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2008年9月
2008年9月26日
次号のティーポは?
ティーポ次号の編集作業が佳境を迎えている。
次号は、「食べごろアルファ・ロメオ!!」と題して、1990年代から現在に至る、比較的新しめのアルファを特集する。
ナパが先日報告していたが、箱根で行われた90年代アルファを5台集めての取材はなかなか楽しかった。
この時集まったのは、こんな顔触れ。
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ま、説明するまでもないだろうが、90年代から2000年代初頭に人気を博した車種ばかり。
しかも今回集まった車両は、どれも程度の良いものばかりで、それぞれ独特の良さがあった。
珍しくスカッと晴れたお天気も、陽気なアルファにぴったりで、仕事ながらすっかり楽しんでしまった。
もちろんこれ以外にも、あんなアルファやこんなアルファがたくさん登場する予定なので、是非次号をお楽しみにしていただきたい。
投稿者 中島秀之 : 23:11 | コメント (3) | トラックバック
2008年9月21日
前人未到の3連覇達成!
昨日、筑波サーキットで、毎年恒例のマツダ・ロードスター・メディア対抗4時間耐久レースが行われた。
ティーポ・チームはこの19回目を迎えたレースで、過去優勝5回と最多勝を誇り、2006、2007年は、連覇を成し遂げている。
今年は3連覇を目指しての参戦だったのだが、使用燃料が通常(満タン+40リッター)より5リッターも少ないハンデを与えられ、さすがに優勝は難しいという気がしていた。
それでも昨年3リッターのハンデで優勝したこともあるので、雨でも降ればまだチャンスはあるかな? とも思っていた。
ところが、あてにしていた(?)台風はアッという間に過ぎ去って、ピーカンの上に厳しい残暑と、燃費には最悪のコンディションとなってしまった。
こりゃ、相当厳しいぞと覚悟してレースに臨むことになった。
予選は、我がチームの誇るアタッカー、壷林プロが担当したのだが、今いち不発で6番手。
決勝は編集部310がスタートドライバーだったが、いつものロケットスタートが決められず、その後も徐々に順位を下げ12位まで後退する。
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上左は、予選に出撃する壷林プロと、それを見守るチームの大黒柱、石井隊長。
右は今回ティーポ・ロードスターに貼られた、ふんわりアクセル実施中とエコドライブ実施中のステッカー。まさにこの通りの運転を強いられた。
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左は決勝前にガソリンを入れるティーポ・ロードスター。目一杯満タンにするために、メンバー皆で車体を何度も揺すって、ちょっとずつ給油する。
右はいよいよ決勝スタートの図。ル・マン式スタートで、我がチームは得意技だったのだが、今回はあまり決まらず。
さてトップバッター310はかなり燃費をセーブして走っていたのだが、第2ドライバー・ハッシー橋本は、ここでペースアップ。
一気に2位まで上がり、遂にはトップに躍り出る。
そして3番手石井隊長は、エコドライブ・インストラクターの実力をフルに発揮して、超燃費走行なのにハイペースをキープ。
だがすぐ後方には、最大のライバル、助っ人・織戸学選手を擁するオートスポーツ・チーム(ハンデ3リッター)と、これまた強力助っ人・大井貴之選手を擁するエンジン・チーム(ノーハンデ)がピタリとついてきている。
そこで4番手・壷林プロに、石井隊長がペースアップを指示。
ライバルが呆気にとられる中、ハイペースで周回を重ねて、2位に1分差をつける。
そしてアンカー・慎輔さんが、燃料をセーブしながらトップをキープ。
オートスポーツのアンカー織戸選手は燃費を考え全開にできず、エンジンの大井選手は全開にした末ガス欠でストップ。
この結果、なんとなんと、ティーポ・ロードスターが大方の予想を覆して、トップチェッカーを受けたのである。
3連覇は大会史上初。
しかも今回は一度もセーフティカーが出ないドライレースだったため、5リッター他チームより少ないにも関わらず、史上最多の189周を4時間で走りきってしまったのだ。
