●記憶の記録
昨年末は取り憑かれたように大掃除をした私ですが(何を整理したかったんだろう・・・(笑)謎)、その際に「いつの時代の遺産やねん?!」みたいなインスタントカメラが出土した。
本当にいつのものなのか全く記憶にない。
片方は妹の字で妹の名前が書いてあるコダック製、もう片方は英語のパッケージのFUJIFILM。どうやら海外で買ったモノみたいなんだけど、製造はどちらもかるく6年前、とか。どこに行った時のカメラなのさえも覚えていない。
で、昨日ぽこっと出来た散歩時間に、怖いもの見たさで現像に出してきたんです
ショップのお姉さんも、「これは・・・ちょっと古すぎますからね、現像できるかどうか」と渋い顔。
とにかく全部なんにも写ってなくても、やってみて下さいと預けてみた。
結果、こんな記憶の記録がかようにはっきりと!プリントされて出てきちゃった。
すっぴんの若かりし頃のオレ、妹、わんこ、その時住んでいた西成区の家、そしてそして・・・・
コレ!!!!
ただの人気のないサーキットちゃいますよ。
よく見て。
これ、広州の珠海なんです!!
私はこれをきっかけに、何度か中国でレースクイーンをさせてもらいました。
香港から高速船で1時間ほど渡った、広州の珠海というところのサーキット。
このときは8耐にも出ていらしたライダー・深見貴広さんがアジア選手権を撤退される年だったということで、最終戦に連れてってもらったんですよ。
「せっかくチャレンジしてきた大会なんだけど、今年で撤退するの。最後だから、華を添えてあげて」と、マネージャー路子さんの嬉しいオファーに応えて、路子さん&ふたりの娘さんも一緒に。
香港のフェリーターミナルで妹のスズカちゃんをだっこしながら、チケットを買う路子さんを待ったこと、よく覚えてるな・・・
聞こえる広東語が理解できなくて、とても不安だったな。
あのとき初めて香港に降り立った私、なんて雑多でなんてエネルギッシュな街なんだろう、とぼんやり思ってたっけ。
あんまり好きなテンションじゃないな、なんて。
それが何年かのち、半分住むようなくらいベッタリ仕事含めてのお付き合いをするようになるなんて知りもしないで。
今やあのフェリーターミナルまで目をつぶってもいけるくらいのスレようですが、思えばなんにも知らないで、チャレンジングな旅だった。
着いたら深見さんクラッシュして骨折してるし。
それでも深見さんは「最後だから」と鎮痛剤を飲んでレースに挑みました。
結果は・・・やっぱ思わしくなかったような・・・だって左手?右手?手の甲を骨折してるんですよ?
でも完走だけはしっかりして、帰って来てくれました。
あの時の生ぬるい珠海の夜、閉幕パーティーで大会主催のオーストラリア人のジジイに「君は将来何になりたいの?」と聞かれ、「わかんないんだよね」と答えたら、なぜか「じゃあ僕が部屋で・・・」と手を握られたこと(なんでやねん!)。
さらっとお断りして別のテーブルに移動しましたが、その「No idea.I lookin' for myself」だけは、今でも覚えてる。
不安な気持ちで、子供を抱いてチップをせがむホームレスを見ていたな。
本当に自分の将来なんて、なんにも見えなかった、探せなかった。
だけどそうやってふらふらしながらも、中国でレースクイーンをした不思議な縁に感謝していたな。
写真からあふれ出す物語は、あっという間に私をいっぱいに満たしてどんどんあふれて、小説を読んでるみたいな気分だった。
まるで他人みたいだ。
このあとあたしは当時所属していた事務所のマネージャーにノイローゼになるほどいびられ、挙句ギャラの未払いを受けて事務所を辞め、東京の事務所にスカウトされてGTのレースクイーンになり、上京し、ご縁あってまた香港に渡ったりし、ジャーナリストの先生方に出逢い、憧れてこの業界にアシを突っ込み、今に至る。
または、同時進行でGTレースクイーン時代にほぼノーギャラでやっていたMC業務に目を付けてくれた制作会社からMCの仕事を頂けるようになり、モータスポーツ系イベントでMCをさせてもらえるようになった。
文字にしたらたったそれだけの。
だけど、1片の写真はそれらの情報すべてを内包して。
あの頃の自分、それからこれからの自分。
ちょうど真ん中の、今の自分。
このタイミングで現像をしたってことの、深い意味を考えずには居れない出来事でした。
深見さん、路子さん。
みんな、お元気でしょうか?





