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2008年01月
2008年01月31日
ニューイヤーミーティングを見学(その2)
ニューイヤー・ミーティングで、僕が気になった、というか気に入った国産車をご紹介している。
今回は日産車といすゞ車から。
日産は昔からハコスカやZを始めとして、旧車の人気が高い。今回もたくさんのエントリーがあったが、以前よりオリジナル志向の人が増えてきたような気がする。
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左は1963年式セドリックDX(G31)。初代セドリックのビッグマイナー後のモデルだが、我が家には同じような色のダイヤペットのミニカーがあり、他人とは思えなかった(?)。ほぼオリジナルの非常に良いコンディション。右は1967年式のスカイライン2000GT-A(S54A)。品川5ナンバーで、これもオリジナルの美しいコンディション。グリルは前期型(プリンス時代)のもののはずだが、なんとなくオーラが出ているような、迫力ある佇まいだった。
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左は、1965年式ブルーバード1300ファンシーDX(P411)。女性オーナー向けに用意されていたファンシーDX、それも静岡5ナンバーということで、とても貴重な1台。オリジナル状態なのに、車高を下げてしまっているのが残念。こうしたクルマをシャコタンにするのが、若い人たちの間で流行のようだが、我々からすれば、「なんて、もったいないことを!」と思えてしまう。右は1975年式のダットサン・ピックアップ(620)。北米仕様と思われる左ハンドル車で、リアにシェルを背負った姿が、いかにも70年代の西海岸風でカッコ良かった。
いすゞの乗用車は、マニアックなファンの人が大切にしている印象が強い。特にべレットは、日本のアルファ的存在のクルマだけに、今も根強い人気があるようだ。
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左は1968年式のべレット1500DX。まるで新車のように美しくレストアされていた。べレットはバリエーションが豊富な上、マイナーチェンジを頻繁に行ったので、細部がクルマごとに違うが、現車は、現存数が少ないと思われる2ドアセダンで、テールランプは横長の台形タイプ。右は1970年式のフローリアン1800(中期型)。フローリアンは117クーペとシャシーを共有する、やはりギア(ということはジウジアーロ?)デザインのセダン。子供の頃我が家で、1967年登場の初期型(角2灯のヘッドライト)1600に乗っていたことがあるので、懐かしかった。個人的には、初期型がデザイン的に最も美しいと思う。
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左は、いすゞがノックダウン生産をしていた、1965年式ヒルマン・ミンクス・スーパーDX。練5という古いナンバーのついた、美しいコンディションに保たれた個体。英国車そのままの姿なのに、非常に日本的に見える不思議なクルマ。右は、1970年式べレットGT-Rの前に、「狼派」と「羊派」のエンブレムが置かれているところ。この「狼派」と「羊派」については、ティーポ本誌でもご紹介しているが、当時いすゞは、べレットを「狼派」、フローリアンを「羊派」と称して、コマーシャルに使用していた。で、カタログやポスターなどにこのエンブレムが必ず入れられていたというわけ。僕は自宅にフローリアンがあったため、当時随分とこのエンブレムを目にした記憶がある。フリーマーケットのお店を開いていたベレGRのオーナーさんに伺ったところ、この大きなエンブレムは、当時ディーラーで壁にかけるなどして使用していたものだそうだ。さすがに、「非売品です」とのことだったが。
投稿者 中島秀之 : 14:59 | コメント (0) | トラックバック
2008年01月30日
ニューイヤー・ミーティングを見学(その1)
1月27日に、毎年この時期恒例の、JCCAニューイヤー・ミーティングがお台場で開催された。
今年は参加台数も多ければ、見学者の数も多くて、例年以上に熱く盛り上がっていた。
僕は、ティーポ次号に速報的に掲載するために取材に出かけていたのだが、ティーポに掲載するのは、やはりヨーロッパ車が中心。
ただこのイベントは、もともと国産旧車が中心のため、かなり面白い車両がたくさん展示されていた。
そこで、参加していた国産車の中から、僕が気になったクルマをご紹介したいと思う。
まず第1回目の今回は、コンクール・デレガンスのテーマとなっていたトヨタ車から。
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左は1965年式コロナ1500で、ワンオーナーのシングルナンバー車。カーマガジン賞を受賞した。右は同じ1965年式のRT40系コロナだが、グレードがスタンダード。よくこんなのが残っていたなという感じだが、そのかなりくたびれた雰囲気とともに、いい味を出していた。
