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2005年11月

2005年11月02日

いすゞべレット

Bellett.jpg 最初に自分のお金で買ったクルマは1972年式いすゞべレット1800GTだった。子供の頃はVWビートルが大好きで、免許を取ったらビートルを買うのだと決めていたが、漸くクルマを買える身分になった頃には、古い国産スポーツカー、中でもべレGに強く惹かれていた。
 そんなわけで58万円にて田園調布の旧車専門店で手に入れたベレGは、最終型のいわゆる「お面つき」だったが、白にブラックのサイド・ストライプという理想的なカラーリング。SUツインがミクニ・ソレックスに換装されており、ショップの人が、“このベレGはベレGRより速いよ“と言ってくれた通り、実際速かった。クロス・ミッションとカチッと決まるシフトの恩恵で、ヘタクソなりに運転も楽しかったものである。
 で、写真は有名な三共製1/32プラモデルのベレット・セダン。このシリーズ、初代ファミリアやコルト等、国産セダンだけをラインナップした実に渋い展開。当時のセールスの如何は知らないが、古い国産自動車キットが語られる時には必ず登場する有名な存在だ。三共なき後、オダカ名義で再販され、ミドリ名義の版もある。ご存知の通り、この辺りは平野御大(おやじ)がご専門である。

投稿者: T. Yamada | 日時: 2005年11月02日 22:53 | コメント (0)

2005年11月03日

チータのゼンマイ動力キット

nakamura_cheetah.jpg 国産の1/32キット続き。国産キットだが、題材は外国のレーシングカー。ご覧の通り、スロット・レーシング全盛期を象徴する車種の1つと言えるビル・トーマスの「チータ」である。メーカーはナカムラ。内容的には当時の定石通り、ゼンマイ動力で走る簡単な部品構成。ボディを始めとするエクステリアは、ほぼコックス製1/32チータのコピーなので、フォルムはなかなかにカッコいい。しかしタイヤは極端に細いし、ホイールも有り得ないような、いい加減なデザインのものが付いている。
 唯一の美点としては、成型色がコックス1/32の黒に代えて、ダークレッドとなっていることで、これは寧ろコックス1/24の成型色に近く好ましい。しかし成型状態にはムラがあり、ボディは明かりにかざすと透けるほどに薄い。
 このキット、近年「ワンダーランド・マーケット」で入手したもの。入手後、箱を開けて思い出した。子供の頃に作ったことがあったのだ。その成型色と剥き出しのキャブレター、くだんのホイールが記憶にあった。その後、無塗装の完成品もワンダーランドで見かけたが、高価に過ぎ、入手は見送った。

投稿者: T. Yamada | 日時: 2005年11月03日 18:42 | コメント (0)

2005年11月05日

ピント・ファニーカーのキット

PintoFC.jpg  再びモノグラム製1/32キットに戻る。先日来、ご紹介してきたものより随分新しい、1970年代後半の「スナップ・タイト(接着剤不要)」タイプのキットである。
 この時代は、さしものモノグラムも時代の波に翻弄されている感が漂うが、その実、キット自体のクオリティは、なかなかに捨てがたい。モールドもシャープだし、プロポーションも良い。接着剤どころか、極端な話、塗装せずともそれなりの見栄えになるように、多色モールドの成型色で工夫を凝らす姿勢には感じ入ってしまう。
 この時代から更に時を経て、1980年代半ば以降になると、モノグラムの1/32キットは、再び突出したクオリティをアピールするようになる。その素養は、この時代のスナップ・タイトにも充分うかがえると思う。

投稿者: T. Yamada | 日時: 2005年11月05日 00:27 | コメント (2)

2005年11月06日

ロータス72E・ロニー仕様・SRC1/43

L72E.jpg これまでいわゆるホワイトメタル・レジン、すなわちハンドビルド系1/43スケール・モデルを全く取り上げてこなかったので、しばし、このジャンルをものを取り上げてみようと思う。
 モデルカーに詳しい方ならご存知の通り、1970年代半ば以降、ヨーロッパ製ダイキャスト・マスプロ・ミニチュアカーのクオリティは下降線を辿っていったと言える。直接のきっかけを作ったのはアメリカ・マテル社ホットウィールの世界進出で、それまで、エンスージァスト向けのコレクタートイとしての性格を併せ持っていたミニチュアカーは、純然たる子供向けトイとしての方向へ、そのベクトルを曲げられていった。かのマッチボックス、コーギーまでもが、その道を辿らざるを得なかったのである。
 そんな流れの中でも旧来からのコンセプトを保守するメーカーは存在したが、いずれそれらは死滅の道を辿っていった。この悲劇を受けて黙っていられなかったのがエンスージァストだちである。マスプロに失望した彼らは、自分の欲しいものを自分らで作り始めた。それがホワイトメタルやレジンの1/43キットや完成モデルだ。これ以降、ミニチャンプスに代表されるモダン・ダイキャストの台頭まで、ハンドビルド系モデルこそ、エンスージァストの欲求を満たす、主たるカテゴリーであり続けたのである。
 写真はイギリスのSRCというF1マシーンだけを手懸けるホワイトメタル・キット/完成品モデル・メーカーのJPSロータス72。キットは1972年の72Dを再現したものだったが、プロフィニッシャーのジョー高安氏にオーダーし、1974年の’72Eに改造したもの。インダクション・ポット、ウイング、ロゴ類、タイヤ・ホイール等、細部に手が入っている。(モデル・カーズ19号掲載)

