ヒストリックカー カテゴリー
2008年05月26日
JHCT2008が終了
5月23日から25日まで、ネコ・パブリッシング主催のジャパン・ヒストリックカー・ツアー2008が行われ、僕もアナウンス役として同行してきた。
5回目の開催となる今年のコースは、初日に小田原ダイナシティという商業施設をスタートし、高速道路を使って長野県の白樺湖に向かい、霧ヶ峰、松代城を経て善光寺へと向かった。
2日目は、志賀高原、草津、嬬恋、松本などを経て、山梨県甲府の舞鶴城公園および湯村温泉郷でゴール。
そして3日目は、高速道路で河口湖、御殿場を経て、横浜赤レンガ倉庫前広場にゴールするというルートだった。
距離にしておよそ750~800kmだが、今年は初日が異常に暑かった上、2~3日目には雨も降って、ヒストリックカーには過酷な環境だったようだ。
このためリタイアするクルマが例年以上に多かったようにも思われる。
僕はスタートのダイナシティ小田原と、初日の宿泊先であるホテル国際21の駐車場、そして2日目のゴールである舞鶴城公園、更に最終ゴールである横浜赤レンガ倉庫で、参加車両の解説と参加者の紹介アナウンスを担当。
またパーティや表彰式の司会も担当した。
朝早く、夜は遅い(パーティ終了後食事に行くため)上、自分でクルマを運転しながらの参加なので、予想以上にハードな3日間だった。
それでも、参加者の皆さんが、赤レンガ倉庫前を出る時に笑顔で帰っていかれるのをみると、あぁ良かったなぁとしみじみ思える。
もちろん、今年も珍しいヒストリックカーとスーパーカーがたくさん参加していたので、それを見るのもとても楽しかった。
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今回初めてスタート地点となった小田原ダイナシティ駐車場(左)。平日の朝にも関わらず、たくさんの方が見学に来てくださった。今回は俳優の唐沢寿明さんのポルシェ356Aカレラや、GLAYのリーダーTAKUROさんのアストン・マーティンDB6(右)も参加した。
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ネコ・パブリッシングの社員が運営スタッフとして裏方を務めているのだが、準備日も含めて4日間、毎日睡眠時間3時間ほどで奮闘しているため、深夜の食事の際には、このジェイズ・ティーポのスギ編集部員のように、意識が朦朧とする者も表れるようで・・・?
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一番の難所である志賀高原-草津ルートは、なんとか雨が降る前に通過することができた。今年はかなり暖かかったが、それでも雪がかなり残っていた(左)。その後嬬恋のレストポイントに参加者は集結。
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最終ゴール地点、横浜赤レンガ倉庫前広場は、直前まで大雨が降っていたが、参加車両が到着した途端に雨がピタリとやんだ。その後参加者は、マリンルージュ号での船上表彰式に向かった。
投稿者 中島秀之 : 23:43 | コメント (1) | トラックバック
2008年03月24日
タイムマシーン・フェスティバルが終了
22〜23日に富士スピードウェイでタイムマシーン・フェスティバルが行われ、僕は両日とも場内放送を担当した。
土曜日は、ヴィターレ・イタリアという名前で、フェラーリとマセラティを中心としたイタリア車の走行が行われ、日曜日は昨年までと同様のヒストリックカー主体の走行が行われたのだが、どちらも非常に楽しかった。
昨年は雨と霧で大変だったが、今年は二日間とも非常に良いお天気だったのもありがたかった。
もちろん、往年の名ドライバーの皆さんもたくさん遊びに来てくれたし、マナ09(1973年の富士GC用マシン)など、新たに姿を見せた往年の名マシンも何台かあって、古くからのレースファンにとってはたまらない内容だったと思う。
因みに今年のこのイベントのテーマのひとつは、日本のル・マン・チャレンジ。
ル・マン参加車両の展示とデモ走行も行われて、こちらも見応え十分だった。
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日本からル・マンに挑んだマシンたち。左から順に、1995年にクラス優勝したホンダNSX、1985年に参戦したトヨタ童夢85C、1998年に総合3位となった日産R390GT1、1991年に日本車として初めて優勝したマツダ787B、1981年に出場した童夢RL、1986年に出場した日産スカイラインGT-R/LM。
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1970年代中盤に、海外や国内で活躍した、「黒い稲妻」こと桑島正美さんが乗っていた、マーチ742(752カウルの1976年仕様)も登場。完全レストアされていたのだが、直前にエンジンが壊れて、残念ながら走行はできなかった。それでも桑島さんの復活セレモニーがこの742と共に行われ、日曜日には当時そのままに、クールスのメンバーが応援にかけつけていた。
投稿者 中島秀之 : 23:38 | コメント (1) | トラックバック
2007年12月12日
ALWAYSを見てきた!
