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2008年01月26日
相次ぐ訃報に涙
いつも見ているモータースポーツ専門サイトで、アンダース(アンデルス)・オロフソンが亡くなったことを知った。
22日にスウェーデンの自宅で、眠ったまま亡くなったという。
55歳だった。
アンダースさんとは、ティーポが太田哲也さんと共にル・マン24時間にチャレンジしている時に知り合い、非常に仲良くしていただいた。
このため、ティーポ・ファミリーの一員を失ったようで、なんとも寂しい気持ちだ。
アンダースさんは確か、1986年に、ボルボ・ワークス・チームの一員として、富士で行われたインターTECに参戦するため、初めて日本にやってきたはずだ。
このレースで優勝すると、日産ワークスからお声がかかり、当時まだ珍しかった「外人レーサー」として、日本で数多くのレースに出場することになる。
ヨーロッパでF3、F2とフォーミュラを経験し、その後ツーリングカー・レースに転じただけに、腕が確かなのはもちろんだが、いかにも北欧の人らしい、常に控えめで、思慮に富んだタイプゆえに、日本のレースにピタリとマッチしたのだろう。
その後は日産のワークスドライバーとして、特に長谷見昌弘さんとの名コンビで、グループAのR32GT-RやグループCカーで大活躍した。
ただ僕たちティーポのメンバーとは、1993年の秋に、イタリア・バレルンガのレースに太田さんが出場した時と、1994年に太田さんが2度目のル・マンに挑んだ際、太田さんの所属したシンプソン・チームと同じトティップのスポンサーでF40を走らせていた、エネア・チームのドライバーとして親しくなった。
翌1995年には、太田さんがル・マンでエネアのF40を、アンダースさんと、デラさんことルチアーノ・デ・ラ・ノーチェと共に走らせることになり、一気に仲良くなった。
この年は、アンダースさんが予選アタック中に、ユノディエールでタイヤバーストに見舞われたのだが、ピットに戻って冷静に状況を説明する姿を見て、なんてプロフェッショナルなんだと驚いた覚えがある。
結局この年は序盤でリタイアしてしまうのではあるが、これが縁で、1997〜1998年の全日本GT選手権GT300クラスに於ける、フェラーリF355GTによるチャレンジで、アンダースさんにご協力いただくことになる。
このF355GTによるチャレンジは、太田さんとの名コンビで、1997年のオールスター戦(もてぎオーバル)での、感動的な優勝に結実するのだが、翌年第2戦の大クラッシュで終焉を迎えたのはご存知の通りだ。
一方でアンダースさんは、その腕を買われて、1997年のル・マンには、ガルフ・マクラーレンF1GT-Rのドライバーとしてル・マンに出場する。
この年は太田さんが出場しなかったため、僕たちは取材のついでに、アンダースさんの応援をずっとしていたのだが、あれよあれよといううちに順位を上げた41号車のマクラーレンは、結局総合2位、GTクラス優勝という、大金星を挙げるのだった。
面白いのは、その優勝直後、アンダースさんを祝福に行ったら、「今夜夕飯を一緒に食べましょう」とアンダースさんが言ったこと。
祝賀会とかありそうなものだが、「いや、特にないから、行きましょう」と言うので、ティーポ初代編集長の山崎憲治さんたちと共に、ル・マン市内で小さな祝勝会を開いた。
ワインが好きで、なかなか詳しいアンダースさんのお勧めのワインで、皆すっかり酔っぱらったのを昨日のことのように思い出す。
またこの年8月の鈴鹿1000kmでも、2台のワークス・メルセデスに次ぐ3位表彰台に立ったと記憶している。
その後第一線を退いた後は、スウェーデン国内のツーリングカー・レースで日産車を走らせるチームを運営したり、若いドライバーの育成に力を注いでいたという。
山崎さんは、その後イエテボリの近くにある自宅を訪ねたり、ずっと連絡をとっていたそうだ。
突然の訃報は、本当に残念で仕方ない。
是非またお会いして、あの「真顔で言うジョーク」を聞いてみたかった。
山崎さん、太田さん、そしてJTCでコンビを組んだ木下隆之さんも、突然の悲報に驚き、残念がっている。
唯一の救いは、眠っている間に、苦しむことなく亡くなられたであろうこと。
心からご冥福をお祈りします。
それにしてもここのところ、僕の大好きな人たちの訃報が相次いでいる。
英国エージェントのマイクさん、ノリック、そして昨年末には、かつて日産ワークスのキャプテンとしてレースで活躍され、引退後は富士GCシリーズのテレビ中継の名解説者として活躍された田中健二郎さんも亡くなられたという。
健二郎さんとは全く面識はないが、僕がレース中継に携わりたいと思ったきっかけを与えてくださったお一人でもある。
改めて哀悼の意を捧げたい。
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1997年の鈴鹿1000kmで、アンダースさんを取材する僕。
投稿者 中島秀之 : 2008年01月26日 13:50
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コメント
ここ最近で続きますね…
アンダースさん、早すぎます。
何が原因だったのでしょうか?
マクレーさんの時は誤報と思い込んでました。
投稿者 変態ブラザーズ弟 : 2008年01月26日 18:25
オロフソンさん、
太田哲也さんと組んでる時のことしか知りませんが、
レースの時に来日してパッと乗ってもタイム出せるし、接触やコースアウトするシーンも見たことなくまさにプロ中のプロという感じがしました。
97年オールスターもてぎ戦は現地で観戦し感激したのが良い思い出です。
ご冥福をお祈りします。
ps
運良く取れたポラチャリ画像です。
http://imepita.jp/20080127/633790
投稿者 舞太 : 2008年01月27日 18:08
ハデさはないけど速く確実、という印象の方でしたね~。
長谷見さんとのいぶし銀コンビは、当時ライバルチームを応援していた私には脅威でした。
オロフソン氏だけでなくマクレー氏、ノリック氏、タナケン氏、ちょっと前だけど沢島氏とみんなみんな残念な限りです。
投稿者 サーキットのネコ : 2008年01月28日 14:16
絶句です。
プロフェッショナルを強く感じた、とても好きなドライバーさんでした。
FISCOのストレートを音もなく走り去ったF40を未だに忘れられません。
田中健二郎さんもご縁あって何度かお話させて頂いた事があり、偶然でしょうが
この頃どうされているのだろうと思うと入ってくる訃報に言葉もありません。
もう一度、会いたかった…。
投稿者 car10 : 2008年01月28日 17:38

