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2005年7月

2005年7月22日

ちゅーしゃ禁止っ!


恥を告白するようでナニだが、俺は注射が嫌いだ。
みんな平気な顔をして受けてるけれど、俺にはできない。

多少なりとも武道の心得はあるから、
その後どうなるかは別として、刃物をつきつけられても
それほど恐いと感じたことはなかったが、注射はダメだ。
だって剣道にも居合いにも、注射器はでてこない。

5年ほど前だったか、長年のメンテナンス不足が原因で
奥歯が欠けてしまったことがあった。
当時住んでいたところの近くの歯医者さんにいくと、
安く見積もってもこの道数十年といった感じ、
年の頃なら55歳から無限大の間と思しきじいさんが
「おお。こりゃあ削って差し歯ですな。はっは」と
明るく言い放つので、しぶしぶそれを受けることにした。

だが考えてみれば、奥歯を削るには麻酔が必要である。
中学生の頃に前歯を折ったときの記憶が蘇った。
差し歯の土台を整えるために前歯の根元を削る施術で、
確か太い注射針をいきなり歯茎にブスッ! と刺された。
そのときの痛みの壮絶さといえば
正面から口元にまっすぐパンチが入るときのそれを
軽く上回るほどのものだった。
なにせ歯茎である。体験したことのない人は、
試しにツメで歯茎を突いてみるといい。痛いから。
しかも幼い頃から大嫌いだった注射器が、
ジワジワと近づいてくるのを拡大画面で見てるのだ。
人生最大の恐怖だったといっていい。
そこで俺は、このとき、ついついこういってしまった。

「あのぉ……麻酔なしでお願いできませんか?」
「おお。麻酔なし? ほお。どうしてまた?」
「嫌いなんです、麻酔」
「なるほど。痛いですよ麻酔しないと。はっは」
「いや、麻酔されることに比べたら……」
「ほお。そんなに嫌いですか。はっは」

というわけで、俺は施術台に寝かされて横の取っ手を握り、
麻酔なしで奥歯とその内側を削ってもらった。
途中、クチから鼻孔にかけてが血の匂いで満たされてきて、
「ふぅんがああああああぁ!」だとか
「おごぁあああああああぁ!」だとか叫んだ記憶はあるが、
その実は途中からのことを何も覚えてなかったりする。
気づいたらじいさんがニコニコと満面の笑みで、
「いやあ、あなたすごい。麻酔なしで。ずっと目をあけて。
気絶しなかったなんて。たいしたものです。はっは」。
……たぶん気絶してました。すんません。

硬直し切って取っ手を握ったまま貼りついている手を
引きはがしてもらった後の、この会話は忘れられない。
「しかし、なんでまたそんなに麻酔が嫌いなんですか?」
「いや、麻酔がっていうより、注射が嫌いなんです。
歯茎の注射、25年くらい前に体験して……激痛が……」
「おお。痛いですからな。歯茎の注射は。はっは。
でも、もう何年も前から先に麻酔薬を脱脂綿にしめらせて、
歯茎に当てて麻痺させてから注射するようになってるので、
昔と比べたら全然痛くなくなってるんですよ。はっは」
……先にいってください。お願いだから。

ともあれ、それほどまでに俺は、注射が嫌いなのだ。
幼い頃から徹底的にダメだったらしいから、
おそらく何か嫌な幼児体験でもあったのかも知れない。
なにしろ今でこそ、ごく限られたシチュエーションでは
白衣を見て喜んだりすることはあるにせよ、
子供時代には白衣姿の人を見ただけで泣いたらしいから、
白衣=注射=痛い=恐い、という図式が
頭の中にガッチリとできあがっていたに違いない。

だから俺は、年に1回の定期健康診断の日が来るのが、
憂鬱で憂鬱でたまらないのだ。
採血のために血管に1本、バリウム飲むために筋肉に1本。
合計2本もの注射針が俺の身体に入ってくるのである。
考えただけでもゾッとする。
だが、嫌でも来るべきものは来てしまうのだ。