これにはライバルも主催者も、いや自分たち自身もビックリだった。
もっとも、チームの頭脳、石井隊長には、十分な自信が最初からあったようだけど。
いずれにせよ、今回ほど、ゴールの時に嬉しかった優勝はない。
でもこれで来年の20回記念大会は、もの凄いハンデを背負わされることになるんだろうなぁ・・・。
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左はレース中に、マツダのフィリップ・スペンダー副社長の表敬訪問を受け、思わず笑顔を見せる慎輔さん。
右は優勝直後の記念撮影。嬉しさを爆発させるドライバーは、左からハッシー、石井隊長、310、壷林プロ、慎輔さん。
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左はコース上での表彰式。2位はオートスポーツ・チーム、3位はザ・モーター・ウィークリー・チームだった。
右は、正式表彰式の後で、ロードスターの産みの親であり、マツダのスポーツカーの父でもある貴島孝雄氏が挨拶をされているところ。貴島さんは来年初めに定年退職を迎えられるそう(1年は会社に残って後進の指導をされるとのこと)で、参加者全員から大きな拍手が送られた。
投稿者 中島秀之 : 21:37 | コメント (2) | トラックバック
2008年9月19日
DTM第8戦を収録
昨日、お台場のJ SPORTSで、DTM第8戦ブランズハッチのテレビ中継の収録を行ってきた。
またまた佐藤マサカッチャン正勝氏と二人で、楽しく収録してきたのだが、レースはアウディのティモ・シャイダーが完勝し、選手権ポイントのリードを、2位と9ポイントまで拡大した。
シャイダーは今年30歳になるドライバーだが、DTM8シーズン目にして、初めてチャンピオン争いの主役となっている。
残るレースは3つだが、今季ここまでノーポイントが1レースしかないことと、アウディ新型A4の好調ぶりを考慮すると、このまま一気に初タイトルへ突き進む可能性もある。
あとは、メルセデスの若手二人、ポール・ディ・レスタとジェイミー・グリーンがどの程度頑張れるかが、シーズン終盤の戦いが面白くなるかどうかの鍵と言えそうだ。
さて今回の収録では、初めて視聴者の皆さんの、番組に対するご意見をご紹介した。
視聴者プレゼントの葉書に添えられたご意見を僕が読んで、正勝さんと感想を言うものだが、とてもありがたいことに、「いつも楽しく拝見してます!」といった内容のものばかりで、選ぶのに苦労してまうほどだった。
もちろんマサカッチャンと二人で、全ての葉書に目を通しているので、今後も是非ご意見ご希望を、応募葉書にお書きいただければと思う。
どうぞよろしくお願いします。
なお放送時間などは、「J SPORTS MOTOR DTM放送予定」 で確認して欲しい。
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左はブランズハッチでトップを争う、シャイダーのアウディA4とディ・レスタのメルセデスCクラス。
右は表彰台でのシャイダー。笑顔が素敵なナイスガイだ。(いずれも写真提供:アウディ)
投稿者 中島秀之 : 18:54 | コメント (0) | トラックバック
2008年9月17日
新型C5は凄く魅力的!
今朝は6時前にエクセルで家を出て、軽井沢に行ってきた。
朝9時前から行われた、新型シトロエンC5の試乗会に参加してきたのだ。
普段エグザンティアを足にしている僕としては、最新型シトロエンがどんなものか興味深々で、ちょっとした早起きも、これなら苦にならないってもの。
今回試乗できたのは、4ドアセダン(そう、新型は5ドアじゃないのだ)とツアラー(ワゴン)の、共に3リッターV6+6ATモデル。
残念ながら2リッターの4AT仕様は、用意された台数が少なく、乗れなかった。
今回のモデルチェンジで、ボディは更に大きくなり、セダンの全長と全幅は、4795mmと1860mmで、旧型の後期型より55mmと80mmそれぞれ長くなっている。
僕のエグザン前期型と比べたら、なんと270mmと105mmも大きくなってしまった。
それでも運転してみると、それほどバカデカイ感じはしない。
