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京町家 カテゴリー

2008年08月20日

京都の夏を満喫

お盆のお墓参りを兼ねて、先週末に京都の家に行ってきた。
金曜夜にエグザンティアで行ったのだが、お盆の真っ最中ということもあり、トラックが驚くほど少なく、いつもよりかなり早く到着できた。
土曜日はお墓参りの後、近所の真如堂まで散歩し、ガラガラだったので、拝観料を払ってお庭などを見せてもらった。
天台宗のお寺である真如堂は、正式名を鈴聲山真正極楽寺というそうで、紅葉の見事なことなどで知られる。
お庭は、東山を借景とした枯山水様式のもので、中央に涅槃像を模した石が置かれた「涅槃の庭」と呼ばれる。
この日は、夜に大文字焼きが行われる日だったのだが、左の方に見える大文字山(如意ヶ岳)に、その準備をする人の姿が見えていた。
東山から吹く涼しい風を感じながら、しばしボーっとしてしまう気持ちよさだった。


この日の夜は、お盆の終わりを告げる五山の送り火。
山焼きとも大文字焼きとも言われるが、夜8時から、5つの山に順番に火がついていく。
ウチの町家から歩いて5分ほど、昼間行った真如堂のもう少し上にある、お墓の辺りから、最初の大文字(如意ヶ岳)がよく見える。
近所の人が集まっているこの場所で、火が入れられるところから山焼きを見学した。

左は真如堂の「涅槃の庭」。写真左上に、大文字焼きの準備をしている如意ヶ岳が見える。
右は、近所から見た大文字焼き。火がついている時間は、僅か30分ほど。

日曜日はお昼過ぎまでかかって、町家の模様替えをした。
午後から、四条烏丸の交差点から5分ほどのところにある、大きな町家「長江家住宅」を見学した。
150〜100年ほど前の建物で、代々呉服商の長江家が店舗として使用してきたもの。
ウチのような小さな民家と異なり、大店の商家は、どこも造りが立派で、特に中庭の横の縁側は、柱を一本も使っていない素晴らしい設計。
それでいて、商売に使っていたため、華美なところがないのが京都の町家らしい。
現在は、母屋以外の部分が多目的催事会場「袋屋」として使われているそうで、お茶会や展示会などが開催されているとのこと。
また事前に申し込めば600円で見学可能なため、興味のある方は連絡してみていただきたい。


上の2枚は、長江家住宅の2階から中庭を見たところ。
両隣は既に背の高いビルに囲まれてしまっている。
ここだけが、100年前から何も変わっていないのがよくわかる。
下は長江家住宅の外観。

この日の夜は、木屋町御池にある「豆屋源蔵」で食事をした。
鴨川に面した茶屋旅荘「近江初」の建物を使った京料理のお店で、前から一度行ってみたかったところ。
この日は納涼床も空いていたのだが、あえて静かな2階の個室でお食事をいただいた。
古い旅館らしい風情のある建物が、落ち着いた大人の雰囲気。
料理はいずれも素晴らしかったのだが、特に晩夏というか初秋の京都らしい、松茸を使った鱧のしゃぶしゃぶ鍋は絶品だった。


写真上左 豆屋源蔵は、落ち着いた中にも新しい感覚のあるお店で、玄関はこんな感じ。
写真上右 2階の個室は、吹き抜けに面していて、すぐ横には、旅館時代に手洗い場だったのか、ちょっとした小部屋のようなスペースがある。
写真下左 お料理はどれもおいしく、特にこの季節ならではの、名残の鱧と初物の松茸を使ったお鍋は最高。

月曜日は、朝早めに起きて洗濯をしてから、電車で市内の北側、鞍馬にある、貴船に向かった。
京都の夏といえば、鴨川の納涼床か、この貴船の川床が、涼を得る方法として有名。
叡山電車で貴船口まで行き、お店の送迎車でお昼前に川床に到着。
たくさんのお店が川上から順に川床を出しているが、僕が行った「仲よし」は、その真ん中辺り。
足の下を音をたてて流れる水は、とてもつめたくて、陽がかげると、長袖が欲しいくらいの涼しさ。
料理は内容を考えると少し高い気もするが、この雰囲気は他では絶対味わえないもの。
あ~、気持ちよかった。

とても涼しい貴船の川床。水に足をつけられるのだが、長い時間はつけたままにできないくらい、水は冷たい。
途中に段差があって、水の勢いが増している横が、特に気持ちいいポジション。

帰りに叡山電車を途中で降りて、岩倉幡枝町にある臨済宗のお寺、円通寺に寄り道。
ここは大学生の頃訪れて、比叡山を借景とした枯山水のお庭に感激したお寺。
久々に訪れたところ、お庭は健在だったものの、周囲の宅地化が進み、眺めの中にどうしても建物が見えてしまうようになっていた。
現在は辛うじて、縁側に座って見る限りは建物が目に入らないが、近い将来これも難しくなるのだそうだ。
なんとか、そうした事態にならないで済むよう、できないものなのだろうか?

円通寺の庭は、比叡山を借景とした見事なもの。ここもボーっとするには最高のお庭。

さて、今回行った町家の模様替えの内容を最後にご紹介しておこう。
奥の部屋と庭の間にある、廊下状の縁側が、これまでは物でいっぱいだったのだが、そこから古いミシンを引っ張り出し、きれいにふいて、玄関脇の見世の間に置くことにした。
縁側は物を整理して、広く使えるようにした。
お陰で庭に向けて縁側から線香花火を楽しめるようになった。


ミシンはmitsuboshiの刻印のある国産のもの。
ベルトが劣化して切れてしまっていたが、手入れすれば使えそうだ。
縁側は物が減って、広く使えるようになった。

というわけで、月曜の夕方、町家の掃除を終えてから、東京へと帰った。

投稿者 中島秀之 : 23:06 | コメント (1) | トラックバック

2008年06月17日

梅雨時の京都、鈴鹿、名古屋で・・・(その1)

