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京町家 カテゴリー

2009年07月08日

久々に京都へ

昨年秋に行って以来、引越しやらなにやらで忙しく、ずっと行っていなかった京都の家に久々に行ってきた。
今回は伯母の墓参りと、家の掃除などで慌ただしく時間が過ぎ、あまりあちこち見て歩く時間がなかったのだが、唯一、前から一度行ってみたかった京都郊外の美術館を訪ねることができた。

とても良い天気の中訪れたのは、名神高速の京都南ICの次、大山崎ICから程近い「アサヒビール大山崎山荘美術館」である。
実業家・加賀正太郎によって、大正から昭和の初めにかけて建てられた、見事なチューダー様式の山荘が当時のまま残されており、その中で、河井寛次郎やバーナード・リーチらの焼き物などを見学できる。
また隣接する、安藤忠雄設計による新館「地中の宝石箱」では、クロード・モネの「睡蓮」などを見ることもできる。
ただ、この美術館の最大の見所は、やはり贅沢に作られた山荘そのもので、一時は荒廃が著しかったというのが嘘のように、素晴らしい状態で保存されている。
中には美術品だけでなく、ソファーや椅子、時計やオルゴールなど、当時の調度品の類もたくさん残されており、それを見るだけでも楽しい。
しかも、2階の一部は喫茶室になっており、テラスでお茶を飲みながら、建築当時と変わらぬ(街は増えたが)素晴らしい景色と山の空気を満喫できる。
今回たまたま、このテラスでお茶を飲むことができたのだが、時間を忘れてしまうほど、のんびりすることができた。

周囲の庭や建物、自然といったものも本当に素晴らしいので、是非一度訪ねてみてはいかがだろうか。


左は大山崎山荘美術館本館の外観。英国チューダー様式の見事な建物だ。右は2階のテラスの様子。ここでお茶を飲むことができる。



左はテラスから眺めた外の様子。桂川沿いの美しい景色を満喫できる。右はそのテラス部分のある本館を外の庭から見たところ。


投稿者 中島秀之 : 16:30 | コメント (0) | トラックバック

2008年12月01日

今年は少し遅いようです(Part2)

(Part1からの続き)
3連休の真っ只中である日曜日の午後、大混雑の東福寺を出て、お蕎麦屋さんで小休止した後、今度はお隣といっても良い泉涌寺に歩いて向かった。
泉涌寺は皇室の菩提所として有名なお寺だが、東山の月輪山の麓にある静かなお寺だ。
僕は高校の修学旅行で偶然訪れて以来のお気に入りで、何度も訪れている。
ただこの時期に来たのは初めてで、御在所のお庭の紅葉がとても見事なのにびっくりした。
また、泉涌寺に来るといつも立ち寄る、別院の雲龍院は、きれいなお庭を見ながら抹茶がいただけるので大好きなのだが、この時期はいつも以上に美しかった。
また竜華殿と呼ばれる本殿が現在改修工事中で、伝統ある工事のやり方を垣間見ることができた。


上左は泉涌寺の御在所庭園の様子。見事な紅葉を見ながら、ホッと一息つくことができる。
上右は、以前から大好きな泉涌寺別院・雲龍院のお庭。抹茶をいただきながら、ゆっくり見ることができる。


さてこの日は夕飯を、三条柳馬場上るの「馳走いなせや」でいただいた。
町家をきれいに改造して使っているこのお店は、今年春にオープンしたばかりとのこと。
食事は京都の名物のひとつでもある、鶏すき(鶏のすき焼き)をメインとした「丹波地鶏三昧」のコースをお願いしたのだが、とてもおいしくて満足した。


京都はすき焼きでも有名で、牛肉はもちろんだが、鶏のすき焼きも名店といわれる所が何件かある。
いなせやは新しいお店でまだ名店というわけではないのだろうが、スタッフは若く、価格もまぁ手頃なので、20~40代くらいの人になかなかの人気のようだった。上左はメインの鶏すきで、右はその残りに卵を入れたものを上にかけた、〆のご飯で、これも美味。あ、食後に喉はかわいたけど・・・。


この時期の京都は、かなりたくさんのお寺が、夜間お庭をライトアップして公開している。
そこで食事の後、ウチの町家から近い、青蓮院に寄ってみることにした。
この青蓮院門跡ライトアップは、お庭に無数の青いライトを埋め込み、それが少しずつ明るくなったり暗くなったりするもので、宇宙をイメージさせるものだった。
またその他にも、お庭をぐるっと一回りできるようになっており、かなりゆっくり楽しめた。


上左は青蓮院のお庭のライトアップ。少しわかりにくいが、無数の青いライトが明るくなったり暗くなったりする。また上右は、ぐるりと見て回れるお庭の中の、ライトアップされた竹林の様子。幻想的な雰囲気だった。


月曜日は残念ながら午前中から雨となった。
そこで遠くまで行くのは諦め、ウチの町家から歩いていける範囲で、まだ行ったことのないお寺を見てみることにした。
まず哲学の道まで出て、銀閣寺方向に少し上り、住蓮山・安楽寺を拝観した。
ここは紅葉末期に山門前の階段が真っ赤に染まることで有名らしいのだが、今年はまだそこまでは至っていなかった。
また普段は公開しておらず、この時期特別公開しているのだが、若いお坊さんが、このお寺にまつわる
松虫姫と鈴虫姫の姉妹、安楽上人と住蓮上人の悲劇についてお話ししてくださった。
こちらもお庭の紅葉はなかなか美しかった。


上左は安楽時の山門を下から見たところで、まだ紅葉は半分くらいという感じだった。
上右はお庭の様子。紅葉もきれいだが、初夏のつつじもきれいそうだ。


そのまま安楽時のお隣にある法然院にも立ち寄った。
ここは安楽寺と同様、法然上人、安楽上人、住蓮上人の死後に、縁の地に建立されたお寺で、やはり山門の周辺とお庭が紅葉で有名だ。
生憎の雨だったが、さすがに紅葉は美しく、清清しい気持ちになった。


法然院は特に拝観料などはなく、お庭を拝見することができる。散歩にはうってつけのお寺だ。


この後遅めの昼食をとってからバスに乗って町家に戻り、掃除や洗濯などをして、夕方6時過ぎに京都を出発。途中幸いなことに殆ど渋滞に遭わず、12時過ぎに東京に戻った。


投稿者 中島秀之 : 18:14 | コメント (1) | トラックバック

2008年11月29日

今年は少し遅いようです(Part1)

先週末の3連休を利用して、京都の家に行ってきた。
時期的には紅葉が盛りのはずで、8月以来ずっと行っていなかったこともあり、掃除のついでに紅葉を楽しんで来ようという魂胆だ。
金曜日の8時過ぎに東名に乗ったところ、いつもより交通量は多いものの、特に渋滞には遭わず、深夜1時過ぎに京都に到着。
翌朝はゆっくり起きて、お昼に近所の金戒光明寺でお墓参りをし、そのままお隣の真如堂まで散歩したのだが、この時期はもうとにかく、大混雑!
また今年は、去年より更に紅葉が遅いようで、まだ青いままの葉も多かった。
おそらく今週末から来週末が、市内は身頃なのではないだろうか。


紅葉の名所のひとつ真如堂は、かなりの混雑。境内の6割がたは紅葉していたが、まだこれからが本番といった感じだった。


この後、向かいの吉田山山頂のカフェ、茂庵まで行ったのだが、混雑していて断念。
更に出町柳から叡山電車に乗ろうと思ったのだが、出町柳の駅から電車を待つ長い列が出来ているのを見て諦めることに。
いやぁ3連休は凄いわ。
結局この日は、夕飯の買い物などをして、早めにウチに戻ることにした。


日曜日は、早起きをして、この時期の京都でベスト3に入るであろう観光スポット、東福寺に行こうと思っていた。
ところがすっかり寝坊してしまい、京阪東福寺駅に到着したのは正午少し前。
すると、もうとんでもない混雑になっていた。
駅から参道までがまず大渋滞(もちろん人だけで)、やっとの思いで境内に着いたと思ったら、有名な通天橋に入るために、物凄い行列ができていた。
まぁせっかく来たのだからと並んだのだが、結局中に入れたのは、駅を降りてから1時間半以上経ってからだった。
まぁそれでも、さすがは京都屈指の紅葉の名所。眺めは本当に素晴らしかった。
惜しむらくは、あと1週間遅ければ、もっときれいだったろうなぁ。


上の2枚は、通天橋を下の庭から見たところ。大きな木造の橋で、下は渓谷のようになっており、たくさんの紅葉した樹木を眺めることができる。


上左は、通天橋の下にあるお庭の一部。この庭を通っても、小さな渓谷の向こう側に渡ることができる。
上右は、通天橋の上から見た景色。さすがに絶景だ。反対側に見えているのは、境内に向かう途中にある臥雲橋で、通天橋よりはかなり小さい。


この日は「筆供養」という、筆に感謝する催しも行われおり、山伏姿の方々に率いられて、使い古された筆がこうして運ばれてきた(上左)。この後一行は開山堂(常楽庵)へと向かい、法螺貝の音を轟かせた後、般若心経をあげて、解散していった。


さて東福寺でもうひとつ有名なのは、方丈庭園。昭和の偉大な作庭家、重森三玲の作った四つの庭、とりわけ市松模様の北庭が有名だが、5月に重森三玲邸の見学をした後だけに、以前とはまた違った感覚で見ることができた(上左)。
また東福寺ではこの時期だけの特別公開もいくつかあり、25ある塔頭の中の即宗院もそのひとつ。
大混雑の東福寺の中でも、人が少なく、きれいなお庭が楽しめた(上右)。


龍吟庵も特別公開の塔頭のひとつだが、こちらは室町時代初期に作られた方丈が国宝に指定されている由緒あるところ。方丈そのものはもちろん素晴らしい(上左)が、ここにも重森三玲作の3つの庭があり、このうち龍の庭と呼ばれる西庭は、特に素晴らしいものだった(上右)。尖った石が龍の頭で、その周りの石は、とぐろを巻く龍の身体。周囲の黒と白の砂は、共に雲を表しており、龍が昇天する様子を示しているのだそうだ。

投稿者 中島秀之 : 17:19 | コメント (3) | トラックバック

2008年08月20日

京都の夏を満喫

お盆のお墓参りを兼ねて、先週末に京都の家に行ってきた。
金曜夜にエグザンティアで行ったのだが、お盆の真っ最中ということもあり、トラックが驚くほど少なく、いつもよりかなり早く到着できた。
土曜日はお墓参りの後、近所の真如堂まで散歩し、ガラガラだったので、拝観料を払ってお庭などを見せてもらった。
天台宗のお寺である真如堂は、正式名を鈴聲山真正極楽寺というそうで、紅葉の見事なことなどで知られる。
お庭は、東山を借景とした枯山水様式のもので、中央に涅槃像を模した石が置かれた「涅槃の庭」と呼ばれる。
この日は、夜に大文字焼きが行われる日だったのだが、左の方に見える大文字山(如意ヶ岳)に、その準備をする人の姿が見えていた。
東山から吹く涼しい風を感じながら、しばしボーっとしてしまう気持ちよさだった。


この日の夜は、お盆の終わりを告げる五山の送り火。
山焼きとも大文字焼きとも言われるが、夜8時から、5つの山に順番に火がついていく。
ウチの町家から歩いて5分ほど、昼間行った真如堂のもう少し上にある、お墓の辺りから、最初の大文字(如意ヶ岳)がよく見える。
近所の人が集まっているこの場所で、火が入れられるところから山焼きを見学した。

左は真如堂の「涅槃の庭」。写真左上に、大文字焼きの準備をしている如意ヶ岳が見える。
右は、近所から見た大文字焼き。火がついている時間は、僅か30分ほど。

日曜日はお昼過ぎまでかかって、町家の模様替えをした。
午後から、四条烏丸の交差点から5分ほどのところにある、大きな町家「長江家住宅」を見学した。
150〜100年ほど前の建物で、代々呉服商の長江家が店舗として使用してきたもの。
ウチのような小さな民家と異なり、大店の商家は、どこも造りが立派で、特に中庭の横の縁側は、柱を一本も使っていない素晴らしい設計。
それでいて、商売に使っていたため、華美なところがないのが京都の町家らしい。
現在は、母屋以外の部分が多目的催事会場「袋屋」として使われているそうで、お茶会や展示会などが開催されているとのこと。
また事前に申し込めば600円で見学可能なため、興味のある方は連絡してみていただきたい。


上の2枚は、長江家住宅の2階から中庭を見たところ。
両隣は既に背の高いビルに囲まれてしまっている。
ここだけが、100年前から何も変わっていないのがよくわかる。
下は長江家住宅の外観。

この日の夜は、木屋町御池にある「豆屋源蔵」で食事をした。
鴨川に面した茶屋旅荘「近江初」の建物を使った京料理のお店で、前から一度行ってみたかったところ。
この日は納涼床も空いていたのだが、あえて静かな2階の個室でお食事をいただいた。
古い旅館らしい風情のある建物が、落ち着いた大人の雰囲気。
料理はいずれも素晴らしかったのだが、特に晩夏というか初秋の京都らしい、松茸を使った鱧のしゃぶしゃぶ鍋は絶品だった。


写真上左 豆屋源蔵は、落ち着いた中にも新しい感覚のあるお店で、玄関はこんな感じ。
写真上右 2階の個室は、吹き抜けに面していて、すぐ横には、旅館時代に手洗い場だったのか、ちょっとした小部屋のようなスペースがある。
写真下左 お料理はどれもおいしく、特にこの季節ならではの、名残の鱧と初物の松茸を使ったお鍋は最高。

月曜日は、朝早めに起きて洗濯をしてから、電車で市内の北側、鞍馬にある、貴船に向かった。
京都の夏といえば、鴨川の納涼床か、この貴船の川床が、涼を得る方法として有名。
叡山電車で貴船口まで行き、お店の送迎車でお昼前に川床に到着。
たくさんのお店が川上から順に川床を出しているが、僕が行った「仲よし」は、その真ん中辺り。
足の下を音をたてて流れる水は、とてもつめたくて、陽がかげると、長袖が欲しいくらいの涼しさ。
料理は内容を考えると少し高い気もするが、この雰囲気は他では絶対味わえないもの。
あ~、気持ちよかった。

とても涼しい貴船の川床。水に足をつけられるのだが、長い時間はつけたままにできないくらい、水は冷たい。
途中に段差があって、水の勢いが増している横が、特に気持ちいいポジション。

帰りに叡山電車を途中で降りて、岩倉幡枝町にある臨済宗のお寺、円通寺に寄り道。
ここは大学生の頃訪れて、比叡山を借景とした枯山水のお庭に感激したお寺。
久々に訪れたところ、お庭は健在だったものの、周囲の宅地化が進み、眺めの中にどうしても建物が見えてしまうようになっていた。
現在は辛うじて、縁側に座って見る限りは建物が目に入らないが、近い将来これも難しくなるのだそうだ。
なんとか、そうした事態にならないで済むよう、できないものなのだろうか?