印象的には、旧型C5の方が大きく感じられるほどだ。
どうもこれは、車内の空間の取り方が旧型より一般的になったため、運転席の後方に巨大なスペース(後席周辺)が見えないためらしい。
逆に言うと、あの無駄なほど広いと思えた室内空間は新型にはなく、「ちょっと普通になっちゃったなぁ」と、微妙に寂しかったりもする。
普通になったと言えば、ボディデザインも、ちょっとアウディっぽい印象の、真っ当な(?)カタチになった。
ただディティールを細かく見ると、随所にシトロエンらしいところもあり、シトロエン・ファンがガッカリするようなことはないはずだ。
写真で見ると角張っているように見えるかも知れないが、実物は非常に丸みを帯びていて、ユニークな形状をしている。
少なくとも、旧型C5よりは圧倒的にカッコいいと僕は思う。
走りに関しては、次号のティーポ誌面で詳しくご紹介したいが、一言で言えば、シトロエン・ライドは健在で、しかもエグザンの時代から大幅に進化している(当たり前だが・・・)。
ドイツ車の乗り心地とは明らかに異なる、ユラユラと漂う感覚は、ハイドロ・シトロエンならでは。
興味のある方は是非、ディーラーで試乗を申し込んでいただきたい。
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写真はセダンだが、サイドウインドウが上下方向に短い、C6とよく似た形状であることがわかる。なかなかスタイリッシュで、写真で見るより実物の方が魅力的だ。またボディカラーに魅力的なものが多くなったことも特筆すべき点で、写真の白もいいが、メタリックレッドやシャンパンゴールドも素敵だった。
投稿者 中島秀之 : 18:28 | コメント (1) | トラックバック
2008年9月16日
今年のイタリアGPは・・・その2
前回のブログで、今年のイタリアGPが、良い意味で記憶に残るレースになって欲しいと、希望的なコメントを書いたら、いやぁまさにその通りのレースになって、驚いている。
このコラムにコメントをくださる常連の皆さんも、びっくりしてコメントを寄せてくださっているが、まさかセバスチャン・ベッテルが、トロ・ロッソに初優勝をもたらすとは!
ベッテルに関しては、僕は2005年のマカオGPを実況した時に、その存在を強く認識することになった。
初めてマカオに挑んだ若干18歳のベッテルは、予選こそ下位だったものの、レースでは順位を大幅に上げ、3位に入賞してみせた。
この時は、およそマカオ初出場とは思えないほど、走るたびにペースを上げ、確実に結果を出してくる、ある意味老獪とすら思えるほどの大人びた走りが印象的だったと記憶している。
その反面、グリッド上や表彰式で映し出された素顔があまりに童顔で、子供みたいに見えたことにも、強い印象が残っている。
その後BMWザウバーのサードドライバーとして、金曜日にしばしばトップタイムを記録して、関係者に認められるところとなり、昨年終盤からトロ・ロッソの正ドライバーとなったのはご承知の通り。
特に雨のレースでは驚異的な速さを見せ、昨年の日本GPでは、セーフティカーラン中に事故を起こすまで、トップを狙える走りを見せていた。
そして今回のイタリアGPだ。
いかに雨が予選・決勝を通して影響を与えたとはいえ、全チーム、ガチンコの戦いで、フル参戦初年のドライバーが、プライベートチームのマシンで優勝を飾るなどということは、現代のF1では奇跡といっても良い出来事と言える。
エンジン使用料を払って参戦しているチームのマシンが優勝したのは、2003年のブラジルGPに於ける、ジョーダンのジャンカルロ・フィジケラ以来のはずだが、あの時は赤旗中断でレース成立だったから、今回のようにフルディスタンス走りきってとなると、ここ十数年なかったのではないだろうか。
またチームの前身が、あのミナルディだったことを考えると、この優勝がいかに重みのあるものであるかが、さらに深くわかるはずだ。
いずれにせよ、今年のイタリアGPは、確実に我々の記憶に残るレースとなった。
そしておそらく、何十年かあとに、「あぁそう言えば、2008年のイタリアGPは、あのベッテルが最初に勝ったレースだったね。8のつく年のモンツァは、必ず何かが起きるんだよ」と、語られることになるのだろう。
いやぁ、それにしても、久々にスカッとしたレースだったなぁ・・・!