先週末、映画「ALWAYS 続・三丁目の夕日」を見てきた。
昨年初めに第一作を見て、映画の内容云々より、そのVFX(CG)を用いた、昭和30年代の再現の仕方に驚かされ、すっかり魅了されてしまったので、第二作も気持ちよく楽しませてもらった。
僕は、舞台となっている昭和33~34年にはまだ生まれていないのだが、小学校に上がる前頃までは、これに近い環境が周囲に残っていたので、ついつい懐かしさを感じてしまう。
特に、登場するクルマに関しては、「時代考証的におかしいものはないか?」と、粗探しをしつつも、画面に映るとやはりそこに目がいってしまう。
例えば、鈴木オートのダイハツ・ミゼット。かなり使い込まれた風にウェザリングされているこのミゼットは、実は昭和34年10月発売のMP型なので、本来なら第1作、第2作とも、登場するのはおかしいのだが、制作陣はそれを承知で、敢えて昭和30年代のイコンとして使用しているようだ。
実際のところ、このMP型のミゼット、特に荷台の長いMP4型(昭和35年発売)は、僕らの世代は子供の頃、町中のあらゆるところに溢れていた。
阿佐ヶ谷にあった我が家の近所でも、お向かいのお米屋さんや、八百屋さんの販売車、郵便局の集配車など、たくさん走っていたのだ。
それだけに確かに懐かしい。
その鈴木オートに修理のため入庫している車両も、ダイハツ・ビー(3輪乗用車)、ダットサン110/210系など、貴重なクルマばかり。
面白いのは、第1作でもエキストラ的に登場していた、オースチンA30が修理に入っているシーンがあったことだ。
日産がノックダウン生産していたのは、A40サマーセットとA50ケンブリッヂ(どちらも画面に登場する)だから、A30は当時純粋な輸入車で、おそらく国産車よりかなり高額だったと思われるが、わざわざ買った人もいたのだろう。
当時の実際の写真で見たこともあるので、間違いないとは思うが、やはり相当珍しいクルマであったはずだ。
それが鈴木オートに入庫していたのだから、お父さんの腕はなかなかのものだった(という設定な)のかもしれない。
また今回も、憎まれ役の川渕社長のクルマはピカピカの初代観音開きクラウンで、いい味を出している。
そして今回の第2作では、前作では使われなかったCG制作による車両も登場している。
首都高速のできる前の日本橋のシーンでは、後ろを走るクルマはCGで、ダイハツのオート3輪なども姿を見せる。
ただCG制作の車両は車種が限定されるようで、ダットサン110/210系、スバル360などが多かった。
個人的には、もっと日野ルノー、初代コロナやマスター、いすゞヒルマン・ミンクスなどが、タクシー仕様も含めて登場してくれた方がリアリティがある気がしたのだが。
それでも、この映画のスタッフの方たちの、昭和30年代への拘りは半端ではなく、あらゆる画面で細部にまで注意が払われていることに感心してしまった。
これでシリーズは終了とのことだったが、第3弾があればファンとしては嬉しいし、あのセットを見られるテーマパークなどがあってもいいのでは、とも思ってしまった。
まだご覧になっていない方は、是非映画館へどうぞ。
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投稿者 中島秀之 : 12:27 | コメント (0) | トラックバック
2007年12月04日
フロムセブンミーティングを見学
週末、久々に京都に行って来た。
町家の壁の修理の確認と、掃除が目的だったのだが、ついでに紅葉も楽しんでしまった。
その途中、2日の日曜に、京都のクルマ好きなら知らない人はいない嵐山・高雄パークウェイの、高雄口ゲートにほど近い高雄大駐車場で行われた、嵐山・高雄フロムセブンミーティングを少しだけ見学してきた。
もともとスーパーセブン系のミーティングとしてスタートしたようだが、今回は季節が良いこともあって、おそらく200台前後のエンスー系車両が大集結していた。
古い軽自動車から最新のスーパーカーまで、とにかくなんでもありの、ある意味ティーポなイベントで、非常に楽しかった。
その模様を写真でご紹介しよう。
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会場はかなり広いのだが、隙間なくビッシリとエンスーなクルマが埋め尽くし、時おり少し走りに行く参加者もいたりして、大混雑だった。左は、ル・マン・クラシック・ジャパンにも出場していたアバルトOT1300/1600の横を、フェラーリ・モンディアルTが通過するところ。後方にはアルファSZが4台見えている。右は、DTMカー風にモディファイされたメルセデス190E。
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左はやはりDTM出場車風にモディファイ(主にカラーリング)されたアルファ155。後方にはハコスカも見えている。右はノーブル製と思われる、フェラーリ330P4のレプリカ。
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セブン系は、もともとこのイベントの中心車種だけに、かなりたくさんの参加があった。また右は、セブン系の中に挟まれるように置かれた、ジャガーDタイプのレプリカ。
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左の写真には、マセラティ・クワトロポルテ、フラットノーズのポルシェ930、アウトビアンキA112アバルト、アルファ75、VWビートル、ロータス・エキシージなどが見えている。右は非常にきれいな左ハンドルのS30ダットサンZカー。実は前日、ウチの町家のすぐ近くの吉田神社の階段の横にあるガレージで、オーナーさんがエンジン整備をしているのを偶然見かけたクルマそのもので、ちょっとビックリ。
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アルピーヌV6ターボが3台並んでいた(左)。どれも非常にきれいな状態だった。右は共にかなりモディファイされた、フェラーリ360モデナとランボルギーニ・ムルシエラゴ。