円通寺の庭は、比叡山を借景とした見事なもの。ここもボーっとするには最高のお庭。

さて、今回行った町家の模様替えの内容を最後にご紹介しておこう。
奥の部屋と庭の間にある、廊下状の縁側が、これまでは物でいっぱいだったのだが、そこから古いミシンを引っ張り出し、きれいにふいて、玄関脇の見世の間に置くことにした。
縁側は物を整理して、広く使えるようにした。
お陰で庭に向けて縁側から線香花火を楽しめるようになった。


ミシンはmitsuboshiの刻印のある国産のもの。
ベルトが劣化して切れてしまっていたが、手入れすれば使えそうだ。
縁側は物が減って、広く使えるようになった。

というわけで、月曜の夕方、町家の掃除を終えてから、東京へと帰った。

投稿者 中島秀之 : 23:06 | コメント (1) | トラックバック

2008年06月17日

梅雨時の京都、鈴鹿、名古屋で・・・(その1)

木曜夜から月曜深夜にかけて、京都、鈴鹿、名古屋にでかけてきた。
まず木曜夜にエグザンティアで京都に行ったのだが、今回初めて、今年春に開通した新名神を使って(伊勢湾岸道と東名阪も使用)行ってみたところ、道が良くて快適な上、距離が名神より少し短いため、早く着くことができた。
金曜は伯母のお墓参りをした後、宇治の三室戸寺へ。
先月、「新緑の京都へ」 でご紹介した通り、ツツジが満開だったこのお寺、実は紫陽花寺としての方が有名で、僕も以前見て感動した覚えがある。
久々に訪れたところ、紫陽花は8分咲きといった感じで、見事な美しさだった。
ただ、なんとなく以前よりその数が少なくなったような気もしたのだが。

土曜日は、再び新名神を使って鈴鹿サーキットへ。
滋賀の草津と三重の亀山を結ぶ新名神を使うと、京都の家からサーキットまで1時間半足らずで行くことができるので、凄く便利だ。
この日は、ポルシェのワンメイク走行会イベントの、ポルシェ・パレードが開催されており、様々なポルシェが集合していた。
参加台数は250台ほどで、様々なクラブが、メンバーごとに独自のカッティングシートを車両に貼っていたりして、なかなか楽しい。

中には珍しい930フラットノーズの姿もあった。
また本国のポルシェ博物館から、貴重なF1の804とF2の718が来日し、デモ走行も行われていた。

僕はこのイベントで行われた、高木虎之介選手のトークショ−で司会を担当。
虎之介選手のポルシェに関する思い出を聞いたり、鈴鹿サーキットの攻め方を解説してもらったりした。
虎之介選手は、凄く気さくにいろいろな話しをしてくださり、とても楽しいトークショーとなった。

さてこの翌日から、ティーポの取材を2日連続で行うのだが、その模様は次回で。

投稿者 中島秀之 : 23:09 | コメント (3) | トラックバック

2008年05月15日

新緑の京都へ(その3)

ゴールデンウィーク後半の連休に、京都に家に行った時の模様をご紹介している。
今回は、この時期の京都の楽しみのひとつでもある、花と新緑に溢れたお寺の模様をいくつかお見せしよう。
最初は、ウチの町家からバスと徒歩で20~30分で着く、洛北の詩仙堂。
美しいお庭が見られることで知られるこのお寺は、過去に何度も来たことがあるのだが、ツツジや藤がそろそろ見頃かと思って訪れてみた。
ところがここのお庭にあるのはサツキで、サツキはツツジより一ヶ月ほど遅く咲くらしく、まだこれからという状況。逆に藤はもう見頃を過ぎていた。
それでも小雨に煙る新緑はとても美しかった。

お庭のサツキは5月下旬が見頃とか(左)。でも雨の詩仙堂(僕はなぜかここに来る日は雨ばかり)は凄くいい風情。縁側に座っていたら、白い砂利の上を小さな蛙が足跡をつけながら歩いていた。


ただ、こうなると俄然ツツジと藤を見たくなり、京阪電車に乗って、京都南東部の宇治まで足を伸ばすことにした。
10円玉でお馴染みの鳳凰堂がある平等院は、やはり過去何度も訪れたことがある。
近年鳳凰堂内の改修が行われ、美しさを増しているのだが、今回の目的はここの藤棚。
大きな藤棚で有名なのだが、なんと入り口に、「今年は藤の色づきがよくありません」なんて貼り紙がしてあった。
で、実際見てみると、確かにそう言われればそういう気もするが、そもそも時期的にもう終わりに近く、それを考慮すれば十分きれいだった気がした。

ツツジと藤が一緒に見られて、かなり得をした気分になれる。今年は気候の関係なのか、藤の花のできは今ひとつだったそうだ。


今度はツツジだ。平等院の少し手前の山肌にある三室戸寺は、花のお寺として有名で、特に紫陽花の見事さは、全国に知られている。
何年か前に紫陽花の時期に来たことがあるのだが、1万株におよぶ紫陽花が咲き乱れる様は実に見事で、とても感激したのを覚えている。
だがその紫陽花の倍(!)の2万株も、ここにはツツジが植えられているのだそうだ。
やや半信半疑で訪ねてみたら、いやもう掛け値なしに凄かった。
本堂から降りてくるなだらかな丘一面が全てツツジ(ほとんどが平戸ツツジだそう)に埋め尽くされているといってもよいくらいだったからだ。
シャクナゲの咲く細い坂道を上がって、上から見ると、まるでツツジの絨毯のようだったし、そこを降りて下から見上げると、青い空と新緑に、白やピンクの花が素晴らしいコントラストで見えて、本当にきれいだった。


三室戸寺の本堂は山肌の一番上(左上)。そこから坂を下りてくると、辺り一面がツツジで覆われている。どこから見てもきれいで、見ようによっては、どこか外国にいるようにさえ思える。是非写真をクリックしてご覧いただきたい。



というわけで、花と新緑を堪能したゴールデンウィークの京都。最後にウチの町家の床の間にかけている額をご紹介。
中身はいつも永楽屋細辻伊兵衛商店の手ぬぐいなのだが、今回は5月らしく花菖蒲にしてみた。

投稿者 中島秀之 : 00:12 | コメント (1) | トラックバック

2008年05月11日

新緑の京都へ(その2)

ゴールデンウィークの連休に京都の家に出かけ、あちこちをブラブラしてきた。
今回は、ウチの町家の近所、歩いて行ける範囲で新たに訪ねたところをいくつかご紹介しよう。
ウチの町家があるのは、京都市左京区の岡崎で、金戒光明寺(通称くろ谷さん)のすぐそばなのだが、北側に10分ほど歩くと、吉田山という、標高100メートルほどの小さな山がある。
その中腹には、兼好法師ゆかりの吉田神社があり、2月の節分には大きなお祭りが行われることで知られている。
この吉田山に、真如堂の方(東側)から上がって、宗忠神社(黒住教の教祖・黒住宗忠を祀った神社)の前を通り、山頂方向を目指した。
実は山頂の直前に、「茂庵(もあん)」というカフェがあるのだ。
以前から一度行ってみたいと思っていたため、ランチを食べに暑い中やってきた。
築150年ほどの2階建ての建物(昔は食堂だったそうだ)の1階が待ち合い室と厨房で、2階がカフェになっている。
待つこと暫し、2階に案内されて、驚いた。
西側の大きく開いた窓から、鴨川近辺から高雄方面までが一望できるのだ。
しかも、回りは樹に囲まれているため、外が30度近くあっても、風が抜けて実に涼しいんである。
お陰で気持ちよく食事をすることができた。
ランチは美味しかったし、ケーキも美味しいそうなので、是非一度訪ねてみてほしい。

上左は、真如堂の方から吉田山の宗忠神社に上る石段。両側はツツジが満開できれいだった。右は茂庵の外観。築150年の建物を、巧く改装して使っている。建物の状態は、非常に良いようだ。

茂庵の西側の客席は、窓に向かってカウンター式になっている。その窓からは、京都市内の西北方面がきれいに見渡せ、しかも風が抜群に気持ちいい。

昼食後、茂庵から今度は吉田神社側(西側)に吉田山を下り、5分ほど歩いたところにある、重森三玲邸庭園を訪ねた。
重森三玲は、東福寺方丈庭園(市松模様で有名)や大徳寺山内瑞峯院庭園などを作ったことで知られる作庭家。
またこの屋敷は、もともと吉田神社の社家である鈴鹿家の所有で、母屋は近衛家の援助により享保年間に建てられたとのこと。
重森は昭和18年に鈴鹿家から譲りうけ、二つの茶室を建てた後、晩年の昭和45年に、庭を枯山水の美しいものに作り替えている。
この重森邸は、前日までに電話などで申し込めば、誰でも見学が可能。
美しい庭を正面に見る書院や、重森自らが設計した茶室・好刻庵の中に入ることができる。
さすがに庭は趣きがあり、以前シャープのテレビCMで使われたというのも頷ける見事なものだった。
また茶室の内部も、重森自らがあちこち手を入れたものだそうで、非常に興味深かった。

重森邸は事前に申し込んで、指定の時間に玄関(左)に行けば、中に入れる。右は書院の中から見た庭。枯山水様式だが、邸宅ということもあり、樹木も効果的に使っている。またこの角度から見ると、以前TVCFに使われていたのがおわかりなのでは?

左は書院を玄関側から見たところ。近衛文麿元首相が京大在学中はここに下宿していたとのこと。右は茶室・好刻庵の内部。襖の市松模様を使った波の表現が素晴らしい。また細部が実に凝っているのだが、その辺りは実際に見学して確認していただきたい。

さて、重森邸から今度は丸太町通り(南)まで歩き、東に戻って岡崎通の一本東側の細い道を南方向へ。
亡き伯母が好きだった料亭の向かいにある、古い家を改装した、ショコラ屋さんにお茶をしにむかった。
築100年ほどのお宅を使ったこのお店は、その名も「京都生ショコラ」。
手作りのショコラは滑らかな口溶けでとても美味しく、ケーキも素晴らしかった。
また建物は、京町家独特の細長い造りではないものの、家屋と前後のお庭はほぼそのまま使われており、古い町家の風情が味わえて嬉しかった。
ただ傷みが少々進んでいるようで、柱を始め各部の歪みがちょっと心配だった。
そうそう、玄関には大きなワンちゃん(凄く大人しい)がデーンと控えているので、犬が苦手な方は入店の際ちょっと心構えが必要かもしれない。

左は「京都生ショコラ」の入り口。普通の古いお宅だが、外に看板がある。右は座敷の客席から裏側の庭を見たところ。普通の座敷なので、すっかり落ち着いてしまう。

左は奥の庭から建物を見たところ。庭は見学できるのだが、野点ができるような造りになっていて、もともとお茶が好きな方が住まわれていたであろうことがわかる。右は大きい方がチョコレートケーキで、小さい方が生チョコレート。生チョコレートには、ビター、スウィート、抹茶の3種類があった。

投稿者 中島秀之 : 21:52 | コメント (2) | トラックバック

2008年05月07日

新緑の京都へ(その1)

20年ぶりくらいに、ゴールデンウィーク後半の連休に何も仕事がなかったので、またも京都の家に行ってきた。
1ヶ月前にお花見に来た時から、季節は大きく変わり、すっかり新緑が広がっていた。
もっとも、3日と4日は最高気温が30度を超え、心地よいというより、猛烈に暑かったのではあるが。
それでは数回に分けて、新緑の京都の模様をご紹介しよう。

