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2006年1月

2006年1月15日

カラシュッチョー疑惑、勃発

「そういえばおまえ、10月にイタリア行ってたけど、
あれっていったい何だったわけ? 空出張?」

……から……しゅっちょー?

俺の友達は、揃いも揃ってクチが悪い。
たいていは性格もひねててロクなもんじゃないが、
クチの悪さでいったらチャンピオン級が勢揃いだ。
それが証拠に、ひさびさに電話してきたかと思えば、
よりによって「空出張?」である。
おまえはウチの総務担当取締役かっつーの。

俺は密かに、ヤツのカミさんに、
ヤツが知られたくない秘密をバラしてやることに決めた。
俺はそうして編集チョーになったのである。

そう。俺は確かに昨年の10月の頭、
イタリアに行っていた。……たぶん。

いやいや、「たぶん」というのは、
朝は8時から夜はほとんど22時を過ぎるまで
いろんな人にお会いして話を聞きまくっていたために、
相手がイタリア語であることと
食事が連日“バカうま”のピザとパスタであること以外、
ほとんどイタリアを感じるゆとりがなかったからだ。
仕事が終わった後に街に繰り出すでもなく、
どこか観光をしてくるわけでもなく、
ホテル周辺の朝の散歩にも出掛けるのが億劫なほどの
ぐったり系な日々だったのである。
思い出せるのは、お逢いした人達の顔ばかり。
「世界のどこにいてもやってることは同じじゃねーか」
という感じで、今になってもイタリアに行って帰ってきた、
という実感がたいして持てないでいる。

だが、確かに俺はイタリアに行ってきた。
現地での取材のテーマこそ姉妹誌のRossoとは違って
地味といえばかなり地味なものだったが、
中身はだいぶ濃厚な材料を持って帰ってくることができた。
それを2月6日発売号から、
少しずつティーポの誌面で紹介していくつもりである。

その取材の内容がどんなものだったかといえば
……んふふふふ。
ちょっとばかり心が震える話があったりもするので、
次号からのティーポを立ち読みでもいいからお見逃しなく。

なので、ほんとはこんなことをしようなんて
これっぽっちも思っていなかったのだが、
「カラシュッチョー?」という言葉が
どうにも気に喰わなかったので、
「ちゃんと仕事してきたってんだコノヤロー!」
とばかりに証拠を提示しておきたくなったわけだ。

写真は、フェラーリの750モンツァ。
1954年に市販が開始されて
ミッレ・ミリアなどのストリート・レースをはじめ
活躍していたスポーツ・レーシングカーである。
エンジンは名前の示すとおり750×4で3リッター。
フェラーリといえば12気筒という印象は根深いが、
今からおよそ50年ほど前、
フェラーリ社の創世記といえる時代には
アウレリオ・ランプレディ作による軽量コンパクトな
4発のエンジンを積み、様々なレースで速さを見せていた。
いわばフェラーリがスポーツカー・メーカーとして
大きな飛躍を果たすきっかけとなった1台なのである。

マラネロのフェラーリ本社で受付をすませ、
その奥にある待合室のようなところに立ち入った瞬間、
これまで本でしか見たことのなかった
そのスカリエッティ作の優美でシャープなボディが
いきなり目に飛び込んできて、俺は立ちすくんだ。
あまりのことに、唖然としちゃったのだ。

だって……写真を見て、どこか妙だって感じない?
なんとなーくオカシイぞ……って思わない?
そう、実はこんな感じに展示されていたのである。

……ね? ちょっとビックリでしょ?