投稿者: T. Yamada | 日時: 2005年11月06日 13:01 | コメント (0) | トラックバック (1)

2005年11月07日

ロータス76・ロニー仕様・SRC1/43

L76.jpg 昨日に引き続き、1/43ハンドビルド系モデルの紹介。写真のロータス76は、昨日のロータス72と同じくイギリスのメーカー、SRCの1/43ホワイトメタル・キットをベースに組まれたもの。長く活動したSRCは評価が曇らない稀有な存在であったが、中でもこの76のキットは、平面の組み合わせによる実車のボディ・フォルムがSRCの工法にマッチした結果か、数少ないこの車種のモデルとしては決定版と言える内容となっている。
 写真の完成品は、我が国が世界に誇るスペシャル・モデルビルダー、「早川松芳さん」がプロフェッショナル・デビューする以前に組んだものを、偶然の機会に入手できた。シャシーに刻まれたイニシャルと、独特の厳重な梱包パッケージに「もしや」と思い、早川さんに電話でお尋ねしたところ、おそらく自分の作であろう、とのお答え。その後、氏のご自宅にお邪魔できる機会があり、その折に持参したところ、やはり自作であることを確認してくださり、アクリル製のディスプレイ台+ケースと、エッチングの車名プレートをプレゼントしてくださった。
 聞けば、このロータス76は、JPS9とJPS10の2台を制作し、ご自身では「ペア作品」として作ったとのことだった。実は写真のものを入手したとき、もう1台も一緒に売りに出ていたのだが…。資金力の欠乏で1台しか買えず、貴重な初期の早川作品を泣き別れ状態にしてしまった。もう1台(ゼッケン2のジャッキー・イクス/シングル・ウイング仕様)が、どこかで幸福に暮らしていることを祈るしかない。


投稿者: T. Yamada | 日時: 2005年11月07日 23:54 | コメント (0)

2005年11月08日

ロータス77・ロニー仕様・WAVE1/43改

L77wave.jpg 1/43ハンドビルド系モデルの紹介と言いながら、1970年代のロータスF1ばかりになってしまっております…。しかし自分的には致し方なし。元よりホワイトメタル/レジンのジャンルは、マスプロにない車種の製品化が存在意義の重要な部分を占めていたはずで、そう考えると、自分にとっての「満たされなかった車種」とは、すなわち1970年代のF1、とりわけロータスだったということがよくわかる。
 初めてFDS製ロータス77や、SRC製品ロータス76の存在を知った時は衝撃的だった。ロータス76のパーツに、ちゃんと4枚のペダルとフットレストまで刻まれているのを確認し、正に同じ嗜好の人間が作り出したものであることを、じーんと感動しながら噛み締めた記憶がある。72~72D、78、79は、実車ヒストリーの観点からスケール・モデルが存在することが自然な車種だが、マニアにとっては「その他」、すなわち、76、77、80が重要なのである。なぜだか仕方ないことに、マニアとはそういう生きもの也。
 で、「76」に関しては、SRCの傑作が早い時期に出たが、77は不毛の時代が長かった。この「77」というF1、僅か1シーズンの間にフォルムとディテールがデタラメに変貌を遂げたクルマで、それ故キット化も難しいのだと思えた。日本人にとっては、1976年に開催された東洋初のF1グランプリ「F1選手権イン・ジャパン」でマリオ・アンドレッティが雨中の好一番を制した時のマシーンとして有名なのだが…。そんな文句を言っている間にFDSが活動停止すると、「77」のモデルカーは、世の中から無くなってしまった…。
 しばしあって、1990年代半ば頃、F1キットに精力的だった「ウェーブ」から、くだんの1976年・日本仕様キットが発売になった時は嬉しかった。が!ここでもまたマニアは愚行を重ねた…。この立派なキットをベースに、1975年秋に発表された時の最も細く・エグイ(しかもロニー!)仕様!が作れまいか?と考えてしまったのだ。そして再び、ジョー高安氏にオーダーして出来上がったのが写真の1台である。(モデル・カーズ32号掲載)

投稿者: T. Yamada | 日時: 2005年11月08日 19:31 | コメント (0)

2005年11月09日

ロータス77・マリオ仕様・スクラッチ1/43

L77J.jpg プレスカンファレンス仕様のロータス77を、ウェーブ1/43ベースに作った話の続き。実はロータス77のキット自体が世の中に全くなかった時期にも、1/43でフルスクラッチという暴挙に及んだことがあった。写真のモデルがそれ。モデル・カーズの連載記事にて、1976年の「F1選手権イン・ジャパン」を1/43モデルで再現する為に制作されたものだ。
 DFVを始めとするディテールにSRC製ロータス78、タイヤにフジヤ製のものが使用されている他は、ボディを始めとする主要コンポーネンツは全て一から起こされたものである。細いノーズから剥き出しになった複雑な構成のサブフレームとアウトボード・サスペンションも真鍮線などを使った自作パーツで再現されている。製作を担当して頂いたのは、DTMの伊東祐司氏。くだんのコンプリケートなフロント足廻りは、小森康弘氏による贅沢な作り起こしであった。(モデル・カーズ27号掲載)
 ちなみに同時掲載されたモデルは、ウエスタン・モデルスのタイレルP34、テナリブのマクラーレンM23とフェラーリ312T2、メーカーは忘れてしまったが、国内ガレージ・メーカー製の長谷見仕様コジマKE007と星野仕様タイレル007であった。

