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   <title>ひっそり開店・古本屋のクルマ雑誌秘宝館</title>
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   <updated>2007-08-13T10:08:01Z</updated>
   <subtitle>クルマ雑誌。そこは恵まれないカーキチたちが束の間の夢をかなえた小宇宙。ここは、忘れ去られたクルマ雑誌の中から後世に語りつぐべき記事を独断で選び出し、そこに再び命を吹き込むブログである。</subtitle>
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   <title>クルマとSEX ：CARトップ　昭和46年7月号＆11月号</title>
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   <published>2007-08-13T08:46:59Z</published>
   <updated>2007-08-13T10:08:01Z</updated>
   
   <summary>　 硬派、あるいは純朴なカーキチが愛読するのがカーグラフィックやモーターファンだ...</summary>
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      <name>古戸 学</name>
      
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      <![CDATA[<img alt="blogcartop1.jpg" src="http://www.hobidas.com/blog/shop/lombardi/blogcartop1.jpg" width="160" height="120" />　<img alt="blogcartop4.jpg" src="http://www.hobidas.com/blog/shop/lombardi/blogcartop4.jpg" width="160" height="120" />

硬派、あるいは純朴なカーキチが愛読するのがカーグラフィックやモーターファンだとしたら、CARトップはその正反対を行く自動車雑誌であろう。とくに昭和40年代の同誌は新車スクープあり、レースレポートあり、業界のキナ臭い裏情報ありと、読者を飽きさせない誌面作りは今読んでも十分楽しめる。この7月号では連載中の対談コーナー「高橋国光と走りながら話そう」に、ゲストとしてハードボイルド作家の大藪春彦を迎えている。これがまたクルマの話はほんの少しで、あとは全部オンナ。痔を患った大藪氏が「何しろ痔の手術をして1週間も経たないうちに、ガーゼをとって女の子と・・・だからね。（笑）」「スターリング・モスなんかレース前に、女を三人くらい取り換えたりしてましたね。（中略）クニさんもそんなレーサーにならないとね（笑）」といった具合である。なんとか話題の軌道修正を図ろうとするクニさんだが、その努力も空しく、大藪氏は全部そっちに話を持っていってしまう。苦笑するクニさんの顔が目に浮かぶほどだ。
<img alt="blogcartop2.jpg" src="http://www.hobidas.com/blog/shop/lombardi/blogcartop2.jpg" width="160" height="120" />　<img alt="blogcartop3.jpg" src="http://www.hobidas.com/blog/shop/lombardi/blogcartop3.jpg" width="120" height="160" />
11月号ではそのものずばりの企画「カーセックス好みの車のタイプ」が登場。ＣＡＲトップ誌記者が夜の駒沢公園や大磯、明治神宮といった有名スポットで決死の潜入ルポを敢行している。「三人ともブルージーンズをはいたヤング」「・・・まあ、大久保清が出るのはムリもないだろう」と、時代を感じさせるフレーズが泣かせる。ご親切なことに、各スポットで何色のどの車種がコトをイタしておったのかを表にしてまとめてくれている。車種名だけでなくグレード名まできっちりカバーされているところなど、さすがCARトップ編集部員だ。スカイライン2000GTやベレット、トヨタ1600GTなどクーペが目立つのはわかるとして、意外に健闘していたのがスバルR-2。さぞかし狭かったことだろう。昔、親父さんが若いころにスバルR-2に乗っていたという方がいらっしゃったら、もしかすると自分の出生の秘密がそこに隠されているかもしれないね。


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   <title>式場壮吉のポルシェ　：　モーターファン　1975年7月号</title>
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   <published>2007-08-05T10:28:27Z</published>
   <updated>2007-08-05T11:29:54Z</updated>
   
   <summary>　　 今はなき硬派月刊誌「モーターファン」である。通常の新車紹介やロードインプレ...</summary>
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      <name>古戸 学</name>
      
