2007年08月13日

クルマとSEX :CARトップ 昭和46年7月号&11月号

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硬派、あるいは純朴なカーキチが愛読するのがカーグラフィックやモーターファンだとしたら、CARトップはその正反対を行く自動車雑誌であろう。とくに昭和40年代の同誌は新車スクープあり、レースレポートあり、業界のキナ臭い裏情報ありと、読者を飽きさせない誌面作りは今読んでも十分楽しめる。この7月号では連載中の対談コーナー「高橋国光と走りながら話そう」に、ゲストとしてハードボイルド作家の大藪春彦を迎えている。これがまたクルマの話はほんの少しで、あとは全部オンナ。痔を患った大藪氏が「何しろ痔の手術をして1週間も経たないうちに、ガーゼをとって女の子と・・・だからね。(笑)」「スターリング・モスなんかレース前に、女を三人くらい取り換えたりしてましたね。(中略)クニさんもそんなレーサーにならないとね(笑)」といった具合である。なんとか話題の軌道修正を図ろうとするクニさんだが、その努力も空しく、大藪氏は全部そっちに話を持っていってしまう。苦笑するクニさんの顔が目に浮かぶほどだ。
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11月号ではそのものずばりの企画「カーセックス好みの車のタイプ」が登場。CARトップ誌記者が夜の駒沢公園や大磯、明治神宮といった有名スポットで決死の潜入ルポを敢行している。「三人ともブルージーンズをはいたヤング」「・・・まあ、大久保清が出るのはムリもないだろう」と、時代を感じさせるフレーズが泣かせる。ご親切なことに、各スポットで何色のどの車種がコトをイタしておったのかを表にしてまとめてくれている。車種名だけでなくグレード名まできっちりカバーされているところなど、さすがCARトップ編集部員だ。スカイライン2000GTやベレット、トヨタ1600GTなどクーペが目立つのはわかるとして、意外に健闘していたのがスバルR-2。さぞかし狭かったことだろう。昔、親父さんが若いころにスバルR-2に乗っていたという方がいらっしゃったら、もしかすると自分の出生の秘密がそこに隠されているかもしれないね。


 

2007年08月05日

式場壮吉のポルシェ : モーターファン 1975年7月号

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今はなき硬派月刊誌「モーターファン」である。通常の新車紹介やロードインプレッションだけでなく、各モデルのメカニズム解説にも毎回かなりのページを割いていた。この75年7月号では、海外メークス特集としてジャガーを紹介。同社の歴史、レースヒストリー、現行ラインナップ、技術的特徴など50ページ以上におよぶ力の入った特集であった。さて今回この号を取り上げたのは、ジャガーの記事を紹介したかったからではない。
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当時モーターファンには必ず中古車販売店とのタイアップ広告コーナーがあり、お店の紹介とそこの目玉中古車のインプレ記事がワンセットで掲載されていたのである。そしてこの号ではポルシェ904カレラGTSが紹介されているのだ。しかもそれは、あのスカG伝説を生み出した第二回日本グランプリで式場壮吉がドライブしたマシンそのものだと書かれている。売っていたお店は京都のトミタオート。ここは冨田義一氏が立ち上げた輸入車販売店で、ランボルギーニやマセラティといったスーパーカーをはじめ、さまざまな少量スポーツカーや高級車を売っていた、いわば伝説の店である。(その後、解良喜久雄氏と組んで「トミーカイラ」としてコンプリートチューニングカーを手がけてゆくことになる) どういうつてでこの貴重なヒストリーを持つ904を販売するにいたったのかはわからない。ただはっきりしているのは、この904が一時的とはいえ、850万円というプライスカードを下げて売られていたということである。冨田社長いわく「お金だけ積まれても売りません。このクルマの価値がわかり、クルマを愛する人で、メカにも詳しい人。そして屋根つきガレージをもっている人・・・こういった条件がそろわないかぎりは、とても売り渡す気にはなりません」とある。それはそうだろう。というか、もし僕が冨田氏だったら売らなかっただろう。ガレージにしまいこんで誰にも見せず独りで悦に入ってたはずだ、間違いなく。あのノーズをクラッシュした跡は(幸か不幸か)少し残っている、とある。ちなみに当時の初任給は約9万円。850万円は今のお金に換算すると、約2000万といったところか。あの歴史ごと買えると考えたら、決して高くはない金額だと思う。昔も今も僕には買えそうにないけど。


