ホットロッド宣言!?
今さら何ですが、自分はホットロッド全般にも幼少時から強い憧憬を抱いてきた。そんな「ホットロッド」という単語を最初に聞いたのは、覚えたのはいつだったか?と思い返してみると、写真のプラモである。
幼稚園に通っていた頃のある日、親父が「お前、ホットロッドって知ってるか?」と唐突に聞いてきた。しらんと答えると、細長くてエンジンが剥き出しで、後ろのタイヤは異常に太くて、前にはバイクの細いタイヤが付いていて…。とにかくカッコいい物体らしい。プラモ作ろう!と言うので、一緒にオモチャ屋に行って買ってきたのが写真のイッコーモケイ製ホットロッド「スターライト」だった。ゼンマイで走るこのキット、フロントのドロップ・アクスルにメッキ処理された金属部品が奢られており、タイヤの出来も当時の国産キットとしては、非常に良い出来栄えに見えたものである。ゼンマイを巻いて走らせると、とても速くて興奮した記憶がある。
言うまでも無く、トップ・フューエルを始めとする所謂「レール」ものだけがドラッグ・レーサーではないし、「ホットロッディング」自体、もっと広範囲な意味合いを持つ言葉である。当時、レベル、モノグラムを始めとするアメリカ製のプラモデルではホットロッド&カスタム系が百花繚乱だったし、それらは日本にも輸入されていた。しかしそこはそれ、何しろ1960年代のしかも地方都市のハナシであるから、イッコーモケイのゼンマイ動力が精一杯だろう。
さて、取り立ててクルマに興味のない親父が、なにゆえ突然の「ホットロッド宣言」だったのか?古い雑誌を紐解いてみれば、1960年代半ばのある年、富士スピードウェイでホットロッド(トップ・フューエル級)のエキジビジョンが催されたらしい。自力で走行することは出来ず、他のクルマでプッシュしてのビミョーなお披露目だったようだが、話題にはなったようだ。おそらくこの記事を何かで見ての唐突な宣言だったのではないか?と推測しているのだが。ちなみに、この時期の国内モータースポーツと言えば、「ドン・ニコルス」氏の名前を忘れるわけにはいかない。くだんのホットロッド・エキジビジョンにも関わっていたのだろうか?そして「ドンニコ」と言えば、シャドウである。


