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プライベート カテゴリー

2008年06月09日

ブリティッシュ好きの皆さんへ

僕が大学生の頃だから、今から25年くらい前のこと。
地元阿佐ヶ谷に、僕好みの洋服を売っている小さなセレクトショップがあった。
そこの社長であるKさんは、僕より一世代先輩の方なのだが、洋服や靴、鞄などの知識がとても豊富な方で、ずいぶん色んなことを教えていただいた。
その後バブルの頃に阿佐ヶ谷のお店は閉店し、吉祥寺でバーと子供服のお店などを経営され、僕もよくバーには飲みにいったりしていた。
だが間もなくバーは閉店され、Kさんとお会いする機会もなくなってしまった。
それから10年、いや15年近くが経った一昨年の秋。
たまたま横浜赤レンガ倉庫前で、「あなたが選ぶカーオブザイヤー」のイベント準備をしている時に、偶然Kさんと再会。
その時は、東京都下の羽村と、例の吉祥寺のバーのあったところで雑貨店をされていたのだが、つい最近吉祥寺の方を、以前とほぼ同じ雰囲気のバーに戻された。
お店の名は「BeerPub ROGUE」。
ローグというのは、悪たれとかいたずらっ子といった意味だそうだ。
場所は井の頭公園のすぐ近くで、お店はこんな感じ。

で、先日遊びに行ったのだが、もともとイギリスからアンティーク家具を輸入する商売もされていたこともあって、店内はイギリスの落ち着いたパブそのものといった感じ。
ビールは、ギネスやバスの生のほか、イギリスやベルギーの瓶も選べるし、シングルモルト・ウィスキーの種類も豊富。
フードは、Kさんお手製の魚の燻製を始め、ブリティッシュ・パブの定番的なものが揃う。
なんとなく「趣味でやってる」的な雰囲気は昔のままで、微妙に素人っぽいところが素敵だ。
チューハイなんかはないけれど、英国車やイギリスが大好きという方で、お近くにお住まいの方は、是非寄ってみていただきたい。
詳しくは、「BeerPub ROGUE」 を見て欲しい。


久々に再会した昔なじみが、昔のイメージのまま、同じように頑張っていらっしゃるのが嬉しかったもので、つい頼まれもしないのに、宣伝してしまった!


投稿者 中島秀之 : 19:43 | コメント (4) | トラックバック

2008年01月01日

新年おめでとうございます!

新年あけましておめでとうございます。
寒波が来ている日本列島だが、東京は気温こそ低いものの、穏やかなお正月となっている。
個人的には、昨年は喪中だったため、今年は2年ぶりのお正月という感じだ。
また年末年始は、1年で唯一ゆっくり休みが取れる時期。
年末は殆ど大掃除に時間をとられてしまうのだが、年明けはのんびりと過ごしている。

さてお正月と言えば年賀状がつきものだが、僕は1977年以来ずっと、自動車に関する木版画を作って、年賀状にしてきた。
題材は、午年ならフェラーリ、丑年ならランボルギーニ、平成7年にはスーパーセヴンといった具合に、干支や年号に関するものを選んできた。
もっともここ数年は、時間がないこともあって、木版画を掘って、半紙に刷ったものを、スキャナーでスキャンして、フォトショップで修正した上で、プリンターで印刷するという、アナログなんだかデジタルなんだか、よくわからない方法で制作していた。
でまぁこうなると、「そろそろ版画でなくてもいいか・・・」という気がしてきて、しかも昨年喪中で1回お休みしたこともあって、今年はついに版画を諦めることにした。
ただ、それでも干支に因んだクルマの年賀状は続けたいという気もあり、今回からイラストを採用した。
写真を元に、おおまかなラインを書き、それに水彩絵の具で彩色。
これをスキャンして、文字をレイアウト(ダースー君、協力ありがとう!)、プリンターで印刷する方法で制作した。

因みに今年の干支は子(ネズミ)。
そこで題材は、4世代目が発表されたばかりの、フィアット・チンクエチェントにした。
初代はトッポリーノ(小ネズミ)の愛称だったので、これほど子年に相応しいクルマはないだろう。
しかも、実は今年僕は4度目の年男なので、4世代全部を描くことにした。
というわけで、できあがった年賀状を、ここで皆様への新年のご挨拶も兼ねて、ご紹介させていただこうと思う。
2種類あるのは、文字のフォントの違うタイプを用意したためで、特に深い意味はない。
文字はイタリア語で「新年おめでとう」と「トッポリーノの年」と書いてある(つもりなのだが、間違っていたらごめんなさい)。
またどちらもクリックすると大きくなる。

