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2005年8月

2005年8月14日

この8月14日に想うこと──

ガキの頃から予習というものが苦手だった。
この歳になっても全く変わってないというのがナニだが、
いつだって“今”を生きることだけで精一杯だから、
とてもじゃないが将来や近い未来に意識を向けて、
明確なビジョンを持って前向きに行動する、
というような利口なことができた試しはない。
ものすごーく第三者的に冷静な目で見るなら、
いわゆるひとつのバカである。

だものだから、小学校や中学校の遠足や修学旅行でも、
帰ってきて土産物の袋を見て初めて、
どこにいってきたのかを認識した、なんてこともあった。
授業で修学旅行の事前学習なんてのを受けた気もするが、
俺はそのとき、いったいナニをしてたんだろ……?

だが実は、それとほとんど同じような体験を、
大人になってからもしたことがある。

俺はずっと、イタリアには行ったことがないと思ってた。
けれど俺はどうやら、イタリアに行っていたらしいのだ。

……お。またホラ話か……と呆れてるだろ?
いや、残念ながらこれは本当の話。しかも簡単な話。
パスポート・コントロールを通過したときにすら
全く気がついてなかったというのもマヌケだと思うが、
陸路移動のとき、知らぬ間に足を踏み入れていたのである。

数年前に真冬のフランスのアルプスの麓で行われる
シャモニー24時間レースを取材しに行ったときのこと。
俺達を誘ってくれたオペルのスタッフ達と一緒に
ドイツのフランクフルトからスイスのジュネーヴを経由し、
シャモニーに入るというルートでクルマ移動したのだが、
アルプスの尾根づたいを流れる山道を走っているときに
ちょっとばかりオフセットして山を下り、
山の中腹にある本当にこじんまりとした村で食事をした。
そこがイタリア北西部だったということを、最近になって、
そのツアーに同行していた某氏から聞かされたのだ。
その村の名前なんてちっとも覚えてないのだが、
そういえばパスタが死ぬほど美味くて、
メインが出てくる前に腹一杯になった記憶だけはある。

どうしてこんなことを思い出したかというと、
先日、日本にちょっと帰国されていたミラノ在住の
『イタリア自動車探偵』さんと、都内でお会いしたからだ。

俺はどういうわけか今年に入ってから、
エンツォ・フェラーリがサインをするときに使っていた
パープルのインクが気になって仕方ない。
どこのメーカーのどんなインクで、どんな色なのか──。
できることなら自分で万年筆にそのインクを注入し、
エンツォと同じ色のインクで文字を刻んでみたい、
という想いをなぜだか頭から消すことができないのだ。

あやかりたい……のだろうか?
いや、それはたぶん違う。
俺はそんな大それたことなんて考えちゃいない。
歳を重ねた先も、毎日ヘラヘラと笑って暮らせれば
それで充分だと思ってる。何もいらない。
ただただ紫色のインクが気にかかってしょうがないのだ。

そこで国内で調べられることは総てやって不発に終わり、
フェラーリの日本総輸入元であるコーンズの協力で
本国に問い合わせていただき、
ちょっとした進歩といえる回答をいただいた、
というところまではティーポ本誌でも報告した気がするが、
そこから先、俺はやっぱり粘着質なんだろうな、
まだまだ追うのをヤメずに自動車探偵さんにお願いして、
今度はイタリア国内であれこれ調べていただいていた。

その結果、判ったこと──。
どうやらエンツォが使っていたインクのメイカーである
Gnocchi=ニョッキはすでに存在していない。
つまり同じインクを手に入れることは不可能、ということ。

ガビーン! であった。

だが、自動車探偵さんはさすがプロフェッショナルである。
当時フェラーリにインクを収めていた文具屋さんと、
当時ニョッキでインクをつくっていた職人さんを、
ものの見事に探し当ててくださったのだ。
しかも職人さんからは、こんな言葉をもらってきてくれた。
「当時の製品番号が判れば、すっかり同じ配合で
まったく同じ色のインクをつくってあげてもいいよ」

……どうする?

