驚愕のエクストリームショー「マルチプレックス」

 5月12日、13日の二日間、東京・お台場の一角は数多くのモーターサイクルファンに埋め尽くされた。この両日、今年で5周年を迎えたエクストリーム系イベント「マルチプレックス」が開催されていたからだ。今回のホビダス・モーターサイクル特集では、少しでも会場の雰囲気を伝えるために、動画を交えてこのイベントをレポートする。

「マルチプレックス」とは

東京・お台場の一角でエクストリーム系イベントが開催されること自体が驚きだ。集まったファンも熱い。
 マルチプレックスとは、その名が示す通り様々なコンテンツを複合的にみせるイベントだ。フリースタイルモトクロス、エクストリーム、フリースタイル・トライアル・エックス、MOTO-1、ドラッグレースなど、数々のショーやレース、デモンストレーションがコンパクトに凝縮・進行され、一日でそれら全てを楽しむことができるのだ。

 また、演じられる種目は競技をベースとするものであっても、エンターテイメント性が重視しているのがこのイベントの特徴だ。つまり、観客は難しい理屈抜きで各コンテンツを楽しめば良いのだ。


①②エクストリームでは、ウイリーやストッピーなどはもちろん、荒業が至る所で展開される。③④フジテレビ社屋をバックに高々とジャンプするフリースタイルモトクロス。空中では信じられないアクションが・・・

⑤お台場でスリリングなMOTO-1レースも見ることが出来る。⑥普段は土の上で行われるダートトラックレースも見せてしまうのがマルチプレックス流。⑦夕方にはライブも行われる。⑧2日間とも最後に行われる“GAMES TOKYO”は必見。

会場の全てが見所

スタジアム周辺のブースを見物することもこのイベントの大きな楽しみの一つだ。
 メインの舞台となる「スタジアム・エリア」には、「バックヤード&ショップストリート」や「カスタマーアベニュー」などのエリアが隣接し、緊張感あふれるショーの合間に一息ついたり、展示されたカスタムマシンを眺めたり、ストリートカルチャーを感じさせるイベントやショッピングを楽しむことも出来る。来場した観客を飽きさせない工夫が会場全体に凝らされているのだ。


①KTMのブースでは、モトGP125ccクラスで活躍する小山知良選手のトークショーが行われていた。②カスタムバイク展示エリアの一角で発見した所ジョージさんの単気筒スポーツスター③カスタマーアベニューではFMの中継が行われていた。④もちろん、各2輪メーカーのブースも見所のひとつだ。

会場の雰囲気は動画で

multiplex.gif 今回の取材では、マルチプレックス実行委員会の了承のもと、動画を撮影することが出来た。文章では伝えきれない会場の楽しさや雰囲気を感じ取っていただければ幸いである。

(*右の画像をクリックすると再生が始まります)

すっかり定着したマルチプレックス

感動的とも言えるフィナーレのひとコマ。力を出し切ったライダーたちに会場から惜しみない拍手が送られていた。
 今回で5年目となり、日本を代表するエクストリーム系イベントとしてすっかり定着した感があるマルチプレックス。交通至便な場所で行われ、手軽に参加できるエクストリーム系イベントとして貴重な存在でもある。新たなアイデアを盛り込みながら、今後もますます発展することを期待したい。

●記事制作:ホビダス編集部 渡辺
●協力:マルチプレックス実行委員会

ヤマハ・モーターサイクルデザインの変遷(後編)

 今回のホビダス・モーターサイクル特集では、前回に引き続き、「ヤマハ・モーターサイクルデザインの変遷(後編)」をお送りする。前編では主に1980年までのモデルにスポットを当てたが、今回は1980年以降のモデルがその主役となる。

FZ750

 1980年台に入るとヤマハは、パフォーマンスと洗練された雰囲気を融合したオーガニックデザインなどを採り入れ始める。絶大な人気を誇ったRZやXJ、SRXなどにその成果が見て取れる。また、膨らみだけではなく、内側へのマイナス曲面を生かしたデザインもこの頃のモデルの特徴となっている。

 この流れを受けて、1985年になると5バルブ構成の前傾4気筒、ジェネシス・エンジンを搭載したFZ750が発表される。絶対的なパフォーマンスを追求しながらも、フルカウルをもたない洗練されたデザインは、いかにもヤマハらしいこだわりに満ちたものだったが、この頃から大型車もレーサーレプリカ全盛時代へと突入。FZもFZRシリーズへと発展していくのだった。