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左は、1962年式の観音開きクラウンと、それをベースとした2ドアワゴンである1961年式マスターラインが並んでいるところ。このマスターラインは、アメリカンな雰囲気に仕上げられており(右)、ちょっとかわいらしい感じだった。
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左は1975年式のセリカ1600GTで、ラリーカー風にモディファイされていた。右は1974年式のやはりセリカ1600GTVだが、当時のストリートレーサー風にモディファイされていた。特にフロントのクリアーカバーは、流行したアイテム。2台とも当時の雰囲気そのままで、楽しかった。
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左は1976年式のカローラリフトバック1600。TE37(52)系のLBは、現存数極少だろう。右はKP47と61の2ショット。47は当時の16バルブ・レーサー風のカラーリング、61は当時のTSレース風のモディファイと、ともに凝った演出。
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この2台は本誌でもご紹介したのだが、左は1969年式のカローラバン1200。まるで今日納車された新車のようなコンディションで、審査員特別賞を獲得した。右は1981年式コルサ・ソフィア。トヨタ初のFF車だが、すっかり姿を見なくなった。現車は、お母さんが新車から大切に乗ってこられたものを、息子さんがキレイにして、昔から出たかったというこのイベントに初めて参加したという、感動的なお話の1台。
ノスタルジック・ヒーロー賞を獲得した。
投稿者 中島秀之 : 19:36 | コメント (2) | トラックバック
2008年01月26日
相次ぐ訃報に涙
いつも見ているモータースポーツ専門サイトで、アンダース(アンデルス)・オロフソンが亡くなったことを知った。
22日にスウェーデンの自宅で、眠ったまま亡くなったという。
55歳だった。
アンダースさんとは、ティーポが太田哲也さんと共にル・マン24時間にチャレンジしている時に知り合い、非常に仲良くしていただいた。
このため、ティーポ・ファミリーの一員を失ったようで、なんとも寂しい気持ちだ。
アンダースさんは確か、1986年に、ボルボ・ワークス・チームの一員として、富士で行われたインターTECに参戦するため、初めて日本にやってきたはずだ。
このレースで優勝すると、日産ワークスからお声がかかり、当時まだ珍しかった「外人レーサー」として、日本で数多くのレースに出場することになる。
ヨーロッパでF3、F2とフォーミュラを経験し、その後ツーリングカー・レースに転じただけに、腕が確かなのはもちろんだが、いかにも北欧の人らしい、常に控えめで、思慮に富んだタイプゆえに、日本のレースにピタリとマッチしたのだろう。
その後は日産のワークスドライバーとして、特に長谷見昌弘さんとの名コンビで、グループAのR32GT-RやグループCカーで大活躍した。
ただ僕たちティーポのメンバーとは、1993年の秋に、イタリア・バレルンガのレースに太田さんが出場した時と、1994年に太田さんが2度目のル・マンに挑んだ際、太田さんの所属したシンプソン・チームと同じトティップのスポンサーでF40を走らせていた、エネア・チームのドライバーとして親しくなった。
翌1995年には、太田さんがル・マンでエネアのF40を、アンダースさんと、デラさんことルチアーノ・デ・ラ・ノーチェと共に走らせることになり、一気に仲良くなった。
この年は、アンダースさんが予選アタック中に、ユノディエールでタイヤバーストに見舞われたのだが、ピットに戻って冷静に状況を説明する姿を見て、なんてプロフェッショナルなんだと驚いた覚えがある。
結局この年は序盤でリタイアしてしまうのではあるが、これが縁で、1997〜1998年の全日本GT選手権GT300クラスに於ける、フェラーリF355GTによるチャレンジで、アンダースさんにご協力いただくことになる。
このF355GTによるチャレンジは、太田さんとの名コンビで、1997年のオールスター戦(もてぎオーバル)での、感動的な優勝に結実するのだが、翌年第2戦の大クラッシュで終焉を迎えたのはご存知の通りだ。
一方でアンダースさんは、その腕を買われて、1997年のル・マンには、ガルフ・マクラーレンF1GT-Rのドライバーとしてル・マンに出場する。
この年は太田さんが出場しなかったため、僕たちは取材のついでに、アンダースさんの応援をずっとしていたのだが、あれよあれよといううちに順位を上げた41号車のマクラーレンは、結局総合2位、GTクラス優勝という、大金星を挙げるのだった。