木曜夜から月曜深夜にかけて、京都、鈴鹿、名古屋にでかけてきた。
まず木曜夜にエグザンティアで京都に行ったのだが、今回初めて、今年春に開通した新名神を使って(伊勢湾岸道と東名阪も使用)行ってみたところ、道が良くて快適な上、距離が名神より少し短いため、早く着くことができた。
金曜は伯母のお墓参りをした後、宇治の三室戸寺へ。
先月、「新緑の京都へ」 でご紹介した通り、ツツジが満開だったこのお寺、実は紫陽花寺としての方が有名で、僕も以前見て感動した覚えがある。
久々に訪れたところ、紫陽花は8分咲きといった感じで、見事な美しさだった。
ただ、なんとなく以前よりその数が少なくなったような気もしたのだが。

土曜日は、再び新名神を使って鈴鹿サーキットへ。
滋賀の草津と三重の亀山を結ぶ新名神を使うと、京都の家からサーキットまで1時間半足らずで行くことができるので、凄く便利だ。
この日は、ポルシェのワンメイク走行会イベントの、ポルシェ・パレードが開催されており、様々なポルシェが集合していた。
参加台数は250台ほどで、様々なクラブが、メンバーごとに独自のカッティングシートを車両に貼っていたりして、なかなか楽しい。

中には珍しい930フラットノーズの姿もあった。
また本国のポルシェ博物館から、貴重なF1の804とF2の718が来日し、デモ走行も行われていた。

僕はこのイベントで行われた、高木虎之介選手のトークショ−で司会を担当。
虎之介選手のポルシェに関する思い出を聞いたり、鈴鹿サーキットの攻め方を解説してもらったりした。
虎之介選手は、凄く気さくにいろいろな話しをしてくださり、とても楽しいトークショーとなった。

さてこの翌日から、ティーポの取材を2日連続で行うのだが、その模様は次回で。

投稿者 中島秀之 : 23:09 | コメント (3) | トラックバック

2008年05月15日

新緑の京都へ(その3)

ゴールデンウィーク後半の連休に、京都に家に行った時の模様をご紹介している。
今回は、この時期の京都の楽しみのひとつでもある、花と新緑に溢れたお寺の模様をいくつかお見せしよう。
最初は、ウチの町家からバスと徒歩で20~30分で着く、洛北の詩仙堂。
美しいお庭が見られることで知られるこのお寺は、過去に何度も来たことがあるのだが、ツツジや藤がそろそろ見頃かと思って訪れてみた。
ところがここのお庭にあるのはサツキで、サツキはツツジより一ヶ月ほど遅く咲くらしく、まだこれからという状況。逆に藤はもう見頃を過ぎていた。
それでも小雨に煙る新緑はとても美しかった。

お庭のサツキは5月下旬が見頃とか(左)。でも雨の詩仙堂(僕はなぜかここに来る日は雨ばかり)は凄くいい風情。縁側に座っていたら、白い砂利の上を小さな蛙が足跡をつけながら歩いていた。


ただ、こうなると俄然ツツジと藤を見たくなり、京阪電車に乗って、京都南東部の宇治まで足を伸ばすことにした。
10円玉でお馴染みの鳳凰堂がある平等院は、やはり過去何度も訪れたことがある。
近年鳳凰堂内の改修が行われ、美しさを増しているのだが、今回の目的はここの藤棚。
大きな藤棚で有名なのだが、なんと入り口に、「今年は藤の色づきがよくありません」なんて貼り紙がしてあった。
で、実際見てみると、確かにそう言われればそういう気もするが、そもそも時期的にもう終わりに近く、それを考慮すれば十分きれいだった気がした。

ツツジと藤が一緒に見られて、かなり得をした気分になれる。今年は気候の関係なのか、藤の花のできは今ひとつだったそうだ。


今度はツツジだ。平等院の少し手前の山肌にある三室戸寺は、花のお寺として有名で、特に紫陽花の見事さは、全国に知られている。
何年か前に紫陽花の時期に来たことがあるのだが、1万株におよぶ紫陽花が咲き乱れる様は実に見事で、とても感激したのを覚えている。
だがその紫陽花の倍(!)の2万株も、ここにはツツジが植えられているのだそうだ。
やや半信半疑で訪ねてみたら、いやもう掛け値なしに凄かった。
本堂から降りてくるなだらかな丘一面が全てツツジ(ほとんどが平戸ツツジだそう)に埋め尽くされているといってもよいくらいだったからだ。
シャクナゲの咲く細い坂道を上がって、上から見ると、まるでツツジの絨毯のようだったし、そこを降りて下から見上げると、青い空と新緑に、白やピンクの花が素晴らしいコントラストで見えて、本当にきれいだった。


三室戸寺の本堂は山肌の一番上(左上)。そこから坂を下りてくると、辺り一面がツツジで覆われている。どこから見てもきれいで、見ようによっては、どこか外国にいるようにさえ思える。是非写真をクリックしてご覧いただきたい。



というわけで、花と新緑を堪能したゴールデンウィークの京都。最後にウチの町家の床の間にかけている額をご紹介。
中身はいつも永楽屋細辻伊兵衛商店の手ぬぐいなのだが、今回は5月らしく花菖蒲にしてみた。

投稿者 中島秀之 : 00:12 | コメント (1) | トラックバック

2008年05月11日

新緑の京都へ(その2)