 上の写真は1985年型FZ750。量産世界初の749cc水冷4ストローク5バルブDOHC前傾エンジンは77馬力を発生するとともに、高い直進安定性とコーナーリング性能をもたらした。当時の価格は79万8000円。右の写真は同じく1985年型のSRX600。メカ的な美しさや素材感など、いわゆる味わいを大切にしたモデルの先駆け的存在。大トルクの楽しさでも多くのファンを獲得した。排気量608ccの空冷4ストロークDOHC単気筒エンジンは42馬力を発生した。

Vmax

 アメリカ人が好むアメリカならではのパフォーマンス・イメージを追求したプロジェクトが1台のマシンを生み出した。当時最大排気量を誇ったフラッグシップ・クルーザーのエンジンを中心に据え、全てにボリューム感を重視したデザインを採用したこのモデルは、他に類を見ない全く新たなモーターサイクルでもあった。このモデルこそが、既に20年を超えるロングセラーとなったVmaxである。

 アメリカではパフォーマンスの象徴ともいえるV4エンジンと、マッチョなデザインの取り合わせは、アメリカや日本だけではなく全世界で一世を風靡した。Vmaxは、ヤマハ・モーターサイクルのデザインを語る上で欠かせない一台だと言うことが出来る。写真は1990年型のVmax。余裕のトルクと個性的な外観から、人気を博した。1197ccの水冷4ストロークDOHC・V型4気筒エンジンは97馬力を発生。当時の価格は89万円だった。

XTZ750 Super TENERE

 初の4ストローク・ビッグシングルXT500が発表されると、これらのマシンが走るパリ・ダカール・ラリーなどが注目されるようになる。XT500は1979年からパリダカに参戦を開始したが、そこでの経験をフィードバックすることで、ヤマハのビッグ・オフローダーは独自の進化を遂げることが出来たのである。そして、1983年に登場したXT600には砂漠の地名からとった“テネレ”の愛称が与えられ、そのデザインもパリダカ・イメージを強く押し出したものとされた。

 1990年になると、水冷化されたビッグシングルXT660Zとともに、さらに大排気量の水冷並列2気筒マシン、XTZ750Tも登場。その強烈なパリダカ・イメージから、多くのファンを獲得することとなる。写真は1989年型のXTZ750 Super TENERE。パワーユニットに水冷4ストローク5バルブDOHC並列2気筒エンジンを採用し、70馬力を発生。パリダカに勝利することで、その戦闘力の高さは証明されたのである。このモデルは輸出専用モデルであった。右の写真は1975年型XT500。4ストローク・ビッグシングルのロングセラー、SRのベースとなったモデル。OHC単気筒エンジンは30馬力を発生。当時の価格は37万円だった。

YZF-R1

 スーパースポーツのデザインでは、いち早くレーサー・イメージの踏襲から決別していたヤマハ。そして、生命体のように存在感があるデザインを目指した活動は、1998年に発表されたYZF-R1や、兄弟車のR6として結実した。

 獲物を狙い瞬時に反応する猛禽類の顔つきとなったカウル前面や、空力や運動性などの性能に寄与する形状、レース用マシンとは異なる樹脂成型ならではのボディーワークなど、かつてのFZシリーズがそうであったように、ヤマハのスーパースポーツは再び独特の美しさを追い求めるようになったのである。

 写真は1998年型のYZF-R1。「セカンダリーロード最速のビューティフル&エキサイティングスポーツ」として開発された次世代スーパースポーツだ。998ccの水冷4ストロークDOHC並列4気筒エンジンが発生する150馬力のパワーと、圧倒的なコーナーリング性能で人気を博した。輸出専用モデル。

MT-01(1999年モーターショーモデル)

 オリジナル・コンセプトで新たなカテゴリーを切り開いてきたヤマハは、DT-1、XS650スペシャル、SR、SRX、Vmaxなど、数々の名車を生み出してきたが、、1999年に発表されたコンセプトは、人の五感全てに訴えかける「鼓動」がテーマだった。

 2005年、それはプロジェクトネームそのものを車名としてデビューを飾ることになる。排気量1670ccという巨大な空冷Vツインエンジンはまさに鼓動を生み出したが、デザインにおいてもそれは全くの「新種」と言えるものであった。このモデルこそが、MT-01である。

