石仏系の無駄話 カテゴリー
2006年03月22日
春のお彼岸の頃
こんにちは。3月22日、水曜日です。東京では桜の開花宣言があった?(かな?)
ヨコハマでは開花宣言が出されましたが、桜が咲く頃は寒さがちょっとだけ戻り、
まさに“花冷え”のような陽気ではあります。
さて一昨日の20日はうちの末っ子の卒業式でした。で、まあ一応、カメラを持って
学校に出向いたりしてきたんですが、その帰り道、近所にある“医薬神社”の前を通り掛かり、
思い出したように石の仏様を撮影してきました。
仏様たちは木造の簡単な社に祀られていまして、ポカポカと暖かな日差しを浴びて
のんびりと過ごしているような雰囲気。で、ここで注目すべきは、画面右端の
仏様です。↓※いずれも画像はクリックすると大きくなります。
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↓ひとつの石に2体の仏様が刻まれた、珍しい石仏は、“双体地蔵”です。
“双体道祖神”とも言うこの石仏は、村などの入り口に祀られるもので、村の境を守り、
疫病や悪霊が村に入ってこないように防ぐ神。賽の神、手向けの神などと呼ばれ、
子授け、安産、安全の神としても信仰されてきたものです。道祖神が多いことで知られる
土地としては、長野県の安曇野が有名ですが、もしかすると皆さんがお住まいの場所にも
双体地蔵がひっそりと佇んでいるかもしれませんので、探してみてはいかがでしょうか。
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↓閑話休題。やはり20日のこと。自宅に宅急便が届きました。
差出人は岡山県に在住の旧車エンスージァストAさんで、野ざらし・発掘系の
旧車の写真とVWのプラモデルを送ってくださったのでした。
発掘系の写真はいずれも大興奮モノでして、いずれ『カー・マガジン』の
「君は知っているか?」などのネタとして活用させていただこうと思っている
ところですが、ここではVWのプラモデル画像をご紹介したいと思います。
ミツワモデルというメーカーによるリモコン・ビートルで、今から20年以上前には
あちこちのお店で目にしたことのある製品。スケールモデルを謳っていますが、
そのプロポーションは今ひとつ(笑)。ただし今となっては、このB級な出来が、
なかなか楽しいアイテムではあります。
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↓中身です。モーターライズで、右左折・前後進なとの操作もモーターによる
なかなか凝った構成。送ってくださったのはグリーンのモールドですが、
赤、黄色などのカラーもあったようです。このビートル・キットは、拙宅ガレージの
VWキット・コレクションにありがたく加えさせていただきました。大感謝!!
Aさん、どうもありがとうございました! 近々、そちらにお伺いしたいと思います。
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投稿者 滝沢隆久 : 14:35 | コメント (0) | トラックバック
2005年10月23日
選挙に出かけて古墳と石仏を見て…
皆さん、こんばんわ。毎度同じ言い回しですが、日曜の晩でして。
明日はまた一週間の仕事の始まりだと思うと、気持ち、若干萎え~。爆。
さて今日は久しぶりの秋晴れ。普段よりもやや遅めに起きて朝刊を見ると、
「昨日の東京競馬・第12レースで史上最高の1846万円馬券が出た!」と。
おおっ、そんな馬券を買っていてびっくり仰天・目を回したいものだと
朝からちょっと熱くなり(笑)。最近は三連単が買いのようです。
そんなわけで、買ってもいない馬券に思いを馳せつつ、横浜は参議院の
補欠選挙の日なので、次男坊を連れて散歩がてら近所の投票所へ。
投票所は市ヶ尾小学校というところで、実はその小学校の隣には、
市ヶ尾の横穴古墳群という史跡があります。で、この辺に20年近くも
住んでいながら、そんな古墳群を見たことがなかったのでちょいと見学。
↓古墳群の入り口に建てられている説明板。横浜市の歴史的遺跡、
なんとかかんとか…だと色々な説明がされています。

↓これが横穴古墳群の一部。里山の壁面にトンネル状に掘られた穴が
古代の墳墓。時代的にはこの墳墓よりもずっと後の鎌倉時代になって
大船・鎌倉の地方に多く造られた当時の墳墓「やぐら」に近い形状。