投稿者: T. Yamada | 日時: 2005年11月09日 20:03 | コメント (0)

2005年11月10日

ロータス77・ロニー仕様・ジョン・デイ1/43

L77JD.jpg 1/43のJPSロータス連載(?)は、またまたタイプ「77」だ。なんじゃ!このデキの悪いのは?と仰る向きも少なくないと思うが、写真のモデルは結構貴重な初期のジョン・デイ製キットをベースに組まれたものなのだ。
 「モデル・カーズ」では、永らくブライアン・ハーベイという英国人ジャーナリストが連載を続けてくれているのだが、そんなブライアンの連載をまとめる作業を担当していた時期に、彼が「ジョン・デイ」のエピソードを書いてくれたことがあった。確か2回に分けた長編で、その内容も非常に印象に残るものだった。
 いろんな意味で興味深い、黎明期のホワイトメタルキット・メーカー、ジョン・デイの全盛期は1970年代半ばである。技術的にも、ビジネス・モデル的にも特筆すべきポイントは多々あるのだが、自分のような1970年代F1を題材とするモデルカーの愛好家にとっては、何と言っても、「その活動時期が1970年代半ばである」という1点が最大のポイント。すなわち、「実車と同じ時代に製品化されたキット」という事実が最大の価値なのだ。この作例は、車高の高さ等、キット元来のおかしな点も敢えてそのまま残して仕上げてもらった。現代の目で見れば稚拙さが目立つ一方、面白い特徴も多いキットで、特に一体でパーツ化されているセンターカウルとノーズが脱着式となっており、か細いアルミ・モノコックや補器類のディテールが内部に再現される様子は、当時それらの情報を得られなかった、かつての日本のF1小僧にとっては、大袈裟だが感動的ですらある。写真のモデルはebayで無茶して入手したキットを、レジンで複製してから仕上げてもらったもの。デカールはスキャンし、その色味もオリジナル・キットのそれを忠実に再現してある。
 キット自体はプレスカンファレンス時の姿をモチーフにしたもので、故にゼッケンは5だが、ドライバー名はマリオではなく、もちろん「Ronnie Peterson」となっている。個人的にはそこがどうしても欲しかった理由。フィニッシュはジョー・高安氏。 (モデル・カーズ84号掲載)

投稿者: T. Yamada | 日時: 2005年11月10日 23:30 | コメント (0)

2005年11月12日

ロータス80・マリオ仕様・MGモデルズ1/43

L80.jpg 1/43の1970年代ロータス続きです。72→76→77と来れば、→78→79と行きたい所ですが、この2つは超メジャー級なので、敢えて飛ばし、1979年の「80」へ行きます。このマシーンも76や77同様に発表時の印象が強烈でした。79より更に強力なダウンフォースを発生するグランド・エフェクトカーとして設計された80には、前後のウイングがなく、ノーズに置かれた小さな「トリム・タブ」とリアのフラップだけで事足りる、と考えられていたようです。残念ながら実戦ではすぐに前後ウイングが取り付けられ、さしたる戦績を残すことなくお蔵入り、代わってタイプ79が再び引っ張り出されるという、タイプ76と全く同じ運命を辿りましたが、マルティーニ・カラーをロータス本来のグリーン地にあしらったその姿は、インパクト大でした。写真のモデルはイタリアのMGモデルズ製キットをベースにプレスカンファレンス仕様に仕立てられたものです。フィニッシュはジョー・高安氏(モデル・カーズ34号掲載)。
 
 ところで、今日から「ツインリンクもてぎ」で、恒例の「ヒストリック・オートモービル・フェスティバル・イン・ジャパン」が開催されます。この原稿もサーキット・ホテルで書いております。ホビダス・オート編集部がブログでレポート展開していく予定ですので、ご期待ください!

投稿者: T. Yamada | 日時: 2005年11月12日 02:41 | コメント (0)

2005年11月14日

1970年代ロータスF1・1/43モデルたち

 写真は、先週ご紹介した1/43ロータスたちの別カット。前方から見ると、如何に1台ずつのカタチが異なるかがよく解る。例え実車のサラブレッドGPでも、このラインナップが一堂に会することは不可能だろう。なぜなら、プレスカンファレンス仕様を再現するレストレーション等、実車の世界では聞いたことがないし、そんな嗜好を持つ人間もまずいない。だからこれは純粋に模型だけの楽しみ方と言える。     ★写真をクリックすると大きな画像を見られます★

投稿者: T. Yamada | 日時: 2005年11月14日 22:02 | コメント (0)