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イタリアGPの予選で、初めてポールポジションを獲得したあとのベッテル(写真中央・写真提供:メルセデス・ベンツ)。3年前のマカオGPの頃に比べると、これでも随分大人っぽい顔となった。
投稿者 中島秀之 : 14:40 | コメント (0) | トラックバック
2008年9月13日
今年のイタリアGPは・・・
今週末、F1イタリアGPがモンツァ・サーキットで行われる。
いつもこのブログにコメントをくださるK大生Sさんがご指摘されているように、今年のイタリアGPは、ロニー・ピーターソンが事故で亡くなってから、ちょうど30年にあたる。
スーパー・スウェード、サイドウェイ・ロニーなどの愛称でファンに愛されたロニーは、1978年のイタリアGPでスタート直後の事故に巻き込まれ、救出されはしたものの、翌日還らぬ人となった。
コース上での激しいドリフト走法と、普段の愛嬌たっぷりの態度のギャップが、彼の大きな魅力だった。
僕個人としては、この1978年は大好きなロータスが、タイプ79で圧倒的な強さを発揮しており、そのドライバーであるロニーにはとても親近感を持っていた。
そのロニーが亡くなったことは、当時高校生だった僕には大きなショックだった。
この時代のF1は、ドライバーの死亡率がまだ非常に高く、ある意味仕方ない面もあったとはいえ、ロニーの場合は医療ミスも重なっての死亡だったようで、とても残念に思ったものである。
また事故の時に運転していたのが、この年のマシンであるタイプ79ではなく(直前にクラッシュさせたため)、スペアカーのタイプ78で、このクルマが79と違ってサイドにも燃料タンクを持つマシンだったことも、事故を大きくする原因だったと言われている。
そして皮肉なことに、ロニーの死によって、僚友マリオ・アンドレッティがこの年のチャンピオンに輝いたのだった。
そうした細かなディティールが、30年の月日を超えて鮮明に思い出されるほど、あの年のイタリアGPの印象は強烈だった。
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ロニーの乗ったマシンのミニカーを並べてみた。手前が1978年のロータス79だ。
さて、これもK大生Sさんがご指摘されている通り、今年はエンツォ・フェラーリが亡くなってから、ちょうど20年である。
ロニーの死後10年経った、1988年のイタリアGPもまた、記憶に残るグランプリだった。
開幕から連戦連勝を続けていたマクラーレン・ホンダのセナ/プロスト・コンビが、この年唯一勝てなったレースだったのだ。
GPの直前にエンツォが亡くなり、弔い合戦とばかりに頑張った地元フェラーリのベルガー/アルボレートのコンビが、セナの終盤のリタイアによって1-2フィニッシュを飾るのだが、セナが勝てなかったのは、マンセルの代打でウイリアムズにスポットで乗った、ジャン-ルイ・シュレッサーとの接触事故が原因だった。
シュレッサーは1968年のフランスGPで、空冷のホンダRA302と共に亡くなったジョー・シュレッサーの甥で、彼がホンダの全勝を止めたというのも、非常に因縁めいた話しだった。
これもまた20年という時を超えて、鮮明に思い出されるイタリアGPである。
はたして今年のイタリアGPはどんなレースになるのか?
良い意味で、何十年か先にも記憶に残るレースであって欲しいものだ。
投稿者 中島秀之 : 01:31 | コメント (0) | トラックバック
2008年9月11日
エグザンのご機嫌が・・・
ここのところ、普段の足に使っているエグザンティアのご機嫌が悪い。
ナビの不調に始まり、ETCの不調、ハイドロオイル(LHM)の漏れに続き、今度は、暫く走行した後にATセレクターをRに入れて、バックで(パレット式駐車場などの)坂を上ると、エンストしてしまう症状が出た。
特に、気温が高く、エアコンを効かせて走ってきた後、ということは、エンジンルーム内が高温になっている時に、よく症状が出るようだ。
そこで、自宅から近い中野のTOMOS で診てもらったところ、以前何度か交換したことのある、アイドリングモーターを交換することになった。
これまでは、冬場の寒い時に不調になることが多く、既に3回ほど交換(最近2回は中古品)したことのあるパーツなのだが、今回は新品に交換してもらった。