これ、普通の人はなかなか見られないし、
俺も普通の人だからこれまで見ることができなかったし
こんなスゲーものがあることすら知らなかったんだけど、
見てきちゃったからみんなにもオスソワケ。

やっぱり楽しいことや感動したことは、
みんなで共有しなきゃね。

2006年1月10日

しみじみと飲んで、しみじみと考えちゃったこと


15年前まで住んでいた東京にひさびさに出てきてる
某地方都市で暮らす友達と待ち合わせをし、
赤坂見附のスターバックスの窓際の席で
俺は“本日のコーヒー”であるところのグァテマラを、
甘党であるヤツはチョコレートのたっぷり入った
カフェモカとシナモンロールをクチにして、
懐かしい話に浸ってた昨日の夕方ちょっと前のこと。

羽織と袴に身を包んだ若い男がひとり、
俺達の目の前を通りかかった。

いかにも着慣れていない和装のようで、
彼は意識的にひざをしっかりと持ち上げながら
カックンカックンと妙に頭を上下させて歩いていく。
そうでもしないと裾を踏んづけてしまうからだろう。
だが、あごヒゲをはやした若者のその表情は、
どこか前向きな自信に満ちあふれているように見えた。

俺「……歩き方、志村けんさんのバカ殿みたいだ」
友人「サンガニチでもないのに和服かぁ」
俺「珍しいよな、まだ若いのに」
友人「最近の東京では流行ってるのか?」
俺「それほど流行ってるってわけでもないと思うぞ」
友人「それじゃ、何かの罰ゲームだ」
俺「うはははは。何のだよ?」
友人「判らん。でも間違いない。わはははは」
俺「おまえ、相変わらずクチ悪いなぁ。ふはははは」
友人「わははは。本気出したときのおまえにゃ勝てない」

そのときにはそんな他愛ない会話で終わったのだが、
ヤツが宿泊を予約していた赤坂プリンスホテルに
チェックインのために一緒に移動して、俺達は唖然とした。
バカ殿と罰ゲームがロビーに何人もタムロしていて、
それを遙かに上回る数のぎこちないお姫さま姿が
あちこちにキモノの花を咲かせているのだ。
かたわらの立て札には、こう書かれていた。

『○×△成人の集い』

そうだ。成人の日なのだった。
彼らのすでに倍以上の時間を生きた計算になる
頭のボケたふたりのチューネン男は、
いったいなぜ祝日なのかということを忘れていた。

俺「……」
友人「……」
俺「……いくらなんでも罰ゲームはねーだろ」
友人「……最初にバカ殿ってほざいたのは、おまえだ」

晴れやかな未来を前にほんのりとした希望に包まれて
楽しそうに笑ってる彼らと彼女達を前にして、
俺達は無言になって深く深く反省をした。
彼らがこれから創り上げていく
まだカタチになっていないひとつひとつの人生を、
誰も笑うことなどしてはならないのだから。

……ごめん。ごめんごめんごめんごめん。
ほんっとにごめん。悪かった。

その後、俺達ふたりは小さなバーでしみじみと飲んだ。
21年前の成人式の頃の自分達に想いを馳せつつ、
苦笑いしながらしみじみと飲んだ。

想い出せば想い出すほど、恥ずかしい。
人様に自慢できる美しい想い出よりも
できることなら想い出したくないことだとか
これ以上誰にも知られたくないことの方が多すぎて、
今こうしておめおめと普通に生きてることが
ときどき申し訳ないように感じられることすらあるほどだ。

だから、今年めでたく成人式を迎えた皆さんには、
「恐れることなど何もないんだよ」といいたい。
「おまえは突然何をいい出すんだ?」と思うだろうけど、
でもね、今、心からそう伝えたい。

だってさぁ、考えてごらん?
挫折ひとつすることなくエリート街道をひた走り
今は誰もが羨む大成功っていう立場にいる偉い人が、
高い場所から「君達の人生は前途洋々」なんて
祝福してくれたとしても、どこか空々しくないか?

