« 2005年5月 | トップ | 2005年7月 »

2005年6月

2005年6月29日

季節が来ると、想い出すこと


とある高速道路のサービス・エリア、23時。
俺はヴェンディング・マシンでカップ入りのコーヒーを
濃いめにして買うと、街灯の灯りの輪から少し外れた
隅っこにあるベンチへ腰掛けた。少し、疲れてた。
コーヒーをひとくちすすり、煙草に火を点ける。
どっちも美味いなぁ……と思った。その瞬間──、

「……ってっ!」

小さなモノが、ペシッと額の生え際にぶつかってきた。
無意識に当たった辺りの髪に手をやると、
薔薇の棘みたいなモノの感触がする。
もしかして、と思った。それが何であるか見当がついた。
思い出した中のどれかだろう、と思った。
コクワガタのメスだった。──やっぱりな。

小学生時代の無邪気だった俺は、
カブトムシやクワガタを捕まえるのが大好きだった。
早朝には山に分け入り、晩には街灯の下をパトロールして、
捕獲してきては専用の“ハウス”に入れて飼育してたのだ。
その結果として夏休みに課せられた自由課題は、
ほぼ毎年決まって昆虫採集だったように記憶してる。
あの頃、俺は日夜研究にいそしむ昆虫博士だったのだ。

瞬時に記憶が蘇ったのは、そのせいだ。
触感が、なんともいえずに懐かしかった。
俺は手のひらに置いたコクワガタのメスをシゲシゲと眺め、
幼かった頃の自分にしばし思いを馳せた。
だが、思い出さなくてもいいことまで思い出してしまった。

俺は今も独り身ではあるが、そういうのとは違って
もっとストレートに独身だった頃のこと。
友達が主催した飲み会でひとりの女性と同席した。

とある有名企業の秘書課で仕事をしていた彼女は、
俺より2つ年下の清楚な感じの美人だった。
ひと月前の飲み会でもさらっと一緒に呑んだことがあって、
そのときの会話の柔らかく知的な感じに少し惹かれていた。
もっと親しくなりたいなぁと思っていた。
もしかしたらその時点で、少し惚れてたのかも知れない。
だからアミダくじで彼女の前の席に座ることができた俺は、
「ああ、なんていう幸運」と内心喜んだのだった。

俺は元々それほど話題が豊富な方じゃないから、
そうした席ではいつもと違って無口になる。
今でもそうだが、酒はひとりかふたりで
しみじみと呑むのが好きだから、
そういう場で何を話せばいいのかが判らないのだ。

だが、彼女はことあるごとに俺に話しかけてくれて、
気配りをしてくれる。笑顔がとっても可愛らしかった。
やばいなぁ。こりゃやばい。うん。やばい。
いよいよ本気で好きになっちゃうかも、と思った。

ひとりの友達がガキの頃の話をしてウケを取り、
その場全体が子供時代の想い出自慢大会のような方向へ
一気に流れたようだったが、俺は彼女にばかり気をとられ、
「ああ、そんなにグビッと呑んだら酔っちゃうぞ」とか
「酒の飲み方、少しは教えてやらないとな」だとか、
既に妄想の世界に飛び込みつつあった。酒ってのは恐い。
だから、「おまえってどうだったんよ?」と
いきなり話を振ってきた友達の声に、
俺は、場慣れしてないこともあり、ついうっかり、
「俺は“昆虫マニア”だった」と告白してしまったのだ。
酒ってのはほんとのほんとに恐い。

迂闊だったとすぐに気づいたが、遅かった。
俺はケチョンケチョンのコテンパンにやっつけられて、
グウの音も出ない状態に置き去りにされた。
これも今でも変わらないが、俺の友達連中は
仲間内の誰かをケチョンケチョンにして
綺麗さっぱり葬り去ることに関しては天才的なのである。
昆虫マニアだったことを告白するなんて、
「餌食にしてください」と三つ指ついて頼むようなものだ。
当然俺はその場にいる総ての男女の笑い者にされ、
たちまち「暗い」「ださい」のレッテルをパーンと貼られ、
さらに黙り込む以外にできることがなくなったわけだ。

だが、それを救ってくれたのは彼女だった。
ロレツはかなりあやしくなってきていたが、
「私、田舎で育ったから、おにいちゃんにくっついて
よく虫を捕りにいきましたよ」
とかばってくれたのだ。周囲は唖然、である。

──なんて勇気のある行為! なんて優しい性格!
俺は惚れた。惚れたぞ。誰がなんつっても惚れたからな。
それに、もしかして彼女も、俺に気があったりする……?
酔った勢いもあって、俺はほとんど勝ったつもりでいた。
帰り道、彼女を送りがてら、正直に口説こう……と思った。
これからの俺は、違う。かなり幸せになれそうな気がする。

だが、世の中というのはそれほど甘くはできていなかった。
彼女は「虫取り、楽しいもんね」と可愛くいい放った後に、
キャハハと鈴の音のような涼やかな笑い声をあげながら、
俺を見つめてこんなふうに続けたのだ。

「カブトムシに紐をつけてグルグル回すの楽しいよね」
……まぁ、それは俺も一度二度はやったことがある。
可哀想に思えて、すぐにやらなくなったけど。うん。
「カブトムシに防腐剤だけ注射して逃がしたこともあるよ。
どこで死んでも、一生腐らないんだよ。きゃはははは」
……死んだ後に“一生”って言葉は
あんまり適切とはいえないような気もしないではないけど。
それにしても、それはやったらダメだろう。
でも、まぁ子供だったしな。知らないってのは恐いよな。
「アブラゼミってほんとに油だから、よく燃えるんだよね。
棒に刺して火をつけると、ボーッて燃え上がるの。あはは」
……ってことは、アブラ性の俺もよく燃えるってわけか。
いや、そういうことじゃなくて。違うってば。
うーむ……酔ってウケを狙ってるだけだよ、きっと。うん。
「カナブンってね、扇風機の中に入れても死ななーい。
カラコロって音がするけど身体が丈夫で足がモゲるだけ。
それをポンって投げるとブーンって飛ぶんだけど、
着地ってできたのかしら。あははははは」
……あんたは西太后か!

──完敗だった。
俺は酔いが極まって正体不覚になった彼女に、
見事に撃沈されて泥のようになった。
自分自身がしょぼしょぼと萎んでいくのを実感した。
そこに至るまでにブワッと膨れあがった明るい近未来が、
ガラガラと音を立てて崩れていく気がした。
本当にガラガラって音がする、ということを知った。

夏が来れば思い出す♪ という美しい歌があるが、
俺は毎年、必ず何かのタイミングでこれを思い出し、
自分の負け続けの人生を、なぜだか、
ほんの少しだけ愛しいように感じるのである。


緊迫した日々

乗るたびに……つまりは毎日のことなんだが
決まって「ターボでもつけられねーかな」と思わされる
スピードの遅い旧式のエレベーターを、
編集部のある4階で降りようとする。
──んごっ! と余計な音だけは威勢のいいドアが開くと、
そこには思念想念雑念怨念の渦巻いている、
グレイな印象をした編集部の光景が広がっている。

……はずだった。だが、俺の目に飛び込んできたのは、
ありえないほどミニ丈の妙にテカテカしたナース服と、
同じくありえないくらいミニ丈のチャイナ・ドレスを着た、
綺麗なおねーさんだった。
慌ててエレベーターの中の表示を確認すると、
やはり自分のフロアだ。
俺は怯んだり戸惑ったりしながら、とりあえず笑う。
当然である。笑う以外に何ができる?

キミは、そんな経験をしたことはないだろうか?
……ないよな、普通は。うん。
だが、俺はある。あるのだ。しかも、やや頻繁に。
エレベーターの扉が開くと同時に驚くようなカッコをした
綺麗なおねーさんが立ってることってのが、
1ヶ月に1回くらいはあるのだ。一番最初のときなんて
「この会社……いつからコスプレ・パブになったんだ?」
と自分の将来を案じたりしたものだ。

ティーポの編集部のあるクリッパーという会社は、
雑誌や書籍をつくるのが業務のメインではあるのだが、
ごく一部に秘密結社のような部署があって、
そこでは若いタレントさんやモデルの女性達を
グラフィカルに見せるグラビア風サイトを展開している。
その名を『トップクイーン』という。

目のやり場に困るような衣装でエレベーターの前にいたり、
つい目で追いたくなってしまうような衣装を着て
編集部のフロアを闊歩したりするおねーさん達は、
そこに登場するタレントさんやモデルさんなのである。
コスプレだったり水着だったり私服風だったり様々だが、
それぞれの女性に合ったキャラづくりをして、
ビルの地下にあるスタジオで撮影するわけだ。

本来、クリッパーという会社は、
徹夜仕事のおかげで朽ち果ててるスタッフ達が
床の上にびろーんと伸びていたり、
ゴルゴ13に眉間を撃ち抜かれたときのスタイルで
仕事机の前で座ったまま意識を失ってたりする場所である。
資料を漁るために本棚の裏に回ったら、
その棚の1段をベッド代わりにして
器用に寝てるヤツがいたこともあるような場所である。
それが、あるべき姿といえばあるべき姿なのだ。

片隅の社長室には床と比べれば少し快適なソファがあって
スタッフ達にとっては上等な部類の寝床になるから、
先着順やチカラ関係などで徐々に埋まっていき、
通常の始業時間には必ず何人かが討ち死にしている。
“霊安室”と呼ばれているのは、そのためだ。

ところが月に1〜2度、霊安室のドアには
写真のような紙が貼られ、男子禁制の場となるのだった。
撮影のために来るモデルさん達の控え室兼更衣室として
使われることになるのである。
薄い壁たった1枚隔てたその向こう側で、
綺麗なおねーさん達が服を脱いだり着たりしてるのだ。
このドアが唐突に開いて、コスプレ美女が
編集部のフロアに歩み出てきたりするわけである。

これはツライ。ほんとうにツライ。
なにせ霊安室のドアは、俺の背後3mほどのところにある。
ドアの音に反応してうっかり振り返ったりしたら、
おねーさんに悟られる……どころかバレバレじゃないか。
その瞬間、もし目が合っちゃったりしたなら……どうだ?
「一目あったその日から、恋の花咲くこともある」
なんてフレーズが頭に浮かんでくる人もいるだろうが、
この場合、咲くのは恋の花のような甘いものではなく、
『すけべオヤジ1号』というような、
それほどありがたいとは感じられない称号だろう。

しかもこの撮影の日は、
フロアにいる男衆の全員が密かに心躍らせながら、
そのドアの開閉音に意識を集中している。
カタンと音がした瞬間、こっそりと上目がちの視線が
ブワッ! と集中砲火のように向くのが判る。

俺の机は、その視線の経由地点に位置してるのである。
しかも、しっかりとスタッフの方に向くように配置されて。

これはツライ。ほんとうにツライ。
もしそのときに俺がドアのほうを振り返っていたら、
ヤツらにまで悟られる……というかバレバレじゃないか。
元に向き直ったときに誰かと目が合っちゃったりしたら、
『やっぱりすけべオヤジ1号』というような、
それほどありがたくない称号が勝手に一人歩き、である。

そういうわけだから、俺は振り返るに振り返れないのだ。
なにも俺は枯れてるわけじゃないのである。
気合いも根性も体力もないのは認めるが、
俺は枯れているわけではないのである。くどいようだが。

それにしてもツライ。ほんとうにツライ。
集中力が低下して「ついうっかり」が頻発しがちな
徹夜明けとかだったりすると、もっとツライ。

日々『生きる』というのは、実は緊張感の連続なのである。



2005年6月28日

“魔女狩り”を受ける男


レーシング・ドライバーの滑川健くんが編集部に来た。
この男、ウデはちゃんとしてて乗れば速いのに
どういうわけか浪人中で走るシートがない。
もちろんレースの世界で生きていくことは譲れないけれど
クルマに乗ってモノを書く勉強もしたいということで、
こうしてひょっこり姿を現すことが多い。
……というか、かばったところで結局はバレるだろうから
この際ハッキリいうが、要するに果てしなく暇なのだ。

スタッフ達に“ナメちゃん”として親しまれてる彼は、
体育会系の縦社会の中で揉まれて生きてきた、
男としては気持ちのいい人間である。
人柄に関しても、なかなか「いいヤツ」といえる部類だ。
まぁ人生を投げたわけじゃないんだろうが、ときどき、
どうしてそこまで捨て身になれるのかさっぱり判らない
ギャグだかマジだか判断に苦しむボケをかまして、
端で見ている分には、楽しく笑える。
俺も存じ上げている彼の支援者のひとりなどは、
マジメに“お笑い”に転向させようと考えてるほどなのだ。

ナメの最大の問題点は、タイミングが悪いということだ。
GT選手権に出てるときも、彼が乗るタイミングで
いきなりブレーキがなくなってクラッシュしてみたり、
それだけならまだしも……いやいやいやいや、
ヤメておこう。ミミズだってオケラだってアメンボだって
みんなみんな生きているんだ友達なんだ、という歌もある。
彼の人生を台無しにする権利など俺にはない。
とにかく彼は身体を張って生きてるし、タイミングが悪い。
今日も締切の真っ最中、スタッフの誰も彼もが
延々と仕事をし続けてひっちゃきを極めてる中、
いきなりどこかから湧いてきたみたいにして現れた。

だが、俺はこうしたときでも、相手が誰であれ
絶対に最低限5分はつきあう、と自分に課している。
自分以外の別の人の存在というのは、
この仕事の……いや、生きるうえでの財産だからだ。
そういうわけでヴェンディング・マシンでコーヒーを買い、
ナメを喫煙所に連行して休息をとることにした。

ナメは、ふざけるついでに生きてるように見えるのだが、
これでも彼なりにマジメにがんばっている。
こうして話をしてると、どんな感じでスポンサー活動をし、
相手にメリットを持たせるためにどう苦心しながら動き、
どんなふうなトレーニングをどう繰り返し、
再びシートを得る日に備えているのかが伝わってくる。
俺がいうべきことではないから詳しくは語らないが、
彼は内に秘めた情熱と根性では誰にも負けてないし、
驚くほどのがんばり屋なのだ。
結果がまだ出てないだけなのである。

そんな会話の中で、トレーニングを兼ねて
ウェイクボードをやってるということを聞いた。
前述の支援者の人達と一緒にいったりしてるのだという。
「あの人はすっごく上手いですよ。ビックリするくらい。
どんなふうにだってジャンプできるし、ほとんど名人です」
「へぇー。ほんじゃナメも飛んだりできるわけ?」
「いやぁ、僕はまだほんのちょっとです。
撮ってもらった写真見ると、へっぴり腰だし」

たったひとつの言葉が頭にこびりついて
どうしても消えていかない、ということがある。
このときがそうだった。
俺はその後に続くナメの言葉など全く耳に入らなくなった。
無意識に考え込んじゃったのである。

へっぴり腰……。

お得意のカシオ製の広辞苑によれば、
“身体をかがめて後へ尻をつき出した腰つき。
おちつきや自信のない腰つき。およびごし”と書いてある。
漢字をまじえて書けば『屁っ放り腰』となる。

ということは、汚い話で誠に恐縮だが、
あの情けない姿の代表といわれる“へっぴり腰”の語源は、
“屁を噴出させるときの腰つき”なのだろう。

俺は考え込んでしまった。だって納得できないじゃないか。
この世の中に果たしてどれくらい、
あんなカッコをして屁を放出してる人がいるというのだ?
俺が世間を知らないだけなのかも知れないが、
へっぴり腰をして屁をしてる人を、一度も見たことがない。
あの姿から背筋を伸ばし丹田に気合いを込めてするような
勢いのある屁というのも、まず耳にはできない。
もはや“へっぴり腰”とは、
本来の意味を失ってしまった言葉なのではないか──?