2007年07月25日

Oh ! My 街道レーサー :ホリデーオート 昭和53年12月号

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改造=暴走族だとみなされた暗黒の70年代。ホリデーオートだけは清く貧しい走り屋たちを応援し続けた。読者投稿の名物コーナー「Oh ! My 街道レーサー」では、メカチューン主体の硬派なマシンから、祭りの山車のようになってしまった珍車まで、その後80年代に本格化してゆくチューニング&ドレスアップ時代の原石のようなものを数多く発見できる。
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今回このコーナー巻頭に登場したマシンは、かなり気合が入っている。ベースは廃車のスズキ・フロンテだそうだ。プロの板金屋さんが仕事の合間にコツコツと作ったとある。リアウィングは木製で、ヘッドライトは当時全盛のスーパーカーらしくリトラクタブル。リア・エアアウトレットの形状が、唯一フロンテの面影を残すくらいで、あとはすべてオリジナルである。カッコよいかどうかはともかくとして、その存在感は次のページに出てくるフェアレディZやサバンナの比ではない。今でもこのクルマは残っているのかな。とっくに土に還ってるか。

2007年07月19日

イタリアの赤い虫たち -月刊 Pen 2005年10月1日号

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この手の雑誌で企画されるクルマ特集は、大抵どこかで見たことのあるような記事と海外ネタの翻訳で済まされるというパターンがほとんどだが、月刊ペンは違っていた。特集「イタリアの小さな車、小さなバイク」のために、イタリアまで取材に行っているのである。知る人ぞ知る小さなイベントに参加し、スタンゲリーニやバンディーニ、スタンガといった数少ない赤い虫たちを求めて、それぞれのオーナーの元を訪れている。別に1冊まるまるがこの特集というわけでもないのに、綿密に取材を重ねて作られたことに驚かされた。クルマの専門誌でもここまでやることはまれだと言ってもいい。
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そしてクルマやバイクの歴史やディテールよりも、それらにかかわる人々を中心に紹介しているのもよい。どんな貴重なマシンでも、それを愛し、知り尽くし、そして走らせることを心から楽しむ人がいてこそ意味があるのだよ、とあらためて教えてくれた1冊だった。

2007年07月14日

いすゞMX、東名を走る -CAR トップ 1970年3月号

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1969年東京モーターショーで話題をさらった、いすゞMXクーペ。2シーターで117クーペ用1600ccDOHCエンジンをミッドシップに搭載するGTである。発売されれば日本初の量産ミッドシップマシンとなるはずだったが、結局お蔵入りとなった。計画白紙の事情は諸説あるようだが、真相はわからない。ただ、いすゞはMXクーペの市販化を本気で考えていたことは事実のようで、この古いカートップ誌では東名を試走する姿がおさめられている。ただ今で言うスクープとは少し違うようだ。MXの前を走るのは、ニッサンがテストしている輸出用ダットサン240Zだし、パーキングエリアではMXのインテリアまでも記者に開放している。つまりこれは純粋なスクープではなく、ニッサンといすゞがジャーナリスト向けに開いた、チラ見せ程度の小試乗会ではないかと考えるのが自然だ。この後にはカーグラフィック誌などでもテストされている。もしMXクーペが市販されていたら、その後のいすゞは違っていただろうか。今でも乗用車を手がけていただろうか。何も変わりはしなかっただろうか。
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同じ号にはトヨタとニッサンのカンナム挑戦を追う記事も載せられており、富士と鈴鹿でお互いのタイムを意識しながらテストを重ねる両陣営の模様をレポートしている。記事中、12月の鈴鹿のテストで大クラッシュをしたトヨタ7・鮒子田寛の無事が伝えられている。アクセルが突然戻らなくなるというトラブルが最終コーナーで発生した、と書かれている。そしてこの事故から8ヶ月後、同じ鈴鹿でのテストで同様のトラブルが川合稔のトヨタ7を襲う。だが今度は助からなかった。川合稔の死後、トヨタはカンナム計画を破棄し、程なくニッサンも手を引いた。いすゞMXにしろ、このカンナム計画にしろ、どちらもその後あっけなく消えていったことを知る者としては、ただ空しく感じる記事である。