俺は中学生のときに何かの拍子に知らず知らず
ポロリンってオチコボレて以来、
41歳になった今でも、ずっとコボレ続けたままだ。
何か大きな成功を収めたという事実もなければ、
ヒトカドのジンブツになれたわけでもない。
特筆すべき才能もないし、すごいコネがあるわけでもない。
賞罰でいうならば、オトナになってからも
罰のほうが圧倒的に多い……っていうか罰しかない。
まぁいってみれば、オチコボレのプロである。

だけど、こうして生きている。
毎日大きなクチを開けて笑いながら生きている。
財布の中にたんまりと金が唸ってるわけでもないし
時間が有り余ってる身分でもないけれど、
こうして笑いながら毎日を楽しく暮らしてる。

だからこそ「君達だってだいじょーぶだよ」と、
自信を持っていえるのだ。
だって俺ですらだいじょーぶなんだもん、
君達がダメなはずなんてないじゃん?

楽しく生きるのにコツなんかいらない。
笑いながら暮らすのなんて難しいことじゃない。
自分なりに生きる。自分らしくいる。
それが一番大切なんじゃないか? ほかに何が必要?

バカ殿だとか罰ゲームだとかの言葉に喜んで、
41歳にもなっていまだに恥ずかしいままの男の言葉に
説得力もクソもあったもんじゃないとも思うが、
でもまぁ……そういうもんだと思う。
君達の倍以上の時間を、時にもがきながら転びながら、
それでも笑いながら生きてくることができた人間として。

だいじょーぶだいじょーぶ。だいじょーぶだよ。
君の未来は、君の胸の中にある。
自分を信じて歩いていけば、それでいいんだと思う。
色々あるだろうけど、それでいいんだと思う。

がんばれ、青少年!

2006年1月 9日

1050円の小さな幸せ


今年の正月休みは大掃除と手帳の整理以外
考えてみれば印象に残るようなことはほとんどなく、
呆れるほど無為に過ごした休日だった。
いわゆる正月料理とも縁はなく、どこにも出掛けず、
バチ当たりなことに初詣にすらいかなかった。

何もしないで過ごす休日というのは贅沢このうえない。
それは去年の夏に得た素晴らしい人生の教訓だ。

だが、全国的にひたすら休日が続いてるさなかだってのに
予定は何もなし、とーぜん色っぽいお誘いも皆無ってのは、
40を過ぎたオトナの独身男としてどうよ?
と旧くからの友達に小馬鹿にされたりもした。

その辺り、ティーポの契約ライターにして
レース・アナウンス名人、45歳をとっくに過ぎてるけど
まるで聖職者か求道者のように色っぽい話と縁がない、
“ミスター腹式呼吸”ことナカジ〜辺りは
いったいどう考えてるのか聞いてみたいもんだとも思うが、
自分としては「まぁ今年はこれでオッケ」ではあった。
浮き世と自分を隔絶した、ある種快適な精神的引きこもり。
2005年はあまりにも頭の中身の振幅が激しかったし、
こうした「ぼけ〜っ」と「のほほん」こそが
いつもの自分を取り戻させてくれるように思えたからだ。
……ん? いやいや、その“いつもの自分”ってやつが
いいかどうかってのは別としてね。

ともあれ、どこか世の中から置き去りにされながら、
過ぎ去りつつあった冬休みの最終日──。

明日からまたバリバリと仕事だ……という現実を前に
「今夜は美味いモノ喰って気合い入れるべ」と考えた俺は、
極上のおでんでもこしらえるつもりになって、
毛糸帽とスウェット姿にサンダル履きという
おおよそ「気合い入れる」とは段違い平行棒の恰好で
通い慣れた近所のスーパーマーケットへと足を踏み入れた。

入口を入ると見慣れない特設ブースができあがっていて、
そこには映画のDVDがズラリと並んでいた。

……なにぃ? 1枚1050円均一だと?
なになに? 『この価格、本日限り』だって?

