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2006年08月

2006年08月14日

去年よりも少し特別な今日


撮影・神村 聖

フェラーリ家の一族が
眠る場所にて──。
box.gif

今日は誰もが知ってるとおり、8月の14日だった。
8月14日が何なのかといえば、そりゃ決まってる。
日本記念日協会の認定はどうやら通ってないらしいのだが、
この国で初めて専売特許というものが許可された
記念すべき『専売特許の日』である。

いや、そうじゃない。
いやいや、そうなんだけど違うのだ。
確かに今日は専売特許の日ではあるのだけど、
俺達クルマ好きにとってはもっと重要なメモリアルである。

エンツォ・フェラーリの命日なのだ。

俺はフェラーリを好きではあるけれど、
ティフォシといえるほど拘ってるかといえば少し弱いし、
フェラーリだけが好きなわけでもない。
ほかにも好きなメイクはいくつだってある。

だが、ほんの“弾み”と“勢い”という
ガキの時分からちっとも進歩してない生き方のナリユキで
神話のポケットに嵌り込んだことから
去年の秋に『紫のインク』絡みでイタリアに渡り、
そのレポートを連載してることもあって、
それまで以上にエンツォ・フェラーリという人物に
気持ちが向くことが多くなった。

それまで、フェラーリの創設者は
尊敬すべき人物ではあるけど怜悧で厳しいところのある、
身のほど知らずを承知でいうなら
あまり友達にはなりたくないタイプ、という印象があった。
大抵の書物・文献にはそう示唆するような記述が
ごちゃまんとあって、それを鵜呑みにしていたからだ。

けれど実際にモデナで出逢った
エンツォ・フェラーリと一緒に生きた人達の言葉と表情は、
そうした負のお伽噺を綺麗さっぱり否定していた。
それどころか過去に出版された本の中の
エンツォ・フェラーリの人物像に関する記述について、
こんなふうに述べる人が何人かいたことには驚かされた。

「ちゃんとした取材をしないで書かれたモノがほとんどだ」
「私が話したことのように書かれているけど冗談じゃない。
 だって私は取材されることを拒んだのだから」
「○▽□を書いた×××××って男は、大嘘つきだ。
 あの本に名前の出てくるほとんどの人間は、
 私達も含めて誰も×××××になんか会ってもいないし、
 ということは誰もヤツに話なんか聞かせてないんだ」

彼らの多くは、エンツォ・フェラーリに関しての本で
中身を信頼していいのはEnzo Ferrari著となっているもの、
つまりフェラーリ社の広報担当だった
エンツォの右腕たるフランコ・ゴッツィさんが
エンツォの言葉としてまとめた数冊の本のみ、という。
なぜならそれは、本人のクチから出てきた言葉を
ただ書き記したものであるばかりか、
明らかに本人が言い過ぎてる部分に関しては
「いくら何でもそりゃないでしょ?」と、
エンツォを窘めながらまとめたものだからなのだそうだ。

要はエンツォについて書かれた多くは
本人どころか関係者に話を聞くなどの
ちゃんとした取材を経て書かれたモノは少なく、
大抵の場合は伝聞の伝聞という伝言ゲームからの孫引きか
あるいは創作とすらいえるものであり、
エンツォ・フェラーリの真の姿とはだいぶ違ってる、
ということらしい。本気で怒ってる人すらいたくらい。

俺達はこれまで、そういう記述を読んで、
頭の中でエンツォ・フェラーリ像を創造してたわけだ。
ところがそれは、別人だった。

エンツォ・フェラーリ亡き今、
真実はその断片が親しかった彼らの中に残るのみだ。
そのうちの一部を提供していただいて、
ティーポの中で彼らの言葉として紹介してきた。
とってもやりがいのある仕事で、
毎月この原稿を書くことが一番の楽しみだった。
「そんな話は聞いたことねーぞ!」を中心にして
なるべく彼らの言葉をたくさん伝えたかったのだけど、
スペースには物理的な限界があるわけで取捨選択に悩み、
そのうえどういうわけか拘り過ぎちゃうこともあって、
原稿が遅れに遅れていろんな人に迷惑をかけた。
でも自分ではそれなりに満足のいくものになったかな、
というような気持ちでいる。

でも、読んでくださってるみんなにも、
ちゃんと楽しんでもらえてるんだろうか──?

連載は、あと1回で終了する。
現世を生きる彼ら達にも天に在る故人にも恥ずかしくない、
真摯な気持ちでやってきたつもりだ。
今のところ苦情らしい苦情といえば、
秘書だったブレンダさんから「私の写真が小さいわ」と
お茶目な伝言があっただけである。

エンツォ・フェラーリの命日であった今日、
ちょうど日本に帰国してるミラノ在住のコーディネイター、
野口祐子さんと電話でお話しして
数日うちに都内でお会いすることになったこともあり、
僕はつらつらとそんなことばかり考えていた。

今、またイタリアへ行って、
彼らの話をあれこれ聞いてきたいなぁと思ってる。

みんな、どんなことが知りたいのかな──?