マニエッティ・マレリ製のこのパーツは、なんらかの負荷でアイドリングが下がろうとした時、自動的に回転数をアップして維持するモーター。
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これを新品にしたところ、暫くは症状が出なくなった。
ところが先日、坂道をバックしようとして、症状が再発。
一度症状が出ると、エンジンルームが冷えるまで、何度でもエンストしてしまうのだ。
仕方なく、その日は、なるべく坂道バックをしないよう気をつけて運転してきた。
で、先日、またまたTOMOSを訪ねて相談したのだが、この日は涼しかったこともあってか、全く症状が出なかった。
このため何も作業はできずじまい。
どなたか同じような症状を経験されて、原因を特定された方がいらっしゃったら、教えてください。
因みに、スロットルボディは、今年2月に中古品に交換してます。
さてせっかくTOMOSまで来たのに、何もしないで帰るのもなんだからと、オイル交換(ちょうど5000kmほど走っていたので)をお願いした。
ついでと言ってはなんだが、ティーポのコルソ・ティーポのコーナーでいつもご紹介している、スーパーゾイルを入れてみることにした。
ホビダス・ショッピングでも買えるこのスーパーゾイルを、エンジンオイルに適量混ぜるだけで、油温の上昇を抑えて、酸化を防ぎ、エンジンとエンジンオイルを長持ちさせることができるそうだ。
おまけに、燃費もよくなるとのこと。
まだ入れたばかりで、具体的な効果は不明だが、なんとなくエンジン音が静かになって、アクセルのつきが良くなったような気はしている。
効果がはっきりわかったら、またご紹介したい。
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投稿者 中島秀之 : 15:07 | コメント (0) | トラックバック
2008年9月 8日
英国旅日記2008(番外編)
今号のティーポでご紹介している、ロンドン近郊のMG-B系スペシャルショップ、フォーマー・グローリー 。
英国旅日記2008(その5) でもご紹介しているが、MG-B系車両を30台近く在庫している、マニアならよだれが出そうなお店である。
実は数年前から僕はこのお店のホームページをよく見ていたのだが、見始めるきっかけとなったのは、僕が2004年3月に取材した、MG-Bクーン・ベルリネッタが売り物として掲載されていたからだった。
クーン・ベルリネッタは、ベルギーのカロッツェリアであるジャック・クーンが、MG-Bロードスターをベースに開発したオリジナルのクローズドクーペで、最初の1台は1964年のブリュッセル・モーターショーに出展されたから、BMCがMG-B GTを作るより前に開発されたことになる。
その証拠に、僕がウェールズまで取材に行った右ハンドルの1台は、当時BMCワークスのオーダーで作られた唯一の右ハンドル車だそうで、アレック・イシゴニスを始めとしたお歴々が、その製品評価をしたという、とびきりのヒストリーを持っていた。
クーン・ベルリネッタは結局56台が作られただけで、現存するのは8台と言われている。
で、僕は、なんとかこの右ハンドルのクーン・ベルリネッタが入手できないかと思い、4年前に取材を兼ねて見に行ったのだが、約600万円という価格に、泣く泣く諦めたわけなのだ。
因みにその辺りの顛末は、ティーポ2004年9月号に掲載されている。
その後、クーン・ベルリネッタは、オーナーによってフォーマー・グローリーに売却され、暫く同社のホームページに価格応談で掲載されていた。
僕はそれを、「売れなければいいなぁ」と、ちょっと複雑な思いで見ていたのだが、ある日HP上にこんな記述があった。
「クーン・ファミリーに販売されました」
それを今回の取材で、フォーマー・グローリーのナイジェル・ギルド社長に確認したところ、「そうなんです。昨年10月に、ジャック・クーン氏の息子のオリヴィエ・クーン氏から、買いたいと連絡があり、お譲りしました。オリヴィエ氏はこのクルマを、父上にプレゼントされたそうです。ジャック・クーン氏は、43年ぶりに再会したこのクルマを見て、とても感激されたそうですよ」とのことだった。
ジャック・クーン氏は、おそらく80代だと思うが、お元気だそうで、自分の作ったクーン・ベルリネッタとの記念写真をギルド社長に送ってきてくれたそうである。
いや、実にいい話ではないか!