まず5月3日は、午前中から下鴨神社に行ってきた。
下鴨神社は、ウチの町家から一番近い京阪丸太町の駅から一駅、終点の出町柳駅から歩いて10分ほどのところにある神社で、周囲は糺の森という鬱蒼とした森に囲まれている。
創設は西暦の紀元前にまで遡ると言われ、世界遺産にも登録されている。
5月になるとこの神社が賑やかになるのだが、それは京都三大祭りのひとつ、葵祭が行われるからで、メインとなる平安絵巻を再現する行列は15日に行われる。
その幕開けを告げるイベントが、3日に行われる「流鏑馬神事」だ。
そう、弓を持った人が、馬を走らせながら的に矢を射る、あの「やぶさめ」である。
これを見るためにやってきたわけだが、神社の参道には11時過ぎに到着。
早くも始まっていた行列に並び、12時から販売される、2000円(800円のプログラム付)のチケット(椅子に座って見られる券で、これを買わなくても立って見ることは可能)を入手した。
全長500mほどの、森の中の馬場に、100mおきに3つの的があり、席はそのどれかの近くを選ぶようになっているのだが、僕は最もスピードが出るであろう「三の的」の前に陣取ることにした。
荷物を椅子の上に置いて、いったん食事に出かけ、その後1時過ぎに神社の本殿前で行われるセレモニーを少し見てから、馬場脇の席に戻って、開始を待つ。
2時半頃からようやく馬場に公家風装束の人々が登場。
様々な人が何度か馬場を行列で往復した後、いよいよ流鏑馬が開始された。
最初の3人の射手(いて)は、古式ゆかしい公家装束に身を包んだ優雅ないでたち。
ところが、最初の射手の演技(?)を見て驚いた。
横幅僅か三尺五寸の狭い埒(らち)の上を、全速力で馬が走り、馬上の射手は3つの杉板の的に向け次々と矢を放つのだから、その迫力たるや、想像を遥かに上回っていたのだ!
僕の席からどう見えるかというと、まず二の的を終えた(観客の歓声で命中したかどうかわかる)射手と馬が、物凄いスピードで近づいてくるのがわかる。
射手は馬上で、「イン、ヨー!(陰陽の意)」の掛け声と共に、背中から矢を取り出して弓に装てん。
その間も馬はフルスピードで走っており、あっと言う間に三の的が接近。
ギリギリのタイミングで射手は矢を放ち、その直後、三の的がパカーンという乾いた音とともに真っ二つになって下に落ちるという具合(命中すればだが)なのだ。
当たれば当然、周りの観客からウォーという歓声と共に大きな拍手が起きる。
目の前でこれが見られるのだから、いや、もう実に楽しいし、ワクワクしてしまう!
ただし、三つの的全てに命中させるのは極めて難しいようで、特に二の的を外す射手が多い。
中にはひとつも当てられれずに終わる射手もいる。
で、4人目からは、武家装束の射手に変わり、最終的には5頭の馬で20名の射手が一度ずつ演技した。
因みに3つとも命中させられたのは僅か2~3名だったが、三の的を落としてパーフェクトだった射手には、観客からより大きな拍手が送られていた。

優雅ななようで、実に勇ましく、見ているだけでワクワクできる、この流鏑馬神事。
終了時間は4時半近かったので、ほぼ丸一日かかることになるが、機会があったら是非一度ご覧になられることをお勧めする。


上左は、本殿手前の舞殿で行われた「社頭の儀」。お払いや雅楽の演奏などがある。右は馬場の前に陣取った観客の様子。お金を払うと、椅子席(前から3列)に座れる。自由席は立ち見。

(上左)今回から馬場中央にある馬場殿に向かう馬車も登場。なぜか御者の一人は外国人女性。後ろに乗るのは、今回の長官代役である山田京都府知事。(右)また行列の中には、なぜか地元選出の前原元民主党代表の姿も。

雅楽隊や子供の巫女、神官、そして今回の主役たる射手を始め、様々な人が馬場を行列。

オレンジ色の公家装束の人は、最初の射手。持っている弓の大きさや、衣装の裾の長さなどに驚く。右は馬に乗って、馬場末から馬場元に向かう時。表情が一層引き締まっているのがわかる。

これは3番目の射手。この人までが公家装束で、後ろに歩く4番目と5番目の射手を始め、残りの射手は皆武家装束を纏う。


暗い森の中、コンパクト・デジカメで撮影しているので、見にくい写真で申し訳ない。3人の射手の三の的付近の状況をご覧あれ。上左は最初の射手で、三の的に見事命中。大きな拍手を受けた。因みに射手の方々は全国から選ばれた方のようで、京都出身者は殆どいなかった。

下鴨神社周辺の情報も少し。上左は、みたらし団子の元祖と言われる、加茂みたらし茶屋。ここの加茂みたらし団子は、東京で食べるものより小ぶりで、香ばしくておいしかった。右は木の玩具の専門店、糺の森のハリネズミ。欧州製の凝った造りの商品が多く、大人もかなり楽しめる。

投稿者 中島秀之 : 16:52 | コメント (0) | トラックバック

2008年04月08日

今年も京都の桜を堪能(その2)

日曜日も朝から快晴。
この日は、昨年乗って感激した、岡崎の疎水を巡る十石舟に乗ろうと思ったのだが、実は前日の朝通りかかったら、大行列ができていたのだ。
で、9時半から整理券を配ると聞いて、9時にウチを出て、行列に並ぶことにした。
既にかなりの数の人が並んでいたが、乗船券は事前予約できないので、こうして並ぶしかない。
結局11時近くまで並んでチケットを入手。
1時からの券だったため、すぐ横にあるインクライン(琵琶湖から台車に船を乗せて運んだ跡)で時間をつぶすことにした。


インクラインは両側が桜並木のため、この季節は観光客がいっぱい。
動物園前から蹴上の浄水場前までの数百メートルの間、びっしりと人で埋め尽くされていた。
まぁ、それでも、前日の哲学の道よりは、少しましだったが。

その後1時から、十石舟に乗船。
実は今年から、船が新しくなったそうで、去年までと若干印象が異なっていた。
それでも乗ってしまえば、美しい桜を楽しむことができるのは相変わらずで、またまた大感激してしまった。

船が今年から新しくなった(左)。船体がFRP製になって、幅も広くなったし、乗る時には、簡易型の救命胴衣を着用しなくてはいけなくなった。行政指導でもあったのだろうが、風情は昨年 までの木造船の方が断然良かったように思う。ただ、疎水の水面から見上げる桜は、例年通り、やはり抜群に美しい。25分ほどの乗船時間は、あっという間に過ぎてしまう。

船左サイドに座ると、船着場に戻る時、東山を遠くに見ながら、桜を楽しむことができる(左)。また平安神宮の鳥居を、道路より低い位置から見上げる、貴重な体験もできる。

珍しく野鳥にも遭遇した。土手にたたずむこの鳥(左)は、なんという種類なのだろう? 暫くじっとしていて、最初は置物かと思ったほどだった。また、昨年乗った木造船は、低い橋の下をくぐる時、船頭さんが屋根を人力で下げていた。柱が折りたたみ式(ダンパー付)になっていたのだ。だが今年登場の新船は、柱が電動で伸び縮みし、屋根を上下させる仕組みになっていた。これも人力の方が、風情があったように思うのだが・・・。

下船後、神宮道をブラブラ歩いて知恩院前、円山公園、高台寺前と散歩したのだが、いやもう、人出が凄いのなんのって。やはり足早にここは通り過ぎて、八坂の塔へと抜けた。実は、塔の周りと、その先、二年坂、産寧坂に至る辺りは、清水寺に向かう人でごった返していたので、パスしようかとも思ったのだが、ふと見ると、いつもたいがい閉まっている見学受付の門が開いているではないか!珍しいこともあるもんだと、拝観料を払って、塔の内部に入ってみた。

おなじみの八坂の塔は、霊応山法観寺の塔で、6世紀に聖徳太子によって建てられたと言われている。現在の塔は、何度かの焼失を経て、15世紀に足利義教によって再建されたものだそうだ。
内部公開は、受付の方によれば「不定期です(笑)」とのこと。今回は運良く入れたわけである。
塔の周りには、何本かの桜があり、敷地は狭いが、なかなか風情がある。塔の内部は、1階に仏像が置かれ、内壁には美しい彩色の仏画が描かれていた。すごく狭いため、気をつけないと絵に触って、色を落としかねない。さらに極めて急で狭い階段を上って2階に上がると、立派な中心柱を見られるとともに、低い位置にある窓から、外の様子をうかがうこともできた。なんとも素敵な五重塔の内部見学だったのだが、観光客には不人気のようで、見ている人はあまりいなかった。

八坂の塔から祇園方面に抜ける途中、建仁寺のお庭を通過。ここにも見事な桜が何本かあって、なかなかきれいだった。で、せっかくなので、拝観料を払って中に入った。日本最初の禅寺で、俵屋宗達の風神雷神図があることで有名な建仁寺。前述の高台寺や法観寺はここの末寺だそうだ。

風神雷神図の本物は京都国立博物館にあるため、複製しか見られなかったが、方丈と呼ばれる建物の天井に描かれた、小泉淳作画の「双龍図」(2002年完成)は見応えがあった。


またまた凄い混雑の祇園花見小路を突っ切って、鴨川を渡り、三条寺町方面に出て、買い物&お茶をする。桜の並木が美しい鴨川は、河川敷にテントが並び、様々なイベントが行われていた。

この日の夕食は珍しく(?)豪華に、祇園にあるイタリアン・レストラン「スコルピオーネ祇園」で食べた。
花見小路を四条通りの北側に少しいったところにある、古い町家を使ったお店で、以前から一度行ってみたかったのだ。築150年という、お茶屋兼住宅を改造したお店の内部は雰囲気満点。お料理もなかなかおいしかった。


築150年の建物は、少しずつ傷みが進行しているようで、維持には苦労が多いようだ。なんとか頑張って、この建物を保存してもらいたいと思う。

食後、祇園の白川沿いを散歩したのだが、昼間でもきれいだった桜並木が、夜はライトアップされて更にキレイだった。特に川端通り近くの広場は、桜の天井ができたかのようだった。

白川沿いの桜、昼間(左)と夜(右)。夜はライトアップされて、さらにきれいだった。

というわけで、翌日、ウチの町家を大掃除してから、雨の中東京に戻った。


投稿者 中島秀之 : 19:14 | コメント (2) | トラックバック

今年も京都の桜を堪能(その1)

週末、2ヶ月ぶりに京都の家に出かけてきた。
京都はちょうど桜が満開で、市内は観光客でいっぱいだった。
昨年までは、仕事の帰りの平日に花見を楽しんでいたのだが、今年は完全に週末だったため、名所と言われる観光スポットはどこも大混雑。
それでも、なるべく人込みを避けながら、京都の桜を堪能してきたので、2回に分けてご紹介しよう。


左は、ウチの町家のすぐ近くにある、金戒光明寺(通称・くろ谷さん)の山門と桜。特に観光スポットというわけではないが、最近はわざわざ見に来る方も多いようだ。因みに今回は、いつものエグザンティアではなく、珍しくエクセルで京都を往復した(右)。


くろ谷さんのお隣は、紅葉の名所として知られる真如堂だが、桜もなかなかきれいだ。こちらも観光客の数は、それほど多くない。


真如堂から一度丸太町通りまで下りて、白川通りを突っ切り、桜の名所、哲学の道に出てみた。
お天気が良かったこともあり、ここは物凄い人手で、桜はきれいなものの、土ぼこりはひどいし、何よりまっすぐ歩けない。昨年 は平日だったこともあり、のんびりできたのだが、これでは落ちつかないため、早々に銀閣寺方向に通過した。


銀閣寺道からバスに乗り、二停留所先の京都造形大学前で降りて、これも以前ご紹介したことのある、北白川のキュイ・ドールMiwaで昼食。その後徒歩数分のところにある、白川疎水に出て、疎水沿いの桜を楽しんだ。こちらも、哲学の道同様、疎水に沿って遊歩道がある(上の写真)のだが、住宅地の間を行くためか、観光客は殆どいない。

北白川の疎水付近に行くなら、是非見学したいところがあった。それは以前自転車で散歩中に見つけた、「駒井家住宅」という古い洋館。日本ナショナルトラストが管理する建物で、金曜と土曜のみ、一般にも公開している(入館料500円)。疎水沿いに見える、スパニッシュ風のたたずまいがなんとも魅力的で、内部を見てみたかったのだ。で、今回初めて中に入ったのだが、とても素晴らしかった。

京都大学教授の駒井卓氏の依頼で、京都の様々な近代建築を設計したアメリカ人、ウイリアム・メレル・ヴォーリズにより、昭和2年に建てられたのが、この「駒井家住宅」。木造2階建てで、それほど大きなサイズではないが、とても素敵な洋館だ。左は庭側から見た母屋の全景で、現在煙突を修理中とのこと。右は1階リビングの電気だが、よく見ると、京都らしい千鳥の柄が入っているのがわかる。おそらくヴォーリズが特注したのだろうが、京都をよく理解していたことが偲ばれる。

1階のリビングは、フローリングのフロアなのだが、あまり家具が置かれておらず、実際よりずっと広く感じる。南側はサンルームになっており、上部が丸い大きな窓が素敵だ。またリビングのソファは、建物に備え付けになっており、庭側に出窓とともに出っ張っている。よく見ると、座面の下には収納が設置されている。この家は、今から80年も前に建てられたのに、こうした収納場所があちこちに用意されている。

玄関横の壁にあるこの抽斗も、実にユニーク。靴磨きの道具を入れるためのものなのだ。また階段は、狭い家のスペースを有効に使うため、螺旋状になっているが、途中に優雅なガラスがあり、夕暮れ時は特に美しいだろう。もちろん階段の下には収納が設けられていた。

玄関右には和室がある。完全に洋館の造りのため、和室の入り口は二重になっていて、洋風の引き戸を開けると奥に襖が現れる。茶席もできる和室は、障子の向こうに洋風の窓があるが、中にいる限り、完全に純和風。

カッコいいのは2階の書斎。駒井教授夫人の静江さんが、当時通販で購入したという、立派な机、古びた椅子、本棚などが、見事にマッチしていて、つい見とれてしまった。南西の角で明るく、窓からは、前述の疎水が見える。部屋にいながら、お花見ができたわけだ。

つい駒井家住宅で長居をしてしまい、夕方になってしまった。この後夕飯の買い物に行ったのだが、この日は市内が大渋滞。バスで中心地に向かうのは時間がかかると判断し、電車で四条河原町方面に出た。錦市場でお晩ざいと日本酒を仕入れ、家でゆっくり夕飯を楽しんだ。

買い物ついでに、これも以前紹介した永楽屋 細辻伊兵衛商店で、桜と五重塔の柄の手ぬぐいを購入。床の間の額にこれを入れておいた。ストロボで丸く光っているが、これは柄(お日様)ではないので念のため。

投稿者 中島秀之 : 16:07 | コメント (1) | トラックバック

2008年02月11日

雪の京都を体験

連休を利用して、京都の家に行ってきた。
この時期の京都は底冷えする寒さで、晴れていてもパラパラと雪が降ったりすることが多いのだが、今年はそんなもんではなかった。
9日土曜日が、かなりの大雪だったのだ。
水分の多い雪だったため、積雪は数センチ程度で済んだものの、京都市内でここまで降るのは珍しいのだそうだ。

で、雪の京都と言えば、やはり思い浮かぶのは金閣寺。
というわけで、バスで金閣寺まで行ってきたのだが、皆考えることは同じらしく、雪だというのに金閣寺は大混雑。
でもその美しさは、格別だった。

雪の金閣寺は、絵に描いたよう。
そう言えば、京都の家の床の間にかけてある、掛け軸代わりの手拭いも、雪の金閣寺だった。
でも、ちょっと降り過ぎの感はあるが・・・。

たださすがに雪の京都の寒さはハンパではなく、この後昼食をとってからは、どこか別の場所に行く気にはなれず、家に戻ってコタツに入り、結局夕飯までゴロゴロと家で過ごしてしまった。

ウチの町家も、雪が降ると、いつもよりキレイに見える(左)。
右は2階北側の窓から見た外の景色だが、なんだかいつもとは全然違う感じがする。

翌日は凄く良い天気で、一気に雪が溶けた。
そんな中、近所の黒谷さん、真如堂とプラプラ歩きながら、銀閣寺のそばにある、日本画家・橋本関雪の私邸だった白沙村荘まで行ってきた。
大きな美しい日本庭園のあるここは、関雪の作品を見ることができるのはもちろんだが、母屋で食事やお茶もできる。
僕は今回抹茶とお菓子をいただいたのだが、古い日本家屋の2階から、巨大な日本庭園を見ながら飲むお茶は美味しかった。


上左は、3つの茶室がある大きな日本庭園。上右は、関雪が作画に使った画室。
下は、母屋の2階から庭園を見たところ。

というわけで、思いがけなく雪の京都を体験した連休だった。

投稿者 中島秀之 : 22:58 | コメント (5) | トラックバック

2007年12月07日

京都の紅葉を満喫!