 1999年の東京モーターショーで発表され、鼓動コンセプトの“人機官能”や、鼓動感や魂のこもった“力”を表現したMT-01のオリジナル・デザインは、可能な限り忠実に製品化され、現在のヤマハ・モーターサイクルデザインを象徴する一台として市場投入されたのである。

OTODAMA

 2001年、ヤマハはひとつのオブジェを発表した。「人の言葉が事象に繋がる不思議な力をもっている」という意味の“ことだま”と、鼓動や魂のこもった“力”のイメージを重ね合わせ、“OTODAMA(音魂)”と題されたこの作品は、スペックでは表現できない官能性能を大切にするヤマハの設計思想、“人機官能”を象徴したものだという。

 確かに、オブジェのエンジンは動くこともなくスペックも持たないが、この逞しい造形と金属の質感からは、人を惹きつける魅力が感じられるのである。


●協力:ヤマハ発動機
     東京プレミアムモーターサイクルショー実行委員会
●記事制作:ホビダス編集部 渡辺

ヤマハ・モーターサイクルデザインの変遷(前編)

『信じてきたのはモーターサイクルの美しさ
創業からの「挑戦と創造」はいまも続いている』

デザインにこだわるヤマハだけに、ブースそのもののデザインも極めて洗練されていた。
 「東京プレミアムモーターサイクルショー2007」のブースで配られていたヤマハ発動機のパンフレットにはこう記されていた。確かに、デザインの美しさでは既に確固たる地位を築いている同社だが、歴代モデルを眺めてみると、その美しさを改めて再認識せざるを得ない。
 そこで、今回のホビダス・モーターサイクル特集では、5月12日、13日の二日間、東京ビッグサイトで行われた「東京プレミアムモーターサイクルショー2007」に特別出展されたヤマハ発動機のブースから歴代の名車をご紹介するとともに、そのデザインの変遷を俯瞰してみたい。

YDS-1

 ヤマハ初のスポーツモデルとして登場したYDS-1。ゴールドとアイボリーの鮮やかなグラフィックは、1955年に登場したヤマハ初のモーターサイクルYA-1(赤トンボ)が採用したマルーンとアイボリーのグラフィックをその源流としている。当時から性能だけではなく、デザインにもこだわるヤマハの姿勢がこのモデルからも見て取れる。
 写真は1959年型のYDS-1。国産車初の5速トランスミッションやコンビネーションメーターの採用などが話題になった本格的スポーツモデルだ。エンジンは247cc空冷2ストローク並列2気筒。20馬力。当時の価格は18万5000円。

AT90

 1960年代後半になると、ヤマハはさらにオリジナリティーを発揮し始める。AT90では、燃料タンク形状の定番“ティアドロップ”ではなく、前方に鋭く伸びた独特の形状、社内通称サメタンクを採用し、個性的なデザインに早くも挑み始めたのである。
 写真は1965年型AT90。クラス初の2気筒エンジンを搭載したデュアルパーパスモデルで、ダブルシートの装着も可能であった。89cc空冷2ストローク並列2気筒エンジンは8.2馬力を発生。そのスポーツ性の高さから人気を博した。当時の価格は8万3000円。

DT-1

 1967年の東京モーターショーで、初のトレールモデル、DT-1がデビューを果たした。これまでに無いほどスリムな燃料タンクや、ライダーの足元で細く絞り込まれた楕円形状マフラーは、オフロードでのライディングの自由度を高めるための手法だったが、同時に都会的で繊細な外観のポイントとなっていた。DT-1が先鞭をつけたこの機能とデザインの融合は、以後2ストローク単気筒オフロード専用エンジンの開発とともに世界的なトレンドになっていくのである。
 写真は1968年型DT-1。本格的なトレールモデルの草分け的存在で、大径ブロックパターンのタイヤやエンジンガードなどを装備。機能も当時としては独創的だった。246ccの空冷2ストローク単気筒エンジンを採用し、出力は18.5馬力。当時の価格は19万3000円だった。