ゴールデンウィークの連休に京都の家に出かけ、あちこちをブラブラしてきた。
今回は、ウチの町家の近所、歩いて行ける範囲で新たに訪ねたところをいくつかご紹介しよう。
ウチの町家があるのは、京都市左京区の岡崎で、金戒光明寺(通称くろ谷さん)のすぐそばなのだが、北側に10分ほど歩くと、吉田山という、標高100メートルほどの小さな山がある。
その中腹には、兼好法師ゆかりの吉田神社があり、2月の節分には大きなお祭りが行われることで知られている。
この吉田山に、真如堂の方(東側)から上がって、宗忠神社(黒住教の教祖・黒住宗忠を祀った神社)の前を通り、山頂方向を目指した。
実は山頂の直前に、「茂庵(もあん)」というカフェがあるのだ。
以前から一度行ってみたいと思っていたため、ランチを食べに暑い中やってきた。
築150年ほどの2階建ての建物(昔は食堂だったそうだ)の1階が待ち合い室と厨房で、2階がカフェになっている。
待つこと暫し、2階に案内されて、驚いた。
西側の大きく開いた窓から、鴨川近辺から高雄方面までが一望できるのだ。
しかも、回りは樹に囲まれているため、外が30度近くあっても、風が抜けて実に涼しいんである。
お陰で気持ちよく食事をすることができた。
ランチは美味しかったし、ケーキも美味しいそうなので、是非一度訪ねてみてほしい。

上左は、真如堂の方から吉田山の宗忠神社に上る石段。両側はツツジが満開できれいだった。右は茂庵の外観。築150年の建物を、巧く改装して使っている。建物の状態は、非常に良いようだ。

茂庵の西側の客席は、窓に向かってカウンター式になっている。その窓からは、京都市内の西北方面がきれいに見渡せ、しかも風が抜群に気持ちいい。

昼食後、茂庵から今度は吉田神社側(西側)に吉田山を下り、5分ほど歩いたところにある、重森三玲邸庭園を訪ねた。
重森三玲は、東福寺方丈庭園(市松模様で有名)や大徳寺山内瑞峯院庭園などを作ったことで知られる作庭家。
またこの屋敷は、もともと吉田神社の社家である鈴鹿家の所有で、母屋は近衛家の援助により享保年間に建てられたとのこと。
重森は昭和18年に鈴鹿家から譲りうけ、二つの茶室を建てた後、晩年の昭和45年に、庭を枯山水の美しいものに作り替えている。
この重森邸は、前日までに電話などで申し込めば、誰でも見学が可能。
美しい庭を正面に見る書院や、重森自らが設計した茶室・好刻庵の中に入ることができる。
さすがに庭は趣きがあり、以前シャープのテレビCMで使われたというのも頷ける見事なものだった。
また茶室の内部も、重森自らがあちこち手を入れたものだそうで、非常に興味深かった。

重森邸は事前に申し込んで、指定の時間に玄関(左)に行けば、中に入れる。右は書院の中から見た庭。枯山水様式だが、邸宅ということもあり、樹木も効果的に使っている。またこの角度から見ると、以前TVCFに使われていたのがおわかりなのでは?

左は書院を玄関側から見たところ。近衛文麿元首相が京大在学中はここに下宿していたとのこと。右は茶室・好刻庵の内部。襖の市松模様を使った波の表現が素晴らしい。また細部が実に凝っているのだが、その辺りは実際に見学して確認していただきたい。

さて、重森邸から今度は丸太町通り(南)まで歩き、東に戻って岡崎通の一本東側の細い道を南方向へ。
亡き伯母が好きだった料亭の向かいにある、古い家を改装した、ショコラ屋さんにお茶をしにむかった。
築100年ほどのお宅を使ったこのお店は、その名も「京都生ショコラ」。
手作りのショコラは滑らかな口溶けでとても美味しく、ケーキも素晴らしかった。
また建物は、京町家独特の細長い造りではないものの、家屋と前後のお庭はほぼそのまま使われており、古い町家の風情が味わえて嬉しかった。
ただ傷みが少々進んでいるようで、柱を始め各部の歪みがちょっと心配だった。
そうそう、玄関には大きなワンちゃん(凄く大人しい)がデーンと控えているので、犬が苦手な方は入店の際ちょっと心構えが必要かもしれない。

左は「京都生ショコラ」の入り口。普通の古いお宅だが、外に看板がある。右は座敷の客席から裏側の庭を見たところ。普通の座敷なので、すっかり落ち着いてしまう。

左は奥の庭から建物を見たところ。庭は見学できるのだが、野点ができるような造りになっていて、もともとお茶が好きな方が住まわれていたであろうことがわかる。右は大きい方がチョコレートケーキで、小さい方が生チョコレート。生チョコレートには、ビター、スウィート、抹茶の3種類があった。

投稿者 中島秀之 : 21:52 | コメント (2) | トラックバック

2008年05月07日

新緑の京都へ(その1)

20年ぶりくらいに、ゴールデンウィーク後半の連休に何も仕事がなかったので、またも京都の家に行ってきた。
1ヶ月前にお花見に来た時から、季節は大きく変わり、すっかり新緑が広がっていた。
もっとも、3日と4日は最高気温が30度を超え、心地よいというより、猛烈に暑かったのではあるが。
それでは数回に分けて、新緑の京都の模様をご紹介しよう。

