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2008年12月

2008年12月24日

ノートルダムからメリー・クリスマース!

Merry Christmas!

聖し、この夜。
みんな、楽しい夜を過ごしてるかな?
そろそろワクワクしながら枕元にクツシタをぶらさげて、
ベッドに潜り込んだりしてる頃なんじゃないか?
まさか間違えて、使用済みのちょっと濃いめのヤツとかを
ぶらさげちゃったりはしてないだろうか……?
ちょっと心配だったりする。

ティーポでもお馴染みの “自動車生活コンシェルジュ” 、
“永遠の自動車ジャーナリスト見習い” であるイマイは、
日本にいるときですら「穴があったら埋めてやりたい」
と思わせる実力の持ち主だというのに、
ひとりぼっちのイヴを都内で過ごすのがイヤだったのか、
今はちょうど台湾ひとり旅に出ているようで、
わざわざ海へ行って波に飲み込まれてもんどりうったり
足を負傷したりとインターナショナルに笑いを振りまき、
“永遠のサーファー見習い” に変身してるが、
俺はといえば、イマイの喧しさとは180度趣を異にして、
今、とっても敬虔な気持ちを胸に湛えながら、
おそらく世界で最も有名なカソリックの大聖堂の前にいる。

パリのシテ島にある、ノートルダム寺院である。

年末進行の締切をあたふたと片付けて、
それから大急ぎで成田に向かい、
乗り遅れそうになりながらも何とか飛行機に乗って
イヴの日に間に合った。
街が教会だらけのパリでは、このイヴの晩、
日付けが変わりそうになる時間帯を迎えると
あちこちから美しい鐘の音の輪唱が聞こえてくる。
とりわけ教会密集地といえるカルチェ・ラタン辺りでは
トーンの異なる幾つもの鐘の音が
あちこちから渦のように混じり合って、
立ち止まって目を閉じてみたりすると
呆気にとれられる以外にできることがないほどの
美しい混沌に放り込まれる。
それを聴くためだけにここまで飛んでくるほどの価値がある。

「忙しいぞぉー」とか言い放つだけ言い放って
この “随筆” の更新が滞っちゃっていたのには、
実はそんなワケがあったのだ。黙っててゴメンなー。

ともあれ、この時期のノートルダム大聖堂の前の広場には、
毎年恒例の大きな大きなクリスマスツリーがそびえ立っている。
写真で見るとちんまいミニ・ツリーみたいに思うだろうが、
これでも高さ20mくらいはあるのだ。
この大聖堂がどれほど巨大か、一発で判ろうというもんだ。
ゴチック建築を代表する建物の外観はもちろん、
ここは中に入ってもどこもかしこも荘厳で、
訪れた人間に “教えはかくも崇高なものである” ということを
威圧感をもってして植え付けようとし続けてる。
宗教はこうして民を絡め取ってきたのだな、と感じたりもする。

今、クリスマスツリーの前にいるのは、
ほとんどが俺と同じツーリストばかりである。
地元の人達は、イヴは自宅で家族と一緒に過ごすことが多い。
日本の元旦と似ているかも知れない。
イヴの日は大抵の店が休業するか、
あるいは午後になると店じまいをして聖なる夜に備えるので、
俺のような異邦人は若者達のために開けているカフェや、
違う信仰を持った国をルーツとする人達のための店に入って、
イヴの晩のディナーをとることになる。

いずれにしても、目の前にいる他国から来た家族連れや
カップル達は、とても幸せそうだ。
めちゃめちゃ寒いのに、誰もが微笑みを浮かべてる。

この場所だけでなく、誰もが微笑みながらイヴの晩を過ごし、
ちょっと羽を休めて、またがんばるぞぉー!
とポジティヴな気持ちになって再び歩き始められたらいいな、
と心から感じてる。……なぁーんてね。

……ウソ。

真っ赤なウソ、である。わはははは。
何せほんのちょっと前までネコ・パブリッシング・ビルの5階、
できることなら入りたくない社長室にいたくらいだし。
いや、呼び出されて怒られてたわけじゃないんだけどね。今回は。

とにもかくにも、今、俺はこうして東京都の目黒区の片隅にある、
途方に暮れるくらいに散らかり放題な自宅で澱んでる。
写真は2月にレトロモビル取材のためにパリに寄ったときに
パパッと撮ってきたもんなのだった。実のところ。
だって、11月半ば過ぎくらいから2月の半ば過ぎくらいまで、
ずっと飾りっぱなしなんだもん、このツリー。

ちなみに今夜はまったくもってイヴの晩なのだが、
俺はキリスト教史の一部にはちょっと興味を持ってるものの
個人的な信仰が具体的な宗教の中にはないってこともあるし、
お祭りとしてのイヴの晩を楽しもうにも手遅れで、
ディナーはパッパと手早く野菜を刻み、
生姜醤油に浸けておいた豚肉を焼いてすませた。
オナカいっぱい。気分はだいぶポジティヴである。
なぜこんな簡単なモノがこんなにも不味くつくれるのか、
わがことながらどんなに考えても理由が判らないのだが。