俺は毎年のように病院内で結果的に小さく騒ぎを起こし、
それほど広くはない検診センターの中にいる御同輩達の
嘲笑と侮蔑の渦の中で肩をすくめることになる。
看護士さん達には年に1〜2回しか会わないというのに
名前を覚えられたりしているし、
目が合った瞬間に下を向いて吹き出す人すらいる。

だが、今回の俺は違う。このところ自分の弱さに呆れ果て、
考えるところがあって、ちょうど数日前に決心してたのだ。
「これからの俺はもっと強い男になろう」と──。
自分を試す、いいチャンスである。
注射がなんだ。たかが針じゃねーか、そんなもん。
顔色ひとつ変えずに耐えてみせるよ。
注射くらい、なんてことない。なんてことないよ。うん。

注射されるときの俺は非常にセンシティヴだ。
この身体に埋め込まれてる総ての神経という神経が
そこ1点にギュッと集中してるわけで、
目を閉じていても針が自分の肌に向かってくるのが判る。
かすかな空気の動きで、判っちゃうのである。
針が刺さる直前の微小な風まで察知できるくらいなのだ。
普段は、それが判っちゃうともうダメで、
空いてる右手は何かすがることのできるものを求め、
黙ってるつもりなのに「うああああ」と声が出てしまう。
だが、今回の俺は違う。もう、ぜんぜん違うのだ。
違う自分になった証拠を残しておこう。
そう考えて、看護士さんに写真を撮ってもらうことにした。

そのときの光景が、この写真だ。
自分ではかなりいいところまで来てると思ってはいるが、
もうちょっとだけ修行をしたほうがいいようにも思う。

どこかにマグダラのマリア様のように、
美しくも一途で慈悲深い女医さんでもいないものだろうか。
必死で口説いて、マンツーマンで指導してもらうのに。
そんなことを考えている俺は、
やっぱり……バカなんだろうなぁ底なしに……。

2005年7月 7日

がんばれ織姫! がんばれ彦星!


今日は七夕、だ。
1年に1度だけ織姫と彦星が天の川でデートをする、
というロマンティックな言い伝えのある日である。
子供の頃にはそれがどれほど切ないことかを知りもせず、
笹の葉に短冊を飾っては無邪気に喜んだものだ。

7月6日の晩に祈りを刻んだ短冊を飾り、
7月7日の晩にそれを取り込んで川に流す。
俺の実家では7日に飾って8日に取り込んでいたし、
1ヶ月遅れの8月にそれを行う土地もあるようだが、
6日に飾るのが最もポピュラーなしきたりらしい。

七夕の話には諸説たくさんあるけれど、
俺の知る限りでは中国の伝説が起源なのだという。

天の川の東で機織りに勤しんでいた女性がいた。
天を司る帝がこの女性をたいそう可愛がって、
天の川の西側にいる勤勉な男と結婚させた。
彼女は新しい生活の楽しさに機織りを忘れ、
怒った天の帝が彼女を天の川の東に追い返した。
そして年に1回、この日だけ、ふたりの再会を許した。
確か、そんな話だったように記憶してる。

なんてことしやがるんだコノヤロー!
織姫さんと彦星くんが、かわいそうじゃねーか!!

たとえ天を司る帝だろうが何だろうが、
人の恋路を邪魔するヤツは
頭に豆腐を角からぶつけてやるから悔い改めろ。
あんたは恋をする人間の“心”が解らん唐変木か?
ちゃんとしっかり言い聞かせれば彼女だって反省して
また機を一生懸命に織っただろうし、
男の方だって「一緒にがんばろーぜ」って彼女を励まして、
もっと幸せになれる道だってあったかも知れないのに。
そもそももう何千年も経ってるんだから、
いい加減に許したらどうだ、この粘着オヤジめ。

──と、俺は毎年この日が近づいてくるたびに、
人の“心”を屁とも思ってないような
繊細さの欠片もない帝の仕打ちに怒りを覚えるわけだが、
ともあれ七夕は恋人達があらためて愛に触れる夜、
万葉集に130首以上も唄われているほどの昔からある
ロマンティックな時間なのである。