俺は瞬間的に、つくってもらいたい気持ちになった。
自動車探偵さんに製品番号を調べてくださいとお願いした。
ほとんどつくってもらおうと考えてるようなもんだ。
だが、その先どうするかまでは考えてない。
俺は先のことまで考えることが、やっぱりできないのだ。

ハッキリとバカだとは思うが、俺はバカでいいや、ずっと。
とりあえず当たってみよう。今はそれだけ。

──今日は8月14日。
エンツォ・フェラーリの命日である。
1988年の今日、エンツォは90歳で天に召された。

自動車の歴史に、モーター・レーシングの世界に、
誰もが意識せずにはいられない大きな遺産を残した
エンツォ・フェラーリという男の人生って、
本当はどんなだったのだろうか。
彼は実際には、どんな人物だったのだろうか。
多くの本に記されているように、冷徹な人物だった?
それとも僅かな記述に残されているような
実に人間味に溢れた「普通の」男だった?

思えば、エンツォの真実を知る人達も、
もはやかなりの御高齢になっていらっしゃることだろう。
嫌な考え方・言い方をあえてするとしたなら、
残されている時間はそれほど多いわけじゃないってことだ。

俺には何かを引きずり出すつもりなんてさらさらないが、
そういうことじゃなくて、話を聞いてみたい、と思った。
これほどまでに神格化されているひとりの英雄が、
ひとりの人間としてどういう人だったのかということを、
素直な気持ちで知りたいな、と思った。
エンツォと親しかった様々な人達に逢ってみたいと思った。
上手にその理由を伝えることができるほど
綺麗に考えがまとまってるわけではないのだが、
今、今日、そういう衝動が沸々と湧いてきて抑えられない。

だから、行ったことがあるようなないようなイタリアに、
俺は強烈に行ってみたいと考えてる。
週があければミラノに戻っている自動車探偵さんに、
ちょっと相談してみることにしようかな……と。

2005年8月12日

クリームソーダの憂鬱


ニュー・ミニの関西版サーキット・イベントへは、
前回お伝えしたとおり俺達はクルマで向かったわけだが、
その往路はちょっとばかりイレギュラーだった。
通常は編集部なりどこかなりで待ち合わせてから
出発するのが当たり前なのだが、この日は違っていた。

カメラマンの“おみや”こと宮越孝政くんが
姉妹誌ジェイズ・ティーポの取材で関西行脚をしていて、
俺達の出発日の夜に京都から東京へ戻る予定だった。
そこで互いに連絡を取り合い、
途中のどこかのサービスエリア辺りで
ジェイズのスタッフから引き渡してもらうことにしたのだ。

結局、浜名湖サービスエリアがちょうどいーべさ、
ということになった。駐車場の行き来も楽だし。
なのに途中の事故渋滞のおかげで、1時間以上も
ジェイズのスタッフを待たせてしまうことになりそうだ。

ジェイズ・ティーポ編集長の高橋二朗は
非常に男らしい性格だから、俺達が遅れれば遅れるだけ、
おみやを浜名湖サービスエリアに落とすだけ落として
とっとと東京に戻ってくる公算が高い。

独り寂しく夜の浜名湖サービスエリアで撮影機材を横に、
心細そうに俺達の到着を待っている、おみや。
その姿がパッとアタマに思い浮かんだ。
なぜか片手にフランクフルトを持っている姿だったが。

その瞬間、このまま浜名湖サービスエリアに寄らず
おみやを放っておいたらおもしれーだろなぁと考えた。
あんなとこにポツネンと残されたら困るだろうなぁ……。
クルマもなく、どうやって東京まで戻るんだろ……。
果たしてちゃんと東京まで戻る知恵はあるんだろうか……。
くっくっくっ。……放置してみたい。いひひひひ。