疑問を解決できないまま、放っておくことはできない。
まだ隣で何かを述べてるナメを制し、まずは聞いてみた。
「ナメ、おまえさぁ、屁ぇーするときって、
へっぴり腰になったりする?」
「屁ですか? 僕は屁なんかしません。ははははは」
俺の殺意に気づいたのか、彼は慌てて続ける。
「いや、そっくりあのカッコじゃないですけど、
普通はするでしょ、へっぴり腰」
なにぃーっ!? ナメ、おまえというヤツは……。
「普通はしねーだろ、へっぴり腰で屁なんか」
「そんなことないですよ。しますよ普通へっぴり腰」

ますます納得できない俺は、ナメを編集部内に連行した。
「おいおい、聞いてくれ。ナメのヤロー、
屁をするときにへっぴり腰になるんだってさ」
「うわっ! マジすか? ナメちゃん、やっぱオカシイ」
「普通しないですよ、あんなカッコ」
「周りにいる? そういうカッコして屁をするヤツ」
──ケチョンケチョンである。
俺は飢えた猛獣の中に餌を投げ込んだようなモノだ。
この時期のティーポのスタッフは、無意識に、
溜まりに溜まったストレスのハケグチを探してるのだ。
ナメ……。なんとタイミングの悪いヤツ……。

“へっぴり腰で屁は放出しない”で、すんなりまとまった。
ナメは必死になってへっぴり腰をアピールしたが、
写真のように見事全員にそっぽを向かれている。
へっぴり腰で屁を放つことを主張しただけで、
全人格が否定されたような扱いを受けているのである。

中世の魔女狩りもこんな感じではじまったのではないか?
と少し反省するような気持ちにもなったが、
まぁ相手はナメである。がんばり屋だから大丈夫だろう。
俺としては最大の疑問が解消できて、
まぁそれほど悪くない気分ではある。
──ああ、スッキリした。


2005年6月25日

ある戦い


俺は自宅に持ち帰った愛機PowerBook G4-12の前で
頭を抱え込んで、小さく溜息を吐き出した。
気分を変えようと自宅にMacを持ち帰り、
ちゃかぽこと快調にキーボードを鳴らした深更の時間。
書き上がった『随筆』をササッとアップしたら
ビールでゴキュゴキュッとノドを鳴らし、
ンゴーッ! と勢いよく眠りに入ろうと思ってたのに、
『随筆』のアップだけができない。これで3回目だ。

愛機PowerBookはあれ以来、絶好調だ。
メイルの送受信はできる。ネットにはつながってる。
アップ用のプラットフォームにだってちゃんと辿り着ける。
だが、そこから先がダメだ。なぜかログインができない。
仕事場だといつだってすんなりログインできるし、
自宅でも入っていけることのほうが多い。
なのに、ときどき意地悪するみたいに通せんぼ、である。

後になって考えてみれば、自宅から徒歩3分だ。
仕事場に移動してアップだけすませば問題は何もない。
だが締切続きで極端に睡眠のたりない頭に、
そうした建設的な発想というモノは生まれてこない。
こういう時期のボケっぷりといったら、
とても常人には計り知れない遙か高みにあるのだ。
ヴェンディング・マシンでカップ入りのコーヒーを買い、
何を思ったかカップを取り出す前に再びコインを入れ、
コーヒーがなみなみと入ったカップの上に
新しいカップがポチャッ……ってのも一度や二度じゃない。

こうなりゃこっちも意地だ、という気持ちもあった。
俺は何とか原因を突き止めようと、配線を見直したり
電源を切ってみたり入れてみたりあれやこれや、
それも何度も何度も繰り返してみた。……ダメだ。

ふと気づくと夜が完全に明けていた。すでに土曜日。
金曜夜の更新ができなかったことになる。
俺はたちまち、ものすごい徒労感に襲われた。
イライラを通り越して、えへえへ……と笑い出したくなる。
俺に残されていたのは、笑うことだけだったからだ。

待てよ……と思った。
このやるせない気持ちをはらす手段がひとつだけあった。
先日、俺が発熱して寝込んでたとき
くだらないケータイ・メイルを延々と送り続けたばかりか
別の友達までそそのかしてメイル責めにしてくれたヤツに、
いまこそ恩返しするときだ、と考えたのである。
メイルは普通に送受信できる状態にあるのだから。

俺はPowerBookの中に何か適切なファイルはないか、
あれこれ考えながらマウスを駆使して探しまくった。
……ん? これだこれだ。これがいい。

俺はファイルをクリックした瞬間に
「ヨ〜ロレイヒィ♪」というようなヨーデルの調べで
「ビールは別料金♪」と歌う高らかな声と
「食べ放題♪」という合唱が唐突に流れるファイルを
まとめてメイルに貼付して、送りつけることに決めた。
通称『焼き肉ヨーデル』、正式名称を『ヨーデル食べ放題』
というコミカルな曲(註:これ最高!)のモノマネを
別のカテゴリーの友達がふざけて録音したもので、
聴いた瞬間にすべての気力が萎える、
何ともマヌケだが恐るべき破壊力を持つファイルなのだ。

ヤツは“夜の生き物”である俺とは違って、
朝から猛烈にバリバリ集中して仕事をするタイプである。
しかし果てしなく単純で、好奇心が異様に強いから、
送られてきた貼付ファイルを無視することはできない、
という性質であることも俺は知り抜いている。
集中力が途切れると復帰に時間がかかることも。
しかもヤツの知らないアドレスから送信すれば、
相手が誰だか判らず、手ひどいお返しなどできないはず。
そろそろ自宅に構えたオフィスで動き始める時間だ。
……これでも食らえ! いっひっひっひ。

俺はPowerBookの電源を落とすと、
ちょっと安心した気分になってベッドに横になり、
そのままスヤスヤと数時間の仮眠に入った。
そして短いながらも充実した睡眠からさめると、
俺はあることに気づき、再びPowerBookの電源を入れた。
あのときに俺をメイル責めにしてくれた、
復讐せねばならない相手はほかにも山ほどいたのだ。
俺は同じ手口で「ヨーロレイヒィ♪」を、
10人ほどの友達に送りつけた。いい気分だった。

だが、それから約20分後に、俺は青ざめることになる
愛機PowerBookがメイルの受信を知らせる
「クポッ」という音を立て続けにたてはじめたのだ。

──ヤツらだった。なぜだか、ヤツらだったのだ。
誰にも知らせてないアドレスから送りつけたのに、
ヤツらは送信者が誰であるかを知って返信してきてる。
しかも、いつかの飲み会で下からアップで撮られた
俺の鼻の穴をアップにした写真だとか、
酔ってツブレて居眠りしてる別の友達の顔面を
余ったパセリやツマやホッケの骨やケチャップなどで
デコレーションした写真といった具合の、
できることなら見たくない写真ばかりを貼付して……。

いったいなぜ犯人が俺だとバレたのだろうか──?
あれこれと原因を考えてみた。答えは簡単だった。
寝起きでボケてたせいか、俺は普段使ってるアドレスから
ヤツらに復讐メイルを飛ばしていたのだ。何たる不覚……。

あれから約12時間。俺達の不毛な戦いは続いている。
とてもここには書けないようなファイルが飛んでくるほど、
戦局はエスカレートしてきている。
そろそろ、俺の手持ちのタマは尽き果てようとしている。
またしても連合軍対俺ひとり、なのだ。

こうして俺の原稿は、どんどん遅れていく……。

2005年6月24日

いちばん悪い癖


「なくて七癖」とはよくいわれる言葉だが、
ふと俺のいちばん悪い癖はなんだろう、と考えた。

真剣にモノを考えはじめると眉間にシワがよって、
気づくと誰かの顔面を凝視してたりすること──?
クルマに乗ってて渋滞に突入すると、
いきなり鼻の穴をほじりたい衝動にかられること──?
意味もなくテレビの中の人に文句つけたりすること──?
服を全部脱いでまっぱになった瞬間に、
無意識に狸のようにポンとハラツヅミを打つこと──?

んーん。……なんだか情けなーい気分になってきた。
ほとんど典型的な“オヤジ”じゃないか。くそっ。

だが、次の瞬間に頭に浮かんだこっちのほうが、
俺にとってはもっと深刻だった。
俺は割とほけ〜っとした性格をしているので
誰かを「コイツは嫌いだ」と感じることは滅多にない。
だが、これを癖といえるのかどうかは解らないが、
どういうわけか「嫌いだ」と思った相手と
同じクルマに乗るのだけはイヤでイヤでしょうがない、
と思い込んでしまうところがあるのだ。

誤解のないようにこれだけはいっておくが、
そのクルマそのものが嫌いになるというわけではない。
おそらく「そんなヤツと一緒」がイヤなのだ。
俺はヒトに対するのとほとんど同じように、
「このクルマ嫌い!」って感じることはほとんどない。
だからときどき、始末に負えない気分になることがある。

最も近いところでは、ポルシェ・ボクスターがそうだった。
俺はポルシェには延々と憧れ続けている。
20代の頃からバカボンのパパと同い年の今まで、
ポルシェというメーカーには畏敬の念すら抱き続けている。
911は死ぬまでに一度は手に入れたいと思っているし、
914や924といったモデルも最近の俺に妙に刺さる。
叔父貴がカイエンが気になっていると言い出せば
ディーラーまで喜んでくっついていった。
ボクスターは初めてステアリングを握ったときから、
実は誰が想像するよりポルシェらしいパフォーマンスと
フィーリングを持っていることに感銘を受けていた。
手頃になり始めてるユーストカーも、
抜群にトータル・バランスを上げたニュー・モデルも、
黙っていたが非常に気になってるモデルなのである。

なのに、人生というヤツは残酷だ。
最近たまたま知り合ったボクスター乗りが立て続けに、
途轍もなくイヤ〜なヤローだったのだ。
とことん善人ヅラをしてるくせに裏にまわれば
人を裏切って泣かせて平気でいられるようなヤツとは、
とてもじゃないが友好的につきあう気なんてしない。
悪人なら悪人らしくしてろコノヤロー、と思う。
これが血気盛んな頃だったら何も考えずに身体が動き、
胸ぐらつかんでコテンパンにのしていたか、
ペシャンコにのされていたか、どっちかだったに違いない。
いや、……のされちゃうほうに1000点! だな、やっぱ。

あんなヤツらに乗られてボクスターが可哀想とは思ったが、
同時に俺の中ではボクスターに対する気持ちはそのままに、
けれどヤツらと同じクルマに乗るのはイヤだなぁ、
という想いが無意識に芽生えてきてしまった。
こうした気分は経験上、しばらくの間は続く。
それは結構な葛藤である。

俺の最大の特徴のひとつとして、
どうでもいいことをウジウジ悩む、ということがある。
……お? これも“悪い癖リスト”の上位に挙げられるな。
いや、まぁそれでともかく、悩み込んでいたわけだ。

だが、救世主というのはいるもんだ。
ポルシェが『ケイマンS』を発表したのだ。
今年の11月から発売に移されるケイマンSは、
ボクスターに似ているがボクスターではない。

オープン・エアが手に入らないのは悔しいが、
ケイマンはその分ボディ剛性を強力に確保した
2シーターのクーペ・モデルであり、
グランドツーリングに便利そうな
大きなテール・ゲートだって備えている。
きっとボクスターよりも俺の使い方に合っている。
しかも、このリア・ビューを見て欲しい。
グラマラスだが適度に引き締まったラインが、
とっても魅力的だとは思わないか?
俺には911よりも魅力的なスタイリングに思える。

しかもエンジンは新開発のボクサー・ユニット、
3.4リッターの6発、295PSの340Nmだ。
最高速度は275km/h? そりゃもう充分だろ。
0-100km/h加速タイムは5.4秒?
ふむ。立派な高性能スポーツカーじゃないか。
アシだって抜かりはないに違いない。
これはまたとっても魅力的なモデルが出たものだ。
ボクスターが元々そうであるように、
いや、おそらくそれ以上に、コイツがとことん
“ポルシェである”ことは間違いない。
1日でも早く乗ってみたくて、もうウズウズしてるのだ。

ふむ……。ケイマンS……。
そうだ、ケイマンSがあるじゃないか。ふはははは。

ここで俺は、ちょっとしたことに気づいてしまった。
俺には、状況も環境も経済状態も何もかも、
それらをひとつとして深く考えることなく、
次から次にクルマが欲しくなってしまう癖がある。
しかも、ほとんどの場合はかなり真剣に考えていて、
ほとんどの場合は買うに至るまではいかないものの、
ほとんどの場合は買った気分になって頭の中で
笑ったり喜んだり困ったり怒ったりしてるのである。
直さにゃならないクルマが
たっぷりと待っていてくれるというのに……。
ああ、エラン……。ああ、164……。

間違いない。これが俺のいちばんの悪い癖だ。
“悪い癖リスト”の最も上に君臨するのは、
次から次に「あぁ欲しい」というところからくる
ワケの解らない夢想癖である。
なるほど、クルマが増える一方……なわけだ。

俺は自らの疑問が氷解して、少しホッとした。
本質的な解決になってないじゃないかと指摘されたら、
返す言葉はこれっぽっちもないのだが。

だけどさぁ、キミだってそうでしょ? そうでしょ?
俺だけじゃないよね? ね? ね? ね?

2005年6月23日

余計なお世話だっ!!


どーゆーわけか書き込んだ『随筆』をアップできず、
自宅のあれやこれやと格闘して明るい朝を迎え、
不完全燃焼のまま目覚めた不機嫌な昼過ぎ。
路上のヴェンディング・マシンにコインを放り込んで
アクビをしながらボタンを押したら、
見慣れたような見慣れてないような箱が落ちてきた。

……なんだこりゃ?

最初はシールでも貼ってあるのかと思って爪を立てたが、
カスッカスッカスッとすべるばかり。
俺はラッキョの皮を延々むき続けてキィーッ!
と怒り出す猿の気持ちを、初めて理解することができた。

……なんだこりゃ?