投稿者 T.Shimada : 23:54 | コメント (13)

2006年08月04日

だから夜は嫌い──

ティーポ編集部のある3階のフロアは、
たいていの晩は遅くまで灯りが煌々と点る不夜城。
夜中だろうが明け方だろうが、
普段は何人ものスタッフがキーボードと格闘してる。
締切の近い編集部があれば
打ち合わせしてる声やときどき笑い声まで聞こえてきて、
24時間営業のコンビニエンスストアよりも
「元気があってなかなかよろしい」という状態だ。

だが、ひっちゃきになって仕事をしてるときには、
自分がいる島のスタッフが帰宅したのは判るものの、
他の部署の動きなんて気にはしていられない。
滅多にないことではあるのだが、
何となく「今夜は静かだなぁ……」と思ったら
ぽつんとひとり取り残されていた、という晩もあるのだ。

そういうときのこのフロアは、少しばかり不気味だ。
日頃は活気があって人もわんさかいるのに、誰もいない。
自分がたてる物音以外、耳に入ってくるものがない。
夜の学校を想像してみて欲しい。
あれにも似た、あまり気味がいいとはいえない雰囲気が、
それとなく漂ってるように思えてならないのだ。

とある晩の、とうに夜半を過ぎた頃──。

普段はなるべく時計の針が頂点を示す前に帰途につき、
残りは自宅で人知れずコツコツとやってる俺だが、
その日は自宅のネット環境にトラブルが生じて、
深夜まで編集部で仕事をせねばならない状況にいた。
ひとり帰りふたり帰り、徐々に静かになっていき、
最後に残ったのは俺だった。

人影もなく、気配もなく、どこからも音はしない。
時計を見ると、午前2時30分。いわゆる丑三つ時だ。

隣にセレモニーホールがあるせいか、
若い娘どもが“地下の廊下をひとりで歩いてると
誰もいないのに後ろから足音がするんだって”とか、
そんな話をしていたのを通りすがりに聞いているし、
そもそも俺は去年の5月にとっても不可解な体験をし、
もしかするともしかするってことはあるかもなぁ……
と考えてるようなところはある。
どうがんばっても、夢見心地な時間とはいえない。

「……おーい、誰か残ってんのかぁ?」

ついつい意味のない呼びかけをしちゃったりしたのだが、
誰かに心を悟られて恥をかくようなことはなかった。
言葉は壁や天井に、スッと吸い込まれていく。
本当に誰もいないのだ。
返事なんてどこからも返ってくるはずはない。
シーン……という音がグッと強くなったような気がした。

5分ほど経って、目の前のナパの散らかった机の上で、
パタンと本か何かが倒れる音がした。

……うーむ。

念のためにいっておくが、俺はこう見えて極めて繊細だ。
神経が異様に細やかなのだ。センシティヴなのである。
しかも、一度何かが気になりはじめると、
解決するなり解消されるなりポコッと忘れちゃうなり、
何らかのケリがつくまで延々と気になりっぱなしな性格だ。

なので、解消することに決めた。
簡単な話である。俺も帰っちゃえばいいのだ。
俺のモットーは「明日できることは今日やるな」である。

愛機PowerBook G4をぱたんと閉じてカバンに仕舞い、
ワケの解らない不安感とおさらばできる幸福に
ほんのちょっとだけ気持ちがやわらいだ俺は、
席を立って出口までの最短距離を少し早足で歩きはじめた。

……ん?

視界の隅を何か見慣れないモノが横切った気がする。
視なけりゃ何事もなく済んだはずなのに、
俺はついつい反射的に顔を左に向けてしまった。

うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!

声にならない悲鳴を上げた俺は、
おそらく目をクワッ! と見開いていたことだろう。
背中を嫌な感じの汗がダラッと流れ、
しばらく立ちすくんだ後、俺はへたへたとしゃがみ込んだ。
だって視界に飛び込んできたのは、コイツだったのだ。

この男の名前は『ケイヨンくん』。
ホビダスの月刊軽自動車専門Web版フリーペーパー
K4(=ケイヨン)』の誌面で
車内の広さを計るために活躍する、無口なヤツである。
近頃ではナカジーのブログの中で芸を披露し、
一部で熱烈な人気となっている。
日頃は表に出ることもなくひっそり暮らしているが、
誰かが連れ出して、ヅラまでかぶせてセットしたのだろう。
俺の席からはちょうど死角にあって、
こんなことになっているとは全く気づいていなかった。