「投機目的のような人に買われて、欧州以外に行ってしまうのは嫌だな」と、僕は勝手に考えていたのだが、一番良い形で、一番良い人の元に引き取られたと、これまた勝手に喜んでいる。
同時に、「あの時僕が買わなくて良かった」とも思ったのだが、心のどこかに、「あの時、無理しても買っておけば良かったかな?」と、ちょっぴり後悔もしている。
ま、とにかく、これからは、クーン家のガレージで大切に保管されるに違いない。
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これが、MG-Bクーン・ベルリネッタ。フロントガラスはルノーR8用を流用しているため、よく見ると不自然に縦が長い。ヘッドライトは奥まり、プレクシのカバーが装着される。また車体後部はアルミとFRPで巧みに形作られている。
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リアゲートはハッチバックではなく、このように開く。ただしシート後方には隔壁がなく、ハッチバック車のような荷室となっている。右はジャック・クーンのエンブレム。
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クーン・ベルリネッタの傍らに立つのが、43年ぶりに再会をはたしたジャック・クーン氏だ。(写真提供:フォーマー・グローリー)
投稿者 中島秀之 : 19:02 | コメント (2) | トラックバック
2008年9月 4日
英国旅日記2008(その7)
4年ぶりに出かけたイギリスでの模様をお伝えしている、英国旅日記2008。
最終回となる今回は、グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードの模様(Part.2)をお届けしよう。
7月11日
以前から一度見てみたかった、グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードの取材に出かけた。
今回は、スポーツ・プロトタイプカーやラリーカーなどで、気になったクルマをご覧いただこう。
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今年はローラ創立50周年で、それを記念した特別なクラスが設けられていた。左は1967年式のローラ-シボレーT70スパイダーMk3B。CAN-AMでジョン・サーティースが乗ったマシンだ。CAN-AMカーとしてはこの他に、マクラーレンM8FやAVSシャドーMk1なども走行した。T70の左に見えているアルミ地肌のマシンは、ローラの最初のマシンである1958年式のローラ-クライマックスMk1だ。右の写真は1979年式のローラ-コスワースT297。日本の富士GCなどでも活躍したT290/280シリーズの後期モデルで、現車はル・マンに5回出場したヒストリーを持つ。奥にもう1台、独自のカウルをつけた黄色いT290が見えているが、これはイタリアのテクノ・エンジンを搭載した変り種。
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左は、1971年シーズン用(製造は1969年)のフェラーリ512M。ティーポ本誌でも紹介しているが、ちょっと詳しく紹介すると、現在の所有者はエイドリアン・ニューウェイ(名F1デザイナー、現レッドブル)で、本人がドライブした。もともと512Sとして作られたもので、スクーデリア・フィリピネッティが使用した個体。1970年の富士インター200マイルレースで、ジャンピエロ・モレッティのドライブで優勝(512S)した個体でもある。その右にはランチア・ベータ・モンテカルロのグループ5仕様が見えている。右の写真は、ヒルクライムコース後半部分を駆け抜ける、1968年式アルファ・ロメオ ティーポ33/2デイトナ。同年のデイトナやル・マンで、ポルシェを破ってクラス優勝したマシンだ。この個体はムゼオ・アルファ所有車両。
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左は1982年のランチアLC1。この年から始まったグループC規定ではなく、敢えて経験豊富なグループ6仕様として製作され、ポルシェ956と激しく戦ったマシン。この個体は、パトレーゼ/ファビ組が、ムジェロ、スパ、富士でドライブしたもの。右は1989年のザウバー-メルセデスC9。J-L・シュレッサー/ヨヘン・マス組が乗り、WSPCチャンピオンを獲得した個体で、今回はマス本人がドライブした。
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左はローラがシャシーを開発したニッサンR90CK。1991~93年に、JSPCでノバ・エンジニアリングが走らせた、フロムエー・ニッサンそのもの。右は2003年のル・マンで優勝した、ベントレー・スピード8。ワークスからの参加で、もちろんクリステンセンらが乗って勝利した個体そのもの。今回はデレック・ベルがドライブした。
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左は1975年式トライアンフ・ドロマイト・スプリントの、ブリティッシュ・レイランド・ワークスカーと、パトリック・モータースポーツが1978~79年にブリティッシュ・サルーンカー選手権で走らせた、ミニ・クラブマン1275GT。前者はアンディ・ロウズやデレック・ベルが英国選手権やETCで走らせた車両で、後者はリチャード・ロングマンが2年連続でタイトルを獲得した車両。今回はロングマン自身がドライブ。右は、今年のBTCCでチーム・ハーフォードが走らせているホンダ・シビック・タイプR。ドライバーはトム・チルトン。