表側には、こんな文句が並んでいた。
「喫煙は、あなたにとって心筋梗塞の
危険性を高めます。疫学的な推計によると、
喫煙者は心筋梗塞により死亡する危険性が
非喫煙者に比べて約1.7倍高くなります」

おかげさまで俺の不機嫌も約1.7倍高くなった。
余計なお世話、である。
俺は好き好んで煙草を吸ってるのだ。
時代遅れもいいところなのは解ってる。
身体によくないといわれてることも解ってる。
嫌いな人にとっては大迷惑。それだって解ってる。
自分が愚かだということは、百も千も承知してる。

だけどさぁ、好きなんだからしょーがないじゃん。

ただ何となく習慣で……ってのとはワケが違うのだ。
それが証拠に「吸いたい」と感じたときには
100m離れた場所に歩いていってでも吸うが、
気がのらなかったりすると1本たりとも吸わない、
という日だって実は少なくない。
酒をヤメるか煙草をヤメるかと問われたら、
即座に「酒やめる!」と返すだろう。

喫煙者にとっては住みにくい世の中になったもんだが、
まぁそれは仕方ない……と納得できなくもない。
他人の健康をむしばむ権利など誰にもありゃしないのだ。

だから俺は煙草を吸わない人の家では絶対に吸わないし、
クルマの中に吸わない人が同乗しているときには、
居眠り運転しそうなときの緊急避難以外には吸わない。
お酒中心の飲み屋さんやファミリーレストランの喫煙席は
別にして、モノを食べさせる店の中でも吸わない。
灰皿が置いてある場所であったとしても
近くに小さな子供や妊婦さんがいたらやっぱり吸わない。
威張って語りを入れるまでもない当然のことだけれど、
喫煙者に課せられた義務を自然に果たす癖はついている。

マナーを守れない情けないヤツらがまだまだいるのは
重々承知してはいるが、そういう輩は煙草に限らず
すべてにおいて浅薄で気づかいがたりていない。
あくまでも個としての人間性の問題だ。
近頃の標準的な喫煙家は糾弾されることを体験してるし、
自分達の立場が弱いことも認識してるし、
いわれてることが正論に近いのも知ってるから、
ごく自然に“考えて”煙草を吸うようになってると思う。
煙草を吸う人間のほとんどは、
“吸わない人間の権利”を主張する人達とは違って、
“吸う人間の権利”をヒステリックに叫んだりせず、
おとなしく寡黙にして耐えているのである。
にも関わらず、この仕打ちだ。

……なんだこりゃ?

『ど根性ガエル』の町田先生ではないが、
キャメルひと筋そろそろ25年である。
恥ずかしながら告白すると、
最初はチャンドラーの小説に出てくる
あの放言癖のある探偵に憧れて手にしたのだが、
いつしかキャメルは俺にとって欠かせないモノになった。
鼻孔を抜けるときの濃厚な甘い香りと
舌に残るざらざらとしたホロ苦さは、
いつだって俺の気持ちを癒してきてくれた。
キャメル以外の煙草を、それほど吸いたいとも思わない。

どこか牧歌的で間抜けな風体のラクダを見ると、
それだけで心が落ち着いたような気になったりもした。
ブラウンとベージュのパッケージが、目に安らぎをくれた。
俺にしてみれば、気に入った絵画が
いつだってポケットにあるような喜びだった。
煙草のパッケージは、アートみたいなもんなのである。
ボケーッと眺めているだけで、
気分がすっきりと柔らかくなったりするものなのだ。
にもかかわらず、この仕打ちである。

……なんだこりゃ?

パッケージに無視できないほどデカデカと印刷された、
どんな馬鹿でも知ってるダメ押しの文言。
余計なお世話を通り越して悪意すら感じられるじゃないか。

煙草の危険性を説くのを「アホらしい」とはいわない。
だが喫煙者の多くにとっては、全く意味をなさないだろう。
吸うも吸わぬも俺達自身のチョイスなのだし、
吸う人間はこんなこと、耳タコなほど聞かされてる。
知らずに煙草に火をつけるなんてことは、今の世の中、
絶対と断言していいほどあり得ない。

何とあんぽんたんなお役所仕事!

世界的にすべての人間を煙草と無縁にしたいのであれば、
いっそのこと売るな。地球規模で栽培を禁止しろ。
麻薬のように取り締まってみろ。
こんな下らない法改正に税金を使ったりせず、
この世から煙草を撲滅してしまえば、
誰だって泣く泣く諦めざるを得なくなる。そうだろう?

今、俺は自分の心の中の何か大切なモノに、
思い切りヘタクソなラクガキをされたような気分でいる。
馬鹿であることは承知である。承知はしているが、
それでも俺は、珍しく心の底から怒ってる。
煙草を吸うなとたしなめられるだけならまだしも、
こうしたヤリ方が気にくわない。
ああ、何だかウジウジと煮え切らなくて男らしくねぇ。

くっそー。次の休日には絶対、
シガレット・ケースを買いにいってくる!

2005年6月22日

ケーサツに囲まれちゃった日


「なんだまぁよぉ、すげぇのがきちゃったなぁ、はぁ」
「こりゃいったいなんてクルマだ?」
「んー? まさらち? まさらちだってよぉ。わはははは」

おいおい、おっさん。マセラティだってば。
──とクチを開きかけた俺は、
1年に世界でたった25台、合計50台のみしか
デリバリーされることのない貴重なクルマのシートに座り、
ギリギリで言葉を飲み込んだ。危ないところだった。

なにせ俺は、このおっさん達の着ている“制服”とは、
それほど相性がいいとはいえない。
制服の中のヒトのパーソナリティは脇に置くとして、
できることならその制服とバッタリ出会うことは避けたい、
と願うこと関しては人後に落ちない。

にも関わらず、そのブルーの制服に白いヘルメットを
身につけた屈強そうに見える男達は、
どこからともなく次から次に湧いてきて、
マセラティをわらわらと取り囲むのである。
お……俺はまだ何もしてないってば……。

俺達『マセラティMC12』取材隊は早朝に東京を出発し、
ワンボックス・カーにスシ詰めになった状態で、
午前11時にスポーツランドSUGOに到着した。

俺にはこのとんでもないマシンのパフォーマンスを
フルに引き出す技量など、残念ながら備わってない。
コイツをサーキットで転がしたい欲求はもちろんあるが、
そんなことをしたら本当に転がってしまうかも知れない。
“世界にたった50台”を“たった49台”にしたら、
俺は間違いなく世界中の非難のマト、
マセラティの歴史に名を残す人物になるに違いない。
というわけで、俺はしょっぱなから自分で乗るのを諦めて、
影山正彦さんにステアリングを握ってもらうことにした。

影山さんは、予選仕様1200馬力のグループCの怪物を
ねじ伏せながらレースを戦って戦績を残してきた、
とても同じ“ヒト”とは思えない人物だ。
1998年のル・マン24時間耐久レースで日産R390を駆り
総合3位の表彰台に登ったばかりか、
2000年には“ガラスの”と形容できるほど
ミッションが脆かったパノスLMP-1で、
ワークス・チームが3回もミッション交換するのを尻目に
マシンをいたわりながら無交換でゴール、
総合6位に入賞までしてしまうという結果を残した
クルマに優しいレーシング・ドライバーでもある。
怯む必要なんて、これっぽっちもない。

だが影山さんと俺は、SUGOのパドックに到着すると、
いきなり怯むことになる。
どういうわけか、白と黒にペイントされたクルマ達が
中央にデーンと鎮座していたのだ。警察車輌である。

影山さんは、ブルーの制服や白黒のクルマとの
相性の悪さに関しては、俺ごとき問題外であるどころか、
余人の追随をこれっぽっちも許すことはないだろう。
本人はあまり多くを語らないが、
影山さんにはヤンチャ時代の言い伝えがたくさんある。
湘南地方では“生きた伝説”にすらなっているらしい。
そのウワサのひとつひとつについては
ウラをとったわけじゃないから公表することはできないが、
ウラがとれたからといって、やはり公表はできないだろう。
俺はこの歳で体育館の裏に呼び出されたくはない。

「影山さん……何かやったでしょ……?」
「何もやってないですよ。嶋田さんじゃないの?」

どちらも何もやってなかった。当然である。大人だもん。
だが、それでも白と黒のクルマが放つ存在感は、
何もしてなくてもバツが悪くなるくらいに威圧的だ。
聞けば、とある県警の高速機動隊が
コースを使ってドライビングの訓練をしてるらしい。
ふーん。ニッポンのケーサツもがんばってるわけだ。

なぜだかホッとしたような気分になった俺は、
さっそく積車屋さんの箱型トラックからMC12を降ろし、
撮影の準備を進めようとピット・ガレージに
ゆっくりゆっくりと注意深く転がしていった。
すると、どこからともなく青い制服が湧き出てきた。

彼らはマセラティMC12の周りにわらわらと群がり、
「へぇー」とか「ほぉー」とか「ふぅーん」とか
言葉にならない声をあげながらニコニコと観察している。
ポケットからケータイを取り出して、
シャキィ! と記念撮影している人もいる。
無敵の高速機動隊を張る猛者達とはいえ、
やはりクルマが好きなんだなぁ……と少し嬉しくなった。

年かさの人の好さそうなおっさんがニコニコしながら、
コクピットに潜ってる俺に親しげに話しかけてきた。
「これはどこの国のクルマなの?」
「ああ、イタリアです。マセラティっていうメーカーの」
「なるほどなぁ。……いくらするの?」
なにが“なるほど”なのか考えながらも俺は答えた。
「そうですねぇ。家一軒分くらいですかねぇ」
「すごいなぁ。1000……いいや、1500万くらいかぁ?」
い……いや、それはちょっと基準がちが……。
俺が間違ってた。配慮に欠けていた。ごめんなさい。
「おおっ! これはすごいなぁ。スピード・メーター、
360キロだよ360キロ。自分は出したことないなぁ」
い……いや、普通は出したことないです。俺もないです。
「これで来られたら敵わんなぁ。たぶん追いつけないよな」
いや……あんまり来ないし、絶対に追いつけないです。
「これじゃあ訓練しても意味ないなぁ。わっはっはっは。
こういうパトカー用意してもらわないと。わはははは」
いや……お願いだから俺達の税金でこんなすげーの
買わないでください。いろんな意味で恐いから。

制服のおっさん達はクチグチに
「すげえもん見せてもらっちゃったなぁ」「わははは」
「追いつけねえなぁ」「わはははは」
「見ないふりしかねえか」「あっはっはっは」
「俺なら家を買うけどなあ」「あっはっはっはっはー」
と話しながら、みんなであっちに行ってしまった。
彼らの人柄に好感を覚えて妙に何かを反省しながらも、
俺はボンヤリとこんなことを考えていたのだった。

だいじょーぶかぁ、ニッポンのケーサツ……?

2005年6月20日

25年目のヤモリくん


あと少しで黄昏を迎える18時、
ずいぶんと日が長くなったことに軽い驚きを感じながら、
俺は千駄ヶ谷の国立競技場の正面入口に向かって、
スロープをだらだらと歩いて登ろうとしていた。

いや、なにも競技場のトラックで走ろうってわけじゃない。
俺はそんなふうに健全にはできてない。
かといって、ビール片手にスポーツ観戦するつもりもない。
俺はそこまで不健全にはできてない。
新型アウディA6アバントのお披露目が行われる、
トラックの地面を目指していたのである。

入口に向かって登っていくスロープには、
現在のアウディのラインナップが
上手い具合に間隔をとって、目に心地よく展示されていた。
歩いて登っていくときに、人の視線はどう移るのか、
ということを踏まえたうえでの配置である。
アウディ・ジャパンのこうしたイベントは、
いつも決まってさりげなくセンスがいいのだ。
予算ももちろんかけてるのだろうが、
ブランド・イメージを押しつけがましくなく柔らかく、
けれど正確にまっすぐに伝えようとする情熱と心配りは
さらにその上をいっていると常に思う。
アウディを愛してるんだなぁといつも嬉しい気分になる。

そんなとりとめのないことをツラツラと考えながら
坂道を登っていくと、俺はあるモノに気づいて、
足を止めてシゲシゲと見入ってしまった。

トカゲがクルマに貼りついてる……。

スロープに展示されているクルマのボディ・サイドに、
デカデカと黒いトカゲのデカールが貼ってあるのだ。
トカゲの横には『25 quattro』の文字──。
それを見た瞬間に、俺は「ああ!」と膝を叩いた。
ボーッと立っていたので正確にはフトモモだったのだが。

そう、アウディ・クワトロは今年で25周年を迎えたのだ。
その祝福のためのイメージ・キャラクターが、
このトカゲくんというわけだ。

いまさら俺がここでアウディ・クワトロの凄さを語っても、
それは大した意味など持たないだろう。
「クワトロすげー!」なんてことは、
考えてみれば俺だって20年も前から認識していた。
世界ラリー選手権での強さといったら、
そりゃもう半端じゃないどころじゃなかったからだ。

先輩に頼み込んで御自慢の真っ赤な80クワトロを
初めて運転させてもらったときのことは忘れられない。
クチに向かっていく心臓がアンダーステアを出して
喉を曲がりきれずに脳味噌を直撃しそうなほど、
そりゃもうがんばって飛ばしてたつもりなのに、
まったく何事もなく安定しきってコーナーをクリアした。
当時は今よりもっともっと運転が下手っぴだったし、
スピードに慣れてなかったこともあって
“がんばって飛ばした”のレヴェルも低かったのだろうが、
それにしても実に呆気なくクリアしちゃったのだ。
4輪駆動としてのトラクション性能は当然のことながら、
「ヨンクはどうやっても曲がらねぇ」のあの時代に
アウディだけはスパンスパンと
いとも簡単にクルマの向きを変えまくっていたのだ。

クワトロはラリーの歴史や流れを大きく変え、
ラリーに留まらずツーリングカー・レースの世界でも
持ち前の強さを発揮し、リザルトを残している。
フルタイム4WDが“スポーツ”だということを、
アウディ・クワトロは完全に証明しているのである。

デビューから25年を経て、
クワトロ・システムはさらに磨きをかけられながら、
1987年以降総てのモデルにラインナップされてきている。
今ではアウディのフルタイム4WDシステムが
世界屈指のモノであることは誰だって知っている。

それにしても──と思う。
クワトロの25周年がどうしてトカゲなわけ? ……と。

正確にはトカゲじゃなかった。
トカゲの仲間である“ヤモリ”くんなのだった。
もっと正確にいえば、ヤモリの中の“ゲッコー”だ。
ハワイ辺りでは縁起物として親しまれてもいるらしい。

だが、縁起物だから採用されたというわけではなさそうだ。
だってホラ、ヤモリくんの指先を見てみ。
吸盤みたいなモノがくっついてるでしょ?