2005年11月16日

JPSロータス77・1/43モデル3態

 先週ご紹介した1/43のロータスF1モデルの別カット2枚目。ロータス77の3仕様を前方から見たところ。左からジョン・デイ、ウェーブ改、DTMによるスクラッチで、仕様としては左からの2台が1975年秋のプレスカンファレンス(プレゼンテーション)、右が1976年秋の「F1選手権イン・ジャパン」となっている。先週までの解説に幾つか補足させて頂く。まず、この時期のジョン・デイ製F1キットの特徴として、前後タイヤ・ホイール、エンジン、前後サスペンション・アーム、ステアリング・ホイール、シートが、複数車種共通(汎用)のABS製インジェクション・パーツであることが挙げられる。デキはともかく、プラスチック・パーツ製造の為の設備投資が可能であったことは驚きではないか? ウェーブ製のものはレジン・キットだったが、元来、日本GP仕様だったので、プレスカンファレンス仕様への改造で、まったく原型を留めていない。今考えてみればスクラッチした方が早かったのではないか? DTMによるスクラッチによる1台は、随分無茶なオーダーだったと反省している。写真ではよく見えないが、フロント足回りの出来栄えは素晴らしいものである。それにしてもこの車種、漸く先ごろタメオが製品化した。メイクアップさんやラクーンオートさんで今のうちに入手しておくべきだろう。ところで、ロータス77に関して、個人的にはもう1つだけ欲しい仕様がある。1976年の開幕戦ブラジルGPでのロニー仕様、すなわちロニーが実戦で操縦した唯一のロータス77である。 ★写真をクリックすると大きな画像が見られます★
 

投稿者: T. Yamada | 日時: 2005年11月16日 00:48 | コメント (0)

ロニー・ピーターソンの話

 1/43ロータスの話題は一休みしつつ、ロニー関連の話。写真は先般のヒストリック・オートモビル・フェスティバルでのロータス・ヨーロッパ。
 ベタベタに低い車高、ロータス62を思わせるゴールドリーフ・カラーとリアのホイールアーチ、ボディサイドに誇らしげに並んだ撃墜マークからして、コイツの使い手が只者でないことがわかる。
 ウィンドウ越しに、青いヘルメットが置かれているのが見えるが、実はこのヘルメットにはJohn Playerの白文字ロゴがあしらわれ、バイザーにはイエローの「ひさし」が付いている…。
 てなわけで、このマシーンの使い手、Nさんはロニー・ピーターソンの熱狂的フリークである。昨年編集を担当したモデルカー関連ムック「スピード・キング」にて、ロニー+ロータスF1関連の記事を掲載したのだが、この時、Nさんには大変お世話になった。ちなみに同誌の表紙を飾ったロニー仕様のヘルメットも同氏のものだ。続きは明日!
★画像をクリックすると大きな画像を見られます★

投稿者: T. Yamada | 日時: 2005年11月16日 23:24 | コメント (2)

2005年11月17日

ロニー・ピーターソンの話・その2

Rshoes.jpg ゴールドリーフカラー+フルチューンのロータス・ヨーロッパでヒストリックカー・レース常勝を誇る「ロニー・ピーターソン」フリーク、N氏の話つづき。
 昨日も書いた通り、「スピード・キング」誌のロニー+ロータスF1記事では、氏のコレクションと自分のコレクションを合わせて、かなり濃厚な絵面を作ることが出来たのだが、何といってもこの記事中で最も特筆に値する「ロニー関連グッズ」と言えば、N氏所蔵の「ロニーが実際のレースで着用していたレーシング・シューズ」であろう。
 実はこのシューズ、ebayオークションで自分が発見し、N氏と相談して我々二人のどちらかが落札しようという話になり、「生き様的に相応しい」N氏が落札すると合議して入手したもの。この時の話をしよう。
 くだんのシューズ、さるアメリカ人が1978年の西アメリカGPにてロニーから譲り受けたもので、本来は彼の弟がロニーから貰ったものだった。その弟はロニーの熱狂的ファンだったが、当時すでに末期癌で、その病状をおして応援に馳せ参じた彼に、ロニーが贈ったもの。レース後のピットで、その兄弟と歓談した後、ロニーはシューズを脱ぎ、それにサインし、「ありがとう」と礼を言いつつプレゼントしてくれたそうである。弟はその後まもなく亡くなり、そのシューズは兄にとっても永く宝物であったが、諸般の事情から放出を決め、出品したのがくだんのebayオークションだったというわけだ。
 さて激戦オークションを制して、無事N氏が落札した後にちょっとした問題が起きた…。続きは明日!

投稿者: T. Yamada | 日時: 2005年11月17日 23:41 | コメント (0)

2005年11月19日

ロニー・ピーターソンの話・その3

shoes_article.jpg 昨日の続き。N氏がロニーのシューズを落札した後に起きた問題とは?  実はN氏は非常に多忙な職種に就いている為、入札・落札などの作業一式を代理業者に任せていた。落札後、その代理業者が先方に連絡したところ、「落札した本人以外にはシューズを発送しない!」という返事。代理業者がいくら事情を説明しても、先方はなかなかに頑固で意見を曲げようとしない。困ったN氏から自分に連絡が入った。
 そこでとにかく、N氏の代筆で事情説明のメールを書くことに決め、N氏が他ならぬロータス(ヨーロッパ)でヒストリックカー・レースに出場し、常勝であること、ロニーが少年時代からのアイドルであること、シューズを入手した暁には、雑誌編集者の友人(自分のこと)と共に、ロニーの記事を制作する予定であること等を書き、とどめに、N氏がヒストリックカー・レースに出場している画像(ヘルメットはロニーのものと同じデザイン)、N氏のマシーンの画像などを添付し、「世界中でこのシューズに最も相応しいのは自分(N氏)である」旨で締めた内容を送付したところ、先方は漸く納得してくれたのである。
 くだんの記事を掲載した雑誌「スピード・キング」は、その先方、ジョン・ゲインズ氏にも献本した。ちなみに記事の本文もゲインズ氏自身の筆によるもの。結局、同氏はこの記事を非常に気に入ってくれ、N氏がプロフェッショナル・ドライバーなのなら、スポンサーをやるとまで言い出した(残念ながらN氏はプロでないので、多分実現していないと思うが…)。1件のネット・オークションから、世界が広がることもある、というお話であった。