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      <![CDATA[<img alt="blogmotorfan.jpg" src="http://www.hobidas.com/blog/shop/lombardi/blogmotorfan.jpg" width="120" height="160" />　<img alt="blogmotorfan%20%281%29.jpg" src="http://www.hobidas.com/blog/shop/lombardi/blogmotorfan%20%281%29.jpg" width="160" height="120" />　<img alt="blogmotorfan%20%282%29.jpg" src="http://www.hobidas.com/blog/shop/lombardi/blogmotorfan%20%282%29.jpg" width="160" height="120" />
今はなき硬派月刊誌「モーターファン」である。通常の新車紹介やロードインプレッションだけでなく、各モデルのメカニズム解説にも毎回かなりのページを割いていた。この75年7月号では、海外メークス特集としてジャガーを紹介。同社の歴史、レースヒストリー、現行ラインナップ、技術的特徴など50ページ以上におよぶ力の入った特集であった。さて今回この号を取り上げたのは、ジャガーの記事を紹介したかったからではない。
<img alt="blogmotorfan%20%283%29.jpg" src="http://www.hobidas.com/blog/shop/lombardi/blogmotorfan%20%283%29.jpg" width="160" height="120" />
当時モーターファンには必ず中古車販売店とのタイアップ広告コーナーがあり、お店の紹介とそこの目玉中古車のインプレ記事がワンセットで掲載されていたのである。そしてこの号ではポルシェ904カレラGTSが紹介されているのだ。しかもそれは、あのスカG伝説を生み出した第二回日本グランプリで式場壮吉がドライブしたマシンそのものだと書かれている。売っていたお店は京都のトミタオート。ここは冨田義一氏が立ち上げた輸入車販売店で、ランボルギーニやマセラティといったスーパーカーをはじめ、さまざまな少量スポーツカーや高級車を売っていた、いわば伝説の店である。（その後、解良喜久雄氏と組んで「トミーカイラ」としてコンプリートチューニングカーを手がけてゆくことになる）　どういうつてでこの貴重なヒストリーを持つ904を販売するにいたったのかはわからない。ただはっきりしているのは、この904が一時的とはいえ、850万円というプライスカードを下げて売られていたということである。冨田社長いわく「お金だけ積まれても売りません。このクルマの価値がわかり、クルマを愛する人で、メカにも詳しい人。そして屋根つきガレージをもっている人・・・こういった条件がそろわないかぎりは、とても売り渡す気にはなりません」とある。それはそうだろう。というか、もし僕が冨田氏だったら売らなかっただろう。ガレージにしまいこんで誰にも見せず独りで悦に入ってたはずだ、間違いなく。あのノーズをクラッシュした跡は（幸か不幸か）少し残っている、とある。ちなみに当時の初任給は約9万円。850万円は今のお金に換算すると、約2000万といったところか。あの歴史ごと買えると考えたら、決して高くはない金額だと思う。昔も今も僕には買えそうにないけど。


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   <title>Oh ! My 街道レーサー　：ホリデーオート　昭和53年12月号</title>
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   <published>2007-07-25T11:19:28Z</published>
   <updated>2007-07-25T11:56:57Z</updated>
   
   <summary>  改造＝暴走族だとみなされた暗黒の70年代。ホリデーオートだけは清く貧しい走り...</summary>
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      <name>古戸 学</name>
      
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      <![CDATA[<img alt="blogholiday.jpg" src="http://www.hobidas.com/blog/shop/lombardi/blogholiday.jpg" width="120" height="160" /> <img alt="blogholiday%20%281%29.jpg" src="http://www.hobidas.com/blog/shop/lombardi/blogholiday%20%281%29.jpg" width="160" height="120" />
改造＝暴走族だとみなされた暗黒の70年代。ホリデーオートだけは清く貧しい走り屋たちを応援し続けた。読者投稿の名物コーナー「Oh ! My 街道レーサー」では、メカチューン主体の硬派なマシンから、祭りの山車のようになってしまった珍車まで、その後80年代に本格化してゆくチューニング＆ドレスアップ時代の原石のようなものを数多く発見できる。
<img alt="blogholiday%20%282%29.jpg" src="http://www.hobidas.com/blog/shop/lombardi/blogholiday%20%282%29.jpg" width="160" height="120" />　<img alt="blogholiday%20%283%29.jpg" src="http://www.hobidas.com/blog/shop/lombardi/blogholiday%20%283%29.jpg" width="160" height="120" />
今回このコーナー巻頭に登場したマシンは、かなり気合が入っている。ベースは廃車のスズキ・フロンテだそうだ。プロの板金屋さんが仕事の合間にコツコツと作ったとある。リアウィングは木製で、ヘッドライトは当時全盛のスーパーカーらしくリトラクタブル。リア・エアアウトレットの形状が、唯一フロンテの面影を残すくらいで、あとはすべてオリジナルである。カッコよいかどうかはともかくとして、その存在感は次のページに出てくるフェアレディZやサバンナの比ではない。今でもこのクルマは残っているのかな。とっくに土に還ってるか。

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   <title>イタリアの赤い虫たち　－月刊　Pen　2005年10月1日号</title>
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   <published>2007-07-19T08:39:58Z</published>
   <updated>2007-07-19T09:20:36Z</updated>
   
   <summary>　　 この手の雑誌で企画されるクルマ特集は、大抵どこかで見たことのあるような記事...</summary>
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      <name>古戸 学</name>
      