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左は一見地味だが、その実かなりエンスー度の高いスリーショット。いずれもフォード・ブルーに塗られた、右はエスコートRS、中央は日本では超希少な先代フォーカスRS、左は先代フォーカスST170。またVWゴルフがかなりたくさん参加しており、会場の一画を占拠していた(写真右)。
投稿者 中島秀之 : 21:15 | コメント (2) | トラックバック
2007年11月10日
ル・マン・クラシック・ジャパンで場内放送を担当
今日、明日と富士スピードウェイで行われている、ル・マン・クラシック・ジャパン2007で場内放送を担当している。
一昨年から隔年で開催されているこのイベント、前回の美祢サーキットから富士に場所を移し、ヨーロッパからの参戦組もあって、見どころが多くなっている。
今日土曜日は、雨の予報だったが、なんとか曇りで一日が終わり、大きな事故もなく、少しホッとしている。
さて今回参加している車両の中から、僕の気になる車両をご紹介しておこう。
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今回の目玉はなんと言ってもこのマートラMS670。1972年の優勝マシンのカラーになているが、元々は1971年にMS660として製作され、この年のル・マンではリタイア。1972年はスペアカーだったという経歴を持つマシンだそう。今日土曜日はウェット・コンディションのため走らなかったが、金曜日は、マートラのV12サウンドを富士に轟かせていた。マートラV12の音が響くのは、1976、77年のF1に出場したリジェ以来だろう。明日は走ってくれると良いのだが。
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ポルシェ936とローラT286は元気に走る姿を見せてくれた。この936は、1980年のル・マンにヨースト・レーシングから908/80の名でエントリーされたマシンそのもので、ジャッキー・イクス/ラインホルト・ヨーストのドライビングで、ロンドーとデッドヒートの末2位となっている。一方T286(1979年式)は、コスワースDFV搭載のT280の最終モデルで、こちらも素晴らしいサウンドを放ちながら、ハイペースで周回していた。
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ローラT70Mk3Bは、1969年登場のモデル。5リッターのシボレーV8を搭載するが、今日は中野信治選手のドライブにより、強烈な走りを披露してくれた。
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ポルシェ博物館から4台の貴重なマシンが来日し、デモ走行を行った。左上は1951年のル・マンにポルシェが初出場した時の356SLクーペ。右上は1973年のタルガ・フローリオで優勝した911カレラRSR、左下は1987年のル・マンで優勝した962C、右下は1998年のル・マンで優勝した911GT1。全てパーフェクトなコンディション。明日もデモ走行が予定されている。
投稿者 中島秀之 : 17:33 | コメント (4) | トラックバック
2007年10月29日
怒涛の5日間が終了(その3)
27日土曜日と28日日曜日は、ツインリンクもてぎで行われる、毎年恒例のヒストリック・オートモービル・フェスティバル・イン・ジャパンで、場内放送を担当した。
27日は台風の接近により、F1の走行がキャンセルされるなどして残念だったが、28日は素晴らしいお天気の中で走行が行われた。
僕は二日間ともコントロールタワー3階でずっと実況を行い、朝のドライバーズミーティングや夕方の表彰式、更には土曜の夜のパーティの司会までを担当した。
このためパドックに殆ど出られず、写真が撮れなかったのだが、それでも放送室から見ていて気になったクルマを写した写真を何点かご紹介しておこう。
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左はヒストリックカー・カップに出場する車両たちなのだが、手前に見えているジャガーXJ6クーペとその3台後ろのEタイプ・クーペをご覧いただきたい。カニンガムカラーで凄くカッコよくモディファイされている。右はレンシュポルトカップ優勝のポルシェ911ターボなのだが、まるで935K3のように徹底的にモディファイが加えられている。ここまで手が入っていると、つい見とれてしまう。因みにこのクラスでは圧倒的な強さで優勝を飾った。
さてイベント終了後はまっすぐ帰宅。だが翌月曜日は、ティーポ次号の締め切りで、深夜まで校正に追われ、ようやく深夜に怒濤の5日(+1日)が終了した。
はぁ、疲れたあ。
投稿者 中島秀之 : 20:20 | コメント (2) | トラックバック
怒濤の5日間が終了(その2)
さて25日の木曜と26日の金曜は、「東京コンコース・デレガンス」というイベントに、司会者として参加してきた。
アメリカの「ペプルビーチ」やイタリアの「ヴィラ・デステ」といった、貴重なヴィンテージカーを一堂に集め、そのコンディションやオリジナル性を競うイベントを日本でも開催したいという思いから、今年初めて開催されることになったこの「東京コンコース・デレガンス」。
まず25日の午後、晴海にある晴海トリトンスクエアで、16台の参加車両が六本木に向けて走り始める、パレードラン・スタートセレモニーが行われたのだが、ここで僕はカネキ・アンナさん、ゲストのデイブ・スペクターさんと共に司会を担当。
パレードランに参加する車両の簡単な解説も行った。
参加車は、展示および審査会場である六本木の東京ミッドタウンに移動。
夜はパーティがルイ・ヴィトン・ジャパンで行われたそうだが、僕は編集部に戻り、調べ物&入稿作業に追われた。
で、翌26日の昼に東京ミッドタウンまで行き、雨が降ったりやんだりする中、芝生広場に展示された33台の参加車両を前に、各賞の発表と、受賞車両の説明を行った。
この日は、僕よりこうしたクルマに詳しい、モータージャーナリストの武田公実さんとのかけあいで話を進めたのだが、よく考えてみると、小林彰太郎審査委員長を始めとする、日本のクラシックカー界の重鎮の皆さんの前で、よくもまぁ知った風なことを喋りまくったなと、後になってちょっと恥ずかしくなった。