XS-1

 1970年、大排気量クラスに参入するためにヤマハが発表したモデルは、トラディショナルなバーチカル・ツインエンジン搭載モデルXS-1だった。当時既に大排気量クラスでは4気筒が主流となっていたが、あえてツインを選択したヤマハは、そそり立つシリンダーを強調するために前縁を前方に傾斜させたスリムな燃料タンクを採用するなど、デザインにおいても感性の違いを際立たせていた。そして、このデザインは2ストロークモデルにも受け継がれていくのである。
 写真は1970年型のXS-1。細身のダブルクレードルフレームにSOHCバーチカルツインの取り合わせは今見ても美しい。通称「ペケエス」。空冷4ストローク並列2気筒エンジンの排気量は653ccで、53馬力を発生した。当時の価格は33万8000円。

SR500/400

 言わずと知れたロングセラーSR500/400は、間もなく誕生30周年を迎える。1978年にデビューしたSRのデザインテーマは、エンジンや車体各部のコンポーネンツを、いかに自然な形で主張させつつ、バランスよく溶け込ませるかだった。ミリ単位でスリム化が検討された燃料タンクや、空冷単気筒エンジン、ストレートなマフラーなど、普遍的ではあるが全て緻密に計算されたデザインは今も変わることなく多くのファンに愛されているのである。
 上の写真は2007年型SR400(手前)と1977年型のSR500のツーショット。オフロードマシンXT500で得たビッグシングルのノウハウをオンロードマシンに投入したSR500は、強大で独特なトルク感を持ち、今も多くのファンを持つ。499ccの空冷4ストローク単気筒エンジンは32馬力を発生した。当時の価格は35万円。右の写真は1975年型XT500。前年に発売されたエンデューロマシンTT500を公道走行可能にしたモデル。空冷4ストロークOHC単気筒エンジンは30馬力を発揮。当時の価格は37万円だった。

XS650スペシャル

 ビラーゴやドラッグスターなど、ヤマハのクルーザー系モデルの源流が1978年に登場したXS650スペシャルだ。チョッパースタイルなど、日本のクルーザー・カスタムはヤマハが他社に先駆けて発表したこの「スペシャル」から始まったと言っても過言ではなく、ホースバックライティングを生み出すプルバックハンドルやメッキを多用した美しいフィニッシュなどが新しい価値観として受け入れられていった。それ以後、XS-1のバーチカルツインをベースとしたエンジンは、XJシリーズの4気筒や専用のVツインエンジンへと姿を変え、ビラーゴやドラッグスターへとネーミングも刷新しながら現在のクルーザー系モデルへと発展していくのである。
 写真は1978年型XS650スペシャル。北米市場を強く意識したデザインはヒットにつながった。653ccの空冷4ストローク並列2気筒エンジンは、XS-1と比べて僅かにディチューンされたようで51馬力。当時の価格は43万5000円。

RZ250

 1970年代には、アメリカの排ガス規制強化などにより瀕死の状態にあった2ストロークエンジンだが、1980年、ヤマハが発表した一台のマシンによって2ストロークは息を吹き返した。そのマシンこそが水冷エンジンテクノロジーを投入したRZ250であった。当時としては驚異的な加速と操縦性を誇ったが、デザインにおいても、世界グランプリなどで活躍するレース用マシンを彷彿とさせるロングタンクや、エキスパンションチャンバーを備えたマフラーなどを採用し、大ヒットとなった。その後のスポーツバイクに与えた影響は計り知れない伝説的なマシンである。この後、世界GPマシンYZR500をイメージしたRZV500Rの誕生にまで発展、レーサーレプリカ全盛時代へと突入していくのである。
 上の写真は、1980年型RZ250。水冷2ストローク並列2気筒エンジンだけではなく、モノクロスサスペンションなど、先進的な技術が投入され、操縦性も良好だった。35馬力。当時の価格は34万5000円。右の写真は、ワークスマシンYZRの技術をフィードバックした公道マシンRZV500R。市販車初の水冷2ストロークV型4気筒エンジンが話題になった。64馬力。当時の価格は82万5000円だった。


 以上、主に1980年までのモデルをご紹介してきたが、創業当時からデザインやカラーリングにおいて、ヤマハ発動機が強いこだわりを持っていたことがお分かりいただけたかと思う。次回は「ヤマハ・モーターサイクルデザインの変遷(後編)」をお届けする。

●協力:ヤマハ発動機
     東京プレミアムモーターサイクルショー実行委員会
●記事制作:ホビダス編集部 渡辺