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      <![CDATA[<img alt="pen.jpg" src="http://www.hobidas.com/blog/shop/lombardi/pen.jpg" width="120" height="160" />　<img alt="blog2.jpg" src="http://www.hobidas.com/blog/shop/lombardi/blog2.jpg" width="160" height="120" />　<img alt="blog2%20%281%29.jpg" src="http://www.hobidas.com/blog/shop/lombardi/blog2%20%281%29.jpg" width="160" height="120" />
この手の雑誌で企画されるクルマ特集は、大抵どこかで見たことのあるような記事と海外ネタの翻訳で済まされるというパターンがほとんどだが、月刊ペンは違っていた。特集「イタリアの小さな車、小さなバイク」のために、イタリアまで取材に行っているのである。知る人ぞ知る小さなイベントに参加し、スタンゲリーニやバンディーニ、スタンガといった数少ない赤い虫たちを求めて、それぞれのオーナーの元を訪れている。別に1冊まるまるがこの特集というわけでもないのに、綿密に取材を重ねて作られたことに驚かされた。クルマの専門誌でもここまでやることはまれだと言ってもいい。
<img alt="blog2%20%282%29.jpg" src="http://www.hobidas.com/blog/shop/lombardi/blog2%20%282%29.jpg" width="160" height="120" />　<img alt="blog2%20%283%29.jpg" src="http://www.hobidas.com/blog/shop/lombardi/blog2%20%283%29.jpg" width="160" height="120" />　<img alt="blog2%20%284%29.jpg" src="http://www.hobidas.com/blog/shop/lombardi/blog2%20%284%29.jpg" width="160" height="120" />
そしてクルマやバイクの歴史やディテールよりも、それらにかかわる人々を中心に紹介しているのもよい。どんな貴重なマシンでも、それを愛し、知り尽くし、そして走らせることを心から楽しむ人がいてこそ意味があるのだよ、とあらためて教えてくれた1冊だった。

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   <title>いすゞMX、東名を走る　－CAR トップ　1970年3月号</title>
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   <published>2007-07-14T07:20:01Z</published>
   <updated>2007-07-14T08:39:06Z</updated>
   
   <summary>　　 1969年東京モーターショーで話題をさらった、いすゞMXクーペ。2シーター...</summary>
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      <name>古戸 学</name>
      
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      <![CDATA[<img alt="blogtop.jpg" src="http://www.hobidas.com/blog/shop/lombardi/blogtop.jpg" width="120" height="160" />　<img alt="blogtop%20%281%29.jpg" src="http://www.hobidas.com/blog/shop/lombardi/blogtop%20%281%29.jpg" width="120" height="160" />　<img alt="blogtop%20%282%29.jpg" src="http://www.hobidas.com/blog/shop/lombardi/blogtop%20%282%29.jpg" width="160" height="120" />
1969年東京モーターショーで話題をさらった、いすゞMXクーペ。2シーターで117クーペ用1600ccDOHCエンジンをミッドシップに搭載するGTである。発売されれば日本初の量産ミッドシップマシンとなるはずだったが、結局お蔵入りとなった。計画白紙の事情は諸説あるようだが、真相はわからない。ただ、いすゞはMXクーペの市販化を本気で考えていたことは事実のようで、この古いカートップ誌では東名を試走する姿がおさめられている。ただ今で言うスクープとは少し違うようだ。MXの前を走るのは、ニッサンがテストしている輸出用ダットサン240Zだし、パーキングエリアではMXのインテリアまでも記者に開放している。つまりこれは純粋なスクープではなく、ニッサンといすゞがジャーナリスト向けに開いた、チラ見せ程度の小試乗会ではないかと考えるのが自然だ。この後にはカーグラフィック誌などでもテストされている。もしMXクーペが市販されていたら、その後のいすゞは違っていただろうか。今でも乗用車を手がけていただろうか。何も変わりはしなかっただろうか。
<img alt="blogtop%20%283%29.jpg" src="http://www.hobidas.com/blog/shop/lombardi/blogtop%20%283%29.jpg" width="120" height="160" />　<img alt="blogtop%20%284%29.jpg" src="http://www.hobidas.com/blog/shop/lombardi/blogtop%20%284%29.jpg" width="160" height="120" />
同じ号にはトヨタとニッサンのカンナム挑戦を追う記事も載せられており、富士と鈴鹿でお互いのタイムを意識しながらテストを重ねる両陣営の模様をレポートしている。記事中、12月の鈴鹿のテストで大クラッシュをしたトヨタ7・鮒子田寛の無事が伝えられている。アクセルが突然戻らなくなるというトラブルが最終コーナーで発生した、と書かれている。そしてこの事故から8ヶ月後、同じ鈴鹿でのテストで同様のトラブルが川合稔のトヨタ7を襲う。だが今度は助からなかった。川合稔の死後、トヨタはカンナム計画を破棄し、程なくニッサンも手を引いた。いすゞMXにしろ、このカンナム計画にしろ、どちらもその後あっけなく消えていったことを知る者としては、ただ空しく感じる記事である。




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   <title>ホンダ3リッターＦ1ベールをぬぐ　－カーマガジン1966年10月号</title>
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   <published>2007-07-10T09:55:53Z</published>
   <updated>2007-07-10T11:05:47Z</updated>
   
   <summary>　 ベースボールマガジン社から1960年代に発行されていた伝説のカーキチ雑誌「カ...</summary>
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      <name>古戸 学</name>
      