投稿者: T. Yamada | 日時: 2005年11月19日 01:05 | コメント (0)

ロニー・ピーターソンのために

 本日、横浜の赤レンガ倉庫で、毎年恒例の「ホビーフォーラム」が開催された。古くは藤沢で開催され、その名も「湘南ホビーフォーラム」と銘打たれていた当イベントは、模型スワップミート的な要素を強調しつつも、本来のコンセプトを守りながら、今や大盛況を見せるに至っている。模型愛好家クラブの展示とスワップミートを別のスペースで展開しているのも、各々の客が落ち着いて楽しめるために為された工夫で、これが全体に飽きのこないための演出へと繋がっているようにも感じる。なにしろ楽しいイベントであった。スワップミート・エリアでは、やはりミニチャンプス、エブロを中心とするダイキャスト・ミニチュアカーが多いが、1/43~1/20のキットや完成品も充実しているのが特徴的。客層も多岐に渡り、良い熱気が会場に溢れていた。
 買い物をする気はまったくなく、なおかつカメラが過日の「もてぎイベント」で水を浴びたらしく不調なので、挨拶まわりを主目的として行ったのだが、結局写真のモデルを連れて帰ってきてしまった。フライ1/32スロットカーのBMW CSL TURBOのアートカーで、少し前に出た限定品である。このクルマ、ロニー・ピーターソンが1976年のディジョン6時間で駆り、ジャッキー・イクスのポルシェ935と死闘を演じたモンスターとして有名だが、残念ながらモデル化は、同年ル・マンでのブライアン・レッドマン仕様となっている。ゼッケンとフィギュアを変えれば、ロニー/ディジョン仕様とはなるのだが…。
 同時期にミニチャンプスから出た1/18の同車種はアートカー・ミュージアム所蔵の仕様、すなわちゼッケン21のロニー/ディジョン仕様。フライにもゼッケン+フィギュア替え仕様を出して欲しいところだ。このクルマのアートワークを担当したアメリカのアーティスト、フランク・ステラはロニーと親交があり、ロニーの死後、「ロニー・ピーターソンのために」と副題された連作を発表したことでも知られている。それだけに、このクルマの製品化においてはロニー仕様の方が理にかなっているし、商品力もよりあったはずである。
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投稿者: T. Yamada | 日時: 2005年11月19日 23:04 | コメント (0)

2005年11月21日

BMW CSLターボ・ロニー仕様・プロバンス1/43

 昨日フライ製スロットカーをご紹介した、BMW CSL TUEBOのアートカー「ミリメートル」のモデル続き。ミニチャンプス1/18という決定版が出た今となっては、このクルマをアンタッチャブルな模型の題材として騒ぐ理由もなくなったが、かつては「絶対に量産モデル化が不可能そうなクルマ」の1つと言えた。その理由は何と言ってもフランク・ステラが手懸けた「方眼紙を張り巡らしたようなグラフィックス」だ。タンポ印刷やボディ全体をカバーするように覆うデカール・ワークの技術が発達した現在では、その気になれば何ということもないのだろうが、少なくとも1990年代半ば頃までは、量産は絶対不可能と思えた。
 そんな時代に、マスプロとは言えないが、1/43のレジン・キットを発売したのがフランスの「プロバンス・ムラージュ」だった。くだんのミリメートル・グラフィックスは巧みに線数を「間引き」の上、分割されたデカールシートで再現されており、本来「黒」である方眼紙のラインはグレーに置き換えられていた。この色の変換は、1/43というスケールの場合に、方眼紙模様がうるさくなることを憂慮しての演出だと思う(しかし、後に同キットでは黒に改められたはず)。写真の完成品は、モデル・カーズの記事の為に制作してもらったもので、ゼッケンは「21」番として、ル・マンではなく、ディジョンでのロニー・ピーターソン/グンナー・ニルソン仕様とした。フィニッシュは北澤志朗氏である。(モデル・カーズ29号掲載)
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投稿者: T. Yamada | 日時: 2005年11月21日 01:23 | コメント (0) | トラックバック (1)