俺は立ち止まると、いきなり物色をはじめた。
新しめの映画のタイトルは見当たらなかったが、
過去に一度観たことがあるか何度も観てるか、
あるいは観たことはなくとも名前くらいは知ってる、
そうした世界の名作系がワンサカとあった。
それが1枚1050円である。

たっぷり30分の時間を費やして3枚を選び出し、
気味の悪いくらい愛想のいい兄さんに3150円を手渡すと、
俺は満足してスーパーマーケットを後にした。

……さーて、どれから鑑賞しようか。

オードリィ・ヘップバーンが主演をつとめる、
前からいずれ買おうと思っていた『ローマの休日』、
それに『シャレード』という2つの作品。
子供の頃に食い入るように観た『オズの魔法つかい』。

『ローマの休日』は何度も観てるから、まず外した。
残りの2作は過去に1〜2度は観たことあるが、
両方とも同じように大雑把な流れしか覚えてない。
悩んだ結果、俺は『シャレード』を選んだ。
幼い頃に憧れたお伽噺の世界への郷愁よりも、
幼い頃からほのかに憧れ続けている美しい女性の
見慣れぬ衣装を身につけた見慣れぬ姿を見たいという
男としての正直な興味が勝った瞬間だった。

『シャレード』は1963年のアメリカ映画。
翌1964年の英国アカデミー賞で
オードリィに女優賞をもたらした作品である。
主人公であるオードリィの夫の謎めいた死から始まる
連続殺人を巡ったサスペンス……といわれてるが、
台詞のひとつひとつや登場人物の仕草風体が
とってもイノセントで洒落てるし、
タッチがどことなくコメディ仕立てだったりもして、
ひとことでサスペンスと類別することはできないような
様々な魅力のある作品だと感じた。
展開、リズム、ロケ場所、大道具、小道具、そして役者。
コンピューターや特殊技術のない時代に
創意工夫と手間暇をふんだんにかけ、
知恵とセンスでこれだけ“魅せて”くれるモノに
仕上げているのだから、昔の映画というのはスゴイ。
最近の映画によくあるインスタントな印象はどこにもなく、
シーンごとに人間的な温かみすら感じられる。
いい映画だな、と素直に思えた。

それにしても、オードリィ・ヘップバーンの美しいこと。
というより、美人だどうだを述べる以前に、
めまぐるしく変わる表情がとっても魅力的なのだ。
彼女のように表情が豊かな女性が目の前に現れたとしたら、
間違いなくメロメロになるなぁと改めて感じた。てへへへへ。
これほどの女優さん、そうそういるもんじゃない。
彼女を眺めてるだけでも充分に価値はあると思う。

加えて、背景に登場してくるクルマの面白さだ。
例えばオードリィとその相手役が一緒に乗るタクシーが
シトロエンDSだったりするわけで、
それ以外にも端々にチラッと写るクルマが、
舞台となったあの時代のパリの路上を象徴している。
古い映画を観るときにこうした部分まで楽しめるのは、
クルマ好きだけの特権みたいなもんだろう。

というわけで、俺としては退屈知らずの2時間を過ごし、
1枚たった1050円の映画のおかげで大満足な一夜だった。
おでんの具を買い忘れて帰ってきたおかげで
ひもじい想いをしたことを除けば、だが。

それに後日、本屋さんを回って捜し物をしたときのこと。
同じDVDが何と1枚500円!
それぞれ、たった500円で販売されていたのだ。
いったい何が『この価格、本日限り』なものか。……けっ!
俺はスーパーマーケットの策略に、
綺麗サッパリはめられていたのである。

でもまぁ気分がよかったから許してやることにする。
ああ、愛しのオードリィ……。

2006年1月 7日

続・1年の計は狂いっぱなし……の話


すっかり新しくなった幸せの黄色い手帳と、
試してみたくて仕方なかった
パープル=ヴィオラのエンツォ色のインク。
記念すべき最初の一筆をしくじってズーンと落ちたが、
時が経つにつれて「それもまぁ俺らしいか」と
少しずつ自分を納得させることに成功しつつある。
そう、俺はこう見えて、実は結構キズつきやすいのである。

手帳に関して万年筆に関しても基本としては大満足だが、
けれど問題がなかったわけじゃない。

手帳は本体にこそ問題は全くなかったものの、
これだけはデフォルトのモノを使おうと考えた
スケジュールを書き込むシートの
1日分のスペースが小さすぎて総てを書き込みきれない。
デザインそのものは気に入ってるので残念なんだけど、
スケジュールのリフィルは換えないとならないだろう。