だが、ヤツがいなければ、翌日の取材で誰が写真を……?
俺はもうひとりカメラマンを連れてこなかったことを、
運転しながら猛烈に後悔したのだった。

浜名湖サービスエリアに到着したのは、21時ちょい過ぎ。
予想に反して、ジェイズ・ティーポのスタッフが、
おみやをひとりぼっちにすることなく一緒に待っていた。
ジェイズの連中は、概して男らしいが優しいのだ。

機材を積み替えて、ジェイズのスタッフ達を見送って、
俺達は少し遅めの夕食をすることにした。
東京出発のときに「マクドナルドに寄りたいでーす!」と
子供みたいにはしゃいでたマタンキ〜とナメは、
俺があっさり無視して東名高速に滑り込んだために
クルマの中でダダっ子みたいにスネていたが、
今度はここで「ひっつまぁぶしっ! ひっつまぁぶしっ!
ひっつまぁぶしったら暇つぅぶしっ♪」と、
あまりにもあんまりな歓び方をしてる。……人選ミスだ。
俺は給仕のおねえさんのやるせなさそうな表情を盗み見て、
もはや他人のふりをすることはできないが、
せめて……とばかりに目が合わぬよう天井に顔を向けた。

おみやはジェイズの連中と一緒に食事をすませているので、
その体格にはやや不似合い……というよりも
「かわいこぶってんじゃねーよ」と怒りたくなるような
「えーっと僕ねぇ、クリームソーダ」という台詞を吐き、
給仕のおねえさんがいなくなるやいなや
「トイレいってきまーす」と呑気に席を立って歩いていく。

口火を切ったのは、マタンキ〜だった。
「おみやが帰ってくる前にクリームソーダが来たら……。
グラスがカラになってたらおもしろくねぇ? ははは。
ナメちゃん、先にぜんぶ飲んじゃいなよ」
ナメも心得たものである。
「上にのってるアイスクリームだけは残しておかないと。
じゃないとバレちゃいますよ、すぐに。あはははは」
「おみやは食いしん坊だから、きっと泣くぜ。ははは」
「食いしん坊じゃなくても泣きますよ。あはははは」
「わーっはっはっはっはっ」
「いひひひひひひひ」

ランナウェイ鈴木くんと俺は呆れ果てながらも、
おみやが帰ってきてそれを発見したときのことを想像し、
一緒になってゲラゲラと笑っていた。
話は次第に別の方向に流れて、また別の笑いが持ち上がる。
これも楽しい夕餉というヤツなのかもしれない、と思った。

おみやはなかなか戻らず、クリームソーダが先に来た。
俺はさっきの話を思い出し、また想像してまた吹き出した。

だが、コトは想像だけでは終わらなかったのだ。
マタンキ〜とナメの目が合った次の瞬間、
ナメはスクッと立ち上がってストローの包み紙を破ると
おもむろにクリームソーダのグラスに差し込み、
一気に吸い込みはじめたのだ。真っ赤な顔をして。
ものの10秒たらずでグラスをカラにしたナメは、
上のアイスクリームの位置をストローで微妙に調整し、
素早く別の新しいストローを配置してカモフラージュする。

「ぎゃははははははは」
「あはははは」
「いひひひひひひひ」
「わっはっはっはっはぁぐ……けひょんけひょん」

俺達は周囲の怯んだような目線を気にしながらも、
ひたすらゲラゲラと笑い続けることしかできなかった。

すると絶妙のタイミングで、
おみやが遠くから呑気な顔をして歩いてくる姿が見えた。
俺達はますます笑いを止めることができなくなり、
腹を抱えたり膝を叩いたりうつむいて肩を震わせたり
涙を拭いたりと様々であったが、ただただ笑っていた。

「ねえねえ、どうしたの? なにがそんなにオカシイの?
あ。また俺ヌキで楽しい話をしてたんでしょ?
ねえねえ、どうしたの? なにがあったの? ねえってば。
あ。クリームソーダだ。もう来てる。わーい。
あれ? あー! あー! あああっ! あああああっ!」