まず5月3日は、午前中から下鴨神社に行ってきた。
下鴨神社は、ウチの町家から一番近い京阪丸太町の駅から一駅、終点の出町柳駅から歩いて10分ほどのところにある神社で、周囲は糺の森という鬱蒼とした森に囲まれている。
創設は西暦の紀元前にまで遡ると言われ、世界遺産にも登録されている。
5月になるとこの神社が賑やかになるのだが、それは京都三大祭りのひとつ、葵祭が行われるからで、メインとなる平安絵巻を再現する行列は15日に行われる。
その幕開けを告げるイベントが、3日に行われる「流鏑馬神事」だ。
そう、弓を持った人が、馬を走らせながら的に矢を射る、あの「やぶさめ」である。
これを見るためにやってきたわけだが、神社の参道には11時過ぎに到着。
早くも始まっていた行列に並び、12時から販売される、2000円(800円のプログラム付)のチケット(椅子に座って見られる券で、これを買わなくても立って見ることは可能)を入手した。
全長500mほどの、森の中の馬場に、100mおきに3つの的があり、席はそのどれかの近くを選ぶようになっているのだが、僕は最もスピードが出るであろう「三の的」の前に陣取ることにした。
荷物を椅子の上に置いて、いったん食事に出かけ、その後1時過ぎに神社の本殿前で行われるセレモニーを少し見てから、馬場脇の席に戻って、開始を待つ。
2時半頃からようやく馬場に公家風装束の人々が登場。
様々な人が何度か馬場を行列で往復した後、いよいよ流鏑馬が開始された。
最初の3人の射手(いて)は、古式ゆかしい公家装束に身を包んだ優雅ないでたち。
ところが、最初の射手の演技(?)を見て驚いた。
横幅僅か三尺五寸の狭い埒(らち)の上を、全速力で馬が走り、馬上の射手は3つの杉板の的に向け次々と矢を放つのだから、その迫力たるや、想像を遥かに上回っていたのだ!
僕の席からどう見えるかというと、まず二の的を終えた(観客の歓声で命中したかどうかわかる)射手と馬が、物凄いスピードで近づいてくるのがわかる。
射手は馬上で、「イン、ヨー!(陰陽の意)」の掛け声と共に、背中から矢を取り出して弓に装てん。
その間も馬はフルスピードで走っており、あっと言う間に三の的が接近。
ギリギリのタイミングで射手は矢を放ち、その直後、三の的がパカーンという乾いた音とともに真っ二つになって下に落ちるという具合(命中すればだが)なのだ。
当たれば当然、周りの観客からウォーという歓声と共に大きな拍手が起きる。
目の前でこれが見られるのだから、いや、もう実に楽しいし、ワクワクしてしまう!
ただし、三つの的全てに命中させるのは極めて難しいようで、特に二の的を外す射手が多い。
中にはひとつも当てられれずに終わる射手もいる。
で、4人目からは、武家装束の射手に変わり、最終的には5頭の馬で20名の射手が一度ずつ演技した。
因みに3つとも命中させられたのは僅か2~3名だったが、三の的を落としてパーフェクトだった射手には、観客からより大きな拍手が送られていた。

優雅ななようで、実に勇ましく、見ているだけでワクワクできる、この流鏑馬神事。
終了時間は4時半近かったので、ほぼ丸一日かかることになるが、機会があったら是非一度ご覧になられることをお勧めする。


上左は、本殿手前の舞殿で行われた「社頭の儀」。お払いや雅楽の演奏などがある。右は馬場の前に陣取った観客の様子。お金を払うと、椅子席(前から3列)に座れる。自由席は立ち見。

(上左)今回から馬場中央にある馬場殿に向かう馬車も登場。なぜか御者の一人は外国人女性。後ろに乗るのは、今回の長官代役である山田京都府知事。(右)また行列の中には、なぜか地元選出の前原元民主党代表の姿も。

雅楽隊や子供の巫女、神官、そして今回の主役たる射手を始め、様々な人が馬場を行列。

オレンジ色の公家装束の人は、最初の射手。持っている弓の大きさや、衣装の裾の長さなどに驚く。右は馬に乗って、馬場末から馬場元に向かう時。表情が一層引き締まっているのがわかる。

これは3番目の射手。この人までが公家装束で、後ろに歩く4番目と5番目の射手を始め、残りの射手は皆武家装束を纏う。


暗い森の中、コンパクト・デジカメで撮影しているので、見にくい写真で申し訳ない。3人の射手の三の的付近の状況をご覧あれ。上左は最初の射手で、三の的に見事命中。大きな拍手を受けた。因みに射手の方々は全国から選ばれた方のようで、京都出身者は殆どいなかった。

下鴨神社周辺の情報も少し。上左は、みたらし団子の元祖と言われる、加茂みたらし茶屋。ここの加茂みたらし団子は、東京で食べるものより小ぶりで、香ばしくておいしかった。右は木の玩具の専門店、糺の森のハリネズミ。欧州製の凝った造りの商品が多く、大人もかなり楽しめる。

投稿者 中島秀之 : 16:52 | コメント (0) | トラックバック

2008年04月08日

今年も京都の桜を堪能(その2)

日曜日も朝から快晴。
この日は、昨年乗って感激した、岡崎の疎水を巡る十石舟に乗ろうと思ったのだが、実は前日の朝通りかかったら、大行列ができていたのだ。
で、9時半から整理券を配ると聞いて、9時にウチを出て、行列に並ぶことにした。
既にかなりの数の人が並んでいたが、乗船券は事前予約できないので、こうして並ぶしかない。
結局11時近くまで並んでチケットを入手。
1時からの券だったため、すぐ横にあるインクライン(琵琶湖から台車に船を乗せて運んだ跡)で時間をつぶすことにした。


インクラインは両側が桜並木のため、この季節は観光客がいっぱい。
動物園前から蹴上の浄水場前までの数百メートルの間、びっしりと人で埋め尽くされていた。
まぁ、それでも、前日の哲学の道よりは、少しましだったが。

その後1時から、十石舟に乗船。
実は今年から、船が新しくなったそうで、去年までと若干印象が異なっていた。
それでも乗ってしまえば、美しい桜を楽しむことができるのは相変わらずで、またまた大感激してしまった。

船が今年から新しくなった(左)。船体がFRP製になって、幅も広くなったし、乗る時には、簡易型の救命胴衣を着用しなくてはいけなくなった。行政指導でもあったのだろうが、風情は昨年 までの木造船の方が断然良かったように思う。ただ、疎水の水面から見上げる桜は、例年通り、やはり抜群に美しい。25分ほどの乗船時間は、あっという間に過ぎてしまう。