そう、このヤモリくんは“トラクション”の象徴。
さすがに壁だとか天井だとかは無理だろうが、
4つの足でどこまでもペタペタと路面を捕らえ続け、
“走る・曲がる・止まる”という
クルマとしての最も大切な基本性能を
どんな状況においても発揮するクワトロ・システムを、
ヤモリくんの持ち味になぞらえて表現してるわけだ。

爬虫類が苦手な人にとっては近づきがたく、
ひいき目でやっと“キモカワイイ”。それがヤモリくん。
にも関わらずこうしたキャラクターを
こういうカタチで採用しているアウディの感性の豊かさと
軽やかな遊び心に、俺はちょっとばかり感激した。
アウディというメーカーのセンスは、
本当に底と奥行きが知れないと改めて感じたのだった。

今、俺のMacのキーボードのところには、
このヤモリくんの小さなステッカーが貼ってある。
走ろうとすれば実に緩慢、曲がろうとしても曲がりきれず、
止まろうとすれば確実にオーバー・ラン……という、
とてもトラクションが効いてるとはいえない
自分の人生を振り返り、あやかりたくなったからである。

2005年6月19日

使い物にならない1日

俺はここで仕事の話なんてするつもりはない。
だって、ヒトの「大変だぁ忙しいよぉ」なんて話、
聞いてるだけでツマラナイじゃん。

なのだけど、この6月と7月は
ティーポのスタッフにとって死に物狂いの月だ。
増刊やムックが何冊も重なってるし、
7月17日には毎年恒例になってるクルマの夏祭り、
『ティーポ・オーバーヒート・ミーティング』
を開催するわけで、その準備もてんやわんやなのだ。

というわけで、俺もこうして昨日も今日も
へこへこと仕事場にでてきてるわけなのだが……ふぅ。

……まいった。

ちっとも仕事になんかならないのである。
ル・マンの経過が気になっちゃって気になっちゃって。

24時間耐久レースってのは、
そりゃもうすっごいドラマがあちこちで連発して、
現場にいて片鱗に触れただけで
一緒になって涙が流れそうになることも少なくない。
だって、ドライバーだけでなく、
メカニックやエンジニアや司令塔となるメンバー達、
それにそうしたスタッフを支えるためのスタッフまでもが、
たったひとつの目的に向かって
延々とチカラを合わせ続けている現場なのである。
過酷だなんていう言葉では表現できない状況の中、
彼らの顔は、いつだって美しいほど真剣なのである。

24時間レースには魔物が棲んでるといわれてる。
マシンは壊れる。ドライバーもメカもミスをする。
それもそうだろう。
いくら24時間の長丁場だとはいえ、
これはとことんレースなのである。
機械には物理的な限界ってものがある。
人間にも精神的・肉体的な限界ってものがある。
それを越える瞬間というものが、必ずあるのだ。
ル・マンというレースの結果は、
そうした大いなる魔物が掌握しているのである。
魔物に打ち勝たねば、望んだ結果は絶対に得られない。

だから俺達は、ル・マンに魅了されるのだ。

人間が魔物を封じ込めるべく
血と汗を飛び散らせながら戦っている様に、
その狭間に浮かんでは消えていく
途轍もなく美しく感じられる笑顔や泣き顔に、
俺達は同じ人間として心を撲たれるのだ。

本当だったら現場まで飛んでいきたいのだけど、
もしかして職権を乱用すればいいだけの話なのだろうけど、
俺はこうして東京にいる。
だが、やっぱりドラマの行方が気になって仕方ない。

そこで、ついつい今朝になって、本当についうっかりと、
ル・マン24時間レースを運営するA.C.O.の公式HPへ
アクセスしてしまった。これがマズかった。
まぁきっとやってるんだろうなぁ……とは思っていたが、
想像以上に実況生ライヴが充実していて、
目が離せなくなっちゃったのだ。

順位表がリアル・タイムに変動するのはもちろん、
今このマシンは誰が何秒でドライブしていて……
なんてのが一発で解る仕組みになっているし、
それだけじゃなくてコース上で、あるいはマシンに
トラブルやアクシデントがあれば、
「ゼッケン78。パノス。マーシャルの手により
セーフティ・エリアへと押されている」
「ゼッケン92。フェラーリ360。右後輪を失う」
「ゼッケン92。フェラーリ360。コーナーを直進」
といった具合に臨場感のあるレポートもなされている。

現役WRCチャンピオンでもある
セバスチャン・ローブがステアリングを握った
ペスカローロ・ジャッドがどんな結果を叩き出すのか、
ひいき目のアストン・マーティンDBR9が
“超”強敵コルヴェット・レーシングにどこまで挑めるのか、
もう俺としてはいちいち興味がつきないわけで、
Macの画面を眺めたまま「おお!」だの「ふむ……」だの、
とても使い物になってるとはいえない1日を過ごしている。
俺はいったい、何してるのだろう……。

でも、まぁ、ちょっとアクセスしてみなよ。ふへへへへ。

ル・マン24時間レース公式HP
姉妹誌デイトナHPコルヴェット・レーシング生レポート

2005年6月18日

新型ルノー・クリオ登場! で受けたダメージ


クルマ雑誌の編集チョーみたいな話で恐縮だが、
昨日、ルノー・クリオ(=ルーテシア)の新型が
フランス本国で発表された。

クリオはいうまでもなく、ルノーの核となるモデル。
ヨーロッパの小型車の販売台数ランキングで
常に3位以内に入り続けてきたベストセラー・カーだ。

去年『モデュス』を発表し来年には新型『トゥインゴ』を
デビューさせるという噂のあるルノーは、
小型車の品揃えの充実化を図っている最中である。
ほんじゃ新型になった“クリオ3”は
いったいどんなモデルになってるんだべさ?

実のところはまだ英文のリリースをサラサラッと読んだ
……というわりには電子辞書を駆使してる時間が
異様に長かったような気もしないでもないが、
それに予備知識を加えて関単に説明してみるならば、
まぁこれまでのクリオの延長上にある正常進化版だ。

基本骨格としてはルノーと日産が共同開発した
“B”プラットフォームを採用、
サイズは前のクリオよりひとまわり大きくなった。
エンジンはガソリンが1.2、1.4、1.6の3種類と
ディーゼルが1.5の出力違いで3種類。
今のところはスポーツ・グレードは用意されず、
最もパワフルな1.6ガソリンが113馬力。
ついついスポーツ系に拘っちゃうルノーだから、
いずれは“RS”だの“カップ”だのといった
小型ロケットを用意してくれるのだろうけど、
今のところは近年のルノーらしい小粋な姿の実用車、
ってところに落ち着いてるようだ。

フランス車の場合はほかのどの国よりも実用車、
それもベーシック・グレードのできと味が素晴らしい。
そういう過去の体験があるからして、
ついでにいうならメガーヌ2の恐るべき洗練に
打ちのめされちゃったりもしてるわけだからして、
この“素”のクリオにも非常に興味津々。
しかも相当“いいもの感”を得られそうな
モデルチェンジといえる内容を持っている。
発売は本国で9月からのようだけど、
早く乗ってみたいなぁ、と素直に思うわけだ。

俺達がこういう情報をどこで手に入れるのかというと、
実は世界中のほとんどの自動車メーカーは
俺達のようなプレスのためのサイトを持っていて、
認証を得て登録をすませた人間のみ閲覧をしたり
資料や写真をダウンロードすることが許されてる。
メイル・マガジンを希望すれば、
ちゃんと更新があるたびに教えてくれたりもする。
メイルが来てなくても、うちのウエっちとかは
ほとんど毎日グルグルと巡回してるんだけどね。
仕事してるように見えるから。

そういうわけで、俺はニュー・モデルの登場を知ると
サイトに飛んで、まずは用意された写真を全部、
じっくりと時間をかけて眺めることにしている。

新しいクルマに興味があるのはもちろんだが、
そのクルマが写ってる写真の雰囲気だとか背景を
観察するのが好きだったりもするからだ。
バックグラウンドからそのクルマに込められた
開発陣の意志や願いが伝わってくるから、
というふうにカッコイイこともいってみたいのだが、
実のところは単純に、楽しいからである。
だってイメージや夢が膨らんだり広がったりするじゃん?

というわけで、今回のクリオ3の写真も全部見た。
ふむふむ……近頃のルノーらしいお洒落なスタイリング、
なぁーるほど……室内の雰囲気もグーじゃん、
おぉおぉ……3ドアもいいけど5ドアも捨てがたいねぇ、
んーん……でもあと30ミリ車高を落としたいなぁ。
……と、仕事もせずにほけ〜っと見入っていた俺は、
突然あることに気づいて唖然とした。

この左の上にある3枚の写真を見て欲しい。
いや、心霊写真なんかじゃないから安心していい。
写真をクリックすると大きくなるはずだから、
まずは1枚ずつ、順番に見ていって欲しい。

上から順番にナナメ前、真横、ナナメ後である。
どこから見てもなかなか小粋な小型車の姿ではあるが、
どれも仲のよさそうなラヴラヴのカップルのほかに、
余った男が1名ばかり写っているじゃないか。
「あ〜あ、もう見てらんねーよ」といった感じを装って、
だが寂しさを隠せない風情で、余っちゃってるのである。
設定ではどうやら3人は友達同士のようなのだが、
この微妙な距離感は、いったい何なのだ……?

おまけ。荷物。運転手。余剰人員。バラスト。
みそっかす。光に対する影。でばがめ。

きっとこの余っちゃってる男の脳裏には、
いろんな言葉が浮かんでいることだろう。
「来なけりゃよかった」と思ってるに違いない。
「こんなはずじゃなかった」と感じてるに違いない。

……わかる。わかるぞ、キミの気持ち。
俺の脳裏に様々な想いが浮かんでは消え、また浮かび、
再び消えていった……と思ったら浮かんできたりした。

仕方ない。やっぱり今夜も呑むことにするか。
この余ってる男のために。……念のためにいっておくが、
あくまでもこの男のため、だぞ。あくまでも。ぐしゅん。

2005年6月17日

ああ、悪城の壁

俺が育ったのは、埼玉県の越生町という、
もろに関東平野の端っこにある小さな田舎町だ。

“越生”と書いて“おごせ”と読むこの小さな町は、
地図で見るなら秩父連山の関東平野側の入口辺りである。
都心から電車に乗って1時間ちょっとの場所とはいえ、
歩いていて一歩踏み外せば、いきなり山だ。
俺の実家は越生の駅から徒歩5分程度の場所にあるが、
ほとんど背中に山を背負ってるようなものである。

幼い頃は、だから山は遊び場のひとつだった。
玄関を出て駅と反対の方向に10分も歩けば、もう山道だ。
人がようやくすれ違える程度の細いうねうねを、
そこからとんとこと15分ほど登ると白樺の林が出てくる。
俺はあっちこっちから木の枝やブリキの板など
思いつくものをあれこれ持ち寄ってきて、
その傍らに、誰も知らない自分だけの基地をつくった。

穏やかに晴れた春の日曜日、暑さにうだった夏の午後、
彩りをセピア色のように装いはじめた秋の夕方、
ケンカに負けた傷だらけの顔で家に帰りづらい放課後──。

小さな俺は気が向くとその基地にいって、
静謐な空気の中、幼心にいろんなことを考えたり、
ブリキの缶に隠しておいたお気に入りの本を読んでみたり、
夢物語のような空想にふけってみたりしてた。

小学校を卒業し、中学生となり、
少しずつ大人に近づいてくるたびに、山から足が遠のいた。
当たり前といえば当たり前の話である。

だが、仕事を持って都内に住み家を移して数年が経った頃。
数ヶ月ぶりに実家に帰った俺は、夏の休みの午後遅く、
何となく、本当に何となくプラプラと、
幼い頃に3日とあげずに歩いた山道を辿ってみた。
懐かしい白樺の林のところへ出て、驚いた。

……あ。

子供の頃に俺がつくった基地が、
原型を留めるか留めないがギリギリのところで、
まだ残っていたのだ。無性に嬉しくなった。

翌日には昼間からキンキンに冷えたビールと文庫本と、
トランクから引っ張り出した簡単な椅子を持っていき、
虫除けスプレーを噴射しながら、
夕方近くまでのほほんと過ごしてみた。

なんだか妙に心地よかった。
木々のたてる静かな物音と大地が放つ芳醇な香り。
人のものとは明らかに異なる何かの気配。

ほんの数時間そこで過ごしただけで、
3日間ほども休んだような安らぎを得た気がした。
山ってすごいパワーを持ってるなぁ……と実感した。
以来、ときどき、ほんのときどきではあるが、
俺は実家に帰ると必ず“自分だけの”山に入っていき、
ほけ〜っとして過ごすことにしている。

山ってのは言葉にならないチカラを持っている。
中に分け入ってもすごいが、見ているだけでもすごい。
目の前で大きく大地が盛り上がってる様を見ると、
「おおおおおっ! 山ぁああああ──っ!」と、
これは本当に上手く言葉に変換できなくて悔しいのだが、
妙に力強いような気分になれたりする。
山ってのはそこにあるだけで見事パワフルなのだ。
だから俺はクルマでどこを走っていても、
それが山の近くであれば何となく機嫌がいいし、
山を見てると元気が増してくるような気分になれるのだ。

だが、富山ツアーで出逢った山は、半端じゃなかった。
川からほとんど垂直に切り立った崖が、
何百メートルと上に向かってそびえ立ってるのだ。
写真では霧に隠されて判りにくいと思うが、
この山肌は霧の中を遙か上に向かって伸びていて、
この日、てっぺんを拝むことはできなかったほどである。

その名を『悪城の壁』という。
立山黒部アルペンルートで有名な立山町の奥の奥、
富山地方鉄道立山線の終点『立山駅』から
川沿いにクルマを走らせること20〜30分、
気づくと右手に出てきている断崖絶壁がそれである。
川の流れが10万年の時間をかけて
ゆっくりと削って作り上げた、大自然の奇跡。
高低差500メートル、長さ2キロにもわたる1枚岩だ。

ここはぜひ眺めに言ってみることをオススメしたいが、
何しろ、もう唖然とするほどの迫力である。
“人間の英知”なんて言葉がいかにちっぽけなものか、
瞬間的に、本能的に、あっさりと思い知らされる。
頭の中のちっぽけな悩みが散り散りになってくかのようだ。

その名前は人間の進入を拒むかのような立ち姿から来た
といわれているが、この土地に住んだ古の男達は、
雪解けともに豊富な山菜を採るために、
逞しくもこの山にすら分け入っていったらしい。
しかも、写真のちょうどグリーンの色が濃くなる辺り、
推定角度にすれば70〜80度、
高さはゆうに100〜150メートルのところ辺りまで
登っていくことができなければ、
一人前の男としては見なされなかったのだという。

うーむ。俺は一人前の男と見なされなくたっていいや。
だって、くしゃみ一発で即死じゃん、これ。

そもそも、これからほぼ1週間おきに3回続く
締切の“やま”だって、耐えられるかどうか判らないのだ。
無事に乗り切れたら“自分だけの”山に入っていって
こっそりとのんびりするつもりだけど、はたして、
俺はそこまでヒトとして生きていられるのだろうか……?