ともあれ、メリー・クリスマス。
少しだけ羽を休めたら、今年のラスト・スパートだ。

きっつい時代だけど、みんな、がんばろーなー。

2008年12月19日

たのむよ、ママさん……

またしてもみんなの好きな個室の話で恐縮なのだが、昨日のこと、
俺は一緒にでかけていたヘルメット坂上と、
帰り道、とあるファミリーレストランで昼メシを喰らうことにした。

パスタの異様な大盛りをたいらげて満腹したのはいいけれど、
オナカの容量は決まっているわけだから
ツメ込んだらツメ込んだ分だけ圧縮比が高まって、
吸気→圧縮→爆発→排気というエンジンの行程にも似た働きを、
俺の身体もごく自然になぞろうとするわけだ。爆発はともかく。
で、俺は座って落ち着くことにした。

建物の構造から考えて、おそらくそのファミリーレストランには、
個室は男性用がひとつ、その向かい側に女性用がひとつのみ。
俺はドアの入り口のマークを素早く確認して、
ノックをし、応答がなかったからそのまま中に入っていった。
そして、座って落ち着くことに成功した。

ここまではいい。問題はその後だ。

座って落ち着いて “いざ!” というときに、
コンコンコン……とドアをノックする音が聞こえた。
ノックを返そうと試みたが、手が……手が届かない。
もちろん、そのまま立ち上がるわけにもいかない。
どーしようかなぁと考えてるうちに、
ノックの音はゴンゴンゴン……と次第に強くなってくる。
ドアはもっと近くに作れっつーの! と焦りながら困っていると、
続いてガタガタガタとドアを開けようとする気配が伝わってきた。
ドアに “使用中” を伝える赤マークは出てないのか? と思ったら、
ドアの向こう側から声が聞こえてくる。

「ねぇ、ママ。ママってばー。
 ノックしたのにお返事ないけど、あかないよー」

……なんだ。お子ちゃまか。じゃ、仕方ないか。
そういえば、俺達のテーブルから5mくらい離れた場所に、
お子ちゃま連れの若いママさん達のグループがいたっけな。

「さやかちゃん、どうしたの?」

お。ママさん登場か? できれば早く、いちど連れていってね、
落ち着いて “落ち着く” ことができないから。
……っていうか、さやかちゃん、っていったら女の子じゃないか。
おーい。女性用は向かい側ですよー。
と教えてやりたかったが、そういうことができる立場にはない。
……っていうか、ママさん、ふつー、気づかないか?

「さやか、早くトイレしたいの」
「誰か先に入っちゃってるんじゃない? まったく……ねぇ」

薄いドア1枚へだてたところで、先に入っちゃってる俺を、
大きな声で悪モノみたいにいうのはヤメてくれ。

と、さやかちゃんは、いきなり聞き覚えのある歌を唄いはじめた。

「アルプスいちまんじゃーく コヤギのうーえで
 アルプスおどりを さぁおどりましょ♪」

おーい、さやかちゃん。ちょっと違ってるぞー。
子山羊の上で踊るのはなかなかムズカシイし危ないし、
もっとちゃんと言っておくと、
アルプス踊りじゃなくてアルペン踊りだからね、と思った。

「ねぇ、ママ。アルプスって何の意味?」
「あのねぇ、このお歌はねぇ、スイスっていう国のお歌で、
 アルプスっていう高い高いお山があるの」

おーい、ママさん。ぜんぜん違うってば。
その歌はアメリカの独立戦争の頃の愛国歌みたいなもんで、
それに誰だか判らない日本人が勝手に日本語の歌詞をくっつけて、
知らない間に民間に広まっちゃったもんなんだから。
それにこのアルプスってのは日本アルプスのことなんだってば。
いい加減なことを娘に教えちゃダメでしょ。……と思った。

「あらタ◎キさんどうしたの?」
「あら。あのねぇ、さやかが待ってるのにトイレがあかないのよ」

別のママさんの登場か。頼む。タ◎キさん親子を連れて帰ってくれ。
……っていうか、望んだわけでもなくただ先に入ってただけなのに、
俺を悪人みたいに扱うのはヤメてくれ。マジで。

「アルプスいちまんじゃーく コヤギのうーえで♪
 ……ねぇママ、いちまんじゃくってなーに?」
「あら? 何かしら……“いちまん” は数のことだけど、
 そういえば “じゃく” って何かしらねぇ……?
 ねぇねぇ、オオ△キさん、知ってる?」
「しらないわよそんなことわかるわけないじゃないのあはははは」
「アルプスいちまんじゃーく コヤギのうーえで♪」
「ミ▽イさんならモノシリだからしってるかもねきいてみよっか?」
「アルプスいちまんじゃーく コヤギのうーえで♪
 ……ねぇ、ママー。まだあかないよー」

あの、あのぉ……ですねぇ、俺が悪かった。謝る。謝るってば。
さやかちゃんより先に入っててゴメンナサイ。謝りますよ。
何度だって謝りますから。心の中で。
だから……だから、頼むからドア1枚へだてたところから、
どっか別の場所に消えてくれ。
これじゃ落ち着くどころか……何もできないじゃないか……。
だいたい……これじゃココから出るに出れないし……。

俺はタ◎キさんやオオ△キさんの子供として生まれなかったという
幸福な事実に心の底から感謝しながら、
しばらくドアのこっち側で静かに座ったまま何もできず、
ただただ途方に暮れていた。

2008年12月17日

ぐわー、さみぃー!