万年筆については、まぁ最初から判っていたことだが、
やはり握りが細すぎて書きやすいとはいい難い。
ペン先も極細だから小さな文字を書くには最適だが、
やはり少々紙にペン先がひっかかるような感触がして、
これは慣れるのを待つしかないか、とも思ってる。

最大の問題は、万年筆の問題なのか紙の問題なのか、
いろいろと試してみても判然としないのだが、
この組み合わせで文字を書いてみると、
実際には鮮やかに美しいはずのパープルのインクの色が、
なぜかそれほど綺麗に再現されないということだ。
それはツマラン。まるでナマのヘビ殺しじゃないか。
これは早めに原因を追及して改善せねば……。

こんな小さなことをブチブチと愚痴ってると
まるで俺が細かくて男らしくないヤツに思えるだろうが、
それは違う。俺は男らしくないかも知れないが、
そう細かい人間でもないのだ。
性格的には、むしろ果てしなく大雑把なのである。

だが、ここにはこだわりたいのだ。
毎日使うモノ……というよりも、
自分と密着して時をともに過ごすパートナーなのだ。
楽しくつきあえるか否かで、気分は大きく変わる。
手帳だとか筆記具って、そういう存在なんだと思う。

クルマだってそうでしょ?
心から気に入ってるし、本来のパフォーマンスも判ってる、
なのにステアリングやペダルの感触が今イチだから
100%を発揮できる気がしないし100%楽しめない、
あるいはメンテ不足か、どこかシャキンとした気がしない。
そうなったらパーツを自分に合ったモノに換えたり、
シャキンとしない理由を探って手を入れて、
もっともっと自分にとってのベストにしたいわけでしょ?
つまりは、そういうこと。

なので、この週末のどこかでITO-YA辺りを訪ねて、
あれこれと対策を考えてこようと思ってるところだ。

そういえば、さらに気持ちと頭の中を
切り替えなきゃならない理由もあるしね。

いや、その理由を聞いて笑う人も怒る人も呆れる人も、
あるはオナカをすかせる人も眠くなる人も、
まぁいろんな人がいるのだろうけど、
実はまたティーポの編集チョーに戻ることになったのだ。

今年も残すところ358日。そういうわけなので、
どうかひとつヨロシクお願いします。

2006年1月 2日

1年の計は元旦にあり


去年にやり残したことがちっとも終わってなかった。
やらなきゃならないデューティと
やっておきたいジョブがゴチャマンとあって、
何から手をつけようかと考えているうちに大晦日が来た。

しかも夕方、2005年の崖っぷちに立ち、
「あ。そーだ」と思い立って自宅の掃除なんぞを始めたら、
ここを綺麗にするためにはこっちにモノを移動して、
そっちをクリアにするためには押入れをかたさにゃならず、
ところで押入れから出したモノはどうすればいいんだ?
という悪夢のようなスパイラルにはまり込んだ。

トイレ掃除から風呂場のクリーニングから
キッチンの磨き上げからデスク周りの片づけから
本や雑誌の整理から床拭きから……。
「まだあるのかよ」「今度はコレかよ」と嘆いていたら、
遠くから除夜の鐘が聞こえてきた。……うぅ。

こうなりゃ意地である。徹底的にやったろーじゃないか。
と決心した。……ごめん。ちょっと嘘。
全く収集がつかない状態に陥っていたのだった。
さすがにこれから先、部屋を飛び石で渡り続けるような、
コミカルな状態で過ごせるはずもない。
俺は忍者ではないのである。

……で、ようやくさっき、カタがついた。

部屋は至るところピカピカで、ほぼ完璧である。
床をナメろといわれたら、笑ってナメられるほどだ。
俺は“やるときにはやる男”なのである。
これほど集中してやらにゃ終わらんほどだったのだから、
“やらないときにはまったく何もやらない男”だ、
ということもできるわけだが……。

