社長対談、鉄道写真の世界…ゲスト広田尚敬さん
ネコ・パブリッシング社長笹本健次が、各界のトップや世界的な趣味人を招いて対談する『社長対談』。第2回目のゲストは、鉄道写真の第一人者である写真家の広田尚敬さん。若き日の思い出をきっかけに“鉄道写真”をテーマに、対談はスタートしました。
気づいてみるといつも広田さんが先を歩いている

『鉄道ピクトリアル』1958(昭和33)年2月号を飾った広田さんのグラフ「那須野の印象」。(©鉄道ピクトリアル)

笹本:仕事ではいつもお会いしていながら、広田さんとゆっくり鉄道写真の話をできる機会はなかなかなくて、今日の対談は楽しみにしていました。

広田:ネコ・パブリッシング創立30周年だそうで、まずなにはともあれ、おめでとうございます。笹本さんと最初にお会いしたのは交通公社出版事業局の『永遠の蒸気機関車』の時でしたよね。

笹本:ええ、まだ入社して間もない頃でした。それにしてもあの本はたいへん評判が良くて実によく売れたのを覚えています。最初に社会人となって勤めた会社で、小さい頃からの憧れでもあった広田さんの作品集に関わることができたのは本当にラッキーでした。
 ところで、僕は広田さんの写真の中でどんな写真が鮮明に印象に残っているかというと、やはり『鉄道ピクトリアル』に発表された初期の作品ですね。

広田:いろいろな意味で『鉄道ピクトリアル』はやはり原点です。

笹本:小学生の頃から『鉄道ピクトリアル』は読んでいましたが、僕は広田さんの当時の写真で、一際鮮明に印象に残っているのが那須野の組写真で…。

広田:そう、3枚ぐらいの。

笹本:東野鉄道を撮ったもので、おじいさんがホームをよぼよぼ歩いていて、タバコかなんか吸って…。いや鮮烈な印象が残っていますよ。もうひとつはホームの水飲み場の向こうにB6がいる写真。この間名取編集長に聞いたら、大宮だって言っていましたが…。

広田:子供が水飲んでいるところ?

笹本:そうそう。もう40年以上前の写真だけど、僕はずーっと覚えている。

広田:それはそれは。(笑)

笹本:それにしても、あのころの『鉄道ピクトリアル』の編集者がああいう写真を大きく選ぶなんて、いまから考えてもすごいと思いますよ。

広田:そうですね。

笹本:本島三良さんなどのきわめてオーソドックスな写真が幅をきかせていた時代に、よくあんな写真、いや失礼…セオリー通りでない写真を選んだと思います。実際に選んだのはどなたか知りませんけどね。

広田:ああ、あれは萩原政男さんですよ。すごいですよね。僕が萩原さんや黒岩保美さんと知り合った経緯をちょっと話すと…。「鉄道友の会」ができたばっかりの頃でした。三森康亘さんという方、この方は私の子供のころからの友人ですが、彼が黒岩さんや萩原さんに可愛がられていた。そんな彼がある時、「鉄道写真コンクール」で入賞している広田っていうのはおれの友達だって言ったらしいんですね。そうしたら、お前なに言ってんだ、むこう(広田)のほうがもっと年齢が高いはずだって言うのです。そういう写真ばかり撮っていましたからね。じゃあ会ってみてください…ということで、数寄屋橋にあった銀座写真商会の2階で引き合わせてもらったのが最初でした。

笹本:その時、広田さんは何歳ぐらいだったのですか?

広田:ぼくは、だってまだ学生ですから。

笹本:那須野の、東野鉄道の写真は?

広田:昭和30年ぐらいだったと思いますけど…。大学入ってすぐだったと思います。

笹本:そうですか、まだ二十歳前ですね。

広田:「那須野の印象」はね、黒岩さんと萩原さんのあとについていって、それで撮ったんです。

笹本:そうですか。

広田:銀座写真商会で知り合って、それで、一緒にどこか撮影に行こうかって、それで行ったんです。萩原さんはライカで、黒岩さんはなんだっけかな、35ミリで、いいカメラでした。私はレオタックスで。それで3人で行ったんですよね。で、そのときの写真を見せたら、あっ、これいいねえって。