先週末京都に行ってきた。
今年は紅葉が少し遅いようで、散る間際とはいえ、十分に楽しむことができた。
では少しだけ、古都の秋をお楽しみいただこう。


ウチの町家から徒歩1分のところにある金戒光明寺、通称くろ谷さんは、12月2日まで、山門と庭園の特別公開を行っていた。子供の頃、夏休みのたびに京都に来て、朝はこの山門の下でラジオ体操をしたこともあるのだが、中に入ったのは初めて。階段を上ると、かなり広い部屋となっており、阿弥陀如来像や羅漢像などが置かれ、天井には龍の絵が描かれていた。また山門からの眺めは素晴らしく、東山界隈はもちろん、京都市内が一望できて気持ち良かった。


くろ谷さんの本堂に隣接する、紫雲の庭も特別公開されていた。伯母のお墓もあるくろ谷さんは、普段観光客が殆どいない静かなお寺なのだが、この日はさすがに観光客が多かった。


くろ谷さんの北側のお隣は、紅葉の名所として名高い、真如堂。そこら中が真っ赤に燃えるようで、実に美しい。ただ、その分この時期は観光客がいっぱいで、普段の静けさがウソのよう。でもキレイだから仕方ないか・・・。


日曜日は、嵐山・高雄パークウェイのイベントを見学するため嵯峨野方面に出向いたので、ついでと言ってはなんだが、大覚寺を見学してきた。この秋、JR東海の「そうだ、京都行こう」のキャンペーンで使われていたこともあって、ここも大混雑だった。ただ大覚寺は、大沢池という大きな池が横にあり、この周りの紅葉が非常に美しかった。ここを見るだけでも価値があると思う。


この時期の京都は、いくつかのお寺で、夜間ライトアップが行われている。そこで、ウチの町家からクルマで10分ほど、詩仙堂と曼殊院の間にある、圓光寺に行ってきた。ここでは「瑞雲の華」と呼ばれる、光と音(シンセサイザー)、霧を使った演出で、紅葉の美しい庭を見られる。かなり寒かったのだが、なかなか面白い趣向だった。残念ながら、お庭全体の写真は巧く撮れなかった。



ウチの町家から歩いて15分ほどのところにある永観堂・禅林寺も、紅葉の名所として有名なお寺。そこで、雨となった月曜日の午前中に行ってきた。実は僕は初めての拝観だったのだが、ここは素晴らしかった。まずそこら中が楓や銀杏で、赤や黄色に彩られているのが嬉しい。またこの時期は、所蔵している様々な絵画や仏像が特別に見られる。そして、いくつかの建物が点在し、それを歩いてゆっくり回れるところも、変化があって楽しかった。さらに、有名な「みかえり阿弥陀」像が間近で見られることや、多宝塔からの眺めが良いのも魅力だ。拝観料は1000円と高いが、その価値は十分にあると言えるだろう。

投稿者 中島秀之 : 23:26 | コメント (0) | トラックバック

2007年12月05日

京町家をレストア中! その16(Part.2)

前回の続き

さて、大工さんに土壁の修理をお願いしていたウチの町家だが、今回京都に行った時には、既に修理は終わっていた。
以前も書いたが、現代の技術では、パラパラと剥がれ落ちることが殆どない、粘着性の高い材料で土壁が塗れるそうで、ウチの場合それを使ってもらっている。
もちろん基本的には土が材料のため、仕上がりは、伝統的な土壁と全く同じなので、ありがたい。
それでは、塗り終わったところをご覧いただこう。


1階のオク(奥の間)は、上の写真のようになった。下に穴が開いていた床の間の横はきれいになったし、汚れも当然ながら一切なくなった。黄色味を帯びた淡いベージュの土壁は、建具の濃い茶色と凄くマッチしているように思える。


これも「オク」の庭側の壁の部分。壁がきれいだと、古い建具や昔のままの天井が一層引き立つ。


これは「ミセ(見世)」の部分。左の写真は道路に面した出窓付近をダイドコ(茶の間)側から見たところだが、出窓(障子ブラインドがかかっている)付近の壁の色と、玄関側の少し出っ張った部分(玄関の引き戸の戸袋)の壁の色を比較してみて欲しい。わずかに玄関側の部分の色が薄いようにも思えるが、殆ど差はない。実はこの部分は、前回お見せしたベニヤ板だけだったところ。この部分は土壁が塗れないため、土壁風の壁材が貼ってあるのだそうだ。手触りもほぼ同じだし、これなら全く違和感がない。
右は便所側の窓(すだれカーテンがかかっている)を見たところだが、ベニヤ板が貼られていた、前回掲載の写真と比べてみていただきたい。


やはり「ミセ」の玄関側。前回掲載の写真で棚があったのがこの部分で、かなりイメージが変わっているのがわかるだろう。


さらに玄関のでっぱり部分のベニヤにも、前述の土壁風壁材を貼ってもらった。仕上がりはご覧のように自然で美しいもの。こうなると、傘や靴べらのかかっている古いパネルが、やたら汚れて見えてしまう。

というわけで、気になっていた箇所がきれいになり、町家生活がまた楽しくなった。

投稿者 中島秀之 : 22:24 | コメント (2) | トラックバック

京町家をレストア中! その16(Part.1)

一昨年亡くなった伯母が住んでいた、築80年になる京都の町家を維持していることは、このブログで以前からお伝えしている。
で、これも以前からお伝えしているが、この町家は昭和41年、1966年に、当時風にあちこちがリフォームされており、今の目で見ると、その部分は中途半端に古臭いだけで魅力がないため、本来の町家の姿に、少しずつレストアをている。
その模様はこれまでに細かくお見せしてきたが、久々にまた少し手を加えた箇所があるので、ご紹介しておこう。
今回手を加えたのは、下の間取り図で、「ミセ」と「オク」と「玄関」と書かれた部分の壁。
(間取り図、写真とも、クリックすると大きくなります)

実は「オク(1階の奥の間)」は昭和41年の改装でも手を加えなかった部屋で、天井も壁も当時のままの状態が保たれていた。
ところが、長い間塗り替えをしなかったため、土壁がアチコチ、ボロボロと剥がれ落ちてきてしまっており、一部隙間というか穴が開いてしまっているような箇所もあった。
そこでまずは、この土壁を塗り直してもらうことにした。

上が「オク」の壁の傷んだ箇所。左の写真は天井に近い部分で、かなり薄汚れた状態の上、土が一部剥がれ落ちてしまっているのがわかる。また右の写真は床の間の横の部分で、下部が穴が開いたようになってしまっている。

一方、これとは別に、前から気になっていたのが、玄関から入ってすぐの「ミセ」と呼ばれる小さな部屋の壁。
こちらは昭和41年に、当時流行した、土壁の上にそのまま合板(ベニヤ)を打ちつけてしまうやり方で、改修されていた。
そこでこのベニヤを剥がしてもらい、土壁をやはり塗り直してもらうことにした。
ただ問題なのは、やはり昭和の改修で、玄関が大きな引き戸となり、その戸袋が部屋にはみ出していることだった。
というのも、この部分はベニヤがそのままついているだけで、内側に土壁は存在しない。
ベニヤの上に土壁を塗る、というか作ることは不可能なので、ここはそのまま残すしか方法がないかも知れないのだ。

上の写真が「ミセ」の玄関側の状況。ご覧のように壁は風情のないベニヤとなっている。
また玄関から入ってすぐのところが、引き戸の戸袋になっており、壁から少しだけ手前に出っ張っている。この部分には、昭和の改修の際に、スチールと樹脂でできた飾り棚が設けられ、地方の民芸品などがのっかっていた。


上左は、「ミセ」の、玄関とは反対側にあたる便所側の窓と壁。ご覧のように、空気を通す小さな窓が、本来の窓の上に設けられており、この部分の建具などは当時のままだった。
この風通し用の窓は、玄関の上(写真右)にもあり、こちらも、小さな建具と窓は当時のまま残されていた。
この風情ある小窓も、周りがベニヤの壁では、目立たないし、もったいない。

さらに、もうひとつ気になっていたことがある。
それは玄関の右側にある、出っ張った部分。
靴べらや傘などがかけられているこの部分は、やはり昭和の改修の際に、「ダイドコ(茶の間)」を「ミセ」側に拡大する際、ついでに冷蔵庫を置く場所として、玄関側に出っ張らせたものだった。
現在は電子レンジ(昭和45年製だが)などがこの部分に置かれている。
その裏側が、ベニヤ板の壁として、玄関にむき出しになっているわけだ。
これも、周りの土壁に合わせた雰囲気にしてしまいたい。
さてどうしたものか。

上の写真が、玄関の右側にはみ出している部分。ご覧のように、ベニヤ板そのままで、町家の風情にはそぐわない。

というわけで、上記のような気になる部分を、例によって、京町家作事組のメンバーである堀工務店さんにお願いして、直していただくことにした。
社長の堀さんは、実は昭和41年の改修を行った大工さんのご子息で、お父さんが当時風にリフォームしたものを、息子さんが元の姿に戻しているわけである。
なんとも、京都らしいと言えば京都らしいが・・・。


「ミセ」の部分のベニヤ板が剥がされると、ご覧のように、元の土壁が姿を現した。
さてこれがどんな風にレストアされたのかは、次回ご覧いただこう。

投稿者 中島秀之 : 00:50 | コメント (0) | トラックバック

2007年08月31日

押し入れの中はタイムマシン

このブログ6月12日付けの、「床の間に手拭い!?」 でご紹介したのだが、ウチの京町家の1階にある押し入れの壁に、古い新聞が貼られていた。
おそらく昭和25年12月29日のものだと思うが、60年近くそこに貼りっぱなしになっていたことになる。
その押し入れは、伯母が亡くなってから一度も整理したことがなかったため、先日行った時に整理したのだが、荷物を外に出してみたら、先日見えた箇所だけでなく、押し入れの内側ほぼ全体に古い新聞が貼ってあるのがわかった。
何枚かは日付が確認できるものがあり、昭和25年(1950)年12月23日と読めたから、やはり最初に発見した新聞と同じ時にここに貼られたようだ。
せっかくなので(?)、どんなものかをご紹介しよう。

上左の写真が以前ご紹介したもの。昭和25年12月29日付けの夕刊京都紙で、「米、対日講和あくまで推進」とある。上右は同じく12月23日付けで、映画の広告が面白い。「お正月は大映だ 紅蝙蝠 長谷川一夫」などの文字が見える。


上左は社会面のようで、「五軒長屋将棋倒し」といった記事も見えるが、「心の重荷今晴らす 出来心の主婦が罪を謝し代金」「男を刺し服毒」「多い桃色遊戯」など、終戦から5年でこんな事件が報道されるようになっていたのかと驚く。上右では「丸物」というデパートかスーパーの広告「歳末 呉服 雑貨 食料品 謝恩市」が面白い。価格は当時の物価がわかるし、驚いたことに「スキー用品各種充実」の文字も見える。終戦から5年で、京都からスキーに行く人が、少なくなかったということなのだろう。


上左は12月26日付けの社会面のようで、「その后」という連載記事では「京都駅 仮駅も一と月で完成」という文字が見える。上右は昭和26年1951年4月11日付けの京都新聞で、他より4ヶ月ほど遅い新聞なので、貼ったのが違う日だったかも知れない。春らしく社会面に「私立高校に春めぐる」といった記事があり、「市電でオギャア」といった記事も見える。プロ野球の結果も出ており、人気があったことをうかがわせる。

さてこれらの新聞だが、とりあえず押し入れの壁にそのままの状態で残しておいた。
押し入れを開けるとタイムマシンに乗れるような気がして、剥がす気になれなかったのだ。
土壁を塗り直す時まで暫くはこのままにしておこうと思っている。