参加者と関係者の皆さんは、この発表セレモニーの後、ホテル・リッツ・カールトンでパーティ(司会はセイン・カミュさん)に参加されたのだが、僕はここだけで失礼して、急いで次の仕事の現場に移動した。
それにしても、「日本にこんな貴重なクルマがあったのか!」と思うクルマばかりが33台も参加した今回の「東京コンコース・デレガンス」は、本当に素晴らしいイベントだった。
是非、これから毎年恒例となって、もっと素晴らしいイベントに成長してもらいたいと思う。
ではこの「東京コンコース・デレガンス」参加車両で、僕が気になったクルマをご紹介しよう。
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左は今回の参加車で最も古い、1910年式ロールス・ロイス40/50HPシルバー・ゴースト ツアラー・バイ・バーカー。巨大なオープンカーで、その姿にまず圧倒される。次いで、約100年前の自動車だというのに、そのコンディションの良さに驚かされる。なにしろエンジンはセル一発でかかり、アイドリングなど物凄く静か(さすがはゴースト)なのだ。しかも、インパネにはナビが取り付けられていて、このクルマが普通にあちこちのイベントに自走で参加していることをうかがわせた。
右は1930年式のデューセンバーグ・モデルJ・コンバーチブル-ロードスター バイ・マーフィ。アメリカのセレブの間で絶大な人気を博し、クラーク・ゲーブルやゲーリー・クーパーが愛用したことでも知られるデューセンバーグ。現車もロックフェラー家の所有車だったそうだ。僕はミニカーは持っているが、実車を間近で見るのは初めて。贅の限りを尽くした造りに、約80年前のアメリカンドリームを見た気がした。
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左は1936年式のMG-PBミジェット エアライン-クーペ。939ccの小さなエンジンを搭載したスポーツカーであるMG-PBミジェットに、美しい流線型のクーペボディを載せたこのクルマ。14台しか作られなかったうちの1台とのことで、とても貴重なクルマだが、何よりも、オーナー自らがレストアしたということに驚かされた。コンディションは素晴らしく、微妙なトーンのツートーン塗装も魅力的だった。
右は1946年式のドライエ135Mカブリオレ ナルバル バイ・フィゴニ・エ・ファラシ。1930年代に全盛期を迎えたフランスのドライエ。現車は第二次世界大戦直後、同社の名車135Mのシャシーに、フィゴニ・エ・ファラシというカロジエ(カロッツェリア)がボディを架装したモデルで、おそろしく手間とお金のかかった、無駄の極みとも言うべきボディが最大の特徴。官能的というより、頽廃的とすら思える独特の雰囲気を持つ。因みにナルバルとは一角獣の意味で、それもよくわかる気がする。
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左は1964年式のファセル・ヴェガ・ファセルⅡ。1950-60年代に、突如現れたフランス製の超高級車ファセル・ヴェガ。エンジンはクライスラーのV8だが、前述のドライエ同様、フランス独特の無駄とも思える贅沢さが魅力だった。現車はファセル最後期のモデルで、エレガントなデザインと雰囲気に満ちている。特にその、なんとも言えないエンジ色の美しい塗装が、ファッションの国を象徴している感じだ。
右は1963年式のランボルギーニ350GTV。1963年のトリノ・ショーに出展された、ランボルギーニ社最初のクルマで、この世に1台しかない。デザインはスカリオーネ、コーチワークはカロッツェリア・サルジョットが担当した。だが創業者フェルッチョ・ランボルギーニのお気に召さなかったため没となり、市販車である350GTはカロッツェリア・トゥーリングが作ることになる。要するに、ランボルギーニ博物館にあるべき1台なわけで、日本にあるのが不思議なクルマなのだ。
これ以外にも、もっともっと紹介したいクルマがいっぱいあるのだが、詳細はカーマガジン1月号などでご確認いただきたい。
あ、このイベントの後、どこに行ったかは、また次回。
投稿者 中島秀之 : 00:57 | コメント (1) | トラックバック
2007年06月06日
JHCTの気になる参加車(その3)
ジャパン・ヒストリックカー・ツアー2007に出場していた車両の中から、僕が気になったクルマたちを、数回に分けてご紹介している。
今回ご紹介するのは、ランボルギーニ・イスレロ400GT、1968年式だ。
1960年代のランボルギーニと言えば、ミウラのイメージが強いが、イスレロはほぼ同時期の1968年に登場した、FRでV12エンジンの2+2GTカー。
高級グランツーリズモだった400GT2+2の後継モデルで、350/400GTがカロッツァリア・ツーリングのデザインだったのに対し、イスレロはツーリング出身のマリオ・マラッツィの助けを借り、社内でデザインされたスチール製ボディを採用していた。
ジオット・ビッザリーニ設計のエンジンは、3929ccのV12DOHC+ウェーバー6基で、320hpを発揮。
ジャンパオロ・ダラーラ設計のマルチ・チューブラー・フレームに前後ダブル・ウィッシュボーン・サスと4輪ディスクブレーキを備え、車重は1315kg。
1969年には350hpを発揮するエンジンを搭載したイスレロS(400GTS)が登場したが、あまり人気を得ることなく、1970年にハラマにバトンタッチして生産終了。総生産台数は225台だったと言われる。
現車は非常にオリジナル度の高い個体で、外装はもちろん内装も美しく保たれていた。
ミウラと同じエンジンを持ちながら、とてもエレガントな雰囲気のクーペで、実に魅力的だった。
オーナーのTさんによれば、「ギャラリーの方が今のクルマと思うらしくて、目の前に来てから慌てて手を振ってくれたりするんですよ」とのことだったが、確かに見ようによっては、つい10年ほど前の高級パーソナルクーペ(3代目ソアラなど)に見えなくもない。
逆に言えば、それだけデザインが進んでいたというか、普遍的な魅力を持っていたということかも知れない。
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投稿者 中島秀之 : 15:46 | コメント (0) | トラックバック
2007年05月26日
JHCTの気になる参加車(その2)