クリームソーダのグラスを高く持ち上げて下から覗き、
あーあーとひたすら繰り返すしているヤツの姿を見て、
俺達の笑いは頂点に達した。
おみやは「あー」「なー」「あー」「もー」と
ほとんど日本語として機能しない言葉を発しながら、
じんわりとした涙目で俺達の顔を見回して犯人捜しをする。
しかも……マジ顔なのだ。ふははははははは。
もはや俺達の笑いは、誰にも止めることはできない。
隣の席にいた親子連れが席を立つのを横目で見て、
「ごめん」と心で謝りながらも、止められない。
おみやがふてくされて「もう僕、帰ります」といえば、
「クルマなしで帰れるなら帰っていいよぅわはははは」と、
今度はそのヌケっぷりに涙を流しながらも止められない。

雑誌のエディターやモノ書きや写真家やレーサーは、
変わってるといえば変わってる類の職業なだけに
ときとして意味なくリスペクトされるようなこともあるが、
それは間違ってる。ぜんぜん間違っている。
しょせん俺達なんてーのは、こんなもんなのである。

なんだか……情けない気分になってきた。

2005年8月 2日

俺達のタイム・マシーン


仕事場に向かうたった3分の短い道のりの中で、
ちょっと懐かしい光景に出逢った。
小学生1〜2年生くらいの小さな男の子と女の子が、
肩を並べて、しりとりをしながら歩いていたのだ。
無条件に「かわいいなぁ」と顔面が柔らかくなった。

念のために断っておくが、俺はロリコンではない。

実に子供らしい恥じらいじみた表情と舌足らずな口調で、
これからいろんなものを吸収していくのだろう頭をしぼり、
「んー」と悩みながら言葉を探してる小さな彼と
小さな彼女の姿を素直にかわいいと感じるのは、
大人として当然の気持ちの流れだと思うのだ。

しりとり……。よくやったなぁ……。

同時に俺は自分達の子供時代のことを思い出し、
「あの頃は俺もかわいかったのになぁ……」と、
懐かしいような恥ずかしいような、
妙に甘酸っぱい感傷めいた気分になって新鮮な気分だった。
心に潤いを忘れてしまっている多くの大人達にとって、
しりとりの想い出は素直で愛らしかった頃の自分を
ほんの一瞬だけでも取り戻すことができる、
素敵なタイム・マシーンなのだ。

けれど、世の中にはそういう素敵なモノを
無意識に冒涜してしまうヤツらというのが存在する。

先々週の金曜日から土曜日にかけてのことだ。
俺達は兵庫県のセントラルサーキットまででかけてきた。
ニュー・ミニの関西版サーキット・イベントの
ゲストとして招いていただいたからだ。
BMWジャパンのミニ・ディヴィジョンの皆さんは、
いったい俺の何をおもしろいと思ってくださってるのか、
いや、おそらく他のもっと適切な人達の
スケジュールがとれなくて困った末の選択なのだろうが、
このイベントのときにはトーク・ショーのゲストとして、
必ず俺に声をかけてくださるのだ。

今回は前と少し違っていて、
模擬レースのドライバーとしてティーポ関係者からふたり、
誰かを連れてきてほしいというオファーをいただいた。

そこで俺は、ちょっと前までのティーポの副編であり、
フリーランスになりたての“マタンキ〜”こと山田弘樹、
そして常にふと気がつくと編集部を浮遊している
徘徊レーシング・ドライバーの“ナメ”こと滑川健という
暇なことにかけては人後に落ちないふたりを選び、
カメラマンの“おみや”こと宮越孝政と、
だらしない俺達のマネージメントをしてくれる
ネコ・パブリッシングのイベント/映像事業部所属であり
ティーポ・オーバーヒート・ミーティングの功労者、
顔が黒いことと名前が名前だってこともあって
似てもいないのに“ランナウェイ”と呼ばれる鈴木雅之の、
合計5人で関西方面へでかけることにした。