ところで、以前これもこのブログでご紹介した、元クリッパーの田口さんがプロデュースしている日経新聞系のウェブサイト「G-Style」で、先日ウチの町家に来た時に撮影した写真を使用した記事の連載が開始された。
「編集部京都町家潜伏記」 を、是非ご覧いただきたい。

投稿者 中島秀之 : 00:01 | コメント (0) | トラックバック

2007年08月29日

京都で食べたものを紹介

8月13日の深夜から17日の朝まで、京都の家に行ってきた。
ちょうど日本中が猛暑に見舞われていた時期で、ただでさえ暑いことで有名な京都は、連日37~39度の最高気温となって、頭がくらくらしそうだった。
今回は、伯母と祖母のお墓参りと、以前お伝えした手付かずだった押入れの整理、そして五山の送り火、いわゆる大文字焼きを見るのが目的。
で、それ以外の時は、以前から気になっていたところに出かけたり、ちょっとした買い物をしたりしていたのだが、なにしろ暑いので、あまり遠くへは出かけなかった。

さて京都に出かける楽しみのひとつに、食べ物がある。
京都には独特の食文化があって、行くたびに新しい発見がある。
とはいえ、僕は母が京都育ちのために、東京の人間としては京都の食べ物に慣れているようで、何の違和感もなくこうした京都の食べ物をおいしくいただいている。
ただし問題もひとつある。それは、だいたい一人で行くので、いわゆる「お一人様」でポンと入って、おいしいものが食べられるところを見つけるのが大変なこと。
もちろんお金を出せばいくらでもあるのだろうが、そうそうお金をかけてもいられない。
高くても2~3000円で、一人でも入りやすくて、おいしく京都の食文化を楽しめるお店を、京都に行くたびに探して、少しずつ増やしているところだ。
そこで、今回京都で食べたものをご紹介してみよう。

実はお盆の時期の京都は、意外にお休みのお店が多い。
特に地元の人相手の庶民的なお店に多く、実際僕がいつも行く、近所の鉄板焼き&お好み焼きのお店も8月末までお休みだった。
でまぁ、新規開拓に乗り出したわけだが、今回まず気に入ったのがこのお店。

左京区北白川の白川通り沿いにある、キュイ・ドールMiwa。若いご夫婦が経営していて、奥さんがケーキ屋さん、旦那さんが日本食屋さんを同じ店内で(!)営業している。お昼はランチが950円で、夜はコースやアラカルトが用意される。

ランチは週替わりの2種類で、この日はてんぷらかすき焼きを選べるようになっていた。それ以外はおばんさいが数種類あって、雑穀ご飯とお吸い物がつく。これが凄くおいしくて、14日のお昼に自転車で行ったのに、翌日のお昼もクルマで行って、両方食べてしまった。

14日は自転車で北白川方面を散歩していたのだが、翌朝食べるパンを買おうと、古くからある白川通り沿いのDONQに行ったら、つい冷たいものが飲みたくなってしまった。
で、店内のカフェで頼んだのがこれ。

大葉のお酢をペリエで割ったもの。いくつかお酢の種類は選べるのだが、猛暑の中自転車に乗っていたこともあって、すごく美味しかった。

14日の夜は、バスに5分ほど乗って京都御所の前で降り、プラプラ歩きながら、炭火焼の鳥と野菜料理のお店「ツキトカゲ」に飛び込みで入った。
明治時代の町家を改造した店舗で、炭火焼は「おくどさん」を改造したグリルで焼いていて、その前にカウンター席があるから、「お一人様」でも入りやすかった。
僕はコースを頼んで、焼き物を中心に鳥と野菜を肴に、結構お酒を飲んでしまった。

15日の夜は、あまりに暑くて食欲がそれほどなく、あっさりしたものが食べたかった。
そこで、自転車で麩屋町三条までひとっ走りし、老舗のおそば屋さん「晦庵河道屋」に入り、「みぞれそば」を食べてきた。みぞれそばは、夏期限定メニューで、冷たい茶蕎麦の上に、大根おろしと鶏の山椒焼きが乗ったもの。

冷たくてピリッとしていて、いかにも山椒好きの京都の人が好みそうなお蕎麦だ。
店舗はやはり古い町家を改造したもので、風格がある。
みぞれそばは季節のご飯とのセットで1260円、ビールと湯葉刺しを頼んでも2000円ちょっとだった。

16日は、昼に四条河原町方面に買い物に出かけた。
昼食は、よく行く錦市場の中にある焼き穴子のお店「まるやた」で、穴子のチラシ寿司を食べた。
いつもは穴子丼を頼むのだが、暑いので酢飯の方が喉を通りやすかったからだ。
ビールと一緒に頼んで2000円ちょっと。美味しくて、鰻や鱧ほど高価でないのが魅力。

16日は夜8時から大文字焼きなので、それまでに夕飯を済ませておきたい。
そこで外食はせず、錦市場でおばんざいを買って帰ることにした。

外食続きで野菜が不足気味と思ったので、おばんざいは野菜中心にチョイス。
いつも行く「錦 平野」で、焼きなすの煮びたし、ししとうの甘辛煮、冬瓜の煮たもの、うの花(おから)を買い、さらに漬け物屋さんで小茄子の漬け物も買った。

家に帰ってお皿に盛りつけ、ビールと冷酒で食べてから、大文字焼きを見に行ってきた。

投稿者 中島秀之 : 02:31 | コメント (0) | トラックバック

2007年07月21日

祇園祭を初体験(その2)

17日は早起きをして、朝8時過ぎに四条烏丸の交差点付近に行き、最初に動き出す長刀鉾の近くの歩道で9時の出発を待つことにした。
次第に増えてくる人の中で待つこと1時間弱。
いよいよ出発の時間となったが、残念ながら長刀鉾は、少しバックしてから出発したため、稚児が行う「しめ縄切り」の儀式は遠くて良く見えなかった。
それでも目の前を、次々と鉾や山が、昔と全く変わらない衣装の人たちによって引かれて行くのを見るのは、実に楽しいものだった。

「くじ取らず」で必ず巡行の先頭を行く長刀鉾。左の写真は、その長刀鉾に今年の稚児が乗り込むところ。右は目の前を通過する長刀鉾。稚児は後ろで大人に支えられ、身を乗り出すようにして舞いながら巡行していく。

山は鉾より小振りだが、それぞれ上に乗っているものが違って面白い。左の写真は太子山。一方長刀鉾以外の鉾は、中央に稚児の人形を乗せている。それぞれの前懸や後懸は、和風だったり、和洋折衷だったり、完全な洋風(というか欧州製)だったりでバラエティに富み、重要文化財も多くて見応え十分。写真右の函谷鉾の前懸も重要文化財。

さて、半分ほど鉾と山の巡行を見てから、場所を河原町御池の交差点に移動。
ここで「辻まわし」を見ようと言うわけだ。
舵のついていない鉾の前輪の下に竹を置いて水をかけ、引き手が引っ張って向きを変えるのが「辻まわし」で、3カ所で行われる。
その第2ポイントで、アウト側のベストポジションを確保し、じっくり見ることができた。

細い竹をあらかじめ幾重にも敷いて、水をかけた上で、引っ張って向きを変える。
その迫力は、間近で見ているせいもあるが、なかなかのものだった。
90度回転させるのに、3回で終えられれば「見事」とされるようで、だいたいの鉾は3回で向きを変えていた。

鉾が辻まわしをするのに対して、山は、交差点で担ぎ手が持ち上げて向きを変える。結構重そうだが、迫力はそんなにない。
ところで、今回僕らが見た辻まわしで、最も手際が良かったのが、右の写真の鶏鉾。3回で向きを変えたのは一緒だが、竹の準備やら片付けやらが、他の鉾に比べて圧倒的に早かった(因みにこの鶏鉾の後懸も重要文化財)。これに対して、前日僕らが上らせてもらった菊水鉾は、辻まわしに5回もかかって、ちょっと残念だった。

ということで、僕の祇園祭初体験は、かなり濃い内容で、大満足だった。

投稿者 中島秀之 : 00:33 | コメント (1) | トラックバック

2007年07月19日

祇園祭を初体験(その1)

TOHMの帰りに、京都の家に寄ってきた。
今年のTOHMは15日の開催だったので、16日の振替休日を過ごせることになったからだ。
7月16日と言えば、京都最大のお祭りである祇園祭の宵山で、翌17日の朝は、クライマックスである山鉾巡行である。
これを見逃す手はない。
実はどちらも、まだ一度も見たことがなかったのだ。
そこで水曜日に愛知県での取材を入れて、見物してくることにした。
岡山から宮越カメラマンにずっと付き合ってもらい、また先日取材を兼ねて宿泊した元クリッパーの田口さんもやってきて、男3人での(色気のない)祇園祭見物となった。

さて16日は早めに自宅でお晩材の夕食を済ませて、19時過ぎに四条河原町交差点に。
ここから四条通を西に向かって油小路通までと、その周辺の通りの界隈に、全部で32の鉾と曵山が置かれている。
これらは装飾が施され、駒形提灯で照らされて美しく輝いている。
見物客はそれを下から見上げるわけだ。
中には内部を公開しているものもあり、厄よけのちまきや手拭いを買うと、上らせてもらえる。
そして鉾の上では、「コンチキチン」と祇園ばやしが生演奏(?)され続ける。
また周辺の家々では、通りに面した部屋(見世)の窓を開けて、中に美しく屏風を飾って公開する。
とにかく、雅な歴史絵巻を見るようでもあり、お祭り独特の賑やかさもありで、非常にワクワクと楽しいのが、この宵山である。
今年は、時折雨が落ちたが、まずまずの天気で、宵山だけで30万人もの人出だったそうだ。
我々おじさん3人組も、浴衣姿の若者に混じって、宵山を堪能してきた。
その模様をご覧あれ。

常に山鉾巡行の先頭を守り、唯一本物の稚児が乗ることで知られる「長刀鉾」の周りはもの凄い人込み。

四条通から室町通に曲がってすぐにところにある「菊水鉾」は、内部を公開していた。

そこでちまきを買って、中を見せてもらうことに。細く急な階段を上って中に入ると、意外なほど狭いスペースで、ここに何十人も人間が乗って道路を移動していくのかと、不思議に思えてしまうほどだった。

ご近所のお家には、お宝の屏風や掛け軸、着物などを展示する「屏風祭」をしているところもあり、人様の家を堂々と覗きながら、見て回ることができる。これも楽しみ。

投稿者 中島秀之 : 20:42 | コメント (1) | トラックバック

2007年06月12日

床の間に手拭い!?

先週の土曜日は、町家を残してくれた亡き伯母の3回忌法要だった。
前日の金曜に、いろいろと買い物をしたのだが、その中で以前から懸案だったものも購入したので、それをご紹介しよう。

京都の町家は、1階の奥の間(オク)に、床の間があるのが普通なのだが、花や置物などを飾るために棚状になっているものと、掛け軸をかけたりするための縦長になっているものの二つがある場合が多い。
ウチの町家もそうなのだが、縦長の床の間の方には、これまで小さな絵がかかっているだけだった。
で、以前からここに、掛け軸を掛けたいと思っていたのだが、軸は安くても数万円で、これを四季に因んで複数揃えるには、かなりの出費が必要だ。
そこで思いついたのが、以前たまたま訪ねた、祇園の手拭い屋さんで見た、手拭いを入れた縦長の額。
これを掛け軸代わりに床の間に掛けようと思い、購入してきたのだ。
買ったのは「永楽屋 細辻伊兵衛商店」 というお店で、創業390年(!)という老舗ながら、ここ数年若い人にも大人気で、様々な柄の手拭いや、手拭い地を使ったハンカチなどを販売している。
今回選んだのは、夏らしい金魚の柄の手拭いで、これをアイロンがけした上で専用の額に入れてもらった。
また秋向けに、紅葉の柄のものも購入しておいた。
価格は手拭いが1500〜2500円ほど、額は8000円だった。
さて、どんな床の間になったかは、写真でご覧いただきたい。
「永楽屋 細辻伊兵衛商店」はこのマークが目印。

美しい青と可愛い金魚が特徴の手拭いを選んだ。

京町家独特の二つに分かれた床の間。現在ウチの床の間は、このように、棚の方に「福助」が座り、縦長の方に手拭いの額がかかっている。

秋用に紅葉の手拭いも買っておいた。手拭いはこのように折り目がついているものなので、アイロンをかけてから額の中にセットする。
で、アイロンを家の中で探していたのだが、その際、この床の間のある奥の間の、仏壇の横の押し入れを、これまで一度も整理していないことに気がついた。
襖を開けてみると、探していたアイロンは見つかったのだが、それとは別に驚くべきものを見つけてしまった。
それは、押し入れの中の壁の補修に使われていた新聞紙。

日付は12月29日と読める。
しかし年号の部分が残されていないため、記事の内容から推測するしかないのだが、この「夕刊京都」紙の一面トップ記事は、「米、対日講和あくまで推進。ソ参加の有無問わず」で、「孤立主義に帰らず ト大統領記者会見で言明」ともある。
ト大統領とは、1945〜53年に在任したトルーマン大統領で、対日講和条約は昭和26年1951年9月調印なので、この新聞は昭和24(1949)年か25(1950)年の12月29日のものではないかと思われる。
その年の大掃除で貼ったまま、現在まで60年近くここに貼られていたようだ。
ウ〜ンと暫く唸ってしまったが、今度夏休みに来た時に、ここの押し入れも整理&掃除するつもりで、この新聞紙をどうしたものか、ちと悩んでいる。

投稿者 中島秀之 : 23:29 | コメント (0) | トラックバック

2007年04月24日

町家ライフを楽しんできた!