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      <![CDATA[<img alt="blog.jpg" src="http://www.hobidas.com/blog/shop/lombardi/blog.jpg" width="120" height="160" />　<img alt="blog%20%281%29.jpg" src="http://www.hobidas.com/blog/shop/lombardi/blog%20%281%29.jpg" width="160" height="120" />
ベースボールマガジン社から1960年代に発行されていた伝説のカーキチ雑誌「カーマガジン」である。特に、式場壮吉率いるレーシングメイトが実質的に編集するようになった1965年以降の同誌は、国内外のモータースポーツ記事を中心に、新車のインプレッション、チューニング、ドラテク、ファッションなどが誌面を飾るようになった。マシンとしてのクルマをレポートするのがカーグラフィック誌だとしたら、クルマをいかに楽しむかを追い求めたのがカーマガジン誌だったといえる（個人的な意見だが）。この1966年10月号では、次戦イタリアGP出場にむけて鈴鹿でテストされるRA273の姿がとらえられている。3リッター初年度の1966年、ホンダはマシン製作のためGPシーズン前半を欠場し、9月のイタリアGPがシーズン初参戦となる。結果からいうと、このRA272は途中2位まであがるもタイヤがもたずクラッシュ、ドライバーのリッチー・ギンサーは鎖骨を骨折してしまうのだった。面白いのは、この記事のなかで待望のニューマシン登場に喜ぶ反面、そのオーソドックスな作りに「失望させられた」とはっきり書かれていることである。ホンダならX24気筒やV32気筒エンジン（本当にそう書いてある）といった、他に誰もやらないことをしてヨーロッパ勢の鼻を明かしてくれよ、ということらしい。ホンダを一企業というより、むしろ日本代表として見ているのだが、この感覚は今もあまり変わらないかもしれない。
<img alt="blog%20%282%29.jpg" src="http://www.hobidas.com/blog/shop/lombardi/blog%20%282%29.jpg" width="160" height="120" />　<img alt="blog%20%283%29.jpg" src="http://www.hobidas.com/blog/shop/lombardi/blog%20%283%29.jpg" width="160" height="120" />
後半では式場氏自らがハンドルを握って、アルファロメオ・ジュリアGTVのインプレ記事を執筆。新車価格234万円とある。当時ではトヨタ2000GTと同じくらいの価格だったことになる。チューンナップ・コーナーでは、カリカリにいじられた日野コンテッサが登場。あくまでサーキットで速く走るための実戦的チューンなのが今とは若干異なる点か。

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   <title>風戸　裕：セピア色の青春像　－カーマガジン　1988年2月号</title>
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   <published>2007-07-07T07:26:18Z</published>
   <updated>2007-07-07T09:17:33Z</updated>
   
   <summary>　 「もう忘れてしまった何かがある。忘れてしまった誰かがいる。そんなセピア色に色...</summary>
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      <name>古戸 学</name>
      
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      <![CDATA[<img alt="blog30.jpg" src="http://www.hobidas.com/blog/shop/lombardi/blog30.jpg" width="120" height="160" />　<img alt="blog31.jpg" src="http://www.hobidas.com/blog/shop/lombardi/blog31.jpg" width="120" height="160" />
「もう忘れてしまった何かがある。忘れてしまった誰かがいる。そんなセピア色に色褪せた記憶を、突然忘却の彼方から呼びもどす不思議な一瞬を貴方は感じたことはないだろうか。」風戸裕（かざと・ひろし）というレーサーの短い生涯を追った記事は、こういう出だしで始まる。風戸というレーサーが昔日本いたということは、この記事を読んで初めて知った。風戸は25才でこの世を去っている。そのときまで風戸は、国内レースはもとよりヨーロッパF2やカンナムなどに積極的に参戦し、着実に結果を残していた。そしてF1への道筋がはっきりとみえた1974年、そのレース後にワークスシェブロンF2のナンバー2ドライバーとしてヨーロッパへ旅立つことが決まっていた富士GC第2戦で、風戸の乗ったマシンは30度バンクで多重事故にまきこまれる。瞬く間に炎に包まれたマシンから救出された風戸は、だがすでに体の一部が炭化するほど全身に火傷を負っており、まもなくこと切れた。
<img alt="blog32.jpg" src="http://www.hobidas.com/blog/shop/lombardi/blog32.jpg" width="160" height="120" />　<img alt="blog33.jpg" src="http://www.hobidas.com/blog/shop/lombardi/blog33.jpg" width="120" height="160" />
あともう少しで日本人初のF1レギュラードライバーが誕生するはずだった。70年代にF1への扉が開かれたとしたら、日本のレース事情は、今とは良い意味でまったく違っていたのではないか。そう思うと、30年以上前にもなる風戸の死が、今さらながら残念でならない。「風戸裕が永遠に失うことのないF1の夢を手にしてから10年以上の歳月が過ぎ、今ようやくその夢が現実となって走り始めた。でももうそのセピア色の記憶の中に、まばゆいばかりの光を放つ星は見えない。」こう締めくくって特集は終わる。この切ない文章は、いつ読んでも少し泣きそうになってしまう。書かれたのは平野克己氏。永らくモデルカー誌の編集長を務められ、今もこのホビダス・ブログで氏の名文を拝見できる。



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   <title>「世界の日本車」と「駆けろ2馬力　風より疾く」　－　月刊ナビ　1989年12月号</title>
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   <published>2007-07-04T06:20:41Z</published>
   <updated>2007-07-04T09:03:26Z</updated>
   