ジャパン・ヒストリックカー・ツアー2007に出場していた車両の中から、僕が気になったクルマたちを、数回に分けてご紹介している。
今回ご紹介するのは、これ。ロメッシュ・ビースコー・2ドアカブリオレ 1956年式だ。
フリードリッヒ・ロメッシュによって1924年に創業したコーチビルダー、ロメッシュ・カロッツェリア社。
ベルリンを本拠にリムジンやタクシーの製作などをしていたそうだが、1936年に息子のフリッツ・ロメッシュが会社を引き継ぐ。
第二次世界大戦直後はソ連軍の車両修理などで食いつなぎ、1949年に、ヨハネス・ビースコーという人物の協力を得て、VWビートルをベースとしたスポーツモデルを開発、1950年のベルリン・オートショーで発表した。
それがこの、ビースコー・モデル、またはバナナカー(弓なりのボディゆえ)の愛称で呼ばれたクルマだった。
丸みを帯びたデザインのカブリオレまたはクーペで、ボディはアルミ製ハンドメイド。
エンジンはVWまたはポルシェのフラット4。
現車は、ビートル用1200ccにスーパーチャージャーをつけたエンジンを搭載する。
1957年に、バート・ローレンス設計のニューモデルが登場したが、1960年代初頭に生産を中止した。
現存する「バナナカー」は世界で15台前後、日本ではこの、「フラット4」の小森社長がお持ちの1台だけだそうである。
現物を見ると、同時代のポルシェ356より遥かに豪華な、凝った作りに驚かされる。
また思ったよりリアのオーバーハング部分が長く、ボディはかなり細長い。
非常に品のいい、いかにも50年代のお金持ちのためのクルマという印象だ。
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投稿者 中島秀之 : 08:14 | コメント (2) | トラックバック
2007年05月22日
JHCTの気になる参加車(その1)
ジャパン・ヒストリックカー・ツアー2007に出場していた車両の中から、僕が気になったクルマたちを、数回に分けてご紹介していこう。
まずは、これ。1954年型のフィアット8Vだ。
サルーンの1400用に開発が進んでいた70度V8エンジンが、コストの面などから不採用となり、これを利用する形で1952年に誕生したのが、フィアット初の本格的スポーツカーである、この8V(ティーポ104)だった。
エンジンはV8OHV1996ccで、105HPまたは127HPを発揮。
サスペンションは前後ダブル・ウィッシュボーンで、最高速度200km/hという意欲作だった。
ボディはスチール製で、社内デザイン&生産、車重は997kg。
インテリアも凝っており、特にメーター周辺のデザインは奇抜な印象のものとなっている。
後期型は異径4灯ライトを持つフロントマスクとなり、1954年までに117台が生産されたそうだ。
日本にはザガート製ボディのものがもう1台あるそうだが、フィアット・オリジナル・ボディのものはこれ1台だけだそうで、しかも現車は1955年のミッレ・ミリア出場車だそうだ。
小排気量のV8らしい軽やかな音を発しながら、当時最先端だった空力ボディが走る姿は、それだけで感動的ですらあった。
特に江戸時代の街並みを残す、海野宿では、すっかり景色に溶け込んでいるようにすら思えた。
投稿者 中島秀之 : 00:47 | コメント (1) | トラックバック
2007年05月21日
ジャパン・ヒストリックカー・ツアーが終了!
金曜日にスタートした、ジャパン・ヒストリックカー・ツアー2007が、今日午後横浜赤レンガ倉庫前広場にゴールした。
僕は、ギャラリーの集まる要所要所で、参加車両の解説を行う役を担当。
朝早くから、深夜まで、なんだかんだと仕事があり、今年もハードな3日間を過ごした。
パソコンを持っていったのだが、連日寝不足気味で、ブログを更新することができず、帰宅してやっと更新することができた。
今年のJHCTだが、まず金曜日は、山梨県山中湖畔のホテルをスタートし、いくつかのチェックポイントを通過しながら、長野県の善光寺に向かい、近くのホテルに宿泊するコース。
僕はスタート地点で車両紹介と選手紹介を行い、ゴール地点のホテルでもやる予定だったのだが、駐車場が奥まった場所だったため急遽キャンセル。夜のパーティの司会のみ担当した。
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今年はスタート地点が変更され、まずは山中湖のホテル・マウント富士に参加車両が集結。早朝は素晴らしいお天気で、富士山がくっきりと見えた。
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参加車両とは違うコースで善光寺に先回りし、ちょっとだけ観光&お参りもしてきた。
2日目は、長野、群馬、山梨を巡る長距離ルート。善光寺をスタートし、飯綱高原、戸隠を経由して、万座の山道を経て、海野宿へ。更に甲府の舞鶴城公園にゴールし、湯村温泉郷の常磐ホテルへと向かうコースだった。
僕は、テレビ中継用の取材などを行ってから、海野宿に向かい、到着する参加車両を待ち受けて、車両紹介と選手紹介を、海野宿の資料館の前で行わせてもらった。
またゴール地点の舞鶴城公園でも行う予定だったのだが、海野宿からの到着が遅れ、後半の20台ほどしか紹介できなかった。またこの日もパーティの司会を担当した。
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戸隠高原スキー場のチェックポイントでは、短い距離を指定秒数で走る計測が行われた。また戸隠神社では、代表車のお祓いも行われた。
そして今日3日目は、常磐ホテルをスタートし、途中数カ所に寄って、お昼に横浜赤レンガ倉庫前広場にゴールするコースを辿った。ゴール後参加者は、横浜港内を巡るマリン・ルージュ号に乗り、船内で行われた表彰式に出席。下船後解散となった。
僕は、横浜赤レンガ倉庫にゴールする車両の解説と、参加者の紹介を行った後、マリン・ルージュ号で行われた表彰式の司会も担当した。
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常磐ホテルを出発する参加車両。数台リタイアした車両もあったが、多くが完走を果たした。