以前ティーポを制作していたエディトリアル・クリッパーOBで、現在はウェブ関連のお仕事をされている田口さん(EVセヴンで日本一周した人!)たちと、ウチの京町家に2泊3日で行って来た。
田口さんたちは、某サイトで「京町家潜伏期」なる記事を展開したいのだそうで、その取材場所の提供と京都の見所の案内役として、僕が協力させてもらったのだ。
で、まぁ、ちょいと穴場のお寺やお庭、おばんざいやらお漬物やらちりめん山椒のおいしいお店、お抹茶が静かに飲める老舗の和菓子屋さん、そこそこ手頃で楽しい骨董屋さん、京都ならではの小物や手拭いのお店などを案内しつつ、我が家というかウチの町家での生活もお楽しみいただいた。
もっとも、この時期にやっておかないと後で大変な目にあう、「庭の草むしりと除草剤まき」なんかも手伝ってもらったりしたのだけど・・・。
もちろん、いろいろとおいしいものも食べてきたのだが、ちょっと夕食だけご紹介してみよう。
初日は、錦市場で鱧の焼きものと鰆の西京焼きをメインにしたおばんざいをしこたま買い込んで帰り、伏見のお酒と一緒に楽しんだ。
二日目は、木屋町五条付近の鴨川を臨むお店で、おばんざいと焼き牡蠣を食べた後、自宅2階で深夜まで、以前紹介した古いステレオで音楽を聞きながら、いっぱいやっていた。
下世話な話で申し訳ないが、交通費などは取材費で出していただいたので、僕としては贅沢な週末の過ごし方を「お安く」させてもらった形だ。
田口さん、どうもありがとう!


ウチの町家の戸棚の奥から、以前見つけたコーヒーメーカー。
僕はコーヒーより紅茶というクチなので、「たぶん古いアメリカ製ななんだろうな」くらいにしか思っていなかったのだが、田口さんに見せたら大興奮していた。
聞けば、アメリカのコーニング社が、電子レンジの発明に伴って開発した、耐熱ガラス「パイレックス」のパーコレイターなんだそうだ。
ウチにあったのは、おそらく亡き伯母が昭和30年代か40年代に、買ったかもらったかして、殆ど使わずにしまいこんでいたものだと思う。
全体がガラスでできた、重厚なようで繊細なもので、これはこれで美しい。
殆ど使われた痕跡はなく、オリジナルの箱や値段(アメリカドル)の書かれた注意書きも一緒だった。
ネットで調べてみたら、パイレックスの古い食器も、ファイアキングなどと同様、最近人気があるのだそうだ。
こうなると使うのがもったいないので、昭和を懐かしむアイテムとして、そのまま置いておこうかと思っている。
(写真はクリックすると大ききなります)

投稿者 中島秀之 : 12:31 | コメント (4) | トラックバック

2007年04月20日

NHKに真似された!?

今朝出がけにテレビでNHKの「生活ほっとモーニング」という番組を見ていたら、歌手の谷村新司さんと黒崎めぐみアナウンサーが、京都の穴場を巡る内容で放送していた。
確か「大人のデート」といったサブタイトルがついていたと思うが、見ていてつい笑ってしまった。
というのも、先日このブログで「京都の桜を満喫!」というタイトルでご紹介したばかりの、岡崎の疎水を廻る十国舟と、インクラインの桜を、番組でも紹介していたからだ。
更に番組では、錦市場で食材を買うシーンを放送していたが、まさに僕は花見の前の日の夕飯に、錦市場で買ったおばんざいを食べたところだったのだ。
また、やはり番組で紹介されていた祇園の甘味どころ「小森」は、とても有名なお店で、僕も以前行ったことがある。
天下のNHKが、おそらくコーディネーターさんか何かに聞いて考えた企画だったのだろうが、ちょいと「穴場」というのは、おこがましいんじゃないの? という気がしてしまった。
まぁ僕の方は、自分の足(というか自転車)で、これからも京都の穴場を探して、このブログでご紹介するつもりだ。


今回、錦市場でおばんざいを買った後、僕のお気に入りの骨董屋さんで買ったのが、このお猪口。
ちょっと大きめのサイズで、明治時代に作られた物だそうだ。
ひとつずつ手作りで、大きさや形、絵柄も微妙に異なっている。
1個1800円で、4個で7200円を支払った。
これで飲む伏見のお酒は、また格別だった。

投稿者 中島秀之 : 01:46 | コメント (3) | トラックバック

2007年04月11日

京都の桜を満喫!

スーパーGT第2戦からの帰り、京都の家に寄って、月曜日は取材、そして火曜日は一人でお花見をしてきた。
去年も同じようなタイミングで京都の桜を、このブログでご紹介したが、あの時はお天気が今ひとつだった。
ところが今年は非常に良いお天気で、気温も暖かく、最高のお花見日和。
すっかり京都の桜を満喫してきた。
僕が自転車でウロウロしたのは、家の近所だけだが、そろそろ見頃も終わりに近づきつつあるといった印象だった。
さてそれでは写真をご覧いただこう(写真はクリックすると大きくなります)。


伯母のお墓のある金戒光明寺(通称黒谷さん)は、今年も山門周辺を中心にきれいな桜が咲いていた。
観光スポットではないので、ここの桜はゆっくりと眺めることができる。



銀閣寺と南禅寺の間にある疎水沿いの道「哲学の道」は、桜の名所として有名。
去年の雨も良かったが、やはりお天気の方が気持ちいい。


昨年見て「なんて気持ち良さそうなんだろう」と思った、岡崎公園周辺の疎水を回る船に、今年は乗ってみることにした。
正式には、「岡崎桜回廊 十石舟めぐり」という名で、乗船料は大人1000円、船の定員は船頭さん(?)らを含めて20名ほど。
朝10時半に乗り場に行ったら2時間待ちということで、整理券をもらって乗ることができたが、昼間は3時間半待ち(!)だった。
船は木造で船外機付き。面白いのは、低い橋の下をくぐる時に、屋根が低くなる構造になっていることで、ダンパーですぐに戻るように設計されていた。



船から見る周辺の桜は、本当にきれいだった。
昨年よりピンク色が薄いようにも思えたが、お天気のせいかも知れない。
乗っているのは正味30分弱。とはいえ、乗る価値は十分にあるとお伝えしておこう。


船の乗り場のすぐ横にある、かつて琵琶湖から京都市内に船で物資を運ぶために造られた「インクライン」の跡も、桜の名所だ。
「インクライン」とは、標高の違うところを船が往復するために、ケーブルで船を乗せた台車を引っ張るようにしたもので、かつての線路が残されている。
そこが歩けるようになっていて、両側に桜並木があるのだ。

ま、この時期の京都は、どこもかしこも桜がいっぱいで、目移りしてしまうほど。
そろそろ平地の桜は終わりだが、まだ標高の高いところは見頃が続くはずなので、これから訪れる人は、情報をネットなどで確認された方が良いだろう。


投稿者 中島秀之 : 23:10 | コメント (2) | トラックバック

2007年02月13日

京町家をレストア中! その15

前回の「その14」で公開した2枚の写真をご覧になって、「あれ?」と思った方もおられるかもしれない。
写真の右側の方に写っていた、オーブンレンジのようなものが、相当古いもののように見えると思うのだが、いかがだろうか?
上に比較的新しいオーブントースターがのっかっている機械のことだ。
実はこれ、製品化されたばかりのごく初期の日本製電子レンジで、なんと伯母が新品で購入して以来、亡くなるまで使っていたものなのである。
メーカーは三菱電機で、1970年生産というステッカーが貼ってあった。
しかも驚いたことに、当時の詳しい説明書まで、程度の良い状態で残されていた!
ずっと使われていただけに、以前ご紹介したステレオのように修理する必要もなく、現在もそのまま普通に使用している。
まさに現役バリバリ(?)の電化製品なのである。
この家にはこうした「昭和の名残」がたくさん残されている。
古いものはそのまま大事に使用し、新しいものが使われているテレビや冷蔵庫は、できれば(雰囲気だけでも)レトロなものに今後換えられればいいなと思っている。

新品当時のままの電子レンジ。ふたにある窓はガラス製ではなく、金属製の網のようになっている。

投稿者 中島秀之 : 23:19 | コメント (0) | トラックバック

2007年02月11日

京町家をレストア中! その14

亡くなった伯母が一人で住んでいた、築80年前後の京都の町家をレストアしている。
もう大体、当初予定していた工事は終わったのだが、まだまだ「ここもやりたい、あそこも直したい」という所がいくつもある。
とはいえ、それを全部やるには、まだかなりお金がかかるので、とりあえず大工工事に関しては、ひとまず一旦終了ということにした。
で、それ以外の部分を少しずつ、自分の好みにしていこうと思っている。

さて今回は、町家では「ダイドコ」と呼ばれる茶の間のテーブルセットの話題。
ウチのダイドコには、伯母が犬を飼っていた関係で絨毯が敷かれ、コタツ(夏はちゃぶ台として使えるタイプ)が置いてあった。

絨毯はともかく、コタツは雰囲気にあっているので、そのままにしておこうかと思っていたのだが、実は母が膝が悪くて、畳に直接座るのが難しいため、テーブルと椅子のセットを置くことにした。
古い家の畳の部屋にテーブルセットを置くのだから、やっぱりアンティークのものがいいだろうと、随分アンティーク家具屋さんを見たりしたのだが、雰囲気のいいものは椅子が最低3〜4万円、テーブルは最低6〜8万円という感じで、なかなか高価なのだ。
毎日生活している家なら、その値段も惜しくないのだが、別荘的に使っている家にはちょっと贅沢すぎるかなと思ってしまった。
そこでいろいろ考えた末、最近話題の、自分で組み立てる格安北欧家具の「IKEA」で家具を買って来た。
買ったのは、白木に近い天然素材のテーブルと椅子2脚、それに畳の上に置くラグマット。
価格は全部で約2万5千円と、まさに格安。
早速組み立ててセットしたのがこの写真。

この天然素材なら、以前ご紹介した、柿渋を使った塗料で塗ることもできるから、アンティーク風に仕上げることも可能なのだが、とりあえずそのままにしてある。
またテーブルクロスと和風のランチマット、椅子の座面用マットなども買っておいた。
なかなか和風の部屋に似合っていると思うのだが、いかがだろうか?

投稿者 中島秀之 : 12:22 | コメント (2) | トラックバック

2007年01月09日

京町家をレストア中! その13

このカテゴリー、久々の更新である。
とはいえ、実は京都の家には、夏から行っていない。
父の病気が悪くなったために、仕事以外で東京を離れられなかったからだ。
亡くなった父もこの京都の家が好きだったので、近いうちにまた行きたいと思っている。

さて今回紹介するのは、見世と呼ばれる1階の玄関のすぐ脇の部屋に設置した、ブラインドについてである。
見世については、「京町家をレストア中! その7」で公開した間取り図を参考にして欲しい。
ここには、路地に向けて出窓のようになっている小さめの窓と、便所のある坪庭に向けて開いている大きめの窓があるのだが、どちらにも古いカーテンが内側にかかっていた。
このカーテンが、家全体のレトロな雰囲気に馴染まないため、他のものに換えようと思い立った。
で、いろいろと探した結果、東急ハンズでいいものを見つけて購入し、京都に持っていった。
大きな窓には葦簾(よしず)を使ったカーテン、小さな窓には巻き上げ式ブラインド・タイプの障子を装着したのだが、装着後の様子が下の写真だ。

葦簾カーテンは、偶然既製品にちょうど良いサイズがあったのでそれを使ったが、付属の金具を使うと下が擦れてしまうので、針金でカーテンレールに装着した。
一方障子ブラインドは、規定の幅のものを、こちらが指定した長さに切ってもらったものを使用した。
いかがだろう? 葦簾カーテンは少し透けるのが難点ではあるものの、雰囲気は凄く良いと思うのだが・・・。
もっともこれで、昭和41年に改装したベニヤ板張りの壁が余計気になるようになってしまった。
いずれこの部分も、本来の土壁に戻したいと思っている。

投稿者 中島秀之 : 23:26 | コメント (0) | トラックバック

2006年09月19日

京町家をレストア中! その12

築80年ほどの、京町家をレストアしている。
今回は、その8に続いて、屋根の修理についてご報告する。
ただし今回は、町家本来の設備の修理ではなく、老朽化していた箇所の補修に
ついて。
写真をご覧いただきながら説明していこう。
なお写真は全てクリックすると大きくなります。


奥の庭から上を見上げると、2階の物干しの下にある張り出した庇の裏側が、ボロボロになっているのが見えた。
大工さんに聞くと、この部分の上、ということは2階の物干しの下にある、トタン板が傷んでおり、そこから雨水が漏れて木の庇が傷んだとのこと。
このため、トタン板と庇の両方を修理してもらうことにした。


修理はまず物干しの床を外し、もともとあったトタン屋根と庇を外すことから開始。
木の骨組みをやりなおし、その上でトタン屋根と庇を新調した。


トタン板と庇の修理がこれで完了。


元々あった、物干しの床を元通り装着。


お風呂場の上の部分のトタンも、同時に修理してもらった。


庇も非常に美しく仕上げてもらった。

(続く)

投稿者 中島秀之 : 23:04 | コメント (0) | トラックバック

2006年09月01日

京町家をレストア中! その11(Part2)

(Part1からの続き)
荒れたままになっていた二つの庭をなんとかしたい。
でも、植物は植えられないし、お金もかけられない。
考えた末に出した結論は、玉砂利を敷くというもの。
ホームセンターで売っている、和風の玉砂利を買ってきて、庭にアクセントをつけるわけだ。
玉砂利は色が何種類かあって、石のサイズも数種類、値段はだいたい一袋(確か10kg入り)400〜700円くらい。
便所の横の坪庭には黒の玉砂利、奥の座敷庭には白を中心に何色かの色が混じった玉砂利を使うことにした。
石のサイズは売っている中で一番大きいものにした。
使用する数は、ウチのような小さな庭でも、それぞれ5〜6袋ずつは必要だった。

