々レイルマガジンと一冊の中で掲載していた模型の記事を独立させて創刊したのだが、早いもので、先月で121号を迎えている。

 このRMモデルスの記事の中で、とても評判なのが、ストッププレスという全国の各模型店の在庫情報だ。最近では、16番では特にそうだが、製品の製作ロットが小さくなり、うっかりしていると、買い洩らしてしまうことになるケースがとても多くなった。一方で、各模型店の方でも、いちいち、それぞれの在庫品を公表する方法が無く、せっかく欲しい人がいても巡り合えない、ということになっていた。

 そこで、RM誌上にて、各模型店の在庫品情報のための頁を提供しよう、ということから、ストッププレスが始まった。スタートは数軒だったが、今や100軒以上のお店の参加を頂いている。6月から、スタートしたホビダスでも、この便利なストッププレスの項目を設けよう、と計画していたが、ようやく今週始めより、スタートすることができた。

 雑誌と違い、Web版のストッププレスは、いつでも店舗側で更新が可能である。このメリットを大いに生かして頂きたい。

投稿者 笹本健次 : 2005年8月10日 12:34 | コメント (0)

2005年8月 9日

今朝は、早起きをして、アルファ&ロメオの取材に付き合いました

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 今朝は、午前5時30分に、神宮外苑の銀杏並木にエンツォで来てほしい、という編集部からのオーダーで、午前4時に起床し、エンツォのアイドリングの爆音で、まわりの住宅からヒンシュクを買いながら、首都高3号線へ。何と、この時間でも結構混んでいて、2回も高速の車線上で止ってしまう、というほどのヒドサだったが、何とか予定どおり到着して、取材を受ける。普段は、する側だから、いくら身内とは言え取材をされるのは、妙な気分だ。

 今日のテーマは、古いジュリアのクーペの良さを、昔、乗っていた私の話を交えて記事にしよう、いうことだった。もう一台、オーナー共々ご登場いただいたのは、1969年式の1300ジュニアで、私が1974年頃に1年間だけ所有していた、1750GTVと全く同じ年式で、しかも塗色も同じサファリ・ブラウンであった。この1300ジュニアとエンツォを並べて撮影したのだが、その記事の出来栄えは、今度のアルファ&ロメオの最新号を見て頂きたい。

 ところで、私の1750GTVは、当時、確か5年落ちのクルマを96万円で購入したように記憶している。このクルマの前は、フェアレディZに乗っていたのだが、100km/h以上のスピード域での安定感には、Zに比べ格段の差があり、さすがに欧州車は違うなあ、と本当に驚いた記憶がある。このアルファは、ホイールをロナールに換え、マフラーをアバルトにして、ドレスアップも楽しんだが、オーナーの私の興味がポルシェ356に移り、結局、手放すことになってしまった。

 その後、最近になって、やっぱりあの傑作ボディが欲しい、と思うようになり、今度は1300GTAを買って、チューニングをし、つい最近まで所有していた。このクルマは今、元ティーポ編集部の山田君のところに嫁いでいる。いずれにしても、このボディ・スタイルは、間違いなく後世に残る名作だと思う。

投稿者 笹本健次 : 2005年8月 9日 15:33 | コメント (0)

2005年8月 8日

昨日は久しぶりに船に乗りました

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 5月の連休以来、久方ぶりに海にでた。船はいつもの、パーフェクトボート編集部のオーシャン・スプライトで、あまり代わり映えがしないが、今回のゲストは、元F1レーサーで、今はARTAレーシング・チームを主宰する鈴木亜久里さんが来てくれた。

 亜久里さんは、モナコ時代に向こうで船に乗っていて、当時現地で免許も取ったのだそうだ。しかし、日本では、自動車の免許のように書き換えができず、忙しいのでそのままになっているとのこと。

 相模湾のマリーナには友人が居るので、よく行くそうだが、実はオーシャン・スプライトの基地、ベイサイド・マリーナは初めてだと言う。このマリーナは交通の便も良く、評判のアウトレットもあり、また、来年には、ホテルも出来る様子で、関東地区では、今、最も人気のマリーナだと思う。