もう、今からちゃんと謝っておこう。
印刷所の皆さん、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。


2005年6月15日

アインシュタインと太田哲也


「常識とは、18歳までに身につけた
偏見のコレクションのことをいう」
「どうして自分を責めるんですか? 他人がちゃんと
必要なときに責めてくれるんだから、いいじゃないですか」

アルバート・アインシュタインの言葉である。

俺は小学5年生のとき、アインシュタインの
『相対性理論』を見事に読破して、神童と呼ばれた。
高校生向けだったか、軟らかめに噛み砕いた本だったが、
俺はその本を綺麗に理解して周囲の大人達を驚かせた。
昔の俺は頭がよかった。本当に賢かったのである。えへん。

中学生のときにトルストイの『人生論』に挑戦し、
辞書をひきひき難解な単語を解読しつつ読了したものの
結局はこの男が何をいいたいのか、てんで解らなかった。
その惨敗からこれまで、25年以上が経過する間に
俺の脳ミソは幾度となくショートとスタックを繰り返し、
今では小学生のときに理解できていた『相対性理論』を
どう真剣に考えてもさっぱり解読できない程度の
安穏とした状態に落ち着いてる。しょぼん。

だが、すでに『相対性理論』は理解できなくなっていたが、
アインシュタインの言葉はスッと心に染み込んできた。
ハタチをちょっと過ぎた頃だったろうか、
何かの雑誌でたまたま目にしたアインシュタインの記事に
アタマに記したふたつの言葉が出ていて、
スコーン! と気持ち良〜く、
小さな木槌かなんかで後ろから頭を殴られた気がした。

このジジイ、すげーじゃん。

今では『アインシュタイン150の言葉』という本が
ディスカヴァー21という出版社から発行されているから
それをぜひ手に取ってみたらいいと思うが、
偶然にも雑誌のページにその言葉を発見したときには、
クチをポカッと開けて呆然とする以外になかった。
その直後、膝を叩いて大笑いしちゃったのを覚えてる。

だって、よくよく考えてみたら「おー、そーだよなぁ」
と思える当然といえば当然な言葉の並びに、
俺はやたらと心地よさを感じて、
身体の奥の方から元気が沸々と湧いてくるような
プラスの感覚をおぼえちゃったのだから。

言葉というのは人を傷つけるための凶器にもなれば、
こんなにも元気を与えてもらえる太陽にもなるのである。

友人や知人がなにがしかの本を出版したら、
あくまでもそれが興味深ければの話ではあるが、
俺はなるべくココで紹介しよう、なんて考えていた。
昨日、せっかくグッタリ寝込んでるのだから……と、
親しくさせてもらってる太田哲也さんの最新刊
『生き方ナビ』(清流出版)を読ませてもらって、
俺はアインシュタインを思い出した。
いや、正確にいえばアインシュタインの言葉を目で追って
妙に元気にさせられたときの感覚を思い出した。
言葉が持つパワーというものを、再認識したのだ。

この本の表紙には、こんなふうなことが書いてある。
「これから未来をひらく君へ。
軽やかに生きるための50の道しるべ」

いうなればこれは、太田さんによるフォト&エッセイ集。
名前からすると生き方マニュアルを連想されるだろうが、
普通のそれと決定的に違っているのは、
著者が『太田哲也』だ、ということである。
よくある“生き方”本は、なんとなくモノを上から見て、
理屈っぽくて説教がましくて作り物っぽい感じもして、
とても読む気になれない。余計なお世話、なのだ。

けれど、コイツは理想主義でも屁理屈でも何でもない。
太田さんが実際に体験してきたこと、
何かに突き当たるたびに彼自身が考え、思い至ったこと、
あの壮絶な事故に巻き込まれて二度目の生を受けたからこそ
太田さんの中で芽生えた考え方や想い、
そういったものが、何の気負いもなく深刻ぶるでもなく、
まるで友達と世間話でもしてるかのような温かさで、
実に素直に軽快に並んでいる。

「ベストな解決方法なんてない。
あるのは、ベターな選択だけだ」
「人生を台無しにしてしまうほどの賭なんて
そうそうはないものなのだ」
「ゼロを知ると、プラスがいかにありがたいかを
感じられるようになる」
「カモメも、次のステップに上がるには、
格好などつけてはいられないのだろう」

この本は、アインシュタインの格言集とは違う。
“決めの言葉”だけがバシバシ並んでるわけじゃない。
あくまでも文はエッセイとして書かれている。
にも関わらず、パッと思い浮かんだだけですら
もっともっと羅列できるほどの“頭スコーン!”が、
ありとあらゆる場所に埋め込まれてるのだ。
つらつらと読みはじめていつしかイッキ読みとなり、
ついうっかり説得されちゃったりした。

冗談を言い合う仲の人をマジメにホメるには抵抗もあるが、
ああ、このままだとまた俺は周回遅れにされちゃうなぁ、
と感じて悔しいような嬉しいような、そんな気分になった。
それに自分がどこか洗濯してもらったような気分にも……。

俺はなぜだか、そのパワーをキープさせるために、
明日は帰りに食材を買い込んで思い切り喰おうと考えた。
そして今、俺はレシピを紐解いた買い物リストを握り、
駅前の東急ストアが閉まる前に突入するつもりでいる。
今日の夕食は、ひとりで豪勢に鍋でもつつきながら
軽くいっぱい引っかけようかと思ってるのだ。

鍋……。生き方ナベ……。

2005年6月14日

1回休みと決め込んだ夜


実は発熱中である。わはははは。
富山出張から帰ってきてこっち、ちょっとばかりオカシイ。

考えてみたら帰ってきたその晩から、
なんとなく「……うぅ、だりぃなぁ」とは感じていた。
が、しかし、それは祝福なのかおちょくりなのか、
友人達の何人かからメイルが来て
「これでやっとバカボンのパパに追いついたな」と
指摘される年齢に到達したからだろう、
くらいに思って大して気にも留めていなかった。

けれど、これはいよいよオカシイと思って計ってみたら、
なんと38度ちょいだ。
たいしたことないじゃん! と思う人もいるだろうが、
俺の平熱は35度台前半なのである。

俺はこうしたときでも気づきさえしなければ
何てことなく平気で乗り切れちゃう強靱な男なのだが、
数字を見ちゃうとヘナヘナと崩れる脆い男でもある。
自覚症状は軽い頭痛と漠然としたダルさだけだが、
もしかしたらもうダメかも知れない……。
そう思ってゾンビのような緩慢さのまま病院へ向かった。

ちょっと早めの夏風邪だろうと思っていたのだが、
お医者によれば「熱中症ですかねぇ」。
……おいおい、おっさん。ボケるのはヤメてくれ。
富山は土曜日がときどきドシャ降りの1日中延々と雨で、
日曜日はずぅーっと曇りだったんだぞ。
体質改善して雨男をヤメたから俺のせいじゃないけど、
ちっとも太陽にあたって光合成なんかしてないんだってば。
そもそも、まだ熱中症の季節なんかじゃないだろうに。
……と思ったけど、もはや戦う気力もなかったので、
おとなしく薬をもらって帰ってきた。

そんなわけで仕事も思い切りサボったから、
今日はこのブログ……じゃなくて随筆だ随筆っ!
この随筆も記念すべき初めての“1回休み”を決め込んで、
つれづれなるままにグッタリしていようと思ったわけだ。

が、こんなときのために邪魔者ってのは存在する。
学生時代の友達から1本ケータイ・メイルが入ったので
ひとこと「具合悪いからまた明日」と返したら、
まるで病に伏せった友人をけなげに心配してるかのように
「だいじょーぶか?」とか「熱はあるのか?」とか、
「くしゃみはなみずはなづまりは?」とか、
「おい、眠るな! 眠ると死ぬぞ!」とか、
ほとんど10分おきくらいにメイルが飛んできて、
ベッドの横に置いたケータイを騒がせるのである。
この男は、明らかに状況を楽しんでいるのだ。

うとうとしかけては起こされて……を繰り返した結果、
俺はさすがにイライラし始めてきて、
ただ「やかましーぞコノヤロー!」とだけ返信した。
それからしばらくの間は、実に平和な時間だった。

そして約1時間後、またまたケータイが鳴って振動する。
……ヤロー! と思って見てみると、違う友達だった。
「聞いたぞ。だいじょーぶか?」という内容だった。
それをキッカケにしたかのように、
ほかの数人の友達からも次々にメイルが飛んでくる。
「風邪にはパブロン!」「風邪にはジキニン」
「どうせなら綺麗な女医さんに診てもらって俺に紹介しろ」
「なんか変なビョーキ持ってるんじゃないのか?」
「ネギを温めてノドに巻け」
「なんだかわからないけど、とりあえずメイルした」
ひどいのになると、件名が「緊急!」とあって、
内容が「……げぷっ! 腹いっぱいだあ」とくる。
間違いない。こいつらは徒党を組んで状況を楽しんでいる。

──そうだった。俺はすっかり忘れていたのだ。
普段の俺達は仕事も住んでる場所もバラバラだが、
目的を持ったときのまとまりの良さはピカイチなのだった。
とりわけそれが「おもしろいっ!」ってことになると、
そのときの結束の固さはとにもかくにも半端じゃない。

なにもこんなツマラナイことに情熱を傾けなくても……
とも思うのだが、きっと何かがヤツらに刺さったのだろう。
そもそも立場が逆なら俺も荷担してるに違いない。
俺ならフリー・メイルのアドレスを急いでこしらえて、
女性を装って誘惑めいたメイルのひとつくらいは
飛ばしてるに違いない……っていうか、やったことがある。
悪ノリしはじめた俺達は、誰にも止められないのである。

うはははは……と笑ってしまった。笑うしかないからだ。
なんとなく体温計をあててみることにした。
──37度ちょい。……なぬ?
まだ薬も飲んでないのに、1度も下がってる。
何となく楽になったような気もする。
「病は気から」という言葉があるとおり、
人間の身体には医学や化学で解明できないことが
山ほどあると、その道のプロに教えてもらったことがある。
怒ったり呆れたり笑ったりして意識がそれたのが、
どこかに影響したのかも知れない。

……俺は、もしかしたら幸せ者なんだろうか?

2005年6月13日

『富山ブラック』は彼らのブルース


その晩の俺達のターゲットはあっさりと決定した。
目指すは『富山ブラック』、である。

俺達ティーポ・スタッフはこうした出張のとき、
必ずといっていいほど地元の人達が「ここは美味い!」
と教えてくれた店に足を運んでいる。
それが高級なモノだったりすると計画は頓挫する。
理由はいうまでもないだろう。ひとつしかないのだから。

アルファロメオ富山さんでの『A&R』の読者イベントで、
スタッフ達が綿密に調査を繰り返した結果、
富山の一番の名物で「一度は喰え!」なのは、
『富山ブラック』なるものだということが判明した。
ほとんどの読者さんが「コレだ!」と語っていたからだ。
ひとり1000円もあればおつりが来ることも確認できた。
それもそうだろう。だってラーメンなんだもん。

海産物が死ぬほど美味な北陸ゆえ、絶対にそっち方面!
と内心期待してたから、かなり衝撃的ではあった。
富山の人達は、あれほど豊富で新鮮でバカ美味な海産物に、
それほどのありがたみは感じていないのかも知れない。
美味いのが安く出てきて当たり前、だからなのだろう。
あれほどまでに新鮮ではない刺身ですら、東京だと
たった数キレで何百円もすることを知ってるのだろうか?
うぐ……うらやましい……。ずるいぞ、富山県民!

いやいやいやいや、話は『富山ブラック』である。
どうやら“富山ラーメン”という分類があり、
富山のラーメンは“ブラック”であるのが基本らしい。
地元の彼らは、こう評していた。

「やたらとしょっぱい。白い御飯と一緒に食べて
おかずにするくらいでちょうどいい感じです」
「毎日食べるのはしんどい。……って思ってるのに、
また次の日になると食べたくなってるんですよ」
「好きな人と嫌いな人がハッキリ分かれる味。
すっごく濃いですから。でも自分は好きです」
「スープが真っ黒だから“ブラック”なんですよ」
「味を薄めに、って頼んだ方がいいですよ、初めてなら」

俺達は問答無用で、誰もがその店の名前をあげた
『大喜(たいき)』の、しかも本店にいくことに決めた。
“ブラック”の元祖であり、
何店舗かある『大喜』の中でも最も味が濃厚で、
最も「他県の人にはキツイかも」といわれる店だからだ。
そう、俺達は“食”のチャレンジャーなのである。

『大喜西町本店』はレトロな雰囲気の店構えをしていた。
後からつくったレトロ風なのではなく、
まるで時が止まってそのまま、という自然なレトロである。
メニューは「小」「大」「特大」の3種類。
選択の余地はほとんどない。
俺、ナパ三宅、ヘルメット坂上、それにレーサー滑川と
カメラマンの神村くんをまじえた突撃5人衆は、
事前情報にビビリながら「大」の900円なり、を注文した。
この辺りは“標準的な真ん中”を選ぶ日和見である。
意気地なし、と呼ばれても仕方あるまい。

そして待つこと10分。俺達の目の前に並んだのは
恐ろしく“ブラック”なスープの色をしたラーメンだった。
まるで関東風のうどんの汁、中でもピカイチ級に濃いヤツ。
そんな印象を与えるスープの色が、ヤケに挑戦的に見える。

お店のおばちゃんが「よーく混ぜて食べてくださいね」
と教えてくれたので、素直にいうことを聞く。
まぜまぜまぜまぜ……。まずは、スープの味見から。

う……ひぇ──っ! 塩辛い! 見事な塩辛さである。
こりゃスープを飲み干すってわけにはいかない。
俺だって成人病は怖いのだ。水だ水、水くれ……。

だが麺や具を食べ始めると、第一印象とは違い、
驚いたことに塩辛さがちっとも気にならなくなってきた。
硬めのストレートな太麺。ドカッとのったチャーシュー。
粗っぽく切られた大量のネギ。
41年の人生で最も塩辛いと打ち震えたメンマ。
それに粗挽きの黒胡椒と濃口の醤油をベースとしたスープ。
それらの織りなすハーモニーが、実に絶妙なのである。
白米を食べたいなぁと感じもしたが、
濃いけれど変なクドさがないからこのままでも充分イケる。
有り体にいえば「こりゃうまいっ!」なのだ。
俺は今回の探検が充分な成功を収めたことを確信した。

『富山ブラック』は、第2次世界大戦の後、
街の復興などのために動員された労働者のために、
創業者である高橋青幹さんがあみ出したモノらしい。
味付けを濃くして、チャーシューをたくさんのせて、
御飯のおかずにしても最適な中華そば。
きっと誰もが安いお金でオナカがいっぱいになれるように、
という温もりに満ちた心づかいだったんだろうな、と思う。
富山の人達は味だけでじゃなくその心意気をも愛したのだ。
『富山ブラック』は、彼らにとってのブルースなのだ。

お店のおばちゃんに再訪を約束して、
俺達はレトロな佇まいを後にした。──途端、
「なんか甘いもん食べたくないすか?」と誰かがいう。
「そうそうそうそう」と首を縦に振る他の突撃隊員達。
「歩いてる女の子に聞けばどこが美味いか判るでしょ」
「だけど、どうしてかオバサンしか歩いてないし」
ティーポ取材班の胃袋は、無敵なのである。

俺はサイドシートでオナカをさすりながら、自分に誓った。
「あばよ。また喰いに来るぜ、富山ブラック」
『あばよ』ってどういう言葉だよ……と苦悩しつつも、
けれど一番似つかわしい別れの挨拶のように思えたからだ。



2005年6月11日

まわりをよーく見てごらん


俺が“クルマの雑誌をつくる人”になりたいと思ったのは、
確か小学校の5年生だったか6年生だったか、
そんな頃だったように記憶してる。
理由は至極単純。スーパーカーを運転したかったからだ。

あのスーパーカー・ブームの頃、
大人になったらスーパーカーを運転したいと思ったのは、
間違いなく俺だけじゃない。誰もがそうだったと思う。
だが、ガキの頃に限っては異様に賢かった俺は、
ただただ夢見がちな少年だったってわけじゃない。
「僕のオコヅカイは1ヶ月に1000円。
それを全部貯金しても1年で1万2000円。
がんばって10年続けたとしても、12万円。
100年続けても120万円。……いつまでも買えないじゃん」

聡いことを考えて緻密に計算してるわりには
何歳になっても“1ヶ月1000円”と思い込んでるあたり、
そのヌケっぷりは今へと見事につながってるわけだが、
いずれにしても簡単には買えないことを理解した俺は、
「だけど何とかして乗る方法はないもんか……?」
と来る日も来る日もアタマを悩ませてたわけだ。
ところがある日、ポムと思い浮かんじゃったのである。
「こういう本をつくる人になればいいんじゃん!?」

そこから俺の血のにじむような努力が始まった。
……といえればカッコイイのだが、
子供心は移ろいやすく、世に誘惑は数多ある。
“クルマの本をつくる人”は常に候補のひとつだったが、
中学を卒業して高校を退学寸前の温情で卒業し、
と育ってくるにつれて憧れの職業は増えてくる。

焼鳥屋さん。──実家からそう遠くない
埼玉県東松山市の名物である焼鳥の味に感激し、
仲間がクダを巻ける焼鳥屋さんをやりたい、と思った。

喫茶店のマスター。──『750(ななはん)ライダー』
という人気マンガの登場人物達が顔を出す、
バイク乗りが集まるような喫茶店をつくりたいと思った。
中学生の頃からコーヒー淹れるの、上手だったし。
“LARK”のエプロンとヒゲは必須である。