とりあえず庭は、まず枯れた木やゴミを取り除き、雑草を抜いておいた。
その上で、坪庭の方はもともとある池の部分と苔が生えている部分を除いて玉砂利を入れた。
また座敷庭の方は、もともと植え込みになっていた石で囲われた部分を残して、その周りに玉砂利を入れた。
因みに植え込みには、何の木かわからないが小さな木が生えていたので、それだけを残しておいた。大きくなってくれるといいのだが。
また、隣家との境の杉板の瓶は、大工さんに頼んで修理してもらった。
さて、仕上がりは下の写真のような状態。
費用は、玉砂利が全部で1万円ほど、塀の修理は3万円ほどだった。


坪庭には黒い玉砂利を入れた。池の中と、庭の左奥にある苔はそのまま残したくて、そこは除いてある。
(写真はクリックすると大きくなります)

座敷庭は植え込みの部分を除いて、白と各色が混じった玉砂利を入れた。

杉板の塀はこのようにきれいになった。

(続く)

投稿者 中島秀之 : 00:16 | コメント (0) | トラックバック

2006年08月30日

京町家をレストア中!その11(Part1)

築80年ほどの京町家をレストアしている。
今回は、町家の特徴のひとつでもある、庭の手入れの話。

京都の町家は細長い敷地に建物が建っているのだが、必ずと言ってよいほど、小さな庭が設けられている。
しかも、入り口から近いところにひとつと、一番奥にひとつといった具合に、複数の庭が、小さな敷地の家でも設けられている場合が多い。
その理由は、自然と共存するという感覚が昔から浸透していたということもあるが、京都独特の夏の暑さを和らげるために、離れた2箇所に植物を植えて、風を通すためだった、という説もある。
もっとも、京都人特有の見栄のため、という説もあるくらいなので、どれがホントかはわからないが・・・。

かく言うウチの町家にも、小さな庭が二つある。
ひとつは、ミセの奥に離れのようにして増設された便所の前にある「坪庭」。
詳しくは「京町家をレストア中! その7」で掲載した間取り図を参考にしていただきたいが、もともとの敷地からはみ出したような、小さな庭である。
もうひとつは、敷地の一番奥(南側)の、風呂の前にある「座敷庭」。
風呂がない時代はもっと広かったのだろうだが、現在は「坪庭」同様、かなり小さな面積でしかない。
で、これらふたつの庭は、昔はともなく、ここ何十年かは、特に手入れをしたことがなかったようで、雑草が伸び放題で、荒れ放題といった風情だった。
せっかく建物を少しずつきれいにしているのだから、庭もきれいにしたい、とは思ったものの、ここに住んでいるわけではないので、植物を植えてもきちんと育つ可能性は低そうなため、困ってしまった。
ましてや、庭にそんなにお金をかける余裕もない。
さて、どうしたものか?

今回はとりあえず、最初の状況だけご覧いただこう。

便所の前の坪庭はこんな状態だった。
雑草は伸び放題。枯れた木は置きっ放し。(写真は全てクリックすると大きくなります)

坪庭を真上から見るとこんな状態。かつて作られた池がそのまま残っている。

一番奥にある座敷庭はこんな状態。左端は、かつてお風呂をわかす時に使ったかまど。
隣家との境にある杉板の塀は、下半分がビニール製のトタンで塞がれていた。

杉板の塀の上半分も、このように一部が浮きあがってしまっていた。

座敷庭も、かつては植物が植えられていたが、今は雑草が伸びているだけだった。

(続く)

投稿者 中島秀之 : 02:02 | コメント (1) | トラックバック

2006年08月17日

京町家をレストア中! その10(Part3)

(Part2からの続き)
ボロボロの古いステレオは、京都の電気設備屋さんの手で修理され、先日元あった2階の部屋(部屋の修理もこの時終わっていたが)に運び込まれた。
どこをどのように修理したのか、詳しくはよくわからないが、一応レコード、ラジオ、そして希望通りi-Podも鳴るようになっていた。
ただしレコードとラジオは、ちょっとした不都合があって、まだきちんと鳴らせていない。
というのも、プレーヤーはレコード針が古くて、レコードを傷めてしまいそうなのだ。
またラジオは、チューニングのつまみがうまく作動しないため、周波数を合わせられないのである。
このためi-Podをつないで鳴らしてみたのだが、音はモノラルの真空管アンプなので、なんとなく暖かみのある、懐かしいものだった。
新しい録音の楽曲をかけると、どことなく変な印象を受けるが、古い録音のスウィングジャズやジャズをかけると、アルファ波が出まくりの感じで、実に良い雰囲気。
またひとつ京都に行くのが楽しみになった。

修理が完成したステレオの写真をご覧いただこう。
(写真は全てクリックすると大きくなります)

(続く)

投稿者 中島秀之 : 11:30 | コメント (1) | トラックバック

2006年08月16日

京町家をレストア中! その10(Part2)

(Part1からの続き)
ボロボロの古いステレオは、家具調のボディのためか、ものすごく重いのだが、なんとか町家特有の急勾配の階段から降ろされ、電気設備のホリテックさんに持ち込まれた。
ホリテックの社長さんによって分解されると、さすがにメカニカルな部分はアチコチがガタガタだったようだ。
当然様々な部品を交換しなくてはいけないのだが、さすがに古すぎて、手に入らない部品がたくさんあった。
それでも大阪の日本橋(東京の秋葉原のようなところ)まで探しに行ってくださったそうで、当時と同じ規格のものがあればそれを、また同じものがなくても、代用できる部品を見つけてくださった。
その上で、「i-Podをつなげるようにして、全部で6万円」という、破格のお値段で修理していただけるとのこと。
それなら、とお願いすることにした。
radio1.jpg
一つ一つの部品は、長い間使われていなかったため、ご覧のようにボロボロの状態だった。

radio3.jpg
真空管が装着されているアンプ部は、やはり長年使われていなかったためにボロボロ。

さてこのステレオがどのように修理されたのかは、次回お見せしよう。
(続く)

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2006年08月15日

京町家をレストア中! その10(Part1)

築80年ほどの京町家をレストアしている。
今回は、2階の北側の部屋に置いてあった古いステレオを修理した話。

畳や建具がボロボロになっていた2階の部屋に、古いステレオが置きっぱなしになっていた。
母の記憶では、昭和20年代の終わりか30年代の初めに、どこかのメーカーの製品を買ったのではなく、知人に頼んで作ってもらったものだという。
ただ僕が知っている限りでは、このステレオを使っているのを見たことはなく、おそらく昭和40年代からは、ほとんど使われていなかったと思われる。
真空管のモノラルアンプと、SPレコードもかかるプレーヤー、中波と短波の受信できるチューナー、そして大きな径のスピーカー1個で構成されているこのステレオ、見た目はレトロ調で雰囲気抜群なのだが、メカニカルな部分は埃だらけのボロボロで、とても音が出るように思えなかった。
このため、処分してしまおうとも思ったのだが、京町家作事組の大工さん「堀工務店さん」から、京都の電気設備会社である「ホリテックさん」(火袋を修復する際に、古い電灯を手配してくれた)なら、「社長がそうした物の修理もできるので、お願いしてみましょうか?」と言われたのだ。
そこで、「10万円以内で修理可能なら、お願いします。あとできれば、i-Podをつなげるようにして欲しいんですが」とお願いしたところ、とりあえず持ち帰って見積もりをしていただけることになった。
さて、このオンボロ・ステレオ、鳴るようになるのだろうか?
(続く)

長い間使われておらず、上に物が積み上げられていたステレオ。(写真はクリックすると大きくなります)

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2006年07月30日

京町家をレストア中! その9

築80年ほどの京町家をレストアしている。
今回は古い鏡台を自分で直した話。

2階の部屋に、長い間使われていなかった鏡台が置いてあった。
僕が子供の頃は、伯母が使っていたと思うのだが、ここ何十年かは使われておらず、しかも日射しが当たり、雨が吹き込む窓際に置きっぱなしになっていたため、表面がカサカサになり、見た目がボロボロになっていた。ただし本体は殆ど傷んでいないので、自分で塗装してみることにした。

元はこんな状態。かなりカサカサの印象。(写真はクリックすると大きくなります)

この鏡台、もともと黄色に塗装されていたようなのだが、このまま普通の黄色のペンキを塗ってしまったら、町家の雰囲気に合わなくなってしまう。
そこで、京町家に限らず古民家ではよく使用されている、柿渋を塗ってみることにした。
柿渋はその名の通り果物の柿から作られる防腐効果の高い塗料で、もちろん人体には無害。
また、べんがらと呼ばれる、酸化第二鉄を主成分とする顔料と混ぜることで、着色することも可能なのだ。
そこで、「柿渋」をネット検索して見つけた、株式会社トミヤマから、柿渋とべんがらを通販で購入した。

柿渋マイルドタイプ500mlとべんがら(ベージュ)、この他にべんがら(黄色)も購入。

まず鏡台をバラバラに分解してよく洗い、全体を軽くペーパーがけした。
その上で、柿渋と2色のべんがらをよく混ぜて、最初はハケでかなり厚く塗ってしまった。
ところが、完全に乾いてみると、びっくり!
塗料が浮き上がって、パリパリにひび割れしてしまったのだ。

最初は厚塗りしてしまった。色も黄色が強すぎた。

そこで、一度塗ったものをペーパーで落とし、再度塗装することに。
今度はハケで塗ったそばから、乾いた布ですり込むようにして全体に拡げていった。
こうすることにより、下地(木目)が透けて見えるようになり、乾いてからも塗料が浮いたり、ひび割れたりすることもなかった。
完全に柿渋が乾いてから、天然素材の油(ワックス)を塗り、これが完全に乾いてから、元の通りに組み立てた。


これが完成後の状態。いかがだろうか?

またこの鏡台には付属の椅子もあったので、こちらも足を同じ色で塗っておいた。

というわけで、「結構いい出来なのでは?」と自画自賛してるこの鏡台は、取り敢えず1階の奥の間に置いて、小さめの姿見として使用している。
<続く>

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2006年07月13日

京町家をレストア中! その8

昨年亡くなった伯母が住んでいた、築80年ほどの京都の町家をレストアしている。
今回は、屋根の修理をご覧いただこう。
京町家の屋根と言えば、もちろん瓦である。
かつては京都の町中どこへ行っても、美しい甍の並が見えたものだが、今は住宅街では瓦屋根が少なくなってしまった。
それでもウチは屋根もほぼ建築当時のままらしく、昔の姿をとどめている。
ただ、これまで何度か修理はしたようだが、ここ暫く修理はしていなかったようで、ところどころ傷んでいる部分があった。
このまま放っておくと、瓦の隙間から雨が侵入し、雨漏りをおこしてしまうという。
そこで、まず瓦の傷んでいる部分を大工さんに直してもらった。


これは2階の北側の部屋から1階の玄関の上付近の瓦を見たところだが、ところどころにひびが入り、端にある鬼瓦の裏側の漆喰が剥がれてしまっている。(写真はクリックすると大きくなります)


これは修理後。割れた瓦は修理し、一部を細い針金のようなもので剥がれないよう補強、漆喰も新しくしてある。


鬼瓦裏の漆喰部分のアップ。ご覧のように美しく仕上がっている。もちろん写真の部分だけでなく、大屋根の部分や南側の部分にも修理した箇所がある。

天井には瓦以外にも直した箇所があるので、それはまた機会を改めてご紹介しよう。

(続く)


投稿者 中島秀之 : 00:37 | コメント (0) | トラックバック

2006年07月05日

京町家をレストア中! その7

昨年亡くなった伯母が住んでいた、築80年ほどの京町家をレストアしている。
今回は、一部関係者(というか身内)から、「間取りがわからないぞ!」との指摘を受けたので、簡単な間取り図をご覧いただこう。


(クリックすると大きくなります)
手書きのため図が汚くて申し訳ない。
ウチの町家は、敷地面積が僅か17坪ほどの小さなもので、昭和初期の庶民の家としてはこのサイズが標準的だったのだろう。
幅2メートルほどの狭い路地に面した玄関から入ると、右側に一段高くなった3畳ほどの狭い部屋がある。町家の場合ここを「ミセ(見世)」と呼ぶのだそうだ。
ミセとは、商売をしているお宅の場合は、文字通り、この通りに面した部分がお店になるから、そう呼ばれたようなのが、一般家庭でもこの名で呼ばれている。
その隣が「ダイドコ(台所)」と呼ばれる部屋で、ここはその名からイメージされるキッチンではなく、通常で言うところの「茶の間」である。
食事をしたり、テレビを見たりする部屋で、ウチの場合は4畳半だったのだが、昭和41年に少しミセ側に部屋を広くしてあり、今もそのまま使用している。
その奥の6畳が、「オク(奥の間)」と呼ばれる部屋で、幅の狭い床の間のある座敷になっている。
その先に縁側があって、一番奥には座敷庭と呼ばれる小さな庭がある。
一方玄関から真っ直ぐ行くと、細長い「ハシリ」とも「走り庭」とも呼ばれる、キッチンがある。
ここは本来玄関から仕切りなしに続いている土間なのだが、ウチの場合はやはり昭和41年に、玄関との間に仕切り戸をつけて、キッチン部分には木の床を設けている。
このハシリの部分が、「京町家をレストア中! その2」と「その5」で写真をお見せした箇所だ。
またこの町家には、建てられた時にはトイレもお風呂もなかったと思われる。
昔は町内に共同のトイレがあって、風呂はもちろん銭湯だったからだ。
このためトイレは、坪庭と呼ばれるミセの奥にある小さな庭に昭和10〜20年代に作られたようだ。
またお風呂は、昭和30年代に座敷庭の方に作られている。
僕が子供の頃、この風呂は近所のお寺で拾ってきた松ぼっくりを燃やして沸かしたりしていたが、今はもちろんガスで沸かしている。
さて、物凄く急な階段(本来はダイドコの押し入れの中に設置されていた)を上った2階は、北側が6畳、南側が4畳半の部屋となっている。
「京町家をレストア中! その2」と「その4」で、改修前、改修後の写真をお見せしたのが、南側の部屋で、今はここから吹き抜けの「火袋」が見えるようになっている。
一方北側は、「その6」でお見せした籐のソファが置いてある部屋だ。