面白いのは、その優勝直後、アンダースさんを祝福に行ったら、「今夜夕飯を一緒に食べましょう」とアンダースさんが言ったこと。
祝賀会とかありそうなものだが、「いや、特にないから、行きましょう」と言うので、ティーポ初代編集長の山崎憲治さんたちと共に、ル・マン市内で小さな祝勝会を開いた。
ワインが好きで、なかなか詳しいアンダースさんのお勧めのワインで、皆すっかり酔っぱらったのを昨日のことのように思い出す。
またこの年8月の鈴鹿1000kmでも、2台のワークス・メルセデスに次ぐ3位表彰台に立ったと記憶している。
その後第一線を退いた後は、スウェーデン国内のツーリングカー・レースで日産車を走らせるチームを運営したり、若いドライバーの育成に力を注いでいたという。
山崎さんは、その後イエテボリの近くにある自宅を訪ねたり、ずっと連絡をとっていたそうだ。
突然の訃報は、本当に残念で仕方ない。
是非またお会いして、あの「真顔で言うジョーク」を聞いてみたかった。
山崎さん、太田さん、そしてJTCでコンビを組んだ木下隆之さんも、突然の悲報に驚き、残念がっている。
唯一の救いは、眠っている間に、苦しむことなく亡くなられたであろうこと。
心からご冥福をお祈りします。
それにしてもここのところ、僕の大好きな人たちの訃報が相次いでいる。
英国エージェントのマイクさん、ノリック、そして昨年末には、かつて日産ワークスのキャプテンとしてレースで活躍され、引退後は富士GCシリーズのテレビ中継の名解説者として活躍された田中健二郎さんも亡くなられたという。
健二郎さんとは全く面識はないが、僕がレース中継に携わりたいと思ったきっかけを与えてくださったお一人でもある。
改めて哀悼の意を捧げたい。
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1997年の鈴鹿1000kmで、アンダースさんを取材する僕。
投稿者 中島秀之 : 13:50 | コメント (4) | トラックバック
2008年01月23日
次号はオープンスポーツカー特集(その2)
ティーポ次号の特集は「オープンスポーツカー」。
それゆえ、この寒い中、連日オープンカーの取材が行われている。
今日の東京は雪だが、やはり雪の予報が幸運にも外れた月曜日には、編集部員全員+ジャーナリストの森口将之さんと、ジャーナリスト「見習い」の今井優杏(ゆうき)さんが、都内某所に集合し、100万円台で買えるオープンスポーツカーの一気乗りを行った。
編集部員5人がそれぞれお勧めの車種を持ち込み、それを編集長と森口さん、今井さんが、多角的に採点して、ベスト1を選ぼうというもの。
どんな車種が集まって、どんな結果になったかは、2月6日発売のティーポ3月号で楽しんでいただきたい。
ま、でも、せっかくなので、ちょっとだけお見せしておこう。
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さぁ、これが何かおわかりだろうか? タイヤが細いのでヒストリックなライトウェイト・スポーツカーなのは間違いない。でも、こんなに前輪が切れるって知ってた?
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これはもうクルマが何かは、すぐおわかりだろう。それより、なにやら怪しい撮影のようにも見えるこの写真の方が??かも。あ、これは、それぞれお気に入りのポイントを撮影しているところなので、誤解なきよう。
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このクルマは少し難しいかな。ヒントは+2のシートがあること。笑顔なのは、モータージャーナリスト見習いの今井優杏さん。お尻だけでは申し訳ないので・・・。
投稿者 中島秀之 : 12:21 | コメント (2) | トラックバック
2008年01月18日
次号はオープン・スポーツカー特集
ここのところ、東京も寒い日が続いており、昼間の最高気温が5~6度なんて日も珍しくない。
そんな中、ティーポ次号の取材が行われているのだが、次号の特集のテーマは「オープン・スポーツカー」。
なので、この寒い中、編集部員が交代で、連日オープンカーに乗り、屋外で撮影することが続いている。
僕は先日、大好きなMG2台のロケを行ってきた。
程度の良い英国製ヒストリックカーの販売で有名な、ガレージ日英さんから、1965年式のMG-Bと1969年式のMGミジェットをお借りし、ジャーナリストの熊倉重春さんに乗っていただくという内容だ。
お台場までMGBで自走していったのだが、あまりの寒さに、さすがにオープンにして走ったのは、撮影の時だけだった。
ところが熊倉さんは、なんとご自身で1972年以来大切にされているという、1959年式のカニ目(オースチン・ヒーレー・スプライトMk.1)をオープンにして、西荻の自宅から走ってこられたとのこと。
このカニ目、最近リペイントされたばかりだそうだが、それを差し引いても、まるで新車のように美しいコンディションで、ナンバーも購入当時の練馬55という古いものがそのままついていた。