   <summary>　　 この頃（1989†1990年）、国産メーカーはその後の各社を代表するような...</summary>
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      <name>古戸 学</name>
      
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      <![CDATA[<img alt="blog26.jpg" src="http://www.hobidas.com/blog/shop/lombardi/blog26.jpg" width="120" height="160" />　<img alt="blog27.jpg" src="http://www.hobidas.com/blog/shop/lombardi/blog27.jpg" width="160" height="120" />　<img alt="blog28.jpg" src="http://www.hobidas.com/blog/shop/lombardi/blog28.jpg" width="160" height="120" />
この頃（1989～1990年）、国産メーカーはその後の各社を代表するようなモデルを次々に生み出し、外車にしてもありとあらゆるスーパーマシンが続々と日本に上陸していた。そんな時代のクルマ雑誌はどれも話題と刺激にあふれ、毎号発売されるのが楽しみであった。中でも当時の月刊誌「ナビ」の面白さは際立っていたと思う。独特の切り口と斬新な企画にあふれ、おまけに新車で出てくるクルマが前述通り気合の入ったモデルばかりだ。めちゃくちゃ面白かった。その極めつけが、この1989年12月号である。巻頭特集で日本車を海外の著名ジャーナリストたちに評価させている。日産はデビューしたばかりのスカイラインR32GT-Rをニュルブルクリンクに持ち込み、絶賛に近い評価を受けている。フランクフルトショーでは、ヨーロッパデビュー前の初代ユーノス・ロードスターが拍手をもって迎えられていることが伝えられている。BMW735、メルセデス420SELとの比較テストに臨んだレクサスLS400(初代セルシオ）は、ドイツのジャーナリストからは、よくはできているがヨーロッパの高級車を凌ぐほどではない、と判定された。当時このナビを読んだ僕は、別に国産車のファンでも何でもなかったが、GT-Rやユーノスが海外で認められた記事を読むとうれしく思ったし、セルシオがまだベンツやBMWに及ばないと見られたことに少し腹立たしさを感じた。クルマ好きという立場から日本人としてのアイデンティティを意識させられたのは、これが最初だったかもしれない。そして、この号のナビにはもうひとつ素敵な企画があった。
<img alt="blog29.jpg" src="http://www.hobidas.com/blog/shop/lombardi/blog29.jpg" width="160" height="120" />
アニメーター宮崎駿が愛車シトロエン2CVとの20年以上にわたる日々を、笑いと涙にあふれた書き下ろしマンガ「駆けろ2馬力　風より疾く」にしてくれている。7ページしかないが、これはクルマのマンガ史において最高傑作だと個人的には思っている。「世界の日本車」にしても「駆けろ2馬力」にしてもその内容は両極端ではあるが、読み終えた僕は、クルマ好きでいて本当によかったな、と心から思ったのである。





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   <title>パンサー・フェラーリ　－ル・ボラン1978年10月号</title>
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   <published>2007-07-01T09:08:22Z</published>
   <updated>2007-07-01T10:16:21Z</updated>
   
   <summary>　 以前お客さんから、パンサー・フェラーリというクルマの資料がないか、と聞かれた...</summary>
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      <name>古戸 学</name>
      
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      <![CDATA[<img alt="blog20.jpg" src="http://www.hobidas.com/blog/shop/lombardi/blog20.jpg" width="120" height="160" />　<img alt="blog21.jpg" src="http://www.hobidas.com/blog/shop/lombardi/blog21.jpg" width="160" height="120" />
以前お客さんから、パンサー・フェラーリというクルマの資料がないか、と聞かれたことがある。確かその方はクルマ屋さんで、在庫としてそのパンサー・フェラーリというクルマを持っているのだ、と語っていた。フェラーリのぶ厚い洋書からカーグラフィックのバックナンバーまで探したが、結局なにも発見できなかった。フェラーリの許可を得てパンサー社が数台だけ作ったうちの貴重な1台である、ともその方は語っていた。しかし、フェラーリの全モデルを網羅した資料の中でもそれが触れられていなかったことをみると、少なくともフェラーリとしては自社の名前をあまり名乗って欲しくはないモデルだったようだ。それからしばらくたった最近、30年ほど前のルボラン誌でそのクルマを発見した。フェラーリ330GTCをベースにパンサーが4台だけ作った、と記事にある。インプレッションを読むと、相当乗り手にきびしいマシンらしく、クラッチは異常なほど重く・・・高速で乗るにはかなりの体力が・・・といったコメントが並んでいる。そして記事の最後には、次のオーナーを探しているとある。あのクルマ屋さんが持っていたのは、おそらくこのマシンそのものだろう。しばらくそのクルマ屋さんのお店に鎮座していたパンサー・フェラーリは、いつの間にかいなくなっていた。まだ達者に走っているのだろうか。
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   <title>映画スタアと愛車　－　スクリーン　1961年6月号</title>
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   <published>2007-06-28T06:15:25Z</published>
   <updated>2007-06-28T07:06:19Z</updated>
   