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横浜赤レンガ倉庫前広場にゴールした参加者たちは、マリン・ルージュ号に乗って表彰式に参加。総合優勝は、2005年、2006年に続き、フェラーリ250GTピニンファリーナ・カブリオレに乗る大矢さんご夫妻のものとなった。
投稿者 中島秀之 : 00:11 | コメント (1) | トラックバック
2007年05月17日
ジャパン・ヒストリックカー・ツアー明日スタート
明日から「ジャパン・ヒストリックカー・ツアー」 が始まる。
初日の明日は、山中湖のホテル・マウント富士を11時にスタートし、善光寺など長野県内を廻った後、17時頃ホテル国際21にゴールするルートを辿る。
僕は例によって、ギャラリーのいるポイントで、マイクを持って参加車両の説明というか解説をする役で、明日はスタート地点とゴール地点で喋る予定だ。
お近くの方は是非おいでいただきたい。
日曜日に横浜の赤レンガ倉庫広場でゴールを迎えるまで、ハードな行程をこなすことになるが、様々なクルマが出場する予定なので、今から楽しみにしている。
日程やコースなど、詳しくはホームページをご覧いただきたい。
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昨年のJHCTの模様。今年は土曜日が雨の予報だが、できれば全行程がいいお天気で行われることを期待したい。
投稿者 中島秀之 : 21:47 | コメント (2) | トラックバック
2007年05月01日
第2回TMFの番組を収録
3月25日に富士スピードウェイで行われた、第2回タイムマシーン・フェスティバル。
当日は生憎、午前中はひどい雨、午後は深い霧と、最悪に近いコンディションだった。
だが、会場には多くの貴重なマシンが集合し、たくさんの往年の名ドライバーの皆さんが、元気な姿を見せてくださった。
そんな当日の富士スピードウェイの模様を、今年もテレビでお楽しみいただけることになった。
実は今日、都内のスタジオでそのナレーションを収録してきたのだ。
深い霧のため見えにくい部分もあるにはあるが、なかなか面白い番組となっていたので、是非お楽しみにしていただきたい。
放送は、東京メトロポリタン(MX)テレビで5月13日(日)の夜8時からを予定している。
見どころはいくつかあるが、特にロータス77が、雨の富士スピードウェイのストレートを全開で走る姿は、あの1976年のF1世界選手権イン・ジャパンを彷彿とさせ、当時を知る方には涙もののはずだ!
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ナレーションを収録したスタジオのデスクはこんな感じ。
って言っても、あまり面白い画像ではないかな?
投稿者 中島秀之 : 20:40 | コメント (4) | トラックバック
2007年03月27日
Takao Sunday Meetingに出席! その4
3月11日(日)に、京都・高雄パークウェイ小倉山展望台駐車場で行われた、Takao Sunday Meeting。
100台以上が集まったこのイベントの参加車両をご紹介しているが、最終回となる今回は、英国車とフランス車以外のクルマをご紹介しよう。
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国産旧車も貴重なクルマが目立った。
左はトヨタ2000GT後期型とホンダS600、右は珍しい日産サニー・エクセレント・クーペ。
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左は日産シルビアだが、かなりやる気な改造が施されていた。
右はオーナーズクラブから7台が参加したスバル・アルシオーネ。
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ドイツ車の中では、左の古いナンバーをつけたBMW2000CSが目をひいた。
右は、以前ティーポでもご紹介したメッサーシュミットKR200だが、今回は3台も参加。
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ポルシェはナロー911(SWB)と930のカブリオレが参加。
アルファはこのGTAm風にモディファイされたジュリアが一際目立っていた。
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イタリア車は少数派だったが、左のフィアット500はとてもきれいだった。
右のフィアット850クーペは、ルーフキャリアやシートカバーでいい雰囲気。
というわけで、第4回高雄サンデーミーティングの模様のご紹介はこれにて終了。
実は参加者は、お昼前から琵琶湖方面にコマ地図を使ったツーリングに出かけ、夕方解散したそうなのだが、僕はこれには参加せず、京都の街を散歩していた。
結構楽しいツーリングだったそうなので、今度は参加してみたい。
そうそう、4月8日には早くも第5回が開催されるとのことなので、お近くの方は是非参加、または見学に行っていただきたい。
投稿者 中島秀之 : 23:48 | コメント (0) | トラックバック
2007年03月21日
Takao Sunday Meetingに出席! その3
3月11日(日)に、京都・高雄パークウェイ小倉山展望台駐車場で行われた、Takao Sunday Meeting。
100台以上が集まったこのイベントの参加車両をご紹介しているが、今回はロータス以外の英国車をご紹介しよう。
もともとが英国車中心のイベントだっただけに、なかなか興味深いクルマが多くて楽しかった。
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左はヒーレー・スプライトMk2やミニと並ぶ僕のエクセル。
右は、霙混じりの雨の中、レーシングスクリーンで走って来たというカニ目。
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MGBは全部で4台参加。左はコンペティション仕様に改造されたMk.1。
右の2台は僕のと同じウレタンバンパーの最終型。
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新しいモデルまでを含めたら、最も参加台数が多かったのはミニ。