笹本:広田さんの写真が素晴らしいというのは当然のことながら、あの写真をメインに選んだという編集者のセンスがすごいなと僕は思っています。


東野鉄道を撮影中の学生時代の広田さん。黒岩保美さんが撮影してくれたもの。1958年6月6日 東野鉄道西那須野 写真:黒岩保美(©黒岩久子)

広田:だいたいあの頃は、ナンバーが読めない写真は鉄道写真じゃないという空気がありましたからね。(笑)

笹本:僕はそのあと大学のころから、わりと一生懸命写真を撮っていまして、やはり、実際に自分で写真を撮るようになると、一通りのアングルをだいたい勉強して、その次に自分独自のアングルをモノにしたいと思うようになりますよね。大学生の頃は仕事で、仕事といってもアルバイトですがね、竹島紀元さんのもとで『鉄道ジャーナル』の写真を撮っていましたが、おまえはこういう写真を撮ってこいって、そうなると自分で考えなきゃならない。自分で自分独自のアングルを考えなきゃならない。そこに行きつくと、いつも広田さんの写真はすごいなと…。

広田:どういう意味で?

笹本:とにかくあらゆる場面で自分のアングルを持っている。しかも写実から抽象までそれこそ自由自在に操れる。悩んで悩んで自分のアングルを見つけたつもりでも、気づいてみるといつも広田さんが先を歩いている。

広田:そうですかねぇ…。(笑)

笹本:ぼくは写真の基本は写実主義だと思うんですが、その写実主義の代表は言ってみれば臼井茂信さんの写真。あの人は亡くなるまでそれを撮っていた。あの人はすごいですよね、画面の中でピッシリ、計算してはいないのでしょうが、あれだけ寸分の揺るぎもなく写真を撮れるという人は、ぼくは臼井さん以外ほとんどいないのではないかと思っている。

広田:臼井さんは何と言っても機関車というものを愛していた、蒸気機関車というものを。ところで、臼井さんは列車の写真を撮る時、フォーカルプレーンのカメラを絶対使わなかった。35ミリも勧めたんですがね、最近の35ミリは6×6に引けを取らないからって。それでも使わない。なんでですかって聞いたら、フォーカルプレーンだからって。フォーカルプレーンだと走ってくる列車は、厳密にいえば必ず変形する、だからそれがいやなのだそうです。

笹本:そりゃすごいですね。その頃臼井さんはカメラは何を使ってらっしゃったのですか?

広田:マミヤのC3、延々とC3を使っていて、最後にね、アサヒペンタックス。

笹本:67ですか?

広田:35ミリです。最後は35ミリも使うようになってキヤノンF-1もお持ちでした。ただ晩年は遺構の調査とか、列車写真以外での用途が多かったようですから。

鉄道ジャーナル
『鉄道ジャーナル』誌の表紙は1971年の1年間広田さんが担当、その前後何回かを笹本が担当した。笹本撮影の写真が表紙となった1970〜1973年当時の『鉄道ジャーナル』誌。(©鉄道ジャーナル)
 
広田尚敬
広田尚敬(ひろた なおたか)

鉄道写真の第一人者。1935年東京生まれ。子供のころから鉄道に魅せられ撮影を始める。学生時代に日本の鉄道誌やアメリカの『TRAINS』誌に作品を発表。1960年よりフリーランスの写真家として活躍し、日本の鉄道写真を世界的レベルに押し上げた。欧米各国でも“HIROTA”の名は広く知られている。著書は実に150冊以上。『魅惑の鉄道』(1969年/ジャパンタイムズ)をはじめ、『永遠の蒸気機関車』(日本交通公社)、『撮った。国鉄23000キロ』(講談社)、『電車の写真家』(岩波書店)などがある。1998年からは弊社ネコ・パブリッシングから、毎年イヤーブック『鉄道写真』を刊行中。

笹本健次
笹本健次(ささもとけんじ)

昭和24年8月生まれ。株式会社ネコ・パブリッシング代表取締役。昭和51年にネコ・パブリッシングの前身である「企画室ネコ」を立ち上げ、当初は極めて趣味性・資料性の高い自動車書籍・雑誌を中心に出版、その後、鉄道、オートバイ等の“乗りもの”系の充実に加え、あらゆる「趣味」の総合出版社としての展開を率先して牽引、現在に至る。鉄道趣味は少年のころから。クルマの分野では、フェラーリ・ファナティックとして有名。毎日更新されるブログはこちら


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