ということで、これで間取りがおわかりいただけただろうか?
ごくごく小さな家なのだが、手をつけ始めると、「あそこも直したい、ここも直したい」と次々と思えてしまう。まぁそれでも、無理せず少しずつレストアしていこうと思っている。

<続く>

投稿者 中島秀之 : 11:55 | コメント (0) | トラックバック

2006年06月19日

京町家をレストア中! その6

昨年亡くなった伯母が住んでいた、築80年ほどの京町家をレストアしている。
今回は、おそらく昭和20〜30年代に作られたと思われる、籐でできた椅子の修理についてである。
僕が知っている限り、ずーっと伯母の家にあったのだが、経年劣化と、飼い犬がかじったり引っ掻いたりしたことで、ボロボロになっていた。

周りの洗濯物は気にしないで欲しいが、クッション部はボロボロ、籐の一部もかなり傷んでいた。
(写真はクリックすると大きくなります)

捨ててしまおうかとも思ったのだが、思い出もあるし、年代的にも古いものなので、直すことにした。
そこでネットで調べてみたところ、京都のかなり田舎に、やべ工房という籐工芸の会社があるのがわかり、そこに修理をお願いした。
やべ工房さんでは、まず籐の部分で傷んでいた箇所をまず修理し、次いで背もたれの部分をクッションから籐の織り込みに変更したとのこと。その上で、座面のクッションを別の会社に頼んで張り替えてもらったそうである。
その結果、まるで新品のようになって返ってきた。

ご覧のように、とても美しい仕上がりだ。

実はこの籐椅子はソファーセットの一部で、別にテーブルもあるのだが、テーブルは傷みがそれほどでもなかったので修理は行わなかった。
修理が終わった椅子2脚を、テーブルを間に挟んで、2階北側の窓際に置いた。
向かいが小さなお寺なので、ここからの眺めはなかなか。
いかにも京都らしい雰囲気で、結構気に入っている。

(続く)


投稿者 中島秀之 : 23:43 | コメント (0)

2006年06月03日

京町家をレストア中! その5

(その4からの続き)
京町家独特の、ハシリともハシリニワとも呼ばれる、細長い土間のキッチン部分。
ここは本来、上部が吹き抜けになっており、へっついやかまどの煙を逃がすようになっていた。
ところがガスコンロが普及してからは、各家庭に換気扇が取り付けられるようになり、この吹き抜け=火袋(ひぶくろ)は事実上不要になってしまった。
このため昭和40年代に、多くの町家がウチと同様、火袋を塞いで2階の部屋を広くしてしまったようだ。
今回のレストアでは、当初この火袋を復活させるつもりはなかったのだが、やはり京町家の顔とも言える部分なので、結局工事をお願いすることにした。
その結果、火袋は下の写真のような仕上がりとなった。

(写真はクリックすると大きくなります)

2階の北側の部屋に、もうひとつ設けられた窓からハシリニワを見下ろす。
ご覧のように、火袋上部の窓も、アルミサッシから木枠にガラスをはめた建具となった。
ペンダント型の電気は、昭和30〜40年代のデッドストックもの。

一方1階のハシリニワから見上げると、下の写真のような状況。

柱に設置された電気は、新品で買えるレトロ調のもの。
「その2」で掲載したハシリニワの写真と比べていただきたい。

この他、ハシリニワの壁を修復してもらったり、2階の畳を表替えしたり、不要なものを処分したりして、なんとかボロボロだった部分が、京町家らしい姿になった。
次回からは、その他細かい修復を行った部分や、家具、電化製品などについてご報告しよう。

              (続く)

投稿者 中島秀之 : 14:00 | コメント (0) | トラックバック

2006年06月02日

京町家をレストア中! その4

(その3からの続き)
傷みのひどい2階南側のレストアは、京町家作事組の大工さんによって着々と進み、ひとまず完成した。
「その2」で紹介した、ボロボロのカーテンのかかった窓側の部分と、洋風に改築されベッドが置かれていた部分は、下の写真のようになった。

(写真は全てクリックすると大きくなります)

1階のハシリニワ(細長いキッチン)の上に火袋(吹き抜け)が復活。
これに合わせ、2階には壁が設置され、そこに小さな窓をつけてもらった(南東側)。
これにより火袋に設けられた窓(以前アルミサッシだった部分を木枠に戻した)が開閉できるようになり、壁の窓から下のハシリニワを見ることもできるようになった。

天井はもちろん木で修復してもらい、壁も土壁に戻してもらった。
この部屋の反対側(北西側)は下の写真のような状態。

きれいに修復された土壁の中には、断熱材も入れてもらってある。
電気はそれまで蛍光灯だったが、京都の骨董品屋さんで探してきた、昭和20〜30年代製のガラス製の傘がついた白熱灯に交換した。

(続く)

投稿者 中島秀之 : 14:00 | コメント (0) | トラックバック

2006年05月10日

京町家をレストア中! その3

(その2からの続き)
傷みのひどかった2階南側の部屋は、とりあえず壁紙をはがし、天井のスチレンボードを外すことから工事がスタートした。
壁紙の下には、幸い元の土壁が残されていたが、あちこちが剥がれ落ちてしまっていて、場所によっては壁土の隙間から、中に練り込んである藁が見えている。ここは当然壁土を全面的に塗り替える必要がある。

(前回の写真でベッドが置いてあったところの土壁。あちこち剥がれている)
(写真はいずれもクリックすると大きくなります)

一方天井は、ボードを全部外すと、本来は天井板を支えるための桟が残されていた。
一部に切り込みはあったが、これはこのまま再利用して、天井板をこれに装着することにする。

(細い桟が残されていたので再利用する。屋根裏は約80年前の建築時の状態のまま)

更に、火袋を復活させるために、洋風に改造してあった部分の床を抜いて、アルミサッシは木枠にガラスをはめたものへと交換する。

(床を抜くと、このように1階のハシリニワが2階から見えるようになった)

さてこうした部分がどのように変わったかは次回以降で。(続く)

投稿者 中島秀之 : 00:30 | コメント (0) | トラックバック

2006年04月26日

京町家をレストア中 その2

(その1からの続き)
我が家で管理している京都の町家は、築80年前後で、各部があちこち老朽化していた。
京町家作事組から派遣された大工さんによって、まずきちんと開閉できなくなっていた家中の建具の修理をしていただいた。
続いて問題となったのは、殆ど使用していなかった2階の2部屋の老朽化。
特に南側の部屋は、壁に雨水が回ってしまい、かなり酷い状態だった。
実はこの部屋は、昭和41(1966)年に、今回修理に来ていただいている大工さんのお父上によって、当時風に改装が施されていたのだが、それが町家の風情と合わなくなくなっていることも、問題となった。
これは町家ではよくあることで、昭和40年代に、当時流行した合板や新建材を使って、多くの家が、町家伝統の土壁や杉板の天井を改修してしまったのである。当時としては快適に暮らす知恵だったのだが、今となっては中途半端に古いだけでなんの魅力もない。
ウチの町家も、こうした改修があちこちに行われていて、これを町家本来の姿に戻していこうというのが、今回のレストアの大きな目的なのだ。
で、最も傷みの酷い2階の南側の部屋だが、壁にはクロスが貼られ、天井はスチレンボードに変更、更に隣家と接する東側の部分が洋風に改修され、小さなアルミサッシが南側につけられていた。
京町家には、1階に「ハシリニワ」と呼ばれる細長い土間のキッチンがあるのだが、実は2階のこの部分は、そのハシリニワの吹き抜けである「火袋(ひぶくろ)」を塞いで増築された部分だったのだ。
大工さんとの話しあいの末、まずこの部屋を町家らしい姿に戻すこととし、洋風になっていた部分は火袋に戻してもらうことにした。
今回はとりあえず、レストア前の2階の部屋とハシリニワの状況を写真でご覧いただこう。
次回、これがどのようにレストアされたかをお伝えする。(続く)

(写真は全てクリックすると大きくなります)

2階南側の部屋の窓部分。建具はガタガタ、畳はボロボロ、壁には雨水が回っていた。


火袋を潰して、洋風に改造されていた部分。窓もアルミサッシだった。


1階のハシリニワは、このように火袋(吹き抜け)が塞がれていた。     
                                        

投稿者 中島秀之 : 15:43 | コメント (2) | トラックバック

2006年04月21日

京町家をレストア中 その1

京都の桜を紹介した際にもちょっと触れたが、現在京都の町家を一件管理していて、少しずつレストア中なのでご紹介したい(写真はクリックすると大きくなります)。

この町家は、昨年6月に亡くなった伯母が一人で住んでいたもので、母の実家でもある。
伯母と母の生家は大阪なのだが、昭和20年3月の大阪大空襲で焼け出され、6月にこの京都の家に移り住んだのだそうだ。
ここ40年ほどは伯母が犬と一緒に生活していたのだが、伯母が亡くなったことにより、母が相続することになった。
僕もこの家には子供の頃夏休みのたびに遊びに行っていて、想い出も多いので、売ったりはせずに我が家で管理しようということになったのだが、改めて見てみると、あちこちが老朽化していて、修理が必要な状態であることがわかった。
ただ誰に頼んで良いやら皆目見当がつかないので、ネットでいろいろ調べるうち、京町家.netというサイトがあり、その中で町家を修理・保存する京町家作事組という組織が紹介されていた。
そこで早速連絡を取り、この京町家作事組から大工さんを派遣していただいたのだが、偶然にもその大工さんは、母方の祖母の時代からお付き合いのある大工さんの息子さんで、母もよく知っている方だったのだ。これもなにかの縁と思い、修理をお願いすることにした。

作事組の方とその大工さんのお話しによれば、この町家は大正末期から昭和初期に建てられたものだそうで、築80年前後とのこと。このくらい古いと、床下の基礎の部分や柱が白蟻などにやられて傷んでいる場合が多いそうだが、この家は緩い傾斜地に建っていて、床下が広いために風の通りが良かったらしく、基礎や骨格にはなんの問題もないということだった。まずは一安心。
またお隣の家とは骨格を共有する二軒長屋で、お隣は骨格はそのままに現代風にリフォームしているということもわかった。
とりあえずまず最初は、ガタガタになって、鍵もまともにかからず、雨戸を閉めるにも一苦労する、家中の建具を修理することから始めていただくことにしたのだった。 (続く)

投稿者 中島秀之 : 12:02 | コメント (0) | トラックバック

2006年04月12日

今が満開、京都の桜 その2

(前回からの続き)
知恩院から数分歩くと、京都のお花見のメッカ、円山公園に出る。
この日は月曜で、しかも雨だったので、宴会をしている人の姿はなかったが、場所とり用のブルーシートが所狭しと敷かれていた。
ここには様々な種類の桜があるのだが、中にはこんな立派な枝垂れ桜もあった。

円山公園から更に数分歩くと、「秀吉とねねの寺」で知られる高台寺がある。
ここの方丈前庭にも立派な枝垂れ桜があり、縁側に座ってゆっくりと鑑賞できる。

そしてここから15分ほど歩くと、京都最大の観光スポットのひとつである清水寺に到着する。
誰もが一度は訪れたことのあるだろう清水の舞台は、この季節こんなに桜に囲まれているのだ!

清水寺から坂を降り、バスに乗って銀閣寺まで移動。
銀閣寺には寄らずに、ここから南禅寺まで続く、哲学の道を歩く。
疎水の脇に数多くの桜が延々と植えられていて、そのアーチの下を歩くことができる。
かなり低い枝も多くて、手を触れることもできるほどだ(折るのは無論厳禁)。

南禅寺まで行きたいところだったのだが、途中で曲がってウチの町家へと帰った。
この後、掃除&模様替えなどをして、夜の新幹線で東京に戻った。

投稿者 中島秀之 : 11:16 | コメント (0) | トラックバック

2006年04月11日

今が満開、京都の桜 その1

岡山のスーパーGTからの帰路、新幹線を京都で降りて、月曜日1日を京都で過ごした。
実は、昨年亡くなった伯母が住んでいた、いわゆる京町家を我が家で管理しており、その修復作業(いずれブログでもご紹介する予定)を進めているため、ここのところ月に1回ほどのペースで京都に来ているのだ。
で、今回は特に大工さんとの打合せがあったわけではないのだけれど、ちょうど桜の季節ということで、どうしても寄りたくなってしまったのである。
ウチの町家があるのは左京区の岡崎で、地図で言えば右の上の方にあたる位置。
とりあえずここから歩いて行ける範囲の桜の名所を、やや駆け足で見て回って来たので、その写真をご覧いれよう。
月曜日は生憎の雨だったのだが、雨の京都も風情があって良いもの。
しかも京都の街中の桜が、今を盛りと満開だったから、言うことなしだ。

まずは、ウチからすぐのところにある金戒光明寺、通称「黒谷さん」から。
伯母のお墓もあるこのお寺は、幕末に会津藩の本陣があって、新撰組が誕生したことで知られる。桜は山門の周りを中心に咲いていて、石段から見上げるととてもきれいだった。

続いては、ウチから歩いて5分ほどの、平安神宮へ。朱塗りの鳥居や建物で有名だが、池のある大きなお庭にはたくさんの桜がある。特に、ややピンクの強い枝垂れ桜が多いのが特徴で、建物同様、華やかな雰囲気だ。

平安神宮は岡崎公園の中にあるのだが、そこを横切る形で流れる岡崎疎水の周りも、染井吉野が満開。水面に映る桜と、東山の遠景とのマッチングは抜群だった。

そこから更に10分程歩くと、鴬張りの廊下で知られる知恩院。こちらは、立派な山門の周囲に大きな染井吉野があって、非常に美しかった。

                                 
                                  (続く)

投稿者 中島秀之 : 17:10 | コメント (0) | トラックバック


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