社長対談、鉄道写真の世界…ゲスト広田尚敬さん
「広田写真」はいまや現代抽象絵画の域にまで…

昔機関車名に“池月”あり。C58 19。1970年12月 陸羽東線西岩出山−池月 写真:広田尚敬

笹本:臼井さんの世界というのはひとつ厳然とあったと思うんですけど、そのほかに西尾克三郎さんとか、ほんの一部の方以外はほとんど「世界」がないですよね。

広田:臼井さんなんかは自分でそういう世界を持っていましたからね。

笹本:僕が言いたいことは、広田さんはそういうことをもう大学時代に通過して、どちらかって言うと、印象派の世界を過ぎてですね、いまは現代絵画、ようするに自分のイメージを映像の中で作り上げる世界に入りつつあるのではないか、僕はそう感じます。昔、臼井さんや皆さんが撮った斜め7:3の列車写真、そういうのはまさに写実主義で、その後出てきた「けむりプロ」なんかの情景の中の写真と言うのが絵画で言ってみると印象派の世界という感じがするんです。広田さんはそれをすべて通過してきて、ピカソのような世界に至っている…。僕はね、“鉄道写真道”みたいなものを言うとすれば、そんな感じだと思います。

広田:よく見ていますね。

笹本:現在、広田さんだけなんですよ、現代抽象絵画まで行っている人は。他には誰もいないですよ。

広田:お手本がないからというのではなくて、本当はもっと若い方が率先してやって欲しいですね。

笹本:うちの『レイル・マガジン』もその辺で困っているんです。近代絵画的なことも少しずつ取り入れていかないと、鉄道写真そのものが盛りあがりに欠けるのではないか。芸術的な部分を追求するっていうのは、ある意味なかなか難しいですね。僕はそんな気がするんです。

広田:止まっていますよね、今。もうちょっと冒険してもいいのかなと思う。

笹本:もうひとつ言わせていただくと、広田さんのすごいのは他の誰の写真でも撮れることですよね。形式写真であろうと何であろうと…。でも、逆に広田さんの写真は誰も撮れない。

広田:いい時代に生まれましたよ、僕は。

笹本:僕は個人的には、最近『レイル・マガジン』でお願いして撮っていただいている写真、これも素晴らしいと思うんですけど、もっともっと、昔のモノクロの写真を公開していただきたいと思うんです。まだまだあるんじゃないですか?

広田:もう少しありますね…そんなにはないですが(笑)。お金なかったですから、当時。フィルム高いでしょう、すごくね。フィルムは高いし、長距離の旅行もできないから、なかなか限られていましたよね。当時はフィルムが10枚残っているなんてハッピーです。


生きている証。D51 1086。1975年12月 夕張線紅葉山 写真:広田尚敬

時を刻んできた動輪。D51 124。
1970年12月 奥羽本線新庄
写真:広田尚敬

笹本:僕らの時代でもカラーでなんてなかなか撮れませんでした。

広田:あのころ『アサヒカメラ』のカラーページは裏が白かった。モノクロのページを開けるとカラーが1ページに5点。そのなかに石橋さんという常連がいて、実はブリヂストンの社長でした。カメラを持って海外に行く。カラーフィルムなんがバンバン使って。そのあたりがカラーのはじまりだったのかなぁ。他の方々なんかカラーなんて使えませんでしたよね、あのころはねぇ。


前のページへ 次のページへ ページトップへ