そして、テキ屋さん。──ゴヨーショーのミギリより、
お祭りになるとどこからかやってきて
日常とは異なる煌びやかな夢のような時間を
俺達コドモに与えてくれたテキ屋さんは、
祭囃子の流れる温かな想い出とともに
常に心のどこかに憧れとして残ってた。
高校時代にひょんなことで1日だけバイトをしたが、
そのときのテキ屋さんは顔も態度も怖かったけど、
すっごく人情に篤くて優しかった。
このまま弟子入りしちゃおうかと思ったくらい。
結局はそのテキ屋さん自身に諭されることになり、
俺は戦わずして負けたわけなのだが。

今でこそ夏にハワイアン・シャツを着たりすると
あちこちから「テキ屋っぽい」と賞賛される俺だけど、
コドモの頃に笑いながらタコ焼きをオマケしてくれたり
膨らませたばかりの風船を手渡して頭を撫でてくれたり、
そうした大人の男が見せる優しさの光景は
忘れがたい記憶として心から抜けていかない。

ああ、金魚すくいの仕切りをやってみたいなぁ……とか、
風船をガスで膨らませてみたいなぁ……だとか、
カタチばかりでいいからやってみたいことは山とあった。
その夢のひとつが今日、現実になったのだ。
俺はガス入りの風船をこの手で膨らませたのである。

今日、俺達はアルファロメオ富山さんにお邪魔して、
『アルファ&ロメオ』誌の日本1周ミーティングを
そちらで開催させていただいたのだが、
何とっ! そこではスタッフの皆さんが
お子様連れの来場者のために風船を膨らませて、
小さな未来のエンスーくん達に配っていたのだ。

俺があまりに物欲しそうに見ていたからか、
スタッフの女性の方が「やってみます?」と誘ってくれた。
このチャンスを逃すような俺ではない。

まずはしぼんだままの風船のクチを広げ、
ヘリウム・ガスのボンベとつながったエア・ガンを
そのクチに差し込み、トリガーを絞る。
……プシューーーッ! と音を立てながら、
風船は見る間に大きく膨らんでいく。
ちょうど頃合いの大きさになったらエア・ガンを抜き、
クチを専用の留め具に括り付けて紐をつけて終了。

マトモにやれば、この間わずか30秒。
だが、この30秒の何と濃密だったことか!
俺は記念写真をプロである神村カメラマンに頼み、
トリガーを絞りながら大笑いしていた。
もう嬉しくて嬉しくて、たまらなかった。
こんな楽しいことがあるのか、とすら思った。
思わず他のスタッフにも勧めちゃったのだが、
ヤツらはヘリウム・ガスを吸い込んで
妙な具合に変化した声で名前を呼び合って、
ゲラゲラと笑っていた。……揃いも揃ってアホである。

……いや、それだけなんだけどね。オチなんかないのだ。

だが、神村カメラマンが撮ってくれた写真を見て、
俺はわれながらビックリしてしまった。
こんな楽しそうに笑ってる自分を見たことがないのだ。
普段のニガムシ系の顔と違って、
俺は素直にこんなにも嬉しそうに笑ってる。
んふふふふ。俺ってかわいいとこあるじゃん!
……ってな具合に妙に自信を持っちゃったりもする。

ささやかな幸せ──。
きっと日々を楽しく生きていくためには、
こうしたほんの小さな幸せが大切なのだ。
それは自分の周りを見渡してみると、
意外なところにポロッと転がってるのかも知れない。

2005年6月10日

ミウラの40年、911の41年間

突然、ふっ……と思った。
ランボルギーニ・ミウラって、
市販されたのは確か1967年だったけど、
本当の意味でのデビューってのは
シャシーだけのプロトタイプとしてトリノに展示された
1965年だっていえるわけだよなぁ……と。
ってことは、今年でミウラは40歳を迎えるわけだ。

またまた、ふっ……と思った。
市販っていえば、確かポルシェ901として
フランクフルトでデビューした911が市販されたのは、
1964年のことだったはずだよなぁ。
ってことは911は、この世に誕生してから41年間も、
愛されながら生産が続けられているわけか。

俺は、ここで考え込んでしまった。

ミウラは生まれて40年が経過した今となっても、
その何とも言葉に変換しにくい美しい姿と
それに相反するかのような猛々しいサウンドや走りで、
大抵のクルマ好きを一瞬にして打ちのめす、
神懸かりともいえるような壮絶な魅力を放ち続けている。

それじゃポルシェ911はどうかといえば、
今ではナロー・ボディの頃の青い果実のような
スレンダーで可憐に感じられる姿こそ失ってしまい、
クチの悪いヤツは「太ってる」だの「厚化粧じゃん」だの
とんでもない言葉で形容したりもするが、
そのパフォーマンスは永遠の第一級品。
ナローの頃と最新の997をあえて比べるならば
確かに大きく重くなってはいるものの、
絶え間ない改良が繰り返されてきたことで
性能的な部分ではとんでもないほどの進化を遂げていて、
最初の911がデビューした時代のレーシング・カーをも
簡単にぶっちぎるほどの速さを
どんなドライバーにも公平に提供できる、
すんごいスポーツカーに成長している。

ほんじゃ、この俺はどーなんだ──?

ミウラのように革新的な何かを持って生まれた、
というわけではない。もちろん。
誰もがハッとして立ち止まっちゃうほどの
美しさを持って生まれたわけでもない。もちろん。
ってことはあえていうまでもなく、
ヒトを魅了するほどの壮絶な何かを放ち続けてる、
なんてことがあるわけもなく、
いたって平々凡々なまま今日を迎えたわけだ。

まるで911のようにボディそのものは大きくなった。
……というよりも、明らかに肥大化している。
車重だって自分でもビックリするほど重くなっている。
前面投影面積も明らかに大きくなっちゃったってことは
Cd値だって悪化しちゃってるわけで、
となれば空気抵抗だって大幅に増えちゃってる計算だ。
その分パフォーマンスが上がってるかといえば、
ヒイキめに見ても、それはだいぶあやしい。
自分ではそんなつもりはさらさらないのに
昔からの友達がたまに会うたびに決まって必ず
「もうそろそろ、いいかげん反抗期でもねぇだろーに」
ときて「表に出ろコノヤロー!」となるわけだから、
デビュー当初からそれほど成長してはいないのだろう。
むしろ妙なフリクションが増えてるような気がするし、
瞬発力も巡航性も燃費も悪化してるように思えるから、
パフォーマンスは明らかに落ちている。
おまけにヒラヒラ感を綺麗さっぱり失った代わりに
フラフラ感とウロウロ感ばかり手に入れてる気もするから、
まったくもって情けない限りだ。

……ダメじゃん、俺。
も……ものすごい劣等感である。

ランボルギーニ・ミウラは40歳。ポルシェ911は41歳。
そして俺は今日、40歳から41歳になった。
だが、ストレートに「はっぴばーすでーつーみー♪」
な気分になれないのは、そういうわけなのだ。

富山市のはずれにある安ホテルの部屋でひとり、
缶ビールを何本かプシッとあけながら、
「まぁいーかぁ。元気だし。毎日1回は大笑いしてるし」
と自分を慰めるのに結構必死な、
ちょっと複雑なアニバーサリィなのであった。

2005年6月 9日

HARRYさんとスピットファイア

他人のクルマのトラブルというのは楽しいものだ。
わが身に降り掛かってくるのがこんなに嫌なものもないが、
昔の人はいいことをいったもんだと思う。
──人の不幸は蜜の味。いっひっひ。

クルマ好きがふたり以上集まって、
誰かが「この前いきなりクルマ止まっちゃってさぁ……」
と口火を切れば、不思議なモノで次々と、
「実は俺も○×の交差点で立ち往生しちゃって」だの
「シフト・レバーがポキンって折れちゃった」だのと続く。
ひどいのになると「この前、駐車場でドアを閉めたら
ミラーがポロッと落ちちゃった」という、
まるでドリフのコントみたいな話まで飛び出してくる。

これ、何の興味もない人がそばにいたなら
「コイツら故障の自慢ばかりし合ってアホなんちゃう?」
と訝しがるのかも知れないが、それはちょっと間違ってる。
故障を体験したヤツは、語るしかないのだ。
語って誰かに笑ってもらう以外に道はないのである。
聞いている方は聞いてる方で
他人の不幸に「ふへへへ」と笑みを浮かべる一方、
実は自分の体験を思い出して切なくなったりするから、
次にはついつい自分の不幸譚をとっぷりと語って、
誰かに「おぉおぉ、それ解るよ解る」とばかりに
笑い飛ばしてもらいたくなるのである。

テレビの刑事ドラマなんかでは“落としの○△”みたいな
異名を持つ名物刑事が、容疑者の肩をポムと叩き、
「おい、そろそろ全部ゲロして楽になっちまえ」
とカツ丼をチラつかせながら誘惑にかかるわけだが、
それに似てるといえば似てる心理がここにも働いている。

切なかった出来事を語って誰かに笑ってもらうことで、
不思議と気分がスッと楽になるのだ。
互いが互いを笑い飛ばし合うことによって、
実は助け合ってるのである。なんと良くできたシステム!

その心理の動きを正しい日本語に置き換えると、こうなる。
──開き直り。

石川啄木のように“ぢつと手を見る”ことで
人生に深く深く思いを寄せることも時には大切だと思うが、
そもそも深く考えたらクルマ好きなんてやってられない。
一発思い切り笑い飛ばすことで、
強く逞しくクルマ好きとして明日も生きようという意志が、
ここにはしっかりと根を張っているのである。

写真のちょっとかっこいいカフェ・レーサー風の
トライアンフ・スピットファイアの持ち主も、
きっと日々そんなふうに過ごしてるんじゃないかと思う。

この黄色のスピットの持ち主は、HARRYさん。
クルマ業界では、東京FMの名物番組のひとつ、
『Driving Navigator by ADVAN』を受け持っている
FMパーソナリティとして知られる人だ。

HARRYさんは、俺が先導車をつとめた
『ジャパン・ヒストリックカー・ツアー2005』に、
このスピットファイアを駆ってエントリーしていた。
『Driving Navigator by ADVAN』の取材を兼ねて、
やはり番組の名物である“Yディレクター”とともに
録音機器を積んで走っていたのである。

だが、HARRYさん達のヒストリックカー・ツアーは、
ちょっとばかし生半可なものではなかった。
下側の写真の立ち姿や背中が語るとおり、
あっちで止まりこっちで立ち往生しを繰り返し、
やっとの想いでゴール地点まで辿り着いたのである。

「ある時は3分間待てば何事もなかったように復帰し、
ある時は自分達でパーツを交換し、
ある時はツアーに同行した著名なMメカニックに救われ、
ある晩はかかりつけのメカニックに東京から
修理に来てもらって徹夜で作業してもらい……」
といった具合に、3日間で13回!
実に13回もトラブルで止まりながら走りきったのだ。
なんというツワモノ!
しかも、やはり彼らはプロだった。
ただ困ったり凹んだりしていたわけじゃない。
その故障の模様はしっかりと録音されて番組に生かされた。

「えー、今、山の中で止まっています。うん。……ふぅ」
みたいな具合のHARRYさんの声の向こう側で、
長閑にカエルが泣いてる声が聞こえてきたりする。
次の瞬間には「……フォーーーン!」と、
フェラーリと思しきスーパーカー系のサウンドが
すぐ脇を勢いよく走り抜けていく。
沈黙の間に「キンッ」というジッポ・ライターの
フタを開ける切ない音が聞こえてきたりもする。
解るっ! 解りすぎるくらいに解るっ!
こんなときには煙草をふかすしかないのである。

ふっ……ふはははは。ふははははははは。
やはり、人の不幸は最高の御馳走だ。
だって、この出来事ひとつで一晩、
一緒に酒を酌み交わすことができたわけだから。

いきなりなぜこんな話を持ち出したのかというと、
そのときの模様を収めた番組が、
今週末と来週末の2回に分けて放送されるからだ。
これ、クルマ好きとして幸せな気分になりたいなら、
絶対に聞き逃しちゃダメだよ。うははははははは。

なぜこんなことを知ってるのかといえば、
HARRYさんのとこに遊びにいってきたからである。
そこで現場の切ない音を聞かせてもらい、
どんな具合に使われるかを教えてもらったのだ。
ついでになぜか、第2回目の放送にちょっとだけ
顔っていうか声を出す話になったのがナニだが、
そっちのほうはどうかサラッと流して欲しい。
どうせロクなことしゃべれた試しはないのだし、
オカシイのはちゃかしてる俺なんぞじゃなくて、
あくまでも真剣だったHARRYさんのほうなのだから。
とにかく……あっはっはっはっは。

●ヒストリックカー・ツアー編 第1回目
6月10日(金) FM広島→16:00〜16:30
         FM大阪→20:00〜20:30
6月11日(土) FM愛知→12:30〜13:00
         FM仙台→12:30〜13:00
         FM福島→18:00〜18:30
         FM北海道→19:00〜19:30
         FM福岡→19:30〜20:00
         FM静岡→19:30〜20:00
         東京FM→18:00〜18:30

●ヒストリックカー・ツアー編 第2回目
6月17日(金) FM広島→16:00〜16:30
         FM大阪→20:00〜20:30
6月18日(土) FM愛知→12:30〜13:00
         FM仙台→12:30〜13:00
         FM福島→18:00〜18:30
         FM北海道→19:00〜19:30
         FM福岡→19:30〜20:00
         FM静岡→19:30〜20:00
         東京FM→18:00〜18:30

あなたの嘘がわかるのよ

ケータイにメイルが飛んできた。
タイトルは「あのさぁ……」とだけ。
差出人は古くからの友達である。
メッセージ欄にはひと言、こう書かれていた。

「おまえは中条きよしか?」

……なぬ? ……意味が判らない。
中条きよしさんといえば、歌手であり俳優であり、
世のおばさま達が選ぶ『抱かれたい男ランキング』
ぶっちぎりトップといわれるナイス・ミドルである。
俺はいきなり、いい気になろうかと思った。
だが、待て。似てるかといえば、そんなこともない。
もしかしたら耳の裏あたりならやや似てるかも知れないが、
どう考えても俺にはあんなダンディな魅力など皆無だ。
やはり、まったくもって意味が判らない。

残念ながら俺には、二児の父であるいかつい男と
メイルで通信する趣味もなければ、
指先でプチプチと文を打ち込む時間のゆとりもない。
だが、判らないことを判らないままにしておくのも、
性格的に気持ち悪くて何となく座りが悪い。
だから、つい電話をしてしまった。
思えばその瞬間、綺麗に罠にはまり込んだのだ。

「あのさぁ、おまえからのメイルなんだけど……」
「おぉれぇ〜たぁタバコぉの〜すいが〜ら〜でぇ〜♪」

かけてきた相手の名前がケータイの画面に表示され、
相手が俺だということが判ったのだろう。
ヤツは何の前触れもなく、いきなり歌い始めたのだった。

「だからさぁ、おいっ! 意味が判んねーんだってば」
「あなた〜のっ うっそーがぁ〜っ わかるぅーのよぉ♪」
「おっ……おまえなぁ……」
「わはははは。この歌、なぁーんだ?」
「……ん?」
「だから、この歌の曲名は何かって訊いてんだよ」

中条きよしさんが歌って、確か1974年だったか、
空前の大ヒットとなった『うそ』である。
その瞬間、俺の頭の中にパパパッと稲妻が走った。
う……うそ……。うそ……。

そのとおりだ。俺は嘘つきなのだった。
それは認めねばならない事実だ。
この男はチェックをしている。毎日チェックを怠らない。
誰かをおちょくるネタを拾うための努力なら欠かさない。
コイツは、俺が昨日『随筆』をアップできなかったことを、
中条きよしさんの『うそ』を歌うことで指摘してるのだ。

ごめんごめんごめんごめん。
ヤツに謝る筋合いなんてないから、皆さんにゴメンナサイ。
俺のブログ……じゃなくて随筆だ随筆っ!
これを楽しみにしてくださっている人が
それほどたくさんいるとはどうにも思えないのだが、
“土日を除いて毎日更新”を公約している以上、
とにかくひたすらマジメにゴメンナサイ。
俺は嘘つきになっちゃったのだ。
いや、言い訳はしない。
だが、忘れていたわけでもなければ
グースカピーと呑気に眠っていたわけでもない。
キーボードに向かうことができなかっただけである。

というわけで、今日は昨日の分を含めて、
もひとつ随筆をアップすることに決めている。
それを“お楽しみ”と考えてくださるか
“いやがらせ”と顔をしかめるかはキミ次第なのだが。

それにしても、あの男、
なんとまぁ回りくどいおちょくり方をするのだろう。
この性格の歪み方、さすがは俺の友達である。
しかも相手にはキッチリとダメージを与える、
という目的だけは忘れていない。
考えてみれば、ヤツは心理学を学んだことがあるのだ。

そう、俺は今、かなりのダメージを受けている。
困ったことに、あれから俺の頭の中には、
企画書を書いてるときも電話をしてるときも
スタッフ達と打ち合わせをしてるときも、延々と!
中条きよしさんのウェットでメロウな歌声が流れ続けて
ちっとも消えていってくれないのである。

「おぉれぇ〜たぁタバコぉの〜すいが〜ら〜でぇ〜♪」
頼む! マジ頼んます! 頼むからホント……。

2005年6月 7日

幼い夢のかたち


うおおおおおおおおおっ!