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左は、コース後半部分とダートコースがある、丘陵上部に向かう途中にある売店。こんな感じで、飲み物や食べ物を売っているので、お天気さえよければ、気持ちよく食事できる。右は、丘の中腹から、ダートコースのスタート地点まで、観客を連れて行ってくれる、乗り合いトラクター。雨が降るとぬかるみになり、普通のクルマでは行けないため、こうした客車を牽引する大型トラクターが5~6台用意されている。
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フェスティバル・オブ・スピードの会場には、ヒルクライム・コースの他に、ダートコースも併設されている。そこでは期間中ずっと、往年の名ラリーカーがとっかえひっかえ走り回っている。古くはミニ・クーパーから、数年前のWRCマシンまでが、ドリフトしまくっているのだ。ストラトスや037やデルタ、クワトロや5ターボ、205T16やRS200や6R4、セリカやインプやランエボ、フォーカスやクサラなどなど、その顔ぶれは多彩。残念ながら僕のカメラの腕が今イチだったせいで、うまく撮影できたのはこの2台くらいだった。左は1964年のミニ・クーパーSモンテカルロ・ラリー仕様で、ラウノ・アルトーネンの車両。今回はご本人もドライブした。右は1977年のフォード・エスコートMk2 RS1800。エスコートは歴代モデルがそれぞれ複数出場していたが、このロスマンズ・カラーは印象的だった。
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フェスティバル・オブ・スピードには、家族連れの観客も多く、お子チャマ向けにこうしたマシンもちゃんとコースを走行する。もっとも日本では「チキチキマシン猛レース」として知られる「Wacky Races」を見て育ったのは、お父さんの世代のはずで、どちらかというと、大人に受けていた気がする。ちゃんと11台全部が用意されており、それぞれきちんと扮装したキャラクターが乗っている。左はコウモリボスのドライブする4番クロイツェルスポーツで、後ろに6番タンクGTが見えている。右は、スタート地点で談笑する、9番ハンサムV9のキザトト君(広川太一郎さんのご冥福をお祈りします)とコウモリボス。後方6番タンクGTでは、軍曹が新兵にお説教中(?)。
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左は、前から順番に、モンスターとドラチビの乗る2番ヒュードロクーペ、ミルクちゃんの5番プシーキャット(何故か助手席に8番ポッポSLのクマッ八が乗ってる!)、そしてゼロゼロマシンと続く。右はブラック魔王とケンケンが乗る00番ゼロゼロマシン。ブラック魔王は似てるような似てないような・・・。あ、後ろに1番ガンセキオープンが見えているけど、写っているのは、タメゴロー? それともトンキチ?
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会場内には様々なショップが出展しているのだが、一番驚いたのはここ。F1関連グッズを売っていて、その目玉が、左の写真のスーパーアグリSA06。フォードV10エンジン付きで値段はASK。この他、メカニックウェアやレーシングスーツ(山本左近用あり)もあったし、右の写真のようなリアカウル(80万円くらい)も売られていた。
というわけで、丸1日すっかりイベントを堪能して、深夜にホテルに帰った。
翌7月12日、お昼前にロンドン市内のハロッズでお土産を買い、夕方の便で帰国の途に着いた。
投稿者 中島秀之 : 13:46 | コメント (5) | トラックバック
2008年9月 3日
英国旅日記2008(その6)
4年ぶりに出かけたイギリスでの模様をお伝えしている、英国旅日記2008。
今回は、グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードの模様(Part.1)をお届けしよう。
7月11日
今日は、以前から一度見てみたいと思っていた、グッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードの取材に出かけた。
このイベントは、マーチ卿という貴族が所有する広大な敷地にあるヒルクライムコースを、往年の名車から最新のF1マシンまでが全開で駆け抜けるというもの。
中には当時実際にそのクルマをドライブした往年の名レーサーや、その子息のレーサーがステアリングを握る場合もある。
レース好きでヒストリックカー好きのイギリス人にとって、これほど魅力的なイベントはないようで、毎年3日間で数十万人の観客が集まる一大行事なのだ。
朝5時に、コーディネーターの藤原さんにホテルに迎えに来てもらい、南部のウエストサセックスにある会場に向かう。
会場が近づくにつれ、渋滞になり始めるが、なんとか7時半くらいには現地に到着し、プレス受付を済ませて会場入りした。
この日も、時おり陽がさすものの、基本的に曇りで、雨もたまにパラパラと降るお天気。
この日は金曜日だというのに、開場と同時に、多くの観客がどっと場内に流れ込んだ。
僕も一般のお客さんに負けじと、あちこちを見て回ったのだが、いやぁ聞きしに勝る凄まじさ。
なにせ展示スペース兼パドックに並んでいるクルマが猛烈に多く、しかも珍しいものや貴重なものばかりなので、見るのに時間がかかって仕方ないのだ。
しかもそのうちの殆どの車両が、コースを走るのだからたまらない。