では皆様、今年もどうぞ宜しくお願いします。


投稿者 中島秀之 : 16:32 | コメント (3) | トラックバック

2006年12月24日

父に感謝

2週間以上、ブログをお休みしてしまい、申し訳ない。
僕にとっては人生で最も辛い出来事が起きていたためで、ご勘弁いただきたい。

実は、父が12月13日に、79歳8ヶ月で亡くなったのである。
僕の父、中島昭夫は、1927(昭和2)年4月に東京・本所で生まれた。
府立化学工業学校(現・都立化学工業高校)在学中、海軍に飛行予科練習生(予科練)として入隊。
土浦航空隊での訓練の後、厚木の第302航空隊に1945(昭和20)年3月に配属になったのだが、運良く飛行機に乗らないまま終戦を迎えた。
戦後は親族を頼り、京都でネクタイ・メーカーへ勤務。
1952(昭和27)年に母と結婚し、4人の子供をもうけた。
1959(昭和34年)に東京に戻り、1969(昭和44)年に独立。
つい最近まで自宅でネクタイ関連の仕事を続けていた。
昨年「原発不明癌」と診断され、今年8月に肺に癌が転移していることがわかったのだが、治療の方法がないとのことで、11月に入院し、それから1ヶ月余で亡くなってしまった。

父は仕事の面では厳しかったようだが、家では子供好きの優しい人だった。
商売柄お洒落で、江戸っ子らしい世話好きな人でもあった。

僕にとって一番大きかったのは、決してマニアではなかったのだが、父がクルマ好きで、運転も好きだったということだ。
僕が生まれた時は、ナッシュ・ランブラーという、かなり珍しいアメリカ製セダンが家にあり、これに乗せられていた。
ただ、東京の狭い道で走ることや、部品の入手が難しくなったこともあり、僕が物心つく頃には、スバル360カスタム(ワゴン)へと替わっていた。
更に僕や姉たちが大きくなるにつれ、スバル1000、いすゞフローリアン、マツダ・初代ルーチェ、日産セドリック230 4HTへと代替わりしていった。
これらのクルマに乗せてもらうのが、僕は本当に大好きだった。
2歳の頃からずっと変わることなく、クルマに興味を示し続ける我が子のために、父はミニカーを買い与えてくれたり、東京モーターショーに連れて行ってくれたりした。
1966(昭和41)年のモーターショーで買ってもらった自動車ガイドブックは、表紙がボロボロになるまで見て、殆どのクルマの車名はもちろん、出力や最高速度、価格などを暗記してしまった。
今僕がこうした仕事をしているのは、間違いなくこの経験があったからだと思う。
そう言えば、僕が高校の時、「3ない運動」と呼ばれたバイクに乗せないキャンペーンがあったのだが、父は父兄会議の席で担任に、「若いうちから運転をきちんと覚えさせないから、下手な奴が増えて、事故が起きるんだ。怪我をして痛い目に遭うのも自分の責任なんだから、バイクに乗せる乗せないを学校に指図される覚えはない」と言ったのだそうだ。
お陰で僕は高校1年からミッション付の原付(ミニトレ)に乗っていたし、それ以前から助手席でずっと父の運転を見ていたので、流れに乗って走ることや、危険の避け方、狭い所で譲り合う時のやり方や挨拶の仕方など、クルマの運転のコツのようなものは四輪免許を取る前から大体わかっていて、実際四輪の運転にはすぐ馴れることができた。
これも父のお陰と思っているし、父の助手席で学んだことは、今でも役立っている。
2004(平成16)年にくも膜下出血を患うまで父はフォード・レーザーを運転しており、その後遺症のために運転できなくなったことを、残念がってもいた。
どんなに具合が悪くても、クルマに乗せてあげると機嫌が良くなり、最後に入院するためにエグザンティアに乗せた時も、身体が痛くて動けないはずなのに、楽しそうに話しをしていた。
遺言らしい遺言を何ひとつ遺さなかった父だが、生前なぜか、「俺が死んだら、お宮付きの霊柩車はやめてくれ。アメ車のいいヤツの寝台型のがいいな」と、それだけは何度か言っていた。
海軍のエラい人は、国産車には乗らずアメリカ車に乗っていたと聞くから、その影響もあるのだろうが、いかにもハイカラなものが好きな父らしい遺言だったと思う。
実際、葬儀の行われたセレモニーホールから近くの斎場までは、キャディラックの寝台型霊柩車に乗せてあげることができた。
位牌を持って霊柩車の助手席に座り、後ろの父の棺に向かって、「キャディラックは乗り心地がいいね」と心の中で話しかけたのだが、父は満足してくれただろうか?

僕が今こうして、自分の好きなことをやって生きていられるのも、父のお陰と本当に感謝している。
ただその一方で、父には何も親孝行らしいことをしてあげられず、本当に申し訳なく思っているし、後悔してもいる。
今になってみれば、もっともっと父とたくさん話しをしておけば良かったと思う。
そしてもっともっと、父をいろんなクルマに乗せてあげれば良かったと思っている。
どうかあの世とやらで、大好きなクルマの運転を心ゆくまでして欲しい。
そして、かつて青春を捧げた飛行機の操縦も久しぶりに楽しんで欲しいと、親不孝者の息子は願っている。


投稿者 中島秀之 : 22:20 | コメント (3) | トラックバック


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