船左サイドに座ると、船着場に戻る時、東山を遠くに見ながら、桜を楽しむことができる(左)。また平安神宮の鳥居を、道路より低い位置から見上げる、貴重な体験もできる。

珍しく野鳥にも遭遇した。土手にたたずむこの鳥(左)は、なんという種類なのだろう? 暫くじっとしていて、最初は置物かと思ったほどだった。また、昨年乗った木造船は、低い橋の下をくぐる時、船頭さんが屋根を人力で下げていた。柱が折りたたみ式(ダンパー付)になっていたのだ。だが今年登場の新船は、柱が電動で伸び縮みし、屋根を上下させる仕組みになっていた。これも人力の方が、風情があったように思うのだが・・・。

下船後、神宮道をブラブラ歩いて知恩院前、円山公園、高台寺前と散歩したのだが、いやもう、人出が凄いのなんのって。やはり足早にここは通り過ぎて、八坂の塔へと抜けた。実は、塔の周りと、その先、二年坂、産寧坂に至る辺りは、清水寺に向かう人でごった返していたので、パスしようかとも思ったのだが、ふと見ると、いつもたいがい閉まっている見学受付の門が開いているではないか!珍しいこともあるもんだと、拝観料を払って、塔の内部に入ってみた。

おなじみの八坂の塔は、霊応山法観寺の塔で、6世紀に聖徳太子によって建てられたと言われている。現在の塔は、何度かの焼失を経て、15世紀に足利義教によって再建されたものだそうだ。
内部公開は、受付の方によれば「不定期です(笑)」とのこと。今回は運良く入れたわけである。
塔の周りには、何本かの桜があり、敷地は狭いが、なかなか風情がある。塔の内部は、1階に仏像が置かれ、内壁には美しい彩色の仏画が描かれていた。すごく狭いため、気をつけないと絵に触って、色を落としかねない。さらに極めて急で狭い階段を上って2階に上がると、立派な中心柱を見られるとともに、低い位置にある窓から、外の様子をうかがうこともできた。なんとも素敵な五重塔の内部見学だったのだが、観光客には不人気のようで、見ている人はあまりいなかった。

八坂の塔から祇園方面に抜ける途中、建仁寺のお庭を通過。ここにも見事な桜が何本かあって、なかなかきれいだった。で、せっかくなので、拝観料を払って中に入った。日本最初の禅寺で、俵屋宗達の風神雷神図があることで有名な建仁寺。前述の高台寺や法観寺はここの末寺だそうだ。

風神雷神図の本物は京都国立博物館にあるため、複製しか見られなかったが、方丈と呼ばれる建物の天井に描かれた、小泉淳作画の「双龍図」(2002年完成)は見応えがあった。


またまた凄い混雑の祇園花見小路を突っ切って、鴨川を渡り、三条寺町方面に出て、買い物&お茶をする。桜の並木が美しい鴨川は、河川敷にテントが並び、様々なイベントが行われていた。

この日の夕食は珍しく(?)豪華に、祇園にあるイタリアン・レストラン「スコルピオーネ祇園」で食べた。
花見小路を四条通りの北側に少しいったところにある、古い町家を使ったお店で、以前から一度行ってみたかったのだ。築150年という、お茶屋兼住宅を改造したお店の内部は雰囲気満点。お料理もなかなかおいしかった。


築150年の建物は、少しずつ傷みが進行しているようで、維持には苦労が多いようだ。なんとか頑張って、この建物を保存してもらいたいと思う。

食後、祇園の白川沿いを散歩したのだが、昼間でもきれいだった桜並木が、夜はライトアップされて更にキレイだった。特に川端通り近くの広場は、桜の天井ができたかのようだった。

白川沿いの桜、昼間(左)と夜(右)。夜はライトアップされて、さらにきれいだった。

というわけで、翌日、ウチの町家を大掃除してから、雨の中東京に戻った。


投稿者 中島秀之 : 19:14 | コメント (2) | トラックバック

今年も京都の桜を堪能(その1)

週末、2ヶ月ぶりに京都の家に出かけてきた。
京都はちょうど桜が満開で、市内は観光客でいっぱいだった。
昨年までは、仕事の帰りの平日に花見を楽しんでいたのだが、今年は完全に週末だったため、名所と言われる観光スポットはどこも大混雑。
それでも、なるべく人込みを避けながら、京都の桜を堪能してきたので、2回に分けてご紹介しよう。


左は、ウチの町家のすぐ近くにある、金戒光明寺(通称・くろ谷さん)の山門と桜。特に観光スポットというわけではないが、最近はわざわざ見に来る方も多いようだ。因みに今回は、いつものエグザンティアではなく、珍しくエクセルで京都を往復した(右)。


くろ谷さんのお隣は、紅葉の名所として知られる真如堂だが、桜もなかなかきれいだ。こちらも観光客の数は、それほど多くない。


真如堂から一度丸太町通りまで下りて、白川通りを突っ切り、桜の名所、哲学の道に出てみた。
お天気が良かったこともあり、ここは物凄い人手で、桜はきれいなものの、土ぼこりはひどいし、何よりまっすぐ歩けない。昨年 は平日だったこともあり、のんびりできたのだが、これでは落ちつかないため、早々に銀閣寺方向に通過した。


銀閣寺道からバスに乗り、二停留所先の京都造形大学前で降りて、これも以前ご紹介したことのある、北白川のキュイ・ドールMiwaで昼食。その後徒歩数分のところにある、白川疎水に出て、疎水沿いの桜を楽しんだ。こちらも、哲学の道同様、疎水に沿って遊歩道がある(上の写真)のだが、住宅地の間を行くためか、観光客は殆どいない。

北白川の疎水付近に行くなら、是非見学したいところがあった。それは以前自転車で散歩中に見つけた、「駒井家住宅」という古い洋館。日本ナショナルトラストが管理する建物で、金曜と土曜のみ、一般にも公開している(入館料500円)。疎水沿いに見える、スパニッシュ風のたたずまいがなんとも魅力的で、内部を見てみたかったのだ。で、今回初めて中に入ったのだが、とても素晴らしかった。