   <summary> 俳優や有名タレントで、クルマ好きが多いというのは今に始まったことではない。今か...</summary>
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      <name>古戸 学</name>
      
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      <![CDATA[<img alt="blog14.jpg" src="http://www.hobidas.com/blog/shop/lombardi/blog14.jpg" width="120" height="160" />
俳優や有名タレントで、クルマ好きが多いというのは今に始まったことではない。今から40年以上前の映画月刊誌「スクリーン」では、「スタアと自動車」という特集がしっかりと組まれている。ちなみに表記は、スタア、であって、スター、ではない。カーではなく、すべてカア、だ。昔はそれが普通だったのだろう。カアク・ダグラスはビッグヒーレー、ユル・ブリンナーはメルセデス300SLロードスター、エルビス・プレスリーはドイツ土産にBMW507を買ったんだと。本当か？
<img alt="blog15.jpg" src="http://www.hobidas.com/blog/shop/lombardi/blog15.jpg" width="160" height="120" />　<img alt="blog16.jpg" src="http://www.hobidas.com/blog/shop/lombardi/blog16.jpg" width="160" height="120" />　<img alt="blog17.jpg" src="http://www.hobidas.com/blog/shop/lombardi/blog17.jpg" width="160" height="120" />
見えにくいけど、１番左の写真でゴーカートに乗っているのはブリジッド・バルドーである。ツナギ服とヘルメットで武装しているが、顔はハリウッド女優そのものだ。合成には見えないが、本物か？どうも疑り深くなってしまうが、これには理由がある。単なる映画のワンシーンから拝借した写真がまぎれているのは許せるとしても、いただけないのは肝心のクルマの名前が不正確な点。メルセデス190SLはすべて300SLになっているし、ランチアはランチェア？、ジェームズ・ディーンが乗っているのはポルシェ・スパイダア・・・。ジェームズ・ディーンの2台の愛車、356スピードスターと550スパイダーを混同させている記事はいまだに絶えないが、その始まりはここかもしれない。でも、仕方ないか。1961年といえばまだカーグラは創刊されていない。スクリーン編集部でも、少ない資料を頼りに何とか記事にしたのであろう。この企画は好評だったとみえ、この後のスクリーンやライバル誌「映画の友」でも同様の企画をたびたび組んでいる。確かに今でもスタアがどんなクルマに乗ってるのか、知りたいもんなあ。
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   <title>シュテファン・ベロフ、スパに散る　－　スポルティング・ティーポ　Vol.3</title>
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   <published>2007-06-26T07:09:53Z</published>
   <updated>2007-06-26T09:01:56Z</updated>
   
   <summary> 月刊誌「ティーポ」の増刊として、ヨーロッパ車のチューニング＆ドレスアップ例を紹...</summary>
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      <name>古戸 学</name>
      
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      <![CDATA[<img alt="blog11.jpg" src="http://www.hobidas.com/blog/shop/lombardi/blog11.jpg" width="120" height="160" />
月刊誌「ティーポ」の増刊として、ヨーロッパ車のチューニング＆ドレスアップ例を紹介していたのが「スポルティング・ティーポ」だった。その中に、毎回「名勝負列伝」と題した連載記事があった。カーレース史上で、記憶に残る名バトルがくりひろげられたり、マイナーイベントながら特筆すべき何かがおこったレースを振り返るものである。このVol.3では、1985年にスパ・フランコルシャンサーキットで開催された世界耐久選手権第7戦・スパ1000kmレースの模様が記されている。グループCカーが全盛期を迎え、このレースにもワークスのポルシェ・ランチア・ジャガーを始めとして、30台以上がエントリーしていた。優勝候補は2台のワークスのポルシェ962Cだったが、ブルンやクレマーといったプライベート・ポルシェ956勢も十分優勝を狙える位置にいた。27才のドイツ人、シュテファン・ベロフはそのブルン・ポルシェチームから参戦していた。ベロフは前年の84年にティレル・チームからF1デビューをしており、その年のモナコGPでは豪雨の中3位に入っている。その時2位だったのがトールマンの新人アイルトン・セナだったこともあり、ベロフの3位はあまり目立たなかった。だが、ベロフのペースは優勝したプロストはおろか、プロストを追い上げていたセナよりも圧倒的に速かったのである。シューマッハが出現する以前のドイツにおいて、彼は、大げさに言えば国民の期待を一身に浴びる最高の逸材だったのだ。
<img alt="blog12.jpg" src="http://www.hobidas.com/blog/shop/lombardi/blog12.jpg" width="160" height="120" /><img alt="blog13.jpg" src="http://www.hobidas.com/blog/shop/lombardi/blog13.jpg" width="160" height="120" />
ブルンチームはワークスを従えて首位を快走する。中盤のピットインでジャッキー・イクスの駆るワークスに抜かれたブルンチームは、代わったベロフが猛追を開始し、ついにイクスに追いついた。そしてスパ名物の高速コーナー、オールージュにさしかかる2台。ベロフはここで信じられない行動に出る。イクスに併走したまま、オールージュに飛び込んだのだ。一気に下って左、右へと続くコーナーを抜け、今度は上り坂をアクセルを踏み込んだまま駆け抜けるオールージュは、難易度、危険度において世界有数の高速コーナーである。そこをCカーが併走したまま抜けることなど、不可能なのだ。だが、そのときのベロフには見えていたのだと思う。世界最高のオーバーテイクを成功させる自分の姿が。そう思わないと、その無謀な賭けに対して説明が付けられない。だが、クリッピング・ポイントにつこうとするイクスのポルシェがベロフと接触した瞬間、その賭けは失敗に終わる。減速することなくコンクリートバリアに直角にぶつかったベロフのポルシェには、もはや生存空間は残されていなかった。こうしてシュテファン・ベロフは27年の短い生涯を終えた。あれからもう22年がたってしまった。
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   <title>シェルビー・コブラの真実　－　エーカーズ　1996年5月号</title>
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   <published>2007-06-24T08:51:41Z</published>
   <updated>2007-06-25T05:50:31Z</updated>
   