▲途中で巡視艇とすれ違いました

 昨日のコースは、我々の最も好むルートで、三崎まで行って、街に上がり、いきつけの“紀の代”で、びんとろマグロや、むぎいかのにぎりを食べ、再び、帰ってくるという超定番コースであった。さすがに、マリーナ内は、猛烈に暑かったが、海にでると、直ぐに涼しくなり、気持ちよく、クルージングができた。帰りはさすがに、やや波がでたが、それでも大したことは無く、かなり陽に焼けた以外には、楽しい一日であった。

 アグリさんは明日から、インディ・カー・レースで、アメリカへ。さて、私の夏休みはいつとれるのだろうか。

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▲むぎいかのにぎり

投稿者 笹本健次 : 2005年8月 8日 11:50 | コメント (0)

2005年8月 5日

甲府一高の同窓会が開かれます

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 私の実家は、何度も書いているとおり山梨県の甲府市で、高校卒業の18歳までは実家で過ごした。高校は、甲府第一高等学校だったが、とても、自由な雰囲気で、生徒の自治に任せるようなところのある、懐の深い高校だったように思う。

 大学進学で東京に出てきてからは、クラブ(何と電気物理部に所属していた)のOB以外にはなかなか会う機会がなく、東京地区で行われている、という同窓会にも一回も出席したことが無かった。しかし、先日、分厚い同窓会名簿が送られて来て、クラスの仲間の消息もわかり、懐かしい、と思っているところへ、昭和43年卒の同窓会のお誘いがきた。

 現在、当時の卒業生、650人余のうち、何と200人以上が、京浜地区に在住しているそうである。私同様、大学をでて、そのまま東京に住む、というパターンが多いのだろう。

 名簿をみて、とても残念だったのは、高校3年の時、日本史のテストで必死の競争をしていた徳井和博君が、既に亡くなっていたことである。理工系志望の私にとっては、日本史の勉強はあまり重要ではなく、殆どゲーム感覚だったが、彼との競争はとても楽しかった記憶がある。

 東京同窓会の幹事には、東京よみうりカントリィクラブで、ご一緒している大先輩、ジャステックの神山さんもいる。これからは、同窓会には、できるだけ出席したいものだ。

投稿者 笹本健次 : 2005年8月 5日 13:15 | コメント (1)

2005年8月 4日

バラッカ少佐の飛行機の模型が当社の入り口に展示されました

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 フェラーリの有名な跳ね馬の紋章は、第一次世界大戦で、ドイツ軍機34機を撃墜したフランチェスコ・バラッカ少佐の愛機に描かれていたもので、もともと、撃ち落したシュツットガルト市所属の飛行機から採ったものとされている。

 この紋章を、バラッカ少佐の死後、両親からエンツォ・フェラーリが譲り受け、クルマにつけたのが始まりで、今や、フェラーリには、無くてはならないマークとなっている。

 実はこのバラッカ少佐の愛機を模型で製作した方がいて、なんと当社で飾らないか、というお話を頂いた。もちろん、喜んでOKで、今日、その戦闘機が到着した。

 作者は、フェラーリ・クラブの池田健一郎さんのお父様、池田奨理さんである。スペックは、1/4サイズ、エンジンはガソリン26cc、バルサに布張り、ウレタン塗装で、すべてハンドメイドの見事な出来栄えだ。

 さっそく当社社屋の入り口に飾らせていただいた。来社の際は、ぜひ、見て頂きたい。

投稿者 笹本健次 : 2005年8月 4日 17:52 | コメント (1)

2005年8月 3日

マルブの意味

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 このブログのタイトルのブがmarubu15.jpgになっているのに気付き、なお、その意味を知っている人は、恐らくスクランブル・カー・マガジン(現在のカー・マガジン)の創刊に近い頃から、当社の雑誌を読んでくれているはずだ。