京都大学教授の駒井卓氏の依頼で、京都の様々な近代建築を設計したアメリカ人、ウイリアム・メレル・ヴォーリズにより、昭和2年に建てられたのが、この「駒井家住宅」。木造2階建てで、それほど大きなサイズではないが、とても素敵な洋館だ。左は庭側から見た母屋の全景で、現在煙突を修理中とのこと。右は1階リビングの電気だが、よく見ると、京都らしい千鳥の柄が入っているのがわかる。おそらくヴォーリズが特注したのだろうが、京都をよく理解していたことが偲ばれる。

1階のリビングは、フローリングのフロアなのだが、あまり家具が置かれておらず、実際よりずっと広く感じる。南側はサンルームになっており、上部が丸い大きな窓が素敵だ。またリビングのソファは、建物に備え付けになっており、庭側に出窓とともに出っ張っている。よく見ると、座面の下には収納が設置されている。この家は、今から80年も前に建てられたのに、こうした収納場所があちこちに用意されている。

玄関横の壁にあるこの抽斗も、実にユニーク。靴磨きの道具を入れるためのものなのだ。また階段は、狭い家のスペースを有効に使うため、螺旋状になっているが、途中に優雅なガラスがあり、夕暮れ時は特に美しいだろう。もちろん階段の下には収納が設けられていた。

玄関右には和室がある。完全に洋館の造りのため、和室の入り口は二重になっていて、洋風の引き戸を開けると奥に襖が現れる。茶席もできる和室は、障子の向こうに洋風の窓があるが、中にいる限り、完全に純和風。

カッコいいのは2階の書斎。駒井教授夫人の静江さんが、当時通販で購入したという、立派な机、古びた椅子、本棚などが、見事にマッチしていて、つい見とれてしまった。南西の角で明るく、窓からは、前述の疎水が見える。部屋にいながら、お花見ができたわけだ。

つい駒井家住宅で長居をしてしまい、夕方になってしまった。この後夕飯の買い物に行ったのだが、この日は市内が大渋滞。バスで中心地に向かうのは時間がかかると判断し、電車で四条河原町方面に出た。錦市場でお晩ざいと日本酒を仕入れ、家でゆっくり夕飯を楽しんだ。

買い物ついでに、これも以前紹介した永楽屋 細辻伊兵衛商店で、桜と五重塔の柄の手ぬぐいを購入。床の間の額にこれを入れておいた。ストロボで丸く光っているが、これは柄(お日様)ではないので念のため。

投稿者 中島秀之 : 16:07 | コメント (1) | トラックバック

2008年02月11日

雪の京都を体験

連休を利用して、京都の家に行ってきた。
この時期の京都は底冷えする寒さで、晴れていてもパラパラと雪が降ったりすることが多いのだが、今年はそんなもんではなかった。
9日土曜日が、かなりの大雪だったのだ。
水分の多い雪だったため、積雪は数センチ程度で済んだものの、京都市内でここまで降るのは珍しいのだそうだ。

で、雪の京都と言えば、やはり思い浮かぶのは金閣寺。
というわけで、バスで金閣寺まで行ってきたのだが、皆考えることは同じらしく、雪だというのに金閣寺は大混雑。
でもその美しさは、格別だった。

雪の金閣寺は、絵に描いたよう。
そう言えば、京都の家の床の間にかけてある、掛け軸代わりの手拭いも、雪の金閣寺だった。
でも、ちょっと降り過ぎの感はあるが・・・。

たださすがに雪の京都の寒さはハンパではなく、この後昼食をとってからは、どこか別の場所に行く気にはなれず、家に戻ってコタツに入り、結局夕飯までゴロゴロと家で過ごしてしまった。

ウチの町家も、雪が降ると、いつもよりキレイに見える(左)。
右は2階北側の窓から見た外の景色だが、なんだかいつもとは全然違う感じがする。

翌日は凄く良い天気で、一気に雪が溶けた。
そんな中、近所の黒谷さん、真如堂とプラプラ歩きながら、銀閣寺のそばにある、日本画家・橋本関雪の私邸だった白沙村荘まで行ってきた。
大きな美しい日本庭園のあるここは、関雪の作品を見ることができるのはもちろんだが、母屋で食事やお茶もできる。
僕は今回抹茶とお菓子をいただいたのだが、古い日本家屋の2階から、巨大な日本庭園を見ながら飲むお茶は美味しかった。


上左は、3つの茶室がある大きな日本庭園。上右は、関雪が作画に使った画室。
下は、母屋の2階から庭園を見たところ。

というわけで、思いがけなく雪の京都を体験した連休だった。

投稿者 中島秀之 : 22:58 | コメント (5) | トラックバック

2007年12月07日

京都の紅葉を満喫!

先週末京都に行ってきた。
今年は紅葉が少し遅いようで、散る間際とはいえ、十分に楽しむことができた。
では少しだけ、古都の秋をお楽しみいただこう。


ウチの町家から徒歩1分のところにある金戒光明寺、通称くろ谷さんは、12月2日まで、山門と庭園の特別公開を行っていた。子供の頃、夏休みのたびに京都に来て、朝はこの山門の下でラジオ体操をしたこともあるのだが、中に入ったのは初めて。階段を上ると、かなり広い部屋となっており、阿弥陀如来像や羅漢像などが置かれ、天井には龍の絵が描かれていた。また山門からの眺めは素晴らしく、東山界隈はもちろん、京都市内が一望できて気持ち良かった。


くろ谷さんの本堂に隣接する、紫雲の庭も特別公開されていた。伯母のお墓もあるくろ谷さんは、普段観光客が殆どいない静かなお寺なのだが、この日はさすがに観光客が多かった。


くろ谷さんの北側のお隣は、紅葉の名所として名高い、真如堂。そこら中が真っ赤に燃えるようで、実に美しい。ただ、その分この時期は観光客がいっぱいで、普段の静けさがウソのよう。でもキレイだから仕方ないか・・・。