まだ明けやらぬ、横浜・みなとみらい。
武装をしたところで、
嫌でも季節を思い知らされるねぇ。

早起きをする習性のない俺だけど、
たまにはこういうのもいいもんだな。

と思ったのは、最初の3分だけだった。
だって、この寒さったらよぉー、
これからの数時間が思いやられるほどで。

まぁ、まだ何もしてないから、だけどね。
そう。今日は撮影。

お。厄介系カメラマンのまさかっちゃんが来た。
いよいよ、はじまりはじまりぃー。

2008年12月14日

レース・オブ・チャンピオンズ! 今夜、ナマで !!

みんな、今日は早く家に帰るんだぞぉー!

……って、こんな時間になってから言うのもナニだけど、
でも、できることならとっとと家に帰って、
パソコンのモニターの前に陣取るのがいいと思う。マジで。
写真のロボット君達と同じように、目を見開いて、
思い切りのけぞりながら楽しむことができるはずだから。絶対に。

なぜなら、自動車レースの異種格闘技世界一決定戦、
というか何というか、フォーミュラワンを筆頭として、
WRC や DTM、WTCC、NASCAR、ル・マンその他モロモロの
世界のモータースポーツを戦うトップ・ドライバー達を集めて
誰がいちばん速いのか──? を同じステージで競わせる
『レース・オブ・チャンピオンズ』を
インターネットによる生中継で見ることができるからだ。

 ← ここ。ここだよ、ここ。
このボタンをポチッと押して、
22時を過ぎた辺りから待ちかまえてるだけでいい……はず。

この『レース・オブ・チャンピオンズ』は、
元々は1986年のツール・ド・コルスで他界した
ヘンリ・トイヴォネンの追悼イベントとして始まったこともあり、
1988年の第1回目からしばらくの間は
WRC ドライバーが参加者のほとんどを占めていたのだが、
近年ではカテゴリーのワクはほとんどなくなっていて、
“チャンピオンの中のチャンピオン” を決める催しとして
毎年12月のこの時期に、世界各国から
誰もが知ってるビッグ・ネームが集まって開催されている。

今年は昨年に引き続いて英国はロンドンにある
ウェンブリィ・スタジアムが会場となっていて、
史上最強の F1 王者といえるミハエル・シューマッハーを筆頭に、
F1からはセバスチャン・ベッテルやジェンソン・バトン、
WRC からはセバスチャン・ローブ、
WTCC からはイヴァン・ミュラー、
スポーツカーからはトム・クリステンセン、
DTM からはマティウス・エクストロームといった
ホントのホントの一流ドライバー達がエントリーしている。
彼らはこの競技の専用マシンや 500アバルト・アセットコルサ、
KTM X-Bow 、フォード・フォーカスWRC 08 といった、
あまり乗り慣れてるとはいえないそれらのマシンを駆って、
スタジアム内に敷かれた難易度の高い特設コースで競い合うわけだ。

ちなみに、今年の参加ドライバーやマシンの詳細は、
レース・オブ・チャンピオンズの公式サイトを見てちょーだいな。

今回のインターネット・ライヴ放送は
ベルギーのアクション・スポーツ系を得意とする
オンライン・ビデオ放送局『 Freecaster.tv 』によるもの。
今日の日本時間の22時過ぎ頃からほぼぶっとーしで6時間ほど、
国別対抗戦から個人戦からデモンストレーションから……と
ほとんどすべてを放映してくれるらしい。

ちなみに俺もこの情報をさっき教えてもらったばかりで、
放映までほとんど時間がないから下調べもできてないのだけど、
ササッと各種サイトを見た限りでは放映されることだけは確実。

まずはナニはともあれ、情報を手に入れちゃった身としては
「こんなすげー出来事を知っていて早く伝えないのは罪!」
と考えたので、書き殴るだけ書き殴って読み直してもいないけど、
とりあえずの御報告というわけだ。
文がいつも以上に粗くてゴメンなー。

みんな、ちゃんと見て思い切り楽しむんだぞー。

追記:実はこの情報を教えてくれたのは、
 前にここで話題にしたことのある “ヘンなガイジン”。
 「トモウキ。ごんぶさだしますげんきですか?
 わたしはげんきです。」という調子で、
 日本語のメイルを送りつけてきた。すげーヤツだなぁと思った。
 この勤勉さとミスを恐れずにとにかく使ってみる勇気が
 彼の語学の上達を早める秘訣なんだろなぁと改めて感心した。
 見習わなくちゃねぇ。俺は “ウキ” でもなければ
 “ごんぶさだ” の意味もよく解らないけれど。

2008年12月12日

意味のない“根性論”はヤメにすべし!

