スクランブル・カー・マガジン 60号
このスクランでは、アストンマーチンDB4GTザガートが特集されている。当時は薄くてすぐ読めてしまうカーマガジンだったが、この特集は何度読み返しても飽きないほどすばらしかった。なぜなら私はこのクルマが大好きだから。こんな美しいクルマがあるのか、と最初に他の雑誌で見て思った。こんなに美しく、繊細なボディをまといながら純レーシングマシンなのか、と。同時代の他のレーシングマシンやロードスポーツも十分に美しかったが、DB4GTザガートだけは別格に思えた。そしてこれは私が心から欲しいと願った最初のクルマだ。「いつか手に入れるオレのクルマリスト」の筆頭に今もある。


本誌では、イギリスにある2台と、フランスにあるホワイトの1台(第1回日本グランプリで走ったモデルそのもの)を取材するとともに、当時この日本ですでに男の夢を実現していた中内康児氏所有の濃紺のDB4GTザガート(レジスターナンバー・22XKK)も紹介している。この22XKKは日本に来た当初、あの小林彰太郎氏が共同で所有されていたモデルで、カーグラフィック80年2月号で小林氏自身がレポートしている。中内氏は後にF1ブラバムチームのオーナーになられるほどの日本人離れした方だが、そのずっと以前から筋金入りのエンスージャストでもあったのだ。その後このDB4GTザガートの姿がまったく日本のメディアに登場していないことから考えると、おそらく再び海外へと売却されていったのだろう。最近の海外オークションに出品されるDB4GTザガートの落札価格は、たいてい十の桁に近い数億円まで上昇しているようだ。遠いなあ。もう手が届かないのか。あきらめるか。クルマは他に星の数ほどある。だがそんなとき、このスクラン60号をひっぱり出してきて読む。この濃紺のアストンをひとしきり運転する、頭の中で。そうすると、あきらめずがんばろうと思えるのだ。

イギリスにすごい親父がいた。ここで紹介されているクルマと、それを作った親父は本当にすごい。北アイルランドで計測器工場を経営する叩き上げの精密機械エンジニア、デビッド・ウッズは、元バイクのレーサーだった友人とともに理想のクルマを設計する。1950年代の半ばだ。デビッドはクルマのほぼすべてを設計した。エンジン、フレーム、サスペンション、ブレーキ、そしてボディまで。エンジンはドライサンプの1413cc空冷直列6気筒で前輪を駆動し、最高出力は136馬力。車両に載せる前に20,000キロ相当をテストベンチ上で回したと書かれているから、耐久性も問題ない。それよりも驚くべきはその馬力だ。リッター当たり97馬力。時代は1960年代初頭である。50年代グランプリマシンでもそこまでは到達していない。しかもこれは耐久性を考慮して、おとなしめのカムを組んでいながらの数値なのだ。ピストンこそマーレの鍛造を用いたが(最初は自製したが、思ったほど軽量化できず断念したとのこと)、三分割のクランクシャフト、コンロッドはデビッドが削り出し、他の部品も彼の工場内でほとんど作り上げられている。