日曜日は、嵐山・高雄パークウェイのイベントを見学するため嵯峨野方面に出向いたので、ついでと言ってはなんだが、大覚寺を見学してきた。この秋、JR東海の「そうだ、京都行こう」のキャンペーンで使われていたこともあって、ここも大混雑だった。ただ大覚寺は、大沢池という大きな池が横にあり、この周りの紅葉が非常に美しかった。ここを見るだけでも価値があると思う。


この時期の京都は、いくつかのお寺で、夜間ライトアップが行われている。そこで、ウチの町家からクルマで10分ほど、詩仙堂と曼殊院の間にある、圓光寺に行ってきた。ここでは「瑞雲の華」と呼ばれる、光と音(シンセサイザー)、霧を使った演出で、紅葉の美しい庭を見られる。かなり寒かったのだが、なかなか面白い趣向だった。残念ながら、お庭全体の写真は巧く撮れなかった。



ウチの町家から歩いて15分ほどのところにある永観堂・禅林寺も、紅葉の名所として有名なお寺。そこで、雨となった月曜日の午前中に行ってきた。実は僕は初めての拝観だったのだが、ここは素晴らしかった。まずそこら中が楓や銀杏で、赤や黄色に彩られているのが嬉しい。またこの時期は、所蔵している様々な絵画や仏像が特別に見られる。そして、いくつかの建物が点在し、それを歩いてゆっくり回れるところも、変化があって楽しかった。さらに、有名な「みかえり阿弥陀」像が間近で見られることや、多宝塔からの眺めが良いのも魅力だ。拝観料は1000円と高いが、その価値は十分にあると言えるだろう。

投稿者 中島秀之 : 23:26 | コメント (0) | トラックバック

2007年12月05日

京町家をレストア中! その16(Part.2)

前回の続き

さて、大工さんに土壁の修理をお願いしていたウチの町家だが、今回京都に行った時には、既に修理は終わっていた。
以前も書いたが、現代の技術では、パラパラと剥がれ落ちることが殆どない、粘着性の高い材料で土壁が塗れるそうで、ウチの場合それを使ってもらっている。
もちろん基本的には土が材料のため、仕上がりは、伝統的な土壁と全く同じなので、ありがたい。
それでは、塗り終わったところをご覧いただこう。


1階のオク(奥の間)は、上の写真のようになった。下に穴が開いていた床の間の横はきれいになったし、汚れも当然ながら一切なくなった。黄色味を帯びた淡いベージュの土壁は、建具の濃い茶色と凄くマッチしているように思える。


これも「オク」の庭側の壁の部分。壁がきれいだと、古い建具や昔のままの天井が一層引き立つ。


これは「ミセ(見世)」の部分。左の写真は道路に面した出窓付近をダイドコ(茶の間)側から見たところだが、出窓(障子ブラインドがかかっている)付近の壁の色と、玄関側の少し出っ張った部分(玄関の引き戸の戸袋)の壁の色を比較してみて欲しい。わずかに玄関側の部分の色が薄いようにも思えるが、殆ど差はない。実はこの部分は、前回お見せしたベニヤ板だけだったところ。この部分は土壁が塗れないため、土壁風の壁材が貼ってあるのだそうだ。手触りもほぼ同じだし、これなら全く違和感がない。
右は便所側の窓(すだれカーテンがかかっている)を見たところだが、ベニヤ板が貼られていた、前回掲載の写真と比べてみていただきたい。


やはり「ミセ」の玄関側。前回掲載の写真で棚があったのがこの部分で、かなりイメージが変わっているのがわかるだろう。


さらに玄関のでっぱり部分のベニヤにも、前述の土壁風壁材を貼ってもらった。仕上がりはご覧のように自然で美しいもの。こうなると、傘や靴べらのかかっている古いパネルが、やたら汚れて見えてしまう。

というわけで、気になっていた箇所がきれいになり、町家生活がまた楽しくなった。

投稿者 中島秀之 : 22:24 | コメント (2) | トラックバック

京町家をレストア中! その16(Part.1)

一昨年亡くなった伯母が住んでいた、築80年になる京都の町家を維持していることは、このブログで以前からお伝えしている。
で、これも以前からお伝えしているが、この町家は昭和41年、1966年に、当時風にあちこちがリフォームされており、今の目で見ると、その部分は中途半端に古臭いだけで魅力がないため、本来の町家の姿に、少しずつレストアをている。
その模様はこれまでに細かくお見せしてきたが、久々にまた少し手を加えた箇所があるので、ご紹介しておこう。
今回手を加えたのは、下の間取り図で、「ミセ」と「オク」と「玄関」と書かれた部分の壁。
(間取り図、写真とも、クリックすると大きくなります)

実は「オク(1階の奥の間)」は昭和41年の改装でも手を加えなかった部屋で、天井も壁も当時のままの状態が保たれていた。
ところが、長い間塗り替えをしなかったため、土壁がアチコチ、ボロボロと剥がれ落ちてきてしまっており、一部隙間というか穴が開いてしまっているような箇所もあった。
そこでまずは、この土壁を塗り直してもらうことにした。

上が「オク」の壁の傷んだ箇所。左の写真は天井に近い部分で、かなり薄汚れた状態の上、土が一部剥がれ落ちてしまっているのがわかる。また右の写真は床の間の横の部分で、下部が穴が開いたようになってしまっている。

一方、これとは別に、前から気になっていたのが、玄関から入ってすぐの「ミセ」と呼ばれる小さな部屋の壁。
こちらは昭和41年に、当時流行した、土壁の上にそのまま合板(ベニヤ)を打ちつけてしまうやり方で、改修されていた。
そこでこのベニヤを剥がしてもらい、土壁をやはり塗り直してもらうことにした。
ただ問題なのは、やはり昭和の改修で、玄関が大きな引き戸となり、その戸袋が部屋にはみ出していることだった。
というのも、この部分はベニヤがそのままついているだけで、内側に土壁は存在しない。
ベニヤの上に土壁を塗る、というか作ることは不可能なので、ここはそのまま残すしか方法がないかも知れないのだ。