七夕に限らず、星にまつわる話には、
気持に訴えかけてくるような叙情的なものが少なくない。
幼い頃に母親に読んで聞かせてもらった
いくつもの星の話に、小さな感動をもらってきた。
そこには、いくつもの“心”があった。
だから今でも、夜空を眺めるのは嫌いじゃない。

けれど最近、俺はちょっとガッカリしてる。
そりゃあんまりじゃねーか?
と思えるような出来事があったからだ。
『ディープ・インパクト』である。
飛んでる彗星に重さ約370kgの物体を高速で衝突させ、
その様子を科学的に観察する、というアレだ。

確かにすごい技術だ、とは思う。
しかも探索という名の実験は、見事大成功だという。
人間が築き上げてきたテクノロジーってのは半端じゃない。
そういう部分に誇りを感じないといえばウソになる。

でも、だ。きっと俺がバカだからなのかも知れないが、
いや、間違いなくバカなんだとは思うが、
それが何なんだ? と感じられて仕方ない。
衝突によって彗星がどんな変化をするのか知ったところで、
それがいったいどうした? と。

学術的には興味深いことなのだろうが、
俺達の知らないところでかなり意義深いのかも知れないが、
俺は彗星の変化が解ったところでちっとも嬉しくない。
これっぽっちも幸福感を得られたような気がしない。
会話の穴埋めみたいに話題にしてるヤツを見ると、
つい「何が嬉しいんだ?」と尋ねたくなる。
ヒネクレ者と呼ばれようがどう思われようが、
何だか釈然としないものが残って、
腹立ちに近いような気分がしてならないのである。

テンペル彗星は、周期彗星。
映画のように地球に激突しようとしてるわけでもなく、
ただそこにいるだけじゃないか。
散歩してるところをいきなり殴られるようなもんである。
星に“心”はないだなんて誰にも断言はできないわけで、
もしかしたら今夜の織姫さんと彦星くんのように、
恋人彗星とデートしてる最中だったかもしれない。
それはそれは痛かっただろうなぁ、と思う。

わざわざ独立記念日に、というのも気に入らない。
俺はこうした「見て見て。ほら、僕ってさぁ、
こんなにチカラがあるんだよ。すごいでしょ?」みたいな
奥ゆかしさのないやり方は大嫌いなのだ。

俺はバカである。
それをハッキリと認めたうえで、こんなことを考える。

この実験に、果たして“心”はあるのか──?

俺達人間は、天の帝なんかじゃない。
織姫さんと彦星くんの仲を裂く権利など、誰にもない。
星々のランデヴーを壊す権利も、誰にもないと思うのだ。
そりゃ星の研究をなしていくのも大切なのだろう。
俺達人間は解らないことだらけの中で生きているのだから、
解らないことを解りたいという欲求は間違っていない。

けれど、少し立ち止まって考えてみたらどうか、と思う。
大空の遙か高みにある宇宙に手を出す前に、
俺達人間がこの地ベタで人として生きていくうえで、
もっと解ろうとすべきことがあるんじゃないか? ──と。

今、あなたの隣にいる人は、何を想い、何を考え、
どんなことに笑い、どんなことに泣いている──?

人の“心”の中にある宇宙はどんな宇宙よりも難解だけど、
数多あるあらゆる宇宙より愛しいものだと思う。
そりゃ総てを理解することなんてできないだろう。
そんなこと、たぶん不可能だ。できっこない。
けれど、完璧に理解しきれなかったとしても、
もしあなたが心から大切に思うのならば、
もがきながらでも、のたうちまわりながらでも、
自分の“心”の中にある宇宙をもっと大きく広げていけば、
温かく抱きとめることくらいはできるんじゃないか?
そしたら何かが、変わるんじゃないか?

うう……ついうっかりこんなことを考えちまうなんて、
俺もいい加減ヤキがまわってきたのだろうか。
それともこれは、「裏庭に神が降りた」とか宣言をして、
新興宗教でも始めてみろという天からの御託宣?

まぁいいや。
どっちにしても、今夜はしみじみと呑もう。