2005年11月22日

タイレル006・セベール仕様・タメオ1/43

 再び1/43ハンドビルド・モデルカーの紹介に戻る。写真は1973年のエルフ・タイレル006。「モデル・カーズ」の記事掲載用のもので、ほぼイタリアのタメオ製「ワールド・チャンピオン」シリーズ・キットのストレート組みである。フィニッシュはジョー・高安。仕様はジャッキー・スチュワートではなく、彼の愛弟子チーム・メイト、「フランソワ・セベール」のマシーン。セベールと言えば、青い目のパリジャンにして富裕な宝石商の子息、かのブルジッド・バルドーと浮名を流すプレイボーイ・レーサーとして人気があった。恵まれた容姿と人なっつこい笑顔とは裏腹に「影」も感じさせる映画俳優のようなレーサーであった。
 中学1~2年の頃、「F1グランプリ・栄光の男たち」というドキュメンタリー映画が公開された。1973年のグランプリ・シーンを追いかけただけの内容だが、そこには誰が見ても「野蛮」としか形容のしようがないF1サーカスの姿が捉えられていた。そんな一編の中、セベールは概ね主人公役として登場し、プライベート・ショットもふんだんに見せる。この1973年は、エマーソン・フィッティパルディ+ロニー・ピーターソンというジョイントNo.1体制で臨んだ漆黒のJPSロータスと、スチュワートとセベールからなるエルフ・ブルーのタイレルが真っ向からぶつかって席巻したシーズン。グッドイヤーのホワイト・レターが巨大なタイヤをぐるぐると彩り、無骨なインダクション・ポッドと、長く後方に突き出されたリア・ウイングの群れが見る者を威嚇する。マシーンの外観はなにやら怪物じみており、その映像は息苦しいまでにスピードの危険を感じさせた。
 結局、ジャッキー・スチュワートは最終戦を待たずして王座を確定、シーズン終了と共に晴れやかに勇退することを決めていたが、最終戦アメリカGPの予選でセベールが事故死、そのストーリーは突然の悲劇で幕を閉じた。スチュワートとセベールを一時に失ったチーム・タイレルは、翌年、二人の若きレーサーを起用する。その二人のコンビが絶頂期を迎えるのは1976年。あの6輪タイレルの年である。続きは明日。(写真のモデルはモデル・カーズ21号掲載) ★画像をクリックすると大きな画像が見られます★

投稿者: T. Yamada | 日時: 2005年11月22日 20:27 | コメント (0)

2005年11月23日

6輪タイレルP34・デパイエ仕様・ウエスタン1/43

 昨夜の続きで1/43ハンドビルドモデルのタイレルF1をご紹介。写真はモデル・カーズ誌の記事用に製作されたもので、ベース・キットは懐かしいウェスタン・モデルス(ウエスタン・キット)製。タイヤ/ホイール等もキットのパーツをそのまま使っている。エンジンのエア・トランペット等、補器類の一部にタメオやメリのパーツを使っている他はキット・スタンダードのままと言える。フィニッシュは田中豊光氏。
 さて、スチュワートとセベールを一時に失ったチーム・タイレル(いわゆるティレル)は、1974年シーズンをジョディ・シェクターとパトリック・デパイエという若い二人のドライバーに委ねる。シェクターはその野生児のようなキャラと恐るべき速さで、前1973年、既に勇名を馳せていたし、デパイエは正反対にインテリジェントな個性とエルフのスポンサードの意義をセベールから引き継ぐ使命(フランス人故に)を帯びていた。若いコンビは周囲の心配を他所にすぐ第一線に踊り出た。そしてこのこのコンビが絶頂期を迎えたのが1976年、かの6輪タイレル、「P34」の年である。シェクターとデパイエは1回の1-2フィニッシュを含め、常に上位入賞を繰り返し、最終ランキングでも3-4位を占めた。
 さて、この1976年頃のF1マシーン、日本ではスーパーカー・ブームと時期が重なったことで、当時の子供たちにも、雑誌等で目に触れる機会が少なくなかったようである。そんな中でも「6輪タイレル」のインパクトは大きかった。タミヤ、トミカ、エーダイグリップなどがモデル化したことは今でもよく知られている。
 ところが、それらで育った世代が成人し、ダイキャスト・ミニカーが再び活況を呈するようになった1990年代半ば、6輪タイレルをはじめとする1970年代のF1はなかなか製品化されなかった。エグゾト、ミニチャンプス、カルツォらが製品化するまでに随分時間がかかったし、更にタメオやBBRの腰の重さには正直がっかりした記憶がある。中小のマニファクチャーならアンテナをビリビリ張っていて欲しいと思うのである。そうでなければファンにとって意味がない。 ★画像をクリックすると大きな画像が見られます★

投稿者: T. Yamada | 日時: 2005年11月23日 23:16 | コメント (0)

2005年11月24日

マクラーレンM23・ハント仕様・テナリブ1/43

 1/43ハンドビルドF1モデルの続き。写真のモデルは1976年にジェームズ・ハントが駆り、フェラーリのニキ・ラウダを僅か1ポイント差で下して世界王座を獲得した時のマシーン、「マクラーレンM23」である。
 ベース・キットは「テナリブ」製で、一部にディテール・アップ・パーツが使用されている他はキットそのままの仕上げ。フィニッシュは田中豊光氏である。これまで紹介してきたものの殆どと同様、モデル・カーズ記事掲載用に製作されたものだ。
 昨日の話の続きだが、超メジャー級と思えるこんな車種をわざわざ1/43キットをベースに記事にしたことからもわかる通り、この記事の当時、1/43ダイキャストでは、M23が発売されていなかったわけである。随分待ち、後に良いモデルがダイキャストで出たが、何と未だに同期の「ロータス77」はきちんとダイキャストで発売されていなかったりする。不思議としか言いようがない。あの豪雨に祟られた1976年の「F1選手権イン・ジャパン」を忘れられない向きは決して少なくないと思うのだが…。
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投稿者: T. Yamada | 日時: 2005年11月24日 23:25 | コメント (0)

