風戸 裕:セピア色の青春像 -カーマガジン 1988年2月号

「もう忘れてしまった何かがある。忘れてしまった誰かがいる。そんなセピア色に色褪せた記憶を、突然忘却の彼方から呼びもどす不思議な一瞬を貴方は感じたことはないだろうか。」風戸裕(かざと・ひろし)というレーサーの短い生涯を追った記事は、こういう出だしで始まる。風戸というレーサーが昔日本いたということは、この記事を読んで初めて知った。風戸は25才でこの世を去っている。そのときまで風戸は、国内レースはもとよりヨーロッパF2やカンナムなどに積極的に参戦し、着実に結果を残していた。そしてF1への道筋がはっきりとみえた1974年、そのレース後にワークスシェブロンF2のナンバー2ドライバーとしてヨーロッパへ旅立つことが決まっていた富士GC第2戦で、風戸の乗ったマシンは30度バンクで多重事故にまきこまれる。瞬く間に炎に包まれたマシンから救出された風戸は、だがすでに体の一部が炭化するほど全身に火傷を負っており、まもなくこと切れた。

あともう少しで日本人初のF1レギュラードライバーが誕生するはずだった。70年代にF1への扉が開かれたとしたら、日本のレース事情は、今とは良い意味でまったく違っていたのではないか。そう思うと、30年以上前にもなる風戸の死が、今さらながら残念でならない。「風戸裕が永遠に失うことのないF1の夢を手にしてから10年以上の歳月が過ぎ、今ようやくその夢が現実となって走り始めた。でももうそのセピア色の記憶の中に、まばゆいばかりの光を放つ星は見えない。」こう締めくくって特集は終わる。この切ない文章は、いつ読んでも少し泣きそうになってしまう。書かれたのは平野克己氏。永らくモデルカー誌の編集長を務められ、今もこのホビダス・ブログで氏の名文を拝見できる。