それにしても、年越し大掃除。
しかも、すでに2日の朝だ。うーむ……。

1年の計は元旦にあり。
当初は元旦の朝から手帳の整理などをしつつ
フレッシュな気分で新しい2006年に思いを馳せよう
と考えていたのに、見事に砕け散った。
しょっぱなから“計”は狂いっぱなしである。

だが、気分はそれほど悪くない。
なにせ今回は、手帳周りを総て一新したのだから。
昨年までの薄っぺらいが機能的だった手帳は、
PDAに見切りをつけて以来ずっと気に入っていたのだが、
2005年にはちょっといろいろなことがありすぎた。
どうにも気持ちの座りの悪い1年だったのだ。
“本厄”のパワーってすげーなぁと思った。マジで。

そういう負のパワーをすっぱりと断ち切って
気分を変えて1年をスタートするには、
それらのモロモロが染みついている手帳を捨て去り、
まるっきり新しいモノを使い始めるに限る。

というわけで、今、俺の手元には見事ピカピカの、
自分のラッキー・カラーであるイエローの手帳、
それにピッタリとはまる万年筆がある。
気分としては、そりゃもうニッコニコだ。

手帳は見てのとおりのミニ6穴タイプのシステム手帳。
ただ、どこにでもあるようでいて、そうでもない。
パリの6区にある『GRIM ART』という
凝った作りのアルバムやノートを専門にする小さな店で
細々と作られ売られているハンドメイドなのだ。
しっとりと手に馴染む、湿ったような革の感触。
派手なのか控えめなのか、何ともいえない独特の色合い。
いかにも手作りらしい、細部の工作跡に残る温かみ。
この先何年も使い続けていきたいと心から思うほど、
俺はコイツを気に入ってる。もはや宝物である。

万年筆は、この手帳に挟んで使うという用途からすると、
ほとんど選択の余地はない。
小さな手帳の小さなペン・ホルダーにすんなり収まる
極細の万年筆というのは皆無に等しいのだ。
けれどボール・ポイントじゃなくあえて万年筆を、
と考えた理由を無視することはできない。
近いうちに誌面で紹介する予定でいるのだが、
ついにエンツォ・フェラーリが使っていたモノとおなじ
パープルのインクに行き当たることができて、
そのサンプルが手元にあるのだ。
ってことは、カートリッジ式なんぞではなく、
インクを瓶から吸入できるタイプじゃないと意味がない。

ない物ねだりなんだろうなぁと思っていたのだが、
青山にある書斎館という筆記具専門店で、
俺はピッタリとはまるモノを手にすることができた。
こちらは日本製、セイラーのシャレーナというモデルで、
最大系が7mmという世界で最も細身の万年筆。
しかも、カートリッジも使えるのだが、
瓶からインクを吸い込むコンバーターも付属している。
一も二もなく即買いである。

うん、今年はこだわった。でも、こだわってよかった。
もうこれだけで、かなりハッピーな気分だ。
素晴らしい1年にできるんじゃないかという気すらしてる。

1年の計を紙の上に乗せるべく手帳を広げ、
美しいパープルのラインを描く万年筆を手にとって、
俺は最初の1文字目を書き込もうとアクションを起こした。

最初はパーソナル・データのところに、
自分の名前を刻むことから始めよう、と考えた。
欧文にしようか、それとも漢字でいこうか……。

「……ぬおおおおっ!」

迷いがあったのがいけなかった。
嶋田の“嶋”は、最初に縦方向からペンを動かす。
欧文だと智之の“T”だから、横方向だ。
なのに中途半端な気持ちでペンを動かしたせいで
妙にナナメな具合にパープルの線を刻んでしまったのだ。
しかも、ヤル気だけは満々でチカラが入ってるから、
どうあがいても誤魔化せないほど尊大に。

……今年も残すところ、あと363日。
なんだか先が思いやられるような、トホホな展開である。

どうか今年もよろしくお願いします。