さすがは、熊倉さんの愛車! と、感心してしまった次第。
その後、2台のMGの取材はスムーズに終了し、熊倉さんは昼食に激辛坦々麺にラー油をたっぷり入れたものを食べて身体を温め、またフルオープンのカニ目で帰っていかれた。
僕たちは、もちろん幌を閉じて(!)、ガレージ日英さんまで車両を返しに伺ったのだった。
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緑の方がミジェットで赤がMG-B。MG-Bは昭和40(1965)年に日本に新車で輸入されたクルマだった。
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熊倉さんのカニ目は抜群にグッドコンディションだった。古い練馬ナンバーも雰囲気に合っている。僕が20年以上持っているMG-Bは、1982年の新規登録で練馬58ナンバーだから、1972年からの僅か10年で、55、56、57、58と、練馬陸事管轄の車両だけでも、急速に登録台数が増えたことがわかる。
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撮影のために屋根を開けて少し走ったが、ヒーターが効いていたので、それほど寒くは感じなかった。
ただ、ずっとオープンで走り続けるのは、さすがに気がひけたので、車両返却の際には再び幌を閉じて走ることにした。ま、風邪の予防にも、その方が良いだろうし・・・。ちょっと言い訳がましい!?
投稿者 中島秀之 : 00:16 | コメント (3) | トラックバック
2008年01月14日
東京オートサロンを見学(その2)
東京オートサロンで、僕が気になったその他のクルマをご紹介しよう。
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今年のスーパーGTに参戦する日産GT-Rが、新しいカラーリングで展示されていた。
なんとなく細長く見えるボディは、スーパーGTというより、パイクスピーク・ヒルクライムのような特殊なイベント用のマシンのようにも見える。
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マッハGoGoGoのアメリカ版、スピードレーサーの実写版映画が間もなく公開されるのだそうだ。マトリックスの監督が撮るそうなので、面白くなりそう。
それにしても、僕が子供の頃リアルタイムで見ていたアニメが、40年近くを経て、ハリウッドで映画になるのは、なんとも不思議な感じだ。
今回展示されていたのは映画で使用された車両らしく、マッハ号はちょっとリアがボテッとしている感じだが、なかなかよく出来ていた。
ライバルのマシンは、まるでタミヤのダンガンレーサーのようで、クラシックなマッハ号とはちょっとイメージが違うかな。
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お馴染みの由良拓也さんは、今年もオートサロンで大活躍。
まずはプリウス由良バージョンが、国内初お目見え。
プリウスの空力を、由良さんが長年の経験から改良したもので、今後アンダーボディを装着した上で微調整を行い、鹿児島往復の燃費チャレンジを行う予定だとか。
デザインは、さすが由良さんで、かなりカッコいい。
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もう1台、服部尚貴選手の発案で由良さんがデザインと製作を担当した、マークX Zioのコンセプトカーは、まるでスーパーGTマシンのよう。
カスタムカーコンテストのコンセプトカー部門で最優秀賞を獲得したとのこと。
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左はオートバックスのブースにあった、ラパンのルノー4仕様。
よくできてはいるのだが、ここまでやるなら、最初からキャトル買った方が良いのでは?
しかもキャトルのグリルはパーツ難らしいので、こうした目的で使うのはどうかと思うが。
右は、内装プロデュースのイズミーが展示していたデミオ。カラーは凄いが、さすがの仕上がり。
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マツダのブースには、間もなくマイナーチェンジが行われるRX-8が、なぜか説明もなく、そーっと展示されていた。
右はトヨタのブースにあった、ルミオンのアジアン・インテリア仕様。
まぁわからないではないが、こうなると最早クルマではなく、普通に部屋だ。
トヨタは自動運転の技術開発に本腰を入れているようで、将来はこんな「部屋」が勝手に動くことになるのだろうか。
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最後にオマケ。この手のイベントでよく売られている、カーメーカーのマークの入ったプレートなのだが、これはなんと、ティーポ別冊のアルファ&ロメオのマークではないか!
