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2006年12月24日
父に感謝
2週間以上、ブログをお休みしてしまい、申し訳ない。
僕にとっては人生で最も辛い出来事が起きていたためで、ご勘弁いただきたい。
実は、父が12月13日に、79歳8ヶ月で亡くなったのである。
僕の父、中島昭夫は、1927(昭和2)年4月に東京・本所で生まれた。
府立化学工業学校(現・都立化学工業高校)在学中、海軍に飛行予科練習生(予科練)として入隊。
土浦航空隊での訓練の後、厚木の第302航空隊に1945(昭和20)年3月に配属になったのだが、運良く飛行機に乗らないまま終戦を迎えた。
戦後は親族を頼り、京都でネクタイ・メーカーへ勤務。
1952(昭和27)年に母と結婚し、4人の子供をもうけた。
1959(昭和34年)に東京に戻り、1969(昭和44)年に独立。
つい最近まで自宅でネクタイ関連の仕事を続けていた。
昨年「原発不明癌」と診断され、今年8月に肺に癌が転移していることがわかったのだが、治療の方法がないとのことで、11月に入院し、それから1ヶ月余で亡くなってしまった。
父は仕事の面では厳しかったようだが、家では子供好きの優しい人だった。
商売柄お洒落で、江戸っ子らしい世話好きな人でもあった。
僕にとって一番大きかったのは、決してマニアではなかったのだが、父がクルマ好きで、運転も好きだったということだ。
僕が生まれた時は、ナッシュ・ランブラーという、かなり珍しいアメリカ製セダンが家にあり、これに乗せられていた。
ただ、東京の狭い道で走ることや、部品の入手が難しくなったこともあり、僕が物心つく頃には、スバル360カスタム(ワゴン)へと替わっていた。
更に僕や姉たちが大きくなるにつれ、スバル1000、いすゞフローリアン、マツダ・初代ルーチェ、日産セドリック230 4HTへと代替わりしていった。
これらのクルマに乗せてもらうのが、僕は本当に大好きだった。
2歳の頃からずっと変わることなく、クルマに興味を示し続ける我が子のために、父はミニカーを買い与えてくれたり、東京モーターショーに連れて行ってくれたりした。
1966(昭和41)年のモーターショーで買ってもらった自動車ガイドブックは、表紙がボロボロになるまで見て、殆どのクルマの車名はもちろん、出力や最高速度、価格などを暗記してしまった。
今僕がこうした仕事をしているのは、間違いなくこの経験があったからだと思う。
そう言えば、僕が高校の時、「3ない運動」と呼ばれたバイクに乗せないキャンペーンがあったのだが、父は父兄会議の席で担任に、「若いうちから運転をきちんと覚えさせないから、下手な奴が増えて、事故が起きるんだ。怪我をして痛い目に遭うのも自分の責任なんだから、バイクに乗せる乗せないを学校に指図される覚えはない」と言ったのだそうだ。
お陰で僕は高校1年からミッション付の原付(ミニトレ)に乗っていたし、それ以前から助手席でずっと父の運転を見ていたので、流れに乗って走ることや、危険の避け方、狭い所で譲り合う時のやり方や挨拶の仕方など、クルマの運転のコツのようなものは四輪免許を取る前から大体わかっていて、実際四輪の運転にはすぐ馴れることができた。
これも父のお陰と思っているし、父の助手席で学んだことは、今でも役立っている。
2004(平成16)年にくも膜下出血を患うまで父はフォード・レーザーを運転しており、その後遺症のために運転できなくなったことを、残念がってもいた。
どんなに具合が悪くても、クルマに乗せてあげると機嫌が良くなり、最後に入院するためにエグザンティアに乗せた時も、身体が痛くて動けないはずなのに、楽しそうに話しをしていた。
遺言らしい遺言を何ひとつ遺さなかった父だが、生前なぜか、「俺が死んだら、お宮付きの霊柩車はやめてくれ。アメ車のいいヤツの寝台型のがいいな」と、それだけは何度か言っていた。
海軍のエラい人は、国産車には乗らずアメリカ車に乗っていたと聞くから、その影響もあるのだろうが、いかにもハイカラなものが好きな父らしい遺言だったと思う。
実際、葬儀の行われたセレモニーホールから近くの斎場までは、キャディラックの寝台型霊柩車に乗せてあげることができた。
位牌を持って霊柩車の助手席に座り、後ろの父の棺に向かって、「キャディラックは乗り心地がいいね」と心の中で話しかけたのだが、父は満足してくれただろうか?
僕が今こうして、自分の好きなことをやって生きていられるのも、父のお陰と本当に感謝している。
ただその一方で、父には何も親孝行らしいことをしてあげられず、本当に申し訳なく思っているし、後悔してもいる。
今になってみれば、もっともっと父とたくさん話しをしておけば良かったと思う。
そしてもっともっと、父をいろんなクルマに乗せてあげれば良かったと思っている。
どうかあの世とやらで、大好きなクルマの運転を心ゆくまでして欲しい。
そして、かつて青春を捧げた飛行機の操縦も久しぶりに楽しんで欲しいと、親不孝者の息子は願っている。
投稿者 中島秀之 : 2006年12月24日 22:20
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コメント
Tipoの編集後記を読んで
開いてきました
お父様のご冥福を
深くお祈りいたします
親不孝な娘なので
少しでも、父が笑顔になってくれることを
してあげようと思います
ナカジー、元気出してね
投稿者 にゃおにゃお : 2007年02月03日 14:47
にゃおにゃおさん、わざわざありがとうございます。
先週49日法要と納骨を終え、ようやく少し落ち着いた気がします。
ただ、まだ何かにつけ、思い出してしまうことがあり、今暫くは寂しい思いが続くのだろうと思います。
明後日発売のティーポ3月号で、メルセデス・ベンツ280SLのインプレを僕が担当しているのですが、そこでも父との思い出を書いていますので、是非ご覧ください。
投稿者 ナカジ〜 : 2007年02月04日 03:12
了解です~~
今までも、ご家族の事を書かれた記事は
温かかったので、嬉しく拝見しておりました
3月号も楽しみにしております♪
「千の風になって」の歌詞が
もしかしたら癒やしてくれるかもしれません・・・
ナカジーも、体に気をつけてくださいね
投稿者 にゃおにゃお : 2007年02月04日 21:05