2005年11月25日

フェラーリ312T2・ラウダ仕様・テナリブ1/43

 1/43ハンドビルドF1モデルの続き。写真は1976年度ニキ・ラウダ仕様のフェラーリ312T2。ベース・キットは昨日のマクラーレンM23同様、テナリブ製のもので、仕上げもほぼキット・スタンダードである。フィニッシュは田中豊光氏。最終戦でジェームズ・ハントに逆転されることにはなったが、1976年のF1グランプリの主役はニキ・ラウダとフェラーリ312T2だったと言えよう。
 快進撃の後、ドイツGPでの悪夢のような大事故、瀕死の重傷から僅か3週間のイタリアGPで実戦復帰してみせたニキ・ラウダは正に英雄だった。ドイツでの事故のせいもあるのか、312T2は製品化の少ない車種だが、発表当初のフロント・タイヤカバー+リア・ドディオン・アクスル仕様、リアをフロントと同径のダブル・タイヤとした6輪プロトタイプ等、ハンドビルド系モデラーの世界では、バリエーション豊富で魅力的な題材であるようだ。
 ところで、くだんのリア・ダブルタイヤ6輪仕様がカルロス・ロイテマンの操縦で試走していた様子は、当時スクープとして全世界のレース雑誌を飾ったが、この時、現場に居たカメラマンからの話の「また聞き」。この時、試走を終えた6輪車をピットで撮影しようとしていた何人かの幸運なカメラマンに向かって、メカニック達は「好きに撮れ」と言ったらしい。但し、「その6輪車の脇に置いてあるもう1台は絶対に撮るな!」というのが条件だったらしい。
 そのもう1台とは? 「なんとタイレルP34同様、フロントに小径の4輪を備えた文字通りの6輪車」だったというのだ。メカ達はそのクルマにガッチリとカバーを掛け、すぐにそのクルマをしまい込んだと言う…。真偽のほどは恐らく永遠に不明。しかし面白い話である。
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投稿者: T. Yamada | 日時: 2005年11月25日 20:03 | コメント (0)

2005年11月26日

1976年のF1マシーンたち

 写真は、昨日までにご紹介してきた1976年仕様の4台の1/43ハンドビルド・モデルカーを並べたカット。レイン・タイヤは再現できていないが、基本的には同年の「F1選手権イン・ジャパン」出場仕様として制作されたもので、モデル・カーズ27号(1995年10月)の記事掲載用として製作された。当時のモデル・カーズは季刊(年4回刊)だったので、1回あたりの編集スパンは長いものの、嘱託だった平野編集長以外には、長尾さん(現・編集長)と自分の二人しか専任スタッフがおらず、一人当たりの担当作業量や取材は決して少なくなかった。とは言え、季刊ベース、つまり年4回しか発行できないので、我々二人は、カー・マガジンやデイトナ等、他誌の模型や実車の記事も部分的に担当させて頂く事で、独立した部署としての存在意義と収支のバランスをなんとかキープしていたのであった。今と変わらず、あまり要領が良かったとは言えず、毎日結構遅くまで作業していたことを思い出す。しかし、自由にのびのびと仕事していた。
 さて、写真の4台、多分この1976年という年ほど、1台1台のマシーンのフォルムが異なっていたシーズンもないのではないか、と以前から思っている。それ故、同年のF1グランプリのスタート・シーンを捉えた写真はデコボコな一群に見える。この後、グランドエフェクト時代に突入すると、マシーンのカタチは一挙に画一化されてしまった。
 かつて、ジョー・高安氏は、これら1976年のマシーンたちを評して、概ねこう書いている。
「この年のマシーンは実に様々なカタチをしていた。求める理想は1つではないという、今は無い魅力に輝いて…。」 言い得て妙だと思うが、如何だろうか。
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投稿者: T. Yamada | 日時: 2005年11月26日 21:24 | コメント (0)

2005年11月27日

1/43ビル・トーマス「チータ」

 1/43ハンドビルド・モデルカーご紹介の続き。写真はスロットカー世代ならご存知の通り、ビル・トーマス「チータ」だが、最近リリースされバリエーションを増殖させている「マーシュ・モデルス」製ではなく、「GT(グラハム・ターナー)モデルス」というメーカーが1990年頃に発売したキットを組んだもの。フィニッシュは北澤志朗氏。
 マーシュ同様、このGTモデルスもイギリスのメーカーなのが不思議。ご存知の通り、マーシュはCAN-AM系マシーンばかりをリリースしている。イギリスでもCAN-AM系マシーンは或る世代にとって強いアピールがある、ということなのかも知れない。ところでチータは、マスプロによるモデルカー化が、主にコピーライトの問題で簡単でない車種らしい。なのでマーシュからの発売が決定したときは嬉しかったが、実際の製品を見てみると、そのプロポーションが自分のイメージとあまりに食い違っていることに正直驚いた。GTモデルスのチータは言ってみればCOX(コックス)1/24スロットカーの縮小版イメージだったのだが、マーシュのそれはメーカーの生真面目さを映して、恐らくは可能な限り正確なスケール・ダウンを意図したものなのだ。そもそも約20台存在したと言われる実車チータそのもの自体、1台ずつ微妙にカタチが異なるようなので、マスター・モデラーのセンスを楽しむのが良いと思う。納得いかないなら自分で作るしかない、ということだろう。
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投稿者: T. Yamada | 日時: 2005年11月27日 23:59 | コメント (0)

