いすゞMX、東名を走る -CAR トップ 1970年3月号

1969年東京モーターショーで話題をさらった、いすゞMXクーペ。2シーターで117クーペ用1600ccDOHCエンジンをミッドシップに搭載するGTである。発売されれば日本初の量産ミッドシップマシンとなるはずだったが、結局お蔵入りとなった。計画白紙の事情は諸説あるようだが、真相はわからない。ただ、いすゞはMXクーペの市販化を本気で考えていたことは事実のようで、この古いカートップ誌では東名を試走する姿がおさめられている。ただ今で言うスクープとは少し違うようだ。MXの前を走るのは、ニッサンがテストしている輸出用ダットサン240Zだし、パーキングエリアではMXのインテリアまでも記者に開放している。つまりこれは純粋なスクープではなく、ニッサンといすゞがジャーナリスト向けに開いた、チラ見せ程度の小試乗会ではないかと考えるのが自然だ。この後にはカーグラフィック誌などでもテストされている。もしMXクーペが市販されていたら、その後のいすゞは違っていただろうか。今でも乗用車を手がけていただろうか。何も変わりはしなかっただろうか。

同じ号にはトヨタとニッサンのカンナム挑戦を追う記事も載せられており、富士と鈴鹿でお互いのタイムを意識しながらテストを重ねる両陣営の模様をレポートしている。記事中、12月の鈴鹿のテストで大クラッシュをしたトヨタ7・鮒子田寛の無事が伝えられている。アクセルが突然戻らなくなるというトラブルが最終コーナーで発生した、と書かれている。そしてこの事故から8ヶ月後、同じ鈴鹿でのテストで同様のトラブルが川合稔のトヨタ7を襲う。だが今度は助からなかった。川合稔の死後、トヨタはカンナム計画を破棄し、程なくニッサンも手を引いた。いすゞMXにしろ、このカンナム計画にしろ、どちらもその後あっけなく消えていったことを知る者としては、ただ空しく感じる記事である。