版権は・・・、まぁ堅いこと言わない方がいいか。
投稿者 中島秀之 : 21:16 | コメント (2) | トラックバック
2008年01月11日
東京オートサロンを見学(その1)
今日は、幕張で行われている、東京オートサロンに行ってきた。
ここ数年オートサロンでは、屋外で行われるレースカーのデモ走行やトークショーの司会などを担当していたのだが、今年屋外ではD1マシンによるドリフトのデモ走行が行われるだけで、僕の出番はなし。
このため、じっくり会場を見ることができた。
で、全体的な印象なのだが、どうも自動車メーカーが、チューニングに対して、かなり冷静というか、クールになってきている印象を受けた。
例えば、ホンダは市販車しか展示していないに等しかったし、日産は、タイヤですら純正しか使用を認めていないGT-Rを、スーパーGTマシン以外展示していなかった。
もちろん、パーツ・メーカーや、有名チューニング・ブランドは、相変わらず頑張ってはいるのだが、なんとなく元気がない印象を受けてしまった。
さてそんなオートサロンではあったのだが、気になるクルマももちろんあった。
そこで、僕が特に注目したクルマをご紹介したい。
今回はその1回目。
採り上げるのは、このレクサスIS-F レース仕様だ。
まずは写真をご覧いただこう。
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照明が眩しいのにボディが黒く、かなり見えにくいと思うが、これは、どこからどう見ても、僕が長い間実況を担当している、DTM(ドイツ・ツーリングカー選手権)仕様のマシンだ。
ご承知の通り、現在DTMは、メルセデス・ベンツとアウディの2社しか参戦しておらず、3社目の参戦を、関係者やファンの誰もが待ち望んでいる状況だ。
そこにこのIS-FのDTM仕様の登場。
スワ! トヨタがDTM参戦か? とも思ったのだが、マシンの横にはこんなボードがひとつ置かれいているだけ。
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実験車両? なんだ、そりゃ!
だって、明らかにDTM用だし、その作り込みも、実験用なんて生やさしいもんじゃないのだ。
ほら、この通り。
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タイヤはDTM用のダンロップ製のものだし、ブレーキもおそらくDTM専用のタイプだ。
インテリアは完全に作り替えられており、後退したドライビングシートや、やたらと頑丈なロールケージなど、明らかにDTMの流儀に則った作り。
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給油口は、DTM中継でお馴染みの、右リアサイドウインドウ部につくタイプ。
極めつけは、このサイドステップ。ここ数年のDTMマシンのトレンドになっている空力処理となっている。
ここまでやっておいて、実験車両もないもんだろう!
しかも、横のモニターでは、このマシンのテスト走行風景が流されていたのである。
で、聞いてきましたよ、現場で担当者の方に。
それによると、これはあくまで「IS-F」の可能性を探り、市販車にノウハウを活かせるように実験的に作った車両なのだそうだ。
ただ、現在のDTMの規定に合わせて製作したことは間違いないとのこと。
また給油口の横に書かれたドライバー名は、ISのプロジェクト・リーダーの矢口さんの名前だそう。
映像に写っていたテスト風景は、富士スピードウェイとポール・リカールで収録されたものだそうだ。
そう、既にヨーロッパでの実走テストも行われているのである。
しかもテスト・ドライバーは、かつて旧DTMマシンでレースに出場したこともある、あの人だった(一応内緒なので名を伏せるが、元トヨタのエース)!
ここまでやっておいて、ホントに単なる実験車両なのだろうか?
希望も含めて、トヨタには、是非ともDTM参戦を実現して欲しいものである。
投稿者 中島秀之 : 23:11 | コメント (1) | トラックバック
2008年01月07日
こんなミニカーを衝動買い!