   <summary>　コブラが誕生してから、もはや40年が過ぎようとしている。とても古い。でも、なぜ...</summary>
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      <name>古戸 学</name>
      
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      <![CDATA[<img alt="blog9.jpg" src="http://www.hobidas.com/blog/shop/lombardi/blog9.jpg" width="120" height="160" />　<img alt="blog10.jpg" src="http://www.hobidas.com/blog/shop/lombardi/blog10.jpg" width="160" height="120" /><br clearall>コブラが誕生してから、もはや40年が過ぎようとしている。とても古い。でも、なぜこんなにカッコ良いのだろうか。いや、古いとか新しいとかいう感覚は、コブラを前にするとどうでもよくなってしまう。これ以上何も手を加えるな、といったところか。コブラを特集したクルマ雑誌は数多いが、さすがアメリカ車の専門誌エーカーズだけあって、429/289エンジンを始めとして、スペックの解説が充実している。
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   <title>ゲーリー・アラン・光永の伝説　-　ティーポ1992年9月号より</title>
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   <published>2007-06-22T10:40:00Z</published>
   <updated>2007-06-25T05:49:50Z</updated>
   
   <summary>　 このティーポでは珍しく（というかティーポ創刊以来、今のところ唯一かも）アメリ...</summary>
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      <name>古戸 学</name>
      
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      <![CDATA[<img alt="blog7.jpg" src="http://www.hobidas.com/blog/shop/lombardi/blog7.jpg" width="120" height="160" />　<img alt="blog8.jpg" src="http://www.hobidas.com/blog/shop/lombardi/blog8.jpg" width="160" height="120" /><br clear=all>
このティーポでは珍しく（というかティーポ創刊以来、今のところ唯一かも）アメリカン・マッスルカーが特集されている。そしてこの特集の締めくくりとして、福野礼一郎氏がひとつのアメリカンV8エンジンにまつわる話を書いてくれていた。1980年代初期、デトマソ・パンテーラで市販車最高速度記録に挑戦した男の話だった。これが、福野氏がゲーリー・アラン・光永について語った最初ではないかと思う。2ページに満たないものだったが、パンテーラに搭載されたシボレーV8エンジンがチューニングされていく過程を理論的に、そしてそのチューニングにすべてを注ぎ込み、あっけなく散っていったゲーリーの姿をドラマティックに記したこの記事は、私の胸を熱くしてくれた。おかげでこれ以降パンテーラが好きになり、そしてゲーリーの残像をも追いかけるようになってしまった。この話についてはもっと語りたいが、それはまた別の機会で。]]>
      
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   <title>究極のワンオフ・スペシャル　-　カーグラフィック1988年12月号より　</title>
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   <published>2007-06-20T07:42:33Z</published>
   <updated>2007-06-25T05:48:08Z</updated>
   
   <summary>イギリスにすごい親父がいた。ここで紹介されているクルマと、それを作った親父は本当...</summary>
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      <name>古戸 学</name>
      