まるで『サーキットの狼』で多角形コーナリングしながら
ロータス・ヨーロッパのステアリングを握ってるときの
風吹裕矢のように、俺は心の中で大声で叫んでいた。
念のためにいうが、叫んだのは“心の中”で、だぞ。
こう見えて、もうじき41歳なんだから。
簡単には取り乱している姿なんてものを見せないのが
オトナのオトコのタシナミなんだから。

先週の日曜日の東京ビッグサイト、西展示棟の屋外駐車場。
『東京スペシャル・インポートカー・ショー』に
ジョイントするかたちで行われた
スーパーカーの展示イベントの会場を、
俺はシタッパーズのヘルメット坂上とともに訪ねていた。
このイベントの主催者から声をかけていただいて、
スーパーカーについて語るトーク・ショーに出演したのだ。

トーク・ショー自体には、特に変わったことはなかった。
姉妹誌『Rosso』編集長の桜井くんと、
あのブームの頃の出来事やこの仕事に就いてからの
スーパーカー体験について語りを入れたわけだが、
普段は思い出すことの少ない懐かしい出来事に
改めて触れてみるというのは新鮮な気持ちになれて楽しい。

桜井くんはスーパーカー専門誌をやってるだけあって、
クールなふりしてるくせにかなりの情熱家である。
俺と同い年で同じサラリーマンでありながら、
ランボルギーニ・ジャルパを所有してるのも尊敬に値する。
まぁ「乗ってない」という言い方をするってことは
俺のエランと同じで「現状では不動車」ってことだろう。
誰もそのクルマの姿を見たことがないということから
「目撃したら石になるらしい」だとか
「見た者は1週間以内に謎の死を遂げる」だとか、
「ポマード・ポマード・ポマードって
3回となえれば助かるらしい」といった具合に噂される、
都市伝説のひとつみたいにいわれることもあるが、
余計なお世話である。覚えてろよコノヤロー。

いや、まぁトーク・ショーは無事に終わり、
俺達お得意のジャンケン大会で賞品を大盤振る舞いし、
「ショーの会場もひととおり回ったし、
あとはGP2に参戦してる近い将来のF1ドライバー、
吉本大樹くんとお茶を飲んで話をしたら帰ろう」
なんて思っていたときに、その事件は起こったのだった。

うおおおおおおおおおっ!

このスーパーカー・イベントの主催者がテーブルに並べた
ビンゴ大会用の景品の中の一角を凝視しながら、
俺は心の中で大きな叫び声をあげることになったのである。

ちゃ……ちゃわん……。

そこには、あのスーパーカー・ブームの中期を過ぎた頃、
突如として店頭に並ぶようになった
スーパーカーのイラスト付き御飯茶碗があったのだ。

「どーしたんすか? ナニを叫んでるんすか?」
ヘルメット坂上が面白くもなさそうに訊ねてくる。
どうやら俺の心の叫びが、彼にも伝わったようだった。
「いやいやいやいや、声、出てますってば。
顔の表情が変わらないのに声は叫んでるから気味悪いっす」
……余計なお世話である。Web Tipoのスタッフ紹介欄で、
半キャップのヘルメットをかぶって妙な具合にエリを立てた
売れないホストのような姿をしてるヤツに、
気味悪いなんていわれたくない。覚えてろよコノヤロー。

ヘルメット坂上は、この茶碗を見てもたいして驚いてない。
それは世代の差といえるものなのかも知れない。
ヤツは「初めて見ました」と物珍しそうではあるが、
スーパーカー・ブームを経由した男の子達の中の
ある特定の年齢層にとっては、たまらないシロモノなのだ。

当時、誰もが認めるお子ちゃまだったなら、
この茶碗をストレートに買ってもらうことができただろう。
だが、ようやく中学生という微妙なところにいた
俺達の世代は、まずコレを手に入れることができなかった。
「もうオトナなんだから、そろそろ卒業なさい」
という簡単には越えられない壁が存在していたからである。

目の前には、3つのスーパーカー茶碗がふせっている。
赤と黄の2台のカウンタックが描かれたモノ。
ミウラとウラッコという組み合わせの貴重なモノ。
トヨタ2000GT風とケンメリGT−R風の見たことないモノ。

眺めているうちに、忘れていた欲望が急激に膨れあがって
コイツを何とか譲ってもらうことはできないか、
なんて考え始めている自分がいた。
あの当時、両親に言い出すことはできなかったが、
俺はほんとのほんとに欲しかったのだ。
メシを喰うときですらスーパーカーと一緒がよかったのだ。
まさか、こんなところでパンドラの箱が開くとは……。

ダメモトで訊いてみようかな、と思った。
俺は自炊生活者である。古い伊万里や有田の器も好きで、
ちょこちょこと買ってきては食事に使っている。
もちろんスーパーカー茶碗だって、手に入れれば使う。
食器というものは、使ってこそ最高に美しく見えるものだ、
というのが俺の中でのひとつの結論だからである。

俺は卓袱台代わりに使ってる江戸時代の火鉢のうえに、
キラキラ輝く白米をたたえたコイツがある光景を想像した。
続いて、自分が左手にそれを持って、
嬉しそうに食事をしている姿を思い浮かべた。

なんだかちょっと、おぞましい……。
どこからどう想像してみても、明らかにおぞましい……。

夢は夢のままでいい、ということだってあるんだな……。
そう感じた俺は、おとなしく茶碗を元のとおりにふせ、
人生というものの儚さを感じながら、
今夜はどの酒を浴びようかと考えつつ
肩を落として静かにその場を立ち去ったのだった。

2005年6月 6日

睡眠障害の根本にあるもの


それはほんの出来心で立ち寄った、
淡路島北部の東浦にある“道の駅”でのことだった。
俺達は“ひがしうら物産館”の前にクルマを停め、
飲み物と土産物を求めることにしたのである。

俺達の気を惹くものは山ほどあった。
地元でとれたタマネギだとか海産物だとか、
それらをベースにした加工物などはいうに及ばず、
ラーメンやうどん、菓子類、
その実は日本一の生産量を誇るという線香や香、
なぜだか判らないがクワガタのぬいぐるみなどなど、
それはそれは実にヴァラエティに富んだ土産物が、
ところせましと並べられていたのだった。

俺はすでに白状したとおり、訪ねた先の地場の食い物を
無意識についつい買い込んで帰る性癖があるから、
ここでもアンテナがピクピクして止まらなかったのだが、
同行していた自動車ジャーナリストである森口さんの
「これは……!」という声でふと我に返った。

森口さんは、オタクである。
田中むねよし画伯や本誌ナカジ〜と同じく
俺達とは別の星で生まれたと噂されている人物であり、
刃物で手を切ると緑色の血が流れるともいわれている。

オタクという生き物は、2種類に分けることができる。
ひとつは何かを発見したときに興奮して踊るタイプ。
もうひとつは何かを発見すると
静かに見入ってずっと観察しているタイプ。

森口さんは完璧に後者だ。
常に沈着冷静で、興奮してるところなど見たことがない。
さすが大学時代に数学を学んだ男だ。
ジッと観察して考察して知識をどんどん膨らませ、
必要なときに引き出しを開けて取り出すというわけだ。
つけ加えるならば、彼は非常に真面目な人である。
生真面目といってもいいくらい、真面目な人である。
ジョークを解してサラッと返すユーモアくらいは
楽勝で持ち合わせてはいるが、
いい加減なことをクチにして騒いだりはしない。

その森口さんが「これは……!」と興奮してるのだ。
とてもじゃないが、ただごとには思えない。
彼の視線の先にあるのは何かと慌てて目で追うと、
そこにあったのは、何とっ!
およそ畳2枚分のスペースにぎっちりと並べられた、
昔懐かしい『吹き戻し』の山だった。

『吹き戻し』というオモチャを御存知だろうか。
細い円筒状の笛の先にやわらかく長い紙筒をつなげ、
それがバネみたいな感じに丸く巻かれている。
クチに加えてピーッ! と吹くと先がスルスル伸び、
クチを放せばヒャラヒャラヒャラと音を立てつつ
先っぽからクルクルと巻きながら戻ってくる玩具である。

ここから先はモロに受け売りになるが、
『吹き戻し』はほかに『巻鳥』『巻笛』『蛇笛』、
あるいは『ピーヒャラ』などと呼ばれており、
原産は中国らしいといわれているが、
昭和の初期頃には日本のいたるところでつくられていた、
まさに“昭和の文化遺産”と呼べるものだ。
知らず知らずに肺の強化や腹式呼吸の訓練にもなり、
喘息や言語障害のリハビリにも効くといわれている。
昭和に子供時代を過ごした世代であれば、
オモチャ屋さんや土産物屋さん、祭りの夜店などで、
必ず目にしたり吹いてみたりしたことがあるはずだ。
今ではこの『吹き戻し』、80%が淡路島産なのだという。

「おおおおっ!」と、つい俺も声をあげてしまった。
しばらく見てなかったし実のところ存在すら忘れていたが、
この“昭和の文化”はまだこうして生き残っていたのだ。
しかも、驚くほどのヴァリエイションを誇り、
こうして逞しくカラフルに展示され、販売されている。
俺は不思議な懐かしさに包まれながら子供時代を想い、
「昔は素直だったのに、なぜこんなになっちまった?」
「あの頃はピュアだった。俺はいつから汚れちまった?」
「おふくろ、すまん。俺が悪かった」
と妙な具合に反省させられ、しんみりとした気分になった。

だが、森口さんはちょっと違っていた。
なんだか少し嬉しそうな表情で瞳を輝かせながら、
ただ1点をひたすら凝視してるのである。

それは、ひとつの本体に19個の『吹き戻し』の先っぽを
ジョイントでつなげることのできるシロモノだった。
壁に貼ってあった説明書きを見ると、
1本の本体をクチにくわえた男がプッと吹いたその先で、
19本もの『吹き戻し』があっちこっちと一斉に、
見事、放射状に花開いている写真があった。
こりゃ肺活量がかなり必要になるだろうな、と思った。

その名は『地獄のピーヒャラ』。

うははははは。なんとシュールなネーミング!
呼吸困難に陥って地獄に堕ちるというわけか。
ピーと吹いてヒャラヒャラ戻ってくる子供用のオモチャで、
俺は地獄なんかに堕ちたくはない。
だが森口さんは、その『地獄のピーヒャラ』を凝視して、
そのまま止まって動かないのである。

森口さんが『地獄のピーヒャラ』を買ったのかどうか、
俺はそれを確認したりはしていない。
買ったかも知れないし、買ってないかも知れない。
だが、淡路島から帰ってきてこっち、
そろそろ寝ようかと思って横になると決まって必ず、
『地獄のピーヒャラ』をクチに加えて真っ赤な顔をした
生真面目な森口さんの顔が脳裏に浮かんできて、
おかしくて眠れなくなっちゃうのである。

お願いです。もう勘弁してください。

2005年6月 5日

切ない眉間

大変なことを発見してしまった。
数が合ってないのである。

“土日を除いて毎日更新”を公約してるにも関わらず、
このブログ……じゃなくて随筆だ随筆!
この随筆の本数とこれまでの日数を数えてみると、
どーしても1個足りないのだ。
だから社内的なレギュレーションを無視することにして、
こうしてキーボードをちゃかぽこ叩くことに決めた。
ただでさえなぜだかあっちこっちで評判が悪いのに、
このうえウソツキ呼ばわりされたら悲しいじゃないか。
こんなにも誠実に生きてるのに……自分に対して、だけど。

というわけで、ホビダスの話だ。
ホビダスは“趣味のポータル・サイト”として生まれたが、
ただブツの売買だけを目的にしたモノではなく、
訪ねてくれる人達にもっともっと楽しんでいただくために、
今後いろいろなコンテンツを設けていく計画がある。

その中のひとつとして、クルマ専門のお楽しみページも、
当然のごとく思案されているわけだ。
現時点ではいろんなことを試みたり検証している最中、
乞う御期待! っていうところなのだが、
……これってまだ内緒にしてなきゃいけなかったんだっけ?
まぁいいや。いいことにしちゃおう。
怒られるのには慣れてるから。40歳のくせして。

で、写真は今回のホンダの淡路島・神戸試乗会の初日の夜、
さっそく新しいステップワゴンの試乗記を
ホビダス・ニュースにアップしている最中のカットである。
もちろんこれは検証のうちのひとつでもある。

手前側の円卓は、向かって右側が
エンスー界の救済大魔王こと森口将之さん、
そしてホンダの広報氏と技術者の皆さんだ。
俺は早々とブログ……じゃなくて随筆だよ随筆!
その随筆を夕食にちょっと遅れながら何とかアップして、
その後、1泊の試乗会では恒例行事でもある
懇親会の席で彼らと有意義な語らいをしながら、
ホテルのバーで心地好い1杯を楽しんでいたわけだ。

この懇親会ってのは、本当に有意義だ。
雑誌屋以上に日頃からクルマに密着している彼らから、
実に様々なことを教えていただくことができるのだ。
これねぇ、ほんっとにベンキョーになるのだよ。

