今日は誰もが知ってるとおり、8月の14日だった。
8月14日が何なのかといえば、そりゃ決まってる。
日本記念日協会の認定はどうやら通ってないらしいのだが、
この国で初めて専売特許というものが許可された
記念すべき『専売特許の日』である。
いや、そうじゃない。
いやいや、そうなんだけど違うのだ。
確かに今日は専売特許の日ではあるのだけど、
俺達クルマ好きにとってはもっと重要なメモリアルである。
エンツォ・フェラーリの命日なのだ。
俺はフェラーリを好きではあるけれど、
ティフォシといえるほど拘ってるかといえば少し弱いし、
フェラーリだけが好きなわけでもない。
ほかにも好きなメイクはいくつだってある。
だが、ほんの“弾み”と“勢い”という
ガキの時分からちっとも進歩してない生き方のナリユキで
神話のポケットに嵌り込んだことから
去年の秋に『紫のインク』絡みでイタリアに渡り、
そのレポートを連載してることもあって、
それまで以上にエンツォ・フェラーリという人物に
気持ちが向くことが多くなった。
それまで、フェラーリの創設者は
尊敬すべき人物ではあるけど怜悧で厳しいところのある、
身のほど知らずを承知でいうなら
あまり友達にはなりたくないタイプ、という印象があった。
大抵の書物・文献にはそう示唆するような記述が
ごちゃまんとあって、それを鵜呑みにしていたからだ。
けれど実際にモデナで出逢った
エンツォ・フェラーリと一緒に生きた人達の言葉と表情は、
そうした負のお伽噺を綺麗さっぱり否定していた。
それどころか過去に出版された本の中の
エンツォ・フェラーリの人物像に関する記述について、
こんなふうに述べる人が何人かいたことには驚かされた。
「ちゃんとした取材をしないで書かれたモノがほとんどだ」
「私が話したことのように書かれているけど冗談じゃない。
だって私は取材されることを拒んだのだから」
「○▽□を書いた×××××って男は、大嘘つきだ。
あの本に名前の出てくるほとんどの人間は、
私達も含めて誰も×××××になんか会ってもいないし、
ということは誰もヤツに話なんか聞かせてないんだ」
彼らの多くは、エンツォ・フェラーリに関しての本で
中身を信頼していいのはEnzo Ferrari著となっているもの、
つまりフェラーリ社の広報担当だった
エンツォの右腕たるフランコ・ゴッツィさんが
エンツォの言葉としてまとめた数冊の本のみ、という。
なぜならそれは、本人のクチから出てきた言葉を
ただ書き記したものであるばかりか、
明らかに本人が言い過ぎてる部分に関しては
「いくら何でもそりゃないでしょ?」と、
エンツォを窘めながらまとめたものだからなのだそうだ。
要はエンツォについて書かれた多くは
本人どころか関係者に話を聞くなどの
ちゃんとした取材を経て書かれたモノは少なく、
大抵の場合は伝聞の伝聞という伝言ゲームからの孫引きか
あるいは創作とすらいえるものであり、
エンツォ・フェラーリの真の姿とはだいぶ違ってる、
ということらしい。本気で怒ってる人すらいたくらい。
俺達はこれまで、そういう記述を読んで、
頭の中でエンツォ・フェラーリ像を創造してたわけだ。
ところがそれは、別人だった。
エンツォ・フェラーリ亡き今、
真実はその断片が親しかった彼らの中に残るのみだ。
そのうちの一部を提供していただいて、
ティーポの中で彼らの言葉として紹介してきた。
とってもやりがいのある仕事で、
毎月この原稿を書くことが一番の楽しみだった。
「そんな話は聞いたことねーぞ!」を中心にして
なるべく彼らの言葉をたくさん伝えたかったのだけど、
スペースには物理的な限界があるわけで取捨選択に悩み、
そのうえどういうわけか拘り過ぎちゃうこともあって、
原稿が遅れに遅れていろんな人に迷惑をかけた。
でも自分ではそれなりに満足のいくものになったかな、
というような気持ちでいる。
でも、読んでくださってるみんなにも、
ちゃんと楽しんでもらえてるんだろうか──?
連載は、あと1回で終了する。
現世を生きる彼ら達にも天に在る故人にも恥ずかしくない、
真摯な気持ちでやってきたつもりだ。
今のところ苦情らしい苦情といえば、
秘書だったブレンダさんから「私の写真が小さいわ」と
お茶目な伝言があっただけである。
エンツォ・フェラーリの命日であった今日、
ちょうど日本に帰国してるミラノ在住のコーディネイター、
野口祐子さんと電話でお話しして
数日うちに都内でお会いすることになったこともあり、
僕はつらつらとそんなことばかり考えていた。
今、またイタリアへ行って、
彼らの話をあれこれ聞いてきたいなぁと思ってる。
みんな、どんなことが知りたいのかな──?
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