2005年11月29日

チータ・クロサル・スペシャル・GTモデルス1/43

 昨日に引き続き、1/43ハンドビルド・モデルの紹介。写真のモデルは再び、ビル・トーマス「チータ」だが、昨日のクーペとは異なり、ルーフをカット・オフしたロードスター・ボディの「クロサル・スペシャル」という個体を再現したもの。キットは昨日と同じくイギリスのGTモデルス製のものである。フィニッシュは北澤志朗氏。以前、1/32スロットカーでも紹介したことがあるクルマだ。
 チータの実車は、そのパフォーマンス以前に、コクピット内にこもる猛烈な熱が最大の弱点だったと言われている。このクロサル・スペシャルは、その問題点に対する最も簡単で有効な対策を施した唯一のチータで、最も輝かしい(まともな)戦績を残したチータでもあるらしい。
 クロサル・スペシャルの実車は、15年ほど前に完璧なレストレーションを実施され、ラグナ・セカにおける有名なヒストリックカー・レースでしばし活躍し、その後すぐに売りに出た。当時「カー・マガジン」にその詳細なレポートが掲載され、広告に写真が出ていたことを思い出す。値段を聞いたら、それほどべらぼうな額では無かったと記憶する。ま・いずれにしても買えないことに違いはないが…。
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投稿者: T. Yamada | 日時: 2005年11月29日 00:29 | コメント (0)

ビル・トーマス「チータ」・GTモデルス1/43

 一昨日~昨日にかけてご紹介したイギリスのGTモデルス(ミニチュア)製レジン・キットのチータ2態。共に北澤志朗氏によるフィニッシュである。1960年代初頭のアメリカのレースカーで、本来「コブラ・イーター」となるべく生まれたクルマだったが、プロダクションがGTホモロゲーション台数に追いつかず、結局シャパラルに代表されるモンスター達と相まみえる羽目に…。
 誇れるリザルトの代わりに多くの笑える逸話をレース史に残したチータは、それでもスロットカー世代にとっては、憧れのワイルドなマシーンである。
 当時のチータの模型と言えば、COX(コックス)製スロットカーが代表格だが、そのCOX製スロットカーの箱絵には「CUSTOM RACER」というキャッチが掲げられている。これは、当時既にこのクルマが、ロード・レースカーとしては「異色の成り立ちを持っていたこと」が衆知であったことを示しているのではないだろうか? カリフォルニアにあったCOX社の製品のクオリティは、一般に日本人がアメリカ製の玩具・模型にイメージするラフで大味なものではなかった。インストラクションの一字一句にも、ホビーのクオリティを追求する姿勢が感じられる素晴らしいメーカーだったと思う。「CUSTOM RACER」という的を射たキャッチにも、その真摯なスタンスがうかがえると思うのだが、いかがだろうか。
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投稿者: T. Yamada | 日時: 2005年11月29日 22:17 | コメント (0)

2005年11月30日

マーチ761・メルツァリオ仕様・タメオ1/43

 1/43ハンドビルド・モデルカーの紹介シリーズ(?)は再びF1に戻る。写真はタメオ1/43のマーチ761「OVORO」仕様キットを組んだもの。フィニッシュは斎藤俊幸氏である。「761」は1976年にマーチが投入したマシーン。当時のF1はワークス・チームに加えて小さなプライベート・チームが現れては消える世界でもあり、マーチはそんなプライベーター達にとって、高水準のマシーンを手に入れるの為に最も理にかなった選択肢だった。
 1976年のワークス系マーチは基本的に4台体制であった。女性ドライバー:レラ・ロンバルディを押し出すカタチでロータスから出戻った最速男、ロニー・ピーターソン、「モンツァ・ゴリラ」ことヴィットリオ・ブランビラ、親子二代のニュル・マスター、ハンス・スタックという、いずれ劣らぬ猛者3人がメイン、そして4台目のマーチを駆ったのがイタリアの「アルツーロ・メルツァリオ」であった。メルツァリオはワークス・アバルトやアルファ・ロメオのスポーツカー・レースで大活躍した痩躯小兵タイプのドライバーで、イタリアではその体型ゆえに「ヌヴォラーリの再来」と呼ばれ、ブランビラと並んで速い男として名を馳せた存在。F1ではフェラーリでデビューしたにも関わらず、華々しい戦果を上げることは適わなかったが、テンガロン・ハットや「ビタローニ・ストラトス」ヘルメットを被る伊達っぷりがカッコよく、印象深かった。このシーズン後半、彼はウルフ・ウィリアムズに移籍、かのジャッキー・イクスと共に走らぬマシーンと格闘する羽目になるが、それすらも何故かカッコよく思えたものだ。
 1999年の秋、そんなメルツァリオが突然来日。珍しく歯車が上手く噛み合って、インタビューがかなったのは良き思い出である。続きは明日。
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投稿者: T. Yamada | 日時: 2005年11月30日 23:44 | コメント (0)

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