俺は冬という季節が嫌いである。

なに? 前回と言ってることが違うじゃねーか!
と思う人もいらっしゃることだろうとは思うが、
今日、ちょっと嫌いになった。

だって風邪ひいちゃったんだもん。

セキは出はじめると止まらないし、ノドはイガライガラして
それ専用の孫の手でもあったなら中を掻きむしりたいくらいだし、
全身ダルダルで、午後に病院で熱を計ったら36度9分もあった。

なに? それって平熱の範囲じゃねーか!
と思う人もいらっしゃることだろうとは思うが、
俺の平熱は、35度2分とか3分とか、そんなもんなのだ。
自分の平熱にプラスすること 1度5分とちょっと。
一般的な人に当て嵌めると、38度ちょいってところだろう。

……ね? それほど楽そうには思えないでしょ?

まぁ実際のところ冬という季節には罪は何ひとつなくて、
俺の「冬なんて嫌いだもん」なんちゅー発言は、
いきなり何かにつまづいたりしてステンと転んで
「ママなんてだいっきらい〜」と泣きじゃくるお子ちゃまと同じ
非常に幼児性の高い八つ当たりにすぎないんだけどね。

俺は元々、季節の変わり目の温度変化に身体が対応しづらいようで、
子供の頃から比較的風邪にかかりやすいタイプだった。
が、今回の風邪の原因は温度変化とかそういうことじゃない。

『ヒライ菌』である。

姉妹誌『 ROSSO 』の編集長であるヒライが、
イタリアから直輸入してきたウイルスだ。

イタリアに行くというので彼の仕事とは別のとある取材を頼み、
そういうカラミがあったものだから
帰国してすぐに膝を付け合わさねばならぬことも数回あり……でね。
ヤロー、その間ずっと顔面下半分にマスクをしてたのはいいけれど、
そんな隙間だらけのマスクだったら、してる意味ねーじゃん……。
おかげで、ひきはじめの段階からの諸症状の流れが
まるでフル・コピーの、立派な風邪っぴきがひとりできあがった。

まちがいなく、『ヒライ菌』である。『ヒライ菌』。

で、その『ヒライ菌』を培養し、世に放ち続けてるヒライを
ちょっと優しい気持ちで弁護するとしたら、
まぁ出張が長かったから編集部に仕事場は山積みになってるし、
この国においては “少しぐらい体調が悪くても無理して仕事する”
というのがある種の美徳になってるようなところもあるから、
仕方ないという見方もあるにはある。本人は頑張ってるわけだし。

でも、別の見方をすると、それはとんでもない過ちでもあるのだ。

今回の『ヒライ菌』はどうやら単なる感冒の部類であり、
生命を左右することはなさそうだけど、
もしその『ヒライ菌』が、新型インフルエンザだったとしたら?

新型インフルエンザは、ひきはじめの症状がいわゆる風邪に近いが、
人間にはそれに対抗する免疫がないために感染しやすく、
当然治りづらく、感染者の死亡率は60%を越えるといわれている。
今のところ、まだ日本国内での感染は確認されていないが、
国立感染症研究所のコンピュータ・シミュレーションによれば、
日本での患者第1号を東京都の八王子市在住の会社員で
毎日電車で丸の内まで通勤してると仮定して、
その人物が海外出張で感染して帰国してからの2日の間、
普段どおりにヒトと会ったり仕事したりを繰り返しただけで、
うつされた人が別の人にうつして感染者は膨れ上がり、
患者第1号の帰国後1週間で感染者は12万7000人近くにも及ぶ。

つまり新型『ヒライ菌』を保菌して撒き散らすヒライが、
世のため人のために頑張ろうと殊勝な気持ちになり
悪気もなく編集部に2日間も出てきちゃったオカゲで、
ざっと7万6000人以上もの人が死亡する、ということだ。
うーむ……恐るべき『ヒライ菌』。……ん? ちょっと違うか。

だが、例えば企業が在宅勤務を認めて業務を一時縮小したり
学校閉鎖するなどの感染拡大防止策を講じて、
電車の利用をはじめ外出者が普段の60%程まで減った場合、
感染者の数はおよそ15分の1の8000人ちょっとまで激減する。

ツライけど仕事に出る “根性論” 的な行為は美徳でも何でもなく、
むしろ本当のところは迷惑なだけ、ってな話である。
“根性論” が自分に及ぼす好影響も無視はできないのだけど、
それはまた別の話だ。

そういうわけで俺は、年末進行のこのキツイ日程の中で
スタッフに感染させちゃうのがイヤだったから、
とっとと自宅に帰ってきちゃった。元々根性ないし。わはははは。

みんなも具合の悪いときには無理せずちゃんと休んで治して、
また具合悪そうなヒトがいたらとっとと自宅に帰れるよう
優しく声をかけてあげてね。自分からは言い出しにくいんだから。
特にいわゆる “上司” ってモノを仕事にしてる皆さん。
あなたのスタッフをあなたが大切に扱うことは、
自分や家族を含めた社会を守ることにつながるんだからねー。