だが、今回はその輪から外れて、
一種異様な雰囲気でパソコンの画面を眺めてる男達がいた。
チーム・ホビダスである。
奥の円卓、向かって左はカー・マガジン副編集長であり、
前日に俺をマヌケ扱いしてなぜだか安心してた新井くん。
その隣のヤケに青い顔をしてるのは
ホビダスの技術者でありWeb Tipoの裏管理人でもある、
凹んだロードスターに乗っている小堀くんだ。
彼らは懇親会の席の隅っこに陣取って、
今まさに記事をアップし終えようとしてるところである。

この晩、新井くんは夕食をすませると「30分で戻ります」
とホテルの自室にこもって試乗記を書き上げ、
宣言したより1時間半の後に舞い戻ってきたのだった。
雑誌の場合はこうして着々と締切が破られ、
ひとりひとり印刷所のブラックリストに載せられていく。
……へ? 俺? ……ごめんなさい。真っ黒です。

まぁそれはいいとして、小堀くんは原稿を待つ間、
最初は俺達と一緒に円卓を囲んで飲んでいたが、
「あがり!」の連絡と同時に瞬間的にプロの顔に戻り、
新井くんの部屋へと急いで向かっていった。
だがそれから10分して、ふたり揃って難しそうな顔で、
パソコンを抱えてバーに戻ってきたのである。
部屋でアップをすませようと考えていたらしいのだが、
部屋ではカード型PHSが全く役に立たなくて、
電波のある場所を探してるうちにバーに漂着したようだ。

俺は大人だからその場で騒ぎ立てることはしなかったが、
根に持つタイプだからここで教えてあげることにする。
あ〜あ、部屋にはしっかりとLAN環境が整ってたのにぃ。
ヒトのことをマヌケ扱いして安心してるから
そういうことになるという教訓である。うはははは。

とにかく、それから苦節20分、
彼らは電波状況が悪かったせいか、それとも
ネット特有の“いつまでも直しを繰り返せる”という
壮大な罠にはまって新井くんが原稿を修正し続けたのか、
ようやくアップを終わらせることができて
彼らはこちらの円卓に移ってひと息つくことができた。
……おつかれさま。頑張ったじゃん。

こうしてホビダスは日々もっと楽しいサイトとなるべく、
スタッフそれぞれが懸命になって動いてる。
だから「今後に期待してね!」と
手前味噌を承知で堂々と宣言できるのである。

それにしても、暗いバーの片隅で
ボーッと青白い光に浮かび上がりながら画面を見る男達。
こうして写真になると、まるでひっそりと
エロ・サイトを覗いてるふうにしか見えないだろうが、
彼らはこれでも真剣なのである。
俺は彼らの頑張ってる姿に、深く深く思うのだった。
もしエロ・サイト見ててあんなに眉間にシワが寄ってたら、
そりゃいくらなんでも切なすぎるじゃないか──と。

2005年6月 3日

哀愁のタコ明太マヨネーズ

淡路島と神戸を走る出張から帰ってきた。
と書くと、まるで日記みたいだからとっても新鮮だ。
「ブログってのはそういうもんなんだよ本来は」
という声も聞こえてきそうな気もするが、
このコーナーは『ブログ』なんぞじゃなくて
あくまでも『随筆』なのでお間違えなきよう。ふはははは。

……危ないところだった。またしても脱線寸前である。
とにかく俺は、帰ってきたのだ。

こうした出張は少なくない。
同業の他の編集長達とは性質の異なる仕事もしてるので
彼らと比較すれば少ない方だとは思うが、
この仕事に就いてから、東京以外の場所に出向いて
現地で仕事をすることが大幅に増えたのは事実だ。

そうなると「いろんな地方にいけて、いいですね」
といわれることも多いのだが、実はそういうものでもない。
確かに、もはや足を踏み入れたことのない県などないし、
北海道に年に4回飛んだこともあれば
九州を縦断したことも四国を1周したこともあるし、
タイミングさえ問題なければ海外にだって飛ぶ。

だが、そうした土地にいくことはいくのだけれど、
ひたすらクルマに乗って乗って走って走って、
その日のデューティをこなして、
というのに専念せざるを得ないのが常。
クルマに乗って走るのは楽しいから嬉しいが、
ほとんど観光めいた体験をしたことがないのである。
東京にいようが箱根にいようが網走にいようが
佐賀にいようがスパ・フランコルシャンにいようが、
やってることはいつもと一緒、変わらない。
ごくごく一般的な1泊の観光旅行を年に2回、
みたいな旅の仕方の方がよっぽど充実してると思う。

地図によればこの道を1本外れればアレがあるのに、
あそこに有名なナニの影がちらっと見えるのに、
あの山に登れば本で見た光景が一望にできるはずなのに、
そうしたものをまるっきり無視して走るのだ。
遠くにあるなら諦めもつくが、
俺達はいつだってほんのすぐ脇を走ってるのである。
これはこれで、なかなかフラストレイションがたまる。
俺だってこう見えて中身は普通の男の子、
別の土地にいけば観光のひとつぐらいして帰りたいのだ。

「いいもんねー、いつか遊びに来るんだから」
これが心の中での毎度の捨て台詞なわけだが、
そうした幸せな“いつか”にお目にかかった試しはない。

だから俺の場合は、心が無意識に土産物へ走るわけだ。
空港や駅、サービスエリアの土産物屋には敏感に反応し、
短い時間にパパパッとコトに及ぶのである。

いや、御当地限定キティちゃんを物色するわけではない。
あれは種類が多すぎて始末に負えないから。
せめてその土地らしい何かを確実に体験したい気持ちが、
“自宅でも御当地を感じられる食い物”をひたすら漁る、
という行為に俺を掻き立てるのだ。
自宅に戻ってそうした“土地の名産”を噛み締めながら、
俺は近くまでいったくせに“未だ見ぬ”観光地に思いを馳せ、
その土地や歴史が育んできた文化や風習に思いを馳せ、
何ともいえないしみじみとした感慨に浸るのだ。

もちろん今回もしっかりと戦利品を持ち帰ってきた。
俺の弱いところを突くものが並ぶ海沿いの土地ゆえ、
地元のおっさんやおばちゃんに
どれが美味くて何がオススメなのかを手早く取材し、
実に効率よく買い物かごに放り込んだ。
前にも述べたが、俺はその気になれば取材能力が高いのだ。

タコの明太マヨネーズあえ。
イカと昆布の半生タイプのふりかけ。
あなごの甘露煮。
天日干しのちりめんじゃこ。
タマネギ天。
淡路手延ふし麺。
忘れちゃいけない鯛メシの素。

勝った、と思った。何に勝ったのかは判らないが、
とにかく勝利の美酒に酔うような気分にも似た上機嫌だ。
これだけあればしばらくの間は楽しめるに違いない。
大きな充実感に包まれて
戦利品を慣れた手つきで戸棚や冷蔵庫に整理していると、
俺はちょっとしたことに気がついて嬉しくなった。
賞味期限はほとんどが7月1日以前。
今回の戦利品は贅沢なことに、
比較的フレッシュなものが多かったのだ。

俺はひとり暮らしである。
ひとりじゃとても食べきれない……。

2005年6月 2日

非行に走る理由


今朝、羽田空港で飛行機に乗ろうとしたときのことだ。
自動車ジャーナリストの森口将之さん、
神村聖カメラマンと連れ立って搭乗口に差し掛かったとき、
航空会社の制服を着たおねえさんに声をかけられた。

「申し訳ありませんが、ご搭乗券をお預かりいたします」

……なぬ? 「拝見いたします」じゃなくて?
あとは目の前の改札機にガチョンって通すだけなのに、
ご搭乗券をお預けしちゃったら飛行機に乗れないでないの。
まぁそういうからには何かしら理由があるんだろう。
このおねえさん、航空会社の人みたいだし。

だが、若い女性に声をかけられることに慣れてない俺は、
不安になって念のために訊いてみたりしたわけだ。
「どしちゃったんですか?」

おねえさんはニコやかな表情を少しも崩さないまま、
いきなり恐ろしいことをいった。
「はい……不良なので……通すことができないんです」

なんてこった! ここでもかいっ!?

後ろのお子ちゃまが騒いだから途中聞き取りにくかったが、
俺は今、間違いなく「不良」と断定された。
しかも「通すことができない」と。

ちょっちょっちょっちょっ。ちょっと待ってくれ。
確かにそういう扱いをされることは少なくはないが、
俺はちっともそういうモノじゃない。
そう見えるかも知れないけれど、実は違うのだ。
人相はいいほうではないという自覚はあるが、
そんなに悪いヤツじゃないという自覚もある。
何かを隠し持ってるとピィーッと鳴る、
あの忌々しい機械の下だって2回目に見事クリアしたし、
余分に持ってた100円ライターだって
規定に則ってちゃんと寄付したじゃないか。

だいたいそういう見かけでヒトを判断する風潮があるから、
ニッポンのショーネンショージョ達は
いつだって苦い想いを強いられるのだ。
キミ達のそういう心ない無自覚な行為が、
若者達を知らず知らず非行に走らせるのだ。
俺には解る。俺にはよーく解る。

──と、わずか数秒のうちに無言で考えていたら、
おねえさんはクルッと振り返るとすぐこちらに向き直り、
「大変失礼いたしました。こちらをお使いください」
と、別のご搭乗券を差し出した。

な……なにぃ? いったい、なんだったんだ?
「お客様がお持ちになっていたご搭乗券、
お渡しした後に磁気不良であることが判明しましたので、
ただいま新しいご搭乗券と交換させていただきました」

なるほど。合点がいった。
「磁気不良なので機械を通すことができないんです」
と彼女はいっていたわけだ。
そうだろうそうだろう。ふっふっふっ。
俺はこれでもまっとうにやってる社会人だ。
初対面の人に、いきなり
そんなふうな見方をされるはずなどないのである。

改札機にガチョンとチケットを飲み込ませ、
何気ないふうを装って歩き始めると、
後ろから来た森口さんが罪のない口調でこういった。
「嶋ちゃん、何をいきなりギクッとしてたの?
もしかして“見破られた”って思った?」

繊細な俺の心は、日々こうして傷を深めていくのである。

というわけで、俺達は今、淡路島にいる。
ホンダ・ステップワゴンの試乗会に来ているのだ。
新しいステップワゴンのインプレッションについては
カー・マガジン副編集長の新井くんが
ホビダス・ニュースで速攻レポートをするから、
まずはそちらを御覧いただきたい。
で、写真は急速に東京化の進む淡路島の、
……とごまかしたいところだが、バレバレだよなぁ。

実はデジカメでパシャパシャと写真を取り、
Macに取り込んでアップするぞ! と思っていたら、
デジカメとMacをつなぐケーブルを東京に忘れてきていた。
カー・マガジンの新井くんに借りようと思ったら、
ちょうど合うケーブルがなかっただけでなく、
「いかにも嶋田さんっぽいマヌケっぷりで安心しました」
と、なぜだか喜ばれてしまった。
……俺がマヌケだと、何でキミが安心するんだ!?

繊細な俺の心は、日々こうして傷を深めていくのである。

2005年6月 1日

ブログなんて、もうヤメた!


近頃、俺は猛烈な勢いで糾弾されている。
ある日は真顔でとくとくと説かれ、
ある日は嘲笑混じりにやんわりと揶揄され、
ある日は頭ごなしに爆撃され、
ある日は無言で肩をポンポン叩かれたりもする。
目が合った瞬間に視線をそらすヤツもいる。

今日、記念すべき6月1日、
趣味のポータルサイト『ホビダス』がオープンした。
いろいろとサイト内をパトロールしてみたが、
なんだかこれからどんどん面白くなりそうな予感がして、
俺自身もちょっとばかりワクワクしてる。

ティーポのホームページは、
実はこの『ホビダス』と連動するカタチで
計画が進められてできたものだから、
やっぱり今日がめでたく正式オープンなわけなのだが、
俺はここにひとつ、宣言をすることにした。

もうブログなんてヤメちゃうもんねーだ。けっ。

だってさぁ、来る日も来る日も顔を合わせれば
「ブログにしては長すぎる。ブログは短いもんだ」
「ブログでこんなに長いと読む気になれない」
「こんなブログは見たことない。常識はずれだ」
「おまえはブログのことを解ってない」
……なぁーんてことばっかり言われ続けたら、
最初のうちは口元にニヒルな笑みをたたえながら
「ブログが長かったら天変地異でも起こるのか?」とか
「俺のブログでおまえに何か迷惑でもかかったか?」とか
「ならば俺がブログ界に波紋を投げかける」とか
そんなふうに余裕を持って返していたが、
さすがにこれだけ続くと戦うのも阿呆らしくなってくる。

だれかが定めた決めごとを尊重して平穏に暮らす。
それもひとつの生き方だろう。
だが、申し訳ないけれど、俺にはできない。
親が泣くのを見るのがつらかったから努力はしてきたが、
できないまま40年間、生きてきてしまったのだ。
その報いだって、充分に受け取っている。

いいトシをして反逆者を気取るような
カッコ悪いことをするつもりなんて毛頭ないが、
俺には誰かが決めてくれた親切なルールを守るという、
そのスキルと心のゆとりもないのである。
自分の決めたルールを守るだけで精一杯なのだから。

人生ってのは、何かのペナルティなんかではない。
他人から背負わされたモノに汲々とさせられ、
笑うことすら忘れてしまう日々なんてまっぴらである。
俺はいつだって大きくクチをあけて笑っていたいのだ。
そのためには痛みや苦しみの衝撃を喰らわされながらも、
もがいてもんどりうって立ってまた転んでと、
情けなくもバツの悪い思いを繰り返しつつ、
自分で掻き分けて前に進むしか道はないと思うのだ。

というわけで、俺はブログをヤメにすることにした。
正確にいえば、ここをブログじゃなくすることにしたのだ。
『本日も場外乱闘』は、もしかしたらホビダスの中では
形式上“ブログ”扱いされちゃうかも知れないが、
えーと……そうだなぁ……なんていえばいいのか、
そう、随筆だ! 随筆として続けていくことにすればいい。
どこかに“Web日記”と刻まれてるのもヤメにして、
“Web随筆”に変更しちゃえばいい。

随筆といえば高尚なモノのように思われがちだが、
それは難しい漢字が使われてるからそう感じられるだけで、
俺の電子辞書の中の“広辞苑”にはこう書いてある。
「見聞・経験・感想などを気の向くままに記した文章。
漫筆。随想。エッセー」
ほら見ろ。与太話だって充分に“随筆”のうちじゃないか。

それにしても、ま……漫筆。おぉ、モーレツ♪ である。
なんともすごい響きに聞こえる言葉もあったものだ。
これもまた広辞苑で調べてみると、
“漫”とは「とりとめのないこと。しまりのないこと」。
ほんじゃ“随”はどうかといえば、
「気まま。わがまま。狂」の意味があるらしい。
うはははは。これはまさしくピッタリじゃないか。
これだこれだ。“随筆”か“漫筆”のどちらかしかない。
俺の生きる道はここにあったのだ。

思わぬところで漢字の学習をしてしまった俺は、
「おまえのブログは長すぎる」という言葉に対して
「ブログなんかじゃないもんねー」と切り返す材料を得て、
よーし明日もやるぜ! と心に誓ったのであった。

……へ? いやいや、ここはヤメないんだってば。
こんな楽しいこと、ヤメるわけないじゃん。
俺は「長い!」に対して「やかましい!」と、
堂々といえる武器が欲しかっただけなのだ。
そう。やめるわけなんかないのである。
だって俺は、ちょっとばかり寂しがり屋さんなのだから。