これがいったい誰の仕業なのか、
残念なことに俺はまだ突き止めることができていない。
だが、まぁ時間の問題だろう。

……俺を本気にさせやがって。

投稿者 T.Shimada : 23:51 | コメント (12)

2006年08月03日

ちかごろダイジェスト


ごめんな。ズル休みした。どーせズル休み。
だって「36度8分も熱があるから休む」っていっても、
返ってくるのは「そんなの平熱のうちじゃん!」なのだ。
平熱が35度であるがゆえに受ける差別である。

そんなわけで今日はゴロンと寝転がりながら、
愛機PowerBook G4でできる仕事をポロポロしてたのだが、
こんな夜こそ『随筆』をあらためるチャンスである。
毎日気になってたのに、しばらくサボっちゃってたからね。

今日はここんところの近況をダイジェストで。

ティーポ・オーバーヒート・ミーティングが
終わった翌々日から、原因不明の筋肉痛に襲われた。
右の掌も感覚的にはグローブをはめたみたいに鈍い感覚。
これはいったいどうしたワケ……? と考えて、
理由がたったのひとつしかないことに気づく。
ファイナル・パレードの出口のところで
「ありがと!」「来年もね!」のハイ・タッチである。
500台近いクルマの総てではないけれど、
今年は最初から手を出して走ってくる人が増えて、
何百人とパーン! ができたのかは覚えないけど
例年より多かったなぁというのが終了後の感想だった。
待ちかまえてる俺を轢き殺さないように気を使って、
窓から手を出してタッチの準備をしてくれていながら
クルマはあっち側に行っちゃう人も多く、
身体を無理に伸ばしたり妙な体勢をとったりもしたからね。
うむ。これは嬉しい筋肉痛。名誉の筋肉痛だな。んふふ。

──と喜んでたら、編集部内のあちらこちらから
「もうトシなんですってば」「運動不足!」の声が。
悔しかったので、夏休み中の高校生のように
メット……じゃなくて髪を茶に染めたヘルメット坂上に、
新たに『モンチッチ坂上』という名前を贈答する。

ティーポ・オーバーヒート・ミーティングの特設ブログ
写真集22がアップされた晩のこと。
俺はモニターを見ながら、ある疑問を感じていた。
……この明らかに関係者としか思えない
グレーの米俵みたいな男はいったい誰なんだ……?
写真をポチッとクリックして拡大したら……俺だった。

ある日、ポクポク歩いてネコ・ビルの下に到着すると、
マセラティ・クアトロポルテで迫力たっぷりに出社した
フラヴィオ・ブリアトーレのような面持ちの
笹本社長とバッタリ出くわした。
昔からの習慣で理由もなく「やべっ!」と後ろを向いたが、
時すでに遅し……である。
「……おい。……おい嶋田。……嶋田っ。
 あのなぁ……おまえ……あー、いいや。何でもない」
こんなに煮え切らない笹本社長は初めてである。
夏バテだろうか? 何か悪いモノでも喰ったのだろうか?
──と心配になるじゃないか、やっぱり。
そこで“何すか?”“いや、何でもない”を繰り返した後、
ついにクチを割っていただくことに成功する。
「……つまり、あのな、おまえ……でぶだなぁと思って」
くそっ! 心配なんかするんじゃなかった。

それから数日後の晩、社内の某スタッフからメイルが届く。
「オーバーヒート・ミーティング、おつかれさまでした。
 この前の打ち上げも、おつかれさまでした。
 迷ったのですが、そのときの写真を貼付します」
そう。あのイベントはティーポのスタッフだけじゃなく、
イベント事業部の死に物狂いの努力と、
他部署のスタッフのみんなや外部の協力者のみんな、
そういう人達がチカラを出してくれて初めて!
どうにかこうにか運営できるモノなのである。
なので、イベントから帰って数日後にみんなで集って
「おつかれさまー!」の打ち上げ会をやったのだった。
……どれどれ。どんな写真だべか?
……コーコクのニーガタさんもベロンベロンになって
イベントのモリタくんにからんだかと思えば肩を組んだり、
ほんっといつも酔っぱらうと始末におえねーからなぁ。
きっとあのホモっぽい肩組みの写真かなぁ。くっくっくっ。
「……おわっ!」
俺は唖然とした。まさか、と思った。嘘だろ? と思った。
だって、送られてきた写真は、こんなだったのだ。
しかももっと驚くべきことに、
俺はその写真がいつどこでどんなふうに撮影されたのか、
これっぽっちも覚えていないのである。

今、頭の中に、とある懐かしいメロディが流れている。
1982年に30万枚の大ヒットとなった
バラクーダの『チャカ・ポコ・チャ』である。

それでもあなたは生きているぅ〜♪

投稿者 T.Shimada : 01:33 | コメント (8)



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