……というわけなので、ココはどーゆーわけか
社内における視聴率が異様に高いようなので、少々業務連絡。
相も変わらず社内をウロチョロしているヒライを見かけたら、
即座に両手の指をエンガチョ・シフトに組んで
「早く帰れ」「こっちに寄るな」「うわ! ヒライが来た!」と
みんなで叩きのめ……いやいやいや、そーじゃなくて
心を鬼にして彼が自宅で休めるよう手助けをしてあげるよーに。

ふぅー。ちょっと気持ちがさっぱりしてきた。
……ヒライめぇ。

そういえば、冒頭の「冬って嫌い」発言を完全撤回しなきゃね。
だって、さっきTシャツ1枚で外に出てみたら、
空気がヒンヤリとしてて気持ちよかったんだもん。
おかげでちょっと元気になった気がする。

もしかしたら熱が上がってる証なのかも知れないけど、
こういう状況はこういう状況なりに楽しまなきゃねー。
わはははは。それにしても……キレがないなぁ全体的に……。

2008年12月10日

黒いビバンダム(?)、ハート・マークを語る

いやー、寒いねぇ、ここんところ。
厚手のモノを羽織らずにうっかりと外に出ると、
昼間だって凍えそうになるくらい。
東京でこんなだから北の国はすんごいことになってるのだろうけど、
寒さが生易しい東京に暮らしてるせいか、
俺は冬という季節がそれほど嫌いではない。
ぴーん! と張ったような空気の中に身を置くのが気持ちいい、
と思える瞬間があったりするからだ。

が、基本、俺は自他ともに認める意気地なしである。
日常生活においては当然、上着は分厚いモノをチョイスする。
今日もこうしてダウン・ジャケットなどモコモコ着込んで
仕事場にへこへこと向かったりしたわけだ。

……何だと? 「うわ! ブラック・ビバンダムだ!」
なんて笑ってるのは、いったいどこの誰だ?
いくら何でも、俺はそこまで丸くないし、
残念ながら今のムッシュ・ビブほど愛嬌があるわけでもない。
そういえば、同じ “白いはずなのに黒い” つながりで、
ブラック・マリア = 黒い聖母像ならば
フランス中部の12世紀の教会でお目にかかったことはあるが、
古代からの地母神信仰とキリスト教が結びついた姿だとか
マリィ・マグダレーヌ(マグダラのマリア様ね)の象徴と
言われる神秘性も、気高さや美しさも、
当然といえば当然なんだけど、残念ながら俺にはない。

豊富にあるのは、冬に備えて蓄えた脂肪分ぐらいなもんである。
別に冬眠するわけでも何でもないのだけど。

まぁ、そんなことはどうだっていいや。
見てもらいたいのは、ムクムクしたダウン・ジャケットだとか
その中に隠された脂ののった豊満な肉体なんかじゃないのだ。
黒の中でポムッ! と目を引く、小さな赤い色。
これこれ。これだ。

ちょうど今のティーポでも紹介してるのだけど、
ここ2年くらいの間、気に入って使ってる
ハート型のキーホルダーである。

ひとつめを買ったのがいつだったかは覚えてないのだけど、
出張でパリ市内に泊まったときに裏路地を散歩していて、
何てことのない小物屋さんで見つけて衝動買いしたのは覚えてる。
フォルムがあまりにも絶妙だったのと、
赤の色があまり子供っぽくなくて、目を惹かれたのだった。
大きさが控えめなくせに存在感があることも、
ダイヤルでハートをロックする、という洒落っ気もなかなかいい。
身の周りの品にくっつけて使ってて、ふとした拍子に目に入ると、
何となく明るい気分になるというか、少し和むというか。
きっとカタチと色が、そんな雰囲気を醸してるからなんだろうね。
小物の存在ってのは大きなモノだと思う。

なので、気に入って、今では予備を含めて3つほど持っている。
ダウン・ジャケットには壊れたジッパーのツマミの代わりに、
深いパープルの珍しい色したカバンには単なる飾りで、
こうしてくっつけて歩いてるわけだ。

ハート・マークには “女の子のモノ” という印象もあるせいか、
男性諸氏の中には避ける人もいるようだけど、
そもそも俺は「男らしい!」と評価されるような人間でもないし、
強さを誇示したいわけでもない軟弱なクチだし、
だからちっともそんなのは気にならないのだけど、
そもそもハート・マークは心臓をモチーフとして生まれ、
“心” だとか “人の温かみ” というような
ヒトにとって大切なモノを表すアイコンとして用いられてきた。
そこに内包されている “敵意のなさ” や “ぬくもり” は、
きっと世界のどこに行っても誰にでも伝わるだろう。
俺はそこがいいな、と感じてるのだ。

何かとギスギスしがちな今どきの世の中、こんなふうな
“平和と笑顔を願うサイレント・ヴォイス” があってもいい、
なぁーんて思ったりするところもあったりして。

あまり気づいてる人は多くないようだけど、
パリの街には、あちこちにハート・マークが溢れてる。
意外なところに意外なカタチで、ハート・マークが存在してる。
フランスは “恋愛の国” と言われるが、元を正せば “博愛の国” 。
恋人達の心の証だけじゃなくて、身近な人への感謝も、
親子や兄弟の間の愛情も、あるいは時として友情も、
こうしたハート・マークに置き換えられるのかも知れないな、
なんて思わされちゃったりするほどに。
そういえば今では統合されちゃったとある企業も、
“心のふれあい” をテーマにして、
ハート・マークをロゴに採り入れたりしてなかったっけ……?