上の写真が「ミセ」の玄関側の状況。ご覧のように壁は風情のないベニヤとなっている。
また玄関から入ってすぐのところが、引き戸の戸袋になっており、壁から少しだけ手前に出っ張っている。この部分には、昭和の改修の際に、スチールと樹脂でできた飾り棚が設けられ、地方の民芸品などがのっかっていた。


上左は、「ミセ」の、玄関とは反対側にあたる便所側の窓と壁。ご覧のように、空気を通す小さな窓が、本来の窓の上に設けられており、この部分の建具などは当時のままだった。
この風通し用の窓は、玄関の上(写真右)にもあり、こちらも、小さな建具と窓は当時のまま残されていた。
この風情ある小窓も、周りがベニヤの壁では、目立たないし、もったいない。

さらに、もうひとつ気になっていたことがある。
それは玄関の右側にある、出っ張った部分。
靴べらや傘などがかけられているこの部分は、やはり昭和の改修の際に、「ダイドコ(茶の間)」を「ミセ」側に拡大する際、ついでに冷蔵庫を置く場所として、玄関側に出っ張らせたものだった。
現在は電子レンジ(昭和45年製だが)などがこの部分に置かれている。
その裏側が、ベニヤ板の壁として、玄関にむき出しになっているわけだ。
これも、周りの土壁に合わせた雰囲気にしてしまいたい。
さてどうしたものか。

上の写真が、玄関の右側にはみ出している部分。ご覧のように、ベニヤ板そのままで、町家の風情にはそぐわない。

というわけで、上記のような気になる部分を、例によって、京町家作事組のメンバーである堀工務店さんにお願いして、直していただくことにした。
社長の堀さんは、実は昭和41年の改修を行った大工さんのご子息で、お父さんが当時風にリフォームしたものを、息子さんが元の姿に戻しているわけである。
なんとも、京都らしいと言えば京都らしいが・・・。


「ミセ」の部分のベニヤ板が剥がされると、ご覧のように、元の土壁が姿を現した。
さてこれがどんな風にレストアされたのかは、次回ご覧いただこう。

投稿者 中島秀之 : 00:50 | コメント (0) | トラックバック

2007年08月31日

押し入れの中はタイムマシン

このブログ6月12日付けの、「床の間に手拭い!?」 でご紹介したのだが、ウチの京町家の1階にある押し入れの壁に、古い新聞が貼られていた。
おそらく昭和25年12月29日のものだと思うが、60年近くそこに貼りっぱなしになっていたことになる。
その押し入れは、伯母が亡くなってから一度も整理したことがなかったため、先日行った時に整理したのだが、荷物を外に出してみたら、先日見えた箇所だけでなく、押し入れの内側ほぼ全体に古い新聞が貼ってあるのがわかった。
何枚かは日付が確認できるものがあり、昭和25年(1950)年12月23日と読めたから、やはり最初に発見した新聞と同じ時にここに貼られたようだ。
せっかくなので(?)、どんなものかをご紹介しよう。

上左の写真が以前ご紹介したもの。昭和25年12月29日付けの夕刊京都紙で、「米、対日講和あくまで推進」とある。上右は同じく12月23日付けで、映画の広告が面白い。「お正月は大映だ 紅蝙蝠 長谷川一夫」などの文字が見える。


上左は社会面のようで、「五軒長屋将棋倒し」といった記事も見えるが、「心の重荷今晴らす 出来心の主婦が罪を謝し代金」「男を刺し服毒」「多い桃色遊戯」など、終戦から5年でこんな事件が報道されるようになっていたのかと驚く。上右では「丸物」というデパートかスーパーの広告「歳末 呉服 雑貨 食料品 謝恩市」が面白い。価格は当時の物価がわかるし、驚いたことに「スキー用品各種充実」の文字も見える。終戦から5年で、京都からスキーに行く人が、少なくなかったということなのだろう。


上左は12月26日付けの社会面のようで、「その后」という連載記事では「京都駅 仮駅も一と月で完成」という文字が見える。上右は昭和26年1951年4月11日付けの京都新聞で、他より4ヶ月ほど遅い新聞なので、貼ったのが違う日だったかも知れない。春らしく社会面に「私立高校に春めぐる」といった記事があり、「市電でオギャア」といった記事も見える。プロ野球の結果も出ており、人気があったことをうかがわせる。

さてこれらの新聞だが、とりあえず押し入れの壁にそのままの状態で残しておいた。
押し入れを開けるとタイムマシンに乗れるような気がして、剥がす気になれなかったのだ。
土壁を塗り直す時まで暫くはこのままにしておこうと思っている。

ところで、以前これもこのブログでご紹介した、元クリッパーの田口さんがプロデュースしている日経新聞系のウェブサイト「G-Style」で、先日ウチの町家に来た時に撮影した写真を使用した記事の連載が開始された。
「編集部京都町家潜伏記」 を、是非ご覧いただきたい。

投稿者 中島秀之 : 00:01 | コメント (0) | トラックバック

2007年08月29日

京都で食べたものを紹介

8月13日の深夜から17日の朝まで、京都の家に行ってきた。
ちょうど日本中が猛暑に見舞われていた時期で、ただでさえ暑いことで有名な京都は、連日37~39度の最高気温となって、頭がくらくらしそうだった。
今回は、伯母と祖母のお墓参りと、以前お伝えした手付かずだった押入れの整理、そして五山の送り火、いわゆる大文字焼きを見るのが目的。
で、それ以外の時は、以前から気になっていたところに出かけたり、ちょっとした買い物をしたりしていたのだが、なにしろ暑いので、あまり遠くへは出かけなかった。

さて京都に出かける楽しみのひとつに、食べ物がある。
京都には独特の食文化があって、行くたびに新しい発見があ