古いモデルも多く、左は3台ともヒンジ付き。その中央は古いナンバーのMk.2クーパー。
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左は極めてオリジナル度の高い2オーナーのジャガーXJ6 Sr.2。
右はやはり非常に美しいXJ6 Sr.1ベースのデイムラー・ソブリン。
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横浜3ナンバーのEタイプSr.1 3.8は、結構有名な個体。物凄く速いとか。
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前日の「町家ですき焼きパーティ」でご一緒した、新潟のクラブ「ジョンブル」のKさん(助手席はTさんで、もうお一人NさんがエランS2で参加)のオースチン・ヒーレー100は、素晴らしいコンディションだった。
Kさんは金属加工がご専門だそうで、燃料タンクや、レスレストン用のボスまで自作されたのだそう。その仕上がりはお見事の一言。
投稿者 中島秀之 : 21:11 | コメント (2) | トラックバック
2007年03月14日
Takao Sunday Meetingに出席! その2
3月11日(日)に京都の高雄パークウェイ小倉山展望台駐車場で行われた、第4回Takao Sunday Meeting。
僕は東京からエクセルで自走で出かけたのだが、今回のこのイベントは、これまでの英国車中心の参加者に加えて、愛知県が地元の有名なアルピーヌのクラブ、クラブ・ゾーンルージュのメンバーも参加して、非常に賑やかなものとなった。
そこで今回は、アルピーヌ系の参加車両をご紹介しよう。
写真はクリックすると大きくなります。
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アルピーヌ系では、A110がエランと並ぶ大量11台も参加。
M63、A106といった貴重なクルマも来場した。
更にV6ターボ、A310V6なども参加。
そしてルノー系でも、R8ゴルディーニは4台、ドフィン・ゴルディーニや5アルピーヌ、5ターボ、クリオ(ルーテシア)V6は5台、ルーテシア16Vなど、スポーツモデルが勢揃いとなって、実に壮観だった。
投稿者 中島秀之 : 22:51 | コメント (2) | トラックバック
Takao Sunday Meetingに出席! その1
この前の週末、久しぶりに京都に行ってきた。今回は、いつものエグザンティアではなくロータス・エクセルで往復したのだが、何故かと言うと、11日の日曜日に行われるTakao Sunday Meetingに参加したかったからだ。
このイベント、京都近郊の方ならよくご存知のワインディングロード、高雄パークウェイの小倉山展望台駐車場にヒストリックカーを集めて行われるもので、今回が4回目の開催とのこと。
主催者が、以前ティーポでご紹介したメッサーシュミットやロータス・エラン、エリート、ヨーロッパなどをお持ちの清水倫正さんで、以前からお誘いを受けていたのだ。
しかも今回は、アルピーヌ・クラブと初めて共同開催となり、相当な数の参加が見込まれるとあって、是非見てみたくなったのである。
で、土曜日の夜は清水さんや新潟から参加のブリティッシュ・ヒストリックカー・クラブ「ジョンブル」の皆さんなどと一緒にすき焼きパーティに参加。
翌日曜日の朝、雨の中高雄パークウェイに向かった。
小倉山展望台駐車場には、既にかなりの数のヒストリックカーが集まり始めており、僕もエクセルを展示させてもらった。
お天気は、雨があがって晴れ間が見えたかと思えば、急に雪が降ったりと不安定だったが、11時頃までに参加車両は100台以上を数えるほどになっていたのである!
ということで、まずは主催者の清水さんのエランを始めとしたロータス関連の車両をご紹介していこう。
写真は全てクリックすると大きくなります。
投稿者 中島秀之 : 00:33 | コメント (2) | トラックバック
2006年12月05日
幻のマシンが走行!
日曜日に富士スピードウェイで行われた、nismoフェスティバルに行ってきた。
1月に放送予定の、J SPORTSの番組「Rev Limit」の取材のためだったのだが、実は取材そっちのけで(!?)で、興奮してしまったクルマがある。
それは、幻のマシンと言われた日産R383だ。
1970年の日本グランプリ制覇と、Can-Amシリーズ出場のために開発されたものだが、どちらも計画が中止となり、一度もレースで使われることはなかった。
その後暫くして、その姿は公開されたが、一度も走る姿は公開されず、今回36年ぶりにレストアされて、お披露目走行が行われたのだ。
開発当時はR382用の6リッターV12エンジンにターボを付けていたが、今回はNAでの走行だった。
ドライブを担当したのは長谷見昌弘さん。
お話をうかがうと、「実はこのクルマで走るために、僕は1970年にタキ・レーシングから日産に呼び戻されたんだよ。実際当時、完成したクルマは見せてもらったんだけど、一度も走ることはなく、それっきりだった。だから今回が36年ぶりのシェイクダウンなんだ」と、嬉しそうだった。
また走行後には、「ホントにシェイクダウンだったね。フロントにサブフレームとかがないから、バタバタ動いちゃうんだ。当時とりあえず撮影用に組み上げただけだったのを、そのままレストアしたからだね。今後ちゃんと走れるように改良されるはずだから、そうなったら凄く速いと思うよ」とも言われていた。
あのまま開発が行われていれば、1970年シーズンのCan-Amで、マクラーレンやローラやシャパラルと、長谷見さんのR383はバトルをしていたかも知れない。
それを思うと、実に感慨深いお披露目走行だった。
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フロントはカウルがバタついてしまって、うまく走れなかったとのこと。
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リアにはウイングがなくスッキリした印象。当時とは異なり、NAエンジンを搭載している。
投稿者 中島秀之 : 01:32 | コメント (2) | トラックバック
2006年10月31日
役得でこんなことを!