と、そんなふうに考えてたこともあって、
ちょっと前のパリ滞在時に Corso Tipo 用の買い付けをしてるとき、
「モロにクルマに関係してるモノだけじゃなくて、なにか
 フランス車好きがさりげなくそれを表現できるモノはないか?」
と探していて、コレを思い出したのでちょっとだけ買ってきた。

自分が今、フランス車を所有してるのだとしたら、
コレをキーホルダーにして使いたいぞ、と感じていたからだ。
だってコレ、とってもパリっぽいもん。

同じように「こんなんじゃ!」はあまり好きではないけど
そこはかとなく主義主張を表したい、という人に
使ってもらえたら嬉しいな、と思う。
もちろん、シンプルに “かわいいから” も大歓迎だけどね。

次はいつ手に入れられるか判らないので、
まだ少し残ってるうちに、ぜひ。

……と、ちょっとばかりロマンティックなこと言っても、
自分の写真の顔にヒゲ描いて喜んでたりしたら、
きっと説得力はゼロだよなぁ……やっぱり……。

2008年12月 8日

限りなく私怨に近い業務連絡【 R18 】

人間、心が穏やかでないとモノゴトをじっくりと考えたり、
適切に判断したりすることはなかなかできないものだ。

それが私生活に関することであれば元が元なので
今さら適切な判断をしたところで手遅れだからいいとして、
仕事となると、そういうわけにはいかない。
だが、今のこの時勢、日に日に世知辛さを増していく中で、
俺が心から安らげる場所というのが仕事場にはふたつしかない。

ひとつは各フロアの隅の隅にある6畳間程度の広さの、
巨大なエアコンの室外機が置かれている空間 ── 喫煙所だ。
室外機置き場だからして、手摺りはあるが当然吹きっつぁらしで、
今や完璧なマイノリティとなった喫煙者はそこに追い詰められて、
肩を寄せ合い慰め合ったりしてるわけだ。
このところは世知辛さに比例して寒さまでも増してきてるが、
俺達のいる3階フロアの喫煙所は当然のことながら
地ベタと比べて高いところにある分だけ風も強いわけで、
これが季節が進むと寒いどころの騒ぎじゃなく、風が痛い。
まさしく煙草1本くゆらせるのだって命がけ、なのだ。

もうひとつは、言うまでもあるまい。
みんなと同じ、しゃがんだり座ったりして落ち着く場所である。
国を動かすほどの人物だろうがどれほどのセレブリティだろうが
カワイイ顔をしていようが IQ が500ぐらいあろうが、
誰もが等しく自分が人間であるという事実に直面せざるを得ない、
ひとときの孤独を堪能すべき、あの秘密の個室だ。

今からおそよ10日ほど前、ティーポが締切真っ直中にあり、
スタッフそれぞれが人間であることを放棄してる日のことだった。

夜もとっぷりと更けて……というよりも、草木も眠る丑三つ時。
俺は頭を冷やそうとシャツ1枚で喫煙所へ行き煙草を灰にし、
想像以上の寒さに危うく遭難しそうになった後、
さらに落ち着きながら原稿の続きを模索しようと考えた。

で、座って落ち着いてたわけだ。

すると、その個室のある部屋に誰かが入ってくる音が聞こえた。
俺は無意識に、衣擦れの音ひとつ立てぬよう身を固くして、
空気の揺れひとつ伝わらぬよう息をひそめ、様子を伺った。

別に悪いことをしてるわけでも何でもないが、
俺がその時その場でコトに及んでるのを喧伝されたくはない。
その辺りは俺の人間としての器の小ささではあるのだが、
小学生のときに仄かに憧れてた女の子の前で囃し立てられた、
あのバツの悪さみたいなのを繰り返すのはゴメンである。

だが、今回の敵は俺のそうした切ない想い出にも繊細なココロにも
全く気づくことなく、ぶっ! と威勢良く背面から自分を解放し、
ふぅーっ……と満足気に吐息を漏らすと、
手も洗わずにペタペタとサンダルの音を響かせて出ていった。

ぱちん! と、電気を消して──。

くっそー。やられた……。
個室の扉が閉じられていることに気づかなかったのだろう。
何ひとつためらった気配もなく、スイッチぱちん! だ。
真っ暗である。窓の位置の関係もあって昼間でも暗いのに、
時刻は夜のてっぺんをまるっきり過ぎている。
目をクワッと開いても何も見えない真っ暗闇である。

ロール・ペーパーの位置が判らない。
俺の分身に旅をさせるためのレバーの位置も判らない。
扉を開けるためのスライド・ロックの位置も判らない。

ペーパーをちゃんとホールドすることができずに
手で拭いちゃったらどうしよう……。
バランスを崩して手を入れちゃったらどうしよう……。
何ちゅーか……はさんだら泣くほど痛いし……。

