ホンダ3リッターF1ベールをぬぐ -カーマガジン1966年10月号

ベースボールマガジン社から1960年代に発行されていた伝説のカーキチ雑誌「カーマガジン」である。特に、式場壮吉率いるレーシングメイトが実質的に編集するようになった1965年以降の同誌は、国内外のモータースポーツ記事を中心に、新車のインプレッション、チューニング、ドラテク、ファッションなどが誌面を飾るようになった。マシンとしてのクルマをレポートするのがカーグラフィック誌だとしたら、クルマをいかに楽しむかを追い求めたのがカーマガジン誌だったといえる(個人的な意見だが)。この1966年10月号では、次戦イタリアGP出場にむけて鈴鹿でテストされるRA273の姿がとらえられている。3リッター初年度の1966年、ホンダはマシン製作のためGPシーズン前半を欠場し、9月のイタリアGPがシーズン初参戦となる。結果からいうと、このRA272は途中2位まであがるもタイヤがもたずクラッシュ、ドライバーのリッチー・ギンサーは鎖骨を骨折してしまうのだった。面白いのは、この記事のなかで待望のニューマシン登場に喜ぶ反面、そのオーソドックスな作りに「失望させられた」とはっきり書かれていることである。ホンダならX24気筒やV32気筒エンジン(本当にそう書いてある)といった、他に誰もやらないことをしてヨーロッパ勢の鼻を明かしてくれよ、ということらしい。ホンダを一企業というより、むしろ日本代表として見ているのだが、この感覚は今もあまり変わらないかもしれない。

後半では式場氏自らがハンドルを握って、アルファロメオ・ジュリアGTVのインプレ記事を執筆。新車価格234万円とある。当時ではトヨタ2000GTと同じくらいの価格だったことになる。チューンナップ・コーナーでは、カリカリにいじられた日野コンテッサが登場。あくまでサーキットで速く走るための実戦的チューンなのが今とは若干異なる点か。



