ヤマハ・モーターサイクルデザインの変遷(前編)
『信じてきたのはモーターサイクルの美しさ
創業からの「挑戦と創造」はいまも続いている』
「東京プレミアムモーターサイクルショー2007」のブースで配られていたヤマハ発動機のパンフレットにはこう記されていた。確かに、デザインの美しさでは既に確固たる地位を築いている同社だが、歴代モデルを眺めてみると、その美しさを改めて再認識せざるを得ない。
そこで、今回のホビダス・モーターサイクル特集では、5月12日、13日の二日間、東京ビッグサイトで行われた「東京プレミアムモーターサイクルショー2007」に特別出展されたヤマハ発動機のブースから歴代の名車をご紹介するとともに、そのデザインの変遷を俯瞰してみたい。
ヤマハ初のスポーツモデルとして登場したYDS-1。ゴールドとアイボリーの鮮やかなグラフィックは、1955年に登場したヤマハ初のモーターサイクルYA-1(赤トンボ)が採用したマルーンとアイボリーのグラフィックをその源流としている。当時から性能だけではなく、デザインにもこだわるヤマハの姿勢がこのモデルからも見て取れる。
写真は1959年型のYDS-1。国産車初の5速トランスミッションやコンビネーションメーターの採用などが話題になった本格的スポーツモデルだ。エンジンは247cc空冷2ストローク並列2気筒。20馬力。当時の価格は18万5000円。
1960年代後半になると、ヤマハはさらにオリジナリティーを発揮し始める。AT90では、燃料タンク形状の定番“ティアドロップ”ではなく、前方に鋭く伸びた独特の形状、社内通称サメタンクを採用し、個性的なデザインに早くも挑み始めたのである。
写真は1965年型AT90。クラス初の2気筒エンジンを搭載したデュアルパーパスモデルで、ダブルシートの装着も可能であった。89cc空冷2ストローク並列2気筒エンジンは8.2馬力を発生。そのスポーツ性の高さから人気を博した。当時の価格は8万3000円。
1967年の東京モーターショーで、初のトレールモデル、DT-1がデビューを果たした。これまでに無いほどスリムな燃料タンクや、ライダーの足元で細く絞り込まれた楕円形状マフラーは、オフロードでのライディングの自由度を高めるための手法だったが、同時に都会的で繊細な外観のポイントとなっていた。DT-1が先鞭をつけたこの機能とデザインの融合は、以後2ストローク単気筒オフロード専用エンジンの開発とともに世界的なトレンドになっていくのである。
写真は1968年型DT-1。本格的なトレールモデルの草分け的存在で、大径ブロックパターンのタイヤやエンジンガードなどを装備。機能も当時としては独創的だった。246ccの空冷2ストローク単気筒エンジンを採用し、出力は18.5馬力。当時の価格は19万3000円だった。
1970年、大排気量クラスに参入するためにヤマハが発表したモデルは、トラディショナルなバーチカル・ツインエンジン搭載モデルXS-1だった。当時既に大排気量クラスでは4気筒が主流となっていたが、あえてツインを選択したヤマハは、そそり立つシリンダーを強調するために前縁を前方に傾斜させたスリムな燃料タンクを採用するなど、デザインにおいても感性の違いを際立たせていた。そして、このデザインは2ストロークモデルにも受け継がれていくのである。
写真は1970年型のXS-1。細身のダブルクレードルフレームにSOHCバーチカルツインの取り合わせは今見ても美しい。通称「ペケエス」。空冷4ストローク並列2気筒エンジンの排気量は653ccで、53馬力を発生した。当時の価格は33万8000円。
言わずと知れたロングセラーSR500/400は、間もなく誕生30周年を迎える。1978年にデビューしたSRのデザインテーマは、エンジンや車体各部のコンポーネンツを、いかに自然な形で主張させつつ、バランスよく溶け込ませるかだった。ミリ単位でスリム化が検討された燃料タンクや、空冷単気筒エンジン、ストレートなマフラーなど、普遍的ではあるが全て緻密に計算されたデザインは今も変わることなく多くのファンに愛されているのである。
上の写真は2007年型SR400(手前)と1977年型のSR500のツーショット。オフロードマシンXT500で得たビッグシングルのノウハウをオンロードマシンに投入したSR500は、強大で独特なトルク感を持ち、今も多くのファンを持つ。499ccの空冷4ストローク単気筒エンジンは32馬力を発生した。当時の価格は35万円。右の写真は1975年型XT500。前年に発売されたエンデューロマシンTT500を公道走行可能にしたモデル。空冷4ストロークOHC単気筒エンジンは30馬力を発揮。当時の価格は37万円だった。