すっかり興奮しながら、グルグルと歩き回ったもので、へとへとになってしまった。
さてここでは、ティーポ本誌の中でご紹介しなかった車両で、僕がつい見とれてしまった何台かをご覧いただこう。
今回はまず、会場の雰囲気と、展示のみの車両、そしてF1関連を中心にセレクトした。
さぁ、とくとご覧あれ。
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今年のフェスティバル・オブ・スピードは、インドのタタ傘下となったランドローバーがスポンサー。威厳のある建物の前には、こんな巨大なモニュメントが作られていた。右の写真の右側の人物が、会場の持ち主であり、主催者でもあるマーチ卿。自身も大変なクルマ好きで、今回のイベントではガルフカラーのポルシェ908/3をドライブした。
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貴重なヒストリックカーを所有するセレブが多く集まるこのイベント。ドライバーと関係者は、専用のサロンがあるのだが、会場内の売店やカフェも、かなりセレブな雰囲気のものが多い。左はフルーツショップで、右はシャンパン・カフェ。あ、もちろん庶民的な売店もあるのでご安心を。
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最初に驚いたのは、コースは走らないものの、芝生の展示スペースに並べられていた車両たちの凄まじさ。だって、お客さんが普通に触れるところに(ということは傷がつく可能性が高いのに)、世界で1台とか、時価数億円だとかいった、とんでもないクルマが置いてあるのだ。これはホンの一例。まず左は、ランチア・ストラトスの有名な量産型プロトタイプ。市販車両とは細部が異なる。右は、これまた有名なアルファ・ロメオ・ティーポ33/2ストラダーレ。しかもこの4灯ライトと下側装着のワイパーを持つ個体は、ミラノのムゼオ・アルファに展示されているもののはずだ。
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左はアメリカン・モータースが1970年に、ジオット・ビッザリーニに協力をあおいで製作したプロトタイプ、AMX/3。390ciのV8をミドに搭載する。右は1973年に、デ・トマソ・パンテーラの後継モデルとして試作された、パンテーラ2または7Xと呼ばれる車両。ギアのトム・ジャーダのデザインで、75年からはモンテーラと名前が変わった。
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今年は007シリーズの原作者、イアン・フレミング生誕100年ということで、歴代ボンドカーも展示されていた。アストンDB5やエスプリSr1、トヨタ2000GTもあったが、僕としてはこの2台が目にとまった。左はリビング・デイライツに登場したアストン・マーチンV8バンテージ。右はユアアイズ・オンリーに登場したロータス・エスプリ・ターボ。
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ここからはF1マシンをご紹介。左はフェラーリ312/68で、1968年にクリス・エイモンがドライブした個体(製造は1967年)。右は1971年式フェラーリ312B2で、ジャッキー・イクスがドライブした個体。どちらも状態は素晴らしく、特に312/68は、繊細で優美なボディラインが美しい。
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左は、1972年に作られながら、テストのみで実戦には登場しなかった、フェラーリ312B3S、通称「除雪車」。空力を考慮したウェッジシェイプが特徴。右は1970年のデ・トマソ-コスワースTIPO505。ピアス・カレッジがドライブしたが、まともに走れなかったマシン。
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左は1968年式のマートラ-コスワースMS10(奥)と、1969年のマートラ-コスワースMS80。後者はジャッキー・スチュワートを最初のワールドチャンピオンに導いたマシン。ただし現車は、2006年にスペアシャシーから製作されたものとか。右は同じフランスのF1だが、1980年のリジェ-コスワースJS11。ジャック・ラフィットがこの年3勝を挙げたグラウンドエフェクトカーの傑作。
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左はグラハム・ヒルが独自のチームを始めた1973年に使用した、シャドウ-コスワースDN1A。結果は散々で、翌年はローラを使用することになる。右は1974~75年にジェームズ・ハントがドライブした、ヘスケス-コスワース308B。今回はハントの息子で、現在英国F3に参戦しているフレディ・ハントがドライブした。
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左は、1976年のイタリアGPで、ロニー・ピーターソンが優勝したマーチ-コスワース761。奥に1971年のサーティース-コスワースTS9Bの姿が見えている。右は1988年のアロウズ-メガトロンA10B。エディ・チーバーがドライブした個体で、今回は本人が久々にドライブした。奥に見えているのは、1983年のティレル-コスワース012だ。
投稿者 中島秀之 : 15:07 | コメント (5) | トラックバック
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