 というのは、創刊まもなくの頃、クマネコ日誌という、現在で言えば、正にブログのようなスタッフ通信を、一冊の雑誌のなかで、スペースを捜してアチコチに少しずつ書いていた。今は最後の頁に纏めて書いているので、編集後記になってしまっているが、当時はスタッフの個人的なクルマ生活などを記していて、とても人気であった。そして、その頃の私のサインがmarubu15.jpgであったのである。

 だから、このマルブを知っている人はかなり昔から、当社の本を購入して頂いている方だと思う。今、とても人気のブログの原型を既に、20年以上も前からやっていたことに、少しだけ誇りを感じる。

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投稿者 笹本健次 : 2005年8月 3日 15:07 | コメント (0)

2005年8月 2日

昨日、ポルシェ356クラブが30周年を迎えました

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▲集まった5人の創立メンバー。
左前から、井関会長、青山氏、市川氏、後列左から、私、佐藤氏。

 昨日、2005年の8月1日、ポルシェ356クラブが30年目を迎えた。ちょうど、30年前の1976年の8月1日に、駒沢の三越シルバーハウスに10数台の356が集まり発足したクラブが、ここまで続くとは、当時の発足メンバーは誰も考えていなかったようだが、めでたく、30年目を迎えることができたのである。

 それを記念して、発足日と同じ日の昨夜、記念のパーティが開かれた。30年前に集まった創立メンバーのうち、写真の5人が出席したが、私が持っていった30年前の当日の写真の姿にみんな大笑い。全く、贅肉のついていないスリムな身体に、パンタロン、長髪で、30年間のあまりの変貌にビックリであった。

 私自身の当時を思い出すと、JTBに勤務の傍ら、丁度、処女作の書籍“スカイラインGT―R”を創っていて、9月のプリンス販売店の全国イベントに間に合わせるべく、必死に作業をしていた。そして、約一ヶ月後にGT-Rの本と共に、ネコ・パブリッシング(当時の企画室ネコ)が産ぶ声をあげることになるのだ。

 思い起こせば、この30年間のなかで、けっして、平穏にクラブが運営できた訳ではなく、一時期は、クラブ財政が大幅な赤字となり、イベント毎に、クラブ員全員で不用なパーツや、コレクターズ・アイテムをもちより、チャリティ・オークションをやって、何年もかけて立て直したこともあった。この催しはそれ自体とても楽しく、今でもパーティのメダマとして行われている。お陰で、クラブ財政も豊かになり、節目の今年はしっかりした記念本の製作も可能なほどになった。

 30年間、ポルシェ356を愛しつづけ、持ち続けたことに感謝と誇りを感じ、また、アット・ホームな暖かい雰囲気の356クラブが末永く続くことを祈念した一夜であった。なお、30周年記念の356ホリディは10月1、2日の2日間の日程で行われる予定だ。

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▲30年前の写真の一部。何と、一台はただの5ナンバー。

投稿者 笹本健次 : 2005年8月 2日 14:31 | コメント (5)

2005年8月 1日

軽い痛風になりました

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 実は、先々週のティーポのオーバー・ヒート・ミーティングで岡山国際サーキットに行った時、サーキット走行で疲れた後に、若いスタッフと共にビールと焼肉、という痛風に最も悪いパターンをやってしまった。帰京してから、今度は家族ですき焼きを食べてしまったから、それがトドメとなり、翌日は右足のくるぶしの一部が赤く腫れて痛く、まともには歩けない状態になってしまった。

 私はもともと、家系的に父親も叔父も痛風で、尿酸値も通常よりも高かったので注意はしていたのだが、まだ一度も痛みが出ていなかったのでうっかり油断してしまったということだ。しかし、幸いにも症状は比較的軽症で、クルマのアクセルもブレーキも踏めるし、痛みそのものも半日でとれた。

 これを機会に、このところ、やや肥満ぎみであった体重を落とすことにして、今は減量に励んでいる。好きな肉を食べないのは辛いが、逆に体重の減るのを毎日チェックするのが楽しみになってきたこの頃である。

投稿者 笹本健次 : 2005年8月 1日 17:11 | コメント (0)