ビラーゴやドラッグスターなど、ヤマハのクルーザー系モデルの源流が1978年に登場したXS650スペシャルだ。チョッパースタイルなど、日本のクルーザー・カスタムはヤマハが他社に先駆けて発表したこの「スペシャル」から始まったと言っても過言ではなく、ホースバックライティングを生み出すプルバックハンドルやメッキを多用した美しいフィニッシュなどが新しい価値観として受け入れられていった。それ以後、XS-1のバーチカルツインをベースとしたエンジンは、XJシリーズの4気筒や専用のVツインエンジンへと姿を変え、ビラーゴやドラッグスターへとネーミングも刷新しながら現在のクルーザー系モデルへと発展していくのである。
写真は1978年型XS650スペシャル。北米市場を強く意識したデザインはヒットにつながった。653ccの空冷4ストローク並列2気筒エンジンは、XS-1と比べて僅かにディチューンされたようで51馬力。当時の価格は43万5000円。
1970年代には、アメリカの排ガス規制強化などにより瀕死の状態にあった2ストロークエンジンだが、1980年、ヤマハが発表した一台のマシンによって2ストロークは息を吹き返した。そのマシンこそが水冷エンジンテクノロジーを投入したRZ250であった。当時としては驚異的な加速と操縦性を誇ったが、デザインにおいても、世界グランプリなどで活躍するレース用マシンを彷彿とさせるロングタンクや、エキスパンションチャンバーを備えたマフラーなどを採用し、大ヒットとなった。その後のスポーツバイクに与えた影響は計り知れない伝説的なマシンである。この後、世界GPマシンYZR500をイメージしたRZV500Rの誕生にまで発展、レーサーレプリカ全盛時代へと突入していくのである。
上の写真は、1980年型RZ250。水冷2ストローク並列2気筒エンジンだけではなく、モノクロスサスペンションなど、先進的な技術が投入され、操縦性も良好だった。35馬力。当時の価格は34万5000円。右の写真は、ワークスマシンYZRの技術をフィードバックした公道マシンRZV500R。市販車初の水冷2ストロークV型4気筒エンジンが話題になった。64馬力。当時の価格は82万5000円だった。
以上、主に1980年までのモデルをご紹介してきたが、創業当時からデザインやカラーリングにおいて、ヤマハ発動機が強いこだわりを持っていたことがお分かりいただけたかと思う。次回は「ヤマハ・モーターサイクルデザインの変遷(後編)」をお届けする。
●協力:ヤマハ発動機
東京プレミアムモーターサイクルショー実行委員会
●記事制作:ホビダス編集部 渡辺
創業からの「挑戦と創造」はいまも続いている』
そこで、今回のホビダス・モーターサイクル特集では、5月12日、13日の二日間、東京ビッグサイトで行われた「東京プレミアムモーターサイクルショー2007」に特別出展されたヤマハ発動機のブースから歴代の名車をご紹介するとともに、そのデザインの変遷を俯瞰してみたい。
YDS-1
写真は1959年型のYDS-1。国産車初の5速トランスミッションやコンビネーションメーターの採用などが話題になった本格的スポーツモデルだ。エンジンは247cc空冷2ストローク並列2気筒。20馬力。当時の価格は18万5000円。
AT90
写真は1965年型AT90。クラス初の2気筒エンジンを搭載したデュアルパーパスモデルで、ダブルシートの装着も可能であった。89cc空冷2ストローク並列2気筒エンジンは8.2馬力を発生。そのスポーツ性の高さから人気を博した。当時の価格は8万3000円。
DT-1
写真は1968年型DT-1。本格的なトレールモデルの草分け的存在で、大径ブロックパターンのタイヤやエンジンガードなどを装備。機能も当時としては独創的だった。246ccの空冷2ストローク単気筒エンジンを採用し、出力は18.5馬力。当時の価格は19万3000円だった。
XS-1
写真は1970年型のXS-1。細身のダブルクレードルフレームにSOHCバーチカルツインの取り合わせは今見ても美しい。通称「ペケエス」。空冷4ストローク並列2気筒エンジンの排気量は653ccで、53馬力を発生した。当時の価格は33万8000円。
SR500/400
XS650スペシャル
写真は1978年型XS650スペシャル。北米市場を強く意識したデザインはヒットにつながった。653ccの空冷4ストローク並列2気筒エンジンは、XS-1と比べて僅かにディチューンされたようで51馬力。当時の価格は43万5000円。
RZ250
以上、主に1980年までのモデルをご紹介してきたが、創業当時からデザインやカラーリングにおいて、ヤマハ発動機が強いこだわりを持っていたことがお分かりいただけたかと思う。次回は「ヤマハ・モーターサイクルデザインの変遷(後編)」をお届けする。
●協力:ヤマハ発動機
東京プレミアムモーターサイクルショー実行委員会
●記事制作:ホビダス編集部 渡辺