↓ということで、古墳見学を終えての帰り道。「地蔵堂下」という交差点の脇に
ある、その名もズバリの地蔵堂を見て行くことに。ここも20年近く住んでいる
にしては今の今まで一度も見たことのなかった場所。お堂そのものは
田舎の小寺という感じですが、そのお堂の入り口には数体の石仏群。
そのうち2体は、先日もこのブログにアップした「庚申塔」だったので、
ちょっとした発見気分(笑)。これはやはり、住んでいる地域の石仏群を
つぶさに調査・観察したくなってきました!! 楽しみがまたひとつ増えたなぁ…。

投稿者 滝沢隆久 : 23:34 | コメント (0) | トラックバック
2005年09月30日
安心した話
こんにちは。9月最後の金曜日、秋晴れ、週末、明日は土曜日、休日っ!
日差しは強いものの、ひんやりとした風に秋を感じます。そろそろ昼飯かあ。
さて、僕が2年前に住んでいた場所は、今の住所から歩いて15分くらいのところ。
至近の交差点には“庚申塚(こうしんづか)”という名称が付けられていました。
この庚申塚の“庚申”とは、いわゆる神道系の言葉で、江戸時代初期の頃から
広まった“庚申信仰、庚申講(こうしんこう)”にちなみます。
この庚申講とは、夜通し眠らずに行なう宴会のようなもの。
そんな宴会を行なう理由は、次のような理由からです。
人間の体内に居るという三尸虫(さんしちゅう)という虫は、
その人間が寝ている間に天帝に人間の悪事を報告しに行くとされています。
報告されてしまうとその後どんな天罰が下るか判りませんので、庚申の日の晩は
夜通し眠らないで天帝や猿田彦や青面金剛を祀って宴会をする風習がありました。
眠っている間に悪事を告げ口しにゆく三尸虫なので、眠らなければ
告げ口は出来ません。バカバカしい話ですが、確かにその通り。
で、この庚申講が発展して、街道沿いや集落の入り口などに、庚申塔という石塔を
建立する風習も広まったのです。庚申塔には、庚申の本尊・青面金剛が彫られ、
加えて、悪事を見ない・聞かない・言わないという意味から三猿も彫られる例が多く
見られます。また、青面金剛や猿田彦、三猿などを彫らずに“庚申塔”とだけ
彫った簡易型石塔も多く見られます。
さて、話を戻しましょう。
以前住んでいた庚申塚の交差点の脇には、青面金剛や三猿が彫られた
見事な庚申塔が建っていました。恐らくずっと昔からあったに違いありませんが、
その塔が建つ裏手の林がアッという間に造成され、マンションの建設工事が
始まりました。今から1年半ほど前のことでした。
ある日その交差点をVWで通った時、庚申塔が姿を消していることに気づきました。
工事で撤去され、どこかに処分されてしまったのか?! そこを通るたびに気をもみました。
野仏、石仏のたぐいは安易やたらと処分したりされるものではありませんが、
個人的には、建設工事や道路工事にからんで廃棄された石仏をたくさん知っているため
もしやここの庚申塔も…と心配していたのです。
この夏前のこと。マンションの建設工事が終わり、周囲を囲んでいた大きなフェンスが
取り除かれました。元々庚申塔があった場所を注意深く観察してみると…無い!!
やはり処分されてしまったのかも。何ともバチあたりなことをするものだ…。
などと思っていたら、しばらく後に、マンションの脇に公園が造成されました。
で、その公園の道路に面した一角に、なにやら見覚えのある石塔が建ちました!!
おおっ、元々あった庚申塔です!! 立派な台座に固定され、道行く人や車を
眺めているではありませんか!! 良かった。捨てられたわけではありませんでした。
↓これが、正面から見た庚申塔です。だいぶ磨耗してはいるものの、なかなか
立派な彫刻がされています。下の方にはちゃんと三猿が見えます。

↓庚申塔の裏側。仏像で言うところの光背(こうはい)に当たる部分です。
石のまま、何も加工はされていません。

↓ちょっと引いて庚申塔を見たところ。やれやれ、これでひと安心。
以前あった場所から20mくらい移動しました。ところで迂闊にも、
以前建っていた場所での撮影をしていませんでした。残念。

皆さんも近所を散歩したり買い物に出掛けたついでに、路傍のお地蔵さんや
石塔に目を向けてみませんか。案外面白い発見があったりしますよ。
実に知っている人は殆ど皆無ですが、大学の卒論は「鎌倉の仏教美術」。
古都鎌倉に照準を絞って、路傍の野仏を徹底研究したことがあるので、
石仏系、仏像系の話はめちゃうるさいのであります。爆。またします。
投稿者 滝沢隆久 : 12:30 | コメント (0) | トラックバック