俺の頭の中にはそのシチュエーションの中で考えられる
おおよその悲惨な光景すべてが次から次に浮かんできて、
ちょっとばかり恐慌状態に陥った。

したくはなかった深呼吸を深々として、
動作をゆっくり確実に、手探りしながらひとつずつ……で、
結果としては、まぁ、だいじょーぶだったけどね。
もう44歳なんだし。

それにしても、憎きは姿を見ることができなかった敵である。
いったい、どうしてくれよう……。

「お部屋を出るときにはちゃんと電気を消しましょうね」
という幼稚園時代の教えに忠実なのは悪くないが、
それなら小さい方とはいえコトをすませた後なんだから
手洗いだってしなさいよ、と思う。俺はしたぞ。
というか、電気を消す前に個室の状態を確認ぐらいしろ。

ああ……思い出したら、ふつふつと静かに怒りが湧いてきた。
手がかりは、あのサンダルの音だ。
雑誌屋はデスクに向かってる時間が異様に長いこともあって
仕事場ではサンダルに履き替えるヤツが多いのだが、
あの音はティーポのスタッフのモノじゃない。
となると、あの時期に同じフロアにいた別の編集部の人間、
である公算が強いわけだ。……そこから絞り込むか。

現段階では犯人が誰かはつかんでいないが、よく聞けよ。
俺は必ずキミが誰なのか、突き止めてやる。
身に覚えがあるならば、とっとと謝りに来なさい。
さもなければ……今度はキミがいきなり電気を消される番だ。
すっごく焦るんだからな。ほんとに。……解ったね?

以上、業務連絡、終わりっ!

みんなも電気を消すときにはちゃんと注意しよーねー。

2008年12月 4日

オデコをパーン! な気分──

うわ……驚いた。……もう、平手でおでこパーン!
……ってやりたいほどである。
だってさー、ふと気がついたら、もう12月じゃん。
知らない間に俺をすっぱりと置き去りにして、
もう師走が始まってたってわけだ。

いやー、そりゃ忙しいわけだ。
訊ねられもしないのに普段から「いそがしいいそがしい」
ってクチにするのはカッコ悪いからヤメようって思ってるのだが、
この12月ってのはねぇ、他の11ヶ月と比べると、
毎年決まって、ただ12月だっていうだけで忙しさが倍増する。

というのも、毎月6日発売のティーポ本誌は
正月休みによる打撃をモロに喰らって、
締切がざっと10日ほども早くなっちゃうわけだ。

だから本来だったら今日は普段の月の13日くらいにあたる計算で、
もう取材・撮影が繰り広げられていなければならない時期。
なのに俺はといえば、まだティーポ本誌の仕事は何ひとつ、
何ひとつ! まるで手出しができてない。
取材車両のアタリすらつけられてないくらいなもんで……。

んじゃ日々をいったいぜんたい何に費やしてたのかというと、
それが……覚えてないんだなぁ……あんまり。

そのくらい毎日バタバタバタと慌ただしい。
そういえば今日……俺、何やってたっけ? マジで……。

こんなふうに自分を見失いがちな状況の中にいるときってのは
アタマの中でモノゴトの整理がちっともついてないわけで、
「何もこんなときに、こんなことしてなくたって……」
と後からビックリするようなことを知らないうちにしてたりもする。

さっきなんてどーゆーわけか、
キッカケが何だったのかということすらサッパリ覚えてないのだが、
愛機 PowerBook G4 を触っていたら名無しのフォルダを発見し、
「……ん?」と思って開いてみたら、
それはあちこち出張に行ったときの未整理の写真の集合体で、
ふと気づけば出張ごとに細かくフォルダ分けをして
整理なんぞを始めちゃっていた。

そのあげく、7月に『 500 Magazine Vol.2 』の取材で
イタリアをあちこち激走しながら移動してたときに
どこかの食堂でポショッと撮った砂糖の包みの写真を見つけて、
「おおっ! これは……アバルト焼酎に続く第2弾、
 アバルト・シュガーだぜっ。いぇーい!!」
なんてプチ興奮したりしてたわけだが、ふと冷静になると、
そいつはどうヒイキ目に見てもサソリなどではなく、
いかにも根性なさそうにヘタリ込んでる体力不足のザリガニ
……以外のナニモノにも思えない。
どことなく今の状況にいる自分とかぶって見えて、
ちょっとばかり複雑な心境になったりもして。
……あれ? 海産物とかって書いてあるから、
もしかして、エビ? エビ? エビ? だよなぁ。

いずれにしても、ボケ倒してることは自覚せざるを得ない。
でも、これまで忘れてたデジカメ画像の山の中に、
本人はそんなもの撮ったことをまるで覚えてないものの
ちょっとは興味を持ってもらえそうなモノが幾つかあったから、
これからネタのないときにはそれをみんなに見てもらおーっと。
……なんちゅー収穫らしきモノがあったにはあったのだけど、
その間に時計が2時間も進んでるとは思いもしなかった。

人間の自己防衛本能というのは、すごいものである。
こんな時期にこんなふうな現実逃避ができるなんて……。

いやー、まだ12月に入ったばかりだというのに、
先が思いやられるぞ、俺……。今月も修羅場だな、間違いなく。

みんなも年末年始に向かってますます忙しくなるだろうけど、
風邪なんてひかないように注意しながら、がんばってね。

俺もがんばるし。……明日から。

2008年12月 2日

緊急ニュース! ミニ・コンバーチブル発表!!