移動はもちろん、クルマである。
高速道路の長距離移動は、どこか眠くなる。
交替しながらのドライヴは互いのつらさが解るだけに、
運転してないヤツが眠ったりすることもあるし、
ときとして助け合いのようなことも行われる。
例えば、しりとりだ。

セントラルサーキットから東京までの帰り道、
前夜にホテルの冷房の故障で眠れなかったこともあって、
俺は早々と一番後ろのシートを陣取って、うとうとした。
「しりとりやろーぜ」という声がおぼろに聞こえてきた。
いいぞいいぞ、助け合いの精神──。
俺はそんなことを思いながら、ストンと眠りに落ちた。

だが、こいつらは揃いも揃ってアホだった。
どうやら、そのたびごとにテーマを決めて、
それに沿ったしりとりを敢行していたようだったのだが、
その展開があまりにもあんまりだったのだ。

テーマは『オヤジっぽい言葉』編、『エロ・ネタ』編、
『おばちゃんネタ』編、『有名人の名前』編などなど。

最初は和気藹々としてやっていたはずなのに、
こいつらも元来負けず嫌いである。しかも、だ。
悩んでるうちに周りの敵にふたつ以上先行されたら、
ペナルティ。「ん」が末尾に来てもペナルティ。
ペナルティが加算されて最も成績のふるわないヤツが
焼き肉をおごらねばならないというレギュレーションが
知らぬ間にできあがっていたようで、
次第にムキになって喧嘩腰になってくる。

俺は眠りの扉を出たり入ったり繰り返していたが、
断片的に覚えてる限りではこんな感じだった。

■『エロ・ネタ』編。
……ごめん。これは書けない。とても書けない。
“つくり”だと思われて俺の人格を疑われるのも困るし。

■『おばちゃんネタ』編。
「ず? ず……なんてねーよ。あ。……ズロース」
「ぎゃはははは。ズロース? あっはっは」
「ズロース」
「うん。ズロース」
「ぎゃははははははは」
「ズロース」
「あっはっはっはっはっはっはっはっはぁ」
「ズロース」
「ズロース」
「わははははははは。ズロース」
「うん。ズロース。わはははは。……ズロース」

■『有名人の名前・女性』編。
「り……かぁ。えーっと……リンリン」
「んあ? 誰だそりゃ? どっちにしても、はい終わりぃ」
「あーっあーっあーっ! ちょっと待って!
違うんだ。えっと……あ! リンリン・ランラン!」
「……はあ?」
「うわぁ待って待って。インリン・オブ・ジョイトイ」
「“り”じゃねぇし……」

■同じく『有名人の名前・女性』編。
「──こ? うーむ、こ・こ・こ・こ……。んーっとねぇ、
こ……コロヤナギテツコ」
「いねーから、そんなの」
「サラッと聞き流すと思ったんだけどなぁ」
「聞き流さねーよコノヤロー。はい1ペナね」

■『誰もが知ってる地名』編。
「く……だな? んーーー、うん。くすのき町っ!」
「どこだよそれ!?」
「ナビで検索すれば出てくんだろ1個ぐらい」
「1ペナだコノヤロー!」
「あ。そういえば横浜にあるじゃん。くすのき町。
左が“木”で右が“夏”って書く標識のある交差点」
「そりゃ“えのき(=榎)町”だバカヤロー!」
「ばーか。くすのきは左が“木”で右が“風”じゃん」
「そりゃ“かえで(=楓)”だコノヤロー!」

……ああ、仕事場に向かう道で出逢ったお子ちゃま達よ。
どうか、こんな大人にだけはならないでくれ。
素直にまっすぐに、そして賢く、……何よりも
“恥”という言葉の意味を噛み締めながら育ってくれ。

それにしても、こいつら。
恥ずかしくて恥ずかしくて、穴があったら埋めてやりたい。