年末年始の休みの間、こんなミニカーをつい衝動買いしてしまった。
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マカオ資本の「スパークモデル」製、ダッジ・トラヴコ チーム・ロータス・ホスピタリティ・バス 1973年型だ。
ジョン・プレイヤー・スペシャルがスポンサーとなり、チーム・ロータスのF1マシンが、黒にゴールドラインのJPSカラーとなったのが1972年。
その翌年から導入され、70年代を通して使用されたのがこのクルマだ。
JPS時代のロータスが大好きな僕にとっては、たまらないアイテムなんである。
ただ、かつてはこんなマイナーなチーム・サポートカーが、レジンやホワイトメタルのキットとその高価な完成品以外で製品化されるなんて、考えられなかった。
それが、少量とはいえ、マスプロ生産されるとは、時代は変わったもんである。
もっとも、この手のミニカーは1回生産で絶版となるのが原則。
そのため既に殆どのミニカーショップで売り切れていて、僕もたまたま都内の大きなミニカーショップで在庫を見つけ、つい買ってしまったというわけだ。
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つい嬉しくなって、1974年仕様のロータス72E、ロニー・ピーターソン車を横に並べてみたりして楽しんでいたのだが・・・。
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ところがひとつ問題があった。
現在はタバコ・メーカーのマークや社名が玩具(なのか?)に付けられないため、JPSのマークやロゴは別添のスライドマークとなっている。
これを貼ろうと思ったのだが、貼る位置がわからないのだ。
さて困った。写真の一枚も付属しておいてくれればいいのに・・・。
で、探しましたよ、写真を。
ネコ・パブリッシングには、世界に誇る(ウソ!)書庫があるのだ。
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で、ちゃんと見つけましたよ!
実はこの本は、カーマガジンのエロワラ編集長代理の私物。
ジョン・ティプラー著、ロータス78&79 ザ・グラウンドーエフェクト・カーズだ。
この本の中に、この写真があったのである。
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ほら、この通り。
ダッジ・トラヴコのチームカーが写ってるでしょ。
あぁ、これでスライドマークが貼れる! と、喜んだのも束の間、衝撃の事実が・・・。
リアビューの写真がな〜い!
JPSのマークとJohn Player Specialのロゴは、ボディ後ろにも入っているのだが、その正確な位置が、この写真だけじゃわからないのだ。
まぁ上にマークで、下にロゴなのだろうが、せっかく貼るのだったら、正確な位置に貼りたいとどうしても思ってしまう。
そんなわけで、まだスライドマークは貼れていないのだが、どうしようかなぁ。
えい、やぁ! で貼っちゃえばいいか・・・。でもなぁ・・・。
どなたか、このクルマの後ろから写した写真が載っている資料をご存知ないでしょうかね?
投稿者 中島秀之 : 23:07 | コメント (5) | トラックバック
2008年01月01日
新年おめでとうございます!
新年あけましておめでとうございます。
寒波が来ている日本列島だが、東京は気温こそ低いものの、穏やかなお正月となっている。
個人的には、昨年は喪中だったため、今年は2年ぶりのお正月という感じだ。
また年末年始は、1年で唯一ゆっくり休みが取れる時期。
年末は殆ど大掃除に時間をとられてしまうのだが、年明けはのんびりと過ごしている。
さてお正月と言えば年賀状がつきものだが、僕は1977年以来ずっと、自動車に関する木版画を作って、年賀状にしてきた。
題材は、午年ならフェラーリ、丑年ならランボルギーニ、平成7年にはスーパーセヴンといった具合に、干支や年号に関するものを選んできた。
もっともここ数年は、時間がないこともあって、木版画を掘って、半紙に刷ったものを、スキャナーでスキャンして、フォトショップで修正した上で、プリンターで印刷するという、アナログなんだかデジタルなんだか、よくわからない方法で制作していた。
でまぁこうなると、「そろそろ版画でなくてもいいか・・・」という気がしてきて、しかも昨年喪中で1回お休みしたこともあって、今年はついに版画を諦めることにした。
ただ、それでも干支に因んだクルマの年賀状は続けたいという気もあり、今回からイラストを採用した。
写真を元に、おおまかなラインを書き、それに水彩絵の具で彩色。
これをスキャンして、文字をレイアウト(ダースー君、協力ありがとう!)、プリンターで印刷する方法で制作した。
因みに今年の干支は子(ネズミ)。
そこで題材は、4世代目が発表されたばかりの、フィアット・チンクエチェントにした。
初代はトッポリーノ(小ネズミ)の愛称だったので、これほど子年に相応しいクルマはないだろう。
しかも、実は今年僕は4度目の年男なので、4世代全部を描くことにした。
というわけで、できあがった年賀状を、ここで皆様への新年のご挨拶も兼ねて、ご紹介させていただこうと思う。
2種類あるのは、文字のフォントの違うタイプを用意したためで、特に深い意味はない。
文字はイタリア語で「新年おめでとう」と「トッポリーノの年」と書いてある(つもりなのだが、間違っていたらごめんなさい)。
またどちらもクリックすると大きくなる。
では皆様、今年もどうぞ宜しくお願いします。
投稿者 中島秀之 : 16:32 | コメント (3) | トラックバック
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