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      <![CDATA[<img alt="blog4.jpg" src="http://www.hobidas.com/blog/shop/lombardi/blog4.jpg" width="120" height="160" align=left hspace=10 />イギリスにすごい親父がいた。ここで紹介されているクルマと、それを作った親父は本当にすごい。北アイルランドで計測器工場を経営する叩き上げの精密機械エンジニア、デビッド・ウッズは、元バイクのレーサーだった友人とともに理想のクルマを設計する。1950年代の半ばだ。デビッドはクルマのほぼすべてを設計した。エンジン、フレーム、サスペンション、ブレーキ、そしてボディまで。エンジンはドライサンプの1413cc空冷直列6気筒で前輪を駆動し、最高出力は136馬力。車両に載せる前に20,000キロ相当をテストベンチ上で回したと書かれているから、耐久性も問題ない。それよりも驚くべきはその馬力だ。リッター当たり97馬力。時代は1960年代初頭である。50年代グランプリマシンでもそこまでは到達していない。しかもこれは耐久性を考慮して、おとなしめのカムを組んでいながらの数値なのだ。ピストンこそマーレの鍛造を用いたが（最初は自製したが、思ったほど軽量化できず断念したとのこと）、三分割のクランクシャフト、コンロッドはデビッドが削り出し、他の部品も彼の工場内でほとんど作り上げられている。
<img alt="blog5.jpg" src="http://www.hobidas.com/blog/shop/lombardi/blog5.jpg" width="160" height="120" /><img alt="blog6.jpg" src="http://www.hobidas.com/blog/shop/lombardi/blog6.jpg" width="160" height="120" /><br clear=all>シャシはチューブラーフレームで、ボディはラバーブッシュを介してその上に載っている。サスペンションは4輪ダブル・ウィッシュボーン、ブレーキは4輪ともディスクで、キャリパーもディスクもデビッドが自分で作った。ちなみに、当時4輪ディスクブレーキを備えるロードカーは存在していない。ボディデザインおよび製作に関しては、当初イタリアの名だたるカロッツェリア数社に打診した。だが、いずれもまともに取り合ってくれないか、あるいは高額な代金を要求された。結局デビッドは古い知り合いだった無名の板金職人ビリーに製作を依頼することになる。ビリーはデビッドが描いたスケッチだけを頼りに、図面もなしにボディを作り上げた。構想から完成まで13年の歳月を要したこのクルマは、デビッドと友人のイニシャルをとってDAWB6と名づけられた。テストドライバーをつとめた友人いわく、エンジンサウンドは素晴らしく、信じられないほどスムーズで振動はほとんどない。ロードホールディングも素晴らしく、オンザレールでコーナーを抜ける、とのことだった。理想を追求し続け、既成の部品をほとんど使用しなかったこともあり、完成したのは1960年台の後半にさしかかっていたが、このクルマの基本設計は1950年代である。このあと登場してくる量産車でようやく実用化されたメカニズムやアイデアの数々が、このDAWB6ですでに形になっているのだ。それを考えると、デビッドがエンジニアとして、そしてクラフトマンとしていかに突出した才能を持っていたかがわかる。いや、才能というなら、自らが目指した理想のために一切の妥協を排し、それを貫き通す執念の持ち主であったことも常人のレベルをはるかに超えていたといえるだろう。
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   <title>スクランブル・カー・マガジン　60号</title>
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   <published>2007-06-19T08:00:06Z</published>
   <updated>2007-06-19T13:35:00Z</updated>
   
   <summary>このスクランでは、アストンマーチンDB4GTザガートが特集されている。当時は薄く...</summary>
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      <name>古戸 学</name>
      
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      <![CDATA[<img alt="blog1s.jpg" src="http://www.hobidas.com/blog/shop/lombardi/blog1s.jpg" width="120" height="160" hspace=10 align=left />このスクランでは、アストンマーチンDB4GTザガートが特集されている。当時は薄くてすぐ読めてしまうカーマガジンだったが、この特集は何度読み返しても飽きないほどすばらしかった。なぜなら私はこのクルマが大好きだから。こんな美しいクルマがあるのか、と最初に他の雑誌で見て思った。こんなに美しく、繊細なボディをまといながら純レーシングマシンなのか、と。同時代の他のレーシングマシンやロードスポーツも十分に美しかったが、DB4GTザガートだけは別格に思えた。そしてこれは私が心から欲しいと願った最初のクルマだ。「いつか手に入れるオレのクルマリスト」の筆頭に今もある。<br clear=all>

<img alt="blog2s.jpg" src="http://www.hobidas.com/blog/shop/lombardi/blog2s.jpg" width="160" height="120" /><img alt="blog3s.jpg" src="http://www.hobidas.com/blog/shop/lombardi/blog3s.jpg" width="160" height="120" hspace=5 /><br clear=all>
本誌では、イギリスにある2台と、フランスにあるホワイトの1台（第1回日本グランプリで走ったモデルそのもの）を取材するとともに、当時この日本ですでに男の夢を実現していた中内康児氏所有の濃紺のDB4GTザガート（レジスターナンバー・22XKK)も紹介している。この22XKKは日本に来た当初、あの小林彰太郎氏が共同で所有されていたモデルで、カーグラフィック80年2月号で小林氏自身がレポートしている。中内氏は後にF1ブラバムチームのオーナーになられるほどの日本人離れした方だが、そのずっと以前から筋金入りのエンスージャストでもあったのだ。その後このDB4GTザガートの姿がまったく日本のメディアに登場していないことから考えると、おそらく再び海外へと売却されていったのだろう。最近の海外オークションに出品されるDB4GTザガートの落札価格は、たいてい十の桁に近い数億円まで上昇しているようだ。遠いなあ。もう手が届かないのか。あきらめるか。クルマは他に星の数ほどある。だがそんなとき、このスクラン60号をひっぱり出してきて読む。この濃紺のアストンをひとしきり運転する、頭の中で。そうすると、あきらめずがんばろうと思えるのだ。]]>
      
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