ずっと待ち望まれていた新型ミニのコンバーチブルが、
ようやく本国で発表になったようだ。

“このミニ・コンバーチブル” は、英国一流の匠の技で
標準型ボディのルーフの部分を潔くスッパリと切り落とし、
手動式の薄くて頼りないソフトトップを
リア・シートの後ろ側に四苦八苦しながら格納するタイプ。

この大胆なドロップヘッド化によって
爽快なオープン・エア・モータリングが可能になったほか、
後方およびナナメ後ろ、そして上方の視界が大幅に向上、
車外からも容易に荷物の出し入れがしやすくなるなど
荷室の小さなミニの実用性を大幅に高めることに成功した。
同時にボディ剛性を大幅に低下させたことによって、
自ずとスピードを落としたくなるアクティヴ・セーフティ効果と、
エンジン回転の上昇を促さない経済性をも狙っている。

また、オプションとしてゼッケン7番のサークルと
2本線のストライプという “意味なくブルー” キットを用意、
フェンダーにあしらわれるメッキ・モールディングとともに
ファッション性をも大きく向上させている。

……と、これじゃ騙されないか、やっぱり。
えー、写真のミニはいつだったかの出張のときに
パリのオデオン界隈でパシャとスナップしたものだった。
ライト・ハンダーだしナンバーも英国のモノだから、
おそらくドーバー海峡を越えてパリ観光に来た
頭のハッピーな人の個人所有車両かと思われる。

まぁここまではジョークなわけだけど、
新型ミニのコンバーチブルが本国で発表されたのはホント。
ここで俺がダラダラと説明してもしょーがないから、
ホビダスオートのニュースを見てみてみて。


2008年12月 1日

綺麗だなぁ……

この仕事場のほんのちょっと先、
多くのネコ・パブリッシングのスタッフが駅から来るときに
必ずその前を通る、というところに大きな銀杏の木が立っている。
樹齢何年なのかは知らないが、大きさからするとかなり古かろう。

真っ黄色、である。

先日、フィアット・カフェのオープニング・レセプションのために
青山までクルマでへこへこと走っていったときには、
外苑の銀杏並木の落葉はもう始まっていて
それはそれで風情があったものだけど、
こちらは今が黄葉真っ盛り、落葉直前のクライマックスである。

綺麗だなぁ、と思った。

こういう美しい黄色、あったんだよなぁ……と。
思わず立ち止まって、ほけーっ……と眺めてしまったほどだ。
幼い頃、実家の目の前に銀杏の木があって
毎年必ず見ていたはずなのに、すっかり忘れてた。
日々が慌ただしいと、こうした美しいモノに感動する気持ちも
忘れがちになっちゃったりする。

それにしても、自然が生み出す色合いっていうのは、
どうしてこんなにも綺麗なんだろうか……?
どうしてこんなにも、見てるだけで心の角が丸くなるんだろ……?
Mac を駆使してみればいい色味はいくらだってつくれるけれど、
それらはこんなにもスッと心に染み入ってきたりはしない。

この銀杏の黄色だってハッとするほど目に鮮やかなのに、
眼の奥を刺すように刺激してきたりはしない。

なんだかとっても優しい色なのだ。

自然ってのはすごいチカラを持ってるんだな、と実感させられる。
考えてみたら──まぁちょっと飛躍はするけれど、
地球が回るのを誰かが止めることができたわけでもなし、
人間が自然を陵駕することができた試しはない。
こざかしく人工的に造り出したモノが、
大自然の与えてくれるモノに勝てるわけもないのだな。

雨だとか風だとか大地の温もりだとか、
そうしたものの大きな大きな恩恵の中で、俺達は生きている。
俺達も大自然を構成する要素のひとつ、なのだ。

こうして自然の美しさに出逢ったときに、
頭ではなく心でそれを受け止めて癒やされたりするのは、
日々の慌ただしい時間の中でともすれば忘れがちな
“自然との同化” みたいなものの心地よさを、
DNA レベルで身体が無意識に想い出すからなのかも知れない。

きっとヒトは様々な意味で “自然と共に生きる” のが正しくて、
それこそが健やかでいるための大原則なんじゃないかと思う。

そう、健やかでいることこそ、
明日を生きるための最も重要な糧なワケだからね。

美しい銀杏の葉々を前にして、
今日、俺はそんなことを感じたのだった。

えー、そういうわけなので、少しでも “自然と共に生きる”
ということの大切さを尊重しようと決心した俺は、
今日はとっとと帰ってさっさと眠ることにした。
自然の摂理 = だって眠いんだもん。

よーし、頑張るぞーっ! ……明日からね。