先週末にもてぎで行われた、ヒストリック・オートモービル・フェスティバル・イン・ジャパン。
このイベントには、先日書いたように、クラシック・チーム・ロータスの代表である、クライブ・チャップマン氏が来日した。
コーリン・チャップマンの子息であるクライブ氏とは、以前イギリス・ロータス本社を訪ねた際に、2回お会いしたことがあるので、今回は3回目の対面となる。
とはいえ、過去2回は取材だったため、特に個人的なことはお話ししなかったのだが、今回ピットでお会いした時は、図々しくもちょっと個人的なお願いをしてしまった。
それは、我が愛車エクセルのガレージに以前からかけてある、パネルにサインしてもらうこと。
実はこのパネル、僕のエクセルと同じ1989年式のエクセルの雑誌広告をポスター風に印刷したもので、以前イギリスのイベントで買い求め、日本でパネルに入れたものなのだ。
で、偶然なのだがこの雑誌広告、当時チーム・ロータスの本拠だったケタリングハム・ホールの前で撮られた、エクセルと、トランスポーターから降ろされようとしているロータス101ジャッドの写真が使われているのである。
そう、僕のエクセルは、まさに今回のイベントでデモ走行したロータス101と、同じ年にヘセルの本社で誕生した「兄弟」なのだ。
これはもう、クライブさんにサインしてもらうしかないだろうと、つたない英語で、「自分はこの写真のクルマと同じ89年式のエクセルを持っているので、是非サインをいただきたい」とお願いしたところ、快く応じてくださったのである。
それだけでも嬉しいのに、クライブさんは、「今日は乗ってきているのかい? じゃあ見せてくれないか?」と、おっしゃるではないか。
もちろん異存などあるわけなく、我がエクセルを移動してお見せすると、車内を覗き込み、「ずいぶんオリジナルで大事に乗っていますね」とのお言葉。
僕が「97年にポール・マティ・スポーツカーズで買いました」と言うと、「ああ、彼は本当にいい人だよね」と笑顔で答えてくれました。
更に僕が「このクルマが本当に好きなんです」と伝えると、「大切に乗ってくださってありがとうございます」と、お礼まで言ってくださった。
う〜ん、これほどの役得があるだろうか!
すっかり気分よくなってしまった僕は、イベントの2日間、エクセルを駐車している間、フロントウィンドウに例の雑誌広告のパネルをずっと展示させてもらった。
クライブさん、ありがとうございます!
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中嶋悟さんと久々の再会を果たしたクライブ・チャップマン氏。
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クライブさんが僕のエクセルを覗き込んでいる! いやぁ嬉しいなぁ。
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で、すっかり嬉しくなって、第2パドックに駐車している間・・・、
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この雑誌広告のパネルをフロントウィンドウのところに飾らせてもらった。
投稿者 中島秀之 : 11:01 | コメント (0) | トラックバック
2006年10月30日
HAFJが終了!
ヒストリック・オートモビル・フェスティバル・イン・ジャパンが終了した。
2日目の今日は、ヒストリックカー主体のイベントスケジュールで、次から次へと貴重なクルマが登場したばかりでなく、レース形式の走行会では常に面白いバトルが展開された。
僕は2日間、朝から夕方まで喋りっぱなしで、更にブリーフィングや表彰式、そして土曜夜のパーティの司会までを担当したから、いやぁ疲れた!
それでも、なかなかいいイベントができたんではないかと、自画自賛している。
もてぎに観戦にいらっしゃった皆さんは、いかがだっただろうか?
僕個人としては、今回初めて行われたサイドウェイ・トロフィーが、台数も多いし、クラシックな雰囲気に満ちていて、楽しかったと思う。
本当はドライバーさんやメカさんたちのコスプレ(昔風のウェア)もご紹介できると良かったのだが、時間の関係でそれはかなわなかった。
来年はその辺りの配慮が必要かも知れない。
もっともこのレース、某N出版社のS社長(?)のフェラーリ275GTBがオイルに乗ってスピンしたところに、後続のマシンが激突するアクシデントがあり、関係者全員が凍り付くという事態もあった。
幸いドライバーに怪我はなかったのだが、参加台数が多いこうしたレースの場合は、参加者の方に注意していただく他ない。
とにかく安全第一、そして楽しんでいただくことがこのイベントの極意だと思う。
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このイベントのみ、場内放送は、グランドスタンド上の放送室ではなく、コントロールタワーの3階で行う。景色はこんな感じ。
投稿者 中島秀之 : 00:19 | コメント (0) | トラックバック
2006年10月28日
HAMFは初日から全開!
ヒストリック・オートモービル・フェスティバル・フェスティバル初日が終了した。
今日はスーパーカー関連の走行が多かったのだが、お昼のアトラクションではロータスF1のデモ走行と、ジャン・ラニョッティさんのデモ走行が行われた。
中嶋悟さんがロータス100Tをドライブした後、101JUDDに乗り換え、影山正彦さんのドライブするもう1台の101JUDDネルソン・ピケ車とランデブー走行を行い、1989年のグランプリシーンが再現された。
クライブ・チャップマンの見守る前での走行で、見ている我々としても、なんとなく胸が熱くなるような走行だった
